「と、いう訳で、黒百合さん、一緒にお出かけしない?」

「……何がという訳なんだ」

 いきなり部屋に押し掛けて、開口一番そう言ってきたミナトに、黒百合は呻くように呟いた。

 ミナトは黒百合の言葉など聞いていないかの様ににっこりと笑うと、人差し指をぴんと立てて、

「えっとぉ、つまりねぇ……」

 そう前置きして始めたミナトの話を要約すると、ルリの様子がおかしいため、気分転換も兼ねて外へ連れ出そうというのだが、それに同伴しないかとい うお誘いだった。

「様子がおかしい? ルリちゃんがか?」

「ええ、そうなの。何だかここ2,3日、勤務時間が終わってもずっとブリッジに篭もって何かやってるみたいで……それとなく訊いてみたんだけど、答 えてくれないのよね」

「ふむ……?」

 黒百合は内心で首を傾げた。『前回』は、この時期にルリがそんな状態に陥る事など無かったはずだが……そう考えたところで、ふっと自嘲した。

 もう『前回』とは、随分と歴史が変わってしまっている。何しろ火星脱出のボソンジャンプによる8ヶ月の空白がない。その期間に何が起こったなど、 黒百合は知るよしもないのだ。

「心当たりはない……な。ここしばらく、あまり会話も交わしていない。どうも避けられているように感じていたんだが」

「え、そうなの?」

「ああ。火星を出た辺りからか」

「ふぅーん……」

 ミナトは首を傾げたが、思い当たる節はなかった。

「じゃあ、その事も含めて、ちょっと様子を見たいんだけど。私と二人きりだとかえって警戒されちゃうだろうし、他の人も一緒って形にしたいのよね。 メグちゃんとかには声掛けてあるんだけど」

「そうか……まあ、そういう事なら吝かでないな。恐らく、ラピスも一緒に連れていくと思うが……」

「ええ。全然構わないわよ。人数は多い方がいいし」

「それで、日は?」

「えっとね、明後日の日曜日なんだけど」

「分かった。空けておこう」

「ええ。それじゃ、よろしく……って、そうだ、黒百合さん?」

 手を振って帰ろうとしたミナトだったが、ふと思いついて黒百合に尋ねてみた。

「まさか、その格好で街に繰り出そうとか考えてないわよねぇ」

「そのつもりだが?」

 至極当然といった黒百合の返答に、ミナトは呆れ返った。実を言えば、予想していた答えでもあったが。

 頭痛を堪えるように、こめかみに指を当てながら、

「……あのねえ、黒百合さん。そんな格好してラピラピを連れて歩いてたら――」

「ラピラピ?」

 聞き慣れない固有名詞が出てきて、黒百合が怪訝そうに繰り返した。ミナトは打って変わってぱぁっと表情を輝かせながら、

「あ、それってラピスちゃんの愛称なんだけど。ルリちゃんがルリルリで、ラピスちゃんがラピラピ。可愛いでしょ?……って、それはともかく、そんな カッコでラピラピを連れ歩いてたら、少女誘拐犯と間違われて警察官に尋問受けちゃうわよ」

「そうか?」

 と黒百合は聞き返したが、実を言うと『前回』にもそんな事があったりした。アサクサに潜伏していた頃、食料の買い出しにラピス同伴で出かけた事が あったのだが、職務質問されて危うく拘禁されかかった。

「だが、俺はほかに服は持っていないんだが」

「もしやとは思ってたけど……それじゃ、ずっとその服着っぱなし? 洗濯とかしてないの?」

「いや、同じものの替えがある」

 その言葉に、ミナトはクロゼットの中に黒いアンダーとスラックスが整然と一列に並んでいる光景を思い描いてしまった。

「そ、そう……ともかく、ほかの服を着てよね!」

「いや、だから、ほかには何も持っていないんだが」

「私が男物幾つか持ってるから、それ貸して上げる。黒百合さんのサイズって幾つ?」

 何故男物の服を持っているんだ? という至極もっともな疑問を抱いた黒百合だったが、何となく訊くのは憚られて、素直にサイズを教える。

「ふーん、そう。思ってたよりサイズは小さめなのね。じゃあ、袖あわせとかもしなきゃならないし、後で私の部屋に来て貰えるかしら?」

「そこまでする事もないと思うが……」

「だーめ!」

 きっぱりと言うミナト。いつになく強引である。

 渋々、黒百合は承諾する。

「絶対よ! 面倒だからって、逃げたりしちゃ駄目だからね!」

「別に逃げたりはしないが……」

「じゃあ、後でねー」

 手をぶんぶんと振りながら、ミナトは上機嫌で帰っていった。

「何だったんだ……」

 残された黒百合は呻き声を上げると、寝直すために部屋のソファーへと戻っていった。

 現在の時刻は午前5時半。朝食まで、まだまだ時間はあるのだ。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第26話

「モラトリアムU」



 

 そしてあっという間に日曜日。

「うーん、いい天気。晴れて良かったわねぇ」

「ホントですよね。せっかくのお出かけですもん」

「たまには、こういうのも良いですね」

 メグミの台詞に続いたのはイツキである。上は赤いシャツに白のセーター、下はジーンズにスニーカーと、実に動きやすそうな格好だ。難を上げれば、 少々色気に欠けるところか。

 対するミナトは、薄緑のセーターの上にベージュのファーコート、膝上10pの黒のスカートにハイヒール。それに付け加えて、真っ赤なルージュが唇 を飾っている。

 二人はにっこりと微笑みあって、

「それにしてもイツキちゃん、良かったの? 今日は妹さんに会う約束をしてたんでしょう?」

「ええ。でも、アサミも皆さんに会いたがってましたから」

「そうぉ? それにカイト君とで・え・との約束をしてたんじゃなかったの?」

「いやですよミナトさん。デートなんかじゃないです。ちょっと気分転換に誘われただけですから。皆さんと一緒の方が楽しいってカイトも言ってました し。そうよね、カイト?」

「そうなの? カイト君?」

「え、ええ。そうなんですよ、ははは……」

 二人に呼びかけられて、カイトは引きつった笑みを浮かべた。だが、その表情は「こんなはずじゃなかったのに……」と如実に語っていた。

 息抜きのはずが、何故か出かける前からぴりぴりとした空気が漂っている。本来の目的であるはずのルリは、その空気から逃れるように退避していた。

「はあ……何やってんだか」

 溜め息を吐いてしまう。ミナトの口車に乗る形で(ルリ主観では)お誘いに乗ったルリだったが、今更ながらに後悔していた。

 イツキとミナトの二人は、相変わらずにこにことした笑顔を浮かべたまま、当たり障りのない会話を交わしているように見える。だが、その周囲の空間 が歪んでいる様に見えるのは果たして気のせいだろうか?

 その場に取り残されているカイトやメグミが神に救援を祈った頃、まさに救いの神が現れた。

「……何だ? 随分と空気が淀んでいるように感じるが」

 その声のした方向に、その場にいる全員の視線が向けられる。その後、一人を除いた全員が驚きに目を見開く事になった。

 其処にいたのは黒百合である。ただし、いつもの怪しいマント姿ではなく、紺のカラシャツに黒のジャケット、同じく黒のスラックス。バイザーこそ掛 けているが、何処から見ても通常の服装である。

「黒百合さんの私服姿って、初めて見ました……」

 呆然としたようなイツキの呟き。それはそうだろう。黒百合が『こちら』に来てから、私服で外に出るのはこれが初めてなのだから。

「どうも、いつもの格好でないと違和感があるんだがな……」

 ぼやくように、黒百合。マントを羽織っていないせいか、その口調もいつもに比べて幾らか砕けているように感じる。

「アキト……」

 その黒百合の後をちょこちょこと付いて来たのはラピスである。彼女はピンクのワンピースの上に、金のブローチの付いたショールを羽織っている。 ちょうど、『前』に黒百合と一緒にいた頃に来ていた私服と同じデザインである。どうやらイネスがサイズを仕立て直して着せていたらしい。

 ラピスはいつもの定位置――つまり、黒百合の斜め後ろに付いている。今日はマントがないため、シャツの裾を掴んでいた。

 そして、ラピスの後ろからひょっこりと顔を出したのが――

「すいません、遅れちゃって」

「あら、アキト君。食堂の仕事は終わったの?」

「ええ、まあ何とか。ホウメイさんに許可を貰ったんで。ただ、サユリちゃんにやたらと咎められましたけど」

「あら、そうなの? ふ〜ん、それってもしかして……」

「もしかします、よねぇ。そうなんだ、サユリさんって……」

「へ? な、なんスか?」

 ミナトとメグミ、ついでにイツキに見つめられて尻込みするアキトに、三人は溜め息をついた。

「サユリちゃんも大変ねぇ……」

「本当に……」

「まあ、それはともかく、そろそろ行きましょ? 待ち合わせの時間も近いし」

「そうですね」

「一体、何なんですか?」

「……俺に訊くな」

 まったく訳が分からないという顔で尋ねてくるアキトに、黒百合は素っ気ない返事を返した。

 

          ◆

 

 ヨコスカ・シティは江戸時代末期、ペリー率いる黒船の来航により鎖国の扉を開いた、近代日本発祥の地である。

 その時から数えて三百余年、ヨコスカは港町として栄えてきた。それは、運搬の主役を海上船舶から航空輸送艦へと移した現在でも変わっていない。湾 岸縁に大規模なドックを構え、船の往来が途絶える事はない。

 一行は、そんなヨコスカの中心街に向かって、道行く人々の視線を集めながら足を運んでいた。

 モデル顔負けのスタイルを誇るミナトと、理知的な美人であるイツキに、そばかすがチャームポイントの可愛い系のメグミ。それに加えて、神秘的な雰 囲気を持ち、人間離れした容姿を持つラピスとルリ。

 それに同伴する男性は三人で、その内の一人は格好こそ普通なのだが、どこか常人とは違う空気を放っている。

 これ以上ないくらい人目を引く集団なのだが、問題なのは本人達にこれっぽっちも自覚がない事だ。

 イツキに至っては、妹とは比べものにならないほどの知名度を持つ世界的アイドルと言っても過言ではないのだが、本人はそんな事には露とも気付いて いない。連合軍の情報規制で、顔まで知れ渡っていないから良かったものの、そうでなければ外出して3分と経たずに野次馬に囲まれ身動きがとれなくなってい ただろう。

 中心街のショッピング・モールの入り口に辿り着いた一行は、先に待っているはずの妹の姿を捜した。

「アサミ、まだ来てないのかしら?」

「その妹さんって、芸能人なんでしょう? ファンに気付かれないために、変装か何かしてるんじゃないですか?」

「そういうものなんですか?」

 いまいち妹の知名度を理解していない(自分のものもそうだが)イツキは、メグミの言葉に首を傾げる。

「そうですよ。私も一応声優やってた事があるんですけど、その頃でも追っかけみたいな人はいましたもん。それが人気女優となれば、もう大変なんじゃ ないですか?」

「アサミが……ですか。どうも想像できないんですけど」

「イツキは芸能関係に疎いからなぁ……」

「そうですね。アイドル歌手の名前とかも知りませんし」

「流行りの人気歌手とか、全然知らないんだよね。それでいて、誰も知らないような昔の唄とかは知ってるんだよなぁ」

「何処で聞いてきたのか、父さんでも分からないような唄を知ってるんですよね。演歌とかも好きだし」

「そうそう、卒業ん時の打ち上げで、酔ったイツキが演歌をこぶしを利かせて熱唱したときは心底驚いたっけ……って、うわあ!」

 今更ながら驚いて飛び上がるカイト。その背後には、いつの間にかサングラスを掛けた少女が忍び寄っていた。

「アサミ!」

「はぁい」

 姉に名前を呼ばれて、アサミは気軽に手を挙げた。ジーンズにジャンパーといった、姉と負けず劣らずの格好である。ファン対策としてか、野球帽を目 深にかぶり、サングラスを掛けている。芸能人の変装としてはひねりのないものだった。

 彼女はちょこん、とお辞儀をしてから、

「皆さん初めまして。アサミ・カザマと申します。いつも姉さんがお世話になってます」

「私はハルカ・ミナトよ。よろしくね、アサミちゃん」

「メグミ・レイナードです! よろしくお願いします!」

「……って、何でメグちゃん敬語なの?」

「え、な、何となく……」

 アサミはくすくすと笑い声を漏らした。

「別に普通でいいですよ。メグミさんの方が年上ですし」

「そ、そう?」

「それで、こっちがコックのテンカワさん」

「あ、よろしく」

 イツキに促されて、アキトは軽く会釈をした。

「で、あそこにいる黒ずくめの人が黒百合さんで、その後ろにいるのがラピスさん」

「通称はラピラピって言うのよ♪」

 ミナトが最後に付け加える。

 黒百合は無言で手を挙げ、ラピスは黒百合の蔭から顔を出してこくりと顎を引いただけだ。

「あ、貴方が黒百合さんですか?」

「ああ」

 不思議なものを見るような眼を向けるアサミに、黒百合は無愛想ながらも受け答えをする。

「そ、そうですか…………姉さんてば、結構変わった趣味をしてるのね……

「? 何か言った? アサミ」

「う、ううん。何でもない」

「そう? それじゃ、合流もできたし、そろそろ行きましょう」

「そうですね。まずは何処に行きます? やっぱりショッピングですよね。荷物運びも手が足りてますし」

「……もしかして、荷物運びって俺達の事ですか?」

「……だから、俺に訊くなと言うに」

 そんな会話を交わしながら、一行は商店街へと足を向ける。その背後で、ミナトがこそこそとカイトに寄って耳打ちを した。

「じゃ、カイト君。後は前に話した通りに……」

「ええ。適当なところではぐれた振りをして、ミナトさんは黒百合さんと、僕はイツキと……」

「アサミちゃんは、どうしてもイツキちゃんと一緒になるとは思うけど」

「それはしょうがないですよ。でも、黒百合さんもラピスちゃんと一緒になっちゃうと思いますけど」

「それこそ、しょうがないわよ」

 

 

「……?」

 黒百合の裾に掴まっているラピスは、そんな会話に気付いてはいたが理解は出来ずに、不思議そうに二人を眺めやっていた。

 


 

「ユリカ、今日こそはちゃんと仕事をしてもらうよ。艦長の決裁が必要な書類が山ほど溜まってるんだから」

「ふえ〜ん、アキトぉ……」

「泣いても駄目だからね! ほら、僕も手伝うから、早くやっちゃおう」

「うぅ〜、ジュン君の意地悪……」

「意地悪なんかじゃないってば……」

 苦り切った顔をするジュンだったが、どことなく幸せそうな表情ではあった。ユリカがアキトと共に出かけなかった事を喜ばなかったと言えば嘘にな る。

「ほら、早く済ませちゃえば、後から合流出来るかも知れないだろ?」

 だが、泣いているユリカを慰めずにはいられない優しさが、ジュンの長所であり短所でもあった。人は、彼をお人好しと呼ぶ。

 ジュンの言葉は効果覿面で、

「そっか! そうだよね! 早く済ませてアキトと二人でお出かけしよう!」

 言うが早いか、もの凄まじいスピードで書類の山を処理していくユリカ。士官学校主席は伊達ではなく、デスク・ワークも一級品の彼女だった。

 ジュンはそんなユリカの背中に見ほれながらも、心の中では盛大な溜め息をついていた。

(はあ、僕ってどうしてこうなんだろ……)

 

          ◆

 

「それで、副長のジュン君ってのが艦長の幼なじみなんだけどね。これが艦長に惚れてるのが見え見えなんだけど、艦長は全然気付かないのよぉ」

「へー、そうなんですか。やっぱり、近くにいると気付かないものなんでしょうね」

「でも艦長って、副長の気持ちに気付いていないってのもあるかも知れませんけど、まるっきり眼中にないって感じもしません?」

「そうなのよねぇ……ちょーっとだけ、ジュン君が可哀想かなぁとは思うわよねぇ」

「そうですね……でも、副長ですし」

「まあ、ジュン君だもんねぇ」

 女三人寄れば姦しい……とはよく言ったもので、ミナト、メグミ、アサミの三人は、歩きながら恋談義に花を咲かせていた。普段の職場から離れて気分 も開放的になっているせいか、遠慮仮借無くこの場にいない者を肴にしている。

 いたたまれないのは、その横で話を聞いていなければならない残りの者たちだ。黒百合、ラピス、イツキ、アキト、ルリの五人は、何となく彼女たち三 人から遠ざかるように身を寄せていた。カイトだけは、平気な顔で三人の話に耳を傾けていたが。

「……何か、近寄りがたいっスね」

「……そうですね」

「…………はあ(溜め息)」

「歩くの、疲れた」

「どうでもいいが、買い物に行くんじゃなかったのか? さっきからこの商店街を2周は廻ってるぞ」

 黒百合の呟きを合図にしたかのように、先頭を歩いていた三人が小洒落た洋服店に吸い寄せられる。

「あら、このセーター、いいんじゃない?」

「あ、ほんとだ。ミナトさんにもよく似合います」

「そう? ありがと。アサミちゃんにはこれなんかいいんじゃない?」

 と、手にした緋色のタートルネックのセーターをアサミの身体に当てる。

「……アサミってば、すっかりミナトさん達と仲良くなっちゃったわね」

「そうだね。きっと、波長が合ったんじゃないのかな?」

「なんか、歳の離れた姉妹かなんかに見える……」

「…………ふう(溜め息)」

「立ってるの、疲れた」

「さっきから服を当てるばかりだが、どうして買いもしない洋服をあんなに時間を掛けて選り好むんだ?」

 理解できないとばかりにかぶりを振る黒百合に、カイトはしたり顔で言う。

「女の子ってのは、そういうもんなんですよ、黒百合さん」

「若干一名、女の子と言うには年齢に無理が……」

「ちょっと黒百合さん! 聞こえてるわよ!」

「…………」

「……今のは黒百合さんが悪いですよ」

「……そうか?」

「そうです」

「そうですよ」

「そう思います」

「そうっスね」

「そうですね」

「……ワタシも、そう思う」

「………………そうか」

 過去の自分どころかラピスにまで言われて、黒百合は若干肩を落とした。

 

 

 取り敢えず、ミナト達が洋服を一着買ったのは、通算4件目のブティックだった事を記しておく。

 

          ◆

 

 ゲキガンガーの歌を歌いながら、上機嫌でヤマダ・ジロウが格納庫を闊歩していた。手にペイントとハケの入ったバケツを持っている。

「♪フフフンっ、フっフンフンフンフンフっフフン〜」

「あ、ヤマダ君、何やってんの?」

「ちっがーう! 俺の名前はダイゴウジ――」

「はいはい、それはいいから」

「よくないっ!」

 そのヤマダを見とがめたパイロット三人娘の内の一人、アマノ・ヒカルが声を掛けるが――いつもの通りのヤマダの返答が返ってきた。あまりにもいつ も通り過ぎてヒカルも慣れたもので、あっさりと受け流す。

「まったく、どいつもこいつも……ぶつぶつ」

「まあまあ……で、何やってんの? ペンキなんか持って」

「おうっ! 俺様のゲキガンガーに、正義のエース・パイロットに相応しいマークを描いてやろうと思ってな!」

「エース・パイロットって……そりゃどう考えてもお前ぇじゃなくて黒百合だろ?」

「違う! 『正義』のエース・パイロットがこの俺様、ダイゴウジ・ガイよ! 黒百合はどっちかっつうと悪役側っぽいだろ?」

「う、まあ、そうかも知れねぇけどよ」

「ヒーローと戦う悪のライバル! 戦いの末に何時しか敵味方の立場を超えた友情が生まれ、ライバルはヒーローのピンチに、悪の組織に反旗を翻して駆 けつけるのさ! くぅ〜、燃える!」

「王道だね〜」

「ピンチを助けられてるってのだけは正しいわね……」

 ぼそり、とイズミが呟く。リョーコはちょっとだけ気になって訊いてみた。

「んで、どんなマークを書くつもりなんだ?」

「ふっふっふ……見て驚け聞いて驚け! これだぁ!」

 ばばーん!

 という効果音は鳴らなかったが、少なくともヤマダの耳には聞こえていたに違いない。

 ヤマダが両手に広げたのは、剣を掲げたゲキガンガーの胸像らしきものをモチーフにしたマークだ。下書きのつもりだろう、画用紙にサインペンで書い たものに、色鉛筆で着色してある。

 らしきもの、というのは、ヤマダの絵があまりに稚拙で下手くそだったためである。線はいびつで、色遣いも褒められた物ではない。ヤマダのゲキガン ガー好きを知っていなければ、ディフォルメされた象が棒きれを持ち上げているようにしか見えなかっただろう。

「えーっと、ゲキガンガー?」

「すっげえ、下手くそ……」

「う、うるせえっ!」

 自覚があるのか、ヤマダは顔を真っ赤にしてつばを飛ばした。そして急に元気を失って項垂れた。

「下手なのは分かってるケドよ、博士に頼んでも忙しいとかで断られちまうしよぉ……とっほほ〜……」

 口元をとがらせて、右手と左手の人差し指を目前で押し合っている。そんなヤマダに、リョーコは顔をしかめて呻いた。

「元気があってもなくても鬱陶しいヤツだなぁ……」

「とほほ……いいリアクションだわ」

「……ヤマダ君、良かったらあたしが描いたげよーか? これでも漫画家志望だよ?」

「ほ、ホントかっ!?」

 急に元気を取り戻して色めき立ったヤマダがヒカルに詰め寄る。

「うん。どうせ暇だし。これくらいならそんなに時間も掛かんないでしょ。まずはラフでもいいから、ちゃんとマークをデザインしないと……」

「そ、そーか!」

「それでねぇ、ここの色は……」

「いや、だがこれは……」

 ヤマダの下手くそな絵を囲んで論議するヒカルに、リョーコはイズミと顔を見合わせると、盛大な溜め息をついた。

「ったく、ヒカル、オレ達ぁ先行ってるからな!」

 

 

 その声を聞いて、ナデシコ整備班班長ウリバタケ・セイヤは油汚れの付いた顔を上げた。

「んあ?」

 呻きとも付かない声を出して、先程から騒がしい声のする方を見やる。格納庫の喧噪とは違う、女性特有のキーの高い声だ。

「ありゃ、ヒカルちゃんとヤマダじゃねぇか。あんにゃろ、アニメおたくのくせに上手い事やりやがって……」

 アニメ云々については、ウリバタケも人の事は言えまい。もちろんヒカルもだが。

 二人は格納庫の隅に蹲って、なにやら紙に書き込んでいるようだ。それがどうやら何かのデザイン・マークらしい。

「そういや、ヤマダのヤツがエステバリスにマークを描いてくれとか言ってたっけなぁ。ったく、こっちはそれどころじゃねぇってのによ」

 独りごちて、ウリバタケはツナギのポケットからディスク・ケースを取り出した。

 ウリバタケがナデシコに残る事を決めた夜に、あのネルガル会長秘書のエリナが持ってきたひとつの光学ディスク。その中には、ある機動兵器の設計図 が記されていた。

 技術屋のウリバタケから見れば、まだまだバランスの悪いところもあったが……

「コイツが完成すりゃあ、間違いなく地球圏最強の機動兵器になるだろうぜ。しかも、乗るのがあいつとなりゃあな……」

 そのディスクのラベルには、無造作な字でこう記されていた。

 『プロジェクトAPC−002 黒百合』

 


 

「ルリルリには、これなんかいいんじゃない?」

 と、ミナトが手に取ったのは、少女の髪と同じ色をしたワンピース・ドレスである。袖口と裾にフリルが入っている以外に凝った意匠はないが、丁寧な 作りをしている。

「あ、ホント、よく似合いそう」

「はあ」

 生返事を返して、ルリは促されるままにワンピースを胸に当てた。そうしてみると、その服はまるで少女の為だけにあしらえたかの様に似合っているの が分かる。

 結局、女性陣は全員ブティックで洋服の選定に精を出していた。ミナトに手を引かれて、ルリとラピスも巻き込まれている。先程からミナト等が勧める 服を試着して、もはや着せ替え人形状態である。

 男性陣は、女物の洋服に囲まれ居心地悪そうに顔をしかめていた。

「ルリルリ、それ買っちゃおうか? とっても似合ってるわよ」

「はあ……でも、私はほとんど外に出掛けたりはしませんし。その場合も、ナデシコの制服があれば事足りますから、別段服を買う必要も無いと思うんで すが」

「駄ー目よルリルリ。女の子は、常にお洒落に気を遣ってなきゃならないんだから! それに、こんな仕事してるんだから、お洋服は買える時に買ってお かないと」

「そうですよ。それに、せっかくこんなに似合ってるのに、もったいないですよ。ねえ、黒百合さん?」

「ああ、そうだな」

 アサミの意見に即刻黒百合は頷いた。事実、その洋服はルリに似合っていたのだ――本当に。

「ほら、黒百合さんもそう言ってるんだから、買っちゃお?」

「はあ……」

 タグの値段を見る。38000テラン。高給取りのルリとしては払えない値段ではなかったが、11歳の少女の買い物としては少々高いかも知れない。

 だが、ルリが躊躇しているのは値段の所為ではなかった。

「……やっぱり、やめておきます」

 しばしの黙考の後、ルリはそう答えて洋服をハンガーパイプへと掛け直した。ミナトがさも残念そうな顔をしてみせる。

「えー、もったいない」

「いいんです。別に。私は……」

 言い差して、ルリは言葉を区切った。私は……何だというのだろう。

 こんな服は着る必要がないから? こんなヒラヒラした服は好きじゃないから? あるいは……こんな服を着て、普通の少女のような生活を送る事な ど、これから先あり得ないのだから……? 自分は、普通の少女とは違うのだから……

「ルリルリ?」

 ミナトに呼びかけられて、ルリははっと顔を上げた。

「あ、いえ。何でもありません」

「そう……?」

 気遣わしげな視線を向けてくるミナトから目を逸らせて、続ける。

「……何でもありませんから」

「ならいいけど……」

「あ、ミナトさん。ラピラピさんにはコレなんかどうですか?」

 アサミが白いブラウスを手に持ってミナトに駆け寄ってくる。と、ほかの客とすれ違う際に肩がぶつかって、彼女は小さな悲鳴を上げた。

「きゃっ」

 ぶつかった拍子に、掛けていたサングラスが目元からぽろりと落ちる。元々サイズが合っていなかったのだろう。帽子も一緒に外れて、艶やかな黒髪が さあっと広がった。

 ……沈黙。

 ブティックが、静寂に包まれる。時が静止したかの様に、誰もがその動きを止めた。来客も、従業員も。

 とさ……と虎のマークの入った野球帽が床に着くとの同時に、アサミの間の抜けた声がその静寂の中に響く。

「……あ」

 その後に続いたのは歓声だった。

「「「「きゃあああああっ!」」」」

「アサミちゃん! アサミちゃんでしょ!」

「きゃーっ、きゃーっ! 本物だーっ!」

「かっわいー!」

「ねえねえ、サインして!」

 たちまち人垣に取り囲まれるアサミ。数秒と経たずに姿の見えなくなった妹に、イツキは唖然とした。

「……な、なに? なんなの?」

「あー、やっぱり人気あるなぁ、アサミちゃんは」

「そ、そうみたいね……」

 実のところ、今の今までのイツキは半信半疑だったのだ――妹が、子役アイドルをしているなど。だが、こうも事実を突き付けられれば、認めない訳に はいくまい。

 イツキが呆然としている間にも、騒ぎを聞きつけたのか、人垣はどんどん膨れ上がっている。店内に納まり切らなくなるのも時間の問題だ。

「拙いな。騒ぎが大きくなる」

 眉をひそめて、黒百合。

「そ、そうねえ。どうしよっか」

「離脱するか」

「え?」

 ミナトが聞き返す前に、黒百合は行動に移っていた。するり、と自然な動作で人垣の間に割って入っていく。

 人混みの中を――特に制御されていない人混みの中を突き進もうとするのは、非常に困難である。だが、黒百合は器用に人と人との間をすり抜け、アサ ミへと近付いていった。背後に回り込んで彼女の手を取ると、唐突にアサミの姿が消えた。

 ざわざわとした困惑の声が広がっていく。

 黒百合の行動に呆気にとられていたミナトだったが、ふと気配を感じて振り向くと、いつの間にか背後に黒百合が立っていた。アサミを一緒に引き連れ て。

「あ、あら?」

 ミナトは目の前のアサミと人垣との間を、何度も視線を往復させた。当の本人であるアサミも、何が起こったか分からないのか、キョトンとした表情を 見せている。

 黒百合は誇るでもなく、いつもの通りの口調で宣告した。

「……逃げるぞ。出来るだけ静かにな」

 アサミの姿が消えた事に気付いた野次馬達が騒ぎ出す。

 その喧噪を背後に聞きながら、ミナト達は全速力でその場から離散した。

 

          ◆

 

 どれだけ走ったか、どの方向に進んでいるのかは、とうに分からなくなっていた。ともかく、自分でも訳の分からない焦燥感に突き動かされ、アキトは ひたすらに走り続けていた。走って走って走り続けて……人混みを離れ周囲を行き交う人の数もまばらになった辺りで、ようやくその足を止めた。

 ばっと後ろを振り向く。当然だが、後を追ってきている者などいない。

「はぁぁぁぁぁ〜っ」

 安堵の息をついて――アキトは自分の息が上がっている事に気が付いた。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて……その動作を幾度か繰り返し、呼吸が 整ったところで顔を上げた。

「あー、びっくりした。みんな、大丈夫……って、アレ?」

 目を丸くする。

 目の前には、紺のブラウスを着たツイン・テールの少女がいる。当然だ、咄嗟に彼女の手を引いたのは自分だったのだから。

 ルリの手を引いたのには、大した理由があった訳ではない。ただ単に、少女の体力ではアサミのファンの群から逃げ切るのは難しいだろうと思ったから に過ぎない。

 事実、少女はこれまでの逃避行で息が上がってしまい、呼吸を整えるだけで精一杯だ。普段どれだけ運動不足かがよく分かる。

 だが、それは問題ない。問題なのは、周囲にその少女のほかに誰の姿もない事だ。

「…………あれ?」

 上手く事情が飲み込めない。間の抜けた――と自分でも思った――声を上げて、アキトはもう一度周囲を見回した。

 誰もいない。アサミのファン達の姿もないが、アサミ当人やイツキ、黒百合やミナトや……ともかく、自分とルリ以外には誰もいなかった。

 ついでに付け加えるならば……いま、自分が何処にいるのかも定かではなかった。

「えーと、これってもしかして……」

 困惑するアキトに、息を整えたルリがお世辞にも好意的とは言えない視線を向けて言葉を投げ掛けて来た。そう、アキトを非難するように、冷ややかな 声音で、ぼそっと。

「……はぐれましたね」

 

     ◆

 

「――《ヴァイス》は現在洋服店を出て、メイン・ストリートを南側へ移動中。恐らく、湾岸のヴェルニー公園へ向かうものと思われる」

『了解。そのまま監視を続けろ』

「了解」

 ……声は暗がりの中から生まれ、暗がりの中へと消えていった。

 

 


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