裏取引という形でも仕方ない

綺麗事では何も変わらない

傷つく事もあるだろう

それでも人は歩いていかなくてはならない



僕たちの独立戦争  第六十二話
著 EFF


ブリッジで作業していたアクアはプロスに話す。

「一応はセットアップしましたが、簡単にはオモイカネのようになりませんから。

 オペレーターの方次第と言わせてもらいますよ」

かつてのオモイカネのような人工知性体の様になるのは時間が掛かると告げる。

オモイカネが自我を得たのはルリの力に拠るものだ。

ルリと共に在ったからオモイカネは成長していったとアクアは思っている。

プラスに関して、アクア自身はオモイカネ・ダッシュから枝分かれした存在を教育したに過ぎないと感じている。

プロスもアクアの説明を聞いて、素体というべき存在が誕生しただけだと考える事にした。

「クルーの皆さんの負担が減るのであれば、それで十分です。

 ホシノさんの親権に関しては後日正式にご連絡します」

「ええ、それで構いません」

裁量権がない以上は話し合っても仕方がないと判断したアクアはアカツキの返答を待つ事にするが、

「出来るだけ急いで下さい。

 予定では地中海に沈んでいるチューリップの排除が完了次第、火星に帰還する事になっています。

 帰るまでにご報告する必要があるので対策を急ぐようにして下さい」

一応の対策を考えておくように進言しておく。

「重ね……重ね、お手数をお掛けします」

胃を押さえるようにして話すプロスにブリッジのクルーは、

(またトラブルですか……本当に苦労していますね。

 これが中間管理職の悲哀ですか)

などとプロスの様子を見ながら思っていた。

「ま、まぁ、プロスさんもそう悪い方へ考えないで……プラス思考に変えたらいいんじゃないかな?

 アクアちゃん達のおかげでいきなりトラブルに直面する所が回避できたんだし」

ミナトが胃の辺りを押さえるプロスを慰めると、

「そ、そうですよ、プロスさん。

 運が良かったと考えましょう……そう思わないと耐えられません」

ナデシコでのトラブルの仲裁役に為りつつあるジュンがフォローする。

ジュンもまたユリカに代わって苦情を処理しているので、プロスの苦労を一番理解しているのだろう。

「副長にも苦労をお掛けしていますな。

 もう少し艦長も大人になってもらわないと……困るんですが」

「いえ……もう慣れましたよ」

「……そうですか」

哀愁が漂うジュンの姿を見ながらプロスは感謝している。

(副長には感謝しております……ナデシコのクルーのトラブルを一手に引き受けてもらっていますから)

トラブル自体は滅多に起きはしないが、スカウト時の内容だけに性格に問題があるクルーが多いのだ。

(自己主張の多い人が居りますからな……起きた時は世話になりっぱなしで)

ムネタケも仲裁役をしているが、主に連合軍との折衝で活躍してもらっている。

本来はイツキを連れていくのだが、新型機の開発を理由にジュンを同行させている。

以前プロスが艦長を連れて行かないのですかと問うと、

「無理よ。子供に交渉事が出来ると思うの?

 あの子にはこういった交渉の場に立たせるのはまだ早いわ。

 だから副長を連れて行くのよ……私が居る時はいいけど、居ない時に対応出来るように今のうちに育てておくのよ。

 いきなり交渉なんて出来はしないわ……経験を積ませないと」

今のユリカでは無理だと断言して、ジュンを連れて行くと答えたのだ。

側に控えさせる事で会議を空気を読ませたり、交渉の場での対応も出来るようにさせていく。

火星から聞かされた真実を知る事でジュンが持っていた軍への理想は壊れたが、

”理想を叶えたいなら現実と向き合って、叶える為に何が必要かを考える事ね”と告げた事で絶望から踏み止まっている。

(今は何も出来ないかもしれない……だけど変える為に努力する事は間違いじゃない)

と思う事でジュンはゆっくりと歩き出している。

そんなジュンにムネタケはナデシコでの仲裁役を経験させる事でジュンの交渉人としてのスキルの上昇を目論んでいた。

ジュンの才能が軍官僚型と判断したムネタケはその方面の才能を伸ばす事を始めている。

「このまま行けば、副長は大丈夫でしょう。

 後は艦長をどうするかよ、こっちに関しては難しいと思うわ。

 能力に関しては問題ないけど、精神面では不安だらけよ」

(艦長としての素質はあるんですが、まだまだ甘えがあるというか……甘いというべきか)

戦争をしているという事は自覚していると思うが、普段の言動を考えると対人戦に耐えられるか不安があるのだ。

(大丈夫かもしれない……だが実戦で耐えられるかどうか判らない。

 戦闘中にもしパニックになったら……はあ、頭が痛いですな)

ユリカがパニックを起こせば、連鎖的に艦内が混乱するのは間違いない。

艦長としてクルーからの一応の信頼はあるのだ。

(もしもなどと考える事が不謹慎かもしれませんが、立場上最悪の事態も想定しないと)

信じているが、常に最善の手を打つ必要があるとプロスは考える。

この先はどうなるか読めないという不安もある。

どの陣営も借り物の技術で戦っているという事を考えると、本当におかしな戦争になっていると感じる。

(さてさて、どうなるのでしょうか?

 どうもクリムゾンと火星は泥沼の戦争にして市民の厭戦感情を引き出す事が目的のようですし。

 安全な場所から見下ろすようにされるのは嫌ですが、戦争の経緯を知ると文句は……言えませんな)

地球も木星も火星を滅ぼそうとしたのだ。

火星にしてみれば、どちらも許す気がないだろう。

火星の住民からすれば、せいぜい殺しあってくれという気持ちだとプロスは思う。

(まだ木連の方が救いはありますか……生き残る為に戦う事を選択したんですから)

地球は二つの陣営から怨みを抱かれている。

木連も火星も簡単に許す気はないだろうとプロスは思う。

(地球が敗戦国となる可能性が大きいですな。

 月が陥落すれば制宙権を失った地球はビッグバリアが最後の砦になりますが、火星は無効化出来ますし)

木連も可能かもしれないとプロスは考える。

コロニー落し――大質量の物体を落とせばビッグバリアとて耐えられない。

(クロノさんが言ったナデシコでの強行突破事件を考えるとナデシコ級の戦艦があれば十分出来るのでしょうな)

昨日、聞いた未来?の出来事は正直なところ気分のいい話ではなかった。

出来れば聞きたくないという類の話だった。

(さてさて、事前に知る事はありがたいのですが……その事に縛られる可能性もありますし。

 出来うる限りの対策でも考えますか)

「さて、それでは昼食に行ってから帰る事にしますね。

 裏方の仕事が増えそうなので」

悩むプロスにアクアが楽しそうに話している。

「……裏方ですか?」

「ええ、一応立場もありますから。

 逃げないと誓った以上は最後まで責任を持って行動しないと」

目の前にいる人物がアクア・クリムゾンだと理解しているプロスは、

(は〜、本当に手強い方になりそうですな)

感心しながらも、この件に関しても対策を考える必要があると思っている。

(クリムゾンはこの戦争をどう演出するのか、見極めないと不味いですな。

 長引かす事は理解していますが、何処まで長引かすのか注意しないと)

「市民の意識改革が始まるまでは続くと思いますよ」

クスクスと笑うアクアにプロスは困ったような顔で話す。

「ですから…読まんで下さい、アクアさん。

 そんなに判りやすいですか?」

「そうでもないですよ。プロスさんの場合は事前情報がたくさんありますから」

「そういう事ですか」

アクアの説明を聞いてプロスは納得せざるを得なかった。

「ええ、事故とはいえ全てを知り、夢という体験でしたが一人の人生を知ってしまいました。

 私が得た能力の殆どは絶望の中から這い上がってきた……本当の強さと優しさを持った人から頂いたものですよ。

 ですが借り物の力といえど……力は力、守りたいものを守る為に使うのは悪い事じゃないでしょうから」

泣きそうでいて、微笑んでいるといった顔でアクアは告げる。

(儚い笑顔とはこういうものなのでしょうな。

 この方もまた背負うものが大きいようですな)

プロスはそう思いながら話す。

「それで良いのではないでしょうか。

 結局のところ、力とは使う者次第ですから。

 アクアさんが道を間違えた時は身体を張ってでも注意されますな。

 そういう人だから守りたいのでしょう?」

「ええ、自分の事は後回しにして、誰かを救おうとする人ですから支えていたいのです」

プロスの問いにアクアは困った顔で話しているが、その顔にはその人物を気遣う優しさがあった。

「難儀な方を好きになりましたな」

「そうかもしれませんが、家は賑やかな家庭になりそうです。

 血の繋がりこそありませんが、互いを思いやり…支えあえる家族になれますよ」

「それってさ〜、ルリルリもいるのよね。

 ルリルリは元気してる?」

ミナトが二人の会話に入ってくる。

ミナトは火星でのルリの様子が気になっていたので、詳しく聞きたいと思っていたのだ。

「いいお姉さんになっていますよ。

 私とクロノが忙しいからルリとジュールに子供達をまかせっきりで」

苦笑して話すアクアにミナトが興味津々で尋ねてくる。

「ジュールって誰なの?

 もしかして〜ルリルリのボーイフレンド?」

「え〜ルリちゃんもそんな友達が出来たんですか?」

メグミも驚きながら会話に参加していく。

「もしかして先を越されたのかな?」

ナデシコでは未だにボーイフレンドができていないメグミが拗ねるように話す。

「やるじゃない、ルリルリも〜」

楽しそうに話すミナトにアクアが困った様子で話す。

「そうでもないのです。ジュールはクロノと同じなのか、ルリの気持ちなど気付いていないような感じで」

「……朴念仁なの?」

困ったように聞くミナトにアクアは躊躇いながらも頷く。

「あちゃー、ルリルリも大変だわ〜。

 でも考えようによってはチャンスかも〜」

「チャンスって何ですか?、ミナトさん」

不思議そうに聞くメグミにミナトは楽しそうに話す。

「だってさ〜、ルリルリも少しはおしゃれとかに気をつけるかもしれないでしょう。

 好きな人に綺麗な自分を見て欲しいって思わない、メグミちゃん、アクアちゃん」

その意見を聞いたアクアはパーッと明るい顔になっていく。

「そうです! その通りですよ!

 ちょっと意地悪なやり方かもしれませんが、ルリにおしゃれをさせる事が出来ますね。

 もう少し服装に気を配って欲しいと思っていたんですよ」

「相変わらず実用一点主義なの?」

困ったような顔で話すミナトにアクアも苦笑している。

「そうなんですよ。素材は良いのにシンプルな服装ばかりで。

 もっとこう着飾って欲しいんですよ」

「大変ですね、アクアさんも」

身振り手振りで表現しているアクアにメグミはどう言って良いのか分からずにそうコメントする。

「年頃の女の子がおしゃれに疎いようでは困るのです。

 おしゃればかりを考えるのもいけないんですが、気を遣わないのは悲しい気がして」

「そうよね〜、シンプルなのはいいけどおしゃれに気を遣わないのは不味いわね。

 ルリルリは嫌がるかもしれないけど、保護者としては当然かしら」

ルリの性格を知っているミナトはルリがおしゃれに拘っていない事が少し悲しい気がする。

ルリくらいの年齢の時、自分達はどうしていたかと問われるとそれなりに異性の目を気にしておしゃれとか考えていた。

そういう考えをルリが持っていない事が歪ではないかと思うのだ。

(まあ、アクアちゃんがおしゃれに気を遣うように注意するのは当然か。

 私もアクアちゃんの立場なら注意していると思うし)

姉もしくは母親代わりなのかもしれないとミナトは思っている。

アクアのナデシコでの生活はルリと一緒にいる事が多く、

ベタベタと引っ付いてはいなかったが気難しい子供に対して慎重に対応する保護者というべき状態だったから。

(ルリルリの事で一喜一憂だったからな〜、本当に大事に思っていたわね。

 特にテーブルマナーとかエチケットについてはきちんと教えていたし)

ナデシコでは必要ないが、社会に出た時の為に憶えていても損はないと話しながら教えていた事をミナトは思い出す。

(丁寧に根気よく教えていたから、そういう席で恥を掻く事はないかな。

 ルリルリって一度教えた事はきちんと覚えてるから安心よね)

「でも……」

メグミが不思議そうに話し出していく。

「アクアさんの周りってクロノさんみたいな人が多いんですか?

 聞けばクオーツくんって子も……みたいですし、この分だと他の子供もそうなるんじゃ」

言葉を濁しながら話すメグミの意見にアクアは困惑している。

「いえ……そんな…でも……」

口元に手に手を当てて考え込むアクア。

その顔は次第に険しいものになっていくとメグミもミナトも苦労しているんだなと感じている。

思考が袋小路にでも入ったのか、アクアは呻きながら不安をかき消すように頭を振っている。

「ま、まあ、大丈夫!

 対策さえあれば改善できるわよ!」

混乱していくアクアの様子を見ながら、ミナトは焦りながら話す。

「そ、そうですよ。

 何とかなりますって」

メグミも慌ててフォローする。

(もしかして禁句だったのかな?)

もしそうなら大変だとメグミは思っている。

隣のミナトからは視線で"駄目よ〜、それは禁句よ"と言われているように感じている。

メグミの額から冷や汗が一筋流れていた。

この様子からアクアの苦労はまだまだ続くだろうと二人は思っていた。

「……何とかなるでしょうか?」

不安そうな顔で聞くアクアに、

「大丈夫だと思うわよ。だって気付いた以上は対策も考えられるしねっ」

明るくミナトがフォローを入れると、メグミも何度も頷いている。

「そうですよね……ええ、諦めませんよ」

二人の前でアクアはめげずに新たに気合を入れなおしている。

その光景にミナトとメグミは胸をなでおろし、プロスはアクアの実生活での苦労を思う。

(本当に苦労しているんですな。

 マシンチャイルド化すると能力の向上はしますが、心の機微というものに鈍くなるのでしょうか?

 それともまだ経験が少ないから……朴念仁というものになるのでしょうか?

 ですが女性はそうならないという事は男性の遺伝子適合者は……やめましょう…なんか怖くなりそうですから)

余計な事を考えてアクアの怒りを買うのは避けようとプロスは考える。

人体実験などするべき事ではないのだと思う。

命を弄ぶ事が如何に人の道に背くという事かをプロスは知っている。

道に背いた者の末路をプロスは幾つも見ている……おおよそ真っ当な最期ではないのだ。

(先代も事故で亡くなられるし、私が知る限り安らかな最期など…ないですな。

 因果応報と言いますが、私もそうなるかもしれませんな)

裏方として生きていた以上は後悔などしないが、それでも最期は安らかに死にたいものだとプロスは考える。

(まあ、その時はその時ですが)

「さて、皆さん。時間ですからお昼に行ってもよろしいですよ。

 ブリッジは私が待機していますので、どうぞ」

プロスは三人の会話が途切れた頃を見計らって話す。

「でも、本当に火星に来ませんか?

 私としてはプロスさんに火星のスタッフを鍛えて欲しいのですが。

 火星は全てを一から始めないといけないので、コストカッターとしてのプロスさんの才能が欲しいんです」

SS長ではなく、経営部門でのプロスの力が欲しいとアクアは告げる。

「何とか自給自足していますが、経費を削減するようにしておきたいので」

「……魅力的な話ですが、今の会長を見捨てるのも……後悔すると思うので。

 今はまだ未熟な部分もありますが、大器だと私は思っていますから」

そうアカツキは経営者としての才能があるとプロスは思っている。

若くして後を継いだが、クリムゾンと対等に相手をしているからにはネルガルを治めるだけの器量があるのだ。

まだまだ伸びる逸材であり、仕え甲斐もあるとプロスは考えている。

「それに後始末もせずに職務を放棄するような人物など信用できないでしょう」

ネルガルの負の遺産の始末もしなければならないとプロスは言外に告げている。

アカツキの指示で後処理を行っていたプロスはこのまま続く事がどれ程危険な事か理解している。

表沙汰になればネルガルの存続にも係わるだろう。

(さてさて、重役の皆さんは何処まで危険性を理解しているか判りませんが、

 このまま続けるようであれば内密に処理して行く事にしますよ)

「……そうですか」

残念な様子でアクアはプロスを見ている。

「ええ、なかなか良い環境みたいですが」

プロスは申し訳ないとアクアに伝えている。

「仕方ありませんね、私としては一石二鳥を考えたんですが甘くはないと思いましょう」

「なるほど……そういう手もありますな」

アクアが残念そうに話すと、プロスも呆れている。

プロスを引き抜く事でネルガルの弱体化は簡単に出来ると判断しているのだろう。

(いやはや……随分と高く評価されていますな。

 それ程だとは思いませんが)

想像以上に評価されているとプロスは思う。

個人的には代わりなど幾らでもいるように考えているのだが。

「そうは居ないのです。命の重みを知り、きちんと向き合える人なんて。

 それにお金の使い方も判っていらっしゃるので。

 無駄な使い方は一切せず、本当に必要な事にはきちんと使える人ってそうはいないのですよ」

「そうでしょうか?」

「ええ」

「そう言って下さると嬉しいかぎりですな」

そこで二人の会話が途切れるとミナトとメグミは立ち上がってアクアを昼食に誘ってブリッジから出て行く。

「……本当に大変なのはこれからですな」

プロスは幾分疲れた様子で呟いていた。

まだ何も状況は変わっていない……戦争は始まったばかり。

どちらも一歩も退きはしない可能性が高い。

「ミスター、その…なんだ…我々の仕事は裏方だ、だから……すまん…上手く言えん」

会話を聞いてたゴートが慰めようと声を掛けるが苦手なのか上手く言えない。

「分かってますから、安心して下さい。

 出来る事を一つずつ片付けるようにしないと」

「そうだな」

ゴートの心情を理解しているプロスは安心させるように話す。

プロスの悩みはもうしばらくは続きそうである。


食堂でクロノ達は合流すると予定通り帰還する事を関係部署に告げていた。

「ちっ、もう少し相手をして欲しかったぜ。

 俺の熱血ってやつをもっと見せたかったんだが」

「……落とされ続けたくせに」

ポツリと呟かれたイズミの言葉にガイはピクッと肩を動かしたが、その呟きを無視する事にして会話を続ける。

「あのサレナって機体を操縦できるようになったら、ライトニングの操縦もできそうだな。

 そん時はよろしくな!」

引き攣った顔ではあったが、ガイは笑いながらクロノの肩を叩く。

「お前も……苦労しているようだな」

「フッ、お前や博士にくらべりゃマシさ」

「どうしてだ? 俺は苦労しているなどと考えた事はないぞ。

 二人とも口こそキツイが、それは俺のことを心配しているからであってだな」

「も……いい、俺が悪かったから惚気はやめてくれ」

クロノの意見を途中で遮るように、ガイは肩を叩いている。

周囲にいる者も勘弁してというようにクロノを見ている。

「愛されているわね〜アクアちゃんにイネスさん♪」

ミナトがからかうように二人に話すが、

「当然です……その分苦労しているんですから」

「そうよね」

何処か疲れた感じで話す二人に周囲の者達も苦労しているんだと実感している。

(クロノさんって朴念仁で……さり気なく口説きそうな人だもん。

 火星でも苦労しているんだろうな〜)

「何かおかしな事でもあったのか?」

……未だに自覚のないクロノに全員が呆れた様子で見ていた。

その視線の意味が理解できないクロノはしきりに首を捻っている。

「アクアちゃん、イネスさん……クオーツくん達をクロノさんみたいにしちゃ絶対にダメよ」

「ええ、どんな事があっても決して諦めませんから」

「そうね、これ以上苦労する女性はなくさないとね」

クロノの背後でヒソヒソと三人は話し合っている。

「……お〜い…聞こえているんだが」

クロノが汗をながしながら話しているが三人は完全に無視して対策を考えている。

食堂はクロノの朴念仁がアクアの子供達に影響しない方法を考える者で溢れ始めていた。


「やれやれだね。本当にテンカワにそっくりだよ。

 サユリもとんでもない男を気に入ったもんだ」

「ホ、ホウメイさん!」

厨房から見ていたホウメイがからかうようにサユリに話すと、サユリは慌てて叫んでいる。

その顔は頬を赤くして恥ずかしそうにしていた。

「でもアキトさん。今頃はどうしているんでしょうか?」

「そうだねぇ、元気にしてるといいんだけど。

 テンカワはちょっと危ないところがあるから、気にはなるけど」

「一番の問題は女性関係ですね」

ホウメイにジュンコが告げると苦笑いしながらホウメイは話す。

「まあ、それもあるけどね。

 テンカワって流されやすいから、あっちこっちフラフラしてないといいんだけど」

「たしかにお人好しで流されやすい人でしたから」

「そんな所がサユリが好きなところだよね〜」

「だから!……もういい!」

背を向けて仕事に戻るサユリに、

「からかい過ぎたかねえ」

苦笑いするホウメイと困った顔でいたジュンコに声が掛かる。

「ホウメイさん、サユリちゃんいますか?

 これ、アキトからのメールなんですが」

「あん?、テンカワかい?」

テンカワに似た声を聞いて振り向いた先にはクロノがディスクを手に立っていた。

「ええ――っ、サユリ!

 テンカワさんからのメールだって」

「ホ、ホント!?」

「ああ、元気でやっているよ。

 ユートピアコロニーの復興作業のチームの一員になって、みんなの飯炊きで頑張る予定だよ」

慌てて振り向いたサユリにクロノはディスクを渡す。

手渡されたディスクを大事に抱えてサユリはクロノに尋ねる。

「ユートピアコロニーを見て、気落ちしていませんでしたか?」

「まあ、ショックはあったけど今は立ち直って元気にしているよ。

 幼馴染の女の子もいるから、それなりにね」

「あっ、ライバル出現だね、サユリ」

「ちょ、ちょっとエリ!」

慌てて反論しようとするサユリに、エリが隣のジュンコに話す。

「だってさ〜、テンカワさんって流されやすいというか……ねえ」

「確かに押しに弱いタイプだから」

「うっ、で、でも」

二人の身も蓋もない言い方にサユリは大いに焦る。

「どうだろうな、お互い部署が違うから顔を合わす機会も少ないからな」

「そうなんですか?」

「そうだよ。向こうは復興事業の責任者で忙しいからな」

ジュンコの問いにクロノが答えると、エリがサユリに小声で話す。

「美人だったら大変だね」

「だ、だから不安にさせないでよ」

サユリも小声で会話を続ける。

「どういう人ですか?

 リョーコお姉さまみたいな人ですか」

「ミカコ……あんた…それはやめなさいって」

「だって〜」

ハルミとミカコの会話に他の者は脱力する。

「ふむ、どちらかというとお嬢様だ。

 きちんと相手の事も考えてくれる……強引な艦長とは正反対の人物だ」

「うわっ、最悪かも。

 サユリ! 最大のピンチかも」

「うっ、不安になるような事をいわないでジュンコ」

引き攣った顔でジュンコに文句を言うサユリにクロノは言う。

「ディスクの中に連絡先が入っているから時間は掛かるけどメールの交換が出来るように手配している。

 アクア経由になるがいつでも送りなさい」

「あ、ありがとうございます」

「気にするな。アクアはアイツには幸せになって欲しいらしい。

 そういう意味では今の艦長は駄目だと。

 もう少し大人になってもらわんという事だ」

そう告げるとクロノは背を向けて厨房から出る。

そのクロノにホウメイは厳しい視線を向けている。

(アクアはクロノから教わったと聞いた。

 あの子の調理手順はアタシに似ている……ではクロノは誰にその手順を教わった)

声が似ているだけかと思ったが、思い返すと不思議な点が多いのだ。

(はあ、やれやれ。

 迂闊にいえない事になりそうだねぇ)

ホウメイは内心でため息を吐くと仕事を続ける。

クロノ=アキトなど絶対に言うべき事ではないと判断する。

(あんなに変わっちまったテンカワの事を話すのはどうもねえ。

 酷い未来の話なんて聞きたくはないし)

歴史は変わっているけど、聞くべき事ではないとホウメイは考える。

(あの子が泣くのは嫌だしね)

以前泣いていたアクアを知っていただけにホウメイは話さないでおこうと思う。

ナデシコでも大人であるホウメイは何が大事なのか理解している。

(馬鹿弟子が幸せなら問題なしだね。

 気立てのいい嫁さんが二人いれば大丈夫だろう……その分、苦労しそうだが)

ナデシコのおふくろさんことホウメイは今日も料理を作り続ける。

自分の作った料理を食べて上手いと言って話す笑顔を見るために。


「一応、渡しておいた」

厨房から出たクロノはアクアのもとに行って話した。

「ついでにハッパかけておいた」

「……意外とマメですね」

ジト目でクロノを見るアクアにイネスも呆れたように賛同する。

「そうね、開き直ったのかしら?」

「何の事だ?

 基本的に俺はアキトがどうなろうと構わんが。

 あいつはまだ世間を知らなさすぎるから、少しでも人と多く付き合っていかないと甘ったれたままさ」

「そこまで言いますか」

呆れたふうに話すアクアにイネスも意見を述べる。

「まあ、ちょっと甘い部分があるけど、あれはあれでいいと思うわよ」

「でもな、何でもかんでも抱え込むような事が良いと思うか」

「え、えっと」

ナデシコでのアキトを見ていたアクアは反論し難い。

その様子を見ながらクロノは話す。

「もう19なのに感情的になって後先考えないような行動をするのが良いと」

「いや、でも」

「人との付き合いが下手くそで自分の意見を持たずに流されるのが良いと」

アクアが言葉に詰まるとクロノは一気に畳み掛けるように話すが、その様子をイネスは見ながら思う。

(いいのかしら、自己批判しているけど、あれだと自分が駄目人間だといっているようなものよ。

 それより問題なのは自分が朴念仁だと未だに気づいていない事が不思議よね)

クロノは気付いていないのか、間接的に自分が駄目人間だとアクアに言っているように思えていた。

「……そこまで言わなくても…」

アクアが泣きそうな顔になってしまうとクロノも言い過ぎたと気付いて反省する。

「悪い、どうもアイツを見ていると未熟というか…苛立つというか……まあ、そういう訳だ。

 まだ心の整理がついていないのかもしれんな」

その言葉にアクアもイネスも複雑な顔をしている。

自分自身の過去の姿と向き合うという行為など誰も経験していないから。

「私の時はそうでもなかったけど……お兄ちゃんは色々複雑かな」

「私には……分かりません。

 ただ悲しい事にならないように祈るだけです」

「まあ、なんとか折り合いをつけるさ」

この話はここまでとクロノが告げると二人も納得する事にする。

どのみちクロノにしか分からない命題ともいえる事柄なのだ。

周りにいる者は意味が分からずにいるが、そこへユリカが現れて爆弾発言をしてしまった。

「ねえねえ、クロノさんってアキトなんでしょう?

 火星に戻らないで、ユリカの側にいて欲しいな〜」

その言葉にアクアとイネスは顔を顰め、ミナトと近くにいたウリバタケは最悪な発言をしたユリカを睨んでいた。

他の者は内容の意味が理解できずに硬直していたが、意味を理解するにつれて様々な感情を見せながらクロノを見る。

驚愕、信じられないといったものが殆どで、また艦長が馬鹿な事を言っていると思う者もいる。


隣にいたジュンは状況を見据えると思う。

(有耶無耶にする事は……出来ないか。

 もしユリカの言った事が本当だったら……複雑な問題になりそうだし、多分ユリカが傷つくんだろうな)

クロノはアクアを選んだのだ……ユリカが入り込む隙間などないとジュンは考えている。

出航前にユリカのメンタル面でのダメージは勘弁して欲しいと思う。

(また僕の仕事が増えるんだろうな……最悪は艦長代行をしないと)

落ち込んだユリカの姿は見たくないが、

(そろそろ、大人になって欲しい気もするけど……ああ、どうすればいいんだろう)

複雑な状況になったとジュンは苦悩する。


クルーの視線が集まってきたと感じていたクロノは口を開く。

「残念だが、テンカワ・アキトは死んだ……ミスマル艦長には悪いが人違いだ」

暴発しかねないアクアを押さえるように肩を掴み、クロノはイネスに顔を向ける。

クロノの視線に気付いたイネスはアクアの隣に行くとアクアの肩を叩いて一緒にクロノの側から離れる。

「ええ〜死んでいないよ。だってアキトは此処にいるよ」

朗らかに笑いながら話すユリカにクロノはため息を吐いている。

周囲にいる者は困惑しながら見つめる。

「もう一度言うぞ、ミスマル艦長。

 テンカワ・アキトは死んだ……此処にいるのはアクアとイネスの夫で火星人クロノ・ユーリだ」

何の感情も見せずに淡々と話していくクロノにユリカは不満そうに見つめる。

「む〜〜、アキトはアキトでしょう。

 アキトは私を好きなの、アクアちゃんでもなく、イネスさんでもなく、私が一番なんだから。

 そんなバイザーなんか外してユリカを見なさ〜い」

(こ、子供の論理か)

クルー達もユリカの言い分を聞いて呆れている。

(相変わらず甘えたままか……少しは大人になれよ)

クロノはかつての妻だった人物が火星での挫折で少しは大人になったかと考えていたが、

何も変わってないと知って呆れている。

《それでも気になるのは……俺が甘いというのだろうか?》

《それがクロノだと思います。

 彼女はどうか知りませんが……愛していたんでしょう》

クロノはリンクを使ってアクアと会話する。

アクアの不安そうな感情を感じるが、クロノはキッパリと告げる。

《愛してはいたさ》

その声にアクアはビクリと身体を震わせるが、クロノは気にせず会話を続ける。

《……だがどうも恋愛感情があったのか、自分でも判らなくなっている》

《はあ?》

何処か呆れたようにアクアはマヌケな返事をしていた。

《今思うと家族だったんだと思う。まあ姉弟だったのかもな。

 愛してはいたが、男女の関係とはいえない……そんな感じだ》

苦笑いしているようなクロノの声にアクアは困惑する。

《まあ、独りになるのがイヤだったのかもしれん。

 あの頃の俺は一人になることを怖がっていたんだと思う》

束の間の温もりに甘えた結果がこの様だと思うとクロノは自分を嘲笑う。

《無責任な演算ユニットの放棄が世界をおかしくしてしまった。

 俺が全てを失ったのは自業自得なんだよ……そう思えるようになってきたな》


クロノの声を聞いて私はいたたまれなくなっていた。

自業自得……確かにそうかもしれないが、だけどクロノだけの責任ではない。

誰も責任の所在を明確にしなかったのだ……地球も木連も自分達の事しか考えなかった。

「泣くのはやめなさい、アクア」

私とクロノがリンクで会話していた事に気付いたイネスが肩に手を添えて話す。

「こうなる可能性は知っていたんでしょう。

 だったら最後までしっかりと見るのよ」

「……そうね、分かっていたのに…苦しいのよ」

「それでも我慢しなさい……一番辛いのは貴女じゃないわ」

イネスの言葉にギシリと心が軋む。

「お兄ちゃんが我慢しているのに私達が泣くのは駄目よ。

 しっかりと見届けて支えると誓ったのは嘘なの」

イネスが私の心に活を入れる。

「私も悲しくて辛いけど、最後まで見届けるわ。

 だからアクアも見届けなさい……この艦に連れて来た責任をね」

クロノを護衛として連れて行くといったのは私達なのだ。

(こうなる可能性も覚悟していたはず……それなのに私は)

予測していた事に動揺している自分を恥じる。

「そんなんじゃ独り占めするわよ」

からうようなイネスの声に私は慌てて告げる。

「ダメです……そう簡単には独り占めなんてさせませんよ」

「そうかしら、案外隙だらけだけど」

「もしかして……からかいましたね、イネス」

「……どうかしら、でも空元気は出たみたいね」

「ええ……では見届けましょうか。

 クロノが過去と決別する時を」

心の痛みを押し隠して私とイネスは見つめる……かつて夫婦だった二人の別れを。











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EFFです。

思いのほか長引いています。
まあ、気にしない事にしましょう。
多分、次でナデシコ編は一応の区切りがつくと思います。
次は木連月攻略戦を展開すると同時に地球連合政府の話を中心にする予定です。
かなりドロドロとした話になるかも。
そういう話を書いた後は反動でラブコメ調の話を書きたくなるから困るかも。

それでは次回をお楽しみ下さい。



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