「ナナフシは、要するに巨大な砲台よ」

 ナナフシのデータが書き込まれた報告書に目を通して、イネスはそう説明した。

 月攻略作戦開始の約1ヶ月前。総司令部より送られてきたナナフシの詳細なデータを検討するために、主要クルーを集めたブリーフィングでの一幕である。

 イネスは医務室勤務ではあるが、その実はナデシコの開発にも携わった総合科学者であり、地球内でもっとも相転移技術に秀でた人物である。

 最近の研究詰めで疲労の影が濃いものの、以前ほど困憊している様子がないのは、ケイが上手くフォローしている証拠だろうか。イネスは、相変わらず滑舌良く説明を続ける。

「体内で生成したマイクロ・ブラック・ホールを、長大な重力波レール・ガンによって打ち出す。その速度は秒速20000m。推定される有効射程距離から判断して、射出を確認してから回避するのはほぼ不可能。ディストーション・フィールドで防げるものでもないわ」

「防御も回避も不能って訳か……」

「宇宙軍が幾度か交戦して得られたデータから見て、ナナフシ本体の移動力は皆無、または極少と推定されるわ。ディストーション・フィールドの強度は不明。マイクロ・ブラック・ホールの生成時間は1発につき約1時間といった所ね」

「1発撃つのに1時間もかかんのかよ。そんなら、多少強引にでも突っ込めば……」

「それは無理ね」

 リョーコの思い付きは、イネスにあっさりと切り捨てられた。

「1時間に1発といっても、それは生成するための時間よ。データでは、幾度かマイクロ・ブラック・ホールを連射した事もあるから、恐らく体内にストックする事が出来るんじゃないかしら。通常の戦艦の10倍以上の距離から一方的に撃たれたら、被害は甚大ね。

 それに、ナナフシの周囲にはチューリップも配置されているわ。それらと交戦しながらナナフシの撃破に当たるのは、不可能とは言わないけれど被害が多すぎるわ」

「そこで、私たちの出番って訳です!」

 ユリカはそう放言して、えへんとばかりにその大振りな胸を張った。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第41話

「嘲笑う月」



 

 周知の通り、月の公転速度と自転速度は等しい。つまり、常に地球に同じ面を向けている。

 遙かな昔から、人は地球の大地から見上げる月の姿を愛でて来た。それは月に都市を築くにまで至った現在に於いても変わっていない。

 条約によって、地球から見える月の地表(秤動による影響も含める)には、あらゆる人造物の建造が禁止されている。月の景観を崩すというのが最大の理由であり、月−地球間通信用のアンテナでさえ設置されず、月軌道の静止衛星を中継して通信している程だった。

 だが、それらの衛星も木星蜥蜴が襲来した際に破壊されてしまい、哀れ月は木星蜥蜴の占領下と成り果てた。もちろん純軍事的に重要な拠点ではあるが、単に補給基地を取り戻すという以上に、特別な意味がこの作戦にはあった。

 第二艦隊及び第五艦隊で編成された主力艦隊は、作戦開始6時間後に月宙域への布陣を完了させた。今までの幾度かの偵察行為によって確認された、ナナフシの反応する有効射程範囲ギリギリの位置である。

 もちろん、この場所に居座っているだけでは状況の変化は望めない。危険を冒してでも前進しなければならなかった。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、か……」

 シャーテンラント大将は乗艦のブリッジで使い古された言葉を口ずさんだ。その声は苦々しい響きを帯びている。

 戦争であるからには、犠牲が皆無である筈がない。作戦を成功させ、いかに犠牲を少なくするかが司令官の采配に掛かっている。少なくとも、シャーテンラント大将はそう信じる。

 しかし、犠牲を前提に作戦を立てる事には抵抗感があった。仮令、それしか方法が無いとしても、だ。

「ふむ、我ながら陳腐な表現になってしまうな。そう思わんかね?」

「心中、お察しします、提督」

 そんな司令官の心中を慮って、参謀は言葉少なく受け答える。この場合、いくら言葉を紡いでも無意味だという事が分かっているからだ。

 シャーテンラント大将は心中のやりきれない思いを振り払うように、大きく息を吐き出した。仕方ない、で割り切って良い問題ではないが、今はそう考えなければならない。感傷を差し挟んで戦争に勝利する事はできないのだ。

 提督帽を被り直し、先ほどからメイン・モニターに映し出されている月の映像を見上げた。木星蜥蜴に占拠されても、月は変わらぬ美しさを保っている。まるで、人の間に交わされる戦いの愚かさを嘲笑う処女神のように。

「……各艦、主砲発射用意」

「各艦、主砲発射用意!」

「各艦、主砲発射準備!」

 参謀が指令を復唱し、さらに通信士がその指令を各艦に伝えるために復唱する。指示が飛び交い、決戦前の慌ただしさが艦隊司令室を兼ねた旗艦のブリッジを満たした。

「目標、前方の月宙域の木星蜥蜴艦隊。必ずしも有効打を与える必要はない。くれぐれも流れ弾が都市部に飛ばぬよう留意せよ。派手にやるのも作戦の内だ。せいぜい、盛大な花火を打ち上げるとしよう」

 そう前置きして、シャーテンラント大将は右手を挙げ――そして無造作に振り下ろした。

「撃て!」

 その号令の次の瞬間、数えきれぬ程の輝線が漆黒の闇の空間を引き裂いた。

 

          ◆

 

 今回の作戦は、そう複雑な物ではない。月宙域を攻撃した主力艦隊は、木星蜥蜴の目を引きつけるための囮だ。

 木星蜥蜴の無人兵器はその習性として、エネルギー値の高いもの、自らに攻撃を加えるものに優先して襲いかかる。主力艦隊が敢えてナナフシの射程範囲内に進入して攻撃を仕掛けたのも、月宙域のチューリップを引き寄せる為だった。目論見通り、長距離からの誘導ミサイルやリニア・キャノンの弾丸を浴びせかけられたチューリップは、多数の無人兵器を吐き出しつつも、自らも敵を駆逐するべく動き出した。

 もちろん、その間にもナナフシからの攻撃は続いている。超長距離からのマイクロ・ブラック・ホールの砲撃が先頭の戦艦を貫通し、その後背に位置する駆逐艦までをも撃沈させた。

 人為的に作られたマイクロ・ブラック・ホールの寿命は短く、射程範囲の端で重力偏向場の拘束が解けて蒸発するものの、急速に解放された重力場が艦隊の進行を乱し、僚艦と接触する戦艦が相次いだ。艦隊運動が乱されている隙を付いて、次のナナフシの砲撃が襲いかかる。

 主力艦隊も応戦するものの、その砲撃は無人兵器の厚い壁に阻まれてナナフシ本体には届かない。そもそも、誘導ミサイルやリニア・キャノンにしても有効射程を大幅に逸脱しているのだ。これらの武装は慣性に従って宇宙空間を進むのでいつかは到達するが、戦艦の主砲である粒子砲は収束率の問題で木星蜥蜴の艦隊に届く前に拡散してしまい、有効打を与える事は出来ない。

 主力艦隊は一方的な防戦を強いられていたが、それでも引く事はない。こうしてナナフシの有効射程範囲内ギリギリで陣取り、木星蜥蜴の攻撃に身をさらしている内に、後背から回り込んだ特務部隊がナナフシを撃破する手筈となっている。特務部隊が成果を上げるまでは、犠牲を覚悟の上で防戦を続けなければならない。

「主力艦隊、木星蜥蜴と交戦を開始しました」

 オペレーター席にてルリが告げる。遙かな遠くの地平には、彼女の言葉を裏付けるように、小さな光が瞬いていた。その光の一つ一つが、人の命の煌めきなのだとユリカは知っていた。その犠牲が意味あるものとなるか、それとも無駄に終わるのかは、自分たちの働きに掛かっている。

「ミナトさん、予定通り、作戦ポイントへ移動を開始して下さい」

「了〜解」

 受け答えるミナトの声が、いつもよりも硬い。それは、ユリカを始めとする他のブリッジ・クルーにも言える事だった。

 ナデシコがこれだけ大規模な作戦に参加するのは初めての経験……しかも、相手の木星蜥蜴の戦力は、火星で遭遇したどの状況よりも多い。もちろんナデシコ1艦でその全てを相手にする訳ではないが、不安が鎌首をもたげるのは致し方ない事だった。

 だが、指揮官はそうはいかなかった。緊張するのはいい。だが、不安を表に出す訳にはいかない。

 ユリカは努めて明るい声を出した。

「さあ、ナナフシ退治に行きましょーっ!」

 

          ◆

 

 格納庫では、エステバリスの発進準備が終わろうとしていた。

 今回の作戦では、エステバリス隊はナデシコを離れ、ナナフシの元まで赴かなければならない。だが知っての通り、エステバリスはエネルギー・ウェーブ供給エリア外では長時間活動する事は出来ない。

 ならば、どうするか? その答えが、砲戦フレームに積み込んでいる交換式の大型バッテリーである。

 月面の丸みを考慮して計算した、ナナフシの知覚ラインギリギリに艦を着艇させ、そこから発進したエステバリスは、月の地表を省電力モードのキャタピラ走行でナナフシに近づく。その際の走行ルートは、出来る限りクレーターの影に隠れる位置とする。

 そしてナナフシの20q手前で最後のバッテリー交換を行い、そこから全力稼働でナナフシに接近、持てる全ての火力を動員してナナフシを破壊、もしくは最悪でも活動停止にまで追い込む。

 失敗は許されない、そして厳しい任務だ。

 本来であれば全てのエステバリスを作戦に当てたい所ではあるが、ナデシコとシクラメンの所在が木星蜥蜴に気付かれる可能性もあり、場合によっては木星蜥蜴の注意を艦船に引きつけなければならないため、戦艦の護衛も疎かにする事は出来ない。ユリカとモートン中佐、そして機動兵器部隊のそれぞれの長であるクロウと黒百合を交えた談合の結果、遠征部隊のメンバーは決定された。

 ナデシコからは黒百合、イツキ、リョーコ、アカツキ、イズミの五人。《ウルフズ・ジャベリン》からは、クロウ、ジェシカ、カズマサの三人に加えて、隊員から選定された三名の計11機。部隊長は黒百合が辞退したため、クロウが勤める事となった。

 護衛部隊はシンヤを長として、ヤマダ、ヒカル及び残りの《ウルフズ・ジャベリン》隊員五名の計8機。護衛部隊より遠征部隊の方が戦力が多いのは、作戦の意義を考えれば当然の事だった。

 選定にあたっては各機体の特性も考慮に入れられている。新型機のアルメリアは、通常のエステバリスに比較して稼働効率が良いのだが、シンヤ機は後方援護が主で今回のような強襲作戦には向かないため、護衛部隊の指揮として残る事となった。

 そもそも、今回の任務が宇宙軍内では白眼視されがちなナデシコに廻ってきた理由は、純粋に機動兵器部隊の力量によるものだった。シクラメンの《ウルフズ・ジャベリン》隊が選ばれたのも同様の理由による。もちろん、水面下では様々なやりとりがあったのだろうが、それが表に出てくる事はない。

 木星蜥蜴との戦争が始まる以前は、宇宙軍の機動兵器はディルフィニウムが主力だったのだが、第一次火星会戦における活躍から、それまでキワモノ扱いされていた人型機動兵器が脚光を浴びてきた。しかし、ナデシコの件でネルガルが宇宙軍と一時袂を分かっていた所為もあり、エステバリスの兵器としての年齢は若い。パイロットの習熟という点においては、初期からエステバリスを使用しているナデシコのパイロットに一日の長があった。

 そして何よりも決定的だったのは、ナデシコに配属が決まっていた新型エステバリス・カスタムの性能である。内外動力併用方式を初めて採用したブラックサレナは、通常のエステバリスに較べてエネルギー・ウェーブ供給エリア外での活動時間が長い。まさのこの作戦には打って付けだった。

 出撃準備も整い、遠征部隊のパイロット達はそれぞれのエステで待機している。ブラックサレナのコクピットでは、ウリバタケがコミュニケを通して黒百合に新兵器の講釈をたれていた。

『いいか黒百合。ティアーズ・ライフルは威力は高ぇが、弾丸が特殊で用意された弾数も限られてる。通常戦闘はアサルト・ライフルで凌いで、ここぞという時だけ使ってくれ』

「ああ、分かった」

『それに正直、突貫工事で取り付けたから、エネルギー・バイパスはともかく冷却系がちっとばかり不安だ。長時間の連射は避けてくれ。

 ネルガルもあと2日早くコイツを納品してくれりゃあ、もうちっと何とかなったんだがなぁ』

「それは仕方がないな。ただでさえ納期を急かしたんだ。間に合っただけでもよしとすべきだろう」

『ま、そうなんだけどな。

 それと、いくらブラックサレナに内部動力があるって言っても、ナデシコの近くで戦っているのとは違うんだ。どうしたって出力は落ちる。くれぐれも無茶するんじゃねぇぞ』

 ウリバタケの台詞に、黒百合は自嘲気味な苦笑を浮かべた。

「……信用がないな」

『お前さんは前科があるからな。俺は、俺の組み立てた機体をパイロットの棺桶にするつもりはねぇんだ』

「肝に銘じてくよ」

『まあ、お前さんはそれも承知の上で無茶をしでかしてるんだろうけどな』

 苦笑を浮かべるウリバタケの横合いに、ユリカのウィンドウが開いた。

『黒百合さん、作戦ポイントに到達しました。出撃お願いします』

 彼女は、最近になって時折見せるようになった凛々しい表情を浮かべている。これまではただの飾りにしか見えなかった士官服が、漸く板に付いて来たようだった。

「……普通の服なんだな」

『はい?』

「……いや、何でもない。黒百合、出るぞ」

 かぶりを振る黒百合に、ユリカは不思議そうな顔をして首を傾げた。『以前』はウリバタケの用意した軍服を着ていたため違和感を感じた、などという黒百合の事情が彼女に分かるはずはなかった。

 

          ◆

 

「行っちゃったね〜……」

 遠征部隊の出立を格納庫のモニターから見送っていたヒカルが、ぽつりと呟きを漏らした。その声には、若干の不安が滲み出ている。

「皆、無事に戻って来ればいいけど」

「ああ、そうだな……」

 ヒカルに相づちを打ちつつも、ヤマダは黒百合の言葉について思考を巡らせていた。

 自分の問題とは何なのか。勿論自分が何の問題もない完璧な人間だとは思っていないが、パイロットとしてはなかなかのものだと自負している。だが、自分もその実力を認めている黒百合に、パイロットとしての資質を問われたとあっては、平静でいられる筈もない。

「んじゃ、私たちは控え室で待機してよっか、ヤマダ君」

「ん、ああ」

 だが今は、とにかく任務に集中しなければならない。問題点を改善するといっても、全てはこの戦いに生き残ってからの話だ。ヤマダはヒカルに受け応えて、一時思考を打ち切った。

 


 

『この砲戦フレームってヤツが、ど〜も気にくわねぇんだよなぁ〜』

 エステバリスのコクピットの中でぼやくリョーコの声が聞こえてきた。

 木星蜥蜴の目を憚った隠密行動の為、遠征部隊の全てのエステバリスは有線通信で繋がっている。本来であれば緊急時以外は連絡をとる必要は無い訳だが、作戦実行中に良い意味でリラックスする為には、少しくらいの無駄口は必要だった。

 遠征部隊の構成は、ブラックサレナやアルメリアといった特殊フレームを除いて、リョーコとアカツキが砲戦フレーム、イツキとイズミがゼロG戦重武装フレーム、そして《ウルフズ・ジャベリン》の隊員三名がゼロG戦フレームとなっている。

 ナナフシ撃破に当たっては、高火力を誇る砲戦フレーム2機とアルメリア・アサルト・フレーム、そして新兵器を搭載したブラックサレナがアタッカーとして存分にその威力を発揮し、その他の機体はその露払いをする手筈となっていた。

 リョーコは重要なポストを任されている訳だが、砲戦フレームの鈍重な動きはどうにも我慢ならなかったらしい。イツキは苦笑を漏らしながらも、律儀に返事を返した。

「仕方ありませんよ。砲戦フレームは、火力の為にどうしても機動性を犠牲にしていますから」

『そりゃ分かってるけどよぉ。クロウのアルメリアは火力の割には動けるじゃねぇか』

『俺の機体は、120oカノンなんて大砲は積んでないからね。その代わり装甲が犠牲になってるんだけど。

 でも、今回の作戦で必要なのは機動性じゃなくて火力だから』

『そうそう、頼りにしてるぜェ、リョーコ』

『へっ、分かってるよ』

『…………(ギリギリ、ギリギリ)』

「え、えーと、ジェシカ? カズマサの言ってる事に他意は無いと思うんだけど」

『ん? 何言ってんだイツキ?』

「……何でもないわ」

 今回は抑え役のシンヤがいない為、イツキがジェシカを宥めなければならなかった。

 相も変わらず鈍いカズマサにそっと溜め息をつくと、イツキは視線を目の前にある黒百合の機体に移した。ブラックサレナは今回、今までには無かった大型ライフルを右肩に背負っている。

 ティアーズ・ライフル。重武装フレームで装備していたレール・ガンの性能を向上させた、電磁レール・マシンライフルである。その銃身は機体と同じく漆黒で染め上げられ、さながら黒塗りの長剣を思わせた。

 ブラックサレナの二つの動力から得られるエネルギーを注ぎ込み、初速1800m/sの特殊徹鋼弾を分間200発の速度で撃ち出す事が出来る。射速・貫通力に優れた兵器だが、装填できる弾数が少ない為、乱射するとすぐに弾切れに陥ってしまう。

 出力の問題からブラックサレナ以外の機動兵器には装備不可能であり、その破壊力を以てナナフシ撃破への貢献が期待されていた。

「あの……黒百合さん」

 彼は先ほどから回線は開いているものの、会話には加わって来ない。やや躊躇いつつも、イツキは黒百合に呼びかけた。

『……何だ、イツキ』

「少し、訊きたい事があるんですが」

『ああ。ヤマダの事か?』

 事も無げに黒百合は言った。先ほどから、自分を窺う視線を感じていたのだろう。

 回線を通じて聞いていたリョーコ達も会話に加わってきた。

『そうそう、オレも訊きたかったんだ。黒百合は何でヤマダのヤツを居残り組にしたんだ?』

『イノシシの名前はコリー。猪のコリー。亥のコリー。イノコリー。居残り……くふ、くふふふふふ」

『あ、あー。そういや、あの熱血あんちゃんは護衛部隊だっけな』

『確かにテョット意外だったケドね。ガイ君はコッチ側だと思ってたし』

 ジェシカが首をくりっと傾げる。

 ちなみに、シクラメンのクルーは自己紹介において、ヤマダの名前はダイゴウジ・ガイだと本人から聞かされていた為、それが本名だと思い込んでいた。後になってそれは間違いだという事が判明したのだが、幾人かのクルーは未だに彼の事をニック・ネームで呼ぶ。

 ナデシコ食堂に朝食を摂りに来たジェシカ達と顔を会わせた際に、「おはよう、ガイ君」と言われた時のヤマダの喜びようと言ったらなかった。

『あの時は詳しい説明はなかったけど……今なら別に言っても構わないんじゃないのかい?』

 アカツキがストレートに皆の意見を代弁する。こういった事が自然に出来るあたり、確かに組織のトップに立つ器があるのだろう。

 黒百合は軽く嘆息した。

『別に構わんがな……至極つまらん事だぞ』

『ま、ま、いいから言っちゃってよ。前から気になってはいたんだから』

『まあいいが。……ヤマダの戦い方は、我が身を省みていないんだよ』

 ……ヤマダはプロスペクターの目に止まるだけあって、パイロットとしての技術水準は高い。シミュレーターでの1対1の対戦成績では、実はリョーコとタメを張っていた。

 しかし、これがチーム戦となると、途端に撃墜率が跳ね上がる。

 それは、敵を倒す事に気を取られていて、防御が疎かになりがちなのが大きな原因だ。最近は、昔のように一人で特攻して速攻で撃墜されるような事は無くなったが、代わりに味方を庇って撃墜されるというパターンが多くなってきた。

『シミュレーターならそういう戦い方も有りかも知れんが、実戦ではまず第一に、己が生き残れなければ意味がない。死んでしまっては、その以後誰も護る事が出来ないからな』

 だがヤマダ自身は、そういった死に方に憧れている部分が見受けられる。要はゲキガンガーなどで見られるような、『格好いい死に方』という奴だ。

 勿論自殺願望がある訳ではないし、ヤマダ自身も死ぬ気は無いだろうが、いざそう言った状況に陥った場合、ヤマダは喜んで死にに行く可能性がある。だが……

『ゲキガンガーならそれで『美しい死』として表現されるかも知れん。だが、実戦ではどんな死に様を晒そうと、死は死だ。そこになんの意味もない。

 自分の身ひとつ守れない者が、他の誰かを護る事など出来ない。ヤマダはそれが分かっていない』

 黒百合がそう締めると、皆一様に感心した様子で頷いた。

「言われてみれば、確かにそうかもしれませんね」

『あいつ、最初からああだったから、あんまり気にしてなかったけどなぁ』

 リョーコがぺたっと自分のヘルメットを叩く。ちなみに、彼女のシミュレーターでの撃墜率は、ヤマダに次いで高い。

『確かに、そういった戦い方は危険です』

 クロウが神妙な口調で言う。 

『戦場で考えなければならない事は、まずは生き残る事です。仮に任務に失敗したとしても、生きてさえいれば次の機会に賭ける事も出来ます。死んでも任務を果たす、などという態度は欺瞞です。

 それに、死を顧みない者は結局、他人の命も顧みる事は出来ません。そういった考えは、チーム全体の足を引っ張ります。

 黒百合さんの判断は正しいと思います』

 真摯なクロウの言葉を聞いていた黒百合は正直耳が痛かった。何しろそれは自分自身にも言える事だからだ。

 だが、そんな態度はおくびにも出さずに肩を竦めた。

『まあ、ともかくそういう事だ。今までが今までだから、すぐに気付く事もないだろうが』

『なるほどねぇ。それなら納得できたよ。

 それにしても黒百合君、ゲキガンガーなんて良く知ってるね? 見た事あるのかい?』

『『『『『「…………」』』』』』

 その台詞を聞いたイツキ達は、皆揃ってゲキガンガーを視聴してヤマダやアキトのように『燃える〜っ!!』と絶叫している黒百合の姿を思い浮かべてしまった。

『『『『『「……ぷっ」』』』』』

『……何を想像してるんだ、お前等』

 黒百合は憮然とした声を出した。

 

          ◆

 

「毎度、ナデシコ食堂で〜す」

 いつもの掛け声を上げて、アキトはブリッジのハッチをくぐった。

 作戦遂行中とは言っても、腹が減っては戦は出来ない。ブリッジを離れる事が出来ないクルー達のために、食堂から出前を持ってくるのは男手であるアキトの役目だ。

 だが、アキトは正直、ブリッジに出前に行くのは気が進まない。いつもユリカはアキトの顔を見るなり、無邪気な笑顔でじゃれついてくるからだ。

 しかし今日ばかりは少々勝手が違った。艦長席を立たずに顔だけ此方に向けて、落ち着きのある笑みを浮かべる。

「あ、うん。ありがとうアキト。下のみんなにも配ってくれる?」

「へ? あ、ああ」

 ブリッジに入る前から身構えていたアキトは、肩すかしを食らった思いだったが、気を取り直して下部ブリッジへ降りる。

「おっ、メシか、待ってましたぁ!」

 パイロット席に座ったヤマダが嬉しそうな声を上げた。今は作戦中の為、パイロット達もブリッジで待機しているのだ。

 取り出した順に料理を配膳するアキト。

「はい、ルリちゃん、チキンライス」

「はい。ありがとうございます、テンカワさん」

 ぺこりとお辞儀をするルリと一瞬だけ目が合い、アキトはにこっと微笑み掛けた。

 

          ◆

 

 遠征部隊は順調にその進路を進めていた。一回のバッテリー交換を挟み、他愛ない話を交わしながら予定ルートを踏破していく。

 途中で木星蜥蜴に出くわす事もなく、進行ルート上に障害となるような物はない。時折、クレーターの狭間から見えるナナフシの姿は、着実の近づいていた。

 そして母艦を発進してから3時間後、遠征部隊はナナフシまであと20qの地点まで辿り着いた。此処で2回目の――そして最後のバッテリー交換を行う。これで交換用のバッテリーは、予備を除いて尽きた事になる。ここからはただ一途に、ナナフシを目指せば良い。

『よし、行こうか』

 クロウの声でエステバリス隊は最後の休憩を切り上げた。隊列を組み直し、進行を再開させる。

 遙かな上空では、木星蜥蜴艦隊と主力艦隊が交戦し、閃光が絶え間なく閃いていた。戦艦が撃沈した際に見せる爆光も、ここからでは星の瞬きに等しい。

 月宙域に配置されていたチューリップは主力艦隊迎撃の為に出払っており、ナナフシ周辺にその姿はない。主力艦隊は囮としての役割を立派に果たしているといえる。だが、艦隊との通信も途絶している為、クロウたちに戦況を知る事は出来ない。

『艦隊は大丈夫かな……』

「今は気にしてもしょうがないわ。私たちは最善を尽くしましょう?」

『うん、そうだね』

『クロウ、ナナフシまであと10キロほどよ』

『そろそろ木星蜥蜴の待ち伏せがあるかも知れん。気を引き締めろよ』

『って言っても、周囲に動力反応は……』

 無い、とアカツキが黒百合に言葉を返そうとした瞬間、唐突に周囲の地面が盛り上がった。地中になりを潜めていた、無人兵器が姿を現す。

 ナナフシまで続く、起伏の激しい地形の中腹である。此処を超えれば、あとは平坦な大地が開けているはずだった。

 バッタたちのカメラ・アイが光を灯らせる。稼働体勢に入った証拠だ。その数、ざっと200。

 無人兵器の無機質な視線に晒されて、アカツキは肩を竦めてかぶりを振った。

『……やれやれ、迂闊な事を言うもんじゃないねぇ』

 それが、戦闘開始の合図となった。

 通信用ケーブルを断ち切り、2機のアルメリアが飛び出した。カズマサとジェシカは手近にいたバッタに、それぞれの右腕に備え付けられた近接兵器の攻撃を加える。

 その他のゼロG戦フレームは、砲戦フレームを中心にフォーメーションを組んで迎撃に当たった。間違っても、ナナフシ撃破の要を失う訳にはいかない。黒百合のブラックサレナも、ティアーズ・ライフルを温存して無人兵器と相対する。

『イツキ、ナデシコに通信を!』

『分かったわ!』

 戦闘状態となれば、もう隠密行動を取る意味はない。後はこちらに気付いた木星蜥蜴がチューリップを呼び寄せる前に、ナナフシを撃破出来るかが問題だ。

 だが、主力艦隊と交戦しているチューリップがこちらに到達するまでには、少なく見積もっても1時間以上は掛かる。バッテリーの残量時間も同程度残っており、エステバリス隊にはまだ余裕があった。

『へっ! この程度の数なら、大した事ねェぜ!』

 ダスラー・クローを振るいながら、余裕の笑みを浮かべるカズマサ。だが、イズミが横合いから水を差す。

『そう簡単にはいかないようよ。敵の援軍だわ』

 イズミの言葉の通り、ナナフシのある方向から、さらなる無人兵器が押し寄せてきた。その数は、今交戦しているものよりも多い……が、

『大丈夫! コレくらいなら支えられるよ!』

『よし、このままフォーメーションを組んでナナフシに向かおう。このまま進めば10分程で着く。くれぐれも砲戦フレームは無駄弾を撃たないで』

『ちぇっ、分かってるよ』

『まあまあリョーコ君、文句言わないの。僕たちには大事な役目があるんだからさ』

『……残念だが、それほど余裕は無いようだぞ』

「え?」

『ナナフシを見ろ』

 黒百合の押し殺した声に、イツキ達は彼の指し示した方角を仰ぐ。そこには、ゆっくりと砲身をこちらへ向けているナナフシの姿があった。

 


 

「エステバリス隊、無人兵器と交戦を開始したそうです!」

 イツキ機から送られてきた通信を受けて、メグミが報告する。その声は、緊張で硬くなっていた。

「予想してたより早い……」

 ブリッジのメイン・モニターには、無人兵器の動力反応を示す赤い光点が、ナナフシ周域に明滅している。その俯瞰図を睨みながらのユリカの独語に、ジュンが受け答える。

「でも、まだ敵戦力は想定範囲内だよ」

「うん、そうだけど……」

 頷くが、ユリカの浮かべる表情は冴えない。嫌な予感がする。何か、重要な事を見落としているような……

「あっ!」

 と声を上げたのはミナトだった。モニターに映るマップに、瞬く間に赤い光点が増殖していく。そして、ナナフシの周辺にひときわ大きい光点が4つ灯った。それはナナフシの物とは較べるべくもないが、バッタなどの無人兵器とは明らかに規模が違う。

「これは!?」

「ナナフシ周辺に、小型チューリップが出現しました。数は4。無人兵器を放出しています」

「小型チューリップ!? でも、光学観測でそんな機影は……」

「どうやら動力を停止して地中に潜んでいたようです。その他、バッタなども地中に伏せて周囲を警戒していたと考えられます」

 ルリの報告は驚愕すべき事実を伝えていた。それは、以前にユリカが憂慮しながらも、上層部には伝えられずにいた事だった。

「ナナフシを囮にして遠征部隊を待ち伏せる……そんな、高度な作戦行動を木星蜥蜴が?」

 明らかに、今までの木星蜥蜴にはなかった行動パターンである。ジュンの驚嘆は尤もだった。

 だが、さらに追い打ちを掛けるように事態は進展する。

「ナナフシに反応」

「えっ?」

「ナナフシ、こちらに向けて方向を転換、微速ながら移動を開始しました」

「どういう事? ナナフシって移動出来ないんじゃ無かったの?」

 ユリカが怪訝な声を上げると、タイミングを見計らったようにイネスのコミュニケが開いた。

『勘違いしないで。あくまで移動力は皆無、または極少と推定される、よ。一応足らしき物も確認されているし、移動しても不思議ではないわ』

「ナナフシ、時速40qの速度でこちらに向かっています」

『あら、結構速いのね』

「だが、何故こちらに移動する? こちらに近づけば近づくだけ、エステバリス隊が到達しやすくなるはずだ」

 ゴートの質問には、当然のようにイネスが答えた。

『そうとも限らないわ。小型チューリップから放出される無人兵器で、エステバリス隊は手一杯だし。それに、ナナフシはナデシコの存在に気付いていたようね』

「どういう事です?」

『忘れたの? 今、ナデシコはナナフシの射程ギリギリの位置にいるわ。でも、ナナフシが少しでも位置を移動すれば、こちらを砲撃する射角を押さえる事が出来るのよ』

「それじゃあ……」

『このまま手をこまねいていれば、ナデシコはシクラメンもろともマイクロ・ブラック・ホールの直撃を受けるわ』

 イネスの言葉で、ミナトやメグミたちも漸く事態が飲み込めた。

「そんな……大変じゃないですか!」

『大変なのよ』

「計算によると、ナナフシはこちらへあと5キロほど移動すれば、ナデシコを射程に捉えます。到達予想時間まであと10分」

「ミナトさん、相転移エンジンを起動させて下さい! 最優先です!」

「了解!」

 現在、ナデシコは隠密行動の為に、相転移エンジンの火を落としていた。宇宙空間であれば再起動までの時間も通常よりも短い為、ナナフシに何らかの反応があったとしても、応戦するまでに十分余裕があると判断していたのだが、この事態は予想外だった。

「起動までの時間は!?」

「最短であと4分掛かります」

 いくつかの起動シークエンスを省略したとしても時間はギリギリだった。

「起動して即座に後退すればナナフシからの砲撃は免れる事が出来ますが……その場合、エステバリス隊は置き去りになります」

 ルリが無情な事実を告げる。敵の戦力は完全に予想外だった。稼働時間が限られているエステバリスは、このままではあと1時間弱で行動停止してしまう。木星蜥蜴のただ中にあって、それは死を意味していた。 

「艦長! すぐにナナフシに向かうんだ!」

「冗談じゃないわ! すぐに後退するのよ!」

 パイロットの待機シートから声を上げたヤマダに反駁したのは、ムネタケだった。

「何言ってんだ! あいつらを見捨てる気か!」

「どうせ間に合わないわ! それに、こっちから出向いていったら、それこそナナフシの餌食じゃないの! たかがパイロットを助ける為に、ナデシコの全クルーを犠牲にする気!?」

 それは全くの正論だったが、ムケタケが己の保身の為に言っている事は明白だった。色めき立つヤマダ。

「たかが、だと!?」

「はん、何か文句でもあるの? アンタたちパイロットの代わりなんて、幾らでもいるのよ!」

「てめぇ!」

「ヤマダ、やめるんだ!」

 激発し掛けたヤマダを諫めたのはジュンだった。今まで聞いた事のない副長の怒声に、ヤマダやムネタケに限らず、全てのブリッジ・クルーも呆気にとられたように彼を見返した。

 ジュンは幾分声の調子を落として、

「……ヤマダ、やめるんだ。提督の言っている事も間違いじゃない」

「だけどよ!」

「パイロット11名の命と、ナデシコ・シクラメンの全クルー435名の命を引き替えにする事は出来ない。それは分かっているはずだ」

「う……」

「ほ、ホラ見なさい。だからアタシもそう言って――」

「提督も静かになさって下さい!」

 怒鳴られて、怯えるように口を閉ざすムネタケ。

 しん……と静かになったブリッジの中で、ジュンは傍らにいるユリカを振り仰いだ。

「ユリカ。どうする?」

 先ほどから押し黙っていたユリカは、己の思考に没頭するようにおもてを伏せていた。ジュンに呼びかけられ、ゆっくりと顔を上げる。そこに浮かぶ表情には、決意の色が窺えた。

 皆の注目を浴びながら、ユリカは口を開いた。

「メグちゃん、シクラメンのモートン艦長に通信を開いて」

 

 


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