「これは、一体どういう事だ……?」

 迫り来る嵐をやり過ごし、コンテナの陰に身を潜めた黒百合は、一緒に引き込んだエリナに詰め寄った。

 冷静を装ってはいるが口の端が引きつっているのが分かって、エリナは吹き出すのを堪えるのに大変な労力を費やさなければならなかった。

 努めて事務的な表情で、用意していた返答を述べる。

「ホシノ・ルリが攫われた事から考えて、孤児院に預けていた彼女たちの身も危うくなると見た方がいいでしょう?

 ヤイヅ・シティの孤児院にシークレット・サービスを回してはいたけど、あくまで表向きは通常の孤児院なんだから、あまりおおっぴらに警備は出来ないし。なら、いっその事宇宙戦艦に乗せてしまえば、少なくとも外敵を遮断する事は出来るわ」

「そんな事は分かってる! 今更言われるまでもない。俺が訊いてるのは、セレスティンの言っていた事についてだ!」

「言っていた事って?」

 エリナはそら惚けた。

「……何故、セレスティンが俺を父親と呼ぶ!?」

「だって、私がそう教えたんだもの」

 あっさりと答えるエリナ。黒百合が声を上げる前に畳みかける。

「彼女たちは研究所から出たばかりで、一般常識は皆無に等しいわ。それを、同年代の子供たちのいる孤児院に預けて、情操を育むっていう貴方の案は確かに有効だった。でも、彼女たちが普通に成長していけば……分かるでしょ? いつか、現実の壁に突き当たる。マシンチャイルドという現実にね」

 エリナがセレスティン達を引き取るために孤児院を訪れた時、少女たちが駆け寄ってきてこう訊いてきた。

『ワタシタチのパパってダレなの?』

 同じ孤児院の子供たちから訊かれたのだという。孤児院から引き取られるのは、通常は里親が決まった場合の事である。子供たちがそう勘違いしても無理はない。

 セレスティン達は、ここにいる子供たちとはまた事情が異なる。だが、それを知識はあっても常識に疎いこの少女たちにどう説明するべきか当惑したエリナは、悩んだ末に言ってしまったのだ。黒百合が父親になるのだ、と。

「……何故、そうなる」

 絞り出すような声音で黒百合が呻く。

「だーって。少なくともナデシコにセレスが乗る事は決定していたし、里親としては彼女たちの知ってる人物の方が適任でしょう? 保護者としての立場なら、いつも一緒にいられるからプライベートでも護衛は出来るし。何より他にいい言い訳が思いつかなかったんだから、しょうがないでしょう」

「その割には、随分と愉しそうだな」

「気のせいよ」

 きっぱりとエリナは断言したが、顔が半分笑いかけていたせいか、黒百合はお気に召さななかったようだ。ますます眉間の皺を深くさせた。

「……カーネリアンとオプシディアンはどうした?」

「彼女たちは、コスモスの方に行く事になってるわ。リスクは分散させないとね」

「それなら、セレスティンもナデシコに乗せる事は無いだろうが」

「そんな訳にもいかないわよ。見習いとはいえ、彼女たちは貴重なオモイカネ・シリーズのオペレーターなんだから。ナデシコにはホシノ・ルリっていう前例もいるし、マシンチャイルドに対する免疫もある。これ以上は無いくらいに条件は整ってるわ。事情が許せば、全員ここに連れてきたかったくらいよ」

「だがな……」

 なおも抗弁する黒百合に、エリナはすっと視線を伏せ、ぽつりと呟くように尋ねた。その声は、今までとは違う響きを帯びていた。

「そんなに、あの娘の父親になるのが嫌……?」

「……そういう事を言っているんじゃない」

「嫌なら、はっきり言って。その方があの娘たちの為よ」

 エリナのその言葉に、黒百合はしばし沈黙した。バイザーの向こう視線が虚空を撫でたのは、恐らく少女たちの姿を思い描いているからだろう。

「…………嫌な訳があるか」

「なら、良いじゃないの。何だったら、セレスにお母さんも作って上げれば?」

「馬鹿を言え。俺にそんな時間は――」

「パパッ!」

 黒百合の言葉を遮って響いたのは、話題に上っていたセレスティンの声だった。幼い顔立ちにのる大きめの瞳に涙を潤ませ、空色の髪を揺らして黒百合に飛びついてきた。

「セ、セレスティン? どうした?」

 青天石の少女は、戸惑う黒百合を潤んだ琥珀色の瞳で見上げた。

「なんにも言わないで、行っちゃヤダ……」

「あ? ああ、そうか。済まなかったな、セレスティン」

 昔ラピスにそうしたようにセレスティンの頭を撫でると、少女は嬉しそうに目を瞑った。

 その光景を見守るエリナの眼には、慈しみの光が湛えられていた。

 

 

 ――と、ここで終われば美しかったのだが。そんな一枚の絵画のような情景を、騒々しい喧噪がぶち破った。

「「「「「「「「黒百合(さん)!」」」」」」」」

 そんな声と共に、セレスティンを追ってクルーたちがなだれ込んで来た。たちまち人垣に飲み込まれる黒百合。

「どどどどどういう事なんですか黒百合さんって子供がいたんですか相手は誰なんですか私の知ってる人ですか淡泊そうな顔しててもやっぱりやる事はやってたんですね不潔です黒百合さん!」

「お、落ち着けイツキ。別にセレスティンは俺の本当の娘という訳じゃ……と言うか『やっぱり』って何だ」

「いえ、別に黒百合さんが女に興味なんか無いって感じのハード・ボイルドを装っていて実は女ったらしだなんて全然思ってません」

「本当か、おい」

「あら、酷いわねぇセレス。黒百合はセレスのパパは嫌だって」

「パパ……グスン」

「い、いや違うぞ? 決してセレスティンが嫌いだと言っている訳じゃ無くてだな……」

 慌てふためく黒百合に、ミナトが目元をハンカチで拭いながら諭すように語りかける。

「……黒百合さん、良いのよ、私は過去に何があっても気にしないから。大切なのは現在、そしてそれに続く未来よ。だからこの娘の事はちゃんと認知して上げましょ? この娘には何の罪はないんだし」

 穏やかな口調で、さらりと人聞きの悪い事を言ってくれた。

「いや、あのな……」

「言い訳は聞きたくないわっ!」

 ふるふるとかぶりを振って、ミナトは悲嘆に暮れて見せた。それを見たクルーたちがさざめきの声を上げる。

「黒百合さんって結婚してたんですね!」

「そんなそぶりは何も見せなかったのに……」

「でも、黒百合は認めてないらしいぞ」

「じゃあ、黒百合さんがナデシコに乗ったのは、実はこの子から逃げるためだったり?」

「それじゃあウリピーと一緒じゃん」

「男は女を置いて去る……嗚呼、何時の時代も泣くのは女〜♪」

「見損なったぜ黒百合!」

「ううむ、これは意外でしたな……」

「男として、責任はとるべきだ」

「いやっ、分かる、分かるぞ黒百合! この世で女房ほど怖いもんは無ぇ! そこから逃げ出したくなる気持ちは、よーっく分かる!」

「それって駄目じゃないスか、班長」

「ばかばっか」

「うーん、事情はあるんだろうけど、あんまり感心しないねぇ」

「「「「「黒百合さん、酷いっ」」」」」

「女の敵だよぅ♪」

「なかなか興味深い事実ね」

「あらあら、それじゃあイツキさんも大変ですね」

「くうぅっ、こんな小さな子を泣かせるなんて、親として恥ずかしく無いのか、黒百合ぃ〜っ!」

 男泣きに泣くヤマダの絶叫が締めくくる。

「こ、こいつ等……」

 それらを聞いていた黒百合は口元を引きつらせていた。呟く声も震えている。

 そして最後に、並みいるクルーたちが一斉に黒百合を振り返り、声を揃えて宣った。

『それで、相手は誰なの(なんだ)(なんですか)、黒百合(さん)』×全員(ラピス除く)

 ぴしいっ、と黒百合のこめかみに青筋が立つ。ついでに、その青筋にナノマシンの輝線が走った。

 堪えに堪えていた黒百合の堪忍袋は、とうとう音を立てて切れた。

「いい加減に……しろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 そりゃもう、ぶっつりと。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第33話

「心はままならぬもの」



 

 お昼時、ナデシコ食堂は今日も賑わっていた。

 クルーたちは午前の職務を終え、午後の活力を得るためにやってくる。

 そんな中、ひときわクルーたちの目を引く少女がいた。彼女が歩く先は自然と人垣が割れ、この小さな少女の行く手を阻むものはない。クルーたちの微笑ましげな視線に見守られて、セレス・タインはてくてくと歩いていく。

 手に持った食券に意識が集中しているせいか、その足取りは少々心許なく、あっちへふらふらこっちへふらふらする度に周囲から「あああ〜っ」という悲鳴に近い声が上がるのだが、少女はまったく気付いていないようだ。腰まで届く空色の髪を揺らしながら、セレスは一直線(のつもり)に目的の場所へ向かっていた。

 周囲の観衆が幾度か悲鳴と安堵の声を上げた後、セレスは目的地――すなわち食堂のカウンターへと到着した。

 大人の位置に合わせられたカウンターは、6歳児であるセレスには少々高すぎる。背伸びして、漸くカウンターの端に食券を置いた。

「ン」

 呼び掛けと言うにはあまりに言葉が少なすぎる。が、このナデシコ食堂の従業員が、この少女の声を聞き逃すはずがなかった。

 今日はトレイを回収していたミズハラ・ジュンコが少女に気が付いた。

「あ、セレスちゃん、いらっしゃい」

「……ン」

 セレスはさらに背伸びして食券を押し出す。

「あ、お昼ご飯ね。セレスちゃんは今日は何を頼んだの?」

「……お子様ランチ」

 ちなみにお子様ランチは、今まではメニューには載っていなかったのだが、6歳の少年少女が乗艦すると聞いたホウメイが子供たちのために用意した特別メニューである。

「お子様ランチなんだ。アレって美味しいもんね」

「……ハタが、スキ」

「ああ、旗が好きなんだ〜。ちょっと待ってね。すぐに用意するから」

「ン」

 ぱたぱたと駆けていくジュンコ。カウンターの前に残されたセレスは、そわそわと落ち着きなく身体を揺らしながら、ちらちらとある方向に視線を向けていた。

 

 

 その視線の先、さして離れていないテーブル席に、黒百合がラピス、ミナトらと一緒に腰掛けていた。

「……セレスちゃん、大丈夫かしら」

 先程からセレスの危なっかしい足取りをハラハラしながら見守っていたミナトは、まるっきり我が子を案じる母親のような心境で呟いた。

 それを聞いた黒百合は、いささか呆れながら、

「それほど心配しなくても大丈夫だろう。たかが食事を取りに行っただけだぞ」

「でも、転んだりしたら……」

「それもまた経験だ」

「……別に、それくらいやってあげてもいいと思うケド」

「いつでも何処でも、誰かがいると限った訳じゃないからな。自分で出来る事は自分でするのが当たり前だ。孤児院の教育方針もそうだったらしい」

「そうなの。いい所ね、そこって」

「ああ。それに、何時までも俺にべったりという訳にもいかんだろう」

「まあ、それはそうだけど……」

 ミナトは語を濁した。黒百合は口ではそんな事を言いながらも、視線はセレスの方から離れようとしない。セレスの身体が傾く度に、ぴくっと肩が震えているのだ。その様子が何とも可笑しく、ミナトは含み笑いを漏らしてしまった。

「……何だ」

 自覚があるのか、黒百合は仏頂面を作った。

「いーえ、何でも」

「……別に俺が何もしなくても、お節介焼きが周囲にたむろしてる。何かあっても問題はない」

「ま、確かにそうよね」

 言い訳がましい黒百合の言葉に、ミナトは苦笑で応えた。

 セレスとハーリーの存在は、ナデシコ・クルーたちには概ね好意的に受け入れられた。それはひとえに、ルリやラピスという前例があった事が大きい。

 ルリはナデシコ出航当時からオペレーターという要職を勤めており、クルーたちで彼女の顔を知らない者はいない。人付き合いが悪いため顔見知りは少ないが、ウリバタケが会長を務める『ルリルリ・ファン・クラブ』の会員数は、ナデシコ全男性クルーの3/5を超えた。

 また、火星からナデシコに乗艦したラピスは、黒百合の後について回っている姿が多数確認されており、ルリと同じく言葉を交わした者は少ないものの、年齢が近い分ファンも多い。現在ナデシコ艦内には、確認されているだけでも『ラピスちゃん親衛隊』『ラピラピを黒百合の魔の手から守る会』など、複数のファン・クラブが組織され、それぞれ水面かで抗争を繰り返しているらしい。

 ともかく、そんな中新たに現れた青天石の少女セレス・タイン――通称セレスティンは、まさに新たな旋風を艦内の男共に巻き起こしたのだった。

 また、マキビ・ハリ――通称ハーリーは、今まで艦内にはいなかった癒し系の男の子として、ナデシコの女性クルーたちに諸手を挙げて歓迎された。

 ハーリーはマシンチャイルドとしては異例な事に、当初から里親であるマキビ夫妻の元で育てられているため、他の少女たちと比べて世俗の常識をわきまえている。

 6歳という年齢は、ナデシコの女性クルーたちの母性本能をいたくくすぐったらしく、女風呂に連れて行かれたり、寝床に誘われたりと、毎日のようにおもちゃにされ……もとい、可愛がられていた。

 『黒百合隠し子疑惑』が一段落した後、二人を誰が預かるかで一悶着起きたのだが、結局セレスは黒百合から離れようとはせず、また彼の被保護者として手続きもエリナの手で済まされていたため、そのまま黒百合が引き取る事となった。それに伴って、黒百合は今まで使っていた個室から、世帯用の部屋へと移動していた。

 ハーリーの方は、並みいる女性クルーたちが我こそはと挙手したのだが、同性相手の方が気を遣わずに済むだろうという事で、男性クルーの中では最も良識のあると思われるアオイ・ジュンの許で生活する事となっていた。

「みんな、セレスちゃんが可愛いのよ。私も、子供が出来たらこんな感じなのかな〜って思うコトあるわ」

 セレスを見守る黒百合の横顔に上目遣いで視線を注ぎ、ミナトがさも意味深な事を言う。が。

「そうだな。俺も恐らくそんな感じだろう」

 黒百合は裏の言葉にはまるで気付かない様子だ。

「…………。そうね」

「そう言えば、今日はイツキとは一緒じゃないのか?」

「え? ええ、イツキちゃんは今日は用事があるみたいだったケド。何で?」

「いや、最近よく一緒にいるのを見るからな。仲がいいんじゃないのか?」

 黒百合はどうやら、ミナトとイツキがいつも一緒に黒百合の傍にいる理由を、その様に思っていたらしい。これには、流石のミナトも呆れた。眉間に指を押しつけ、

「……黒百合さん、ホンっトーにそう思ってたの?」

「ああ。違うのか?」

「…………」

 ミナトは答えずに――黙って頭を抱えた。

「どうしたんだ、ミナトさん?」

「……ううん、何でもない。あ、ところで黒百合さんって、どうして私の名前呼ぶのにさん付けするの?」

「ん? いや、特に意味はないが……強いて言えばそれが呼びやすいからだな」

「それって変じゃない? 私の方が年下なんだし」

 実を言うと『以前』は年上だったから、などとは言えない。

「まあ……そうかも知れんが」

「じゃあ、これからは私の事は呼び捨てで構わないから♪ 良いでしょ? イツキちゃんだって呼び捨てにしてるんだし♪」

「む……まあ、構わないがな」

 そんな事をやってる内に、トレイを持ったセレスが黒百合たちの元に戻ってきた。

「……パパ」

「ああ、セレスティン。一人で持って来れたのか。偉いぞ」

 黒百合は笑みを浮かべて、セレスの空色の髪を撫でた。気持ちよさそうに目を瞑るセレスの仕草は、まるっきり仔犬を連想させる。

「セレスちゃんって、やっぱりイヌ系よね……」

 そんなミナトの呟きを余所に、黒百合をお子様ランチの乗ったトレイを手に取ると、自分の席の前に置く。そして少女の両脇に手を差し込み、そのままひょいっと持ち上げて自分の膝の上に乗せた。

「さ、手を合わせるんだ、セレスティン」

「……ン。イタダキマス」

 黒百合に言われるまま、ちょこん、とお辞儀をするセレス。スプーンを掴み、お子様ランチのチキンライスにさくりと差し込んだ。

「って、ちょっと待ってよ」

「どうした、ミナトさん?」

「ミ・ナ・ト」

「……。どうした、ミナト」

「あ、えっと……」

 事も無げに返されて、かえってミナトの方が困惑してしまった。そんな彼女に黒百合は首を傾げ、彼を真似してセレスも首を斜めに倒した。倒しすぎてバランスを崩したが、そこはすかさず黒百合が受け止めた。

「あの……もしかして黒百合さんって、食事の時いつもセレスちゃんを膝に乗っけてるの?」

「そうだが。それが?」

「な……何で?」

「子供用の椅子が無い」

「なら、別に作って貰えばいいじゃない」

「いや、確かにそうなんだが……」

 黒百合はぽりぽりと頬を掻いて、自分の胸を背もたれにしている少女に目を落とした。

「セレスティンが、こっちの方が気に入ってるみたいでな。まあ、誰に迷惑の掛かる事でもないし、好きにさせてる」

「そ、そお。それってさっき言ってた事と矛盾してるような気もするけど……」

「そうか?」

 首を捻る黒百合に、ミナトはひとつの確信を得た。

(黒百合さんって、親バカなのね……)

 意外と言えば意外だが、今までの言動を振り返るに、思い当たるところもあったりする。

 得心して、ひとりうんうんと頷いているミナトに、黒百合は訝しげな視線を向けた。

 

 

「黒百合さん、ミナトさん、ラピス君。今お食事ですか?」

 そう声を掛けてきたのは、隣のテーブルに着いたジュンである。

「あら副長。あ、ハーリー君も一緒なのね」

「こ、こんにちは」

「ふふっ、こんにちは」

 ミナトに微笑みを掛けられて、ハーリーは頬を赤らめさせた。結構おませさんらしい。

「副長もいま昼飯か」

「ええ。ちょっと遅くなりましたが。あ、ハーリー君。食事は僕が持ってくるから、君はセレスちゃんとお話でもしていなよ」

「ええっ、そ、そんな訳には……」

「いいからいいから」

 手を振りながらジュンはカウンターへと歩いていった。その背中を、置いてきぼりにされた迷子のような視線で見送るハーリー。

「あああ〜……」

「なーに、ハーリー君。おねーさんたちと一緒にお食事するのがそんなにイヤ?」

「い、いえ、そんな訳じゃあ……ただ、セレスが……」

「……ナニ?」

 じろっと黒百合の膝の上から睨まれて、ハーリーは身を縮こませた。

「な、何でもない……」

 どうやら不思議な力関係が生じているらしい。

 一方、食事を受け取りに行ったジュンは。

「すいませーん」

「あ、はーい。いらっしゃーい副長さげふうっ!?」

「いらっしゃいアオイさん。何にしますか?」

「あ、タナカさん。あの……ミズハラさん大丈夫? 何だかすごい勢いで倒れたみたいに見えたけど……」

「あらジュンコ。なんでこんな所で倒れてるの。それはともかく、何にします?」

 にっこりと微笑まれて、ジュンはそれ以上追求できなかった。

「え、えーっと、お子様ランチと、ナデシコ定食をひとつずつ……」

「はーい。お子様ランチとナデ定ですね。お届けしますから、テーブルで待ってて下さいね♪」

「え。いや、タナカさんも忙しいだろうし、出来るまで待ってるよ」

「いーえ! これもサービスの一環ですから!」

「そ、そう? 悪いね」

 とまあ、こんな感じの会話をタナカ・ハルミと交わしていた。ジュンが席に戻って行くと、

「ハルミったらひどーい!」

「あはは、御免ねぇジュンコ。後でデザート奢ったげるから」

 などという会話が聞こえてきたのだが、ジュンは「仲が良いなぁ……」としか思わなかった。

 その様子を眺めていたミナトが、驚いた口調で誰にともなく呟いた。

「あらら。もしかしてハルミちゃんって……」

「ふむ。どうもそうらしいな」

「そうねぇ……って、ええっ!? 黒百合さん、分かるの!?」

 ミナトは心底驚愕した。黒百合は不服そうに、

「いや、流石にあれほど露骨なら、いくら何でも分かるぞ。ま、副長はまだ気付いていないようだが」

「そ、そんな……黒百合さんは絶対、天地がひっくり返っても神様が死んでも宇宙が爆発しても、恋愛事にはまるっきり皆目ぜんっっっっぜん気付かないものだと思ってたのに……」

「……おい。一体全体人を何だと」

「朴念仁」

「…………」

 あっさり言われて黒百合は沈黙した。少しは自覚があったのかも知れない。あるいは、誰かから言われた事があったか。

 口を閉ざした黒百合の膝の上では、セレスが相変わらずマイペースにお子様ランチを口に運んでいた。

「…………」

 そしてそれらの様子を、ラピスはずっと物言いたげな視線で見つめていたのだが、それに気付いた者は居なかった。

 


 

 セレスとハーリーがやって来て最も影響を受けたのは、彼らの保護者となった黒百合とジュンだろう。何しろ寝食を共にしているので、生活習慣にダイレクトに関わってくる。ましてや、相手は6歳の子供である。彼女、あるいは彼のために割く時間が増えるのは自然の成り行きだった。

 通常、6歳児と言えば小学一年生。周囲や親の事など気にせずに、我が儘言いたい放題の年頃(偏見含)なのだが、この二人は違った。

 揃って特殊な生い立ちの所為もあるが、セレスは基本的に黒百合と一緒にいられれば満足なのである。ナデシコのメイン・コンピューターであるオモイカネについて先達であるルリから注釈を受けている際も、あるいはナデシコの運用プランについて黒百合がユリカやジュンらと論議を交わしている際も、夜中に起きてトイレに行く際もお風呂に入る際も、傍らに黒百合がいて手を握ってくれれば少女はご機嫌だった。

 あまりにも黒百合べったりなため、依存しすぎるのではないかと黒百合は危惧したのだが、セレスは他のクルーたちとも打ち解けているようで、その辺りの心配はないようだった。

 相変わらず口数は少ないものの、人見知りは緩和しているようで、黒百合はヤイヅ・シティの孤児院の保母さんたちに感謝した。

 また、ハーリーの方は里親の躾がしっかりしていた所為か、6歳児としては随分と周囲に気の回るタイプだった。保護者となったジュンに負担を掛けないようにと、自発的に部屋の掃除などを行っているらしい。

 ナデシコの改修工事はもう既に終わっていた。後はソフト・ウェアの最終テストと、新たなバイパスを増設した相転移エンジンの試運転を待つのみとなっている。

 黒百合は、正直言ってあまりやる事はない。副提督と言っても肩書きだけでさしたる権能がある訳でもなく、従って彼が決裁しなければならない書類がある訳でもない。戦術面では基本的にユリカを信頼しているため、会議には出席しなければならないがあまり口を挟むような事もない。それとなくムネタケを牽制する事は怠らないが。

 毎日必ず行う業務としては、シミュレーターでパイロットたちと一戦交えるくらいのものだった。自然、セレスと一緒にいる時間は多くなる。

 逆に、オペレーターはソフト・ウェアの最終チェックに忙しい。見習いであるセレスやハーリーも、ルリやラピスと共にオペレートを行っている。

 今日も、艦内の重力制御プログラムの一部に不具合が生じ、それの補正が終わる頃には定時を割ってしまっていた。

「ふうむ……少々時間を取られてしまいましたな。予定していたよりも進まなかったようで」

「でも、あと2時間ほどでノルマはこなせます。オモイカネに自己チェックをさせてもいいですけど……」

 ルリがそう言うと、プロスは難色を示した。

「いえ、やはりこういったチェックは、人の手によっても行わなくては。結構人件費も馬鹿にはならないのですが、完全に機械任せにする訳にもいかないでしょう」

「オモイカネは、そんな失敗はしません」

「それはもちろんです。でなければ私たちも安心してナデシコには乗れませんからな。ともかく、後の予定に差し支えても何ですし、本日の予定の所までチェックを進めましょう」

「そうですか」

「ただ、セレスさんとハリ君は定時上がりという事で。流石に6歳児に時間外労働を強いたとあっては、いろいろと問題がありますからな」

「そうね、良いんじゃないの?」

 と言ったのはエリナである。彼女は副操舵士のくせに、何故かブリッジの最上段で胸を反らせて腕を組んでいた。

「ルリさんとラピスさんは、申し訳ありませんが、もう少し頑張っていただくという事で……」

「分かりました」

「……」

 ルリは頷いたが、ラピスは黙ったまま返事を返さなかった。

「……ラピスさん?」

 プロスが怪訝に思って声を掛ける。と、ブリッジのドアが開いて黒百合が入って来た。

「おや、黒百合さん。如何しました?」

「いや。定時も過ぎたんで、セレスティンを迎えに来たんだが」

「そうでしたか。丁度彼女は帰そうかと思っていたんですよ。ラピスさんはもう暫く残って頂かなければならなくなったのですが……」

「そうなのか。大変だな」

 黒百合がラピスの方を見ると、彼女は俯くように視線を逸らせた。

(……?)

 黒百合は訝しんだが、それほど深刻な事とも思えず、セレスに声を掛けた。

「さ。帰るか、セレスティン」

「……ウン。パパ」

「ラピスも、仕事が残っていて大変だが、しっかりな。ルリちゃんも。何だったら夜食でも取ればいい」

「あ、はい。どうも」

「…………」

「……? ラピス?」

 なおも声を返さないラピスに、流石に黒百合もこれはおかしいと思い至った。普段であれば、彼女が黒百合の呼び掛けに返事をしないなどという事はない。

「どうしたラピス。具合でも悪いのか?」

「…………ズルイ」

「……え?」

「そのコばっかり、ズルイ!」

 突然ラピスはシートを蹴って立ち上がり、薄桃色の髪を揺らして黒百合を振り返った。彼を見つめるその琥珀色の瞳は、潤んだ涙が今にも溢れそうになっている。

「ラ、ラピス?」

 初めて目の当たりにするラピスの激昂ぶりに、黒百合は戸惑った。今まで、彼女が感情を乱しているのを見た事が無い訳ではない。だが、今回のは今までとは違っているように思えた。

 突然の事に、エリナやプロスはもちろん、ルリまでも驚きの表情で彼女を見返していた。それらの視線に構わずラピスは続ける。

「そのコばっかり、アキトと一緒にいて! そのコばっかりアキトとオシャベリして! ワタシといても、アキトはゼンゼンワタシに構ってくれないのに!」

「な……」

「ズルイ! ズルイ! ワタシもアキトと一緒にいたいのに! アキトとオシャベリして、一緒にオフロに入って、一緒にオヤスミしたい!」

「い、いや、落ち着けラピス。流石にいま一緒に風呂にはいる訳にはいかんだろう?」

「どうして!?」

「ど、どうしてって……ラピスはもう立派な女の子なんだぞ? 昔とは違うんだから……」

「ワタシは一緒がイイ!」

「いや、ラピスが良くても、世間体と言うかだな。年頃の娘が異性と混浴するのはいろいろと問題が」

「どうしてそんなコト言うの……? アキトはワタシがキライになったの? ワタシはもう要らないの?」

「ち、違う! 違うぞラピス? そうじゃなくてだな……」

「ウソ!」

「嘘じゃない」

「なら、一緒にオフロに入って!」

「や、やけに風呂に拘るな。だから、それは……」

 黒百合は動揺しまくりで、ナノマシンの輝線を明滅させながらも、何とかラピスを宥めようとなけなしの努力を払った。

 だが、彼女の怒声に怯えたセレスが腰にすがりよっていたため、黒百合の苦心も虚しくラピスの機嫌は降下の一途を辿るばかりだ。ぼろぼろと涙の雫を零しながら、黒百合を糾弾する。

「アキトは……アキトはワタシより、そのコの方が大切なんだ……だから、そのコばっかり……

 ワタシは……ワタシがアキトのオヨメサンなのに!」

「お、お嫁……!」

「アキトの……アキトのウワキモノ〜っ!!

 いろいろな意味で人聞きの悪い事を口走りながら、ラピスはブリッジを飛び出していった。黒百合は追おうにも、腰にぴったりくっついたセレスの所為でそれもままならない。

「ラ、ラピス〜っ!」

 伸ばした手は、少女の腕を掴む事は叶わなかった。ドアが閉じて、ラピスの姿が向こうへと消える。

 後に残された者たちは、あまりの事態に呆気にとられていた。我に返ったプロスが黒百合に問い掛ける。

「……黒百合さん、ラピスさんと結婚してらしたのですか……。言って下されば、扶養手当なども付けられましたのに……」

「って言うか、お風呂に一緒に入ってたの?」

「……黒百合さんって、実はロリータ・コンプレックスだったんですね」

「あわ、あわわ……」

 上からプロス、エリナ、ルリ、ハーリーの順である。

「い、いや、『お嫁さん』っていうのは言葉のあやで……それに、風呂に入っていたって言うのも、ラピスが11の事だぞ? あれからもう1……いや、4年経っているんだからな」

「じゃあ貴方は11歳のあの娘と結婚した訳ね? なら黒百合って……アリコン?」

「そうなんですか……?」

 すすっ、とルリがシートを動かして黒百合から距離を取った。

「違う! 人聞きの悪い事を言うなエリナ! ルリちゃんが信じかけてるだろうが!」

「違うの?」

「断じて違う!……って、こんな事言っている場合じゃないんだ。ラピスを追わないと……」

「ですが、あの様子では話の出来る状態ではなかったようですが……もう少しして、ラピスさんが落ち着かれてからの方が宜しいのでは?」

「うっ」

 プロスの意見に黒百合は呻き声を上げた。まさしく言う通りだった。

 がりがりと頭を掻きむしったあと、自らの心を落ち着かせるように大きく息を吐いた。

「まさか、ラピスがな……」

 あのラピスが声を荒らげるなど、想像だにしていなかった。

 だが考えてみれば、黒百合がラピスと離れ離れになってから、黒百合の時間で1年、ラピスの時間で4年以上の月日が流れているのだ。自分の知らない一面を持っていたとしても不思議ではない。

 そう言えば、火星でラピスと再会してから、今までの事を腰を据えて話した事など無かった。ラピスなら何も話さなくても通じていると、こちらの事を察してくれると、無意識の内に考えていたのかも知れない。かつて精神をリンクしていた後遺症とはいえ、これでは自分もラピスの事は言えない。

(結局、俺もラピスに依存していた部分があったという事か……)

 それにしても、あのラピスの激発は、悪い事ではない。恐らくは黒百合に構って貰えない寂しさからとは言え、依存の対象に対して抗議の意を露わにしたのだ。それは黒百合に対する依存症が、以前よりも緩和されている事を示している。そして、ラピスの情操も、黒百合が思っていた以上に成長していたようだ。

 ここで対応を誤らなければ、ラピスの心はさらに成長していくだろう。彼女も肉体年齢で15歳を数える。思春期を経て、もうそろそろ親離れをしてもいい年齢と言えるだろう。

 感慨に耽っている黒百合の思考を引き戻したのは、ルリの冷静な声だった。

「それで、今日の残業はどうするんです? ラピスさんは行ってしまいましたけど」

「ううむ。こうなっては、ルリさんだけにお仕事をさせるというのもいささか拙いですかな。分かりました。今日の所は此処までにして、残りはまた後日と言う事で……」

「私は構いませんが……」

 ルリは言いながら、ちらと黒百合を窺う。それは彼女だけではなく、エリナやプロスも同様だ。

 黒百合はその視線に込められている意味を悟って、深々と溜め息をついた。

「……分かった。ラピスには俺から話しておく」

「はい、お願い致します」

 にっこりとプロスは営業スマイルを浮かべた。

(それにしても……)

 黒百合はラピスの飛び出していったドアの方に視線をやりながら、心の中で自嘲した。

(それにしても、ままならないものだな。心っていうのは)

 ラピスの自立を喜んでいる反面、少女が自分から離れていく事に一抹の寂しさを感じているのだから。

「娘を嫁に出す父親の心境っていうのは、こういうものなのかも知れんな……」

 その黒百合の呟きを耳聡く聞き止めたエリナは、ぷっと吹き出し掛けた笑いを苦労して抑え込まなければならなかった。

 

 

 そして此処にも耳聡い面々がいた。

 ブリッジの下部、パイロットたちの待機スペース。海岸の岩に張り付く磯海苔のように、アマノ・ヒカルとマキ・イズミが息を押し殺して身を隠していた。

 上部で人が出ていく気配を感じながら、互いの顔を見合わせる。声を潜めて、

「……聞いた?」

「……聞いたわ」

 そして、二人揃って『にやぁ〜っ』と笑みを浮かべた。

 その後、ブリッジでのこのやりとりは、『黒百合幼妻発覚事件』として、あらゆる憶測と共にナデシコ艦内を駆け巡る事となるのだった。

 

 


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