雷鳴轟く、鉛色の空。
 歪んだ空気が、泥を全身に浴びたかのような、生ぬるい気持ちの悪さを運んでくる。
 村全体が瘴気に覆われ、立ち並ぶ家々は炎に包まれていた。

 道を歩いていくと、所々に体の何処かから血を流した人間が倒れていた。
 その全てが、すでに息はなく、ここで起こった事態の悲惨さを物語っている。

 村の奥の方に進んでいくと、腐敗臭を放つ汚泥のような魔物が目に付くようになる。
 無理やりに魔力を得ようとした結果、生物を取り込みすぎて、許容量を越えた一部が“やつ”から零れ落ちたのだろう。
 元はただの肉片でしかなかったそれが、やがて生物としての意思を取り戻す。
 しかし一度やつの瘴気に汚染され、原型が分からないほどに複数の魔物と溶け合ったそれは、肉体の崩壊を免れることはなかった。
 故に魔物は人から精気を搾取し続け、このような現状を作り上げる。

 ――それだけではない。
 この魔物は人間の感情をむき出しにする特性を持つ。
 それが理由なのか、昨今ではアヴァタール諸国の上層部に不穏な動きがあるという噂を聞くことが増えてきた。

 視界に入った醜悪な魔物。
 私はそれを、神剣アイドスの一薙ぎで以て討ち滅ぼす。

 やつ――邪神オディオの行方を、己の身を鍛え直す傍らに追い続けて有に百二十年。
 何度このような光景を目にしたか分からない。
 正義云々を語るつもりはないが、これは何れ世界にとって害となる。
 ましてオディオの分体となれば、それを放置しておくわけにはいかなかった。

 一通り片付いたところで私は視線を、この村に入る前に出くわした女騎士に向けた。
 私は生まれつきの体質で。
 アイドスは青き月の光の力を借り受けているから瘴気や残念に耐えられる。
 使い魔となった空の勇士も、私がどうにかならない限り影響を受けることはないだろう。
 しかしどうやら彼女はそうではなかったようで、軽い焦燥を抱いているのが感じ取れた。
 だが、それでも大した精神力だ。
 この瘴気の中で自己意識を保っていられる人間はそうはいない。

「大丈夫か?」
「……少し厳しい。だが、弱気になってもいられん。
 レウィニアに害を成すというのならば、民のためにも排除しなければならない」

 赤を基調にした軽鎧に、それなりの業物と思われる双剣。
 金の髪を赤のリボンでツーテールに纏め、強い意志を宿した碧眼は、ただ前だけを見据えている。

「大した覚悟だ。流石レウィニアの紅き騎士といったところか」
「私はそんな大層な名を戴けるような人間ではない。それに――」

 今まで隠れていたのだろう。紅き騎士は奇襲してきた魔物に即座に対応し、二刀の連撃でもって切り伏せた。

「伝説に聞く“黒翼”と肩を並べて戦えるのだ。武人としてこれほどの誉れはない」
「……水の巫女はいったい私をどのように伝えているのだ?」
「レウィニアでは有名だな。魔神であるという事実故に忌避する者もいる。
 だが人間のために刃を振るい、巫女様とわが国の守護のために戦い続けた傑物であると。
 貴族連中と民衆は兎も角、巫女様寄りの騎士からは尊敬すらされているぞ」
「……凄まじい情報操作だな。私は確かに盟約に従って魔物の討伐を行ったが、あれはそもそも滞在する代価で――」
「だが、貴殿がレウィニアを守護していたのは間違いないだろう。
 事実がどうであれ、当時を知るものが巫女様以外にいない以上、それが真実になる」
「それはそうだが……」
「最も――」

 紅き騎士は鋭い視線を私に向けた。

「――貴殿がわが国に害を成そうというのならば、私は巫女様の騎士として戦わなければならないが」

 私が魔神だと知って尚、その目に迷いはない。
 私が行動に出れば、彼女は躊躇いなくその刃を向けるだろう。

「だが……実際に会うことで巫女様の言の正しさを確認できた。今は、そのようなことはないと感じている」
「忠義の騎士、レクシュミ・パラベルムか……。お前のあり方は好ましい」
「な、何を言っている」
「空の勇士のときもそうだったが、私はどうやら不器用な者は嫌いではない。そう感じている」
「わ、私はそ、そういう冗談は好かない」
「冗談ではないのだがな。私はただお前のような人間は好きだと言っているだけだ」

 急に動揺し出したレクシュミ。
 私は私が思ったことを言っただけなのだが、それ程変なことだったのだろうか。

『天然女誑し……』

 アイドスが散々に言っているが、いったい何だというのか。

「と、兎も角だ。私がこの村に来たのは瘴気の原因を排除するためもそうだが、水の巫女様の命を受けたためでもある。
 申し訳ないが、プレイアまで来てもらえるだろうか。巫女様が命を下すのは稀だ。おそらく重要な案件だと思うのだが」
「私がここに……いや、水のある場所は全て掌握しているわけか。……いいだろう。案内は任せる」
「承知した。貴殿の来訪、歓迎しよう」





 アヴァタール地方中域に位置している、レウィニア神権国。
 その首都プレイアは、国の北側から流れるビナール川と、東側から流れるクルト川という二つの大河の合流地点にある。
 防衛と利便性の観点から町全体に水路が張り巡らされ、何処へ行くにも必ず中央広場を通らなければならない造りになっている。
 また水の都だけあって珍しく下水道が設置されており、その衛生水準も高い。
 民衆の住む邸宅街とは別に貴族だけが住むことを許された区画があり、私がかつて住んでいた屋敷はこちら側の端の方にあった。

 ――この国家の建国は、今より三百年以上前まで遡る。

 先読みの力を得て神となった水精霊がその正体。
 そう考えられている水の巫女が、古には生き物の住めない不浄の土地であったこの地を浄化した。
 そして人々に請われ、その地を統治したのが始まりとされている。

 水の巫女はあまり人前に姿を見せることはなく、それも限られた人間にだけ。
 具体的には彼女の使徒である王族と、国家上層部の一部の貴族。
 そして、神格者になる素質があると、彼女自身が認めた人間のみ。
 だから、私のような魔神は例外といったところだろう。

 また、かつては神権国の名前の通り、土着の神である水の巫女自らが統治していたらしい。
 今はその役目を王族に代行させ、本人は人の意思を尊重する立場を取っている。
 しかしそのためか、この国の貴族は水の巫女を敬愛する神殿派。
 そして姿を見せない神の存在を疑い、自らの意志で国を動かそうと考える貴族派とに分かれてしまっている。

 個人的なことを言えば盲目に神を信仰する連中も大概だが、貴族派も貴族派で民衆のことなど考えてはいない。
 自らの意志で動かすなどというと聞こえはいいが、受けた印象からその実態はただ利権を貪るために国をいいように動かしたい。
 そのように考えている輩がほとんどだったように思う。

 当時はそのことに何の感慨も持たなかった。
 だが改めて考えてみると、シュミネリアという人間を知った私からすればそのような貴族は気に入らない。
 水の巫女はその辺り、どのように考えているのか。
 彼女も女神であることに違いはない。
 存外、物騒な見解を持っているのかもしれない。

『訪れるのは二度目だが、やはり美しい場所だ』
『そうね。ここで生きている人々は誰もが幸せそうにしている。もちろん、見えないところではそうでもないのでしょうけど』
『だろうな。だが、少なくとも他の国々よりは平和だろう』
『……そうね』

 国内に入った私に向けられる視線は様々であった。
 
 以前私がこの国にいたのは、百五十年以上前になる。
 それ故に、私の容姿を知るものなど殆ど居らず、名前が一人歩きしているような状態だ。

 翼を消しているため魔力を感じ取れない大抵の人間は、魔神と認識できてはいないのだろう。
 だが隣を歩く紅き盾の人気が絶大なのか、私に対する視線は嫉妬や怪訝という感情が多い。

 一部魔術師か冒険者の類だろう。
 人ならざる身に宿る魔力を感じ取った者は、畏怖の視線を向けていた。

 一方で、何故か好意的な感情を向けているものもいることに気づく。

 私の僅かな態度の変化に気付いたのか、レクシュミが疑問に答えた。
 曰く、彼らは先に述べた水の巫女寄りの騎士団に所属するものたちだそうだ。
 国を守っていたという事実が大きいのか、畏怖というより畏敬の念が強いらしい。
 その辺り私はあまり気にしないのだが、アイドスが嬉しそうにしていたので悪い気はしなかった。

 そうこうしているうちに、丘の上の城に辿りつく。
 外観からも分かるが、城の中央になる水の巫女の座所から流れ出る水で水路が満たされており、その美しさに目を奪われる。

「レクシュミ・パラベルムだ。この方は水の巫女様の客人である。門を開けよ」

 レクシュミの名乗りによって、門を塞いでいた門番たちが脇に身を退ける。
 先を行く彼女に従い、私も城内に入った。

 純白の内壁に、厳かな雰囲気を齎す数々の絵画や彫刻品。
 しかし所によっては鎧や武具が飾られている場所もあり、決して華美な印象は受けない。

 やがて金属で出来た杖を持つ、神官と思われる人間族の女たちが待機している扉の前に着き、

「水の巫女様の命により“黒翼”ルシファー殿をお連れした」

 神官とはいえヒトであることに変わりはないのか、好奇の視線を受ける。
 だがすぐに表情を改め、彼女たちは道を開けた。

「ここから先、私も入ることはできない。外で待機しているが、くれぐれも粗相のないようにな」
「分かっている。それと――軍神の巫女に伝えてくれるか。私はお前たちと敵対する気はないと」

 目を大きく見開いたレクシュミを尻目に、私は水の巫女の座所へ足を踏み入れた。



「久方振りだな水の巫女。あれから百五十年といったところか」
 
 私の声に反応するように、泉に囲まれた庭園の中央の台座。
 女神の像に絶大な神気を纏う水が集う。
 やがて水は美しい女性の姿を形作り、以て水の巫女がこの空間に降臨する。

「お久しぶりですね、ルシファー。壮健そうで何よりです」
「お前のほうは国内外の情勢で苦心しているようだな。まあ、その美しさは変わっていないようだが」
「水は変わらず、ただ流動するもの。違いますか?」
「その通りだ。だが――」
「――ええ……今回ばかりはただ流れに身を任せているわけにもいきません。
 水はただ流れるだけですが、時には自ら激流となって災いを駆逐する必要もあります。
 少なくともかの邪神は、その対象に値する」
「しかし、お前自身が動けば民衆に不安が生じることになる。
 それで、一度は盟約を結んだ私とアイドスに依頼したいということか」
「そうです」

 ここで水の巫女の依頼を断ったとする。
 だが断っても私に利点がまるでない。
 逆にレウィニアとの不可侵の関係を壊すきっかけになる可能性がある。
 どの道オディオを追うのだから、ここは受諾しておくのが最良。
 というよりも、ここで断るという選択肢は在り得ない。

「分かった。他でもないかつて盟約を結んだ相手の言だ。引き受ける」
「では、まずはレクシュミと共に神殺しに接触して貰えますか」

 神殺し、だと……。

「……セリカが目覚めたのか?」
「はい。白銀公からの情報ですから間違いないでしょう。あの者に関しては私よりも貴方のほうが詳しいはず。
 私は、あの者がこの世界に何らかの変革を齎すと考えているのです」
「詳しいといっても、ほとんどの情報が伝聞な上に、言葉を交わしたのもほんの一時の間。
 セリカ自身に至っては、こちらを覚えているかどうかも疑わしいくらいだ。それでもいいのか?」
「構いません。私はセリカ・シルフィルを導いて欲しいと願っているわけではないのです。
 接触した後、ただ貴方は貴方の思う通りに」

 水の巫女はいったい何を考えている?
 彼女の先見は未来予知じみたところがある。
 私と神殺しのこの段階での接触が、事をいい方に運ぶと判断したのだろうか。

「いいだろう。何れにしてもオディオを滅ぼすためには、セリカの協力が必要だとは思っていた」
「セリカ・シルフィルは今この地に滞在しています。そろそろ戻ってくるころでしょう」
「……軍神の巫女の気配がするこの町にか?」
「貴方も同じことではないですか?」

 私がアヴァタール地方を旅したのは、ケレース地方に出向いた期間を除いても、およそ百五十年。
 その間戦いになったことこそ無いが、軍神マーズテリアの騎士をこの目で見ることは何度もあった。

 その中で一目見る機会があったのが、今ではマーズテリアの聖女となったルナ=クリアだ。
 当時彼女はどこぞの戦場から帰ってきた直後だったらしく、騎馬に乗る姿を遠めに見ただけ。
 しかし、その気配は忘れることはないだろう。

 あの女の気配はどこかアイドスに似ているのだ。
 それが妙に印象深く、おかげでマーズテリア軍を避ける時に役立っている。
 だが、一方でまた何処か違うという感覚も受ける。
 現神マーズテリアの気配が混ざっているためはっきりとはしない。
 しかしあの気配はアイドスというより寧ろ、オメール山で一度だけ見た“聖なる裁きの炎”の強烈な神気に近い。
 
 一度当人であるアイドスに尋ねたことがあった。
 答えは良くわからないというもの。

 ただ、アイドス自身よりアストライアに近い。
 しかしアストライアのようでいて、やはりどこか違うというのが彼女の言。

 結局その気配の正体は分からず、しかし強く記憶には残っていた。

「それもそうだ」
「貴方は一度私の軍門に降った御し易い魔神ということになっていますので、無闇に攻撃してくることはないでしょう」
「軍門に降ったというのは癪だが、無益な争いを起こすよりはマシか。だが……」

 自然に声色が低くなっていくのを感じる。
 しかし、こればかりはどうしても譲れないことだ。

「アイドスに危険が及べば、私はそいつを即座に切り捨てるぞ」
『ルシファー……』

 巫女の表情が、微笑ましい光景でも見たかように変化する。
 本当にそれは、常人には分からない程度のこと。

「できる限り穏便に頼みます」
「善処する。……そろそろ私は戻ることにしよう。報告はレクシュミ経由でいいのか?」
「ええ、それで構いません」
「分かった。……また会う機会があるか分からないが、一応言っておく。何れまた」

 



「どのような話だったのだ?」
「お前を連れて、神殺しの人柄を探れということだった」
「なるほど、先に私が受けた御下命と同じことか」

 水の巫女の座所を出ると、言葉通りにレクシュミが待っていた。
 通りがかった貴族と思われる輩の視線が鬱陶しい。
 そのことに気付いたのか、レクシュミが私が昔住んでいた屋敷に行くことを提案する。

「老朽化が進み一度取り壊したが、今は建て直されている。元々長期滞在する客人のための屋敷であったからな」
『懐かしいわね。あの屋敷がもうないのは少し寂しいけど。……あれから二百年近く経てば当然か』
『そうやって、人間は急激に成長するのだろう。変化のない神や魔神には縁のないことだがな』

 そう、人間は成長する。
 方向性はそれぞれ違っても、同じところに留まることはない。
 それは長所でもあり、短所でもある。
 流され地に足がついていない者もいれば、自らの足で進む者もいる。
 例えばレクシュミという騎士は、後者だろう。

「お前はやはり好ましい、レクシュミ」
「と、突然なんだ」
「いや、私の好みの話だ」

 今度はなぜか怒り出したレクシュミを訝しむ。

『……もう少し自分の言葉の意味を理解しなさい』

 アイドスの助言らしきものと溜息を聞きながら、私たちはかつての屋敷に向かった。



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