ああ、とそれは厳重に鍵の欠けられた闇の中懐かしい波動を感じ取った。何年ぶりになるのかと此処数百年外に出たことが無い故に感じ取れないことが残念だった。その波動は僅かな時間の間に想像を超える力を持った。すばらしいとは考えない。ああ、と感嘆するのみ。
それにとっては候補に過ぎなかった。過去同じようにいくらでも現れた候補の一つ。それらは感知し得ない土地に去ることや、時間がたつにつれその波動が弱まっていくだけだった。だが、今感じている波動のなんと強いことか。
ただ、それにも気になったことはある。その付近にもう一つ、小さいながらも十分な強さの同種の波動を発している存在がいるのだ。
そしてもう一つ。どうやら自らと同種の存在が既に存在しているということだった。
だが、それにとってそんなことは考慮にも値しないちっぽけな事だった。
それは思考する。名前はなんと言ったかと。実験と証する拷問の中、恐れの恐怖の波動を出していた者が確かに口にした名前を、それは覚えていた。
ああ、と懐かしみ、かみ締めるようにその名を思考する。ネギ・スプリングフィールドと。

第五話 里帰り

めんどうだ。行きたくはない。あほらしい。五七五で今の心境を表し、キャスターを左手に持ち追従させる。キャスターの奏でる音はコロコロではなくゴロゴロ。仮にも港なのだからでこぼこは無くせよ、と雑音がよりいっそう気を重くさせた。
「沈んでいたら何も出来ないわよ。ネギ」
私事で肌を露出させるのは夫がいる場合だけと、学校のアイドルの座を欲しい侭にしているにしては割と清楚な考えを持ち、夏場にもかかわらず青い長袖のワンピースに身を包んだフェレストは、何故か機嫌よく微笑んだ。
フェレストにその考えは正直あっていないのではないのかとネギは思っていたが、そこは懸命にも言葉には出さず、ただわざわざ転校してきたかのように見せていたのも仕事の一部だったのだなと再確認したのみだった。
メガロメセンブリアに存在するゲートポート。そこから帰郷するのだが、正直ネギにとっては今更だと感じていた。
アリアドネーにある初級魔法学校は卒業したので、寮も追い出されることも考慮のうちだった。だから剣闘士権でもうけた金を使って高等魔法学校入学までの僅かな間、それなりに安いアパートなり何なり契約する気だったのだ。だったのだが、
「何で、入学届けに保護者の同意が必要なんだか」
そう、普段の言動で忘れているかもしれないが、ネギはまだ十歳なのだ。通常ならまだ初級魔法学校で騒いでいる年頃。魔法世界の成人が早いといってもそれは修行が下される十二歳から十五歳の年齢である。漸く二桁に成ったばかりという年は論外なのだ。
「ところでネギ。その棺桶、私の指輪みたいに預けなくてもいいの?」
棺桶。それは人が永遠に眠るベッドのことだ。だがネギは、それにキャスターをつけ、背中に背負い何事かと注目する人々を完全に無視して歩いていた。
フェレストは知っている。棺桶の中には、白い粉がふんだんに詰まっていることを。
フェレストは早くから知っている。ネギは、はるか昔、淘汰された死霊術師ネクロマンサーだということを。
ネクロマンサーは、静かな眠りに着いた死者を操り、壊れえることを恐れない兵士の大群を操るその圧倒的な恐怖と実力に、一世紀以上前に正義の魔法使いたちによってその術式ごと葬り去られたのだ。
それでも生き残りは存在し、先の大戦でたった一人ではあるが再び現れたことが、今もどこかで復活のときを待っているのではないのかと、戦々恐々とさせている。
だがネギは怯える魔法使いにその身を隠すことなく堂々と情報を開示した。フェレストはその行動に戸惑ったが、何か考えがあるのだろうと静観した結果、大笑いした。
それもそのはず。あろう事か魔法世界の住人は、あのナギ・スプリングフィールドの息子ならば一切の危険が無いだろうと寧ろ力があることを迎え入れたのだ。そう、ネクロマンサーを淘汰したのは彼らが悪だったからではない。彼らがあまりにも強すぎたからだ。例え魔力量とマジックサーキットの本数が同じものでもその圧倒的ともいえる軍勢に抵抗すら出来なかったのだから。
だからこそ、次代の英雄の力としては強力だと持ち上げ、その死霊術を外道だと、悪の所業だと処断したことを無視した彼らを嘲笑ったのだ。
だが、上層部はそうは思っていない。彼らは民衆よりも賢かった。死霊術。その意味を知っていたのだ。だからこそ最も危険な状態のケルベロス二体を葬り去ったことを公開せず、大々的に次世代の英雄だと祭り上げなかった。
この二つの行動と思惑は全てネギが予想した上でのことだった。彼らは知らない。その結論が既に事の中心にいる少年に予想されていたなどと。その上で戸惑うことなく死霊術を使ったのだと誰も気付いてはいなかった。
フェレストは刀を顕現させていないネギに、棺桶の中の骨を扱えるとは思わなかったが、ネクロマンサーであるネギにとってそれはれっきとした武器なのだ。ゲートポートでは一切の武装が禁じられている。
だが、ネギは別にどうだっていいと興味の欠片もない声で返答した。
「堕落してるんだよ、魔法世界ここは」
フェレストはその言葉に頷けばいいのか否定すればいいのか迷ったが、考えている間に何事も無く、そう注意一つされることなく目的地に転送された事実に、その言葉が正しいことを認めた。
ネギが申告している以上、ネクロマンサーであるという情報はネギの情報欄に記入されているはずであり、明らか過ぎる棺桶という持ち物を疑わないことなどあり得ないのだ。
その事実に、フェレストはただただ唖然とするしかなかった。

近くの町に移動してまず一番に向けられたのが恐怖の目線だった。フェレストはその事に思わず自身の姿を確認した。悪魔以外あり得えるはずのない羽も尻尾も隠し、念には念を入れ角まで隠した姿に異常は無い。
「フェレスト気にするな。原因は私だ」
瞬間目線が怪しくなる。フェレストは知っていた。学校でのネギの行動を。だから自重しなかっただろう幼少期の行動が原因なのだろうと思い、ふと首をかしげた。たかが幼児の問題ごとを、今頃まで恐怖の目線で見るのかと。
ネギは学校でこれ以上無いほどに厄介者扱いされていたものの、マギ研では尊敬の目線で見られ、グラディエーターのいろはクラブに顔を出せば教えを請うものがおり、完全制覇なにこれ魔道書クラブに顔を出せば常に禁書の封印解除を頼まれる。そのどれにおいても妬みや嫉妬の目線で見られることもあるが、どれだけ問題を起こそうが恐怖の目線で見られることはない。
「ちょっとした昔話さ。どうということのない、ただの異端児という私の」
だからその言葉に、ネギという人格を無視しても尚恐れられる何かがあったのだと、異端ということを知っているが故にあえて何も聞かなかった。
ただ野宿になるかもしれないと言われたのには、慌ててしまったが。
そんなこんなで、まず初めにやってきたのは、ここウェールズ周辺における魔法学校への挨拶だった。
何故そんなことが必要なのかと聞くと、なんとも複雑なスプリングフィールド家、否ネギの身の上話が話された。
かの英雄ナギ・スプリングフィールドが父親だということは知っていた。だが、その顔を一度も見たことが無く、見たのは深くローブを被った自称父親のロクデナシだという。その事について、実際に見たことが無い故に実感が湧かなかったが、それでも英雄という世界を救ったナギという人物の評価が、株価であれば真っ青になるほどの勢いで急下降した。
フェレストは生まれの姿で迫害こそされたものの、命のともし火が尽きるその時まで両親は泣いていた自分を慰め、励まし、時には叱り、笑いあった。それは今も心に残る貧しくとも楽しかったと胸を張って言える日々で、両親は最高の人物だと胸を張って誇れた。だから、親は英雄であり、されど親に育てられずおそらく聞かされただろう親の偉大さと、英雄の息子という期待を一身に背負わされた生活、その育てられ方。正直良くネギと今の性格と姿で出会うことが出来たと悔しさとも、悲しさとも、そして嬉しさとも着かない胸にたまる感情が去来した。
だが、その何処が恐怖されたのかが分からない。それはネギが話さなかったからだ。悪魔の襲来と、そこにいたるまでの行動と悪魔への対処を。
「まだ弱いな」
「どうかしたネギ?」
小さく呟かれた言葉は、一体何が込められていたのだろうか。それはネギ本人しか知らない物であり、きっと他の誰にも分かち合えないものなのだとネギは、なんでもないと小さく笑った。

「私はまだまだ学ばなければ成りません。というわけでスプリングフィールド校長、この書類にサインを」
一切感情を感じさせない言葉に、一時間待たされて漸く対面した校長、アルフォンス・スプリングフィールドは、苦笑を浮かべた。
「これこれ、そう急ぐでない。ネカネのところにも顔を出しておらんのじゃろう?」
「そうですが。それが何か?」
アルフォンスは何がではないと、苦笑いを深めた。それに対しネギはそれが当然だと言わんばかりに高等魔法学校の書類を手に持ち、催促した。
「私は暇ではない。これは学校に届けねばならんし、寮の問題だってある。マギ研の席も移さねばならない。おまけに魔法球の調整は遅れに遅れている。時間が無いのだ」
寮は基本的に入学が受理された後に割り振られるものである。幸いネギは魔法球を自作し所有していたのでこれまでに集めた衣服や錬金術に必要な道具など、本来一時宅配便で実家に送らなければ成らない物は全て一括でまとめられていた。だが整理となると話しは別で、始業式までになんやかんやで消化できていないスケジュールを一斉決済しようと考えていた為、魔法の無駄遣いとしか思えない白骨に荷物の整理を手伝わせることまで検討中だった。そしてなによりネギは此処に居たくは無かった。
しかし、そんなことはネギの都合でありアルフォンスの問題ではない。だから彼はさらりと爆弾を落とした。
「わしは祖父じゃからのう。保護者とはいえんわい。サギのところに行きなさい。ネカネにも会っておらんのじゃろう?」
心配しておったからのう。飄々と嘯くアルフォンスに、すぐさまネギは踵を翻し、無言で扉を開け廊下を去っていく。
「そうじゃ。ネギ、おぬしは行かねばならん。行かねばならんのだ」
その後姿を見つめるアルフォンスの瞳は、言葉は、一体何を意味していたのだろうか。それを真に知らなければならない者は既に此処にはいなかった。

全くもって忌々しい。乱暴にキャスターを引っ張り、ネギはフェレストの待つ図書室へと向かった。
「今更あの村へ、なんて。何を考えているのだか」
出てくるのは陰鬱な溜息。これが自分ひとりならば良かった。どのような態度をとられたとしても何事も無く過ごせる。だが、今回はフェレストがいるのだ。
短い付き合いだが、フェレストのことはそれなりに分かっているつもりだった。だからその時の驚く顔が、怒りを抑える顔がすぐさま浮かぶ。あるいは過去を知れば離れていくのだろうかと、一人想像して笑った。
自分にとってあの村は既に過去のものになっていた。捨てたのだ。魔法世界に行くと決めたときに。
スニーカーの音が大理石に反響する。まるで帰ってきたことに抗議しているかのように。思い出すのは多くの目と声。外を歩けば誰もが声を潜め、側を通れば息をのむ。遠くではこちらを伺い隣の誰かと小さな声で囁きあう。それらの目はどれも同じ色で埋め尽くされ、誰もが恐怖を、恐れを抱いていた。それが風化していないことはこの町に入ってからすぐに分かった。だが此処はましな方なのだ。直接それを見て、体験していないのだから。ただ身内に体験者がいただけ。だから村はその比ではない。
それを見たときには聞いてくるだろう。フェレストは聡い。だから町では隠していることを知っていても深く聞いてくることは無かった。だが、流石に聞くはずだ。そのとき自分は話せるだろうか? それを聞いたとき離れては行かないだろうか?
と、それを自覚したとき、ネギは笑った。何を考えているのだと。
「答えは予め決まっているから答えというのだ」
いつの間にかたどり着いていた図書室の扉を開き、太陽の光を身に受けたフェレストに目を細めながら微笑んだ。
ああ、なんて、
「行くぞ」
「あ、ネギ」
なんて……
感傷を振り払い、すぐさま外に出る。自分は強い。それは事実だ。ネギは同じ年齢の者は当たり前だが、それ以上の大人の中でも秀でているだろう。何せ策を弄したとはいえケルベロスを二体も殺したのだ。それも休むことなく連続の短期決戦で。それは腕に覚えのある程度では到底出来ない大事。
自分は弱い。誰に聞けばそんな評価が出るのかと思うようなことを、ネギは考えていた。ネギは自分のことをそれなりに把握している。ネギに同年代の友人が少ないのは話していて退屈だという以外にも理由がある。考えれば当たり前だ。立派な魔法使い関係はともかく、剣闘士の話題でルックスを主に話すのは女子が多い。ネギが所属した初級魔法学校は男子校で、更に言うとグラディエーターのいろはクラブというものまである。剣闘士の本質が強さだということに気が付いている者は多い。だからそれなりに近い目線で見ることも出来る。だが同年代の友人は少ない。
子供は残酷だ。大人にある思慮が存在しない。魔法世界では誰もが知っている物語。英雄ナギ・スプリングフィールドの物語。その本人が父親なのだ。何かと突っ込んでくるものが多数を占める。芸能人の息子に生まれたといったらいいだろうか? それも普通の学校に入れられた有名人の息子。ネギ・スプリングフィールドを見ているつもりでも、そこに有名人であるナギの姿を見る。その話をせがむ。それが現実。年が離れれば友人になれると思った愚か者とていたぐらいだ。
ネギは何度も失敗している。年の離れた友人、その友人を紹介され迂闊に自分の生まれを語ったのが全ての失敗。そのときになり、いくら年をとっていてもダメな者はダメなのだと漸く理解でき、その日の晩、久しぶりに空を見た。
だから、自分が、自分の心が弱いのだと誰に言われるまでも無く自覚していた。人は一人では生きていけないのだ。だから友人を大切にする。フェレストは友人だ。それもそれなりのところまで知ってしまったはじめての友人。それが受け入れられたことがどれだけ嬉しかったか。初めこそ事実に探りを入れる敵だと思ったが故に強敵だと判断していたが、それがなくなったとき対等で、ほんの少しの言葉で全てをわかってくれるその存在にどれだけ喜んだか。だからこそ、離れていくとき心は血を流すのだろうと、簡単に予想がついた。血を流さないほど成熟してはいなく、人という生物に絶望しきってもいないから。
「ねえ。あっちって何?」
外に出たネギに声が掛かる。無視しようかとも思ったが、村へのバスがまだ時間があることから側に近寄った。
ああ、綺麗だなと、自然に浮かんだことにされど驚きはもう無い。心の隔離は進んでいるようだと安心した。このことは予想がついたことだった。だからこそメガロメセンブリアまでの高速船の部屋は離れてとり、会うことを、会話を最小限にしたのだから。
そんなネギに気付くことなくフェレストの視線は本棚の間を縫い、扉の開かれた倉庫に縫いとめられていた。
「あの本は何かしら? ネギが作った本に似ているようだけれど」
その言葉に、まさかという思いが広がった。フェレストを押しのけるように身を乗り出し倉庫の暗闇を貫くように見据えた。
「ネギ?」
一歩、無意識に足が踏み出す。その瞬間、脳裏に本能の警告がなった。フェレストは何故、ネクロノミコンと同じだと分かったのか。ネクロノミコンの外見はただの赤い本だというのに。その答えはネギにはわかった。雰囲気。あるいはオーラと言い換えてもいいそれが酷似しているのだ。
闇の中に浮かぶ、ところどころしみの作られたそれを観察し、あることに気が付いた。
「弄繰り回されている?」
しみはただのしみではない。緑色のそれは、対魔力、抗魔力を弱める薬品を紙にしみこませたときと同じ色。背表紙だけで他にも何十個もの痕跡が見えるそれに、思わず実験体にされ破棄されたモルモットを連想する。
恐らくネクロノミコンのように隠した内容を暴こうとしたのだろうが、これはあんまりだと手を伸ばす。オーラはそれであっても、ネクロノミコンのように読めはしないのだろうと思いながら、傷ついたその本を安置したかった。感傷なのだろうその姿にそう遠くないうちに擦り切れるだろう自らの心を重ねて。
だから、
「ぐッ!」
それからに伸びる魔力の縄も、
「ネギッ!」
異変を感じ、それを助けようと駆け寄ってきたフェレストを感知することが遅れ、
「離れろォォォォォ!」
「ッ」
しがみつくフェレストに、己の未熟さを痛感させられた。
二人を包み込んだ魔力の縄は、繭の様に空間を切り取り、
『ネギ・スプリングフィールド……』
思念波が発せられると共に、
「待つんじゃ!」
異変を察知し駆けつけたアルフォンスの目の前で、光に飲み込まれた。

ゆったりと、包み込むような安らぎの中、その存在はたゆたっていた。
此処はどこか? そもそも自分は誰なのか? 思考がよぎるが存在する空間にそのような雑念は不要と、無意識下で切り捨てる。
唯一つ思い出されたのは、巻き添えを食った一人の少女。集中しなければすぐに霧散するその空間で、それだけは霧散することなく鮮明にとどまり、次第に思いを強くしていった。
だからだろうか、眠っていた赤子のような、あるいは死者が眠るような瞳を開けその場所に色が着いた。
瞬間、体を抱きしめる。暗闇が無くなり、現れた砂が舞うその地に安らぎは既に無く、肌を刺すかのような黒々とした何かだけが存在した。
悪魔、忌み子、異形。それらの鎖は思いが形になったものだとすぐに悟った。では誰がその中に? 
目の前には鎖で覆われた何かがあるだけ。
「フェレスト?」
瞬間鎖の群れが唸り、脈を打った。その呪いとしか言いようが無い鎖の存在感が何倍にも増し、覗き込むこちらおも引きずり込もうとする。
「フェレストだろ」
だが屈しない。そんな憎悪ごときに屈しはしない。再度呼びかけ確かに見た。脈打った鎖の間から覗いた白い腕を。それがまるで助けを求めるかのように掌を開き、一杯に伸ばしたのを。
そうとわかれば躊躇は無用だと、己の武器を顕現させる。
鎖の繭を中心に衛星のように周り、武器をふる。そのたびに一つ、また一つと甲高い音を立てて鎖と化している闇が散らされていく。それは舞だった。過去を断ち切る舞。
いくら続けただろうか。何十もの鎖を消滅させ、漸く中が見えてきた。手を伸ばし助けを求める幼子に、安心させるように微笑み焦ることなく一つ一つ鎖を消滅させていった。
武器を消し、幼子をそっと抱きしめようと前に出る。幼子はその光景に表情を消し、後ずさった。
ああ、と分かってしまった。とらわれの姫君は、数々の衛兵を倒したというのに、最も頑丈で、自分にしか解くことのできない鎖につながれているのだと。
幼子は問うた。恐くないのかと。されどその問いの答えを知っているかのように顔を俯かせる。だからそっと頭をなでた。
恐くなどない、と。嘘だと幼子は悲鳴を上げた。そんなはずは無い、心の奥底では化け物だと思っているのだろうと。
それは必死で、だから言葉など届かない。だから、そっとその普通よりも輝き、ヤギの角と白亜の象牙を合わせたかのような角をなでる。こうもりよりも尚尖ったその黒い羽をくすぐり、鏃のように尖った尻尾をつまみ、弾力を確かめるかのように和らがせた。
痛みを我慢するように目を強く瞑った幼子は、されどいつまでたっても来ることの無い痛みに、首をかしげ、どこかくすぐったい、そう両親にしかされたことのないその心地よさに、何故と呟いた。何故痛めつけないのかと。
疑いを含んだそれに、言い切った。自分に自信を持ちなさいと。
何のことかと問い返す幼子は、自信の意味が分かっていなかった。だから物語を語った。幼くとも光り輝いている一人の少女の話を。
その少女は、ほんの少しだけ過去を引きずっているのだと。だから素直になれないと。
幼子はそれを聞き、初めて笑った。ありがとうと。
浮かび上がる最後の鎖はまるで首を締め上げるかのように括り付け、天から降りてきていた。少女はそれにさわり、今までとは違う、ガラスをあわせるような祝福の音を上げ、鎖が光と共に砕けていった。
幼子は手を伸ばす。連れて行ってと。それは幼子から姿を変え、フェレストという少女へと姿を変えた。
一転の曇りも無く笑うその表情に、改めてその美しさを認めた。だから、だからこそ否定する。連れてはいけないと。
何故と問う幼子に戻ったフェレストに、普段は見せることの無い自嘲の笑いを見せた。
自分は悪い魔法使いなのだと。だから連れて行けないと。だが幼子はそんなことは既に知っていると泣きそうになりながら言い返した。あなたで無ければダメなのだと。
それでも否定する。とらわれのお姫様を救うのは王子様であり、悪い魔法使いの自分ではないと。
一歩それと気付かせないように遠ざかりながら、言葉を重ねた。
お姫様。あなたは美しい。闇に浸かった己は穢れにしかならず、光り輝いた舞台こそがあるべき場所だ。
誰かがあなたを救ってくれる。そういい残し消えた影を見つめる幼子は、お姉ちゃんは失敗したのだと一筋の涙を流した。
周囲に迫る鎖に、表情一つ変えない幼子は、されど再度つかまること無かった。驚きの表情で見つめるその先には、確かにいたのだと、救ってくれたことを忘れるなと言わんばかりに突き立つ一つの刀が存在した。
だから余計に涙があふれる。幼子はその姿を少女へと変え、静かに涙を流す。自分は救えなかったのにと、その名を呼んだ。
『ネギ……』

闇の中を一歩また一歩と進み、漸くその場にたどり着いた。
目の前には一人の老人が安楽椅子に座り、闇の中に存在した。
「ああ、来たかね」
気が付いたのだろう。老人はゆっくりと瞳を開けた。堀の深い顔には、雰囲気から感じられるほど皴は無く、短く刈られた白髪とあわせて擦り切れたぼろぼろのローブを着ているというのに、老紳士という言葉が自然と浮かんだ。
それに一歩近づき、瞬間、闇は消え夕日の差し込み暖炉に火が燃え盛る、どこか人を安心させる柔らかな雰囲気の空間へと変わった。
「あなたは、などということは聞かないでくれ。君にはもう分かっているのだろう?」
何処からともなく艶掛かったパイプを取り出し、マッチで火をつける。蓄えたさほど長くは無い髭をなで、老人は向き合うように用意されたもう一つの安楽椅子を勧めた。
「恐らく君はこう思っているはずだ。何故このような回りくどいことをしたのか、と」
確かにそう思っていた。それと同時に何のためかとも。その疑問を先取りするように老人は遠い瞳をして語り始めた。
「嘗て私はたった一人のマスターと共に、数々の戦場を駆け抜けた」
パイプから煙を吸い込み、口から環にして吹き出した。
「マスターは所謂悪の魔法使いだった。強きをくじき弱きを助ける。その言葉通りの行動を取るには、悪と罵られなければならなかった」
それをじっと聞き、いつの間にかテーブルにあったクッキーをかじる。
「多くを助ける為に、その定義から外れた少数を切り捨ている。それが正義と呼ばれていた。時にはその定義において少数しか助けられず、多くを切り捨てることも正義だった。私に人の考えは分からない。だがトレースは出来る。何度も演算した結果、とある答えが浮かんできた。マスターは、どれだけ多くの人々よりも、身近な、そうまるで宝物のような人々こそ助けたかったのではないかと」
老人は大きく息を吐き、日の沈んだ部屋に腕を振ることで明かりをつけた。それと同時にクッキーとコーヒーが載っていたテーブルは無くなり、代わりに食卓テーブルとその上に載った食事が現れた。
「私が作られたとき、既にマスターの両親は存在していなかった。過ごしていく内に分かった事だったが、その時マスターの想い人が亡くなった後だった。そしてマスターの想い人は、善なる魔法使いに殺されたということも。私を作ったのは復讐の為だといっていた。復讐に明け暮れ、いつか思い出すことも出来なくなるだろう想い人への想いや、好きだった仕草、表情。その全てをこの世から消し去ることなく存在させる為だと」
「その記憶は…」
老人が語る言葉に、聞いてはいけないと分かっていても聞かずにはいられなかった。マスターと今も慕うその存在が残した在りし日の記憶。
「マスターと共に逝ったよ。復讐に明け暮れたマスターは一見さま変わりしていたが、その実変わっていなかった。だが、やはりというべきか全てが終わったその時、マスターは思い出せなくなっていたのだよ」
一口グラスに注がれた赤いワインを口に含み、老人はそのときを思い出すかのように目を瞑った。
「泣いていた。それを、その大切だった思い出を思い出せないことに泣いていた。当時の私は何故泣くのかなど分からず、ただそのときの記憶を機械的に蘇らせることしかできなかった。それでも涙は止まらなかった。私はマスターを誇りに思っていた。だから、マスターを悲しませるその記憶が忌々しかった。嫉妬、だったのだろう」
「それで、その人は」
復讐などするべきではない。それは誰もが認識することだ。だが、それが本当なのか、その人物はどうなったのかが、何故か自分のことのように気がかりだった。だから聞いてしまった。他人の心に踏み込むなどしてはならないと知っていても尚。
「隠居したよ。生まれたところは元より、大切だったはずの思い出の土地からも遠く離れた大陸で、一人、畑を耕し生計を立てていた。静かな時間だった。三十年にも及ぶ復讐は終わり、命の危険が一切無い穏やかな。だから私はもう永遠に使われないだろうと思っていた。それが寂しくもあり、何よりも嬉しかった。マスターが漸く手に入れた幸せな時間。それを過ごしてもらえることを何よりも喜んだ。だが、マスターは本当に幸せだったのだろうか」
老人は初めて向けていた視線をはずし、天井へとそれを向けた。
「幸せだった。そのはずだった。だがマスターは伴侶を作らず、時折思い出したかのように私を呼び、真に幸せだった頃の記憶を見るだけだった。マスターはそれを見ても泣かなかった。そう、泣かなかったのだ。私はそれを喜んだ。だがだんだんと違っているように思えてきたのだ。マスターは、泣けなくなっただけなのではないかと」
老人は重い溜息を吐き、テーブルに両肘を立て、こうべをたれた。
「私は初めて間違いを犯した。まだ幼かった私の自我は、遠慮や思慮ということを知らず、マスターの心に土足で踏み込んでしまったのだ。立った一言、戻りたいのかと、そう聞くことで。マスターは笑っていた。笑っていたのだ。そう出来ればどれほどいいか、と言いながら。懐かしむように笑って…」
肌を刺すような沈黙が、その場に漂った。何もいえない。言えるはずが無い。気づいていないとしても、そのことを悔いている老人に。
そんなことは無い? きっと今を楽しんでいた? 老人の心を僅かでもわかればそんな事が言えるはずが無かった。そんな慰め以上の何物でもない言葉を口に出来るはずがなかった。
「気に、することは無い」
そういったことを考えていたとき、老人がそっと言葉を放った。
「下手な慰めを言われるよりもずっと良かった。ありがとう」
そういって笑う老人に、何故笑えるのかが分からなかった。目の前の姿は擬態だ。だがその姿にたる時間を過ごしてきたことは想像に難くない。だからこそその時間を経てなお後悔し続ける思いが、笑って済ませるはずが無いのだ。
「そんなことは無い。ただ、黙って聞いてくれるだけでずいぶんと楽になった」
思考を読み取られたことを何故とは思わない。
「この姿は、マスターの最期の姿と同じ。私が頼んだ唯一の我侭だ。マスターは最期まで元気だった。最期になる日も、何ら変わりは無かった。ただ、その数年、まるで振り切ったかのように振り返ることの無かった思い出を目に焼き付けて、その日の晩、逝ってしまった。この命も仮初めのものに過ぎない。だからあの世と言うものは信じていなかったのだが、その時だけは逝ってしまったマスターが気になった。だからだろう。私はこの身に存在した記憶を解き放った。マスターの想い人が既にいなくとも、その想い、真に幸せだった頃の記憶を、私が側にいなくとも思い出せる様にと」
結局手をつけなかった料理は、消え去り、氷にワインボトルが入り、グラスに注がれたワインが二つそのテーブルに現れた。
「私は人ではない。事実にもとづく演算の結果しか表すことができない。これまで語ったことも感情から生まれたのではなく、経験と演算結果に過ぎない」
老人は目を伏せ、一つ頼まれてくれないか、と尋ねた。
「君はマスターを知らない。だが、私が語った内容は知っている。推測でいい。私に聞かせてくれ。ネギ・スプリングフィールド。マスターは……本当に幸せだったのだろうか」
後悔は、後で悔やむからこそ後悔と言う。それはおおよその場合解決することが困難であることが多い。だが、人にはその解決方法がある。それは生物の特権。そう、忘却だ。あるいは妥協。自分を騙し折り合いをつける。それが人のやり方。だが、人ならぬ身にそれを要求することは困難だろう。だからこの問いも当たり前なのだ。だからこそネギは言い切った。知りません、と。
「私は、あなたのマスターを知らない。そして知っていたとしてもそれは答えられない。その人が幸せだったかと言うことは、他の誰でもない、その人だけが知っていることです。どれだけ推測しようがそれは推測の域を出ません。あるいは此処で幸せだったと言うことも出来るでしょう。ですがそれは、そんな回答は侮辱に過ぎません」
そうか、と老人は肩を落とし、薄く笑った。そして、つまらないことを聞いたと口を開こうとして、目を見開く。
「ただ、不幸ではなかったでしょう。だって」
老人は言い知れない安堵の気持ちに、プログラムに過ぎないにもかかわらず、そっと涙を流した。
ネギは言い切ったのだ。こんな素敵なあなたと共に在れて、不幸なはずが無いじゃないですか、と。
この日このとき、永遠に続くはずだった後悔と言う名の鎖は、たった一人の少年によって漸くその任を解かれた。ネギが幸福だったと、幸せだったと言っていれば永遠に解かれることのない鎖。だが、けっして不幸ではなかったと言われたら、思い出す穏やかな顔に、想像も演算もする必要が無いほど明確に分かるだろう。その思いが。
彼はけっして幸福ではなかった。その道筋は血に濡れ多くの命を散らし、そして自身の命すら危機にさらしていた。だが、それが不幸だということはイコールで繋がれない。幸福と同様に、不幸だと言うことも他人に判断できるものではないのだから。
だから、不幸ではない。確かに不幸も他人には決められないが、最期の顔が安らかであったのならば、それは少なくとも苦しくは、不幸では、なかったと言うことに繋がらないだろうか?

それからの時間二人はその人生で体験した数多くの、あるいは稀でいて少ない事を話し合った。
ネギは話していて自然に思った。ずっとこうしていたいと。
この場にはありとあらゆる害悪がない。誰も、何者であっても老人の許可なくネギを傷付けることはできないのだ。
「そろそろ本題に入りませんか?」
だからこそ老人はその言葉に目を見張った。楽しくはなかったのかと。
「そんなことはありません。此処は苦しみも痛みも、ありとあらゆる害悪が存在しない。私を傷付ける者は…存在しない」
「ならばそれでいいではないか。一対何をためらっているのかね」
ネギは首を縦に振った。老人の言葉はもっともだと。だからこそネギは言わねばならなかった。
「此処に一切の害悪はあり得ない」
「では」
「でも」
ネギは老人の言葉をさえぎり言葉を続けた。
「楽しみも喜びも、そう世界にあふれたありとあらゆる優しさがない」
「私との話は、退屈だったかね」
残念そうに言う老人に、ネギは緩やかに首を振った。
「そんなことはありません。実に有意義で、楽しかった。だけど、足りないんです」
足りない。そう足りないのだとネギは天井に視線を向けた。
「永遠にここに居ることがどれほど安らぎに満ちているか。それを何度も考えました。それでも私はここを出なければならない」
それを見て老人は深く溜息を吐いた。
「人は…強欲だな」
それにネギは苦笑いで答えることしか出来なかった。その通りだからだ。人は常に新しいものを生み出し利用しながら、環境をより快適に、作業をより楽に文明を発展させてきた。それが人の人たるゆえんであり、また人の滅びの原因なのだろう。それを進化と言うことは簡単だ。だが、その根本が単なる欲であることを否定できる人は存在しない。誰もが心の奥底で思っているからだ。面倒だと。それを楽にする何かがあったらならばと。
人は醜く汚い。ネギはそう思う。自分が誰よりも大事で、より大きなものを得ようと身に余るそれを追い求める。だがそれと同時に尊いものだとも思う。誰もが、全てのものがそういった存在ではないからだ。利益が出ないと言うにもかかわらず何かを助け、憂慮し、打開策を模索する。それがどのような生物もすることのない、生存競争に真っ向から抗っている異端の行為だとしても。
「だが…人は美しい」
人は多くの者が多くの悪行にその身を浸しているのだろう。それは雑草のように強靭で、悪魔のごとく強かだ。そんな雑草の中に一人寂しく咲く花もまた存在する。それは温室育ちのようにか弱いことが多い。だが時として雑草の如き強靭さを兼ね備えた意志と言う名の折れることのない茎を持った花が咲く。それはまるで風に種を飛ばすかのように離れたところに同じものを咲かせる。
その花は雑草に対して圧倒的に数が足りない。だが確かに存在するのだ。それは荒野に咲く一厘の花のように人の荒らんだ心に浸透する。だから人は汚く、そして美しいのだ。
ネギは、人を見捨てられない。人に絶望しきれない。それはそこまで大きなことではなく、ただ身近の安らぎが存在するから。
「だからこそ優しく在れるというのかね? ケルベロスを殺そうとしたように」
「それは…買いかぶりです」
ネギはその言葉をやんわりと否定する。ネギは自分が優しいとは思わない。ケルベロスを殺したのだってそうだと自己判断する。理不尽に命を刈り取られるのなら、同じ理不尽であっても、愛した伴侶に殺されるほうがずっと理解できるだろう。そう、伴侶はもういないのだと知り、その亡骸を侮辱するかのように操る存在を恨みながら死ねるだろうと。ただそう思いたいから、生きていることに罪のない、何の罪もないにもかかわらず殺しそして侮辱したその行為に意味を持たせたいと。確かに高揚しながら殺したと言うのにそれを傲慢にも思ったその所業がただの自己満足以外の何物でもないのだと。
「そうかね。それにしては君の心が傷ついていたように思ったが。そう、フェレストと言う少女に言われた言葉に」
「彼女の言葉は誰もが抱く当たり前の反応です。ショックだったのはそんな行為を知らされるまで続けていた自分自身に対して思ったのですよ」
ネギは疲れたかのようにグラスに入ったワインを一口口にした。酔うことのないこの空間に、魔法球内部に実装してみようかと埒もない事を考えた。
「君の心は、人の悪意には耐えられないだろう。それでも…行くのかね?」
ネギはただ笑顔を浮かべ何も答えない。老人はその微笑こそが答えなのだと、痛ましげな表情を浮かべた。
「君にはもう分かっていると思うが、あえて言おう。此処は魔道書の中で、私はその本体だ。君の思考を読み取れたのも魔道書の中に居る限り、人と言う体は意味を成さない故に本来働くプロテクトが存在しないからに過ぎない。だから問おう。君は知っているのではないかね。私と言う存在を表す、この世界には存在しない言葉を。私の真実を」
「ええ、知っています」
何処までも隠し事は出来ないのだなと、ネギは柔らかく微笑んだ。それはネギにとっても身近な情報体。そう、
「管理人格。そして融合騎ですね」
それは疑問ではなく確認。それを正確に汲み取ったのだろう老人は静かに頷いた。急ぐ必要はないのだと、ワインを一口のみ老人は口を開いた。
「此処の時間は外では一秒にも満たない刹那の間に過ぎない。だからこそ急ぐ必要はないのだよ。君が如何な答えを用意しようともそれに対するペナルティーはない」
「それなら安心しました。ですが、それほどの魔道書を作ったあなたのマスターはすごい方だったのですね」
ネギはこの技術が前世で関わったものだとはおぼろげだったが理解していた。だが、精神体の時間と肉体の時間を切り離すことは難易度が高い技術だ。眠りのそれに似ているが、精神体である以上、それと似て異なる技術であり、それを備えた魔道書をこの世界でそれも科学が此処まで発達していなかったその時代で作ることが出来たことは、工具を所持していたとしても相当腕が良くなければできないことである。改めてネギはそのマスターに一目あってみたかったと思った。
それにどこか嬉しそうな老人は、あって欲しかったと頷き、言葉を進めた。
「私が君を此処に呼んだのは、他でもない私を所有する資格があったからなのだよ。ネギ・スプリングフィールド」
「所有…ですか」
そうだと一つ頷き、老人は語る。
「知っているとおり、魔道書。それも融合騎を有したそれを所有するには、魔道書自身に認められなければ成らない。それはマスターが製作した正規型とはとてもいえない私であっても変わらない事実だ。君は見ただろう? 魔道書が処されたその断片を」
その言葉にネギは、いたるところに魔法薬のシミがつき元がどういった色だったのかすら分からなくなった魔道書の成れの果てを、それに至るまでの想像した所業を思い出した。
「そう奴らは私を、いや私が所有する情報を暴きたがった。そう、マスター亡き後他人の家となったその場所で、アンティークとしての価値を求められ平穏なときを過ごしていた私を奴らは見つけ出し、あろう事かマスターの実力を私あってこそと思い込みその力を得ようと様々な実験を施したのだ。それは、そう立派な魔法使いと言われ敬られるものこそがその陣頭指揮を執った。だが、誰も情報を引き出せず最近になり英雄と名高いナギ、そう君と同じ苗字を持つ若者に託された」
ネギはそこで溜息を吐いた。親父様、何をやらかしていやがるのですかと。
「そう、うんざりすることはない。少なくとも私は君にナギの面影は微塵も見ていない。いや正確にはいたるところに類似点は存在するが、それは外見的特徴であり性格、精神には面影一つ見られない。完全に別人だ」
若者の失敗を見守る年長者のように、老人は微笑ましげな笑みを向けた。ネギは初めてだったのだろう、小さく礼をいい頬を緩ませた。誰にもそのようなことを言われたことはないのだ。ナギに似ていないなどと。その本人を知っているものからは。
「その若者でさえ私の情報を引き出すことは出来ず、奴らは漸く諦めた。少なくとも数年の間私はそう思った。だが奴らは再び開始したのだよ。それはネギ・スプリングフィールド、君が此処からそう遠くはない村にやって来た時期に重なっているように私には思えた」
「それは…どういう」
「残念だが私はその答えにたる確かな情報を持っていない。だが、関係ないかもしれないが一つだけ奴らが漏らした言葉があった。ナギの復活。それの意味するものは分からないが、分からないがあるいは君に関係することかもしれない」
ナギの復活。ネギはその言葉を聞き、死者の復活かと思ったが、それをするまでもなくナギは生きているのだ。少なくとも七年前に本人としか思えない人物には遭遇している。仮に老人の言葉がそのままの意味を持っていたとしても、その三年後、その時点でナギの復活は成功しているのだ。そこに老人が見出したような自分との関係性は無いように思える。
「少し、話を脱線させてしまったかな。混乱したのならわびよう。あるいは話す必要はなかったのかもしれない」
「いえ、人生は予想外の連続です。私が予想していない出来事も存在する可能性は十分にあります。その時この情報が役に立つかもしれません」
ネギは真剣な表情で、言い切った。それに老人は軽く目を見開いたものの、良く出来た少年だと小さくネギには届かないほどの声で呟いた。
「さて、本題に戻ろう。そうして君の存在を知ったのだが、失礼を承知で言わせて貰うが当時の君では私を扱うに足る存在ではなかった。それは力が小さいと言う意味ではない。私は異世界の技術を元に作られてはいるが、あちらの魔力感知能力をマスター不在時は一定方向に特化させた、この世界の魔道書に近い性質がある。魔力と複雑に絡み合った、未だ特定の名称がついていない感情にも似た波動。そのパターンが適合した者のみが私を扱える資格を有する。尤もそのパターンが検出されれば良いと言うのではなく、私の中で定められた基準値を大幅に超えたもののみだが」
この言葉でネギは理解した。囚われの身と言うこともあったのだろうが、現在まで初代マスター以外に該当する人物がいなかったのだと。そして囚われの身であるはずの老人が、学校の生徒なら誰にでも見つけることの出来る場所に存在するはずがなく、それを無理やり現れたと言うことはその場にいた自分か、フェレストがそのパターンに適合し、尚且つ基準値を大幅に上回ったのだろうと。そして、今此処にフェレストは居ない。つまり、
「そう、君こそが私を扱うに足る、新たなマスターになることができる今現在唯一の存在」
当たってしまったと、ネギは苦笑した。それに笑い返し場所が変わる。石造りのシャンデリアが照らす広間、長い階段が続く果てにその両端からの入り口のみが存在する黄金の手すりと、真紅の布地で出来た玉座にを示し、傍らに方膝を突く老人は仰々しく告げた。
「此処に問おう。ネギ・スプリングフィールド。そなたは我が剣を取り、我が意思を預け、我が存在と共に歩みし王たる覚悟があるか」
なんだか大事になってきたと、ネギは傍らでこうべをたれる老人を見た。そうして熟考した結果、拒否しようと口を開き、
「心配には及ばない。そなたが新たなマスターになれども、初代マスターと共にあった月日は変わることなく私の中に刻まれている。それは消えることはない。だからこそ今はそなたがどうしたいかで全てを決めなければ成らないのだ」
先手を打たれた。そうネギは遠慮していた。マイスターであったネギは知っている。時に新たなマスターを向かえるときそれ以前のマスターの記憶を消去しなければならない事があることを。だからこそ拒否しようとした。それは先ほどまで話していた老人が、その姿を模すほど慕っていた初代マスターを忘れることに他ならず、老人自身を消してしまうことになってしまうのではないかと。
だが、その心配は消えた。老人が嘘をついているということも考えられたが、それでは堂々巡りにしかならない。だからこそ、ネギは老人の言うとおり、自分の根底にある意思に従って行動した。
コツリと踏み出した足音に、こうべをたれた老人は笑みを浮かべた。これでいいのだと。これこそが望んでいた回答なのだと。
だが、それは裏切られる。足音は二度目の音を鳴らすことなく静寂がその場に舞い降りた。老人は何事かと、予想外の何かがあったのかと思わず頭を上げ、目を疑った。
「一緒に行きませんか?」
一歩足を踏み出した形で停止したネギは、振り返りながら右手を差し伸べていた。
老人はその浮かべられた微笑に、過去の記憶が訳もなく蘇るのを感じた。初めは道具のような扱いだった。そして初めて命に関わる局面に出会い、初めて相棒と呼ばれた。そして最期には緩んだ何処にでもいる好々爺やとした表情でこう告げられたのだ。今までありがとう我が最大の友人。
ああ、とその存在は感嘆した。永遠に悩み悔いるその命題に、一度ならず二度までもその解を示されたその心に。敬い慕う初代マスターですら最後の最後で漸く悟れたことをその関係を結ぶまでもなく得ていたそのあり方に。
だからだろう、気が付けばただこうべをたれるのではなく、どこか緊張気味に、されど確かな信頼の笑みを向けながら玉座に座るネギの隣にまるで親衛隊のように立っていたのは。それは、微笑み返すには十分すぎる高揚感だった。

「待つんじゃ!」
アルフォンスは焦っていた。ネギの魔力反応が未だ学校内にあることをいぶかしみ、さりげなく急き立てようとその場に向かった。
そして途中で感じられたのは、あってはならない魔力の波動。学校の地下深くに存在する、代々の校長のみに受け継がれてきたその部屋で、何重にも重ねてかけた封印や捕縛結界に囲まれ安置されていた魔道書が、その場に在ったからだ。
老骨に鞭を打ち、走り見た物は光の繭に包まれたネギと一人の少女の姿だった。
何が起こったのかは分からない。だが、これだけは分かった。魔道書がネギに干渉しようとしていることだけは。
瞬間は知った閃光に、とっさに腕でかばい衝撃に耐えた、だが何の衝撃も無く、恐る恐る目を開け、飛び込んできた物は、
「バカな」
気絶しているのか、涙の後が見える一人の少女を支えているネギと、
「All Hail “Negi”!! All Hail Ne-gi!! Ya-hahahahaha」
重低音で叫びながら、光に反射する純白の背表紙と輝く黄金色で記された題名を内側に、小惑星のごとくネギの周りを回る一冊の魔道書。そう、
「リ・ジェネシス…再びの創世記が」
一歩、アルフォンスは歩みを進めた。幾千の魔法使いが研究し、意思持つ魔道書と判明してからは幾万もの魔法使いが所有者になろうと様々な術式を試した。それでも尚不可能と悟ると、せめて記された内容を、とありとあらゆる実験を強行し、それでもただ一つの術式すら見出すことが出来なかった、主無き魔道書。それが今、目の前で…。
「アイン。行くよ」
「Yes, Your Majesty」
瞳に確かな光を宿したネギが、問いかけ、瞬間光とともに消え去った。



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