外伝2『太平洋戦争編』
第十八話


――太平洋戦争は激戦期を迎えようとしていた。武蔵や尾張などが海戦を経験したのを皮切りに、リベリオン本国軍の攻勢が始まり、新京も戦争と無縁ではいられなくなった。三羽烏も恐れていた『B-36』による初の空襲が行われたからだ。

――前線基地 

「中佐、電探が敵を捕捉しました。……ですが、この高度はあり得ません!」

「落ち着け!敵の高度は?」

「高度は……11000!速度は600キロとちょっとです!」

「B-36か!ジェットを回せ!レシプロには小型機を警戒させろ!出るぞ!」

この時期、B-36を迎撃可能なF-8戦闘機やドラケン戦闘機、F-104戦闘機は一部部隊しか保有しておらず、64戦隊や50戦隊、47戦隊は連日、フル稼働だった。この日は64戦隊の駐屯地が変更され、新京防衛の任が伝えられてから、わずか10日後であった。

「上がれる機体は?」

「宮菱から納入されたF-8が6機、F-104が10機、ドラケンが6機ほどです」

「基地警戒用と予備機を除いた数か?」

「ハッ」

「ならいい。F-8を使う。エンジンをアイドリングさせておけ」

「ルーデル大佐が出られます。中佐は指揮下に入れとのことです」

「了解だ」

黒江は連絡を受けると、自身の使用機を通達し、エンジンの暖機運転を行わせつつ、パイロットスーツに着替える。格納庫に行くと、ハルトマン、シャーリーはF-104J、ルーデルはドラケンに乗り込むところだった。

「宮藤、菅野、西沢達は別方面の小型機迎撃に行かせた!新京上空は私達でやるぞ!指揮は私が取る!」

「了解!」

この日、黒江はルーデルの指揮下に入った。最先任が彼女だからで、ガーデルマン共々、ルーデルの直掩となった。シャーリーはF-104編隊の指揮を取り、その護衛がハルトマンであった。敵編隊はすぐに捕捉した。機数は30機ほど。扶桑が配備を進めている富嶽改型と同等以上の巨体を持つが、過渡期の機体であるのを示す『混合動力機』である。

「何あれ、プロペラとジェットが一緒についてるよ〜?」

「ああ、あれは急遽の設計変更の名残りだよ。富嶽は700キロ出すために、5000馬力エンジンを積みまくったりしたけど、あれの場合はは元来、B-29の延長みたいな機体だったのを、設計変更しまくって、震電みたいな推進式にしたんだが、3000馬力程度じゃ、六基積んでも推進力不足だったから、ジェットエンジンを取ってつけたんだよ。見ての通りに場繋ぎだから、直にB-47に更新されんだろう」

「へぇ。速度も紫電改程度しかないし、このまま行っちゃう?」

「いや、回りを見てみろ。護衛機がF-11だ。海軍の戦闘機の運用テストで、爆撃機護衛をさせてるのか?」

「どうします、大佐」

「ミサイルで爆撃機を殺った後、戦闘機を散らす。行くぞ、ATTACK!」

ミサイルでB-36を炎上させたり、爆散させたりして機数を減らし、ボックス隊形を取るB-36だが、超音速機+ミサイルのコンボに対抗するのは無謀であった。

「4機撃墜!」

「浮かれるな、護衛機が来るぞ!各機、散開!」



――リベリオン本国海軍はミッドウェイ級や後期エセックス級空母の艦載機の更新を精力的に行っており、ジェット機にしては小型であることから、F-11戦闘機を選定し、その改良型を生産し、F-8及びF-4実用化までの繋ぎにした。これが各軍需産業のエース級設計チームが軒並み亡命していったため、本国に残された人材は良くて、二流のチームしかいない事に悩んだティターンズは技術指導に乗り出した。その指導で、比較的人材が豊富だったグラマー社が作った『F-11戦闘機の改良型』だったのだ。これは設計段階でエンジンをJ79に直したもので、史実で後から直した『スーパータイガー』より洗練された設計であった。そのため、扶桑が先行運用を経て、第二次生産型として配備したF-8改良型(黒江用の機体もそれ)と同等の性能に達しており、空中戦は概ね互角になった。

「うお、F-104に追いついてきやがったぞ!」

「なんだって!クソ、奴らは『スーパータイガー』を作ったか!?」

「狼狽えるな!互角の性能の敵機が来た時こそ、我々の腕の見せ所だ。振りきれないなら格闘戦に持ち込め!」

「り、了解!」

「コイツでドッグファイトかよ!もっと運動性がいいの選んでくるんだったぜ!」

「しゃーないって。やるよ!」

シャーリー、黒江はルーデルの指示に従い、自機を狙う敵機に対して巴戦を挑んだ。黒江は格闘戦闘機であるF-8なので、真っ向から巴戦が可能だが、シャーリーは104なので、戦闘機戦では小回りは効かない。F-11改?に、史実空自がF-104運用時にとっていた運用法を以ってして対抗した。それは密集編隊でズーム上昇からの全速ターンをし、一番機が爆撃機にミサイルを撃ち、エレメントの二番機が編隊を解き、食いついた敵機を落とすというもので、ハルトマンは自機の高度を下げて速度を上げる。天才肌だけあり、操縦桿とスロットルを巧みに操り、敵機を視界に入れつつ、高度を下げつつ、速度を上げていき、横合いから機銃をぶち込み、シャーリー機を追っていたF-11改を落とす。

「サンキュ、ハルトマン」

「こんなの軽いって。でもさ、コイツは高速だと動きが違うね。驚いたよ」

「元々が邀撃任務用に造られたって話だしな。第二世代の陸上機じゃ最良に入るらしい」

「最良ねぇ。速度一辺倒の気がするんだよね、この辺の世代」

「超音速になれて、間もない頃の世代だしな。ドッグファイト起こるのも過去の時代って言われてたって話もある位だぜ」

「ミサイル万能論って奴?あれって眉唾物だけどね」

「実戦知らない奴等の戯言だからな、あれ。一昔前に流行ったろ?戦闘機無用論。あれがミサイルに変わっただけさ」

「ほんと、進歩しないんだから、政治家と官僚共は。いつの時代も」

ハルトマンは年齢が20代に差し掛かったためか、政治的にも信念がある様子を見せる。戦闘機無用論、ミサイル万能論、無人機万能論。未来世界で戦闘機乗り達の前に立ち塞がる壁は、戦乱がいつも粉砕するのだから。空戦をしつつ、溜息をつくのであった。






――扶桑軍は特攻隊に至る経緯と、消耗戦での人材浪費に恐れを抱き、人材育成を最優先事項とした。同時に国民に乗り物の『操縦』に違和感を無くすべく、国民車計画を推進させた。その一環で、64戦隊は表向き、大戦序盤からの古参が多数在籍する『エース部隊』だが、源田実の意向で新人も多数抱えていた。これは旧343空が教育部隊の側面もあった事が由来である。だが、64戦隊以下の数部隊の編成に異を唱えた者は複数いた。坂本もその一人だった。

――圭子の執務室

「あ?徹子?私だけど、若い連中が坂本の悪い噂してるの聞いたんだけど、お前なら何か知ってると思って」

「お久しぶりっす。それは多分、源田さんの過去の経歴に理由してるんす」

「親父さんの?」

「ああ。戦前の一時期に、源田さんは戦闘機無用論に入る、戦闘爆撃論を唱えてたのは知ってるでしょ?」

「ああ」

「美緒だけでなくて、俺らの前後の世代は戦闘機に爆撃任務やらせるのが気に入らなかったんですよ。それなのに、源田さんは間違いをこっそり直して、戦中に、戦局を理由に343空を結成させた。343空は表面上、飛行時間が1000時間を超える古参や中堅が多めに入っていた。松田や菅野、本田、宮崎とか言ったね。若手でも、宮藤や服部とかの有望な奴がね。それで、事変前後に軍に入った古参世代は『ぼくのかんがえたさいきょうのひこうたい』としか見てなかったんすよ。実際には古参よりも新人の比率が多くても、ね」

電話の会話先の若本は343空の真の設立理由を理解しており、どちらかと言えば『若手』寄りの立場を圭子に示した。親友であるが、坂本の最近の問題行動に頭を悩ませているのがわかる。

「カールスラント空軍に第44戦闘団があるでしょう?美緒を始めとする古参の多くは、それと同一視してるんでしょう」

「あ、ああ〜……」

第44戦闘団。カールスラント空軍のアドルフィーネ・ガランド直轄の精鋭部隊で、エースしか配属されていない事で著名で、バルクホルン、ミーナ、ハルトマンのこの時代における原隊でもある。それを343空の結成に参考にしたという評が古参の間にあり、前線から優秀兵を引き抜いて弱体化させているのだという悪評が存在した。そこの部分に圭子は気づいた。

「それと、美緒は自分の経験から、教育と実戦はあくまで、離れて行うべき事って思ってるフシがあるんですよ」

「と、いうと?」

「ほら、扶桑海事変の時は部隊教育が終わってない俺らを前線に送り込んだでしょ?上の連中。それで大勢の仲間が死んだ。あんた達が動いてくれなきゃ、もっと大勢が死んだ。だから、あいつは『後方で充分に育ててから、前線に出すべきだ』って考えるようになったんです。343空みたいに、『実戦部隊で鍛える』のは『自分達の時代で終わりにしたはずの愚行』にしか見えなかったんでしょうね。それが、宮藤を実戦の中で鍛えたのは皮肉なもんだけど、若い連中からは陰口叩かれてます。『二枚舌野郎』とか、『負け戦知らない老害』って」

坂本が1944年冬以後に評判を落とした理由を、若本は自分なりに圭子に説明した。『持論を振りかざしながら、結果的に、それと矛盾する行為を、恩人の娘に対してした』事が、持論の説得力を薄め、坂本の思惑を知らぬ若手から、『二枚舌野郎』、『負け戦を知らぬ老人』と煙たがれていると。


「あいつは結果的にしろ、俺や西沢みたいに、末期のリバウ航空戦を知らないまま、501に転出していった。それに新人の頃は俺と、若手時代は西沢や醇子と組んでたから、『未熟な僚機』と組んだ事が無いし、リバウ末期から現れた『超重爆』との交戦経験もあまりない。あいつは昔のあんた達がやったように、格闘戦で全てを倒せるって誤解してるから、銃器は牽制用としか思ってない。巴戦に傾倒したのは、『あんた達に憧れたのと、若いころの新鋭機が縦の空戦に脆い零戦だったから』かな」

「だろなぁ。大いに心当たりがあるわ。こっちに来れない?理由なんて、いくらでも作ってあげるから」

「半年待ってくれ。今はこっちで治療中でさ。当面は入院の必要があるんだよ」

若本はこの時期、あがりを迎え、戦士としての寿命を終えていた。だが、若本ほどの逸材を手放す事は惜しく、軍が『若返りと、ミッドチルダの研究で得られた医療を受けさせた』のが、彼女の口から語られた。

「お前も大変だな」

「俺は現場叩き上げで、美緒や醇子みてーに兵学校で士官教育されたわけじゃねーから、引退しても、嫁さんになるしかない。俺はそんなの嫌だから、軍の誘いに乗ったのさ」

「なるほどねえ。それと、坂本はなんで、現役の頃に紫電系統嫌ったの?若い奴らの陰口聞いてると、その辺が出てくるのよ」

「飛行特性があいつの好みの特性じゃ無かったせいじゃ?紫電は『格闘も出来る重戦』がセールスポイントだったからな。紫電は、紫電の頃に空戦フラップの不具合が多かったし、単騎空戦の技量に傾倒してた古参に受けが悪かった。それに重戦に傾倒した若い奴らが反発しただけさ。烈風の件も、ちょうど美緒や藤田さんの提言が出された時と、誉の不具合が分かる頃がバッティングしたから、悪しに言われてるだけさ。今、軍の現場にいるが美緒だから、スケープゴートにされてるのさ。かわいそうな奴だよ」

親友らしく、坂本を擁護する若本。実際、坂本と同時期に烈風の開発に悪影響を及ぼしたレポートを提出した藤田少佐は、この頃には軍の事務方に退いており、実戦部隊に近い立場にあった坂本が槍玉に挙げられている面が大だった。

「あいつはどうなると思う、若本」

「あいつは頑固だからなぁ。若い奴らからは好かれないだろう。だけど、理解者が必要なのさ、あいつには。たとえ、政治的に対立しようが。話せば分かる奴だし」

若本は電話の最後に、そう言った。理解者が必要だと。それを三羽烏は徹底したが、周囲の状況もあり、坂本とは後年、政治的対立から、距離ができてしまう。それが坂本の後半生の不遇に繋がる伏線になるのだ。それを若本は薄々と感じていたのかも知れない。







――64戦隊の空戦は数カ所で行われた。宮藤達が州都北部、黒江達が州都直上、第3方面が南部だった。64戦隊の実戦で活動する班をほぼ、フル動員させた武子だが、B-36が繋ぎである事に唸っていた。

「これで繋ぎですって、智子」

「ええ。後ろに『B-47』、『B-52』が控えている以上、コイツは単なるリリーフピッチャーよ」

武子は、空軍戦術偵察部隊所属の彩雲が撮影した飛行中のB-36を捉えた写真を片手に唸る。確実性を期し、モノクロ写真であったが、B-36の雄大な巨体がよく写っている。B-29が小型機に見えかねない巨体、新技術のジェットエンジンを4基、補助機関として搭載する姿。時代の技術相応の機体と言える。

「どういう事?」

「この時期、ジェットエンジンは実績を積んでいるレシプロに比べて敬遠されてたのよ。だから、推進力不足に悩んでたB-36の補助機関に選ばれた。だけど、その頃にはジェット戦闘機が普及し始めていたから、実戦投入は『されていない』はずだったのよ」

「なるほど。レシプロ機がまだ大勢を占めてるこの世界では、ジェット戦闘機を持つ地域でも、撃墜のリスクは低いと見たわけか」

「私も、向こうで受講した講義の受け売りになっちゃうけど、こいつの調達価格はべらぼーに高いとか。正確な記録が連邦にもないけど、空母が二隻作れちゃうとか言われてる。高度な兵器は値段が高いってオマケがつくから、今で言うと、『超弩級戦艦』みたいなもんよ」

戦艦はこの時代、高度化が極限に達したが、同時に高価格化も進展し、超弩級戦艦の時代を迎えると、小国が持てないほどになったとされる。この時代になると、世界トップ10に入る国でしか、戦艦の艦隊規模の運用は不可能になったが、B-36も同様のケースである。

「アメリカでも持て余した兵器、か。それを敢えて作る意義はあるのかしら?」

「ストップギャップって奴じゃ?ジェットへの抵抗感、この時代は結構あるし」

智子と武子はB-52の技術情報を有するティターンズが敢えて、過渡期の産物であり、アメリカ空軍でさえ持て余した『B-36戦略爆撃機』を作った意味を探り、彩雲隊の写真と、未来から取り寄せた図鑑などの書籍相手に、にらめっこする。ミッシングリンクを考慮したのだろうか?それはティターンズの当事者にしか分からない事だ。

「うーん……」

執務室で悩む二人。第三方面より『数機の新京への突入を許した!』と急報が入り、二人がスクランブルするのは、それから20分後の事。武子が智子と隊列を組むのは数年ぶりであったが、往時同様のコンビネーションを見せ、智子に『デスクワークで鈍ったと思ってたわ』と言われると、『こう見えても、扶桑海の隼よ?数年のデスクワークくらいで衰えないわよ?』と返し、武子の長年の鍛錬を忍ばせたという。また、智子との長年の関係も改めて周囲に認識させたという。





――武子はその後も江藤敏子の系譜を継ぐ将校として、空軍の発展に尽くし、80年代後半の退役時には、空軍中将にまで登りつめる。退役から10数年後の99年の冬に心臓発作で死去した際には、生前の国家への功から、閣議決定された国葬となり、葬儀委員長を時の総理大臣が努めるほどであった。退役した軍人でありながら、国葬になった史上初のケースであることから、西暦2000年の正月の新聞記事で『空軍黎明期を支えた女傑』と見出しがつけられ、往時の活躍が振り返られる事になる。彼女のウィッチとしての立場は、2003年に孫娘の『加藤美奈子』が受け継いだとの記録が残された。また、見送った三羽烏の手で、彼女が後半生、娘一家と暮らした邸宅の仏前に愛機であったキ43の模型が飾られた他、三羽烏が存命中の期間、彼女らにより、墓前に常に花や線香が手向けられていたという。



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