リィンのライフルより放たれた極光が、緋色の空を白く染め上げていく。
 怪異諸共、光に呑み込まれる東亰タワーを確認して、リィンはそっと銃口を下ろす。
 しかし――

「やっぱり、ダメか」

 周囲を飛び交っていた怪異の大多数は消滅したようだが、東亰タワーは先程までと変わらぬ姿で佇んでいた。
 よく観察をしてみると、結界のようなもので建物全体が守られていることが見て取れる。
 恐らくは東亰タワーそのものが迷宮と化しているのだと、リィンは推察する。
 なら、あの建物に元凶が潜んでいると考えて間違いないだろう。

「ちょっと、何してるのよ!?」

 一瞬呆気に取られるも、正気を取り戻すとリィンに詰め寄るレイラ。
 仮に東亰タワーが倒壊するようなことがあったら、その被害は数千万では済まない。
 数十億、いや百億を軽く超える被害額に上ることだろう。
 ましてや東亰タワーと言えば、日本の首都を代表するランドマークだ。
 少しの躊躇もなく怪異諸共タワーを破壊しようとしたリィンに、レイラが驚くのも無理はなかった。

「そうは言うが、あれが原因なのは間違いないだろう?」
「うっ……それは、そうだけど……」

 東亰タワーから放たれる異様な雰囲気は、レイラも感じ取っていた。
 空に浮かぶ黒い太陽。そして、緋色の空。
 リィンの言うように、この電波塔が異界化の原因である可能性は高い。
 とはいえ――

「タワーを破壊しても、異界化が収まるとは限らないでしょ?」

 迷宮の主である怪異を倒さないことには、異界化が収束することはない。
 それに、どのみち迷宮の奥に潜む怪異を倒せば、東亰タワーも元に戻るのだ。
 建物を潰すよりも、そちらの方が確実だと主張するレイラの話に一理あることをリィンは認める。

「なら、さっさと行くか。シャーリィに先を越されない内に――」
「え? 何を言って――」

 ならば、とレイラの手を取り――

「いやあああああああ!」

 ヘリコプターがタワーの上空に差し掛かったところで、リィンは空に身を投げ出すのだった。


  ◆


「いまの光は……?」
「恐らく、小僧の仕業じゃろ」

 空を見上げながら戸惑いの声を漏らすセイジュウロウに対してソウスケはリィンの仕業だと、どこか確信を得ている様子で答える。
 一瞬で東亰タワー周辺を飛び交っていた無数のグリムグリードを消滅させる。
 そんな真似が出来る人物など、一人しか心当たりがなかったからだ。
 セイジュウロウも他に思い当たる人物などなく、ソウスケの言葉に納得した様子で頷く。
 とはいえ――

「まさか、これほどとは……」

 並の怪異ですら力を持たない一般人にとっては脅威と言える存在だ。
 エルダーグリード以上ともなれば、〈結社〉の執行者や〈聖霊教会〉の刻印騎士でもなければ対処することは難しい。
 その上の存在であるグリムグリードは、そんな彼等ですら命懸けの戦いとなる危険な怪異だった。
 そんな相手を一瞬にして、それも数十の怪異を一撃で消滅させるなど、普通の人間には想像も及ばない力だ。
 リィンが規格外の強さを持っていることは知っていたつもりでも、まだ見立てが甘かったことをセイジュウロウは実感する。

「驚くのは早いかもしれんぞ?」
「……まさか、あれでも全力ではないと?」
「用心深い男のようじゃしな」

 それなりの攻撃ではあるのだろうが、世界は広い。
 この世界にも、グリムグリードを複数相手取れる人外≠フ使い手がいない訳ではないのだ。
 そうでなければ、人類はとっくに怪異によって滅ぼされていることだろう。
 そのことからも、恐らくリィンはまだ奥の手を隠し持っているはずだと、ソウスケは見抜いていた。

「だが、これで道は拓けた。いまなら小僧どもの後を追って、迷宮へ突入することも出来よう」

 そう言って、セイジュウロウの判断を待つソウスケ。
 しかし、ソウスケが本気で言っている訳ではないと言うことに、セイジュウロウは気付いていた。

「いや、迷宮の主の討滅は彼等に任せる。我々は逃げ遅れた人々の保護と、周辺の安全確保を優先する」
「賢明な判断じゃな」

 セイジュウロウであれば間違った判断しないと、ソウスケも確信していて意地悪な質問をしたのだろう。
 リィンたちを追い掛けたところで、グリムグリードに苦戦をしているようでは足手纏いになる可能性の方が高い。
 なら優先すべきは、リィンたちが元凶を倒してくれると信じて、いまは少しでも被害を抑えるために動くべきだろう。
 それがセイジュウロウの――北都のトップとしての判断だった。

「ソウスケ。悪いが、もうしばらく力を貸してもらうぞ」
「やれやれ……少しは年寄りを労って欲しいものじゃが、乗りかかった船じゃしな」

 と答えるソウスケに、セイジュウロウは昔のことを思い出しながら瞼を閉じる。
 互いに孫のいるような歳になってしまったが、学生時代からの長い付き合いだ。それだけに、お互いのことはよく分かっている。
 組織の人間でないソウスケが協力してくれるのは、この街を――そこに住む家族を、大切な人たちを守りたいからだと。
 ソウスケが口にだすことはないが、そのなかには自分も入っているとセイジュウロウは確信していた。
 そんな友人の優しさに甘え、利用している後ろめたさを感じていたからだ。

(情けない話だ)

 幾ら腕が立つと言っても、いまのソウスケは一般人だ。
 そんな彼に頼らざるを得ないのは、自分たちが不甲斐ないからだとセイジュウロウは恥じる。
 それでも――

「頼む」

 申し訳なさと、後ろめたさを感じながらも――
 セイジュウロウは自分に出来ることを為すため、ソウスケに頭を下げる。
 そんな親友の姿を見て、ソウスケは――

「相変わらず、真面目な男じゃな」

 そう言って、苦笑を漏らすのだった。


  ◆


 同じ頃、ゾディアックとは別に怪異の掃討に当たる集団の姿があった。結社ネメシスだ。
 霊具で武装した若い隊員を率いながら、先頭で怪異を相手取るヤマオカの活躍を見て、

「さすがと言うか……まだまだ現役≠カゃないですか」

 少し呆れた様子で、ナオフミは深々と溜め息を吐く。
 怪異との戦いは若者に譲ったと言いながら、その腕はまったく衰えていないことが見て取れたからだ。
 いまは研究所の所長をしているが、ヤマオカは嘗て腕の立つ執行者でもあった。
 一線を退いていると言っても、怪異との戦闘経験ではレイラを上回っている。
 実際、数で勝る怪異と互角に渡り合えているのは、ヤマオカの指揮によるところが大きかった。

「レイラの方は……どうやら、上手く潜入できたみたいだね」

 どこか複雑な表情で、東亰タワーの方角を眺めるナオフミ。
 必要なことだと理解はしていても、やはりレイラのことが心配なのだろう。
 だからこそ彼女が無事に帰ってくることを願い、寝る間を惜しんでエクセリオンハーツの調整を行なったのだ。
 結果だけを言えば、エクセリオンハーツの最終調整は作戦開始までに間に合った。
 いまのエクセリオンハーツならレイラの力を百パーセント。いや、限界以上に引き出すことが可能だとナオフミは確信していた。
 それでも、レイラでは仮に命を懸けたとしても迷宮の主を討滅することは適わないだろうとナオフミは考える。

「これだけの数のグリムグリードを呼び寄せ、東亰全域を異界化できるほどの怪異」

 そんなものは神話級グリムグリードをおいて他にいないと確信しているからだ。
 研究者だから――いや、ずっとレイラのことを見てきたから分かる。彼女の実力では、どう足掻いても勝ち目は無いと。
 神話級グリムグリードは、ただの怪異ではない。まさに神の如き存在だ。その力は災厄≠サのものと言っていい。
 人の身で敵うような存在ではない。本来であれば、挑むべき相手ではないのだろう。
 本当ならアスカを連れて、もっと早くに国外へ逃げることも出来たはずなのだ。しかし、ナオフミはそうはしなかった。
 仮に自分たちが逃げたところで、レイラなら一人でも街に残ると分かっていたからだ。

「あの時から、薄々と気付いていたんだ。だから……」

 東亰で起きている異変が神話級グリムグリードの仕業であることに、早くからナオフミは気付いていた。
 だからこそ、レイラを一人で残してアメリカに発つことが出来なかったのだ。
 しかし、アスカのことだけが気掛かりだった。
 レイラを一人残して日本を去るのは気掛かりだが、同じくらいにアスカのことも愛している。
 刻一刻と期限が迫る中、どうするべきなのかと結論をだせずにいた、そんなある日のことだった。
 リィンたちと出会ったのは――

「他力本願なのは分かってる。でも、僕はアスカだけでなく、レイラも失いたくないんだ」

 だから、ナオフミはリィンたちを利用することを決めたのだ。
 そして、シャーリィとレイラの戦いを見た時、それは確信へと変わった。
 彼等なら神話級グリムグリードが相手でも、互角に戦えるのではないかと――

 レイラをリィンと一緒に行かせたのも、レイラを守るためだ。
 彼女を英雄に仕立てると言う計画に嘘はないが、仮に一人でもレイラは神話級グリムグリードとの戦いに身を投じただろう。
 そうなったら彼女は死ぬ。そんな未来を回避するために、レイラを英雄に仕立てるという提案をナオフミはリィンに持ち掛けたのだ。
 ああ言っておけば少なくとも利用価値がある内は、リィンはレイラを守ろうとするはずだと計算して――

「僕は弱い。何の力も持たない弱い人間だ。だから、家族を守るために利用させてもらうよ。キミたちを……」

 家族を守るためなら、利用できるものはなんだって利用する。
 その相手が、例え異界からやってきた悪魔≠ナあったとしても――
 それが愛する家族を守るため、ナオフミの選んだ答えであり、覚悟だった。


  ◆


「殺す気!?」
「生きてるだろ?」

 顔を真っ赤にして詰め寄るレイラを、適当にあしらうリィン。
 彼女が怒るのも無理はない。事前の説明もなく、三百メートルを超える高さからのダイブを強要されたのだ。
 無事だったからよかったものの最悪の場合、地面に衝突して死んでいた。いや、普通ならそうなっていただろう。
 そうならなかったのは――

「でも、お陰でショートカットできただろ?」

 リィンが東亰タワーを覆う結界の一部を破壊し、強引に異界の扉をこじ開けたからだった。
 まさか、あんな力業で迷宮へ踏み込むとは、レイラも思っていなかったのだろう。
 通常であれば、まずは迷宮の入り口を探すところから始めるのがセオリーだ。
 この手の建造物を利用した迷宮の場合、大抵は正面玄関に異界への扉があると思っていい。
 そこから最上階を目指して攻略していくのが、本来のやり方だった。
 それを空から乗り込むことで、結界を破壊して一気にショートカットしようなんて普通は考えない。
 いや、そもそもの話――

「……どうやって結界を破壊したのよ?」

 リィンが何をしたのか、レイラにはさっぱり分からなかった。
 集束砲を放った時のようにリィンの腕が光ったかと思うと、次の瞬間には結界が破壊されていたからだ。

「秘密だ。手札を簡単に晒すと思うか?」

 答える気がないのだと悟って、レイラは大人しく引き下がる。
 協力関係にあるとは言っても、あくまでリィンは依頼で動いているだけで組織の一員になった訳ではない。
 一応、気になって尋ねてはみたが、素直に話してくれるとはレイラも思っていなかった。
 それに――

「ねえ、あなたのことだから気付いてるんでしょ?」
「なんのことだ?」
「ナオフミのことよ」

 ナオフミがどう言うつもりで、リィンにあんな提案を持ち掛けたのか?
 レイラは最初からナオフミの考えに気付いていた。
 敢えて気付いていて何も言わず、ナオフミの立てた作戦に応じたのだ。彼の気持ちを無駄にはしたくなかったから――
 それに、あのシャーリィを手懐けられるほどの男が、ナオフミの企みに気付いていないとは思えなかったというのも理由にあった。

「俺を利用しようとしたことか?」
「やっぱり気付いてたんじゃない……怒ってないの?」
「利用しているのは、お互い様だからな」

 リィンが気にしていないと知って、ほっと安堵の息を吐くレイラ。
 それどころか眼中にないと言った様子だが、ある意味でレイラは納得していた。
 組織の人間と言っても、ナオフミは生粋の研究者だ。怪異と戦う力などなく、どちらかと言えば一般人に思考が近い。
 だからこそ、裏の世界に染まりきっていない彼に興味を持ち、好きになったと言っても良いのだが、レイラから見てもナオフミの考えは甘かった。
 騙された方が悪い。裏の世界で、この程度の駆け引きは当たり前≠ニ言っても良いからだ。
 恐らくリィンやシャーリィも、そういう世界で生きてきたのだと分かる。

「異世界って、そんなに殺伐としたところなの?」
「魔獣はいるし、戦争も絶えない。少なくとも平和≠ニは言い難い世界だな。だが、それはこっちの世界も同じだろ?」

 確かに、とリィンの話に頷くレイラ。
 怪異なんてものはいるし、人間同士の争いも絶えない。
 実際、半世紀ほど前までは、この世界でも大きな戦争をしていたのだ。
 そう言う話を聞くと世界は違っても、根本的なところは変わらないのだと思えてくる。

「それで? 結局、何が言いたいんだ?」
「……あの人の言ったことは気にしないでって、それだけ。私もプロ≠諱B自分の身くらいは自分で守れるわ」

 足手纏いになることだけはレイラは避けたかった。
 少なくともこの先にいる怪異は、他人を気遣って勝てるような存在でないことは間違いない。
 だからこそ、自分のことは気にしなくていいと、リィンに伝えたかったのだ。
 ナオフミの気持ちは嬉しいと思う一方で、執行者として何を優先すべきか理解しているのだろう。

「元より、そのつもりだから気にするな」
「……少しは信用してくれてるってことかしら?」
「シャーリィと引き分けたのは事実だしな。なら、この程度でくたばったりはしないだろ?」

 リィンの挑発めいた言葉にレイラは一瞬目を丸くするも、負けじと不敵な笑みを返す。
 否定すれば、それはシャーリィに負けを認めたことになる。
 そしてそれは『ママは負けてない』と言ってくれた娘の期待を裏切ることに繋がると考えたからだ。
 だからこそ、

「そうね。こんなところで死ぬつもりはないわ。私はあの子にとって最強の執行者≠ネのだから」

 自分に言い聞かせるように、精一杯の虚勢を口にするのだった。



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