ディジェネール地方では珍しい草原地帯。
 そこで度々休憩を取りながら、私と背中の大剣、神剣となったアイドスは旅を続けていた。

 途中空を飛ぶ間に巨大な鳥や睡魔族に襲われたが、アイドスの指南もあって退けることができた。
 空気中の水分に魔力で干渉し、猛吹雪によって極低温を現出させる冷却系魔術、氷垢螺の吹雪で一掃。
 残った敵はアイドスが封じられた大剣で斬り伏せていく。
 しかしここで問題が浮き彫りになる。
 私は確かにサタンの知識は継承したが、経験は継承できていないということだ。

 戦闘の知識はある。
 魔術は、自分を起源としたものは別にして、信仰心が必要な神聖魔術。
 または、精霊との契約で成り立つ精霊魔術は今は扱えない。

 しかし外部の力に寄らない秘印術ならば“魔の神”というだけあって感覚を即座に掴めた。
 アイドスの助言でそれこそ最上級クラスであろうと扱えるようにはなっている。

 後先を考えなければ、唯一神に比肩する悪魔の王《サタン》の力を顕現。
 神威の具現たる、禁呪“遊星召喚”さえ可能だろう。
 ……仮にも魔の名を冠する者が“魔の法”を使えないでは笑い話にもならないからな。

 まあ、それはいい。
 目下私にとって課題となり得るのは、圧倒的に戦闘経験が足りないこと。
 当然、空戦も陸戦も。

 今はまだいい。
 周りにいるのは私よりも格下の相手ばかりなのだから、魔術の力押しでどうとでもなる。
 だが自分と同格の相手。
 それこそ女神の体を得たセリカ・シルフィルと戦うことになった場合、果たして私は飛燕剣に対抗できるだろうか。

 だからこそいくつか対策を考えてはみた。
 例えば、アイドスはかつてこの危険な地を一人で旅していた。
 だから、いくら争いを無くすとはいっても戦ったことが一度もないということはないだろう。

 ならばアイドスに教えを請うのも一つの手。
 しかし、神核と分離して肉体を構成できない以上、せいぜい魔術の使い方を聞くのが精一杯だ。

 では、と自分の知識の中に何か使えそうなものはないか思い起こす。
 私の記憶は“名も無き世界”の中で得た魔術と剣術の知識。
 それから、自分で経験したこととアイドスのもの。
 一部サタンの記憶も受け継いでいるが、曖昧で役には立ちそうにない。
 しかしその中に、空中戦が出来て剣術を教えられるであろう者がいた。
 
 ――堕天使ラーシェナ。

 私と同じ黒い髪を頭の後ろで纏めて、馬のしっぽのようにしている女の堕天使。
 黒色が好きなのか、纏う甲冑も愛用している湯呑の色も黒。
 そして肝心の剣の腕は、天界でも随一であったようだ。

 しかし、現在彼女がどこにいるのか分からない。
 未だ魔界にいるのか。
 それとも誰かに召喚されてディル=リフィーナにいるのか。

 もしも召喚されているのならば、魔神としてその名を聞くことがあってもおかしくはない。
 だが、何れ会う可能性はあっても今すぐは無理だろう。
 それにいきなり魔神に会うのは一種の賭けだ。

 当面は襲いかかってくる魔獣を相手に、知識とアイドスの助言から戦い方を模索していくしかない。
 自分と同格クラスに会えば逃げる。
 できれば、経験を積むまでは出会わないで済むのが一番いいのだが。





 リブリィール山脈――勅封の斜宮から東に向かうと、その雄大な姿を見ることができる。

 乾燥地帯であるためか、植物はあまりなく、切り立った崖や巨大な岩石が並ぶ険しい場所だ。
 遮蔽物など全くないので隠れる場所も当然ない。
 魔獣と連戦になってはたまらないと、麓にたどり着いた後、地面を歩いて進むことにした。

 徒歩での移動となると、いつ崩れるとも知れない地面を歩くことになる。
 当然、吊り橋こそ架かってはいるが、場所によってはそれすらない。
 谷に挟まれた離れた足場を飛んで渡る必要のある場所もあり、経験のない人間が越えるにはあまりにも厳しい。

 もちろん、それだけではない。

 自然の脅威もそうだが、アイドスによればここは長命な竜種の住処ともなっているらしい。
 中でも空の勇士と呼ばれる竜族の戦士は魔神に匹敵する力を持っていて、とても人間が対抗できるような存在ではない。

 とはいえこんな所で立ち止まっていても仕方がない。
 そう考え、私は山脈を越えることにした。

 しばらく、高山性の植物が僅かに生えた岩の上を歩く。
 空気が薄くなってきているようだが、魔神であるこの身には影響などはない。
 それから岩の段差を二つほど越えた辺りで、私はアイドスから呼び止められた。

『近くにお姉様の魔力を感じたわ』

 彼女の言葉に通常のルート――といっても道などないも同然なのだが――離れて近場の高台に向かう。
 ガラガラと、歩くごとに岩が崩れるたび、アイドスが何やら喚いていたが、気にしないことにした。
 彼女に言わせれば私はボケボケなのだそうだ。どういう意味だろうか?

 高台にたどり着いて、魔術で強化するまでもなく、大渓谷に架かる吊り橋の向こう側に、その姿を捉えることができた。
 炎のような紅い髪は相変わらず健在。
 初めて見たころよりも更に魔力は強くなっているようだが、同時にどこか焦燥を感じているようにも見える相貌。

 女性用の神官服を着ているが、あれはおそらく勅封の斜宮でミイラと化していた人間のものだろう。
 顔の作りはアイドスに似ているが、やはり違う。
 そう思うことができる自分に少し驚きつつ、何故こんなところに……と思う。
 アイドスは何か納得したような雰囲気を出し、感覚を共有しているせいか悲しみにも似た感情を抱いているのが分かった。

 ――視線が会う。
 警戒はともかく少なくとも敵対心は持っていない。

「お前が、セリカ・シルフィルか?」

 私の問いにあの男はどう答えるだろう。
 無言か、それとも肯定するか。
 しかしそれはできれば出会いたくなかった乱入者によって聞くことはできなかった。

「ほぅ、セリカ以外に強大な魔力を感じて来てみたはいいが、まさか我と同じ、否それ以上の魔神とはの。下手をすれば女神に匹敵しておるのではないか」

 腰まで届く絹糸のような美しい青い髪。
 露出が多く、引き締まった肢体が際立っている。
 そして艶やかさ以外に、本人の雰囲気がそうさせるのか凛々しさを感じさせる衣装。
 内包する魔力は途方もなく、サタンを吸収した私ほどではないにしろ、並みの大きさではない。

『――地の魔神ハイシェラ』





「御主、何者だの? 御主ほどの力を持った魔神を我は知らんだの。
 空の勇士だけなら放っておいたが……御主が女神の肉体を狙うというのなら、今のセリカでは少々荷が重いか」

 高まる魔力に大気が揺れる。
 完全に敵とは認識されていないようだ。
 しかしどうやら、セリカ・シルフィルはこの魔神のお気に入りだったらしい。

 表向きは、女神の肉体を狙っているように思われる。
 事実そうなのだろうが、それだけではない。
 私がアイドスに惹かれたように、彼女もセリカ・シルフィル自身に興味を持っているのが感じ取れる。

 地の魔神ハイシェラ――アイドスの記憶の中、正確にはセリカ・シルフィルの記憶。
 ディジェネール地方のニアクールという名の遺跡が、彼らの出会いの始まりのようだ。

 そこから窺える彼女の性格は、残虐。
 立ちはだかるものには容赦せず、力を求めることに貪欲。
 しかし、戦うにしても真正面から正々堂々という誇り高い面も持っている。

 ただ、慈悲を存在の本質にし、争いを無くそうとしていたアイドスにとっては苦手だろうと感じた。
 他ならぬ、騒乱を起こす根源のような存在なのだから。

 私自身は、というと……実のところ、どう思っているのかよく分からない。
 そもそも興味を持った他人が、サタンとアイドス以外にいないのだ。
 ただ、嫌な感じはしなかった。今は会いたくなかったというのも事実だが。

「……女神の体に興味はない。私が欲しいのは、その男、セリカの魂と融合している私の連れの神核だ」
『……ルシファー、最悪の場合は逃げることも考えてね』

 言われるまでもない。
“戦い”にはなるだろうが、そこまでだ。
 本気を出されれば、今は勝てないだろう。
 僅かに憂いを含んだアイドスの言葉は、どうやら私以外には聞こえていないらしい。
 宙に浮かんだハイシェラは私の眼を見つめたまま。

 吊り橋の向こう側のセリカ・シルフィルは、苦い顔をしている。
 背中に斜めに背負った剣、その柄に手を置きながらも戸惑いは隠せないようだった。
 だが――

「俺の魂と融合……。分離させたら俺はどうなる……?」
「心当たりがあるのかの?」

 ハイシェラの問いには答えず、セリカ・シルフィル――セリカは柄から手を離す。
 それを見たハイシェラも取りあえずは魔力を霧散させたようだ。

「分離するには膨大な魔力が必要。それから融合した魂を切断するのだから対象者には激痛が伴う。
 加えて、儀式が終了した後しばらく私が無防備になるが……」

 見つめた意図を正しく捉えたのか、

「だからといって我がお主を守る理由はないだの。それより、誰の神核かも告げずに――」
「女神アストライアの妹、女神アイドスの神核だ」

 言葉を遮るように私は告げる。
 ハイシェラは一瞬目を細めたが、やがてさも面白い玩具をみつけたといわんばかりの笑みを見せた。
 セリカは、自分の恋人に妹がいたことを驚いたのか。
 あるいは心当たりが恋人の妹であることに驚いたのか。
 一瞬目を見開き、しかしすぐに険しい顔になり、

「……俺にはやらなければならないことがある。だから死ぬことはできない。
 俺の条件は一つ、決して俺を死なせないことだ」
「約束する。お前は死なせない」

 眼を一度閉じると、何かを決意したように一度首を縦に振り、彼はハイシェラの方を見上げた。

「やれやれ、我も大変な小僧に興味を持ってしまったものだの」
「それは了承の言葉と捉えてもいいのか?」

 言葉には出さず、頷くことで地の魔神は返してきた。

『……興味を持った小僧っていったい誰と誰のことなのかしらね』
『何か言ったか?』
『いいえ、何でもないわ』

 自分の神核が、思ったより早く、それも争うことなく戻る。
 にも関わらず、あまり嬉しくなさそうなアイドスを訝しむ。
 しかし、何度聞いても何でもないの一点張りだ。
 仕方なく私はそのまま分離のための準備に入ることにする。

 何だろうか、この何ともいえない感覚は。
 神核を取り戻せば、取りあえずアイドスの存在が私の知らないところで消えるようなことはない。
 そう思うと、胸の奥が何か温かいもので満たされていく。
 だがセリカに対してはその感覚とは別の、苦しみにも似た何とも表現し難い感覚を抱いた。
 神核が壊れていない以上、おそらくアストライアの精神はアイドス同様に何処かに存在しているのだろう。

 しかし、現状を生んだのは間違いなく、他ならぬアイドスだ。
 そう考えると、いつの間にか奥歯を噛締めている自分に気付く。
 そんな今まで感じたこともない、複雑な感情の波に襲われたからだろう。
 私は何の説明もせず、魔神ハイシェラがいつの時代から存在していた魔神か考慮しないで――
 ――消していた十二枚の漆黒の翼を、広げてしまった。

 瞬間、ハイシェラがその大地を震撼させるような魔力を解放した。

「退け、セリカ!」

 怒声と共に先ほどまで浮かべていた笑みがかき消える。
 私が気付いたときには、ハイシェラはすでに戦闘態勢に入っていた。
 顔には、代わりに焦りが浮かんでいる。

「御主、よもや熾天魔王とは……アストライアどころの騒ぎではないだのッ!」
「待てハイシェラ、その男に敵意はない!」

 聞く耳持たずと言ったところか。
 いや、そもそもまだ興味がある程度の認識しか持っていない存在の言葉など、この傍若無人な魔神が聞き入れるはずもない。

 ハイシェラは腰の剣には触れず、両手に青い光を放つ魔力を収束させている。
 純粋魔力攻撃、エル=アウエラの予備動作。

 舌打ちを一つ。私はそのまま空に飛び立つ。
 爆発によって生じた煙に視界が遮られる。
 煙が視界を完全に覆う直前、その合い間から、吊り橋が落ちる寸前で対面の崖に飛び移るセリカの姿が見えた。





 ――煙が晴れていく。

 迂闊なことをした自分に舌打ちしながらも、急ぎ神剣アイドス・グノーシスを正面に構える。
 真っ先に私が確認したのはセリカの安否だった。
 吊り橋が落ちる前に対面の崖に飛び移ったのは見えた。
 だが死にはしなくても今ここで見失えば、次に出会うのがいつになるか分からない。

 しかし、よそ見をしていていいような状況に私はいない。
 煙で姿こそ見えないが、ハイシェラの放つ威圧感は未だに感じ取れる。
 身体能力はともかく、戦闘経験の差からいえば一時の油断が命取りになりかねない。

 ――汗が頬を伝う。
 感情が希薄な私でも、緊迫感というのだろう。
 そういった感情は持っているようだ。

 そうして私は、改めて先ほどのハイシェラの攻撃を思い返した。
 あれは純粋系の中でも上級に位置する魔術。
 ――どうやら本気らしい。

『ルシファー、左よ。来るわ!』

 アイドスの言葉に気を引き締める。
 大剣とはいえイメージほど重量はない。
 魔神であるこの身でなくとも、扱うのはともかく片手で持つ分には大したことはないはずだ。
 ……それが、やけに重い。

 煙を切り裂いて突き進んできた青の魔力球をアイドスの言葉に従って避ける。
 神剣を片手で持ち、精神速度すら強化可能な強化魔術、戦女神の付術を唱えた。
 その間に煙が完全に晴れ、

「ただの魔神ならともかく、熾天魔王を信用しろというのは話が別だの。
 第一、セリカが我以外に膝を屈するなど」
「女神の体に興味はないと言ったはずだ。
 神核さえ取り戻せれば、後は私には関係のないことだ。好きにすればいい」
「その言葉が本当かどうか、戦ってみれば分かる話だの!」

 リブリィール山脈上空。
 地の魔神は山の頂に立ち、私は上空に静止して相対す。
 互いに纏う黒と青の魔力流――その影響で大気が震える。
 私の両手には神剣アイドスが。
 ハイシェラの手にはいつの間にか無骨な片手剣が握られていた。

『魔神ハイシェラにしては直情的過ぎるわね。
 それほどまでにセリカ・シルフィルのことが気に入ったのかしら』
『どうだろうな。もしかしたら、いや、本人も何故なのか分かっていないのかもしれないな』
『それは経験談?』
『……そうだ』

 アイドスとの心話による会話。
 その間に視界の端、高台の上に立ち、こちらを見上げるセリカの姿を捉える。
 空も飛べないというのに、あれだけの攻撃魔術を私同様無傷でやり過ごしたらしい。

 アストライアが本気ではなかったとはいえ、切り結んだだけのことはある。
 ただの人間なら死んでいたはず。
 その能力は本物といったところか……あるいは女神の加護か。

「よそ見とは余程自分に自信があるようだの!」

 セリカの方に視線を向けた私の行動を隙と取ったのか、ハイシェラは牽制の魔力弾を数発。
 地面を強く蹴って空中に躍り出ると、剣を片手に突っ込んできた。

 一、二……三、四、五。
 全部で五発の魔力の塊。
 その全てが並みの相手であれば必殺に値する。

 私は同規模同数の氷弾で迎撃。
 強化魔術の分威力が上だったのか、突き破って消えずにハイシェラに向かっていく。

 しかし、ハイシェラは何でもないかのように剣を一振り。
 向かってくる氷の刃に乗るという離れ業を遣って退け、更に彼我の差を詰めてきた。

 一閃――ハイシェラの鋭い斬撃を受け止め、二閃、三閃と打ち合いを続ける。
 だが長年戦い続けてきた魔神との間には、技量に確かな差があるようだ。
 次第に押され始めた私は一度体制を整えるため、ハイシェラの渾身の一撃を逸らし、その場から更に上空へ離脱する。

 一方ハイシェラは、再び手近な足場に着地した後、こちらの姿を確認したようだ。
 握った剣を見つめながら訝しげな顔をしたが、すぐに鋭い目つきに戻り何かの魔術の詠唱に入る。

 ……どうやら、自身に強化魔術をかけているらしい。
 展開された魔術陣の色から見て地脈系の魔術。
 私が今扱える属性外なので効力は分からない。

『おかしいわね』
『何がだ?』
『いえ、本来の彼女より弱い気がする。魔術の威力はともかく、動きの速度が。それに強化の魔術なんて彼女はかけないはずなのに』
『戦ったことがあるのだったな』
『……ええ、邪神と化していたときに一度』

 言われてみれば確かにそうだ。
 速度については、相対するのが初めてな私には実感できない。
 しかし少なくとも、強化魔術など使いそうな性格ではないように思える。

「……誰かと戦った後か?」

 いつの間にか口にしていたその言葉に、自然と私の視線はセリカがいるはずの地面に向かう。
 そしてもう一人可能性がある存在がここにはいるが、その者はどうやら山脈の頂上付近で静観する構えらしい。
 ――今は手を出すべきではないと判断したのだろうか。

「別に大したことはないだの。手合わせ程度の戦いでしかなかった故、お主を地に落とすだけの力はあるだの」

 聞こえていたのか、口元を愉悦に歪めていた。
 ハイシェラは語り終えると同時に魔力弾を見当違いの方向に放つ。
 あれは私が熾天魔王ではないということに気付いたが故の笑みではないのか?
 そんなことを考えながら魔力弾の行方を辿る。
 するとその射線上にあった岩山の一つに当たり、山は砕けてバラバラになった。

「我は地の魔神。だが、地上で地面を操って戦うだけでは地の魔神は名乗れないだの」

 砕け散った岩石がその言葉と同時に見る間に巨大化していく。

「我を楽しませてみせよ!」

 ベーセ=ファセト。
 本来であるならばそれは、先史文明期の機工地震を召喚し、それに魔力を上乗せして巨大地震を引き起こす魔術。
 だが今回は、機工地震召喚に必要な魔力を岩の巨大化に用いて、対空用の方法を取ったらしい。
 この場合、その縦横無尽な岩の動きで相手を混乱させ四方を囲む。
 そして魔力弾分の威力が上乗せされた、鋭く尖った岩石を叩きつける秘術となる。

『……まずい、わね。これでは逃げることすら儘ならない』

 ハイシェラの左手の一振りで、巨大な岩の槍は進撃を開始する。
 ハイシェラが手を振るたび、岩の軍勢は動きを変え、飛びながら避け続ける私を囲み始める。
 迎撃するにしてもここまで動きが激しいとそれも難しい。
 ならば空間ごと破壊するしかない。
 ……私は、賭けにでることにした。

『力を借りるぞアイドス』
『……今の私で果たしてどこまでの威力が出せるか。
 でも、これではそうも言っていられないわね』

 アイドスの指示に従って避け続ける。
 その間に、大剣を両手から右手に持ち替え大規模魔術の詠唱に入る。

「凍れ……」

 ユン=ステリナル。
 先史文明期の機工冷気を召喚。
 私自身と神剣アイドスが有する魔力を反応させることで、対象の付近にほぼ絶対零度を現出させる氷結系の秘術。

『止まりなさい!』

 周囲との温度差によって霧が生まれる。
 ハイシェラは浮かべた笑みを崩さぬまま、ただ何かを期待するようにこちらを見ている。
 やがて岩の周囲に青の光が生まれ、そして地面に佇むハイシェラをも巻き込んで、全てが氷結した。

「……」

 訪れる沈黙。生じた霧で見えないが手ごたえは感じた。少なくとも傷は負わせているだろう。

『ここで“やったか!”とかいうと死亡フラグなんだけど……ルシファーじゃ無理ね』

 死亡フラグとは何のことだろうか。
 アイドスは私以上にものを知っていて感心させられることがある。

「何のことか知らないが、早くセリカのところに――」

 走る衝撃に私はそれ以上言葉を続けることができなかった。

『ルシファー!』

 空から落ちる寸前に私が見たのは、無傷のまま不敵に笑う地の魔神の姿だった。



 墜落、そして激突。

 土煙の上る中、背中に痛みを感じる。
 どうやら蹴り飛ばされたらしい。

 アイドスは、と確認して、すぐ目の前の地面に投げ出されていることに気づき安堵する。
 立ち上がって近づき、右手を伸ばす。
 視界がぼやけたが、気にせず手に取る。

 その時になって腕から血が流れているのに気付いた。
 後で治癒しなければ。

 神剣を手にとって――そこで漸く浮かんだ疑問はいつ攻撃を受けたのかではなかった。
 いったいどうやって、ユン=ステリナルを防いだというのだろう。
 攻撃の瞬間など、霧に紛れていたのならばいくらでも奇襲は可能だ。
 しかし、同じ魔神が行使した氷結系の最大魔術を受けて無傷はあり得ない。

「流石に無傷とはいかなかったが、我が予め行使していた“地脈の抗体”が利いたの」
『……肉体再生付与』

 私の疑問に答えるように、重力を制御して地に降り立ったハイシェラはそう、面白そうに告げた。

「何はともあれ続きを始めるかの。まだ、戦えるのであろう?」

 その顔を見て確信する。
 今の彼女は当初の理由など忘れている。
 私がサタンではないことなど、その戦闘技術が自分より劣ることに気づけばすでに分かっているはずだ。

 それでも戦おうとする理由は一つ。
 単純に戦うことが楽しくて仕方がないのだろう。
 その感覚は分からないが、何かに執着する気持ち。
 それならば、アイドスに出会った今の私には少しだけ分かる。

「では行くぞ!」

 咄嗟に剣を構え受け止め鍔迫り合いに入る。
 しかし体制がまずいため、このままではじり貧だ。

 意識が朦朧とする。
 傷は腕だけかと思ったが、どうやら少し頭から出血していたらしい。
 力押しでいけると思ったのか、ハイシェラは一度刃を弾き、再び唐竹から魔力が込められた剣を――

「止めろハイシェラ」

 その一撃は私に届くことはなかった。
 その前に、とっさに割って入ったセリカによって受け止められていた。





 乾燥した空気の山岳地帯を包み込む静寂。
 やがて均衡を先に破ったのは魔神ハイシェラだった。

「セリカ、今はお主と戦うつもりはないのだがの」
「俺もそんな気は更々ない。だが、これ以上無駄な争いをするのは止めろ」
「無駄ではないだの。そやつの力を取り込めば我の力はさらに増す――だが」

 目を閉じて口元に僅かに笑みを浮かべた魔神は、首を横に振ったかと思うとセリカの剣を弾いた。
 そのまま背中を向けて自身の剣を腰の鞘に納める。

「興が殺がれた。どうやら、古の魔王そのものではないようだしの。……一応名を聞いておこうか」
「……ルシファーだ」

 ハイシェラは顔だけを向け、私を見てニヤリと笑う。

「どういう経緯か分からんが、その異質な気配と十二枚の翼、かの魔王の魂を持っているのだけは確かだの。ふむ、ならば……」

 散乱する岩石の一つに腰掛け、彼女は足を組んだ。
 必然的に見下ろされる形になったが、それが妙にこの女に似合うのはなぜだろうか。

「お主がその名に恥じぬように力をつけた時に、もう一度戦おうか。それが、お主を護衛する条件だの」

 ハイシェラは本当に楽しそうにそう告げ、しかしどうかしたのか、一瞬顔を顰める。

「どうやら招かれざる客が近づいているようだの。アレの相手は我がする故、さっさと儀式を済ませよ」

 自由奔放な魔神はそういうと、一度だけセリカの顔を見て、南西の方角に飛び去ってしまった。
 後に残されたのは唖然としたままのセリカと私、そして溜息を吐くアイドスだけだった。




 
 回復魔術を唱え、傷を癒す。
 私は治癒女神イーリュンを信仰しているわけではないので、上位のそれは扱えない。
 しかし四肢のどこかを失ったわけでもないので、中級魔術で十分だった。

 周囲の見張りに出向いていたセリカが戻る。
 彼は岩の上に座った私の隣に腰を下ろしたところで、アイドスの了承を得た上で全てを話すことにした。

 アストライアとアイドスの関係。
 邪神となり多くの人間を汚染してしまったこと。
 バリハルトと結託し、アストライアをセリカ自身の手で殺させたこと。

 そしてアイドス以外に初めて私自身のことも話した。
 自分のいた場所と、もとは何者だったのか分からないこと。
 熾天魔王サタンの魂と融合したこと。
 ――アイドスの叫びが聞こえ、そのあり方に惹かれてこの地に墜ちたこと。

 人の身でありながら神の肉体を得たが故に、きっとこの男は多くのことを置いていくのだろう。
 それでもアイドスだけでなく、なぜかこの男にも知っていてほしいと思った。
 それは先ほどの借りを返すためだったのか。
 あるいは神殺しであるが故に、これから先多くの苦難を私同様に抱えるであろう、この底抜けに優しい男。
 そんな彼に、何かしら思うところがあったのかも知れない。

 それから、アイドスの神核と精神の関係を説明する。
 そして似たような状態と思われるアストライアの精神もまた、消滅しないでこの世界の何処かに存在している可能性を示した。

 セリカは、アストライアの話が出たときは僅かに動揺していたようだったが、それ以外は終始無言のまま。
 アイドスも話しかけてくることはなく、私の声と風の音だけが辺りに響いた。

 その顔に浮かぶのは激しい怒りか、それとも悲しみか。
 何れにしても、私やアイドスが何かを言っても意味はないだろう。
 当事者でもなく彼の以前を知らない私ならば尚更……。

「儀式を始めよう。ハイシェラの言葉が気になる」

 話を聞き終え俯いていたセリカは、そう言って背中を見せて立ち上がった。

「……儀式といってもそう大層なものじゃない。
 ただ私の――熾天魔王の力でお前の魂からアイドスの神核だけを取りだす。それだけだ。
 だが、本当にいいのか?」
「最初は半信半疑だったが、ハイシェラを前にして尚、不慣れな戦闘を命がけで行うお前を見れば、信じるしかないだろう。
 ……元凶だというのなら、確かにそうなのだろう。
 だが、サティアはそんなことを望んではいないし、妹を救えるのなら救いたいと思うはずだ。
 それに彼女がどこかで生きているというのなら、やるべきことを終えた後は、俺はただ彼女を探すだけだ」
「そうか……なら、私が言うことは何もない」

 ゆっくりと私は立ち上がった。
 黙ったままのアイドスが気になるが、彼女は彼女で思うところがあるのだろう。
 纏めていた十二枚の翼を広げ、セリカと向き合う。

「魔神ルシファー」
「ルシファーでいい」
「……ルシファー、最後の確認だ。俺にはやるべきことがある。だから――」
「分かっている。言ったことは守る」
「ならいい。お前を信じよう」

 私はサタンの力を解放し、神剣に纏わせると、

「お前と俺はきっと同じだ。自分が、自分の力が何のために存在するのか、俺もサティアと会うまでは分からなかった。
 だからお前も、お前にとって一番大切なものを見つけられる」

 黒い魔力が黄金の輝きに変化し、剣だけでなく、私自身をも包み込む。
 翼が黒から純白へ変わっていく。
 瞬間、アイドスのものではない、別の誰かの力を感じた。
 まるで守るように、慈しむように、その力は広がっていく。
 その力はやがてセリカをも覆い尽くす。
 刹那、現れたのは私とセリカを囲む燃え盛る炎の結界。
 だが、不思議と熱くはない。

「俺はこの先、サティアにまた出会うまでに、多くのことを忘れて、感情も失っていくんだろう。
 もう、姉さんの名前すら思い出せないからな。認めたくなくても理解してしまう。
 お前や多くの人たちのことも――サティアを殺したことも……忘れてしまう」

 懺悔するように言葉を紡ぐセリカのその姿を、私は決して忘れることはないと思う。

「だから、これも何かの縁だ。俺とお前は出会ったばかり。だからついででいい。
 神核を返す代わりに、覚えておいてくれないか、俺の今の感情を」
「それがお前の望みなら、覚えていよう」
「そうか……」

 その言葉を最後に、セリカは目を閉じた。
 種族を問わず全てを魅せるようなセリカの、何かに安心したような微笑。
 それを見つめながら、私は光の帯となった神剣アイドスを、セリカの体に突き刺した――。



「ふむ、目覚めたようだの。セリカなれば、お主が意識を無くした後、我が戻ってくるのを待って旅立ったぞ。
 どうやら空の勇士と戦ったようだが、無事山を降りたようだったの。
 ――分離の方は、痛みもほとんどなかったと言っていただの」

 意識が覚醒すると共に、仰向けに寝たまま顔だけを横に向ける。
 私を囲むように円を描く柵の上に、魔神ハイシェラが座っていた。
 周りに視線を移すと、そこは壁も柱も天井も、全てが朱色に染まった神殿だった。
 台座の上に建つ天使の像さえ朱色に染まっている。

『魔力の減退もそれほどなかったわ。この分なら、その……性魔術を使わなくても回復できそうよ』

 柔らかな声に視線を下げる。
 柵に立てかけられるようにして、神剣アイドス・グノーシスが置かれていた。

「神核が戻って内包する魔力が増大したようだの。
 それにどうやら一時的に繋がりがあったセリカとも会話できるようになったようじゃ」
「本当か?」
『……少し会話を交わしたわ』
「……そうか」

 思ったより落ち着いた声だったように思う。

「翼の色は、一時的なものだったようだな」

 立ち上がり、消えていた翼を出して広げると、あの時見たのが幻だったかのように黒い翼のままだった。
 あの時感じた不思議な力も無くなっている。

『神核を取り戻す瞬間、確かにお姉様を感じた。
 それに、あの時点ではまだ神核と融合できるほど、もとには戻っていなかったのに……。
 お姉様の魂は――』

 推論を話す神剣アイドスを見ながら、私は、ハイシェラとの戦いを思い出す。
 もしもアイドスがいなければ、私は最初の魔力弾で墜ちていたかもしれない。

「――アイドス」
『何かしら?』

 かける言葉に迷いはない。
 まだそれは自分でもよく分からない感情だ。
 だが“大切なもの”という、セリカのいったその言葉に思い当たることがないわけではない。
 故にこれは、相手に伝えるためのものではなく、自分への宣誓のようなものなのだろう。
 アイドスと共に、私というモノが存在する意味を探すための。

「この先も、よろしく頼む」

 息を飲むような気配。そして、

『……ええ! こちらこそよろしく』



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