「アキトっ!」

「パパッ!」

 そう声を上げて医務室に飛び込んできたのは、ラピスとセレスだった。ベットに腰掛けている黒百合を見つけるや、すぐさまその胸に飛び込む。

 二人の少女を受け止めた黒百合は、穏やかな声で泣きじゃくる寸前の妖精達を宥めた。

「二人とも、少し落ち着け。俺は何ともないから」

「……怖かった」

「うん?」

「アキトの声が聞こえなくなって……また、アキトがドコかに行っちゃうんじゃないかって思って……スゴク怖かったの」

「……そうか。心配掛けて済まなかったな、ラピス、セレスティン」

「ウウン。アキトが無事なら、イイ」

 健気に答えるラピスをそっと抱き寄せると、薄桃色の妖精はそれまで堪えていたものを噴き出すように、涙の雫を零して黒百合に縋り付いた。

 それを見つめるイツキの視線は、決して単純なものには成り得なかった。

 

          ◆

 

「黒百合さんっ!」

 格納庫から続く廊下で黒百合が吐血している場面に出くわしたイツキは、当初は茫然自失となったものの、我に返ると慌てて黒百合へと駆け寄った。その際、床に落としたカップを蹴飛ばしたが、気付きもしなかった。

 気遣わしげなイツキに対する黒百合の返答は、明確な拒絶だった。

「……何でもない」

「何でもないはずないじゃないですか! いま、血を吐いてたでしょう!?」

「俺は何ともない。大丈夫だ」

 そんな事を頑なな表情で言われても、納得できるはずがない。

「医務室に行きましょう。ケイさんに診察して貰って――」

「その必要はない。俺は、これからブリッジに上がらなければならんしな」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょう!」

「そんな場合なんだよ」

 黒百合に意見を翻すつもりが無いのを見て取って、イツキは攻める方向を変えた。

「……わかりました。ブリッジに行くのは止めません。その代わり、ケイさんを呼んで来ますから、ブリッジで診察して貰って下さい」

「仮にも副提督が、戦闘中に医者に診察なぞされる訳にはいかないだろう」

「もうすぐ戦闘は終わります。それに、作戦指揮中の司令官が傷の治療をしながら陣頭指揮をした例は、過去に幾らでもあります」

「流石に育成学校上がりの優等生は、戦史にも詳しいんだな」

「誤魔化さないで下さい! それでも駄目だと言うのなら、人を呼んで無理矢理にでも医務室に連れて行きます」

「……甘く見るなよ。俺相手に、出来ると思うか?」

「出来るかどうかが問題じゃありません。黒百合さんこそ、私を甘く見ないで下さい」

 厳しい口調と表情で、イツキは黒百合を見つめやった。

 無言で視線をぶつけ合う二人。

 緊迫を孕んだ対峙の時間は、黒百合が視線を逸らした事で終わりを告げた。

「……わかった、医務室に行く。人を呼ぶのはやめてくれ」

「承知してくれて嬉しいです。私もご一緒しますから」

「君は格納庫に戻った方がいいんじゃないのか?」

「いーえ。どちらにしても、再出撃の準備に30分はかかるんです。黒百合さんがちゃんと医務室に行くのを、ちゃんと見届けさせて貰いますから」

「……そんなに俺は信用ないのか」

 黒百合が憮然とした声音で呟く。それに対するイツキの返答。

「当たり前じゃないですか。黒百合さんは、何時だって無茶ばかりして。火星の時だって、私がどんな思いで居たか……」

「厳しいな、イツキは」

 俄に、黒百合の声に柔らかいものが混ざって、イツキは続けかけた言葉を飲み込んだ。

 

 

 イツキに手を引っ張られて医務室に連れ込まれた黒百合は、驚くケイとイネスに誘われて、診察用の椅子に腰掛けた。

 ケイが慌ただしくも素早く治療の準備を進める傍ら、イネスは診察器を取り出して黒百合と向かい合った。

「それじゃ、上着を脱いで」

「え?」

 と、声を上げたのはイツキだった。何故か、頬を微かに染めている。

「当然でしょ? 診察するにしても、服越しという訳にはいかないし」

「そ、それもそうですね」

「じゃ、脱いで」

「…………分かった」

 返答するまで間があったのは、イネスやイツキの視線に、医学的所見以外の成分が含まれているように感じたからだが、確かに服を脱がない訳にもいかない。

 黒百合はマントを外し、そこで先程から期待の目を向けている三人(ケイも混ざった)に視線を向けて、

「……あまり、見て嬉しいものでもないと思うがな」

 そう断りを入れて、腰に付いているスイッチを押した。すると、インナーを構成していたナノマシンの結合が解けて、腰の装置へと吸い込まれて行く。そして露わになった黒百合の身体を見て、三人は揃って息を呑んだ。

 決して筋骨隆々とした体つきではなく、どちらかと言えば細身な方だろう。しかし、絞り込まれたその肉体は、精悍な野生動物を彷彿とさせる。だが、三人が驚いたのはそんな事ではなかった。

 露わになった黒百合の首から下の至る所に、凄惨な傷痕が刻み込まれていた。裂傷が主だったが、脇や背中などには火傷とおぼしき痕も見受けられた。

 イツキは思わず口元に手を当てて、イネスは目を見開いて、ケイは痛ましそうに眉を顰めて、三人それぞれの方法で驚きを表現する。

 イツキとイネスの二人は、揃って以前聞いた黒百合の話を想起した。火星の研究室で人体実験に遭い、五感を失ったと。この全身の傷痕は、その名残を身体に留めるものだろうか。それぞれ異なる理由から、二人は問い質す事は出来なかった。

 内心の感情を押し殺して、イネスは一通りの診察を済ませる。聴診、触診、脈拍測定。それらが著すデータからは、黒百合の体調を推し量るものは出てこなかった。

「……ちょっと脈拍が早いくらいね。まあ、吐血したとすれば当然だけど。CTスキャンが出来ればよかったんだけど、流石に戦艦には積んでないし。あとは採血して解析してみましょうか。ちょっと腕を出して」

「…………」

「黒百合さん?」

 無言のまま動かない黒百合に訝しげな視線を向けるイネス。イツキもまた気遣わしげに黒百合を窺うが、彼の背中からは拒絶の気配が読みとれるだけだった。

「……黒百合さん」

 それまで言葉を発しなかったケイが、静やかな声音で語りかける。

「心当たりがおありでしたら、この場で仰っては頂けませんか? イツキさんも、イネスさんも、黒百合さんの身体を心配しているんですから」

「……」

 黒百合はゆっくりと視線をケイに向けて動かす。視線が交差して、声のない会話が交わされたように、見守っているイツキには思えた。

 しばしの空白の後、折れたのは黒百合の方だった。大きく息を吐き、諦めたようにかぶりを振る。

「ケイさんには敵わんな……」

「それじゃあ……」

「……ああ。これから俺の身体についての全てを話そう。確かにどのみち、このままでは限界が近いとは思っていたんだ。ただ、言い出す契機が掴めなかっただけで……」

「黒百合さん?」

 イツキには、今の黒百合がやけに弱々しく見えた。自分などより遥かに優れたパイロットに対して失礼だとは思ったが、本当にそう見えたのだ。

「だが、ひとつだけ頼む。これから言う事は、他の誰にも他言はしないでくれ。たとえ、どれほど親しい相手だとしてもだ」

 三人の女性は顔を見合わせた後、揃って首を縦に振った。黒百合はそれに頷きを返し、訥々と語り出す。

「……俺の身体は、もう長くはない――」

 

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第37話

「プレリュード」



 

『俺の体は、人体実験により無計画に投与されたナノマシンに蝕まれている。俺の五感が失われたのも、肥大化した補助脳が神経系を圧迫しているからだ』

『それらのナノマシンが体の中で相反し合い、たびたび暴走を引き起こす。最初はちょっとした痛みだったんだが、最近は内臓から出血するまでになった』

『俺の体の中では、今も用途も定まらぬナノマシンが増殖を続けている。やがてそれが限界を超えたとき、脳細胞をナノマシンが突き破り、俺は死ぬ』

『ナノマシンを取り除く方法はない。なにしろ、どんなナノマシンを投与されたかさえ定かではないんだ。以前に俺を看ていた博士は、あと2年の命だと宣告した。そのリミットまで、あと数ヶ月……』

『残された時間は少ない。俺が死ぬまでに、成すべき事を成し遂げなければならない。それが、俺がナデシコにいる理由だからだ』

 黒百合の口から語られるそれらの言葉を、イツキは遥か遠くに聞いていた。

 彼女のたぐいまれなる理性は、黒百合の言葉の信憑性を認めている。確かに、言われてみれば思い当たる節は幾つかあった。気付いてはいなかったが、不審には思っていたのだ。

 だが、激しい感情が理性をねじ伏せていた。イツキは、黒百合が死ぬなどとは信じたくはなかった。

 黒百合の口調は淡々としたもので、そこに感情の揺らぎは含まれていない。

 そこまで確固たる意志を支えている、黒百合の目的とは何なのか。問い質しても、彼は答えてはくれないだろう。無益だと知りつつも、イツキは治療のために療養すべきだと訴えた。何の目的であれ、命を粗末にするべきではないと。

 それに対する黒百合の返答は、いっそ穏やかだった。

『駄目なんだよ。俺は今まで、後悔ばかり積み重ねてきた。だから、最後だけは決して後悔のないようにしたいんだ。

 自己満足だということは分かってる。だが、でなければ、俺が今まで生き延びてきた意味がない。大切なものを護れないなら、俺が戦ってきた意味がないじゃないか……』

 黒百合の視線は、広げた自分の掌に向けられているが、彼が見ているのはその向こうにあるものだという事は間違いなかった。それは、黒百合の心中にしか存在し得ないという事も。

 イツキは掛けるべき言葉も語るべき言葉も失い、ただ黒百合を見つめているしかなかった――

 

 

「――ツキ、イツキ!」

 ジェシカの声が、イツキの意識を過去から現在へと引き戻した。

「え? な、なにジェシカ」

「なにって――あたしの話聞いてる?」

「え、ええ――その、な、何だったかしら?」

 たどたどしいイツキの返答が全てを物語っている。ジェシカは肩全体で溜め息をついて、

「もういいわよ。それにしてもイツキ、さっきからずっとぼんやりしてるけど、何かあったの?」

「な、何にもないわよ」

「ウソばっか。イツキがそうやって言う時は、決まって何かあるの。まあ無理には訊かないケド、相談だったらいつでも乗るから。ね?」

「……ええ。ありがとう。ジェシカ」

 イツキは親友の気遣いに感謝した。実際、まだ彼女の裡でも整合されていなかったのだ。それに何より、他人に相談できる事でもなかった。黒百合には固く口止めされていたからだ。

 

          ◆

 

 ……あの後、戦闘も終了し、ラピス達にしがみつかれている黒百合を医務室に置いてブリッジに上がったイツキは、そこで懐かしい旧友たちとの再会を果たした。

 クロウ、ジェシカ、シンヤ、カズマサ。かつて戦場を共にした仲間たち。先程は戦闘中という事もあり、短く言葉を交わすだけで終わってしまったが、こうして友好を温める機会をもてたのは喜ばしい事だった。

 彼ら四人は、ナデシコ・クルーたちの好奇の視線も集めていた。イツキと同じく、第一次火星会戦後の火星から民間人を救出してきた『スノー・ドロップの奇跡』の英雄! ただでさえ珍しもの好きなクルーたちの関心が寄せられないはずがない。

 彼らは今でも自分の知名度をまったく知らないイツキと違って、一般世間で語られる自分たちの肖像というものを知っていたから、好奇の目を向けられてもごく自然な態度を崩す事はなかった。

 また、彼らがナデシコのブリッジを踏んだのは、イツキと再会するという副次的な目的があったにせよ、軍務を果たすためでもあったのだ。

 まず、最初に事務的な話が進められた。ユリカが第07特務部隊の旗艦である巡洋艦シクラメンに通信を入れ、艦長兼部隊長であるハリス・モートン中佐に謝辞を述べた。

「ナデシコ艦長のミスマル・ユリカです。救援、ありがとうございました」

『いやいや、友軍の危機にはせ参じるのは当然の事だ。礼を言われるほどでもないさ」

 モートン中佐は30半ばの少壮の黒人で、ブラウンの瞳と頭髪を携えた精悍な軍人だった。ビック・バリア突破の件からナデシコの事を嫌っている者の多い宇宙軍の中にあって、周囲とは意見を異にしているらしかった。ナデシコの事を『友軍』と呼称したのがその表れである。

 いかつい骨格の上に今は柔和な表情を乗せて、モートン中佐は続ける。

『さて、遅蒔きだが自己紹介をさせて貰おう。これから貴艦と作戦行動を共にする、第07特務部隊長兼シクラメン艦長のハリス・モートン中佐だ。こちらの暴れん坊どもがそちらに邪魔しているとは思うが、共に宜しく頼むよ』

「そりゃねェよ、艦長……」

『ごほん。さて、今作戦についてはミスマル中将から伺っているとは思うが……』

「はい。第二艦隊と合流して戦線を維持するんですよね!」

『そうだ。そして、第四次月攻略戦においては、特殊任務を帯びて月面に赴く事になっている』

「特殊任務?」

 おとがいに人差し指を当てて首を傾げるユリカ。そのさまは、士官服を着ていても軍人にはとても見えないのだが、モートン中佐は微笑ましいものを感じて顔をほころばせた。

『そう、木星蜥蜴の新兵器を撃滅するという任務がな』

「新兵器というのは、先程の新型バッタの事ではないのですか?」

 イツキが疑問を漏らすと、クロウが反拍した。

「いや、あのバッタもそうだけど、ほかにもあったんだ。それも、今までにない大物がね」

『データを送ろう。モニターに映してくれないかね』

「はい」

 オペレーター・シートでルリが頷き、コンソールを操作するとメイン・モニターにある兵器の三面図が映し出された。

「これは……」

 そこに映ったものは、カタツムリに長大な竿を突き刺したような形状をしていた。その隣にチューリップが対比として載っているのだが、竿の長さはチューリップを縦に8つ繋げたよりも長い。

『これが木星蜥蜴どもの新兵器だ。今より約2週間ほど前に月面都市上に出現した。我々は『ナナフシ』と呼んでいる』

「あ、ホントだ。節が7つある」

 映像を見てヒカルがぽつりと呟く。

『詳細は現在解析中だが、どうもこれは長大な砲台らしい。射程距離外からにもかかわらず、ナナフシからの砲撃で7隻の艦艇が沈んだ』

「一撃で!?」

『うむ。中にはバリアを展開していた艦もあったのだが、ものの役にも立たなかったらしい。応戦するにも距離が離れすぎていたため、第二艦隊は即座に後退した次第だ』

「そういう事だったんですか」

『そこで、我々の任務はこのナナフシの破壊にある。作戦については、サザンカに到着してからで構わんだろう。ナナフシの詳細なデータはカンザキ中尉に持たせているから、それを参照してもらいたい』

「分かりました」

『それでは万事、よろしく頼む。それと、ストロベリーフィールド少尉』

「はい?」

『ミヤタ少尉がナデシコのお嬢さん方に迷惑を掛けないよう、よく見張っておいてくれ』

「任せて下さい、艦長」

「何でだよ、オイ」

 生真面目に返事をするジェシカに、ふてくされるカズマサ。モートン中佐の男臭い笑みを残して、シクラメンからの通信は途切れた。

 

 

 まず、色めき立ったのはムネタケだった。

「これはチャンスよ! この任務に成功すれば、アタシのナデシコの実力をアピールできるわ。いえ、重要な任務を任せられたという事は、既に認められている証拠よね。これでさらに手柄を立てれば、立身出世は思いのままよ!」

 これだけ露骨に自分の欲望を、他人のいる前で晒け出せるのもある意味大したものである。ただしそれは当然の事ながら、敬意を抱かれる類のものではありえない。その辺りが、ムネタケが出世できない理由ではあるのだろう。少なくとも、陰謀や策謀には向いていなかった。

 その場に居合わせたクルーたちは、丁重にナデシコ提督の存在を無視して、クロウの持ってきたナナフシのデータを検証した。

 それも一段落つくと、一同の関心はクロウたち《ウルフズ・ジャベリン》の事へと移っていく。最初に話題を振ったのはメグミだった。

「皆さんイツキさんと知り合いって事は、火星で一緒に戦っていたんですよね?」

 そう尋ねる彼女の眼は、獲物を狩る鷹のものであったとか、なかったとか。

「そうです。彼女とは軍の訓練学校からの付き合いですから。あともう一人、カイトという友人と一緒に、六人でグループを組んでいました」

「あ、カイトさんは知ってます。前にナデシコに乗ってましたから」

「え、カイトが?」

 話を聞いていたジェシカが声を上げたが、他の三人も意外そうな表情を浮かべていた。

「本当にナデシコに乗ってたの? カイト」

「え? ええ、そうだけど……」

「ふぅ〜ん。この前会った時は、そんなコト言ってなかったケド」

「カイトに会ったの?」

「ええ、艦隊司令本部に召集された時にね」

「そ、そう」

 イツキとしては、カイトの話題を挙げられるといささか気まずい思いに囚われてしまう。何も憚る事は無いのだが、後ろめたい気持ちが湧いてくるのはどうしようもなかった。形としてはまごう事なく、カイトを振ってしまったのだから。

 だが、カイトはその事をジェシカ達には話していなかったらしい。親しい仲とはいえ知られたくない事もあるので、当然と言えば当然だが。

「あー、ところでよ、あの黒いエステバリスのパイロットって、誰よ?」

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、誰ともなく問い掛けるカズマサ。

「黒百合の事か?」

「クロユリィ? そりゃまたケッタイな名前だな、オイ」

「カズマサ! そんなコト言っちゃ失礼でしょ!」

「べ、別にいいじゃねェかよ」

「って、そういや黒百合がいねぇな?」

 いまさら気付いたクルーたちに、イツキがあらかじめ考えておいた返答をする。

「黒百合さんは、医務室にいますよ」

「え? さっきの出撃で、酷い怪我でもしたの?」

「いえ、大した事はないらしいんですけど、被弾した際に頭を打ちつけたそうで、念のため精密検査を受けられるそうです」

「そっか、よかった」

 ほっと息を吐くミナトに、イツキは罪悪感を覚えたが、顔には表さなかった。

「……それで、黒百合がどうかしたのか? え〜……と、ミヤタ少尉」

「いや、ちィっと気になる事があって……あ、俺の事はカズマサでいいからよ」

「そうか? じゃあ、オレもリョーコでいいぜ」

「ああ、分かった。よろしくな」

 笑い掛けるカズマサだったが、ジェシカのじとっとした視線を受けて口元を引きつらせた。

「ふぅん。随分と仲がヨロシクなったわねぇ、カズマサ」

「な、なんだよ。何もやましい事はねェぞ!」

「リョーコも、名前を呼ばせるなんて珍しいじゃん?」

「な、バカ言ってんじゃねぇ!」

 たじろぐカズマサといきり立つリョーコ。そこに仲裁に入ったのはシンヤだ。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。ともかく此処はブリッジなんだから、そういう事はプライベートでやればいいじゃないか」

「それ、フォローになってないよ、シンヤ」

 クロウのツッコミ。

「まあともかく、食堂にでも場所を移して、パイロット同士で交流を深めよう。ミスマル艦長もそれで宜しいですよね?」

「はい、構いません! でもそういう事なら、いっそナデシコのクルーみんなと交流を深めちゃいましょー!」

「「「「……は?」」」」

 ユリカの言葉に、図らずとも四人の声が重なった。

 

          ◆

 

 ――という様な経緯で、ナデシコ食堂にはクルーの半数以上が集まって、『スノー・ドロップの奇跡』で有名な四人を取り囲んだ。これには流石の四人も驚いたが、なんとかその波も過ぎ、ようやくイツキと落ち着いて話せるようになった。

 だが、その再会を喜び合う最中にも、イツキは心此処にあらずの状態だった。黒百合に告げられた時には理解できなかった言葉の数々が、時を置いてじわじわと彼女の心中に広がっていく。それに比例して、イツキの不安も増大していった。

「いやー、それにしても、偶然ってあるもんだなァ。あの時の黒ずくめのあんちゃんが、ナデシコに乗ってるなんてさ」

「ホントよね〜」

「ナデシコは火星に向かったって聞いていたけど、そこでアキトさんを救出したのかい?」

「……え?」

 クロウの問いに対してイツキの返答が遅れたのは、今度は上の空で話を聞いていなかった訳ではない。彼の言う固有名詞が、黒百合を指している事に数秒の間気付かなかったのだ。

「あ……黒百合さんの事ね」

「ああ、そうそう」

「そういえば、何でそんな偽名を使っているんだい? あの人は」

「さあ、訊いても教えてくれないの。何か事情があるのは、確かだと思うけれど」

「まあなァ。あんな格好を単なる趣味でしてたら、流石に引くだろ」

 カズマサの言う事はもっともで、イツキは苦笑した。いつの間にか違和感が無くなってしまっているが、黒百合の格好は相当な変わり種なのだ。

「後で、火星の時のお礼を言っておかないとね」

「そだな〜」

「あの時は、あの人には悪い事をしたからね……」

「ふふ、私もそう言って謝ったけど、黒百合さんは全然気にしてなかったわよ」

「確かに、そんな感じの人だよね。俺たちとそんなには離れていないと思うけど、年齢以上の隔たりを感じるよ。あの人は、きっと俺たちの想像も付かないような経験をしてきたんだろうな……」

「そう……ね」

 今までイツキは幾度か、黒百合の口から彼自身の過去や経験を語られるのを耳にした事がある。その言葉の端々には、数多の経験を積んできた者の持つ重みが感じられた。それは、フクベ退役中将やミスマル中将のような、戦歴の軍人たちに通じるものがあった。

 黒百合は、一体何者なのだろう。それは、このナデシコ・クルーたち全ての疑問であり、それに答える事の出来るのは本人以外にいない。

 いや、もしかしたら、あの薄桃色の髪の少女ならば、答える事が出来るのだろうか。だが彼女の口から答えを引き出すのは、あるいは黒百合本人から聞き出すよりも困難かもしれない。

 ラピス・ラズリ。薄桃色の妖精。

 彼女の存在に対して、イツキは無心ではいられない。それは、黒百合に対して自分の抱く感情を自覚してから、さらに強まった。

 彼女なら知っているのだろうか。黒百合の身体に起きているという異変について。彼の生と死について、彼女なら答える術を持っているのだろうか……

 それまで己の思考に没頭していたイツキは、横合いから差し込むジェシカの視線を受けてはたと我に返った。

「イ〜ツ〜キ〜?」

 獲物を見つけたチシャ猫のように、ややつり目気味の眼をくりくりと揺らして、ジェシカがニヤリと笑いかける。イツキは嫌〜な予感に囚われた。彼女がそんな眼をする時は、決まって碌でもない事が起こるのだ。

「な、なに?」

「イツキってば今、恋する乙女の顔をしてたわよ〜?」

「ええっ?」

「んっふっふ。ホラホラ、オネーサンに話してごらんなさい!」

「お姉さんって、ジェシカは私より年下じゃないの」

「まあ、それはさておき。誰か、ナデシコで気になる人でも出来たの?」

「な、何言ってるのよジェシカってば」

「ほら、白状しなさい!」

「もう、何でもないってば!」

「ふぅ〜ん。そう。あくまで強情を張るつもりね。でも、大体予想は付くケドね〜」

「な、なに」

 余裕の表情を浮かべる旧友にたじろぐイツキ。ジェシカは彼女の耳元に口を寄せて、そっと囁きかけた。

「黒百合さんでしょ?」

「え……」

 言われた方は、言った方の1/100も平静ではいられなかった。イツキは見る間に頬を上気させていく。

「……ぁ、な……何言ってるのよジェシカ」

 ようやく絞り出した抗弁の言葉は、明らかに力強さに欠けていた。何よりも、その表情と態度とが、全てを如実に表していた。

 それを見たユリカが騒ぎ立てる。

「え〜っ、イツキさんって好きな人いたんですか!?」

「なにぃ〜、そうなのか!?」

「畜生、狙ってたのに!」

「お前ぇにゃ無理だよ」

「誰だ相手は!?」

「実は俺だったり!?」

「違うだろ絶対」

 色めき立ったのはその場にいた整備班たちである。途端に殺気立った喧噪に包まれるナデシコ食堂。

 その渦中にあるイツキは、ただただ頬を真っ赤に染め上げて、俯いているだけだった。

 

 

「……バカばっか」

 それらの喧噪を遠目から眺めていたルリのお約束の呟き。

 彼女はと言えば、早めの昼食を摂りに来ていた。なにしろ、突然の戦闘で朝食を抜く羽目になってしまったのだ。昨日からの当直であったため睡眠もとっていないのだが、強化体質の彼女にとっては、一日二日の徹夜はものの数ではない。それよりも、今現在抱えている空腹感の方が問題だった。

 という訳で、ルリは今や指定席となったカウンター席に座って、アキト特製のチキンライスを頬張っていた。

 なんだかんだ言いながらも、ナデシコ食堂で食事を摂る習慣が付いてしまったのは、ひとえにホウメイやアキトの尽力の賜と言えよう。最初の頃は迷惑に思ったものだが、今では感謝しても良いかな、くらいには思えるようになっていた。

 そんな心境の変化を、ルリは自分自身で感じていたが、今のところは冷静に受け止めていた。別段忌諱する程のものでもないし、自分の生活水準が改善された事は認めざるを得ない。ただ一つ不満があるとすれば、食事の間ずっとアキトの視線に晒されていなければならないという事だが……

 そこまで考えて、ルリはふと気付いた。そういえば、今日はアキトの居心地の悪い視線を感じない。いつもであれば、厨房から本人はさりげなくのつもりで実は露骨に、こちらを窺っているのだが。

 ルリはおもてを上げて、ナデシコ内で唯一黄色い制服を着ている青年に目を向けた。アキトは料理をトレイに乗せて運んでいるところだったが、その様子がいつもと違う事に少女は気付いた。

 普段は溢れんばかりに料理に対する情熱を放出しているアキトが、今は憂愁を帯びた表情で足を止めていた。彼の見つめる先では、食堂内での騒ぎの渦中にいるイツキが所在なげに肩を窄めている。

 その表情は、今までルリが見てきたどのアキトの表情とも違う。ユートピア・コロニーの話をしている時、フクベが死んだ時、それ以外の沈み込んだ時のいずれとも異なっていた。

「テンカワさん?」

 気が付いたとき、ルリは言葉を発していた。言い終えてから、すぐに後悔した。何故か、声を掛けるべきではなかった、と思ったのだ。

「なに、ルリちゃん?」

 だが、振り向いたアキトは、完全に普段の表情を取り戻していた。いつも少女に向けている笑顔。それを見て安堵している自分に気付いて、ルリは戸惑った。

「あ……いえ。何でも……」

 思わず言葉を濁してしまう。逆にアキトの方が心配そうにルリの顔を覗いてきた。

「どうしたの? 味付け変だった?」

「あ、いえ、そんな事はないです」

「そう? ならいいんだけど……」

 アキトはそれで引き下がったので、ルリはほっと一息ついた。

(何やってるんですかね、私は)

 自分のキャラを鑑みて、らしからぬ言動をとっている事を自覚する。

 らしくない。本当に、他人の事を気にするなんて、自分らしくなかった。

 ルリはそう考え、そこで思考を停止してしまったため、この時気付く事はなかった。

 アキトの憂いの表情の意味に。アキトは決して笑ってなどいなかったのだという事に。

 

 

 その日は結局、黒百合は皆の前に姿を現さず、アキトは仕事に精彩を欠いてホウメイにハッパを掛けられていた。

 翌日、ナデシコとシクラメンは宇宙ステーション・サザンカに到着する。

 


 

 ナデシコの戦闘と前後して、小型チューリップが確認された戦闘が、複数箇所の宙域で起こっていた。

 いずれも近辺宙域を哨戒していたパトロール艦隊が迎撃に当たったが、あるいは覆滅し、あるいは取り逃がして、都合13機の小型チューリップがビック・バリアを突き破って地球へと降下していった。

 連合宇宙軍としては、第四次月攻略作戦の準備のために、そちらに割ける戦力が不足していたのだ。それに正直、日常茶飯事と化したため、緊迫感に欠けていたという事もあるだろう。全ての視線と関心は、月へと向かっていたのだ。

 唯一怪訝に思ったのは、ビック・バリアを管理・運営しているコントロール・ルームの管制員の一人だった。

 彼は服務に従い、小型チューリップがビック・バリアに衝突する際、バリア出力を最大に設定したのだが、小型チューリップは易々とこれを突破してしまった。

 小型チューリップの質量から考えるに、いましばらくバリアが保ってもよさそうなものだったが、この時は地球連合の――クリムゾン・グループの誇るビック・バリアが、まさに紙のように脆かったのだ。

 管制官は不審に思ったが、その事は誰にも言わなかった。どちらにしても、ビック・バリアがチューリップの侵攻を防いだ事例は今までにない。ただ単に、遅いか早いかだけの違いだったのだろう。

 管制官はそう思い、やがて業務に追われてそんな事は忘れてしまった。

 結局、13機のチューリップは地球の様々な地域へと落下したが、大部分が陸地を外れていたため、地球内でも大した問題にはならなかった。朝のニュースで流れた程度で、夕方のニュースではその話題に触れもしなかった。

 そのため、落下した小型チューリップの内のひとつが、太平洋の赤道直下にある無人島に落下した事は、大部分の者が知りもしなかった。その島が、豪州最大のコンツェルンであるクリムゾン・グループの所有地になっており、クリムゾン・グループの社長令嬢が、白亜の館を建てて暮らしている事など。

「ふふふ、いらっしゃい……」

 未だ噴煙を上げている、小型チューリップが落下したクレーターの縁に立って、彼女は柔らかな微笑を湛えていた。明晰な知性と高貴な品性に裏打ちされた、優美な笑みだった。

 

 

 その島の名前は、テニシアン島といった。

 

 


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