「緋色の空……」

 空を見上げるフィーの視線の先には、緋色に染まった空があった。
 忘れることの出来ない光景。煌魔城の出現によって瘴気に侵された帝都の姿が頭を過る。

「この気配、元凶はあっちかな?」

 気配を探りながら南東の空を見るフィー。
 一際大きな力がトリオンタワーの方角から溢れているのを感じ取ってのことだ。

「ん……もう、行くの?」
「お前たちとは一時的に協力を結んだが、仲間になった訳ではないからな」

 そう言って、フィーの前から姿を消すアリオス。
 フィーの方も特に気にした様子は無く、興味が無さそうに再び視線をトリオンタワーの方角に向ける。
 アリオスの性格から言って、団に引き入れるのは難しいと最初から思っていたからだ。
 それに元遊撃士とはいえ、サラとは大きく事情が異なる。警察官から遊撃士に転職し、大勢の期待と信頼を寄せられながらもクロスベルを裏切った人間。それがアリオス・マクレインだ。
 自らの正義を貫くためであれば、彼は平然と仲間を、組織を裏切る。
 そんな人間を団に迎え入れることにフィーは反対だった。
 猟兵にとって裏切りは、最も忌避される行為だからだ。
 組織よりも自らの正義を優先するような相手に、戦場で背中を預けられるはずもない。

「しつこいよ。いい加減、諦めたら?」

 次から次へと、と言った様子で溜め息を吐きながら振り返るフィー。
 誰が追ってきたのかなど確認するまでもなかった。
 エレイン・オークレール。〈剣の乙女〉の名で知られる遊撃士。
 最年少のA級昇格を期待されているカルバード共和国・イーディス支部のエースだ。
 いや、そう言えば、もう昇格が決まったんだっけとフィーは考える。
 アルマータのボスを捕まえたことで、A級への昇格は確実と噂されていたのを思い出したからだ。
 とはいえ、そのボスにも逃げられてしまったのだが――

「逃がす訳がないでしょ。ジンさんをよくも……!」

 エレインがここまで執拗にフィーを追っている理由はアルマータのボスに逃げられたと言うことも理由の一つにあるが、ジンが自分を庇って怪我を負ったことにあった。

「自業自得だよね? 私たちに戦意はなかった。なのに引き際を誤って仕掛けてきたのは、そっちだし」
「そうよ……私の所為でジンさんは……」

 アルマータのボスに逃げられ、せめてフィーたちだけでも捕らえようと、ジンの制止を無視してエレインは無茶をしたのだ。
 その結果、ジンはエレインを庇って怪我を負った。
 ジンが咄嗟に庇わなければ、エレインは命を落としていたかもしれない。
 それほどフィーの力は、いまのエレインを圧倒していたからだ。
 それが分かっていながら――

「なら、どうして追ってきたの? 今度こそ、()ぬよ?」

 追ってきたエレインに呆れ、フィーは殺気を放つ。
 正直、エレインの命に興味はない。
 あの時も追って来ようとしなければ、ジンが傷つくこともなかったのだ。
 すべてエレインの自業自得だ。
 なのに、まだ諦めていないことにフィーは呆れていた。

「勇気と蛮勇は違うよ? それじゃあ、戦場では生き残れない」

 引き際を誤れば、戦場では簡単に命を落とす。
 猟兵にとって、もっとも大切なスキルは戦場から生きて帰ることだ。
 自分の死が仕事の失敗に、仲間の死に繋がることもある。
 だから危険なにおいを嗅ぎ分け、決して敵わない相手とは戦わない。
 それが出来ない者から戦場では命を落としていく。
 エレインのしていることはフィーから見れば、まさに愚行そのものだった。

「分かっているわ……。でも、退けない。退くわけには行かないのよ!」
「はあ……〈風の剣聖〉といい、遊撃士ってバカなの?」

 距離を詰め、剣を突き出してくるエレインの攻撃を回避しながら、フィーは溜め息を吐く。
 アリオスも猟兵の視点から見れば、バカなことをやっているようにしか見えなかった。
 自らの選択で自身を追い込んでいるようにしか見えないからだ。
 その生き方は信念に基づいたものと言うよりは、まるで死に場所を探しているようにも見える。
 エレインの剣にも同じような迷いと焦りが垣間見えた。
 やはり、遊撃士と猟兵は相容れないとフィーは思う。
 自らの行動に理由を求め、その理由に縛られる生き方は自分に合っていないと思うからだ。

(彼女は私よりも速い。でも――)

 フィーの動きを観察しながら剣の技量では自分の方が上だとエレインは確信する。
 確かにフィーの戦闘技術は〈西風〉の旅団で幼少期から培ったもので、エレインのように正式な剣術を学んだことはない。半ば我流と言えるものだ。
 そのため、流派の剣術のように洗練されていないし、動きにも無駄が多い。
 幼い頃から剣術を学んでいる者からすれば、それは()に見えるのだろう。
 しかし、

「甘いよ」

 エレインがそうした隙を狙ってくることをフィーは最初から察していた。
 分かっていても対応できなければ一緒だが、フィーには類い稀な直感の鋭さと人間離れした反応速度がある。
 こうすれば相手がどう動くのかと言ったことを頭で考えるのではなく、身体が覚えて実践しているのだ。
 確かに〈剣の乙女〉と呼ばれるだけあって、エレインの剣の技量は高い。
 寸分の狂いもないほど動きにブレがなく、剣聖に迫るほどかもしれないと思えるほどの技術だ。
 しかし、それだけに動きが読みやすい。

「――くッ!」
「いまのに反応できたのは凄いけど、実戦経験が足りないかな?」

 辛うじてフィーの反撃に対応したかと思った直後、ノータイムで放たれた追撃にエレインは弾き飛ばされる。
 エレインの学んだ剣術の動きからすれば、いまのフィーの動きはありえないものだった。
 どんな達人であっても攻撃の後には隙が生まれるものだからだ。
 なのにフィーの攻撃には、それが見られない。

(まったく反応できない!? どうして――)

 動きを捉えられていない訳ではない。見えているのに、なぜかフィーの動きに対応できない。
 カウンターを狙って攻撃を受けても、すぐにノータイムで次の攻撃が襲ってくることもエレインの理解を超えていた。

「まだ、分かっていないみたいだね」
「――な!」

 いつの間に後ろに回られたのか分からず、驚くエレイン。
 咄嗟に剣で防御するも威力を殺しきれず、そのまま地面を転がる。

(いまのは、まったく見えなかった……まさか……)

 目で追えていたはずのフィーの動きが、いまの一瞬、完全に見失った。
 動きの前兆すら掴めなかったことに疑問を抱き、そしてエレインは気付く。

「やっと気付いた?」
「……いままで本気じゃなかったのね。目で追いきれるくらいのスピードに抑えて戦っていた。だから攻撃の隙が見つからず、ノータイムで攻撃を放っているように私の目には見えていた」
「半分、正解かな? 全力をだせば、もっと速く動けるしね」

 ――こんな風に、と口にした直後、エレインの視界から再びフィーの姿が消える。

(速すぎる!?)

 それは、もはや人間の限界を超えた速度だった。
 戦術オーブメントで身体能力を強化しているのだとしても人間にだせる速度ではない。
 まるで一陣の風――いや、閃光のようだとエレインは錯覚する。
 喉元から滴り落ちる血液。背中から首筋に突き立てられたダガーが、二人の間にある実力の差を物語っていた。

「このまま引き下がるなら今回は見逃してあげる。でも、これ以上、追ってくるのなら――」

 次は確実に殺す。
 呆然とするエレインを残して、フィーは風のように姿を消すのだった。


  ◆


「どうやら無事のようだな。いや、見逃してもらったと言ったところか」

 道の真ん中で座り込むエレインを見て、ルネはすべてを察した様子を見せる。
 ここでなにがあったのかなど、状況を見れば尋ねるまでもなかったからだ。

「気にするな。あれは単身で敵うような相手じゃない」 

 少なくともルネの目には、フィーが人間の姿をした化け物に映っていた。
 一目で戦ってはいけないと悟るほどの危険を、本能で感じ取ったのだ。
 そんな化け物に立ち向かえただけでも、エレインは凄いと思う。
 風の剣聖も噂通りの実力だったが、フィーからは別格だと感じるものがあった。
 いや、そもそも本当に同じ人間なのかをルネは疑っているくらいだった。

「……ジンさんは?」
「命に別状はない。今頃は病院のベッドで休んでいるはずだ」

 俯いた表情でジンのことを尋ねてくるエレインに、ルネは溜め息を交えながら答える。
 ジンの容態だが背中に大きな傷を負っているものの一命を取り留めていた。
 そのため、恐らくは最初から殺すつもりで放った一撃ではなかったのではないかと、ルネは考えていた。
 傷の割に出血が思ったよりも少なかったからだ。 
 フィーの技量を考えれば、敢えて急所を避けて攻撃したとしか思えない。
 そのことからも、本当に足止めだけが目的だった可能性が高い。
 とはいえ、

「気にするな。相手が悪かっただけで、なにも間違ったことをしていないさ」

 エレインのしたことが間違いだったと、ルネは考えていなかった。
 見逃せば、別の場所で他の誰かが危険に晒されるかもしれない。
 目の前に犯罪者がいれば、それを捕らえようとするのは警察も遊撃士も同じだからだ。
 今回は相手が悪かっただけの話だ。
 むしろ、あの化け物を相手にこの程度の被害で済んだのは上出来だとさえ考えていた。
 それに――

(あの〈妖精〉でさえ、〈暁の旅団〉では部隊長の一人に過ぎないと言うのだから、帝国がノーザンブリアに破れたのも頷ける)

 フィーは〈暁の旅団〉の幹部ではあるが、あくまで部隊長の一人に過ぎない。
 フィーと同格か、それ以上の化け物が〈暁の旅団〉には存在する。
 そのなかでもリィン・クラウゼルとシャーリィ・オルランドの二人は、CIDも警戒する危険人物に挙げられていた。
 単独で組織と渡り合うことが出来るSSSオーバーの猟兵。
 マルドゥック社のAIが正面からの戦いは絶対に避けるべきと判断した相手だ。
 その分析は間違っていないと、ルネも感じていた。
 国家で対処するべき相手。いや、共和国だけで対処するには困難な相手だとさえ、いまでは思っている。
 各国と連携し、抑え込む必要があるほどの相手だと――

「どこに行く気だ?」
「心配しなくても、これ以上、彼女を追いかけたりはしないわ。それよりも、まだ騒動は収まった訳じゃないでしょ? この空の色も気になるし、一旦ギルドに戻って対策を練るつもりよ」
「そうか……こちらもアルマータの動きを追ってみるつもりだ。なにか分かればギルドに連絡する」

 ルネの言葉に背中を向けたまま頷くと、エレインは振り返ることなく走り去る。
 まったく困った妹分だと頭の後ろを手で擦り、ルネは空を見上げる。
 緋色の空――その情報はCIDでも掴んでいた。
 過去に帝国やクロスベルで起きた異変。その時に観測された異常気象。
 同じことが共和国でも起きようとしているのだとすれば――

「しかし、軍や警察はこれ以上、頼りにならない。だとすれば……」

 外部に協力を要請することを含め、備えを進める必要がある。
 このまま何も起きないで欲しいと願いつつも、ルネは行動を開始するのだった。


  ◆


「ねえ、お母さん、空が赤いよ」
「変ね。もう、とっくに日が暮れる時間なのに……」

 店の出入り口から空を見上げる母と娘の姿があった。
 モンマルトの看板娘ポーレットと、娘のユメだ。
 もう太陽が沈んでいても不思議ではない時間だが、まるで夕焼けのように空の色が赤く染まっていた。
 それにどことなく街の雰囲気が淀んでいるように感じる。
 物静かで、それでいてどんよりとした薄暗い雰囲気。
 理由は自分でも分からなかったが、よくないものを感じ取ったポーレットは娘の手を掴んで店の中へと早足で戻る。

「お母さん?」
「今日はもう店を閉めましょう。お客さんも少ないし、お父さんに話してくるわ」

 そう言って店の奥へと向かう母の姿を不思議そうに見送るユメ。
 そして、また窓から空を見上げるユメの瞳には、

「きれい……」

 どこか幻想的で妖しい光を放つ緋色の空が映っていた。



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