クロスベル市から車で一時間ほどの距離に警備隊の第二演習場があった。
 周りは深い森に囲まれており、軍や警察の人間でもなければ滅多に近付かない辺鄙な場所だ。
 近くにはロイドも通っていた警察学校があり、魔獣の徘徊する森は警備隊の訓練地ともなっていた。
 そんな森の中にポツンと佇む軍の施設にリィン・クラウゼルの姿があった。
 窓一つない鉄の壁に覆われた廊下を歩いていると、見知った姿を見つけてリィンは声を掛ける。

「よお、久し振りだな」
「リ、リィン・クラウゼル!? どうして、ここに!?」

 この場にいるはずのない人物に声を掛けられ、驚く女性の声が廊下に響く。
 白のブラウスに紺色のロングスカート。落ち着いた町娘のような服装に対して、腰には年若い乙女には似つかわしくない無骨な片手剣をぶら下げたアンバランスな装いの彼女の名はデュバリィ。
 神速の二つ名を持つ〈鉄機隊〉の筆頭隊士だ。
 鉄機隊と言うのは、結社に身を置きながらも盟主ではなくアリアンロードに忠誠を誓う精鋭部隊のことだ。
 その隊員はデュバリィを含めて僅か三名だが、一人一人が執行者に匹敵する実力者ばかり。
 当然リィンもその実力を認めているのだが、

「リアンヌが戻ってきてると聞いてな。ここにいるんだろ?」
「マスターの真名を軽々と……」
「そう言われてもな。本人がそう呼んで欲しいと言った訳で、文句ならリアンヌに言ってくれ」
「ぐぬぬぬ……」

 顔を真っ赤にして睨み付けてくるデュバリィを見て、やれやれとリィンは肩をすくめる。
 剣の技量だけで言えば達人クラスの実力があることは間違いないが、性格が真っ直ぐ過ぎる。
 それがデュバリィの良いところであると思う反面、弱点でもあるとリィンは考えていた。
 もう少し落ち着きと柔軟さを身に付ければ、いずれ光の剣匠にも届く剣士に成り得るだろうが――

「……当分は無理そうだな」
「意味は分かりませんが、バカにされたことだけは理解できますわ。喧嘩を売ってます? 売ってますよね?」
「どうどう、デュバリィちゃん落ち着いて」
「まったく何をやってるんだ……」

 腰に下げた剣を抜こうとするデュバリィを宥めるように、呆れた様子で二人の女性が割って入る。
 フォーマルなドレスを着こなし、気品のある装いにウェーブの掛かったロングヘアー。
 落ち着いた大人の色香が漂う女性の名はエンネア。〈魔弓〉の二つ名を持つ〈鉄機隊〉の隊士だ。
 そして、もう一人。デニムのズボンにワイシャツと、男勝りな印象を受ける赤い髪の彼女の名はアイネス。
 デュバリィやエンネアと同じ、剛毅の二つ名で知られる〈鉄機隊〉の隊士だった。

「いつもの鎧じゃなくて、今日は三人とも私服なんだな」
「……どうせ、似合ってないとか言いたいのでしょう?」
「いや、三人とも良く似合ってると思うぞ」
「な――!?」

 まさか、リィンに服装を褒められると思っていなかったのか?
 顔を真っ赤にして狼狽えるデュバリィ。
 そんな彼女を――

「うちの筆頭隊士をからかうのは程々にしてあげて頂戴。単純……純粋なのだから」
「エンネア……あなた今、単純って言おうとして言い直しませんでした?」
「そんなことないわよ。空耳じゃないかしら?」
「いえ、絶対に言いかけましたわ!」

 からかうようにあしらうエンネア。
 完全に大人と子供と言った様子だが、これが彼女たちの日常なのだろう。
 何でも言い合える関係と言うのは、逆に言えば互いのことを心から信頼していると言うことだ。
 デュバリィとエンネアの関係からも、彼女たちが固い絆で結ばれていることは容易に察せられた。
 とはいえ、

「アイネス。リアンヌがどこにいるか知らないか?」

 彼女たちと談笑するために、ここまで足を運んだ訳ではない。
 当初の目的を果たそうと、リィンはアイネスにアリアンロードの居場所を尋ねる。
 デュバリィとエンネアに尋ねるよりも、彼女に尋ねた方が早いと判断したからだ。

「マスターなら、この先の演習場にいらっしゃるはずだ。蒼の起動者と一緒にな」
「……クロウと?」

 アイネスの口からでた珍しい組み合わせに首を傾げるリィン。
 しかし、ここへ来る前にアリサが面白いものが見られるかもしれないと言っていたのを思い出し、

(なるほど、あれはクロウのことを言っていたのか)

 まだ言い争っているデュバリィとエンネアを背に、リィンはアリアンロードの待つ演習場へと向かうのであった。


  ◆


 意識を失い、仰向けに倒れ込むクロウの姿が演習場の中央にはあった。
 命に関わるような怪我は負っていない様子だが、体力だけでなく気力も尽きている様子が見て取れる。
 この一週間。ほぼ休息を取らず特訓に励んでいたと言う話なので、それも無理はないだろう。
 そんななか演習場の中央からリィンの姿を見つけ、中世の騎士が身に纏うような甲冑を着た人物が近付いて来る。
 そして、声が届くほどの距離に近付くと頭を覆っていた仮面を取り、その素顔を晒すと――

「どうでしたか? あなたの目から見て、彼は――」

 空のように青く澄んだ瞳。腰元まで届く長い金色の髪。
 誰もが振り返り、息を呑むほど精悍な顔立ちをした美女の姿がそこにはあった。
 彼女の正体は帝国の歴史に名を遺す英雄――槍の聖女ことリアンヌ・サンドロットだ。
 いまはアリアンロードと名乗っているがその実力は伝承に違わず、結社最強の執行者と噂されるマクバーンに匹敵する力の持ち主だ。
 まさにゼムリア大陸でも有数の実力者――最強クラスの達人と言って良いだろう。
 いまのリィンでも全力をださなければならない相手。当然、クロウの実力では足下にも及ばない。
 彼女を特訓の相手に指名した時点で、こうなることは明白だった。
 しかし、それはクロウ自身も分かっていたはずだ。
 なのにクロウが彼女を特訓の相手に指名した理由。それは――

「まだまだと言ったところだが見込みはある。それより、アンタが双刃剣(ダブルセイバー)〝も〟扱えるとは思わなかったよ」

 特別な異能を持っている訳ではなく、彼女の強さは努力によるところが大きいと知っているからだった。
 リィンが努力をしていないと言う訳ではないが、彼の力は努力したからと言って真似られるものではない。
 しかし、アリアンロードの強さは才能もあったのだろうが、長い研鑽によって培われたものだ。
 だからこそ、すぐには無理でも努力次第では限りなく近付くことが出来る。
 何よりアリアンロードはシャーリィと違って、人に教えることが上手かった。

 デュバリィたちが今の実力を身に付けられたのも、アリアンロードの指導によるところが大きい。
 槍の達人として知られる彼女だが、扱える武器は槍に限った話ではない。
 獅子戦役と呼ばれた戦争では、ドライケルスだけでなくヴァンダールやアルゼイドの祖先と共に戦ったのだ。
 そうした英雄たちの戦いを記憶し、技を模倣するだけの技量と時間がアリアンロードにはあった。
 一番得意な武器が槍と言うだけで、彼女には二百五十年に及ぶ研鑽の歴史があると言うことだ。

「同じような武器を使う人物を知っていたと言うだけのことです」

 扱えるだけで本物には遠く及ばないと、アリアンロードは話す。
 とはいえ、本物を知るが故に欠点を指摘し、教えることは出来る。
 強くなれるかどうかはクロウ次第だが、リィンが言ったように見込みはあるとアリアンロードは考えていた。

「それで、盟主には会えたのか?」

 軽く雑談を交わしたところで、本題に入るリィン。
 クロウの様子を見にきた訳ではなく、アリアンロードを尋ねてきたのは別の目的があったからだ。
 アリアンロードがリィンたちのもとを離れ、姿を消していたのは結社に戻っていたからだった。
 その目的は盟主と面会すること。
 シャーリィとの決闘に敗れ、暁の旅団に入ることを約束したとはいえ、結社の使徒であるという立場は変わらない。
 筋を通すためにも盟主に会い、了承を得る必要があるとアリアンロードは話し、リィンの元を離れたのだ。
 それが、四ヶ月前のことだ。
 こうして戻ってきたということは、盟主との話に決着が付いたとリィンは考えていたのだが――

「……会えませんでした」
「会えなかった?」
「星辰の間へと通じる道は閉ざされ、道化師とも連絡が付きませんでした」

 星辰の間。それは使徒たちが盟主との謁見を行うために設けられた部屋。
 この世界とは異なる空間に存在し、カンパネルラの案内がなければ使徒以外では何人も立ち入ることが出来ないとされる場所。
 唯一、盟主と言葉を交わすことが出来る場所――謂わば、結社にとって聖域とも呼べる場所だ。
 リィンも前世の知識から、そう言う場所があることは知っていた。

「星辰の間、盟主との対話に用いる場所だったか?」
「……よくご存じですね。その情報は深淵殿から?」
「まあ、そんなところだ」

 リィンが嘘を吐いていると気付いていながらも、アリアンロードはそれで納得した様子を見せる。
 リィンがまだすべてを語っていないように、アリアンロードにも話せないことの一つや二つはあるからだ。
 結社――特に盟主に関することも、その一つだ。
 イシュメルガを滅ぼすために盟主の誘いに乗ったとはいえ、目的を果たしたからと言って裏切るような真似は出来ない。
 それは彼女の流儀に反することだと理解しているからこそ、リィンも強要しなかったのだ。
 しかし、その代わりに頼んでいたことが一つあった。

「申し訳ありません。伝言を預かっておきながら……」
「いや、そういうことなら仕方がない」

 盟主へのメッセージ。
 それを密かにリィンはアリアンロードに託していた。
 しかし盟主に会えなかったのであれば仕方がない、とリィンはあっさりと引き下がる。

「結社の盟主っていうのは、約束を違えるような人物か?」
「……それはありえません」
「なら、そのうちあっちから接触があるだろ」

 というのも、盟主とは『会って話をする』という約束を既に交わしているからだ。
 アリアンロードの言うように、リィンも盟主がその場凌ぎの嘘を吐いたとは思っていなかった。
 日時と場所を指定しなかったことが悔やまれるが、少なくとも約束を違えるようなことはしないだろう。
 だとすれば、いずれ盟主の方から接触があるものとリィンは考えていた。

「それで、どうするんだ? 盟主の許しを得るまでは、団に入ることは出来ないみたいなことを言っていたが――」

 会えなかった以上、いますぐに盟主の了承を得ることは難しい。
 となれば、アリアンロードが〈暁の旅団〉に入るという話も保留ということになる。

「シャーリィが勝手に言いだしたことだ。一旦、この話は保留してもいいが……」
「そうはいきません。互いに命と誇りを懸けた戦いで敗れた以上、勝者の言葉に従うのが道理」

 決闘に〝もしも〟や〝また〟なんて言葉は存在しない。
 シャーリィとの真剣勝負に敗れた時、結社の使徒である〈鋼の聖女〉は死んだものとアリアンロードは考えていた。
 リィンに『リアンヌ』と呼ぶようにお願いしたのも、それが理由と言っていい。
 だからこそ、結社に戻って盟主と会うと決めた時、本当にこれを最後にすると決めていたのだ。
 それに――

「盟主との面会は叶いませんでしたが、恐らく――」

 結社を離れ、リィンと共に歩むことを盟主は認めてくれるはずだと、アリアンロードは確信していた。
 いや、もしかすると今のこの状況でさえ、盟主であれば予見していた可能性が高いと――

「それを信じろと?」
「信じてもらうほかありません……」

 しかし、自分には確信のようなものあるが、それを口で説明することは難しい。
 それだけに、リィンの納得を得るのが難しいということもアリアンロードは理解していた。
 過去を詮索しないのが猟兵だと言っても、いまも結社と繋がりがないと証明する手立てはないからだ。

「分かった」
「え……それは……」
「入団を許可するってことだ。結社に戻れないなら行く当てもないんだろ?」

 こんなにもあっさりと許可が下りるとは思っていなかったのか?
 さすがのアリアンロードも困惑を隠しきれない様子を見せる。
 それだけ今の自分の言葉には説得力がなく、疑われても仕方がない立場にいると理解しているのだろう。
 しかし、リィンの考えは少し違っていた。

「敵と言うならシャーリィも〈赤の戦鬼(オーガロッソ)〉の娘だしな」

 嘗ての敵というだけで疑うのであれば、シャーリィもシグムントの娘だ。
 西風の旅団で育ったリィンにとって、宿敵とも呼べる猟兵団の幹部の娘。
 しかも戦場で幾度となく命の奪い合いをしたことのある相手でもある。
 シャーリィ以外のメンバーも、元暗殺者やテロリストだったりと曲者ばかりが揃っている。
 元結社の人間という括りで入団を拒むのでれば、シャロンも元執行者だ。
 協力者という立場にいるレンだって、同じく元執行者という肩書きを持つ。
 そのことを考えれば、結社の使徒だからと言って入団を拒否する理由にはならなかった。
 それに――

「仮の名ではなく本当の名前を預けてくれたんだ。その〝信頼〟には応えないとな」

 信頼には信頼で応えるべきだというのがリィンの持論だった。
 結局のところ肩書きは問題ではなく、信用できる相手かどうかが重要と言うことだ。
 その点で言えば、アリアンロード――リアンヌは信用できる人物だとリィンは考えていた。
 結社の送り込んできたスパイと言う線も、相手を騙したり嘘を吐くのが得意でないことから、ほぼ可能性は考えなくていいだろう。
 逆に言えば、デュバリィと一緒で猟兵に向いていないとも言えるのだが――

「だが、俺たちは猟兵であって騎士じゃない。それでも本当にいいのか?」
「……今更ですね。結社も〝正義の味方〟ではありませんよ?」

 どちらかと言えば結社のしていることも秩序を乱しているという時点で、社会全体から見れば悪だとアリアンロードは考えていた。
 二百五十年前の戦争も、自分たちが正義だと考えたことは一度としてない。
 後の世で偽帝と称されたオルトロスにも、皇帝になろうとした理由や大義があったはずだ。
 しかし、アリアンロードはドライケルスの覚悟と決意に心を打たれて力を貸すことを決めた。
 誰が正しく何が間違っているのかなど、たいした問題ではない。
 自分が何を為したいのか? それが一番大切なことだとアリアンロードは考えていた。
 だから――

「私はあなたの〝力〟になりたい。あなたの〝夢〟の先が見たい」

 それは嘗て、ドライケルスに贈った言葉。
 結局、最後まで共にあることは叶わなかったが、この二百五十年は無駄ではなかったと今では感じている。
 リィン・クラウゼル。若き日のドライケルスの面影を持つ彼と、出会うことが出来たのだから――
 そしてリィンであれば、ドライケルスが叶えることの出来なかった夢の先を見せてくれるのではないかと期待していた。

「言っておくが、俺はギリアスともドライケルスとも違う。期待に応えられるとは限らないぞ?」
「構いません。あなたのやり方で、結果を示してくれるのであれば――」

 アリアンロードの意志が固いことを確認したリィンは、やれやれと言った様子で溜め息を吐く。
 とはいえ、単純に戦力の強化と言う意味では、彼女と鉄機隊が団に加わってくれるのは心強い。
 なら自分が為すべきことは――

「これから、よろしく頼む。それと、俺のことはリィンでいい」

 名前を預けてくれたアリアンロードの信頼に応えることだと、リィンは自分の名前を彼女に預ける。
 突然の申し出に驚きながらも、アリアンロードは笑みを浮かべる。
 それが、不器用ながらも彼なりの誠意なのだと察したからだ。
 故に――

「はい。こちらこそ、よろしく頼みます。――リィン」

 この場にいるのは鋼の名を捨て、聖女の衣を脱ぎ去った一人の猟兵。
 リアンヌ・サンドロットでもアリアンロードでもない。
 ただのリアンヌとして、これからは彼と同じ道を歩むのだと、決意を胸に秘めるのだった。



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