短編『時を越えた帰投』
(ドラえもん×多重クロス)



――2005年の日本と扶桑の国交成立に伴って、在日米軍の横須賀海軍基地に寄航してきた二隻の戦艦があった。それは改大和型となった、扶桑の大和と武蔵だった。在日米軍も、その両艦が大和型であると判別するのに多少の時間を要した。艦容がどう見ても、現在装備に身を固めた近代戦艦だったからで、この時の武蔵の後部飛行甲板には、ハリアーが載っていた事もあり、それが扶桑の軍艦と結びつかなかったからだ。だが、艦橋の基本形状が日本戦艦では唯一の塔型であった大和型のそれであった事、翻る旭日旗と18インチ級の砲塔から、大和型であるという結論がなされた。


――その数日前 

「政府特使が船で次元ゲート使って来ます。 約300m、喫水10m以上なんですが、入港出来る所有りますか?」

「こちらの横須賀軍港であれば大丈夫です」

「それでは、我が海軍に打電するので……」

と、日本外務省の担当者は『海軍』というところが気になったが、日本では政府関係者が外遊に軍艦を使う事はほぼないので、そこは特段、気にしなかった。日本政府関係者は、軍人が操艦する輸送船で来るだろうと思っており、民間人もさほど気に止めなかった。そして、数日後、扶桑からの次元ゲートが出現し、その確認の為に自衛隊と在日米軍が艦艇と航空機を派遣したのだが、出現したのは、輸送船でなく、21世紀では、すっかり過去の遺物とされる『戦艦』だった。



――在日米海軍 第7艦隊所属のとある駆逐艦

「こいつは驚いた……バトルシップだ。それも、我が軍のアイオワより大きいぞ……」

そう。その船は明らかに『戦艦』だった。全長はほぼ300m、全幅も相当にあり、アイオワ級よりも、過去の『大和型戦艦』よりも明らかに一回り以上大きい体躯を誇り、ニミッツ級航空母艦に見劣りしない威容だ。未成であるモンタナ級戦艦よりも巨大だ。パーツの基本形状から、大まかに大和型世代の日本戦艦であるのは分かるが、装備がおかしい。扶桑皇国の言う『年度』から言って、ここまで高度な近代装備は持てないはずである。フェーズドアレイレーダー、VLS、RAM、CIWSといった、戦後型艦艇の要素がそろっており、オーパーツと言っていい。

「戦後型艦艇の装備を一通り揃えてます。まさにオーパーツですよ」

「今や失われたテクノロジーである、ビックガンと不釣り合いな装備だな。通信をしてみろ」

「ラジャー」

駆逐艦が通信をしてみると、明瞭な声で、艦名を名乗る。

『こちら扶桑皇国海軍旗艦、軍艦大和。本艦には、政府特使が座乗しておられる。エスコートされたし。繰り返す……』

その一言に、駆逐艦のCICは騒然となった。かつて、自らの祖先たちが海の藻屑とした大和と同じ名を持つ大戦艦が出現したのだ。そして、その護衛を務める、准同型と思われる航空戦艦が『武蔵』と名乗ったのもあり、ますますパニックである。同じく、海上自衛隊の護衛艦『こんごう』も大パニックの渦中だった。

――こんごう CIC

「嘘だろ!?あれが大和と武蔵!?明らかに超大和型戦艦にしか見えんぞ!?」

「主砲のサイズから言って、大和は46cm砲のままですが、武蔵は第三砲塔を撤去した代わりに、前部砲塔が51cm連装砲塔に強化されています。恐らく、航空艤装をハリアーに対応させた代償重量が第三砲塔なのでしょう」

インテリな一人が艦長に具申する。武蔵は大和よりも全長がさらに長く、航空打撃艦としての運用がなされていると分かる姿だ。

「うーむ。しかし、航空戦艦とは。驚いたな」

「我々の知る過去においては、伊勢型でしたからな。大和型をここまで改造できる余裕があるとは」

と、関心したりだ。

「米軍艦に打電。本艦とで、海の女王様方をエスコートするぞ。マスコミ連中が見たら、ひっくり返るぞ」

こんごう艦長は、海自のシンボルと言える、こんごう型が従者のようなインパクトを持つ、旧軍連合艦隊のシンボルである大和と武蔵をエスコートできるという行幸に歓喜し(当時はひゅうが型護衛艦が構想段階)、米軍艦と共同で横須賀軍港へエスコートした。現地には、マスコミのヘリなどが飛んでいたが、エスコートされる艦が『史上最大級の旭日旗を翻す戦艦』であり、更に大和の面影を持つとあって、報道が凄いことになっていた。そのTV中継の模様は以下の通り。

―国営放送局の場合―

「ご覧いただけますでしょうか。扶桑皇国の政府特使を乗せた戦艦が、海上自衛隊と米海軍の艦艇にエスコートされて、横須賀に姿を表しました。眼下に威容を誇る戦艦は、かつての戦艦大和と、とてもよく似ており……」

――民営放送局の場合――

「扶桑皇国の戦艦が横須賀に向けて進んでいますが、その姿は、かの戦艦大和に酷似しています……」

という、当たり障りない内容のリポートをし、それを目にした旧海軍関係者ら(元・大和乗員含む)がかつての基地であった横須賀近辺に集結するなどの現象が起こった。そして、入港を海上自衛隊音楽隊が軍艦行進曲で出迎えるなどの歓迎が行われ、当時はまだ在籍していた護衛艦しらねからヘリが飛来し、大和の甲板に降り立った。そこで、海上自衛隊関係者らは日本海軍英雄とされた一人の提督と出会う。

「あ、貴方は!!」

「扶桑皇国海軍司令長官、山口多聞」

山口多聞だった。彼の司令長官としての初の仕事の一つがこれで、小沢治三郎が辞任したので、彼にお鉢が回ってきたのだ。

「山口多聞……ミッドウェーで飛龍と共に戦死した、あの……」

「こちらでは事情が違うので、二本とも足はついとるよ、ガハハ。これは私の秘書をしている、義理の娘の『飛龍』だ」

「飛龍です。よろしく」

和服姿の飛龍。今回はアピールの目的もあり、艤装を省いてのいつもの服装だ。

「こちらが今回、我々に同行した特使である」

「!」

その特使は女性だった。年の頃は18〜19歳ほどだが、どことなく優雅で、儚げな印象を与えるポニーテールの少女だった。

「大和です。両国の友好の促進のために派遣されました」

大和だった。これまた、いつもの格好である。大和はその容姿から、扶桑でも艦娘有数の人気を誇る。日本で最も知名度がある軍艦の化身であるのが重視され、今回の特使に任命された。

「君、下の名前は?」

「いえ、大和だけです」

「??」

「その辺の事情はヘリで話そう。この子達はややこしい存在なのでな」

ヘリの機内で説明がされる。日本側は腰を抜かした。なにせ『艦の意志が一点に集中して生み出された存在』なのだ。従って、大和は戦艦大和そのものであるし、飛龍は飛龍なのだ。

「まさか艦の魂が肉体を持つとは。それも永遠不滅の」

「そうだ。精神的成長はあれど、肉体は老いない。神と言って良い次元の存在だからな」

そう。現世に舞い降りた神格と言って良い存在である艦娘は、戦いで肉体が限界を迎えても、別の肉体がすぐに創造されるという不滅の属性がある。これはあらゆる次元のかつての戦いで散った、乗員達の意志が彼女らに与えたものだ。

「宗教的にはややこしい存在ですな、提督」

「うむ。まぁ、日本と扶桑には昔から、モノに魂が宿るという考えがある。それを考慮に入れれば、どうという事はない」

「記者会見は正直いって、苦手でな。小沢さんや山本さんなら上手くやれるんだが、儂は海にいるほうが性に合っとるのでな」


経歴的に、マスコミの応対が上手い山本五十六や小沢治三郎と違い、山口多聞は実戦指揮官の色彩が濃い。そのため、ミッドウェーで生還していれば、山本五十六亡き後の連合艦隊司令長官に間違いなしとされた。そのため、義理の娘とした飛龍に応対の仕方を教わっている。そのため、ヘリが目的地に到着すると、見栄えと季節の都合で、純白の第2種軍装を着込んでいたのもあり、その姿を捉えたマスコミの注目の的だった。旧海軍関係者は、かつての提督が往時の姿で『帰還』した(元部下もいるため)のに大喜びである一方、異名が『人殺し多聞丸』であるので、それを畏怖する元搭乗員も多かった。旧軍関係者は、2005年には、終戦からの年月の都合で、元尉官以下の若手が中心となっていたが、旧軍の将官から佐官級の将校達が幹部自衛官らと『共にいる』光景に、改めて示された海上自衛隊と旧海軍の関係に涙を流した。(同時に儀礼や式典以外に制服の飾緒がない海自側は、派手な飾緒がある旧軍将校らを羨ましがった。)また、旧軍将校と海自自衛官が共に歩むのに不快感を示す、旧軍と自衛隊の関係性を否定する考えの者、自分達こそが海軍の後継者だと自負し、海自と長年の予算面での戦争をする海上保安庁の者たちは大いに憤慨したが、海上保安庁については、海保が組織の系譜的に、当初は海軍の後裔として創られた事は、現在の組織ポジションの違いもあり、一般に認知されていない事から、苦渋の涙を流した。同時に軍事的意味での海自が、明確に『旧軍の後継者』であると示す格好の光景であったため、その後の世界情勢の急変で、国民から不況を買う海保(特に団塊の世代から)と異なり、装備的意味で完全な外洋海軍である扶桑海軍と協力関係を結んだ海自は、この数年後に中国の台頭が起こったり、学園都市がロシア相手に戦争を起こした時、大和型戦艦と空母大鳳、翔鶴・瑞鶴を護衛艦隊付きで派遣してもらい、結果として、中露を抑えこむことに成功する。何せ、大和型の主砲が直撃すれば、21世紀の軍艦では、アイオワ級戦艦以外の全ては一撃で致命傷なためである。しかもイージス化されているとあれば、中露の海軍では手が出ないからだ。そのため、ロシアは急遽、装甲防御力を持つキーロフ級ミサイル巡洋艦を増強する羽目になったという。




――ある時、扶桑が特別ゲストで米軍主体の演習に招かれた際には、大和型の参加で、自軍の見栄えが悪いと、米海軍水上打撃艦艇閥から文句が出、急遽、博物館行きが内定していたアイオワ級を無理やり引っ張りだし、『自分達の戦艦こそ世界最強である』と証明するためだけに復帰させたのである。だが、建艦から数年以内の内に、大改装を受けた大和型の状態から、経年劣化が進行した後に改装されたアイオワ級では勝てないと見る、元砲術畑の退役軍人の意見があった。因みに、日本側のTVでも、大和の史実のスペックと、試案から『ディーゼル機関艦』と報道、軍事解説者(元海自高官)の指摘を無視(扶桑の年代から、ガスタービン機関は造れないとする先入観)した。実際、入港時にはスリット状の煙突排気口からたなびくディーゼル排気と機関音からディーゼル動力艦と判断し、報道された。扶桑と地球連邦の欺瞞は大成功したのだった。その時のとあるTV局では。

「ジェット機運用してるなら、ガスタービン運用の可能性が有るって事だろう?!」

「ハイハイ(ジェット機がなんだってんだ、ガスタービンとなんの関係が…)」と、ディレクターに流されてしまう光景が見られたという。(その後、ガスタービン機関の搭載が判明したので、日本のマスコミはポカ〜ンと茫然自失状態になったという)



――リムパック演習に招かれた扶桑は、大和型『大和』と『武蔵』をそのまま派遣し、更に追加で空母『大鳳』、『瑞鶴』も派遣した。搭載機は米軍のそれに比して旧世代だが、実戦帰りのパイロットが揃っていたため、米軍も舌を巻いたという。特に瑞鶴の航空指揮管制が瑞鶴だったのもあり、F-14と18相手にも優位に模擬戦闘訓練を展開、『新鋭機は旧世代機に対して万能ではない』証明となったが、後に完成する、米軍の第5世代機の運命に暗雲をもたらしてしまうという点があったという。ただし、改めて近接空戦の重要性が認識され、アメリカ軍の最強時代はここからまだ、しばらく続くのだった。





――演習のメインイベントとして、マスコミの前で行われた『大和型対アイオワ級』の模擬砲撃戦』。この時の大和艦長は、史実では、不遇の最期を遂げた西田正雄大佐へ代替わりしており、彼は自信満々であった。既に、より格上の『モンタナ級戦艦』を仮想敵にしていた、扶桑皇国海軍砲術要員にとって、今更、アイオワの相手など、容易いからだ。そして、遂に、大和の46cm速射砲、武蔵の51cm連装砲6門が火を噴く時がやってきた。実弾演習だ。日本戦艦の砲撃は、伊勢が終戦前の呉空襲で放った砲弾の発射から、実に70年ぶりであり、注目度も高かった。そこで、大和は三連装砲塔の一番砲だけを連続で発砲する芸当を見せつけた。速射砲化された恩恵だ。3から4秒ごとに、雷鳴のような轟音と共に撃ちだされる砲弾に涙を流す関係者もいた。そして、凄まじい破壊を見せつける。特別に造られたターゲットが一撃で破壊されるのだ。そして、多数のターゲットを破壊するため、飛び散る破片を調整した榴弾を使う。この時は扶桑軍の大和型だからできる、『九門の一斉射撃』を披露。日米の関係者に『船体強度が史実と段違い』である事を見せつけた。次に武蔵も、20インチ砲を披露し、さらなる驚きを招いた。大和型の主砲である46cm砲より二段階も上である『51cm砲』の破壊力は満点だ。これで性能証明となった両艦は、アイオワ級の射撃成績が悪かった(経験が0に等しい米軍と、熟練者である扶桑とは差がある)事もあり、次の模擬砲撃戦の前に不安材料を残し、アイオワ艦長はヒステリックに怒鳴ったという。



――模擬砲撃戦は、大方の予想と裏腹に、大和型が有利に事を運んでいた。これは技術的断絶で、艦艇への射撃指揮装置が第二次世界大戦のそれが流用されているアイオワ級と違い、23世紀の宇宙艦艇のそれを持つ(トップシークレットだが)改大和型は、アイオワ級がやれない、砲塔の自動追尾も行っており、段違いの命中率を見せる。また、同じ戦艦と言っても、そもそもが『究極の巡洋戦艦』であるアイオワ級が、『究極の艦隊決戦用戦艦』である大和の相手をするのは無理な相談であり、ポジションが違うのである。特に、砲撃時の安定性に顕著な差があり、アイオワ級が揺れる波でも、大和型は全く揺れない。そのため、大和型否定派の拠り所である『アイオワ級との速度差』、『それによる汎用性』が次々と否定されていく。大艦巨砲主義の根幹は『より大きく、より強く』という思想に根ざしている。23世紀のオーバーテクノロジーの恩恵とは言え、当時の造船官から『タライ』と評された大和型が、改善しただけで、戦艦と思えぬ機敏な動きをする。しかも『単艦で洋上を走り回る限界の大きさ』など、ぶっちぎりで超越しているのに、だ。これは日本側の造船に多大な影響を残し、後々の艦艇の大型化の要因となる。

――後日 日本の国営放送と民放

「扶桑の戦艦大和と武蔵は、リムパック演習で抜群の成績を収めた模様です。ここで、アメリカの人々の反応を見てみましょう」

――現役米海軍軍人のA氏の場合

「いやあ、最初に見た時は『時代遅れの恐竜がやって来た』と思ったよ。バトルシップなんて、俺のジイサン達の時代の遺物だしな」

――退役軍人のB氏の場合

「SHIT!湧いて出たJAP戦艦の亡霊ごときに、このUSAの最強戦艦が遅れを取りやがって!国防総省の怠慢だ!!」

――現役軍人のC氏

「イヤッホー!!現役で動いてるバトルシップだぜ!!俺が物心付く前に、ミズーリは退役してたから、見れて良かった!!ジャパンの戦艦は綺麗だぜ……」

――退役軍人出身の上院議員のD氏

「HAHAHA、バトルシップは最高だよ!今回のためにアイオワとウィスコンシンを引っ張りだしたのだ……ん?軍からの文句?知らんね。あいつらは海軍の伝統を知らんのだ。かつては砲術こそが花形だったのだ」

D氏がアイオワ級の二隻の現役復帰を促進した立役者であることは明白であった。このリムパック演習の前には、大和と武蔵の来訪に刺激された米国内で、『我が国にも再び、バトルシップを!』という嘆願運動が起こっていた。だが、戦艦の存在の現状を知る者達は、『時代遅れの恐竜(ダイナソー)のどこがいいのだ?』と懐疑的であった。だが、戦艦は乗組員の多さから、巷の失業者対策に使えると判断した者達が彼に迎合し、更に『近代海軍に戦艦は必要だった』とする戦艦閥の生き残りが加わった。そして、ニミッツ級航空母艦と比較しても見劣りしない威容の両艦が、空母と並んでいる姿がニュース映像で流れた事が、アメリカ人の自尊心を刺激した。

「我々こそが世界最強の戦艦を持っているのだ!!」

そう。アメリカ人の思考回路は23世紀になっても、『眼前の敵をぐうの音も出ないほどにぶちのめす!!』である。その真理がアイオワ級の現役復帰につながった。当然ながら、当時で建造から60年経っているため、経年劣化を理由に諦めさせようとする勢力もいた。だが、それは止める防波堤にはなりえず、アイオワ級二隻は強引に現役復帰がなされた。左派からは『戦艦という、時代遅れのマンモスに付き合ってどーするのだ。今は原潜と空母の時代だ』という批判が絶えなかった。その期間は未定で、最低でも10年は稼働させないと、費用の元が取れない』というほどの費用がかかったという。だが、大和型の来訪で『世界最大戦艦の座』を奪われた米国民にとっては安いもので、当初は、『改めて、モンタナ級戦艦を起工した方が安上がりだ』という論調さえ出たのだ。運用コストや維持費用の面からの指摘だが、それはその4年後に計画が初められる。『BB-72』計画だ。この計画は、途中でイージスシステムの適応が決定され、ズムフォルト級駆逐艦の計画縮小の代替もあり、BBGという新カテゴリーに新たに分類され、後に連合軍から提供された『モンタナ級戦艦』の設計図を基に、装甲配置を腐心したイージスシステム搭載戦艦として生を受け、21世紀序盤から半ばまでの30年間、徐々に衰えていく米の実態を覆い隠すための道具として使われていく。また、艦娘大和は、扶桑と日本の国交成立に伴い、国際連合のオブサーバーとなった皇国を代表して、演説を行った。彼女は通訳なしの全文英語で演説を行った。

――国連 

『私は名を大和と言います。我が扶桑皇国が、こうして、別次元の国際連合に迎え入れられた事は嬉しい限りであります。最初に申し上げる事があります。我が国は日本とは『限りなく近く、極めて遠い』国であります。また、私の世界は……分かりやすく言うと、『ネウロイ』という怪物が有史以来、跳梁跋扈する世界であります。その怪物によって、東アジアのいくつかの国は滅亡し、国土も汚染され、荒れ果てています」

大和は、自分の世界はネウロイ(怪異)が跳梁跋扈し、この世界にあるいくつかの文明は、ある段階で滅亡していると示唆する。同時に、後ろのスクリーンに、世界地図を映す。ウィッチ世界のそれだ。滅亡した文明の地域が茶色に塗られており、中国と朝鮮半島が茶色なので、韓国代表は怒り狂い、中国代表も不快感を露わにする。アメリカと形の違うリベリオン大陸、真っ白な北東アジアとアラビア湾の奥。ネウロイの領域を示す濃いかけ網がまだらに覆う北アフリカから中東、ギリシアからロシア、ウクライナ東部、そして中国奥地。全てが違う。

「我が朝鮮民族が滅ぶだと!?馬鹿な、馬鹿も休み休みいい給え!!」

「この世界とは似て非なる物ですから、こちらの常識で語られても困ります、そもそも私共は朝鮮民族とは、どのような物なのか、全く知らないのですから」

大和は韓国代表の野次を軽く流す。朝鮮半島の文明は、李氏朝鮮まで存続したと推測されているが、扶桑にはほとんど記録が残されていない上、その子孫らは扶桑に帰化し、同化してしまっているため、李氏朝鮮がどのような国であったのかはわからないままだ。そのため、全く知らないと返したのだ。

「我が国はどうなったのだ?」

「貴方方の国は、1644年頃までは存続していました。ですが、国が衰えた時期が怪異の活動期とぶつかり、最期はほぼ為す術もなく滅ぼされたという記録が残されています」

「明朝か……なんてことだ」

中国代表は、1644年という年号で、清朝の一個前の漢民族最後の王朝『明』の頃に文明が絶えた事を悟り、ガクリと肩を落とす。

「それで、その後はどうなったのだ?」

イギリス代表がいう。

「その後はブリタニアが欧州で台頭し、仏革命、ナポレオン戦争が起きるのは、こちらと同じです。リベリオン合衆国、こちらでのアメリカ合衆国も成立していますから。ただ、違うのがアジアです。明が滅亡した後、我々扶桑は織田幕府(豊臣秀吉が事実上の支配者であった頃もある)の施策で大航海時代を迎え、その際にこの大陸―貴方方の常識で言えば、伝説のムー大陸にあたるのですが―に入植します」

そう。南洋島だ。織田幕府がちょうど、信長と信忠を助けた忠臣として、信忠と秀信の時代に権勢を振るっていた豊臣家の権勢が、当時の当主の秀頼の死で衰え、ここで初めて、豊臣の影響下を脱した当主である、織田信長の曾孫が征夷大将軍に任じられた時代に発見され、大名達の一族や、亡命した明や李氏朝鮮の王族や貴族が入植していった。この大陸は、全ての資源が莫大な量を蓄えているという(近代では石油も)理想的な植民地であった。この地を拠点に、扶桑はアジア地域最強の国家へのし上がったのだ。

「ムー大陸、―我々は南洋島と呼称していますが―は、我々にとっては誠に好都合な資源供給地でありまして、なので、ユーラシア大陸に進出する意義はあまりなかったのですが、オラーシャ、こちらではロシアと、ある時に条約を結び、ウラル山脈のある一定の地域までを我が国との国境線にしたのです」

「ほう……ロマノフ王朝と、かね?」

「そうです。成立したばかりのロマノフ王朝は、怪異への防衛線を張るにあたり、国土をある一定のところで固定すべきと考えており、そのため、我が国に話を持ちかけたのです」

そう。扶桑はユーラシアに領土を持つ必要は薄かったが、ロマノフ王朝との取引により、ウラル山脈のある一定の地域までを領土としたのだ。(1937年にほぼ失陥)

「その後は、普仏戦争まではほぼ同じです。ですが、時たま怪異の活動は起きています。我が国でも、日清戦争と日露戦争の時期に怪異との一戦がありました。世界規模で戦う事になったのが1914年の第一次ネウロイ大戦、その20年後の現在は、第二次大戦の真っ只中なのです」

その流れがウィッチ世界の大まかな流れだ。そこまでにしたのは、地球連邦政府の介入を隠すためであり、地球連邦政府の成立の経緯も複雑怪奇であるので、大和はその辺は話さなかった。必要がないからだ。

「それだけかね?」

「は?」

「何故、大和と武蔵に時代不相応の装備があるのかね?フェーズドアレイレーダー、VLS、CIWS、RAM……この21世紀においてさえも最新の軍事技術が何故、存在しているのか、と聞いているのだ。第二次大戦の最中であれば、アナログコンピュータが現役の時代で、デジタルコンピュータの黎明期のはずだが」

「それは我が軍のみならず、全世界共通の最高機密に属しますので、この場で申し上げる事はできません。貴方がたに取っての、私達の様な異邦人の到来が有って、私達もこの地を踏むことか出来たのです。それだけは付け加えさせて頂きます。それ以上は彼らとの約束が有りますので」

そう。言えるはずはない。ここにいる者達の子孫に当たる地球連邦から、連合軍全体が強力に援助をされ、文明レベルを一気に飛躍しつつある事を。アメリカ合衆国代表の疑問にそう返す大和だが。釈然としないアメリカ合衆国代表。この釈然としない疑問が、やがて訪れる、自らの衰退期以後に日本への疑念に変わり、統合戦争で遂に爆発してしまうのである。だが、その爆発が自らの衰退を決定づけ、日本の政治的中興の道を作ってしまうので、その運命は皮肉でしかなかった……。

この演説は、大和の毅然とした態度もあり、大成功に終わった。結果として、先行して21世紀地球に現れた『異邦者』と言える扶桑皇国は、日本にアメリカ以外に、初めて真に頼れる盟友を与えた。しかもアメリカのような『事実上の盟主』の立場でなく、見返しをしなくても済む『同位』の国である。これに不快感を示す日本内部の左派勢力からは、『大日本帝国と同位の帝国主義国家と、平和主義の我が国は相容れない!』というトンチンカンな主張もあったが、自らの武力が惰弱である事を知っていた日本政府、それを一時除き担う中道右派政党は、当時の自国の主張と法と相反する、軍事力による圧力を『扶桑皇国が代行してくれる』内に、自衛隊を拡充・法的裏付けをした形での『再軍備宣言』に必要な世論を整えようと準備を進めていく。それが結実するには、2005年からは数十年もの月日を要し、社会の中枢を担う世代が団塊の世代からバブル世代、氷河期世代に移り変わり始める時代までを待つ必要があった。


――また、2005年の大和は大忙しで、日本国内では『戦艦大和の化身』である事を早期にカミングアウトしていたので、若者の人気を鷲掴みし、海上自衛隊を訪問した際には、『大和型戦艦、一番艦、大和。推して参ります!』というキメ台詞で艤装を見せ、戦う船の化身である本懐を垣間見せ、旧海軍関係者、海上自衛隊の自衛官らを大歓喜させたが、海上保安庁からは『ちくしょう!!俺達も帝国海軍の末裔なのに!』という嘆きの声が出たのは言うまでもないが、公式に『軍隊ではない』とする海上保安庁にとって、旧海軍との関係性を主張する事は、現在の海上警察という法的位置づけなどとの関係性が理由で、政治的に不味いため、組織ポジションにより、公式に帝国海軍の正統後継者を自負する海自が公に扶桑海軍と交流するのと対照的に、警備任務などのノウハウを扶桑に教え込むなどの非公式レベルでの交流に留まった。この事に、組織的な系譜からの帝国海軍の後継者であるとする、海上保安庁の一部の者らは複雑であったという。また、この時になり、更に一部からは『戦後の時に、成立した法律に反対しないで、一緒に海上公安局になっておけば良かった……』という声まで生じたという。


――また、扶桑皇国海軍司令長官である山口多聞大将は、空母機動部隊司令当時に『人殺し多聞丸』の異名があった事を、寄稿の際の記者会見の場で、記者につつかれたが、上手く躱す事に成功した。

「人殺しの異名をお持ちと聞きますが…」

「実戦において、死なない為の訓練で厳しくやっていたら事故で死者が出ました。 本末転倒と心に刻み忘れぬためにあえてその異名を名乗らせてもらってます」

と、山口多聞は、自らの異名をそうした意味で受け入れていると話す。戦前の軍人の国防への意識の高さを思い知らされる戦後の日本人。また、どうして多くの先輩達をぶっ飛ばして抜擢されたのか(1946年前後に、小沢治三郎の後を受けて、初代海軍司令長官を拝命した時には、彼より先輩の者たちをぶっ飛ばして抜擢された)に話が行き、扶桑内部のゴタゴタで、小沢治三郎が連合艦隊司令長官を辞任、その後の改革で出来たポストに自分が収まっただけだと説明する。これは小沢への気づかいで、ミッドチルダ動乱での戦功により、天皇陛下からも信があり、山本五十六からも『連合艦隊司令長官の器』と高く評価された小沢治三郎が、海軍のゴタゴタで辞任に追い込まれた事に同情していたからだ。小沢治三郎には、『実践が伴わない理論崩れ』とする評があるため、それを指摘し、『小沢は理論倒れのインテリだから、実戦肌の山口大将が抜擢されたのではないか』という旨の質問には、直線的な表現は避けつつも、『小沢さんは戦上手ですよ。然るべき兵と、兵器の質さえ整えば良かったんですよ』と述べた。そう。史実の日本海軍は小沢が連合艦隊や空母機動部隊を率いた頃には、空母機動部隊は『烏合の衆』に堕ち、連合艦隊は形骸化していたのだ。その点を知っていたからだ。マリアナ沖海戦の空母機動部隊の質では、たとえ自分が率いていても必ず負ける。それほどに数と質の差があった。実際、質と量が拮抗したミッドチルダ動乱では、巧みな用兵で勝っている。(ただし、小沢自身は軍令よりも、軍政のほうが俺には向いているとも述べた)その点を間接的に示唆し、兵学校で三期先輩の小沢治三郎を擁護したという。



――海上保安庁は、その後の世界情勢の急変で起こる中国の台頭による、珊瑚礁の乱獲などに、表立って対応出来なかった事が槍玉に挙げられ、国民からの信頼を初めて損ねてしまう。更に学園都市の引き起こした戦争のとばっちりにより、ロシア海軍の攻撃対象となったなどにより、多数の保有艦船が失われた事もあり、緊急措置で海上自衛隊と扶桑皇国海軍がその任務を共同で代行する事態が2014年以後に見られるようになり、海上保安庁はその再建に数十年以上の月日を要すことになる。人員・装備の数が最盛期である2006年の水準へ回復するのは、21世紀も半ばを過ぎ去ろうとしている頃であったという。



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