木漏れ日の中を、私とエクリアは歩いていた。
 慌しくティルニーノエルフを中心としたメンフィル兵が走る中、リークメイルの土を踏んでいく。

『森の精霊が驚いているようね。あまりに多くの者たちが、森を訪れたからかしら』
「中には一柱くらい、物好きもいるようだが」

 手を広げ前に出すと、私に興味を持ったのか、淡い光を放つ何かが近寄ってきた。
 緑の髪を揺らして掌に降り立ち、不思議そうにこちらを見ている。
 背中の白い羽は、リウイの使い魔であるミストラルに似ているが……。

「それは、風精霊?」
『……その子、多分パズモと同じ守護妖精メネシスの末裔よ。何でこんなところにいるのかしら?』

 メネシスという言葉に、エクリアが訝しげな顔をする。
 それに気付いたアイドスが、古神の時代から存在する高位守護妖精なのだと説明すると、僅かに驚いた様子だった。
 そんな中、守護妖精は何をするでもなく私の掌に座ってしまう。

『……随分警戒心が薄いわね。人見知りの激しい種族だったと思うけど』
「パズモはそんな感じだったな」

 身体を左右に揺らしながら、時々微笑んでみたり、怒った様子で頬を膨らませてみたり。
 言葉を発することはできないのか、随分と忙しなく表情を変える妖精。

「……かわいい」

 そんな呟きに、私はそっとエクリアに視線を向けた。
 微笑ましいものでも見るかのように、穏やかな表情でいるエクリア。
 口元は緩み、私と刃を交えた“姫将軍”と同じ人物とは思えない。
 だがこれが彼女の本来の姿なのかもしれない。
 呪いと王族という枷から解き放たれた、彼女本来の――

「な、何を見ている!」
「いや、それがお前本来の姿なのかと思ってな」

 顔を朱色に染め口を開きかけて、何が恥ずかしいのか俯いてしまった。
 そんな彼女を不思議に思いながら、私は守護妖精に視線を戻すと、いつの間にかいなくなっていた。
 逃げてしまったのだろうか。

『他の精霊たちに掛け合って、フェミリンスの神殿までの結界を解いてくれるらしいわ』
「それは本当か?」
『本当よ。どうやら私たちは気に入られたみたいね』

 アイレ・メネシス。
 アイドスに聞いたところ、それが彼女の名前らしい。
 しばらくその場で待っていると、風を切る音と共にアイレが戻ってきた。
 掌を差し出してやると、余程気に入ったのか飛び乗ってくる。
 ミストラルより更に小さく、林檎一個分程度の大きさしかないため、重くはなかった。

『ここからもっと森の奥に入り込んで、木々の間を抜けた先のようね。
 どうやら姫神の系譜が近くにいないと、精霊たちが邪魔をして発見できないようにしているみたい』

 依頼してから大分経つが、発見できなかったのはそういうわけか。
 食料費や人材費が嵩むだけで、全く結果が出ないとリウイがぼやいていたが、これは黙っていた方がいいかもしれない。
 掌から飛び立ってくるくると私たちの周囲を回り始めたアイレを見ながら、そんなことを思っていると、

『彼女、エクリアの使い魔に成りたがっているみたいだけど』
「……そうなの?」

 飛び回っていたアイレがエクリアの肩に座る。
 エクリアが手を伸ばして髪を撫でると、気持ち良さそうに目を閉じた。

「良いのではないか。特別害はないようだし、守護妖精としては間違いなく最上位だ」
「……しかし、私などが使役して良いものだろうか」
「それを決めるのは、お前では無く彼女だろう。構わないという意思を伝えてきているのだから、その意を組んでやったらどうだ」
「そう、だな……」

 釈然としない様子ながら、エクリアはアイレを使い魔として迎え入れた。
 いつかパズモと出会うことがあれば、紹介するのもいいかもしれない。





 精霊たちがさざめく森を抜け、開けた場所に出る。
 そこに現れたのは、これまで見た中でもあまりに小さ過ぎる祭壇であった。
 色褪せた煉瓦を敷き詰めただけの南方にある壁と柱。
 とてもレスペレント最大の秘事を伝えている唯一の場所とは思えない。
 しかしエクリアは何かを感じ取ったのか、じっと祭壇の壁を見ていた。

「既視感、というのだろうな。私はこの場所を知っている気がする。
 いや、これは母リメルダより以前から続く記憶なのかもしれない」
「……魂に刻まれた記憶か。ならば、ここで間違いは無いということだな」
「そうなる。……壁の文字……これは、古代魔法語か」
「碑文が崩壊しないように、魔術がかけられている……。
“今解き表したまえ、姫神の系譜の者、永き伝説はその掌に”――何だ?」

 突如視界が光に包まれる。
 瞬間、壁から浮かび上がってきた白い翼を背中に生やした三人の女の彫刻と、エクリアの仮面の造形に似た石碑。
 そこには一般的に伝わっているものとは違う文字が綴られていた。

「貴方は古代魔法語が読めるの?」
「私の魔術の師はアイドスだからな。……それに、これはエルフ言語だから役には立たないが、古の魔王の知識がある」
「古の魔王?」
『ルシファーは熾天魔王と呼ばれた古神の魔力や神核と、知識の一部を受け継いでいるの。
 だから魔神と呼ばれているとはいえ、本質は私同様古神……。
 現神から狙われるという点においては、セリカとそれほど変わらないのよ』

 最近はそれだけでもない気がしてきたがな……。

「“神殺し”と旅をするには、それだけの力が必要ということか……」
「怖くなったか?」
「……私を組み伏せた時点で、ただの魔神ではないと思っていた。それがはっきりしただけよ」

 振り返った私に、エクリアは強気にそう答えた。
 嘘を言っていないことは目を見れば分かる。
 なるほど、アイドスが気に入るわけだ。

「……そうか」

 一言そう呟き、こちらの様子を伺うようにしているメンフィル兵を呼んだ。
 フェミリンスの神殿が見つかったと、王都ルクシリアに侵攻しているリウイに伝えるように言う。
 兵が去っていくのを確認すると、私は再び碑文に目を向けた。
 石碑から離れたエクリアに振り返ることなく、

「一つだけ訂正しておくことがある」
「……何?」
「セリカと共に旅をするには、自分の身を守れる程度の力があれば十分。必要なのはそれより、記憶力だな」
「……記憶力」
「そうだ。……あいつは物忘れが激しい」
『貴方も似たようなものだと思うけど』

 そんなアイドスの言葉に、目を見開いて呆けていたエクリアがクスリと笑う。
 私はあいつほど忘れっぽくはないと思うぞ……。





 遺跡を発見して僅か数日。
 混乱の中にあったカルッシャ王国の王都ルクシリアを陥落させたリウイは、その足でリークメイルの遺跡へとやってきた。
 話を聞いたところによれば、レオニードを始めとする王族を、一先ずルクシリアの王宮に幽閉。
 王妃ステーシアが国王ラナートの殺害を謀ったそうだが、何を思ったのかリウイは王の命を救ったらしい。

 テネイラ事件についてはというと、宰相サイモフがその場に居合わせた両陣営の兵の前で、その真実を口にした。
 曰く、自分が王妃と結託し、リウイとエクリアの殺害を謀ったのだと。

 結果はエクリアにそれを逆手に取られてテネイラが死去。
 リウイを狙った呪いの刃はエディカーヌからの使者であった、オルクス・フェロザーへ。
 そして最後に、和平を破談にして魔族を駆逐するためだけに、カルッシャはメンフィルを貶めたのだと語ったらしい。
 エクリアもこれを認めたことから、それがテネイラ事件の真相であったのだと、何れレスペレント全域に広がることだろう。

 続けて語られたのはエクリアとセリーヌ王女、イリーナの母であるリメルダ王妃の死の真実。
 病死ではなく、国王ラナートの命による暗殺であったのだとサイモフは語ったそうだ。

 エクリアは何かしら思うところがあったのか、リウイからそれを告げられてしばらくは、俯いたまま口を開こうとはしなかった。
 宰相サイモフと時を同じくして遺跡にやってきたセリーヌ王女が慰めたようだったが、それより幾分元気になった様子のセリーヌ王女の方が気になった。
 セリカが何かしたのか、時折頬を紅くしてセリーヌ王女が視線を向けていた。
 膨大な魔力――神の力を必要とし、生命力を活性化させる魔術に心当たりが一つだけあるが……。
 そんな二人を見て、エクリアは困惑したような表情をしていたように思う。

 真実を明かした宰相サイモフは、レスペレントを追放処分。
 処遇が確定するまでは、カルッシャ領を纏めるように言いつけたらしい。

 しかし、これでフェミリンスの呪いに関する推論に現実味が出たわけだ。
 エクリアが生まれてから暗殺を謀ったということは、ただ子供を産むだけでは呪いは受け継がれないということ。
 つまり母親の死を契機に、呪いを発現させる“何か”がエクリアに移ったことになる。
 生まれ持った魔力が突然急激に上昇するはずはないから、フェミリンスの精神体だろう。
 フェミリンスに憑かれることが“殺戮の魔女”になってしまう鍵……。

 しかしそう考えると、エクリアは古神サタンを吸収した私と同じだな。
 もしかしたら彼女にも、神核が形成されているのかもしれない。

 ――閑話休題。

 そうして今、レスペレントを統一したリウイは臣下を伴いフェミリンスの神殿――その碑文の前に立っていた。
 伺える表情には、緊張の色が見える。
 それは自分が解呪に関わっているのだと、感じていたからかもしれない。

 壁に浮かび上がってきた碑文の内容。
 そこに記されていたのは、ディル=リフィーナ創生の歴史。
 姫神フェミリンスと魔術師ブレアード・カッサレの戦い。
 それから最大の謎であった解呪の方法と、そのために必要な呪文。

 それを簡単に略せば、姫神の系譜を受け継ぐ半魔人の王。
 その優しき心を以て、純潔の清めを受けた刃で自ら命を差し出し、儀式を行えば呪いは解けるというものであった。

 しかしこの解呪の法は、予言によれば数多の神々への信仰によって得られた呪文なのだという。
 血筋にかけた呪いとはいえ、いったいブレアードの術は、どれほど強力なものであったというのか。
 ……いや、やはり強大さではなく、規模の問題ということになるのかもしれない。
 私の推論が正しいのならば、だが。

 全ての碑文を読み終わるころには、辺りは夜の闇に包まれていた。
 まるで今のメンフィル軍の心情を表すかのような。

「……思えば符合する点はあったのだ。俺の母の名はアリア・フェミリンス=マーシルン。殺戮の魔女の原点は姫神フェミリンス。
 そして……俺の母が残した言葉“真実を受け入れて生きなさい”――今にして思えば、母もこの予言を知っていたのだろう」

 静かに語られる言葉に、口を挟めるものは誰もいなかった。
 中でも私の隣に立つエクリアの戸惑いは人一倍だろう。
 漸く見つけた解呪の方法が、よりにもよって姫神が憎んでいた魔族の情だというのだから。
 示されていた解呪の法は、リウイが自ら命を捧げること。
 その事実は何度碑文を読み直したところで変わることはなく、

「ニーナ……お前はこの未来を予見していたのか?」
「未来は確定されているものではありません。どのような器に時が流れるのか、それは人の選択次第なのです。
 ……それに“黒翼”殿の出現は、私でさえ予見できなかった出来事でしたので」

 ニーナのその言葉と共に、リウイに向けられていた視線が私に移る。
 予言に記されていないのは、私とアイドスの介入は些細な出来事に過ぎないということなのかもしれない。
 事実、アイドスの力だけでは完全な解呪には至らなかった。

 リウイの命か、イリーナの命か。
 ある者は、半魔人だからといって死んでいい理由はないと嘆く。
 ある者は、ここまで貴方に付き従ってきたのだからと言葉だけは冷静に告げる。
 やがて予言を聞いた者たちに長く続いた沈黙を破り、リウイが口を開いた。

「……予言にある“樹塔”というのは?」
「おそらくは、我がフレスラント王国と接するもう一つのエルフ領ミースメイルにある、イオメルの樹塔のことかと思われます。
 あの地もまたフレスラントの民と交流のあるエルフの案内が無ければ、結界に阻まれ容易に近づけぬ土地と聞いております」

 サンターフの港町からでも見えるほどに巨大な樹。
 フレスラントの王都ザイファーンへ向かう傍らに、一度だけ眺めたことがある。

「……人になりたかったわけでも、魔神になりたかったわけでもない。
 ただ俺は、自分の居場所が欲しかったのだと思う。誰かに必要とされることで、自分の存在を確認していた。だが……」

 リウイはそこで一度言葉を切り、自分の臣下、特にシルフィアの方に顔を向けた。
 そして最後に、何かを決意した強い眼差しでエクリアを一瞥し、

「今は、もういい。王として、あいつの夫として、ただ守りたい。俺の愛する者達を。――イリーナを」





 夜が明け、リウイは飛竜に跨って幾人かの臣下とリオーネ王女と共に樹塔へと向かった。
 彼を見送った後、私はセリカと共にリークメイルに留まっていた。
 それは、リウイが儀式を終えるまで時間があると判断してのことだった。
 ここのところセリカと話す機会が無かったというのもある。
 
「いつの間にか、大事になってしまったな」
『……セリカと御主が動いたのだから当然だの。神とはそれだけ影響を及ぼし易い』
『人は神に影響を与え、神は人に影響を与える、ね……』

 他の者たちは、一足先にユーリエの街に向かった。
 そこでリウイが純潔の清めの刃を手に入れるのを待つということらしい。
 旅立つ間際に、イリーナ相手に純潔の清めなど逆効果ではないかとカーリアンが茶化していた。
 それにリウイは何とも言い難い表情をしていたが、何を想像したのか。

「最後の戦い、俺は出るつもりだ。ここまで来たら、あの男の行末を見てみたい」
「セリカがそういうのならば、私も行こう。……それに、慈悲の力は何も呪いの破戒だけではないからな」
『……そうね。彼はまだ死んではならない。そう思うもの』

 エクリアに受け継いだ姫神の呪いを破戒しようとしたことから始まった、私とセリカ、リウイの邂逅。
 七年という長い間、一つところに留まったその結末。
 決戦の地はフェミリンス神殿。
 幻燐戦争最後の戦いが、始まろうとしていた。



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