「……強い魔力を感じるな。毒々しい邪気もある」

 物資の補給ついでにリウイたちが持ってきたロープでセリカたちを救出し、中心部付近の廊下まで辿り着いた。
 途中、通りがかった大広間で再び休憩を取って体調を万全にしているため、戦う準備は出来ている。
 しかしセリカが指摘したこの魔力の主……どうやらただ強いだけではなさそうだ。

「これは……前にも感じたことがあるぞ」
「私もです。モナルカ殿、この邪気は……」
「ええ、間違い御座いませんわ」
「どういうことだ?」

 勝手に納得するリウイたちに、セリカが怪訝そうに尋ねた。
 その声に呼応したかのように邪悪な魔力が高まり、ねばつく空気のように部屋を満たしていく。
 それだけではない。

「――っ!」

 突如として、私は言い様のない脱力感に襲われた。
 まるで深海の水の抵抗を受けているかのように身体が重い。
 呼吸が自然と速くなり、私は思わず片膝をついた。

「ルシファー様っ!?」
「セリカ様っ!」

 エクリアとセリーヌの叫ぶ声。
 周囲に目を向ければ私ほどではないにしろ、幾人かが苦悶の表情をしている。
 無事なのは、カーリアン、リウイ、セリーヌ、それからイリーナを支えるペテレーネ。

『……まったく、とんでもないわね』
『同感だの……これは流石の我もきつい』

 悪態を吐くアイドスとハイシェラの声も、どこか焦燥していた。
 明らかに何らかの魔術の発現なのだが、私は神の力さえ抑えられる術など知らない。
 ……待て、神の力――?

「姿を見せるがいい……ブレアード!」
「……言われるまでもない」

 苛立ったようなリウイの言葉の直後、魔力の密度が上がり空気が重くなる。

 ――素肌を蛇に這われるかのような嫌悪感と共に闇と影が世界を浸食していく。

 現れたのは異形の怪物だった。
 ……いや、人の形を留めてはいるが、多くの生物を取り込んだのかその気配は限りなく魔に近い。

「我が大迷宮では世話になったな、小僧」
「生きていたのか」
「あの程度で我を滅したと思っておったのか? 我は不滅に近い存在ぞ」
「……その不滅の魔術師がいったい何のようだ」
「知れたこと。制御を失い掛けている宮殿を取り戻しに参ったまでよ。
 貴様ごとき若造にも、我に刃向かう小賢しい魔神どもにも、無論光の神々ごときにも渡してやるつもりなどない」

 ……なるほど。
 彼らの会話内容から考えると、この宮殿が浮上した原因。
 それは大迷宮――おそらくブレアード迷宮で、リウイがブレアードを一度倒した結果のようだ。

 そういえばこの宮殿は、あの迷宮の動力源になっているのだったな。
 とすれば……随分偉そうに言っているが、所詮この男も簒奪者でしかないではないか。

「だがそれだけではないぞ。このように役者揃いの乱痴気騒ぎに我だけが参加せぬわけにはいくまいて。
 だが我とて、神の眷属やら神と名の付く連中がこれほど多い中に、何の策も無しに出向くほど馬鹿ではない」
「……貴方、この場を異界に――神の墓場に致しましたね」

 ルナ=クリアの言葉を受けて、ブレアードは表情を醜く歪めて笑った。

 ……しかしやはりそうか。

 神の墓場というのはその言葉通り、神と名の付く者にとっては鬼門――その力の大部分を扱えなくなる。
 古神は勿論、魔神然り、神格者然り……現神ですら力を抑制される空間。

「不完全ではあるが、それでも効果は覿面であろう。
 ……さて、ここまで強い力を持つ者が集うのは稀。全て我が力の糧としてくれようぞ」
「貴方は既に人を外れ、強大な力を手に入れている。それでもまだ足りないと?」
「そうだ、我には力が要る……神にも打ち勝つ力を!!」
「何と大それたことを。不敬にも程がありますわよ」
「フェミリンスにも勝ったんでしょ……それでもまだ足りないっていうの?」
「足りぬ……あれだけでは足りぬ! 水の巫女を滅するくらいだ」
「水の巫女だと?」

 思わぬ名の登場に驚いた私の代わりに、セリカが呟くように彼女の名を口にしていた。

 ――水の巫女。

 レウィニア神権国を収める、私やセリカとはいろいろ縁の深い土着神。

「そうだ……奴をわが身に吸収すれば……想像してみよ、人間が神になる瞬間を!」

 奴の狙いが水の巫女だとするならば、この空間魔術はあの女神を捕獲するために考案したものか。
 発想は悪くないが、その程度であの女神がどうにかなるとは思えない。

 ……しかし、何を言い出すかと思えば特段珍しくも無い戯言とはな。

 そういえば、フェミリンスに闇の神の力を借りて呪いをかけたのも、力を奪えなかった腹いせだったか。
 パイモンが見限ったのも分かる。このような小さき器、王には値しない。

 ……いや、手段でしかない力の獲得という行為が目的に成ってしまった時点で、この者は終わりのない地獄に落ちたようなもの。
 だからなのか、侮蔑を通り越して憐れに思えてくる。

「……大して良いものじゃないさ」
「貴様は既に力を得ているから、そのように戯言をほざける。
 神を殺して奪っただと? どうせ盗人猛々しいやり口で奪っただけだろう。もてあましている貴様の身体、我が有益に使ってやろう」
「そろそろ殺していいか?」
『うむ、我はいっこうに構わぬ』

 ……どうやらセリカの逆鱗に触れたらしいな。
 力を抑えられているというのに、滾る魔力がブレアードに迫りつつある。
 神の墓場の再現など物ともせず、鋭い眼光で愚かな魔術師を睨んでいる。

『……ルシファー』
『確かに憐れな人間だが、身体を奪うと言っている以上は敵対するしかない』
『ええ……そうね。……分かった。戦いましょう』

 優しい女だ。誰がどう見ても邪悪としか思えないブレアードにすら慈悲を与えようとする。
 偽善とそう思われるかもしれないが、そもそも偽善者ならば己の身まで犠牲にしない。
 そこに悪意も利己的精神もなく、ただ人間を慈しむ女神。

「もう少しだけ。貴方は神と戦うなどということのために、力を求めていると?」
「闇夜の眷属ならば力を欲し、他者を力で従えるのは当然のことぞ」
「それが闇夜の眷属ではない!」
「闇夜の眷属を生みし我の言葉を否定するか。力で女も玉座も土地も奪ってきた男が、力を否定できようか」
「……力だけのやり方を肯定しているわけじゃない」
「力があるからこそ何とでも言えるのだ。力の無い者はそのようなことは言えぬ。
 ……かつてフェミリンスに虐げられていた者どものようにな」
「この上無く正論だな。確かにお前の言葉は正しいぞブレアード」
「ルシファー――?」

 私の言葉が想像の範囲外だったのか、リウイは呆気に取られたようになった。
 一方、当のブレアードはおぞましい笑みを浮かべた顔を向けてきた。
 醜い顔は先にも増して歪み、もはや完全な“魔”と呼んでも遜色ないほどだ。

「ほう、流石は熾天魔王と言ったところか。かつて闇の頂点に君臨していただけのことはある」

 ラーシェナとの戦いでも監視していたのか、私を“父”と誤認しているらしい。
 一々訂正するのも面倒なので、勘違いさせたままでもいいだろう。
 実際、力量はもはや変わらない。

 気になるのは天使モナルカだが、横目で見た彼女は騒ぐようなことは無く、涼しげな顔のままだった。
 単に熾天魔王が何者か知らないのか……いや、それはない。
 ……まあいい、何も言わないのならば気にする必要はないだろう。

「我はフェミリンスを敗り、被虐の戒めを解いた……。
 だが! 所詮は現神の敷いた身勝手な秩序の奴隷に過ぎぬ。そのような秩序は破壊する……。
 どうだ熾天魔王よ、我と共に来る気はないか。我が思想を肯定できる貴様ならば、我が盟友に相応しい」
「勘違いするな。お前の言葉は正しいと私は言っただけだ。誰も賛同などしていない。
 確かにその、力こそが全てという考えは真理なのだろう。
 だがそんな当たり前のことが何だというのだ。お前の思想には欠片も興味が無い」
「貴様、言わせておけば! ……良かろう、ならば望み通りその力奪ってやる。
 ……だが我は寛大故、女は性奴として生かしておいてやろう。特に……フェミリンスの本筋の娘よ」

 エクリアがはっとブレアードに顔を向けた。

「本来ならばフェミリンスの眷属など滅ぼすのみ。しかし貴様は我が元でじっくりと調教しながら慰み者にしてやろう。
 貴様にはフェミリンスの面影がある……その顔が性の恥辱に歪みながらあられもなく喘ぐ様を、魔物たちの前で晒させてやるも一興。
 それとも貴様の腹を、新たな魔物の苗床にしてくれようか。フェミリンスの娘よ、魔物の母となれ……カカッ!」
「くっ……」

 ブレアードの言葉に悪感が奔ったのか、エクリアは身を守るように自らを抱きしめた。
 それを気遣うようにイリーナとセリーヌが寄り添う。

 ……。

「……貴様の戯言はそれで終わりか? 永く生きると姿だけでなく品性まで歪むものなのだな」
「リウイ、それでは私までこいつと同類になってしまう。こいつは最初から腐っていたのだろう」
「……ふっ、すまん、そうだな。これで闇夜の眷属の父を名乗るなど虫唾が走る」
「ほざいておれ……貴様らを食い散らかして、我は真に神となろうぞ……」
「もういいな、ルナ=クリア。これ以上こいつを見ているのもうんざりだ」
「この者が神に背く邪悪であることは明白。マーズテリアに代わって神罰を与える必要があるわね」
「うだうだ考える必要も無いわ。気に入らないから斬る、それだけよ」
「如何にも魔族的な考えですわね。しかし、今回は私も賛同致しましょう」
「生意気な虫ども、我が魔力の前にひれ伏せ……!!」





 ――神の墓場の召喚。

 おそらくそれは、ブレアードがかつて行った深凌の楔魔召喚の術式に手を加えたものなのだろう。
 術式は先のブレアードの言の通り完全ではないらしく、全ての力を失ったわけではないが、出力不足は否めない。

 だが、油断し過ぎだ。
 この場にいるのは何も神の眷属だけではない。

「アーライナ様、お力をっ!」
「喰らっときなさいよっ!」
「これで……っ!」

 ペテレーネ、カーリアン、そしてセリーヌの三人は神核がないため影響を受けていないのだ。
 セリーヌは私やアイドス、セリカが弱体化しているため使える魔術に制限があるが、それも秘印術ならば問題にはならない。
 リウイには、フェミリンスと魔神の力が合わさった核があるが、それでも半分は人であるため三者ほどではないにしろ戦えている。
 ブレアード自身が力を失わないのは、おそらく何らかの術式を纏っているからか。
 ……確か、そのような体質を持つ魔神が奴の召喚した深凌の楔魔の中にいたはず。
 そいつを研究していたとすれば不思議なことではない。

 ブレアードの背中から生える二つの龍の頭。
 そこから吐き出されるブレス攻撃を避けつつ、前衛のカーリアンとリウイを中心に四人は攻撃を仕掛けて行く。

「さてセリカ、いくら力が封じられているとはいえ、使徒を侮辱されたというのにあの愚物を放置しておくわけにはいかない」
「ああ……確かにいつものようにとはいかなそうだが、別に剣が振れないわけではない」

 そう言うとセリカは、ハイシェラソードではなく予備の片手剣を握りしめる。
 魔神剣はただ振るうだけで魔力を消費するため、このような状況には適さないと判断したのだろう。
 今は短剣の状態に戻し、道具袋に入れているようだ。

「ブレアードを倒すには、並みでは直ぐに再生されてしまう」

 ただの愚昧な輩かと思ったが、異形の怪物というのは伊達ではないようで、再生力と魔力量だけは大したものだ。
 生半可な攻撃では足止め程度にしかならず、事実リウイたちは苦戦している。

「……この状況では魔法剣は出せない。ならば――」
「ああ、アレしかないだろうな」

 互いに頷くと、私は背中のアイドスを握り左から。
 セリカは右から走り、ブレアードを挟み打つ。
 それに気付いたブレアードは低く咽を鳴らすと、大魔力を込めてこちらを狙ってきた。

 ――だが甘い。

 弱体化していると侮ったのだろうが、魔力の尽きかけでの戦が無かったわけではない。
 極限の状態だからこそ発揮される沁みついた経験。
 ここは避けるよりも突っ込んだ方が被害は小さい。

 身体を奔る痛みなどもはや慣れたものだ。
 気力で耐えれば大したことではない。後は奴に隙さえできれば。と――
 ペテレーネの“ティルワンの闇界”とセリーヌの“メルカーナの轟炎”がブレアードの動きを僅かに止めた。

「セリカ――ッ!」

 私の叫びに呼応するようにセリカは剣を真横に構え、残された魔力を剣に込める。
 ブレアードもそれに当然反応して大技を放とうとするセリカに牙を向ける。

 しかし――元よりそれが狙いだった。

 セリカに攻撃が集中したことで、手負いの私に対する意識がブレアードから消失した。
 その間に一気に加速し、私はアイドスでブレアードに斬りつける。

「ぐっ……おのれっ!」

 私に意識を向ければ今度はリウイがブレアードに斬り込む。
 リウイに向けばイリーナの大魔術が。イリーナに向けばカーリアンの斬撃が。
 代わる代わる繰り出される攻撃に、次々と再生するブレアード。

「所詮時間稼ぎにすぎまい!」

 そう、時間稼ぎだ。
 今の奴は数多の攻撃に晒されて、その鬱陶しさに怒り心頭。
 少しずつ、だが確実に冷静さを失っていく。

 ――いつの間にか、その攻撃の応酬に私とセリカが参加していないことに気付かないほどに。

 魔力を出来る限り神剣に収束させる。
 ブレアードを挟んで向かい合った反対側――宮殿の壁が崩れた瓦礫の上で、セリカも同様に収束を開始する。
 流れ飛ぶ魔弾の中を駆け抜け、魔力の流れで風すら巻き込み始めた神剣を両手で横に構えた。

 繰り出す技は――黒天風鎌剣(コクテンカザカマケン)

 対面のセリカも枢孔飛燕剣でブレアードを狙う。
 つまりこれから私とあいつが放とうとしている技は、両者の剣術の奥義――その合一。

 其は――飛燕風鎌剣(ヒエンフウレンケン)

 左右からの嵐の様な剣撃に、ブレアードの身体は再生することなく細切れになっていく。
 それも当然だ。一撃一撃が超越爆発を引き起こす魔術“ルン=アウエラ”に匹敵する破壊力を持つ。
 それを防御の暇すら与えられず全身に受けているのだから、耐えられる道理などなかった。





 剣に込められた魔力の奔流が、ブレアードを押し潰そうとでもいうかのように、激しく宮殿ごと蹂躙していく。
 ついに最後の防壁である背中の龍の頭をも失った古き大魔術師。

「おのれおのれっ! 創造主が被創造種ごときに敗れるなど……あってはならんのだ!」
「無駄だ。いくら神の墓場に俺たちを落したとしても、貴様は侮り過ぎた。もうこの戦力差は覆せない」
「降伏なさい。マーズテリアは降伏した者には寛大です」
「……我が力への渇望……神への途……必ず果たしてみせるぞ……。
 この肉体が朽ちるとも……虫けらの如き骸を喰らい、我が心願を貫いてくれる……!!」

 力への執着か……その執念だけは大したものだ。
 だがなブレアード・カッサレ、お前のその野望に終わりはない。
 満たされることのない渇望の中で、後はただ朽ちて逝くだけだと何故気付かないのか。

 身体を維持するだけの魔力を失ったブレアードの身体が、禍々しい邪気を放って崩壊を始める。
 魔物の身体を繋いで形作られた魔術師の姿は、闇に溶け込むように消えていく。

「……我が魔力と叡智は不滅……不滅なのだ……カカカッッ!!」

 醜い笑い声を上げ、最後まで考えを改めることなくブレアードは消滅していった。
 そのあまりの姿にしばし誰もが声を失った。
 顔を顰める者や、どこかすっきりしない表情を浮かべる者。

「……不気味なやつだったわ、まったく」
「皆、平気か?」

 ともあれこれ以上ここにいる理由も無い。

 どうやらブレアードの消滅によって異界化も収まったようだ。
 最深部はすぐそこ。
 不快感を紛らわせるように、歩を先へと進めた。



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