長曾我部と呉の開戦から5日――両軍は互いを確実に消耗させていった。
味方の兵士が敵を討ち、敵に討たれ、それが永遠に終わらないかのように繰り返される。
血飛沫は戦場の大地を紅く染め、数々の悲鳴は戦場を阿鼻叫喚の地獄へと変えていった。

そして今、両軍は身体を休めながらも睨み合いを続けていた――

 

 

「ちっ……奴等もなかなかしぶとい」

呉の本陣・大天幕――新たな呉王として指揮を執る周喩は椅子に座りながら忌々しげに爪を噛んだ。
自らが立てた策を使い、3日間の内に長曾我部軍の息の根を止めてやる筈が、今では5日も経ってしまっている。

当然それだけの日にちが経てば、こちら側の被害も決して小さい物ではなくなる。
兵士達の身体的な疲労は勿論、精神的な疲労もかなり目立ってきていた。

――いくら干吉の方術で多少は強くなっているとは言え、限度があるらしい。

そして現状に耐えきれなくなった兵士の脱走が相次ぎ、隊の数が激減していた。
今の呉軍は最初の雄姿の面影は無く、疲労の溜め息を吐く兵士達ばかりである。

こんな事なら方術で精神力も強くしていればと、周喩は後に後悔した。

隊の足りない分は白装束で補っているとは言え、それにも限界がある。
本国から援軍を送ってもらうと言う手もあるが、それまで保つかどうか――

「なかなか不味い展開になってきていますねえ。これはもう敗走で決まりですか?」

背後から聞こえてきた、聞き覚えのある飄々とした声。
周喩はあえて振り向かず、その声の主に向けて言う。

「これ以上奴等の好きにはさせん。それより……どうして貴様がここに居る」
「さて? どうしてでしょうか」

声の主である干吉が微笑を浮かべつつ、周喩の眼の前まで歩いて行く。

「貴様……これ以上ふざけた口を利くのなら、即座にその喉を斬り裂くぞ」

周喩は自分の方に歩いてくる干吉を睨み付け、苛立ちを含んだ声で問い掛けた。
干吉は部隊には動向せず、呉の本国で元就と共に報告を待っていた筈なのだ。
しかし当の干吉は忠告されても飄々とした態度を崩さず、ゆっくりと口を開く。

「貴方が心配になったんで遥々やって来ました。あまりにも時間が掛かっているのでね」

その言葉に周喩が内心で舌打ちをする。

「…………余計なお世話だ。次で奴等の息の根を完全に止め、孫権様を取り返す」

周喩の冷たい言葉に干吉は「そうですか……」と静かに呟く。
だが眼鏡の奥にある彼の瞳には冷酷で鋭い光が宿っていた。

「貴方の意地は分かるんですけどねえ……元就様は気が短い方でして」

干吉が眼鏡を人差し指で上げつつ、微笑を含めて冷たく告げる。

「役に立たない者はすぐに切り捨てる主義なんです」
「…………それはどう言う意味だ」

周喩が近くに立て掛けてあった剣を素早く手に取り、その鋭い刃を干吉へ向ける。
表情は冷静ながらも、彼女の瞳には大きな怒りが宿っていた。

「私をこの場で殺すか……?」
「……人の話は最後まで聞くのが礼儀ですよ?」

干吉は一切動じる様子を見せず、落ち着いた態度で言葉を続ける。

「殺しはしません。貴方には囮になってもらうだけですよ」
「私が囮だと?」

干吉が「ええ」と吹くと同時に周喩へ背を向けた。
その後に彼女の見えないところで、干吉は密かに両手で印を結んでいく。
そして――

「『縛』!!」
「―――――ッ!?」

干吉がそう言い放つと、周喩の手に握られていた剣が音を立てて落ちる。
そしてその後、周喩は驚愕の表情のまま地面に倒れ伏した。

「き、貴様……!!」

倒れたまま身体が言う事を聞かず、周喩は憤怒の表情で干吉を見上げる。
彼女の唇から血が滲んでいる。どうやら強く噛み過ぎて切れたようだ。

「ふふふ。そう怖い眼で見つめないで下さい」

干吉は周喩の前に屈み、顎を持って顔を自分の方に上げた。
周喩は離れようと必死に抵抗してみるが、身体は動いてくれない。

「もう十分でしょう? 貴方の茶番に私達は存分に付き合ってあげたのですから」
「茶番だと……!! 孫策の夢を叶えようとするこの戦を、茶番と言うか!!」
「ええ、茶番ですね。死んだ者に託された夢を叶えようとするなど、下らない」

周喩の言葉を干吉は冷静かつ冷酷に切り捨てる。
こんな男の話に上手く乗せられてしまった自分を周喩は強く恥じた。

「そうそう、貴方に仕上げを施す前に真実を教えてあげますよ」
「真実……? まさか孫策の死の……!!」

周喩の顔に動揺の色が広がる。
その様子を干吉は楽しそうに見つめた。

「ご名答。前に約束した通り教えてあげますよ」

干吉は周喩の耳にゆっくりと口を近づけ、告げた――

「私が殺したんです。呪術でね」

 

 

刹那、周喩は聞いた気がした。
自分の周りの世界が崩れていく音を――
自分の心が粉々に砕け散っていく音を――

刹那、周喩は見えてしまった。
自分に託された夢が虚無の闇へ消えていくのを――
自分に向けられた孫策の笑顔が悲しみに変わるのを――

ああ、私はどうしようもない愚か者だ。
眼の前に自身が討つべき仇が居るのに――
眼の前に殺しても殺したりない奴が居るのに――

――そんな奴と手を結んでいたなんて。

 

 

干吉は真実を告げた後、周喩に『無』の方術を掛けた。
すると周喩の瞳から光が無くなり、生気が消え失せていく。
彼女から手を離し、干吉は微笑と共に眼鏡を上げる。

「ふふ、なかなか衝撃的な真実だったでしょう? 孫策が治めていた頃の呉は曹操でさえ脅威に思っていたぐらいです。我々でも容易には潰す事が出来なかった。だから彼女には消えてもらったのですよ。そして後継ぎとなるであろう王としての素質が皆無の孫権が呉を治めれば、我々が手を下す事なく、やがて内部から崩壊していくと予想していましたが……正にその通りでした。ご苦労様です、貴方は良く踊ってくれた」

干吉は反応すらしない周喩に向け、更なる真実を明かしていく。
もし彼女の意識がハッキリしているのならば、彼の首は一刀の元に撥ねられているだろう。

「深くお礼を申し上げます。これで呉は消える……貴方の国を思う気持ちによってね」

その言葉の後、干吉は最初に掛けた『縛』を解いた。
そして倒れていた周喩はゆっくりと立ち上がる。
生気が感じられない――光の無い瞳は上を見上げていた。

「さあ行きなさい。自身の手で呉を消し、そのまま愛しい御人の元へ」

その言葉に周喩は頷く。
そして大天幕をゆっくりと出て行った。

彼女の後ろ姿を見送った後、干吉は邪悪な笑みと共に口を開く。

「人の悪意によって味付けされた勝利は格別ですからね。無論、その勝利は我々が味あわせてもらいますよ……?」

刹那、大天幕にゾロゾロと白装束が30人以上入ってきた。
気味の悪いくらい白い衣装も汚れている事から、これまでの戦に勝ち残ってきた者達らしい。

「干吉様……あの女の茶番に付き合うのはもう終わりですか?」
「ええ、今までご苦労様です。舞台は整いましたので、後は主役を呼ぶだけですよ」
「……長曾我部に何人か捕らえられました。その者達を使った方が宜しいかと……」
「そうですか。それならわざわざ向こうに伝えに行かず、楽ですね」

今日で何度目になるのか、干吉は眼鏡を上げつつ、言った。

「鬼と日輪……願わくば、どちらも倒れてほしいですね。そうなれば手間が省ける……」

 

 

 

 

「先の戦で兵士の皆さんに重傷者が多数です。死亡者も前回よりもかなり多く……」

長曾我部本陣・大天幕――軍師である朱里が現在の軍の状況を元親に報告していく。
彼女は武器を持って戦場を回る事は出来ないが、知能戦で懸命に戦ってくれている。
眼の下に出来ている小さなクマがそれを証明していた。

「奴等しつこかったもんな。斬っても斬っても、喰らい付いてくるんだから」
「恐らく曹操が言っていた、白装束の干吉とか言う方術師の仕業だろう。人を意のままに操れるらしいからな」

朱里の傍らに居る翠と、元親の傍らに居る愛紗が忌々しげに呟く。
開戦から5日も経っているせいか、彼女達の衣服は砂によって汚れていた。

「ご主人様、では衛生兵の割り当てを重傷者の方優先で回しても良いでしょうか?」
「ああ、それで良い。軽傷の鈴々達には悪ぃが、少し我慢してもらうしかねえな」

朱里の問い掛けに答えた元親が腕を組みつつ、深い溜め息を吐く。
重傷者が多い今、衛生兵の数が足りないのがもどかしかった。

「鈴々達も兵士達も武人の1人です。掠り傷くらいは我慢出来るでしょう」
「だな。まあしかし、後で休んでる天幕へ行って労ってやるか」

先の戦では少し油断したのか、鈴々、水簾、霞の3人がそれぞれ負傷していた。
しかし大して重い傷では無く、武人の3人からすれば掠り傷程度の物である。
だが兵士達からすれば「痛い!」と叫んでもおかしくない傷ではあるのだ。

――どうもここら辺が猛将と一般兵士達の差らしい。

「…………ご主人様」
「お? どうした恋」

大天幕に突然入ってきた恋が元親を見つめながら口を開く。

「…………捕まえた白装束が起きた」
「何……? 恋、それは本当か?」
「…………(コクッ)」

どうやら先の戦で捕らえる事が出来た3人の白装束が眼を覚ましたらしい。
元親、愛紗、朱里、翠の4人がそれぞれ眼を合わせ、頷く。
そして4人は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

「よし! 穏やかに尋問と行こうじゃねえか」
「有益な情報が得られれば良いのですが……」
「……言わねえんなら、無理矢理にでも言わせるまでよ」

元親は指を鳴らしながら、意気揚々と白装束を捕えている天幕へと向かった。

 

 

 

 

「あっ! 元親」
「お待ちしていました。ご主人様」

目的の天幕へ行くと、桜花と紫苑の2人が迎えてくれた。
更に天幕を見張る兵士達2人も挨拶し、元親達を天幕内へ入れる。

「主、今来たのですか?」

天幕の中では屈んだ星が3人の白装束と向かい合っていた。
元親は怪訝な表情を浮かべ、星へ問い掛ける。

「星、お前は何をやってんだ?」
「先に尋問を試みていたのですが……いやはや、口が堅くて手強い」

星がそう言うと、向かい合っていた白装束の前から退いた。
それに代わり、今度は元親が屈んで白装束と正面から向き合う。

愛紗達は元親の後ろに付き、各々が武器を構えて警戒する。
掛かってきた際、何時でも元親を守れるようにする為だ。
縄で手足を厳重に縛られているとは言え、白装束相手に油断は禁物なのである。

「よう、お前等が殺したがってる鬼が来てやったぜ?」
「「「…………」」」

元親の挨拶を3人の白装束は無言で返した。

「これからいくつか質問する。出来れば答えてほしいんだが……」
「「「…………」」」
「少し返事くらいはしたらどうだ? いつも俺に向かってくる時に出る声ぐらいによぉ」
「「「…………」」」

元親の皮肉にも白装束は無言で返す。
参ったと言わんばかりに元親は頭を掻いた。

「俺は拷問の類ってのは全く好きじゃねえんだが……」
「「「…………」」」
「お前等が黙ったままじゃあ、その手段を使わざるを得ねえぞ?」

刹那、白装束が頭を俯かせた。
これには堪えたのかと、元親が表情を伺おうとした時――

「「「ふははははははッ!!」」」

俯いていた頭が突如として上がり、白装束が一斉に笑い始めた。
そのあまりの不気味な光景に思わず元親は顔を顰める。

「「「この場に何時までも留まっている場合か? 長曾我部元親!!」」」
「あん…………それはどう言う意味だ」

元親の問い掛けに白装束は低い声で笑う。

「「「周喩はもうここには居ない! 奴は呉の本国へ戻った!!」」」
「――――何ッ!」
「「「愛する孫策に会う為、己が身を地獄の業火に捧げる為にな!!」」」

白装束が紡ぎ出す言葉の数々に元親達は戦慄する。
彼等の言っている事が本当なら導き出される答えは1つだけ。

周喩は――――自決するつもりだ。

「「「女を助けたいか? 助けたいならば呉の本国に来るが良い!! 長曾我部元親、貴様との決着を望む御方もそこで待っているぞ!!」」」

刹那、元親の眼が見開く。
元親は自然と、身体中から闘気と殺気が溢れるのを感じた。
愛紗達もまた、元親の雰囲気が劇的に変わった事に気付いた。

「「「貴様は必ず来る! 敵に甘い情けを掛ける鬼め!! ふははははははッ!!」」」

高笑いの後、白装束は一斉に舌を噛み切った。
その行動に愛紗は咄嗟に傍らに居た朱里の眼を覆い、惨い光景から守る。
朱里は小さい悲鳴を上げていたが、幸いに最後まで見えなかったらしい。

「ご主人様…………」
「主…………」
「元親…………」

紫苑、星、桜花の3人が屈んだままの元親へ声を掛ける。
元親はその声の後にゆっくりと立ち上がり、愛紗達の方へ向いた。

「どうやら俺達……いや、俺は誘われてるらしいな」
「ご主人様……しかしこれは……」
「分かってる。孫権も驚くだろうな」

元親は自嘲気味に笑った。

「誘いに乗るしか……ねえか」

元就と白装束の罠だとは思う。しかし退く事は出来ない。
孫権との約束の為、戦には出て来なかった元就との決着の為――

元親は決めた。
呉の本国へ――



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