「――それでは、お手柔らかに」

 着物を着たユリカがぺこりと一礼して、モニターがぷつりと途切れた。

 ユリカは顔を上げると、背後のブリッジクルーにあっけらかんとした笑顔を披露した。頭を掻き、あまつさえ舌を出しながら、

「あははーっ、駄目でしたー。てへ♪」

 『てへ♪』じゃないだろ、とその場にいた誰もが思ったという。

 最初に立ち直ったのはプロスペクターだった。

「うーむ、まあ致し方ありませんな。こうなっては力ずくで防衛ラインを突破するしかありません」

「はい。ナデシコは相転移エンジンがあるので、ビック・バリアもへっちゃらです!

 ミナトさん、進路を赤道上に乗せて下さい。そこから徐々に高度を上げて、相転移エンジンが臨界を突破した時点で地球圏を脱出します」

「はーい、まっかせて♪」

 ミナトがひらひらと手を振って応える。戦艦とは思えないほどの気安さだが、これこそがナデシコである。

「それじゃあユリカはこれで」

 言うが早いか、ユリカはそそくさと艦長席を立つ。プロスらが止める間もなくブリッジの出口へと向かう。ハッチが開くと、目の前には黒百合が立って いた。

「何処へ行く」

 低く押し殺したような声で黒百合が問い質す。気の弱い者なら怯え震えるであろう黒百合の迫力も、ユリカには通じなかった。お気楽な声を返す。

「えへ、アキトに着物姿を見て貰おうと思いまして♪」

 その場でくるりと一回転すると、黒百合の脇をすり抜けるユリカ。だが背後から襟首を捕まれ、牛を絞めたような声を出した。

「きゅ」

 かなり締まって苦しかった。涙目になってユリカが振り向いた先には、黒百合の腕がマントの下から延びていた。

「……艦長が、作戦行動中にブリッジから出てどうする」

「え〜、でも、アキトに愛しいユリカの晴れ着姿を見て貰わないと……」

「却下だ」

 一言の元に断じると、渋るユリカを引きずってブリッジへと入り、ぽいっと投げ出す。

 荷物扱いされたユリカが抗議を上げた。

「黒百合さん、どうしてユリカの邪魔するんですか。どっちにしろ着物を脱がなきゃならないのに〜」

「面倒なら、最初から振袖なぞ着るな」

「でも、お正月ですし」

「関係ない。それに、どうせその下には制服を着ているんだろう」

「ぎく」

「艦長が着付けを出来るとは思えんからな」

「……う゛〜、黒百合さんの意地悪ぅ……」

「抗議は後で聞く。今は作戦に集中しろ。作戦が終わったら、晴れ着を見せるなり初詣に行くなり、好きにすればいいだろう」

「あっ、そうか! そうですよね! よ〜っし、ユリカがんばっちゃうぞ〜」

 黒百合の言葉に現金なまでにやる気を発揮したユリカだった。

 背後にいるゴートが「見事だ……」と呟くほどに巧みなユリカの扱い方である。黒百合はあらゆる意味でブリッジ・クルーの尊敬を集めた。

「いやいや、流石ですなあ。あの艦長をいとも容易く扱うとは」

 本気で感心しているらしいプロスペクターに、黒百合は憮然とした声を返した。

「その扱い難いのを艦長に据えたのは何処の誰だ?」

「いやはや面目ない。それにしても、黒百合さんに副提督を引き受けていただいて正解でしたな」

「……」

 黒百合は応えずに視線を前方のモニターへと向けた。

 プロスが黒百合に副提督の座を薦めたのは、トビウメから逃げ延びて、事態が一段落してからの事だった。

 言うには、単なる一パイロットである黒百合が提督を差し置いてブリッジで指揮を執るのには、仕方がなかったとはいえ問題があるという事だった。

 とはいえ、その指示は適切で、ナデシコも難を逃れる事が出来たこともあり、越権行為で処罰するのも忍びない。ならばいっその事、ムネタケが捉えら れた為に空席となった副提督の役職に就いて貰い、緊急時における指揮権を認める事で治めたい、というのがプロスの言い分だった。

 このやり方はエステの無断使用を行ったアキトにも用いられており、アキトはパイロットの予備役に登録する事で処罰を免れている。あくまで予備役で あり、パイロットの数も揃っているため実戦に参加する事はないが、コックの業務が終わった後に1時間のトレーニングが義務づけられている。それが一種のペ ナルティという扱いだった。

 黒百合がプロスの言い分を承知したのは、自分の発言力を広める為だった。

 黒百合は未来の出来事を知っているが、今の自分はただのパイロットであり、その知識を戦術・戦略に活かす事は出来ない。その発言権が無いからだ。

 だが副提督ともなれば、名目上のものとはいえ作戦会議に出席するし、緊急時には指揮権も認められる。

 未来を変えるためには何かと都合が良かった。

 もちろんプロスにはプロスの思惑があるのだろうが、特に今のところは気にしていない。黒百合としては、ネルガルに長い目で見て害を与えるつもりは ない。自分の目的のためには、ネルガルの協力は必要不可欠と判断したからこそ、プロスらと接触したのである。

 こんな思考をする自分に黒百合は嫌悪感を覚えた。

 かつての自分を見て実感したのは、やはり自分は変わり果ててしまったという事だった。

(ふん……何を今更)

 口の中だけで自嘲する。今は、この力だ必要なのだ。かつての無力な自分になど、戻るつもりは更々ない。

 

 

 思考がネガティブな方向に傾いているのを自覚して、視線を彷徨わせる。

 脇を見ると、ユリカが振り袖を揺らしながらくねくねと不思議な踊りを踊っていた。

「ふんふん〜♪ アキト、待っててね〜♪」

「…………」

 見なかった事にして、黒百合はもう一度モニターに視線を戻した。

(……焚き付けすぎたか?)

 かつての自分にちょっとだけ同情した黒百合だった。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第13話

「舞い上がる花」



 

「ハックション!」

「何だいテンカワ、風邪かい?」

「あ、何でもないっス、ホウメイさん」

「そうかい? 無理するんじゃないよ。今倒れられても困るのはこっちなんだからね」

「はい、わかってます」

 鼻をごしごしとこすって、アキトは再び目の前のスープに向き直った。

 そのとき、小さな揺れが食堂を襲う。だが、誰も慌てる者はいない。もはや慣れっこになっているからだ。それはアキトも同様だった。

「……まだやってんのか。そんなに軍の連中は、火星の人たちを助けたくないのかよ……」

 アキトは天井を見上げ、悲しげに呟いた。

 

          ◆

 

 地球には現在、木星蜥蜴の侵攻を防ぐために、幾重もの防衛線を敷いている。

 地表発進の大気内戦闘機による、第6次防衛ライン。

 地表発進の宇宙艦艇による、第5次防衛ライン。

 地対空ミサイル群による、第4次防衛ライン。

 宇宙ステーションから発進する無重力戦闘機『デルフィニウム』による、第3次防衛ライン。

 低高度衛星から発射される大型ミサイルによる、第2次防衛ライン。

 そして、高高度バリア衛星の防御バリア網による、第1次防衛ライン――通称『ビック・バリア』。

 だがこの防衛線は、正直木星蜥蜴に対してはさしたる効果を上げていない。重力に引かれて落下するチューリップを止める手段など存在しない。チュー リップの侵攻を止めるには、地球圏に入る以前に撃墜するしか方法はないのだ。

 しかしこの防衛ラインは、地球を出ようとするものにとっては非常に厄介な代物になる。

 その手間を省くための、連合軍総司令部への交渉だったのだが、それはユリカによって失敗に終わった。それはもう、ものの見事に。

 現在、赤道上から上昇を続けるナデシコは、第4次防衛ラインの真っ直中にいる。

 

 

「ミサイル、来ます」

 ルリの報告の直後、ナデシコのディストーション・フィールドに地対空ミサイルが衝突し、爆発してその役目を終えた。だが、内部に伝わってくる衝撃 は少なく、僅かに船体が揺れる程度である。いくらディストーション・フィールドが実弾に弱いとはいっても、この程度のミサイルで破れるほどヤワな代物では ない。

「ほ〜んと、しつこいわねぇ」

 操舵席のミナトが、ファッション誌から目を上げて呟く。

「よく飽きませんねぇ」

「軍の上層部は面子を重んじますから。このまま何もせずに見過ごせば、悪い前例を残す事にもなりますし」

 メグミの呆れ混じりの言葉に苦笑を浮かべながら、イツキが言葉を返す。

「それにしてもおかしいですね。地対空ミサイルはともかく、そろそろ第5次防衛ラインの艦艇が追いついてくる頃だと思うんですが」

「うん、そう言えばそうだね。ルリちゃん、ちょっと調べてみてくれる?」

「はい。……判りました、原因はコレです」

 ルリの操作でモニターに状況図が現れる。ナデシコを示すマークに、各地から艦隊を示すマークが発進し、ナデシコ目掛けて地図上を上っていく。しか しその途中で地図上に赤い点が現れ、艦隊のマークはそちらへと進路を変更し、一つとしてナデシコを追っては来ない。

「なーに? この赤いの」

「各地で休眠状態だったチューリップです。艦隊の出撃と同時に、活動を再開したようです」

「……ふーん、つまり、寝た子を起こしちゃって、その子の世話で手一杯でこっちに手を回す余裕が無いわけだね」

 大雑把だが的を射たユリカの喩えである。

「そうすると、問題なのは第3次防衛ラインのデルフィニウム隊ですね。ルリさん、もっとも近いステーションは何処になりますか?」

「宇宙ステーション『さくら』です」

「そうですか。

 ……艦長、私もデルフィニウム迎撃のために、エステバリスで待機したいと思いますが」

「あっ、はーい、お願いしますイツキさん」

 笑顔で手を振るユリカに、イツキは苦笑を浮かべてしまう。此処は軍隊ではない、それは分かっているのだが、なかなか今までの癖は抜けないものだ。

 格納庫へ向かおうとしたイツキに、ミナトが声をかけた。

「ねえ、イツキちゃん、黒百合さんはどうしたの?」

「え? 黒百合さんは、捕らえたネタケ准将達を下ろすために、避難用のシャトルを用意すると言っていましたけど……」

「あら、そうなんだ。ブリッジにいないと思ったら」

「黒百合さんに何か?」

「あ、ううん、そう言う訳じゃ無いんだけど。ほら、イツキちゃんって、黒百合さんとずいぶん親しいみたいだったから。ナデシコに乗る前から知り合い だったの?」

「あ、はい。黒百合さんとは、1年ほど前に火星で知り合ったんです」

「え、その頃って確か……」

「はい、ちょうど第一次火星会戦の最中でした。黒百合さんとはコロニーのシェルターの中で知り合いまして。いろいろと助けていただきました。私が火 星を脱出できたのも、黒百合さんの助力があればこそでしたから」

「ふ〜ん、そうなんだ……」

 いつの間にか、ブリッジクルーの全員が二人の会話に耳を傾けている。

「とても……感謝しています」

「感謝だけ? そうは見えないけどなぁ……」

「え?」

 遠い目をしていたイツキが、驚いたようにミナトを振り返る。

「それ以外にも、何かあるんじゃないの?」

「何か、と言われましても」

「うーん、たとえばほら、男と女の関係だと、他にもいろいろあるでしょ? 恋愛感情とか」

「恋愛……ってそんな、確かに黒百合さんのことは尊敬していますけど、その、そんな関係では」

「そうなんだ。じゃあ、仮に黒百合さんが誰かと関係しても、何も思わないのよね?」

 にっこりとミナトが笑いかける。その柔らかな笑顔とは裏腹に、ブリッジ内に奇妙な緊迫感が漂った。

(……ど、どうしてこんな話に?)

 クルー全員の視線を受けて、イツキは頬に冷や汗を浮かべた。一種異様な雰囲気に、思考が上手くまとまらない。此処で迂闊な事を言ったら、取り返し のつかない事態を招きそうな気がする。

 イツキが沈黙すればするほど、場の緊迫感は高まっていく。メグミやユリカなどは、期待に目を輝かせて彼女の言葉を待っている。逃げ場はなさそう だった。

「わ、私は――」

『おい』

 口を開きかけたその時、突如として眼前に黒百合のコミュニケが開いて、イツキは文字通り飛び上がった。

『ムネタケ達の処分は完了した。そろそろ第3次防衛ラインに差し掛かる。これから……?』

 異様な雰囲気を感じ取り、黒百合は口を噤んだ。目の前ではイツキが金魚のように口をぱくぱくとさせている。

『イツキ? どうした?』

 ……かあぁ〜っ。

 怪訝そうに黒百合が問いかけると、イツキのおもてがみるみる真っ赤に染まった。ほこほこと湯気でも上げそうな勢いである。

「あう……その……」

『? 具合でも悪いのか? これからエステに待機する事になるんだが……』

「あっ、いえ! 大丈夫です! すぐ行きます!」

『……そ、そうか? あまり無理はするなよ』

「いえ! 無理なんかしていません! それはもう今すぐに格納庫に向かいます!」

 言うが早いかイツキは全力で駆け出した。

 ごわん!

 ハッチが開ききる前に突進したため扉に激突。かなり足下が怪しかったが、それでもめげずに廊下へと飛び出した。

 ごん! がん!

 閉まったハッチの向こうから、時折痛そうな音が響いてくる。

『……何だ?』

「……さあ?」

 訝しげな黒百合に、ミナトは両手を広げて爽やかな笑みを返した。

 


 

 座り慣れないコクピットのシートの感触を確かめる。高Gに耐えるためにあしらわれたシートの作りは頑丈で、とてもパイロットの座り心地を考慮した とは思えない。硬く、きつく、そして狭い。

 耐G機能を備えたパイロット・スーツも窮屈で、とても着慣れる事は出来そうにない。頭部を守るよりも宇宙空間で呼吸をするためのヘルメットも、頭 が締め付けられるような感覚がして息苦しい。

 士官候補生として士官学校で教育を受けてきた彼は、あらゆる分野をそつなくこなして来た。当然そのカリキュラムの中にはシミュレーターによる機動 兵器の訓練も含まれていたし、上位に食い込む程度の成績は残してきた。

 だが正直、パイロット・スーツに身を包んで機動兵器のコクピットに乗る姿など、自分の描いた未来予想図の中には存在していなかった。

 今こうして実戦を目前にすると、恐怖心で膝ががくがくと震えてくる。手が痺れて、舌の奥がチリチリする。

 この後、自分は死ぬかも知れない。そう思うと、このまま何もかも投げ捨てて逃げ出したくなる。

 だが彼は此処にいる。何よりも大事な女性のために。彼女のためなら命だって惜しくはない。

「……ユリカ」

 彼女の名前を呟く。それだけで身体の震えは止まった。もう恐怖は感じない。

 目の前で格納庫のハッチがゆっくりと開いてくる。眼下に見える青色の地球。カタパルトの信号がそれと同じ色を灯すのを視界の隅で確認して、彼はコ ンソールを握りしめた。

 衝撃――そしてその後に襲ってくる浮揚感。

 ジュンの駆るデルフィニウムは、ステーション『さくら』よりい出て宙を舞った。

 

          ◆

 

「――機影を確認しました、デルフィニウムです。機数は9。現状のままだと180秒後に交戦状態に入ります」

 モニターにはルリの報告通り、9機のデルフィニウムが紡錘陣を組んで飛来してくるのが映し出されている。

「ディストーション・フィールドの外側でデルフィニウムを迎撃します。エステバリス、出撃して下さい。黒百合さん、イツキさん、よろしくお願いし まーす」

『了か『ちょっと待てぇぇぇぇぇっ!!』……い』

 あくまで緊張感というものがないユリカの言葉に、苦笑を浮かべながらイツキが受け答えようとしたところに、暑苦しい声が割り込んできた。

 目の前にいっぱいに広がったコミュニケを見て、ユリカがキョトンとする。

「あれ、ヤマダさん」

『ダイゴウジ・ガイだぁぁぁぁぁっ!』

「はあ、それでヤマダさん、どうしてエステバリスに乗ってるんですか?」

ダイゴウジ・ガイ!

 ナデシコの危機に、エース・パイロットであるこの俺様が出撃しないでどうする!?』

「でもヤマダさん、足ケガしてたんじゃないんですか?」

「それにまだ一度もまともに出撃してないのに、エース・パイロットもないもんよねぇ」

『俺の熱い魂があれば、あんな傷の痛みなんか感じねぇ!

 それにそこのケバイねーちゃん! だからこそ、これから俺様がエェェェェス・パイロットである事を証明してやろ うって言うのさ!

 それと、俺の名前はダイゴウジ・ガイだっ!』

「ちょっと、誰がケバイねーちゃんよ!」

 ミナトの言葉など聞きもせずに、言いたい事だけ言ってコミュニケは途切れる。それと入れ違いにウリバタケのコミュ ニケが入ってきた。

『おいブリッジ! ヤマダの奴、何も持たずに出てっちまったぞ!』

「「「ええ〜っ!?」」」

 騒然となるブリッジ。そこに再びタイミング良くヤマダが顔を出す。もしかしたら閉じたコミュニケの向こうで、タイ ミングを見計らうためにこちらの様子を窺っていたのかも知れない。

『ふっ、心配無用! 博士、スペースガンガー重武装タイプを出してくれ!』

『誰が博士だ! それに、スペースなんたらってなぁ何だ! そんなモン積んでねぇぞ!』

「エステバリスの1−B装備の事じゃないですか?」

『おうっ、それそれ』

 ルリの冷静なツッコミに、調子よく答えるヤマダ。

『ったく、最初からそう言え! で、こいつをどうするって?』

『いいか、敵はこっちが丸腰だという事で油断している! そこで引きつけて空中でスペースガンガーに合体! 敵を一気にぶち倒すって寸法さぁ! 

 名付けてガンガー・クロス・オペレーション! くぅ〜、イカスぅ〜っ!』

 下手くそな絵まで交えて解説するヤマダは悦に浸っている。そこにおずおずと指摘を入れたのは、呆気にとられて未だ出撃していないイツキだった。

『あの〜、その作戦、たぶん失敗します』

『なっ、何だとう〜っ!?』

『空中で換装するという事は、無人の重戦フレームを戦闘空域に射出するって事ですよね? そんな事したら、敵の格好の標的になります。撃墜されます よ』

『『「「「「「…………」」」」」』』

 沈黙が痛い。

『……だとよ』

「あの〜、もしかして作戦失敗ですか?」

『ええいっ、心配無用〜っ!』

 首を傾げるユリカにそう応えるヤマダだったが、その語尾は裏返っている。

 自棄になったのか、スラスターを全開にしてデルフィニウム隊に突っ込むヤマダのエステ。その右手にフィールドを纏い、下方から突き上げる!

『ガァイ! スーパー・ナッパァァァァァァァッ!!』

 ズガァン!

 ディストーション・フィールドの拳が、デルフィニウムのボディに突き刺さる。

「「「「おおぉ〜っ」」」」

 ブリッジから歓声が上がる。ヤマダが一流と言って良いパイロットであるとは、この場にいる誰もが認識してはいなかったに違いない。しかし、彼はブ リッジ一同の期待を裏切らなかった。

 敵の中央に突撃しての肉弾戦――先制の一撃としては十分だが、それは自分の後背に支援する味方がいる場合にのみ有効である。単機であるヤマダが取 るべき戦術ではない。案の定、デルフィニウム隊に包囲されて身動きが取れなくなった。

「ヤマダ機、完全に囲まれました」

『ダイゴウジ機と言え〜』

 この事態で、そこまで言えればある意味立派ではある。誰も感心などしてくれはしなかったが。

 

 

 衛星軌道上でにらみ合うデルフィニウム隊とナデシコ。そのちょっとした膠着状態の中、ナデシコのブリッジにウィンドウが開いた。

「ジュン君!」

 忘れられていた副長、アオイ・ジュンである。その目元はヘルメットで覆われて窺う事は出来ないが、付き合いの古いユリカには一目で分かった。

『ユリカ、これ以上は行かせない。ナデシコを地球へ戻すんだ』

「ジュン君……どうして?」

『これ以上進めば、ナデシコは第3次防衛ラインの主力と戦うことになる。コレが最後のチャンスなんだ。僕は力ずくでも、君を連れ戻してみせる』

 ジュンの言っている事に嘘はない。このまま地球圏を脱出すれば、ナデシコは連合軍に完全な敵として認識されるだろう。

 そうなれば、もう地球圏に居場所はない。今ならばまだ間に合うのだ。

 上司に特別に便宜を図って貰って主力部隊に先駆けて出撃してきたのも、すべてはユリカの事を心配しての行動である。

 しかし、ジュンの真摯な呼びかけに、ユリカは静かにかぶりを振った。

「ごめんジュン君。私、ここから動けない」

『……! 僕と戦うって言うのかい!?』

「此処が私の場所なの! ミスマル家の長女でもお父様の娘でもない、私が私でいられる場所は此処だけなの!」

 ユリカがはじめてその決意を露わにする。聞いていたミナトなどは、艦長もちゃんと考えてるんだぁ、などと失礼な事を考えてしまった。そしてそれは ブリッジ・クルー全員の感想でもあったりする。

 それはさておき、シリアス一直線のジュンが受けたショックは大きかった。

 ユリカと知り合ってから10年あまり。その間、肉親をのぞけば彼女に一番近しい存在は自分だったと自負している。ユリカの事をもっとも理解してい るのは自分だと信じていた。

 だが、ナデシコに乗ってからのユリカは、ジュンの知らない顔ばかりを覗かせている。

 アキトの後を追いかけているユリカ。火星時代の思い出を懐かしそうに語るユリカ。自分が切望した笑顔を、アキトだけに向けているユリカ。

 今までの、ユリカと共にあった時間のすべてを否定されたかの様な錯覚に陥ってしまう。

 ぎりり、と操縦桿を握る手に力が篭もる。

『そんなにあいつがいいのか……』

「え?」

『どうしてもと行くと言うのなら――まず、こいつを破壊する!』

「! ジュン君!」

 捕まって身動きの取れないヤマダのエステに、ジュンのデルフィニウムのライフルが向けられる。しかし、その引き金が引かれる事はなかった。飛来し た銃弾が、ジュンの機体を揺らす。

『――くっ!?』

『その辺りにしておけ』

 ラピッド・ライフルを構えた漆黒の空戦フレーム。黒百合の参戦に、ブリッジが湧いた。

 

 

「黒百合さん!」

 ユリカの嬉しそうな声。それを横に聞きながら、黒百合の機体が空を駆けた。ヤマダの機体を捕まえているデルフィニウムのマニピュレーターをピンポ イントの射撃で破壊する。

 解放されるヤマダのエステ。その横をスラスター全開で通り過ぎて、デルフィニウムにブレードを振るう。機関部を切り裂き、その戦闘能力を奪う。

「黒百合さん、殺しちゃ駄目ですよ!」

『分かっている』

 応えて、黒百合のI.F.S.が光を帯びる。突撃してくるデルフィニウムを軽く躱し、すれ違いざまにブレードを叩き込み、その脚を奪った。

『アタック!』

 ジュンの号令と共に、残ったデルフィニウムからミサイルが発射される。その猛雨を苦もなくかいくぐり、接近してまた1機のデルフィニウムを撃墜し た。

「どうやら黒百合は近接戦闘を得意としているようだな」

 ゴートが感心したように呟くのも、黒百合の戦闘なら安心して見守っていられるからだろう。ヤマダではこうはいかない。ブリッジは、一転してリラッ クスしたムードに包まれる。

『黒百合さん!』

 遅れて出撃したイツキのエステも戦闘に駆けつけてきた。

 イツキは後方からの精密な射撃で黒百合を援護し、近づいてきた敵機はミドル・レンジで確実に打ち落としている。また、イツキからライフルを受け 取ったヤマダも復帰し、戦況は一方的な様相を呈してきた。

『た、隊長! もう駄目です! ここは撤退した方が――』

『――くっ、まだだ! 黒百合、僕と一騎打ちで勝負しろ!』

『隊長、無茶です! とても我々の敵う相手じゃありません!』

『お前達は先に帰還しろ!』

『し、しかし!』

 食い下がるパイロット達。今日臨時に隊長についた自分を心配してくれている即席の部下に、ジュンは叩き付けるように言い放った。

『これは命令だ! 今回の件は私の独断だ。上官にはそう報告しろ。もう燃料も残り少ない、今ならステーションに戻れる!』

『わ、分かりました。……御武運を』

 離脱していくデルフィニウム。ただ一人残ったジュンが、黒百合と相対した。

 

 

「さてと、これでようやく落ち着いて話が出来るな」

『くっ、こんな僕と、今更何の話があるって言うんだ!』

 ジュンがデルフィニウムを突撃させる。対する黒百合はその突進を軽くいなして後背へと回り込んだ。

「ジュン、お前は何のためにナデシコに乗り込んだ? 艦長の為だけか?」

『違う! いや、確かにユリカの為もある。でも、それだけじゃない!

 ……僕は、子供の頃から正義の味方になりたかった。この手で、この地球を守りたかった。だから、軍に入ったんだ。連合宇宙軍こそ、その夢を叶える 場所だと思っていた……

 でも、軍も決して正義の存在なんかじゃなかった!』

「だろうな」

 黒百合が思い浮かべるのは、火星を見捨てて脱出した火星駐屯軍の上層部達だ。そしてそれはイツキも同様である。

『だから! 僕は僕自身の正義を貫きたいと思ったんだ! そのために僕は此処にいる!』

「そして選んだ道が、好きな女と敵対する事なのか?」

『そうさ! このままじゃ、地球にユリカの居場所がなくなるんだ!』

「屁理屈を並び立てるな!」

 ガシィッ!

 戦術もなくがむしゃらに突っ込んでくるデルフィニウムを、漆黒のエステが弾き飛ばした。

『うわっ!?』

「好きな女なら、何故傍にいてやらない? 何故力を貸してやらない。たとえ彼女が地球のすべてを敵に回しても、お前だけは味方でいてやらなければな らないんだろうが!」

 怒声と共にデルフィニウムのブースターに刃を立てる。コクピットを引き剥がし、残った機体は制御を失って落下していった。

 コクピットの中で、ジュンは俯いて震えている。

『それが……それが出来ればどんなにいいか……

 でも、悔しいけど、僕にそんな力はないんだ! ユリカだって……僕の事を必要としている訳じゃない』

「……今はそんな事を言って自分を誤魔化していても、後で絶対に後悔するぞ。そしてその後悔を一生引きずって生きていく事になるんだ。

 それに、必要とされてないと思うなら、必要とされるようになればいい。自分の居場所は、自分で作るものだ。艦長のナイトの座は、まだ空いているよ うに見えるがな」

『……こんな僕に、戻って来いって言うのか……?』

「ああ、そうだ。ナデシコになら、お前の探していた居場所が見つかるだろうさ。さしあたっては、艦長の暴走を押さえる役目だがな」

『…………っ』

 ジュンは再び俯いてその肩を震わせた。もう一人にした方がいいだろうと、黒百合は通信を切る。入れ違いにイツキがコミュニケを入れてきた。

『黒百合さん、いいんですか?』

「構わんだろう。それより、第2次防衛ラインに到達する前にナデシコに戻るぞ」

『はい』

『てめぇ黒百合! 俺様の活躍の場を奪いやがって!』

「あっさり相手に捕まったお前が悪い」

 くってかかるヤマダを適当にあしらいながら、黒百合達はナデシコへ帰投した。

 

          ◆

 

「高度2万キロ。相転移エンジン、臨界に到達」

「ディストーション・フィールド、最大へ」

『きたきたーっ、エンジン回ってきたぞーっ!』

 機関部でウリバタケが歓声を上げる。

 臨界まで出力の上がった相転移エンジンの発生するディストーション・フィールドは、第2次防衛ラインの大型ミサイル群を苦もなく弾き返す。爆発し て散った破片が大気との摩擦で煌めいて、一種幻想的な瞬きとなる。

「バリアに接触します。総員、対衝撃体勢を取って下さい」

 フィールドを維持したままナデシコは第1次防衛ラインへと突っ込む。

 ビック・バリア維持しているを核融合炉とナデシコの相転移エンジンとでは、出力が違いすぎる。ほんの僅かな時間だけの抵抗の後、バリア衛星の爆発 と共に虚空へと散りゆく。

 煌めきの軌跡を残して、ナデシコの花は星の海へと舞い上がった。

 目指す地は、遙か彼方の火星である。

「それでは、火星へ向けてしゅっぱーっつ!」

 

 



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