「こんなところで突っ立ってないで一杯やったらどうだ?」
「……仕事中だ。護衛が酔い潰れる訳には行かねえだろう」

 予想に反した真面目な答えがクロウの口から返ってきて、リィンは苦笑を漏らしながら盃の酒を呷る。
 とはいえ、クロウが警戒するのも分からない訳ではなかった。
 クロスベルと共和国の関係は即座に開戦となるほど悪いものではないが、良好な関係とも言えない。
 長年クロスベルの帰属を巡って帝国と争っていた共和国からすれば、易々とクロスベルの独立を認められるものではないからだ。
 帝国が国内の問題で手一杯の状況の今こそ、クロスベルを併合する好機だと考えている共和国の政治家も少なくないだろう。
 しかし、そうしないのは〈暁の旅団〉という厄介な存在がクロスベルの背後に存在するからだ。
 可能か不可能かは別として、リィンたちを排除したいと考えている者たちは大勢いると言うことだ。
 カエラとアリオスが派遣されたのは、そうした者たちへの牽制も理由にあるのだろう。

「実際、どこからか監視されているみたいだしな」
「へえ……あの視線に気付くか。特訓の成果はでているみたいだな」

 クロウが〝視線〟に気付いていたことに驚きながらも、リィンは感心した様子を見せる。
 龍來に到着した時から探るような視線が自分たちに向けられていることにリィンは気付いていた。
 敵意は感じないので放って置いたのだが、クロウも気付いているとは思っていなかったのだろう。
 とはいえ、リィンに及ばないまでもクロウもそれなりの実力者だ。
 元より結社の執行者に迫る実力を備えていたところに、アリアンロード――リアンヌとの特訓で更に力を付けている。
 理の域に達した最強クラスの達人には届かないまでも、遊撃士に例えるならA級以上の実力があることは間違いなかった。
 恐らく今のクロウなら、サラとも良い勝負をするだろうとリィンは考える。

「たくっ……お前こそ、分かっててシャーリィを止めなかっただろ?」

 自分が気付いた視線にリィンたちが気付いていないとはクロウも思ってはいなかった。
 となれば、シャーリィが旅館を抜けだしたことにも、リィンが気付いていないとは思えない。
 その後を追って、アリオスが山林に向かったことにもだ。

「敵意は感じないが、視線を向けられたままというのも落ち着かないしな。相手の正体くらいは確かめておくべきだろ?」
「そりゃ、そうだがよ。シャーリィだぞ? それだけで済むと思うか?」
「まあ、一戦交えることになるだろうな」

 クロウの言うように偵察だけで済むとはリィンも思っていなかった。
 しかし相手がどのような相手であれ、シャーリィなら安心して任せられるだけの実力がある。
 これはただの勘だが、それほど厄介な相手が潜んでいるとリィンは考えていた。
 恐らく今のクロウでは分の悪い相手。フィーでも苦戦を強いられるかもしれない。
 シャーリィが旅館を飛び出して視線のする方へ向かったのも、強者の気配を嗅ぎ取ってのことだろう。

「騎神は使わないように言ってあるし、山が消えるようなことはないだろう」
「それ、全然安心できねえんだが……」

 山が消滅するような戦いなど普通はありえないのだが、リィンが口にすると冗談に聞こえない。
 実際、騎神にはそれだけの力があると分かっているし、生身の戦いでも地形を変えるだけの力がリィンにはある。
 そのリィンに迫る実力を持つシャーリィに同じことが出来ないとは、クロウには思えなかった。
 となれば、周囲に被害を及ぼすような戦闘が繰り広げられる可能性があると言うことだ。

「ただでさえ微妙な立場だって言うのに、これじゃあ余計に目立って……いや、注意を引くのが狙いか?」

 何も答えずに酒を呷るリィンを見て、リィンがシャーリィを止めなかった理由をクロウは察する。
 この旅行自体、表向きの理由とは別に何か他の思惑があると察していたからだ。

「……頼むから面倒事を起こさないでくれよ?」

 護衛を引き受けたことを若干後悔しながら、クロウは無駄と思いつつもリィンに釘を刺すのであった。


  ◆


 月の光が射し込む森の中、アリオス・マクレインは怪しげな男たちに囲まれていた。
 忍装束のような東方風の強化スーツを身に纏い、顔を仮面で隠した黒衣の男たち。
 数は五人。いずれも実力者であることが窺えるが――

「東方風の出で立ちに最新式の強化スーツ……お前たち、まさか……」

 なかでも正面に立つ男は別格だと、相手の実力を見抜くアリオス。
 恐らくは結社の執行者にも匹敵する超一流の達人。
 仮面越しにも伝わってくる殺気からは、歴戦の強者の気配を感じ取れる。
 なら、その出で立ちからも敵の正体に察しが付く。

「大陸東部で鎬を削る猟兵団の中でも〝最強〟と名高い武装集団――斑鳩。よもや、こんなところで相対することになるとはな」

 斑鳩――大陸東部で活躍する猟兵団の中でも、最強と噂される武装集団。
 アリオスも実際に対峙するのは初めてで、彼等のことは噂程度にしか耳にしたことがない。
 それでも噂に違わぬ実力を秘めていることは、こうして対峙すれば察することが出来る。
 恐らくは〝剣聖〟である自身に迫る実力者。
 周りの者たちも正面の男に劣るとはいえ、達人級の使い手であることは間違いなかった。

「如何にも――我が名はクロガネ。侍州〈斑鳩〉の忍にして、朧月流の使い手だ。そして、我々の耳にもお前の噂は届いている。遊撃士を辞め、クロスベルを裏切り、共和国に寝返った〝剣聖〟がいるとな」

 そんな風に警戒するアリオスに、正面の男――クロガネは挑発するかのように言葉を返す。
 しかし、アリオスは挑発に乗ることもなければ、クロガネの言葉を否定するつもりもなかった。
 どのような事情があれ、共和国に寝返った事実は間違いないからだ。

「そのことを否定するつもりはない。だが、それは〝お前たち〟とは関係のない話だ」

 しかし、それはあくまでアリオスとクロスベルの問題だ。
 見知らぬ他人にどう思われようと、アリオスの心は動かない。
 共和国に寝返ったことが罪だと言うのなら、とっくに向き合う覚悟は出来ているからだ。

「確かに我等とは関係のない話だ。しかし、それは〝貴様〟にも言えること。己が立場を理解しているのであれば、大人しくこの場を去れ」

 挑発するような真似をしたが、元よりアリオスの事情に首を突っ込むつもりなどクロガネにはなかった。
 しかしアリオスに事情があるように、クロガネたちにも〝事情〟がある。
 互いの事情に関知せず、このままアリオスが立ち去るのであれば争う理由などない。
 相互不干渉。無駄な戦いを避けるため、互いのためを思っての提案であったのだが――

「それとこれは話が別だ。最初に〝彼等〟を刺激したのはお前たちだろう?」

 クロガネの提案をアリオスは拒絶する。
 斑鳩の事情に興味がないと言えば嘘になるが、アリオスも関知するつもりはなかった。
 しかし、シャーリィが動く切っ掛けを作ったのは斑鳩の者たちだ。
 だと言うのに何の説明もなく、引き下がれるはずもなかった。
 ここでクロガネたちを見過ごせば、再び同じことが繰り返されない保証は無い。
 仮に彼等がリィンたちの命を狙った暗殺者であった場合、更に面倒な事態に発展する恐れもあるからだ。

「どうするかは理由を聞いてからだ。誰からの依頼で、何の目的があってここにいる?」
「……契約の内容は明かせない」
「なら、こちらも退く訳にはいかない」

 一触即発と言った様子で、睨み合うアリオスとクロガネ。
 互いに退けない事情がある以上、仮に誤解であったとしても譲る理由にはならない。
 話し合いによる解決は不可能。互いにそう判断して武器を構えた、その時だった。
 天を裂き、大地を穿つような轟音が響いたのは――

「この強大な気配は……」
「紅の鬼神。まさか、これほどとは……」

 驚きと戸惑いの声を同時に漏らすアリオスとクロガネ。
 かなりの距離があるというのに、はっきりと分かる戦闘の気配。
 規格外の力を持った二つの何かが、激しく衝突している様子が見て取れる。

「くっ、遅かったか!?」

 山間に響く轟音に表情を曇らせながら、危惧していた戦いが始まったことをアリオスは悟るのであった。


  ◆


 同じ頃――

「派手にやってるね」

 当然、郷の方でも騒ぎになっていた。
 戦場でなければ耳にしないような轟音が、はっきりと宿の方にまで聞こえてきたからだ。
 しかも音は止むどころか、激しさを増す一方だ。
 事情を知らない素人であっても、山奥で何かが起きていると察するのは難しくなかった。

「やっぱり、こうなったか。しかし、相手はかなりの手練れだな」
「ん……シャーリィが本気をだす相手なんてそうはいない。もしかして、これを予想してた?」

 酔い潰れて寝息を立てているラクシャたちに視線をやりながら、リィンにそう尋ねるフィー。
 先程まで宴会を行っていた中庭には、死屍累々と言った惨状が広がっていた。
 ラクシャに関しては酒を勧めたリィンに責任がないとは言えないが、

「はあ……姫様だけでなくミュゼまで……」

 その隣でエリゼに介抱されながら寝息を立てているアルフィンとミュゼは、リィンから言わせると自業自得であった。
 大方リィンを酔わせて、エリィの時のようになし崩し的に関係を持つ計画を立てていたのだろう。
 しかしリィンを酔わせようと用意した酒を誤って自分たちが口にしてしまい、この惨状が出来上がったと言う訳だ。

「口封じのために飲ませた訳じゃないからな? それに厄介な相手が潜んでいるとは察していたが、さすがにこれは想定外だ」

 郷にまで届くほどの轟音。随分と距離が離れているというのに、はっきりと感じ取れる強大な二つの気配。
 何かが潜んでいるのは気付いていたが、ここまで激しい戦闘になるとは思っていなかったのだ。
 シャーリィに本気をださせる相手がいるなど、想定外と言っていい。
 それは即ち、オーレリアやアリアンロードに匹敵する怪物が潜んでいたと言うことになる。
 いずれにせよ――

「このまま見て見ぬ振りも出来ないか」
「行くの?」
「ああ、こうなった〝責任〟の一端は俺にもあるしな」

 シャーリィが負けるとは思えないが、戦闘が長引けば〝軍〟や〝警察〟が調査に動く可能性が高い。
 そうなったら、リィンたちも事情を聞かれることになるだろう。
 注意を引くのが目的の一つにあるとはいえ、目立ち過ぎれば厄介事を招きかねない。
 カエラやアリオスが大統領の意向で動いていると言っても、対処できる問題には限度があるからだ。

「取り敢えず、宿への説明はアリサとエリィに任せておけば大丈夫だろう。念のため、フィーは郷の周囲を警戒しててくれるか?」
「ん……了解」
「クロウは引き続き、アルフィンたちの護衛を頼む」
「それが仕事だから構わねえが、心配した通りになってるじゃねえか」
「……言い訳するつもりはないが、シャーリィと互角の実力を持ったシャーリィ並の〝戦闘バカ〟がいるとか普通は思わないだろ」

 クロウの言いたいことは分かる。
 しかし、こんな場所で本気で戦えばどうなるかなど、普通は察せられるものだ。
 だと言うのに相手も本気で応戦しているところを見ると、シャーリィの〝同類〟と思うほかない。
 ただでさえ、いまのシャーリィに匹敵する実力者となると限られるのだ。
 その上、相手もシャーリィに匹敵する戦闘狂であるなどと予想するのは、リィンと言えど不可能であった。

「エマ、悪いが付き合ってもらえるか? 戦闘が起きている場所まで〝転位〟を頼みたい」
「あ、はい。すぐに準備します」

 水差しを持って現れたエマに声を掛け、浴衣からいつもの装備に着替えるリィン。
 エマの準備が整うのを待って、転位の魔術でシャーリィのもとへと急ぐ。
 この判断が更なる厄介事を呼び込むことになるのだが、この時のリィンはそれを知る由もないのであった。



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