クロスベル郊外にある空港に、赤い船体の横に太陽のエンブレムが刻まれた一隻の飛行船が停泊していた。
 カレイジャス二番艦〈アウロラ〉――女神の名を冠する〈暁の旅団〉の船だ。

「昨晩はお楽しみでしたか?」

 そう言ってメイド服に身を包んだシャロンに出迎えられたリィンは、何事もなかったのように船に乗り込む。
 無視されたと言うのに少しも動じる様子を見せず、付き従うようにリィンの後を追い掛けるシャロン。
 笑顔で後を無言で付いてくるシャロンに対して、リィンは溜め息を交えながら尋ねる。

「いつもそうやってアリサのこともからかってるのか?」
「まさか、私はお嬢様のためを思えばこそ……」
「否定しないってことは、からかってる自覚はあるんだな?」

 まったく悪びれた様子の無いシャロンの態度に、リィンの口からは更に大きな溜め息が溢れる。
 これがアリサに仕えるラインフォルト家のメイド、シャロン・クルーガーという女性だった。
 掃除や料理だけでなくスケジュール管理から仕事の補佐まで完璧に何でもこなすスーパーメイドなのだが、お茶目というか……性格に少し難があるとリィンは感じていた。
 本人に悪気がないのだろうが、主と定めた相手で〝遊ぶ〟悪い癖があるからだ。
 昔は場を和ませるための演技をしているのだと思っていたのだが、最近ではこれが彼女の素なのだとリィンは気付き始めていた。
 逆に言えば、それだけ心を許しているとも言えるのだが、アリサがシャロンを苦手とする気持ちが理解できる。

「アリサをからかうなとは言わないが、程々にしてやれよ」
「注意するのがお嬢様のことだけ、と言うことは〝旦那様〟には何をしても良いと言うことでしょうか?」
「やめろと言っても無理だろ? それにもう慣れた」

 反応しなければ、シャロンもしつこくからかってきたりはしないことをリィンは分かっていた。
 アリサをからかう時もきちんと線引きをしている様子で、本気で怒らせない程度に匙加減をしていた。
 対処の方法が分かれば、あとは慣れでどうとでもなる。
 旦那様という呼び方も慣れてしまえばどうということはない。
 名前で呼べと言っても、メイドとしての矜持があるのか?
 いつまで経っても呼び方を改める様子がないので、諦めたと言った方が正しいのだが――

「申し訳ありません、調子に乗りました。昨晩こそは、お嬢様と一緒に呼んで頂けるものとばかりに思っていたもので遂……」
「なら今晩、俺の部屋にくるか?」
「……本気ですか?」

 まさか、そういう返しをされると思っていなかったのか?
 シャロンは目を丸くして、驚いた様子を見せる。

「それはお前次第だ。しかし、アリサとお前を団に迎え入れると決めた時から、二人とも〝責任〟を取ると決めていた」
「え……あの……えっと、それは……」

 いつにも増して積極的なリィンに壁際に追い詰められ、困惑した様子を見せるシャロン。
 他人をからかうことには慣れていても、こんな風に本気で返されることには慣れていないのだろう。
 実際、男慣れしているかと言えば、アリサのことをからかえるほど男性経験が豊富と言う訳ではなかった。
 それもそのはずだ。物心がついた頃から組織に身を置き、暗殺者として裏の世界で生きてきたのだ。
 所属していた組織が解体され、結社の執行者となった後も淡々と与えられた任務をこなすだけの日々を送っていた。
 ただ命じられたままに動くだけの〝人形〟のように――
 ラインフォルト家に仕えるようになって、ようやく〝人間らしく〟生きられるようになったと言ってもいい。
 そのため、本来は男性経験は疎か、恋愛をした経験すら彼女は一度としてないのだ。

「ダメです。旦那様にはお嬢様が……」
「大丈夫、シャロンが相手ならアリサも許してくれるさ」

 知識はあっても経験がない。それが、シャロンの弱点だとリィンは見抜いていた。
 珍しく狼狽えるシャロンの反応を楽しみながら、リィンはゆっくりと距離を詰める。
 息が触れ合うほどの距離に近付き、互いの唇が触れようとした、その時だった。

「……何をしているのですか?」

 見知った少女の声が割って入ったのは――
 黒いパーカーにショートパンツ。お揃いの色のニーソックスを身に付けた銀髪の少女は、呆れた眼差しをリィンに向ける。
 少女の名は、アルティナ。地精の計画によって生み出され、オライオンの名を与えられた人造人間だ。
 現在はクロスベルの戦いで保護された姉妹と共に〈暁の旅団〉に所属していた。

「大人のスキンシップだ」
「そうですか。では、このことを皆さんにお伝えしても?」
「……言うようになったな。何が望みだ?」
「今度どこかに連れて行ってください。甘い物が食べたいです」

 半ば脅迫とも取れるアルティナの要求に、観念した様子でリィンは「了解した」と頷く。
 アリサやエリィだけならまだしも、他の女性陣の耳に入れば面倒なことになるのは目に見えているからだ。
 特にアルフィンやミュゼの耳にだけは絶対に入れてはダメだと考えていた。
 黙っていてくれるのであれば、一緒に出掛けるくらいたいしたことではない。

「シャロンもこれに懲りたら程々にしとくんだな」
「……もしかして、からかったのですか?」
「さてな。ただ、一つも嘘は言っていないとだけ答えておく」

 どうとでも取れるリィンの回答に、狡い人……とシャロンは不満を顕わにするのであった。


  ◆


「シャロンさんと何かがあったの?」

 朝に言っていたとおり船に顔を覗かせたエリィからシャロンとのことを尋ねられ、顔を顰めるリィン。
 アルティナが口を滑らせたのかと一瞬頭に過るも、それはないかと考えを改める。
 シャロンとのことを知っているのなら、こんな質問を口にするはずがないからだ。
 だとすれば、女の勘と言う奴だろうと結論付ける。

「からかわれたから、からかい返しただけだ」

 嘘にならないようにエリィの疑問に答えるリィン。
 とはいえ、それだけでエリィは何があったのかを大凡察する。
 リィンの性格や普段の行いから言って、やられっぱなしで終わるとは思えないからだ。

「まったくもう……昨日アリサに注意されたことを忘れたの?」
「いや、シャロンは〝例外〟だろ? 別に新しく知らない女を口説いた訳じゃないし……」
「口説いた自覚はあるのね」
「…………」

 エリィの誘導尋問に引っ掛かり、これ以上は言い逃れできないと観念した様子を見せるリィン。
 アリサもそうだがエリィも以前と比べて逞しくなったというか、リィンの扱いに慣れてきていた。
 出会った頃はリィンが常に主導権を握っていたというのに、いまは逆の展開になることが多い。
 恋人となって立場が対等になったと言うのも理由の一つにあるが、リィンは猟兵であって政治家や経営者ではない。
 交渉事が苦手と言う訳ではないとはいえ、それを生業としているエリィやアリサに勝てるはずもなかった。

「誰彼と構わず口説くような人ではないと分かっているけど、程々にしなさいよ? リィンなら大丈夫だとは思うけど、痴情のもつれで事件に発展するケースも少なくないのだから」
「シャーリィとは本気で命のやり取りをしたことが何度かあるけどな」
「あの子は例外だと思いたいけど……そっちの心配もあったわね」

 リィンが猟兵であることを考えると、シャーリィを例外と言い切れないのが悩ましいところだった。
 荒事に慣れ、戦闘に長けた女性がリィンの周りには多いからだ。
 余り目立たないが、リーシャも東方人街で恐れられた伝説の凶手という裏の顔を持っている。
 リィンやシャーリィに戦闘力では劣るとはいえ、その実力は裏社会でもトップクラスと言っていい。
 そんな女性が数多くリィンに好意を寄せているのだ。
 ないと思いたいが、仮に痴情のもつれへと発展した場合――

「周りに出来るだけ被害をださないように気を付けて頂戴ね」

 恋人ではなく周囲への被害を心配するエリィに、リィンは何とも言えない表情を浮かべるのだった。


  ◆


「――で、交渉は纏まったのか?」

 恋人の語らいと言うには少し物騒な雑談を終え、リィンは本題に入る。
 温泉旅行が決まった日から、ずっと進めてきた共和国との交渉。
 その結果次第では、温泉旅行が中止になる可能性も十分にありえるからだ。
 しかし、

「ええ、条件付きだけど共和国の了承は得られたわ」

 肩の荷が下りたと言った表情でエリィは答える。
 他にも仕事があるというのに、ここ一週間ずっと政府間での調整を進めてきたのだ。それも国際会議などではなく、ただの温泉旅行でだ。
 しかしリィンが警戒されていることを抜きにしても、旅行に参加する顔ぶれのことを考えると相手国と調整を進める必要があった。
 皇位継承権を放棄しているとはいえ、アルフィンはエレボニア帝国の皇女だ。そして、ミュゼに至ってはラマール州を統括するカイエン公爵家の現当主。本来であれば国賓として招かれるような立場にある彼女たちが、お忍びとはいえ他国に旅行など簡単にできるはずがない。
 しかも友好国ならまだしも、帝国と共和国は大陸の覇権を巡って長年争い続けてきたのだ。
 一般人ならともかく要人の入国が簡単に叶うはずもなかった。
 だからこその〝条件〟なのだと、リィンは察する。

「その条件と言うのは?」
「政府が指名した護衛を随伴させるように言ってきたわ」

 ある意味で予想できた条件に、やはりそうきたかとリィンは納得した様子を見せる。
 要人の護衛というのは名目で、監視が目的なのだと容易に察することが出来る。
 とはいえ、

「さすがに制限はつけたんだろ?」
「ええ、大勢連れて来られても仰々しくなるだけだし、折角の旅行が台無しでしょ?」

 政府の随伴者は二名。それが共和国に対してエリィが求めた譲歩だった。
 概ね提案は認められたが、他にも幾つか条件を付けられたとエリィは話す。

「カレイジャス及び二番艦アウロラの入国は認められなかったわ。騎神についても使用は禁止」
「まあ、そこは当然だろうな」

 カレイジャスとアウロラはただの飛行船ではなく戦闘艦だ。
 機甲兵を搭載しているだけでなく艦そのものも兵装を備え、高い攻撃力を秘めている。
 そして、騎神についても使用の禁止を求めるのは理解できる。
 共和国のクロスベル侵攻を阻んだのが、ヴァリマールとテスタロッサの二体の騎神なのだ。
 その戦争で少なくない戦車や飛空艇が破壊され、死者も大勢でている。
 共和国からすれば、そんなものを自国に招き入れたくはないのだろう。
 何より国民の目に触れさせたくないというのが本音なのだと察せられた。

「なら、移動はどうするんだ? 鉄道か?」
「……デアフリンガー号をログナー侯爵家から借り受けることになったわ」
「アンゼリカがジョルジュを連れ去ったって、アリサが言っていたな。そこに繋がるのか……」

 ログナー侯爵家がここで出て来るのは、お詫びを兼ねているのだと察することが出来る。
 どこまで先を読んでいたのかは分からないが、こうなるように筋書きを用意したのはミュゼで間違いないだろう。

「大陸横断鉄道か。確か、首都イーディスまで線路が繋がってるんだったか?」
「それは五年前の情報ね。いまは龍來まで鉄道で行けるらしいわ。更に線路を延ばす計画も進行中らしいから、そのうち大陸で行けないところはなくなるのではないかしら?」
「へえ……そいつは凄いな」

 鉄道と言えば、ラインフォルト・グループの創設者であるグエン・ラインフォルトが三高弟の一人であるG・シュミット博士と共に開発に成功したことで急速に広まった交通手段だが、その移動範囲は今や帝国だけに留まらず国境を越えて共和国にも及び、飛行船が登場した後も東西を結ぶ重要な交通ラインとして活用されていた。
 いまは大陸横断鉄道公社と呼ばれる国際的な組織が線路の管理及び運営を行っており、大陸の西側だけでなく東側からも線路を延ばす計画が進められている。このまま計画が順調に進めば、本当の意味で大陸の東西を結ぶ横断鉄道が完成する日も遠くはないのだろう。
 もっとも大陸の東側は荒廃した大地が広がっている影響で、鉄道の運行には制限が設けられているという話もある。
 順調に行っているように見えて、まだまだ課題が多いのが現実であった。

「それで、リィンに会って欲しい人がいるの」
「……話の流れから察するに共和国の人間か?」

 リィンの問いに対して、コクリと無言で頷くエリィ。
 彼女がこんな風に改まって言うということは、余程の人物なのだとリィンも察する。
 恐らくは共和国の要人。政府から派遣され、今回の交渉を任された人物の一つなのだろう。
 だとすれば、政府の人間もしくは軍や警察の関係者という線が候補として濃厚だが――

「まさか、その人物って……」

 このタイミングで態々自分を指名してくる人物に、リィンは心当たりが一人しかいなかった。
 交渉を任せられるような立場にあり、軍や警察にも顔の利く人物。

「キリカ・ロウラン女史よ」

 共和国で広く知られる武術の流派『泰斗流』の免許皆伝者にして、遊撃士協会の元受付嬢。
 そして、サミュエル・ロックスミスにスカウトされ、大統領直属の組織――ロックスミス機関を設立させた立役者。
 ――キリカ・ロウラン。彼女こそ、リィンが協力する条件にカエラに紹介して欲しいと依頼した人物であった。
 カエラの弟のコーディは魔煌機兵の操縦席で気を失っているところを保護され、クロスベルから共和国へと引き渡されていた。
 ハーキュリーズの隊員の確保も済んでいることから、この時点でリィンはカエラとの約束をすべて守ったことになる。
 そのことから、いずれ接触があるとは思っていたのだが――

(まさか、このタイミングとはな)

 ロックスミス大統領の任期終了が迫ったこのタイミングで、キリカがやってきたことには意味があるとリィンは考える。
 ロックスミス大統領にスカウトされ、いまの地位に就いた彼女の立場も危うくなっていることが想像できるからだ。
 それに新大統領のロイ・グラムハートには〝黒い噂〟もある。

「分かった。それで、いつ、どこに行けばいいんだ?」
「……いいの? 私からお願いしておいて言うのもなんだけど、裏があるのは確実よ」
「だろうな。だが、カエラにキリカを紹介してくれと頼んだのは俺だ」

 なら、会わないという選択肢はないとリィンは答える。
 そんなリィンの回答に納得しながらも――

「キリカさんは美人だけど、手をだしちゃダメよ」
「……おい」

 エリィは釘を刺すのを忘れないのであった。



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