「……それは共和国と手を組むと言うこと?」
「ああ、いまの話の流れだとそう受け取るか。残念ながら違う。俺が交渉を持ちかけているのは共和国ではなく〝お前〟だ」

 これは共和国ではなくキリカ個人に向けた交渉だと、リィンは勘違いを正すように話を補足する。

「まだ困惑しているみたいだな。なら、分かり易く別の質問をしようか。アンタがサミュエル・ロックスミスの誘いに乗ったのは、どうしてだ?」
「……閣下の志に共感を覚えたからよ」
「なら、ロイ・グラムハートが新大統領になったらアンタはどうするんだ?」
「それは……」

 キリカを新しく創設した諜報機関の室長に据えたのはロックスミスだ。
 しかし、その彼も今年一杯で大統領の任期を終え、そのあとは新大統領のロイ・グラムハートに政権が委ねられる。
 ロックスミスの志に共感を覚えて仕事を引き受けたのだとすれば、同じことを新大統領の下でやれるのかは疑問が残る。
 少なくともリィンの目には、ロックスミスとロイ・グラムハートの考え方や目指す政治の方向性が同じとは到底思えなかった。

「旅の中で戦争や暴力に苦しむ人々を目の当たりにしたアンタは、自分の無力さを痛感してギルドの受付嬢となった。しかし、それでも迷いが晴れなかったアンタは旧友の言葉に背中を押され、自分の力を活かせる場所を求めてロックスミスの誘いに乗った。人を殺すためではなく生かすための拳――活人の道を模索するために。確か、そんな〝話〟だったか?」
「どうして、それを……」

 三年前、リベールで〝友人〟と交わした会話がキリカの脳裏に浮かぶ。
 しかし、あの日の出来事を知るのは二人だけで、他には誰も知るはずがないのだ。
 リィンが知るはずもない話をされ、キリカは心の底から困惑と驚きの表情を見せる。

「安心しろ。別に〝不動〟から話を聞いた訳じゃない。ただ〝知っていた〟と言うだけだ」
「……わからないわ。そんな話をして、あなたは私に何をさせたいの?」

 完全にリィンのペースに乗せられているというのはキリカも分かっていた。
 それでも尋ねずにはいられない。キリカにとってリィンが口にした言葉は、到底無視できるものではなかったからだ。

「お国のためと綺麗事を並べたところで、諜報機関の本質は〝裏の仕事〟だ。時には超法規的な対応で犯罪を黙認し、情報を得るためならマフィアや猟兵とだって取り引きする。国家のために〝多少の犠牲〟は厭わない。警察やギルドとは正反対の仕事だ。しかし、そんな汚れ仕事だと分かっていてアンタは引き受けた。自分なら〝最小限の犠牲〟で〝より多くの人〟を救える。その自信があったからだ」

 活人の道とは言えないように思えるが、人一人にできることなど高が知れている。
 だからこそ、キリカはより多くの人を助けられる道を選んだ。
 それが犠牲の上に成り立つものだと分かっていながら、敢えてロックスミスの誘いに乗ったのだ。
 そんな彼女にしか出来ない〝仕事〟を、リィンは頼みたいと考えていた。

「アンタには俺に出来ないことを頼みたい。表と裏を繋ぐ仕事だ」

 ようやくリィンが自分にどんな役割を求めているのかをキリカは察する。
 ギルドで受付嬢をしていた経験もあるキリカであれば、本来まじわることのない表と裏の仲立ちをすることも不可能な話ではない。
 ギルド時代に築いた信用や繋がり。いまの組織で培った人脈が彼女にはあるからだ。
 いまの仕事も〝裏の仕事〟と言うよりは、正確には国家の後ろ盾に支えられた〝グレー〟な仕事と言った方が正確だ。
 それを使えば、リィンの希望を叶えることは出来る。いや、恐らく自分にしか出来ないということはキリカにも理解できた。
 それだけに分からないことがある。
 誰かの依頼と言う風にも見えないのに、猟兵の彼がそこまでする理由が分からないのだ。

「ずっと疑問に思っていたわ。あなたたちの〝目的〟が見えないことに――」
「だろうな。隠していることも一つや二つではないし。だが、それは〝アンタたち〟も同じだろう?」
「そうね。でも、目的も告げない相手と手を組むことは出来ないわ」

 確かに道理だと、キリカの話にリィンは一定の理解を示す。
 隠しごとがあるのは仕方がないにせよ、目的も告げずに協力しろというのは虫の良い話だろう。
 それならば――

「分かった。なら、ちょっと付き合え」
「……何処へ連れて行く気? それすら教えてもらえないのかしら?」

 警戒を滲ませるキリカに対して、リィンは右手を垂直に上げて天井を指さし――

「外の世界だ」

 そう告げるのだった。


  ◆


「そろそろ会談が終わる頃だと思うけど……」

 オルキスタワーに設けられた自身の執務室で仕事を片付けながら、物思いに耽るエリィの姿があった。
 仕事に集中しないといけないと分かっていても、どうしても気に掛かることがあるからだ。
 その心配事とは、リィンのことだった。
 仕事で同席することは叶わなかったが、いまミシュラムのホテルでリィンとキリカが会談を行っている。
 リィンの目的は恐らくキリカを仲間に引き入れることだと思うが、今度ばかりは上手く行くとは思えなかった。
 現職の大統領が野党の候補者に選挙で敗北したことで、彼女が難しい立場に置かれていることは確かだ。
 幾らキリカが優秀な人材だと言っても、前大統領の息が掛かった人材を重用する政治家はいない。
 組織を解体後に追放するか、もしくは〝飼い殺し〟にするかの二択だとエリィは予想していた。

 可能性として高いのは後者だ。

 ロックスミス機関のトップにいたキリカには利用価値があるし、何より共和国としても外にだしたくない情報を数多く彼女に握られている。
 情報を手土産に他所の国に亡命される危険を冒すくらいなら、組織の中で飼い殺す選択を取るはずだからだ。
 まだ直接の面識はないが、ロイ・グラムハートに関する情報はエリィの元にも少しずつではあるが入ってきていた。
 選挙に不正があった。裏工作が行われていたという黒い噂については半信半疑でも、かなりの野心家であることは間違いない。
 四十代半ばという若さも然る事ながら、いまアリサとベルが最も警戒している〝ある企業〟との繋がりが疑われているからだ。
 そうした人物がキリカを易々と手放すとは思えない。それでもキリカを強引に仲間へ引き込めば、間違いなく共和国との関係は悪化する。当然そうなった場合、クロスベルも無関係ではいられないだろう。
 それだけの価値がキリカにないとは言わないが、リスクが大きいというのがエリィの考えであった。

 とはいえ、あくまでそれはクロスベルの政治家としての考えで、エリィ個人としてはリィンの考えを尊重するつもりでいた。
 いまこうしてクロスベルが独立を保てているのは、リィンに頼っている側面が大きいからだ。
 リィンの行動にクロスベルの運命が左右されることは確かだ。しかし、既にクロスベルは返しきれないほどの恩をリィンから受け取っている。リィンなら『報酬は受け取っている』と言うかもしれないが、クロスベルが享受しているメリットはミラに代えられないものだ。
 クロスベルのためにリィンの行動を制限するのは間違いだとエリィは考えていた。
 メリットを享受するのであれば、相応のリスクも負うべきだと――

「いまの平和があるのはリィンや〈暁の旅団〉のお陰なのに、それが分からない人も少なくないのよね」

 だと言うのに、いまだに猟兵を下に見る者は少なくない。
 金さえ払えば彼等は言うことを聞く。本気でそう思っている政治家も一定数いると言うことだ。
 暁の旅団がクロスベルから撤退すれば、再びクロスベルの独立が危うくなるということを理解していない。
 いや、猟兵に対する偏見やプライドが邪魔をして、猟兵に頭を下げると言った真似が出来ないのだ。
 そう言った固定観念を変えていくことも、エリィは自分の仕事だと努めていた。
 エリィの考えに同調してくれる味方も多いが、やはり古い考えを捨てられない者も少なくない。
 まだまだ課題は多いと溜め息を溢し、いまは目の前の仕事に集中しようとエリィが机の上の書類に手を伸ばした、その時だった。
 机に備え付けられた通信機から着信を告げる音が響いたのは――

『マクラミン秘書官から通信が入っております。マクダエル政務官に至急取り次いで欲しいと、どうなさいますか?』

 カエラから通信が入っていると聞いて、エリィは嫌な予感を覚える。
 いまのカエラはCIAの諜報員ではなく、表向きはキリカの秘書官という扱いになっている。
 そんな彼女から予定にない連絡がきたと言うことは、会談で何かがあったのだと推察することが出来るからだ。
 すぐにカエラからの通信を回すようにと補佐官に告げるエリィ。
 そして、

「……え?」

 ふと窓の外に目をやった、次の瞬間。
 エリィは想像もしなかった光景を目にして、困惑を隠しきれない様子で固まる。
 無理もない。彼女が目にしたのは――

「どうして、ヴァリマールが!?」

 空高く飛び上がっていくヴァリマールの姿だったのだから――


  ◆


 雲を突き破って、更に空高く上昇するヴァリマールの姿があった。
 世界最速の船と名高い〈アルセイユ〉すら凌ぐスピードで上昇し、あっと言う間に地上が遠ざかっていく。
 既に飛行船の限界高度を超え、成層圏に達しようとしていた。

(騎神については報告を受けていたけど、まさかこんな……)

 想定を遙かに超えた騎神の性能に驚きを隠せない様子を見せるキリカ。
 いま彼女はリィンと共にヴァリマールに乗り込み、人類が未だに到達したことのない遥か上空を目指していた。
 そう、大気圏を越えた先にある〝宇宙〟を――

「本当なら宇宙服を用意するところなんだろうが、生憎とそんなものはないしな。まあ、ヴァリマールの中にいれば大丈夫だ」

 もっとも俺もそんなに詳しくはないんだが、とリィンはキリカの緊張をほぐすように話す。
 とはいえ、この世界の科学力では宇宙へ行くなんて真似は現状不可能と言っていい。 
 ヴァリマールも覚醒へ至る前であれば、宇宙にまで行けたか分からない。
 実際リィンも試すのは今回が〝はじめて〟だった。
 しかし、至宝の力を手にした騎神であれば、大気圏を突破できることをリィンは知っていた。
 正確には異なる結果を辿ったもう一人の自分――〝オルタ〟の記憶から知ったと言った方が正しいだろう。

「さっきの話の続きだが、このまま大気圏を抜ければどうなると思う?」
「……私も知識として聞いたことがある程度だけど、宇宙へでるのでは?」
「半分正解だ。いや、そもそも〝ゼムリア大陸〟の外へでるなんて発想自体、普通は思い浮かばないのだから〝答え〟としては十分か」

 宇宙という概念は知っていても、普通は宇宙へ行くなんて発想には思い至らない。
 同じことは外海にも言える。
 この世界に住む人々は誰一人としてゼムリア大陸の外の世界を見たことがないが、それを不思議と感じることはない。
 ゼムリア大陸こそが彼等の世界であり、それ以外に世界があるなんて発想に至ることが出来ないからだ。
 教会や魔女たちはそれを〝外の理〟などと呼んでいるが、リィンは〝枷〟だと考えていた。

「なら、少し質問を変えようか。クロスベルと同盟を結んだエタニアは、何処にある国だと思う?」
「それは、あなたたちが大陸の外にある国だと――」

 そう、キリカの言うようにエタニアは〝大陸の外からやってきた国〟だと、クロスベルが公表した。
 半信半疑の者はまだ多いが、大陸の外に自分たちの知らない国が存在すると言うことをこの世界の人々は知ったのだ。
 これまで考えすらしなかった――いや、ずっと女神の奇跡という言葉で誤魔化し、目を逸らし続けてきた現実と向き合う時がきたと言うことだ。

「まさか……」

 リィンの言葉の意図を察し、キリカは困惑を顕わにする。
 仮に想像が当たっていた場合、エタニアとの交易や未知の技術を広めることが本来の目的ではなく――
 ゼムリア大陸の外にも〝人の暮らす世界〟が存在すると言うことを人々に周知させるのが、リィンたちの狙いであったのではないかと思い至ったからだ。

「外の理……」

 教会が〝外の理〟と呼んでいる現象については、キリカも耳にしたことがある程度だが知っていた。
 だがキリカほどの人物でさえ、そのことを疑問に思ったり深く追求しようという考えには至らなかったのだ。
 この世界では、それが〝当たり前〟のことだという考えが頭のどこかにあったからだ。

「俺はその現象を〝世界の枷〟だと思っている。教会は女神を理由にしているみたいだがな」

 話をしている間にもヴァリマールは上昇を続け、遂には大気圏を突破する。
 しかし、

「そう、そういうことなのね……」

 本来そこにあるはずの景色は、キリカの目には映っていなかった。
 これが、残り半分の答え。リィンの見せたかったものなのだと、キリカは理解する。

「これが、この世界の〝真実〟だ。もう、アンタも気が付いただろう?」

 ――その上で、どうするかは自分自身で決めろ。
 と、世界の真実を突きつけた上で、リィンはキリカに選択を迫るのであった。




後書きという名の考察

 黎の軌跡に登場した通信衛星は地上から九百セルジュ(90Km)の位置を飛行していることが説明されていますが、現実にある人工衛星って低高度のものでも167kmのものが最も高度が低く、一般的に200kmくらいの高度が必要とされるそうです。
 なのにこれだけ低高度での運用をしていると言うことは、大気圏を越えるには至宝のように特別な力が必要なのではないかと考えました。
 こうして考えると、ロイ・グラムハートのやろうとしていることも見えて来ると思います。
 まあ、あくまで現段階の考察なのでハズレている可能性もなきにしもあらずですが……。

 なお、キリカが大気圏の先で何を見たのかについては追々と(本作品の核心に触れる部分なので)



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