「おりゃああああああっ!」

 大声を上げて、ヤマダが拳を振り上げる。その様を見据えながら、黒百合は体を動かした。

 腰が入っておらず腕力だけの、見た目ほどには威力のないパンチを手の甲で捌く。初撃をいなされたヤマダは続けて追撃するが、その拳が黒百合の身体 を捕らえる事はない。

「モーションが大きすぎるぞ」

「うるせいっ!」

 なおもヤマダは拳を振り回す。訓練学校出身のはずなのだが、格闘訓練はザルだったのか、あるいは腕力だけでこなしてきたのか、ヤマダは格闘戦の基 礎がなっていない。あるいは熱血を重んじるゲキガンガーのせいかもしれないが、動きがオーバーな上に直線的に過ぎる。

 黒百合は辛抱強く付き合っていたが、ヤマダのあまりに単調な攻撃にため息をつくと、間隙を縫って掌をヤマダの胸に当てる。体を正面に構えてしなる 柳の様に腕を折り曲げ、次の瞬間に踏み込むと同時、ひねりを加えて掌底を突き出す!

「のああああああっ!?」

 それだけで、ヤマダの身体は宙を舞っていた。トレーニング・ルームの壁に大の字に張り付き、ずるずると床に滑り落ちる。

 地に横臥したヤマダを見据え、黒百合は嘆息混じりに口を開いた。

「……何度言ったら分かるんだ。攻撃が単調すぎるんだよ。フェイントを織り交ぜてテンポを外さないと、当たるものも当たらんぞ」

 ヤマダの格闘スタイルは拳闘に近い。しかし拳闘とは違って全く洗練されていないのが難物だ。

 拳を振り上げる動作は弧を描くため、攻撃が相手に届くまでにタイムラグが生じてしまう。小技を織り交ぜて隙を作り、そこに本命を叩き込むのならば 分かるが、すべての攻撃に全力で注いでいるため、当然生じる隙も大きい。街のごろつきの喧嘩ならともかく、格闘をかじった人間には格好のカモである。

「くっ! 畜生っ! まだだっ!」

 勢い込んで起きあがるヤマダ。闘志を失っていないのは大したものだが身体が付いていってない。膝がかくんと折れて、前のめりに突っ伏した。

 無様に顔面を床に擦り付けるヤマダに、黒百合は無情な声を言い放つ。

「暫く立てんから大人しくしていろ。それに、立っても時間の無駄だ」

「な、何だとぅ」

「お前がどうしてもと言うから付き合ってやってるが……1週間前から全く進歩がないぞ」

「くっ、ヒ、ヒーローは、この程度の事で根を上げたりはしねえんだ! ゲキガンガーだって、特訓では苦労しても本番では上手くいくもんなんだから なっ!」

「……普通、練習で上手く出来ないものが本番で上手くいくはずがないと思うが……お前の場合、それ以前の問題だろう。人の教えを請うておいて、アド バイスを全く聞かないのはどういう訳だ」

「うぐ……」

 弁明の言葉もないヤマダである。

 ヤマダが一対一の訓練を申し出てきたのは、ナデシコがその航路の3/4を消化した頃の事だった。

 エステバリスのシミュレーターで未だ勝ち星を挙げられないのに業を煮やしたのだろう。もちろんその場は黒百合があっさりヤマダをのして片が付き、 それ以後格闘訓練に付き合っている。

 エステバリスはI.F.S.を採用しているため、パイロットの生身での技量が上がれば、機体の戦闘力も増す。そういった意味で対人訓練は無駄では ないが、ヤマダの場合は違った。

 何しろ人の話を全く聞かない。せっかく助言をしてやっても、次にはまた同じ事を繰り返す。プロスペクターにスカウトされた以上、腕は悪くないはず なのだが……

「お前はどうも外見を気にしすぎる。格好を付けても、戦闘では生き残れんぞ」

「し、真のヒーローってのは、素のままでもカッコいいモンなんだ!」

「そうかもしれんが、少なくともお前は違うな、ヤマダ」

「俺の名前はダイゴウジ・ガイだ!」

「俺から一本取れたらその名前で呼んでやるよ、ヤマダ」

「そ、その言葉忘れんなよ、黒百合!」

「ああ、分かった。じゃあ今から再開するか」

「へ?」

 ヤマダが不思議そうな声を出す。黒百合は未だ起きあがれないヤマダの脇に歩み寄ると、おもむろに右足を持ち上げた。

 

 

 ごず。

「?」

 痛そうな音がしてトレーニング・ルームが静かになる。ドアの外で黒百合が出てくるのを待っていたイツキは、その音を聞いて顔を上げた。

 ドアから中を覗き込もうとすると、中から出てきた黒百合と鉢合わせした。

「あ、黒百合さん、お疲れさまでした」

「イツキ? 何をしているんだこんな所で。……もしかして、俺を待っていたのか?」

「あ、はい。その……ちょっとお聞きしたいことがあったので。

 ……ところで、ヤマダさんは大丈夫なんですか?」

「俺の名前はダイゴウジ・ガイだぁ〜」

 脳天から煙を上げているヤマダが、それでも声を上げる。

「……あんな事を言う元気があれば大丈夫だろう。それより、俺に何か用か?」

「あ、そうです。黒百合さん……エステバリス隊の隊長に、私を推したと聞いたんですけど……」

「ああ、それが?」

 至極当然、と言うように黒百合は答える。

「その、私なんかより、黒百合さんの方がずっと向いてらっしゃるんじゃないですか? パイロットとしての技量も、指 揮官としての能力も、私よりずっと……」

「俺は名目上とはいえ副提督だからな。兼任だが」

「それなら、私だってオブザーバーです。……兼任ですけど」

「軍の制止を振り切ってナデシコに乗り込んだ以上、軍の任務も関係ないんじゃないのか?」

「それはそうかも知れませんが……」

 イツキはあくまで不服そうだ。

「それに、俺は集団戦闘に慣れてないからな。エステバリスでの指揮経験もない。イツキが適任なんだ。火星でもやって いただろう?」

「あ、あれはあくまで非常事態だったので……それに、そういった事は私よりクロウの方が向いているんです」

「だがここにクロウはいない。別に、イツキが小隊を指揮してもおかしい事はあるまい?」

「ですが、私が黒百合さんに指図するなんて……」

 居心地悪そうにイツキが身体をもじもじさせる。どうやらこちらが本音のようだ。

「何を気にしているかと思えば……」

 嘆息する黒百合。どうもイツキは年長である自分に命令をするのに抵抗があるらしい。実際は違うのだが、少なくとも 黒百合はそう理解した。

 俯き加減のイツキの頭に、ぽんと手を乗せる。

「イツキはもっと自分に自信を持っていい。謙虚な態度は必要だが、度が過ぎれば害を及ぼすぞ」

 黒百合は静かに諭す。しかしイツキはそれを聞くどころではなかった。

(あ……あうあうあうあうあう)

 黒百合の手がゆっくりとイツキの頭を撫でている。彼にとってはおそらくは無意識の行動だろう。手袋越しの感触がこ そばゆく、しかし温かい。

 だが、その感触は酷くイツキを混乱させた。首から上に血が上って真っ赤になって、オーバー・ヒートを起こした CPUのように頬が熱くなる。心臓の鼓動が、早鐘を打ち鳴らしているかの様に早まる。

 もう自分が何を感じているのかも分からない。羞恥なのか、それとも別の何かなのか。

 まったく何の他意もなくイツキを精神崩壊寸前まで追いつめた黒百合は、俯いたまま何も言わない彼女を訝しみ、声を 掛けた。此の期に及んでも自分が何をしているか気付いていない。

「イツキ?」

 その声に呼ばれてイツキが面を上げる。

 朱を散らした頬。上気した表情。潤んだ瞳。湿った唇。

 黒百合の手がそのたおやかな肩に添えられて、ぐっと身を固くする。それでも瞼は閉じずに黒百合を見つめている。両 手を胸の前で握りしめ、来るべき瞬間を迎えるために、そっと背伸びをして黒百合に近付き……

『黒百合さん、大変です!』

 次の瞬間にはイツキは10メートルは飛び退いていた。

「……どうした?」

 息せき切って顔を出してきたメグミのコミュニケに、黒百合は至極平静に受け答える。

『すぐブリッジに来て下さい! 反乱ですぅ!』

「反乱……? ああ、分かった、すぐ行く」

(そう言えば、そんな事もあったな)

 実を言えばすっかり忘れていた。ブリッジに向かおうとイツキに声を掛けようとしたところで、先程のヤマダのように べたっと壁に張り付いている彼女に気が付いた。

「……何やってるんだ、イツキ?」

「あ……あははははは、な、何でもありません

「? そうか? 何だか顔が赤いが。風邪か?」

「い、いえ! 何でもありませんから! 早くブリッジに向かいましょう!?」

「あ、ああ」

 イツキに気圧される形で黒百合が頷く。彼の背後に続くイツキの頬は、未だに熟れたトマトの様に真っ赤だった。

(わ、私ってば今なんて事を……)

 まだ胸の鼓動は静まらない。もしメグミのコミュニケが入ってこなければ、一体どうなっていたのか――その先をヤケ にリアルに想像してしまい、イツキは『ぷしゅーっ!』と蒸気を噴いた。

(きゃーっ、きゃーっ、きゃーっ、きゃーっ)

 その想像は容易にイツキをさらなる混乱の深層へと叩き落とした。

 結局は未遂だったのだが、あまりの気恥ずかしさに身悶えるイツキ。動いていないとどうにかなってしまいそうだ。し かしその表情はどことなく嬉しそうでもある。

 顔の前で両手を組んで、ぴょんぴょんと兎の様に飛び跳ねるイツキの奇行を、何となく声を掛けるのも憚られ、たらり と汗を流して見守っている黒百合だった。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第17話

「黒い炎U」



 

 ようやく立ち直ったイツキと共に黒百合がブリッジに入ると、ちょうどウリバタケがメガホン片手に演説をぶっているところだった。

『我々は〜、ネルガルに対して〜、断固抗議する〜!!』

 ブリッジの下部には、スパナや鉄パイプで武装した整備班の面々が陣取っている。『ネルガルの横暴を許すな!』だと か『我らに自由を!』だとか『仏血戯離上等』だとか書かれた旗を掲げ、やる気満々な出で立ちだ。

 一方上部ブリッジには、主要クルーのほとんどが集まっており、ルリ、ミナト、メグミの三人がリョーコ達に銃を突き つけられていた。ブリッジ・クルーVSパイロット三人娘&整備班という構図らしい。

 その真ん中にはジュンがおり、二つのグループにはさまれて困り顔をしている。何故か艦長であるユリカは反乱側に参 加していた。

「副長、いったいどうしたんですか?」

「いや、僕もよく分からないんだけど……」

「よくわからんだとぅ〜、よくそんな事が言えるな、ジュン! これを見ろ!」

 息巻いて、ウリバタケが突き出したのは――

「……契約書?」

「その一番下の一番小さい文字んトコを見てみろ!」

 言われてイツキも覗き込む。

「え〜っと……『社員間の男女交際は禁止いたしませんが、風紀維持の為、お互いの接触は手をつなぐ以上の事は禁止とします』……ですか」

「これがどうしたんですか?」

「どうしたか、だとう!」

 ジュンの一言でヒート・アップするウリバタケ。リョーコとヒカルの間に割り込み、二人の手を取って、

「男と女が恋愛して、それで済むわきゃないだろうが! おー手ーて繋いでって、ここはナデシコ幼稚園か!?」

「「調子に乗るなっ!」」

 がすっ!

「ぐはっ、お、俺はまだ若い」

「若いですか?」

「若いの!」

「って言うか、ウリバタケさんって確か妻子持ちじゃぁ……」

 良識的なジュンのツッコミは、猛るウリバタケには届かなかった。

「こんなんでちゃんとした恋愛が出来るかっ!」

「恋愛にエスカレートは付き物……しかし、そのエスカレートが問題なんですなぁ」

 事態を静観していたプロスが、こほんと咳払いをして一歩前に出る。

「貴様ぁっ!」

「エスカレートの行き着く先は結婚、そして出産……どちらにせよお金、かかりますよねぇ。それにナデシコは戦艦であって託児所ではありませんか ら……」

「うるせぇっ! こんな去勢された生活するくらいなら、女房の尻の下に敷かれてた方がマシだっ!」

「ですが、契約書にサインされた以上……」

「ええい、こいつが見えねぇかっ!」

「この契約書も見て下さい!」

 ウリバタケらが拳銃とスパナを突きつけ、プロスペクターが契約書を掲げる。

 一触即発の緊迫した空気の中に、冷え切った声が割り込んできた。

「その辺りにしておけ」

「黒百合さん」

 イツキのほっとした声に、一同の視線が1箇所に集まる。イツキと共にブリッジに入ってから、黙して事態を見守っていた黒百合が、もたれ掛かってい た壁から背を上げると、二つのグループの間に割って入ってきた。

「さっきから聞いてたが……労働規則を変えたいのなら、正式に組合でも立てて交渉すればいいだろう。こんな反乱まがいにまで事を荒立てる必要はある まい」

「うるせぇ! 契約書の隅っこに読めもしないようなちっちぇ文字で書くような奴らが、話し合いに応じる訳ねぇだろうが!」

「だからと言って、拳銃まで持ち出すような事でもなかろう」

「えー、でも、こうでもしないと話を聞いてもらえそうにもないし〜」

「ふふふ……」

「あんだよ黒百合、てめぇ、ネルガルの肩を持つ気か!?」

 ヒカルはあくまで気楽に言い、イズミは謎の含み笑いを洩らし、リョーコは苛立ちを隠す努力をまったく放棄している。

 ヒカルが反乱に参加している動機は、ほぼウリバタケと同じだ。ただ、彼ほど露骨なものではなく、単に『気にくわないので変えちゃおう♪』という軽 いノリから来ているのだろう。

 リョーコにしてみれば、恋愛云々よりも、会社の規則でプライベートまで拘束されるのを嫌っているだけだろう。ついでに言えば、黒百合に負けっ放し で、溜まっているフラストレーションを発散する場所を探していたのかも知れない。

 イズミの動機は不明だが、おそらくはほかの二人の付き合いか。

「別に、そういう訳でもないんだがな……」

 三者三様の反応に、黒百合は軽く肩をすくめる。その仕草が気にくわなかったのか、かっとなったリョーコが口を開き――

「んなら、余計な口出しすんじゃねーよ! 撃たれたくなかったらすっこんでな!!」

 ピシィ……

 その時、確かにプロスペクターは空気の凍る音を聞いたような気がした。

「ふざけるなよ……」

 黒百合の纏う空気が変容する。その場にいる者すべてが、空調の整っているはずのブリッジで寒気を覚えた。

「恋愛の自由を声高に叫ぶのもいい。権利を訴えるのもいいだろう。だが、拳銃を突きつけてまで、皆を脅してまでして欲しいものなのか?」

 リョーコに向け、歩みを進める黒百合。凍った声音で言葉を綴りながら、一歩、また一歩とゆっくりとした歩調で近付いていく。

「拳銃を向けられる事が、どれだけ恐ろしい事か知っているか?」

 腰に差したホルスターから、拳銃を引き抜く。45口径リボルバー『ゴスペル』。その鋼板で加工したかのような肉厚の銃身に、ぽっかりと穿たれた銃 口がリョーコへと差し向けられる。

 黒百合の歩みは止まらない。誰も止めようとする事もできない。

「人に向かって銃を突きつけるという事は、自分も突きつけられる覚悟があると言う事だ。相手を殺し、相手に殺される覚悟があると言う事だ。それを分 かっての行動だろうな?」

「あ、う……」

 面と向かって黒百合の殺気に晒されているリョーコは、既に言葉もなかった。傍らのヒカルやイズミも同様だ。額を流れる冷たい汗が止まらない。

 拳銃が、リョーコの額に触れた。撃鉄を引き起こすため、黒百合の指が掛かり――

「く、黒百合さん!」

 イツキの声に動きを止めた。視線だけを彼女に向ける。殺気の篭もった視線を向けられて、イツキは顔を青ざめさせた。身体だけでなく声も震えていた が、それでも口を閉ざそうとはしなかった。

「も……もう充分です。もうやめて下さい。もう……これ以上、悲しまないで下さい」

「……悲しむ?」

「……そうです。今の黒百合さんは、とても哀しそうに見えます」

「俺は哀しんでなどいない。そんな心など、俺には……」

 言いかけて、黒百合は口を閉ざした。自分が余計な事を口走ろうとしているのに気が付いたからだ。舌打ちをひとつすると、リボルバーをホルスターへ と戻す。

 期せずして、ブリッジを沈黙が支配する。誰も、何も言う事が出来なかった。普段はお気楽なユリカでさえも、雰囲気に飲まれている。

 その気まずい沈黙を何者かが哀れんだのか、ブリッジを突如として振動が襲った。

「きゃあっ!?」「うわっ!?」「ぐえっ!」

 いきなりの事で、ほとんどの者が転倒した。床に手を突いたルリが、オモイカネに声を掛ける。

「オモイカネ、フィールドは?」

『ディストーション・フィールド、現在70%で展開中』

「この攻撃……今までとは違う。迎撃が必要だ。……セイヤさん」

 ただ一人転倒を免れ、冷静に批評する黒百合。そのバイザー越しの視線を向けられ、ウリバタケは浮き足だった返事を返した。

「あ……ああ、何だ?」

「例のフレームは出撃できるか?」

「あ……アレか? い、一応調整は済んでるけどよ……」

「そうか。これより迎撃に向かう」

 素っ気なくそれだけを言い残して、黒百合はブリッジを後にした。皆、彼の消えたハッチを言葉もなく見つめていたが、しばしのタイムラグを経てユリ カがはっと我に返った。

「み……皆さん! 今はこんな事をしている場合じゃありません! 今は生き残る事だけを考えましょう!」

「お……おう。そうだな、いつまでもぐだぐだ言ってる訳にゃぁいかねえからな! おめえ等、戻って五分でエステの用意をすんぞ!」

「「「「「お、おう!」」」」」

「リョーコさん、ヒカルさん、イズミさん。黒百合さんだけに任せる訳には行きません。すぐに出撃しましょう」

「う……で、でもよう……」

「リョーコさん!」

「リョーコ……ともかく行こ?」

「ここでふて腐れてても何も変わらない……何も変わらぬなら戦わにゃソンソン。くくく……」

 三人に詰め寄られ、リョーコは根を上げた。

「ええい! わあったよ!」

 

          ◆

 

『黒百合、出るぞ』

 サウンド・オンリーの黒百合のコミュニケから、ダーク・トーンの声が告げる。重力カタパルトから漆黒のエステバリスが戦場へと飛び立つ。四人娘と ついでにヤマダの機体も、黒百合の後を追うように発進する。

「あれ? 黒百合さんの機体って、なんか他の人のと違ってない?」

 まだする事もなくモニターを眺めていたミナトが、気付いた疑問を口にする。その回答はすぐにやってきた。

『はっはっは、その通ぉり! アレこそ黒百合に頼まれて作っていた、エステバリス突撃戦フレームだ!』

「突撃戦ふれーむ?」

『そう! ゼロG戦フレームをベースに、空戦のブースター・パックを宇宙用に改造し、重戦の火器、砲戦の高出力ジェネレーターを搭載! さらに新兵 器フィールド・ランサーを装備した、対艦戦を想定したフレームだ!』

 首を傾げるユリカに、ウリバタケが得意げに答える。そのコミュニケの隣では、プロスペクターが頭を抱えていた。

「各フレームの予備パーツの数が合わないと思っていたら……そういう訳でしたか。それに、ここ最近の用途不明金もそれですね?」

『はっはっは、細かいこたぁ気にすんな!』

「……ちゃんとお給料から天引きしておきますので」

『うぐっ……』

 言葉を失って顔を青ざめさせるウリバタケのコミュニケに、ヤマダのコミュニケが被さった。

『博士! 新型か!? 新型なのか!? 何故俺じゃなくて黒百合にくれてやるんだぁ〜!?』

「お前じゃ乗りこなせないの!」

『って、黒百合さんから、どんどん引き離されてくよぉ〜』

『随分と加速力に違いがあるわ』

『あの突撃戦フレームは、ゼロG戦フレームの約1.4倍のスピードがある』

『げっ! マジかよ』

『それでいて慣性制御ユニットは従来のままだからな。パイロットに掛かるGが強すぎらぁ。実際にシミュレーターで黒百合が耐えきれてなかったら、俺 だって作るつもりはなかったがよ』

『あの……黒百合さんの機体のスピード、私たちの約2倍くらい出てるんですけど……』

『へっ?』

 イツキの指摘に、ウリバタケの目が点になる。慌ててパラメーターに目を通し、そのモニターに映る事実にウリバタケは声を荒らげた。

『あ、あんにゃろ〜、リミッターを解除しやがった!』

 

 

 突撃戦フレームのフォルムは、背中に取り付けたブースター・パックによって、空戦フレームに近い。そのコクピットに座る黒百合の表情は、いつにな く歪んでいた。

 いや、正確に言うならば、『こちら』の世界のナデシコに乗ってからは始めて見せる表情である。ともすれば吹き出しかねない激情を押さえ込むよう に、ぎりりと歯ぎしりの音を立てる。

 だがそれでも感情は押さえ切れてはいない。黒百合の肌の露出している部分に、うっすらとナノマシンの輝線が浮かび上がる。

 黒百合は憤りを感じていた。力の与える恐怖を知らず、銃を突きつけるクルー達に。自分の行動がどのような結果をもたらすか、まったく自覚していな い者たちに。

 その無自覚に振るわれる力が、どのような惨劇をもたらしたか。それを身をもって体験している黒百合にとって、とても許せるものではなかった。

 何故、人はこんな簡単な事ですら、自らの痛みを伴わなければ理解出来ないのだろう。

 あの、かつてのナデシコのクルー達でさえそうなのだ。

「…………」

 黒百合はナデシコとの通信をカットし、スロットルを全開まで踏み込んだ。可燃推進のスラスターが、文字通り火を噴く。リミッターを解除。限界まで 上がるスピードに、パイロット・シートがぎしりと悲鳴を上げる。

 だが、その殺人的なGによる荷重でさえ、今は身体に心地よい。

 コクピットのモニターに、木星蜥蜴の機影が映る。

「貴様等……不運だったな。今、俺は非常に機嫌が悪い。悪いが……憂さ晴らしに付き合って貰うぞ……!」

 さらに加速する黒百合のエステバリス。フィールドを纏い、バッタの群の中を一直線に突き抜ける。黒百合お得意のフィールド・アタックだ。

「おおおおおおぉぉぉぉっ!!」

 黒百合の喉から、押さえつけていた激情が叫びとなって溢れ出る。

 限界を超えてスロットルを踏み込む。漆黒のエステバリスはそのフレームの名称に相応しく、トンボ級駆逐艦に向かって突撃した。

 

 

「無茶だろそれはっ!?」

 リョーコが思わずコクピットで声を上げる。当然通信をカットしている黒百合に届くはずもない。リョーコの見ている前で漆黒のエステバリスが手に 持った槍をディストーション・フィールドに突き立て――その矛先が開き、光の蛇がのたうち回る。

 放電による過負荷によって、トンボのディストーション・フィールドに穴がこじ開けられる。その欠落にレール・カノンがねじ込まれ、電磁によって加 速された弾丸が速やかに射出された。

 1発。2発。3発。

 弾丸は確実にトンボの機関部――すなわち相転移機関に命中した。穿たれた弾痕から火が噴き出し、やがてそれは艦体すべてを覆うまでに広がってい く。幾度かの小爆発の後、ひときわ大きな爆発がトンボの後部を襲った。

 閃光が走る。小さな恒星を思わせる相転移エンジンの爆発が、艦体を包むディストーション・フィールドを突き破った。

 密集陣形を取っていた木星蜥蜴の艦隊にとって、懐での味方艦の撃沈はさらなる被害を呼んだ。

 ディストーション・フィールドがミサイルなどの実弾兵器を弱点としているのは、フィールドが爆発の衝撃を逃がす事が出来ないからである。トンボの 爆発の余波に晒され、周囲に位置していた同型艦はフィールドを歪ませた。そこに、漆黒のエステバリスが襲いかかる。

 レール・カノンの砲火を受けて炎に沈むトンボの群に、リョーコ達はただ唖然としていた。

「と、とんでもねぇな……」

 ナデシコに残されている戦闘記録を見て、黒百合の腕前は把握しているつもりだった。だが、今目の前で見せている光景に比べれば、その戦歴さえ霞ん で見える。

『すっご〜い……エステって、戦艦を落とせるんだぁ……』

『戦場に華を咲かせてるわね……』

『……くっ、俺だって負けるかぁ〜っ!!』

 対抗意識を燃やしたヤマダが、トンボに真正面から突っ込んでいった。

「おいっ!?」

『ゲキガァァァァァン・フレアァァァァァァァッ!!』

 コクピットに、ヤマダの魂の叫びが木霊する。

 拳を掲げてディストーション・フィールドに突撃。戦艦の装甲に触れるかというところまで近付くが、そこで力尽きてフィールドに跳ね飛ばされた。

『ぁあああぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

 くるくると回りながらヤマダは星になった。きらーん☆

「アホか……」

『うーん、ヤマダ君、流石に無茶だったかなぁ〜』

『トンボに突っ込んで、竹トンボになったわ……』

『お、俺はダイゴウジ・ガイだぁ……がくっ』

 

          ◆

 

「グラビティ・ブラスト、発射ぁっ!」

 ナデシコから放たれた色の無い閃光が、陣形を崩した木星蜥蜴の艦隊に突き刺さる。超重力の嵐が過ぎ去った後には爆発が連なり、ひしゃげた残骸が虚 空へと散っていく。

「敵戦力、25%消滅」

「続けてミサイルをCエリアの戦艦群に向けて射出。全砲門開け。30秒間援護射撃を掛けます!」

「了解」

 コンソールに置かれたルリの手が光を帯びる。うっすらと開いた金色の瞳の中に、ナノマシンの輝線が煌めいた。

 オモイカネが得、解析した情報が、I.F.S.を通じてルリの中に流れ込んでくる。この世に存在するどんな言語よりも早く、どんな言葉よりも的確 に。コンピューターとコミュニケーションを交わす、それがマシンチャイルドたるルリの能力だ。

「後方に位置するヤンマ級戦艦より、機動兵器が射出されました。数はおよそ500。狙いは前衛の黒百合機と思われます」

「エステバリス隊に伝達。Gエリアの敵機動兵器を殲滅して下さい。くれぐれも敵戦艦の射線には入らないように」

「か、艦長! エステバリスを後退させたまえ!」

 フクベがブリッジの中でただ一人動揺した声を出す。

「まあまあ提督。お気持ちは分かりますが、第一次火星会戦の時とは違います。その為の相転移エンジン、その為のグラビティ・ブラスト、その為のディ ストーション・フィールド。

 その為のナデシコなのです。お気楽にお気楽に……」

「……むう……」

 プロスににこやかに制され、フクベは憮然として押し黙る。自分と周囲との認識のギャップを目の当たりにして、戸惑いを隠せない様子だ。

 だが同時に気付く事もある。このナデシコのクルー達は、木星蜥蜴の恐怖というものを知らない。この戦争も、テレビの向こうの出来事のように感じて いる節がある。

「勝っている内はよかろう。だが、ひとたび劣勢になった時はどうするつもりなのだ……」

 フクベの呟きは、喧噪に紛れて誰の耳にも届かなかった。

 

 

 バッテリー・パックの替えも尽き、ただの槍となったフィールド・ランサーを掲げ、それでも黒百合のエステバリスは止まらない。

 浅い入射角で突入して、敵戦艦のディストーション・フィールドを削る。切っ先だけをフィールドの内側にねじ込み、爪痕のような傷を装甲に残し、 いったん離脱。脚部に搭載されていた虎の子の対艦ミサイルを発射、続けて腕に取り付けた3連装ロケット・ランチャーを射出する。

 いかに戦艦といえども、出力の減退したディストーション・フィールドでは、このミサイルは防げない。2対の対艦ミサイルが接触してフィールドが歪 み、それを追ってきたロケットがフィールドを揺らす。堪え切れずに、対艦ミサイルがフィールドを突破。艦体に突き刺さり、盛大な華を咲かせた。

 真っ二つに折れて撃沈するヤンマ級戦艦。その光景に何の感慨も抱かぬかの様に、次の獲物を追い求める漆黒のエステバリス。

 それを見つめるイツキは、既視感に囚われていた。

 かつて感じた事のある感覚。そう、それは、あの火星の、アルカディア・コロニーでの一幕。たった一機のプロト・エステで、幾百ものバッタを沈めた 黒百合の戦い。

 あの後、幾たびか黒百合と肩を並べて戦った時も、決して感じる事は無かった。まるで、火を前にした動物が感じるような、原初的な畏怖の感情。

「黒百合さん……」

 その名を呟く。ほかの誰も気付いてはいないだろう。だが自分には解る。黒百合は今確かに、怒りの炎にその身を焦がしているのだと。

 

 

 戦艦の爆発によって大きく陣形の崩れた木星蜥蜴の艦隊に、ナデシコのグラビティ・ブラストが突き刺さる。

 戦力の大半を失った木星蜥蜴はなおも抵抗を続けていたが、エステバリス隊に阻まれて、後方に位置するナデシコには攻撃が届かない。

 続けて放たれた第二射が残りの過半を吹き飛ばし、こうして火星圏におけるナデシコの初戦は、勝利という形で幕を下ろした。

 その裡に、小さな綻びを残して。

 



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