「誰も来ねえ……」

平和な日々を送る幽州――そんな中、元親の呟きが自室で虚しく響いた。
部屋の中は彼以外に誰1人居らず、寂しい雰囲気を醸し出している。

「愛紗達が来ねえと、ここら辺はサッパリだぜ……」

手に持っている書類の束を睨みながら元親が軽く溜め息を吐いた。
記されている内容は野性児の元親にとってかなり理解し辛い物だ。
こう言った種類の書類は全て愛紗や朱里、桜花等の仕事の協力者に任せているのである。

しかしその協力者達が何時になっても来ないのだ。
このままだと書類整理が永遠に進行しないかもしれない。
元親は思わず頭を抱えてしまう程に困り果てていた。

(何か用が出来たのか? いや、それだったら俺に一言ぐらい言いに来るだろうし……)

朝食を共に食べた後すぐ「仕事の手伝いに行く」と、彼女達は言ってくれた。
元親は期待しながら待っていたが、今は段々と気持ちがダレ始めてきた気がした。
――難しい書類と今まで睨めっこをしていた影響かもしれない。

「だああ! 止めた、止めた! 分からねえ事を何時まで考えても仕方ねえぜ!」

投げ槍気味に書類を机に置いた元親はやれやれと言った様子で背凭れに背を預けた。
――こう気持ちがダレ始めてきた時に仕事をしようとしても全く進まない物なのだ。
自身にそう言い聞かせながらも、傍から見ればサボろうとしているのは明白である。

「…………気分転換に一発、相棒に手入れでもするか」

そう決めた元親は活き活きとした様子で壁に立て掛けてある碇槍をすぐさま手に取った。
そして近くに置いておいた箱の中にある手入れ道具を手に取ろうとした――その時。

「「ご主人様!!」」
「――――うおッ!?」

突如として部屋の扉が開き、中に入ってきたのは糜竺と糜芳の姉妹。
思わぬ2人の来訪者に驚いた元親は椅子から転げ落ちそうになった。

「な、何だ。お前等か(愛紗かと思ったぜ……)」

内心でそう安心しつつ、元親は糜竺と糜芳に尋ねてきた理由を訊いた。
すると2人は鬼気迫る勢いで元親に詰め寄り、両側から彼の腕を掴んだ。

「お、おいっ!? お前等どう言うつもりだ!」

普段の2人からは想像も出来ない行動に元親が若干焦る。

「ご主人様、少し御動向を御願いします」
「関羽様達が謁見の間で御待ちですので」

糜竺と糜芳が淡々とそう答えた後、元親を部屋から連れ出した。
まるで連行される罪人のようではないかと、元親は混乱する。

(何だ? 俺が何かやったか? 仕事をサボったりとか、色々と覚えはあるけどよ……)

一応彼なりにこうして急に連行される覚えはあるらしい。
先に何が待ち受けているのか、元親はとてつもない不安に駆られた。

 

 

 

 

流されるままに連れて行かれると、そこは彼女達が言っていた謁見の間だ。
そこで元親は解放され、糜竺と糜芳によって開けられた扉を渋々と潜った。

(結構な顔触れが揃ってやがる。これじゃあ書類整理の手伝いには来れねえわな)

元親の後から糜竺と糜芳が入り、開けた扉をゆっくりと閉める。
部屋の中には覇気を纏った愛紗達、威厳ある有力武将達が席に着いていた。
元親は何か重大な事があったのをすぐに察し、上座へゆっくりと座る。

「御待ちしていました。ご主人様」
「お兄ちゃん、来るのが遅いのだぁ」

愛紗と鈴々から言葉を掛けられるが、元親は苦笑を浮かべて返した。
本題に入り、今何が起きているのかを早く知りたかった。

「それではご主人様が御来しになられたので、会議を始めたいと思います」

何時の間にか元親の背後に立っていた朱里が殺伐とした会議場を取り仕切っていく。
彼女自身もこの会議に燃えているのか、瞳には何かの決意の色が感じられた。

「それで朱里、一体何が起こってるんだ?」
「はい。私達にとって悪意ある挑戦とも言える事件が起こっているんです」

朱里の言葉にはかなりの重みがあり、元親を嫌でも緊張させる。
三国を平定した今、大きな戦は白装束以外の者達と起きないと思っていた。

「その事件ってのは……何なんだ?」
「それはですね――」

元親は朱里の言葉を聞き逃さないよう、しっかりと耳を傾ける。
そして彼女の口から出た最初の言葉は――

「この場に居る人達を含め、女性陣の下着が盗まれてしまったんです!」
「……………………ハッ?」

元親は一瞬、自分の耳を疑った。
しかし聞き間違いでも無く、幻聴でも無い。
確かに彼女――小さな軍師の朱里は言った。

――女性陣の下着が盗まれた、と。

「だから! ご主人様、私達の下着が盗まれてしまったんですよ!」
「我等が屋敷内で下着泥棒が出たんですよ! ご主人様!」

朱里と愛紗が必死な様子で元親にそう語り掛ける。
元親は暫く呆然とした後、ゆっくりと席を立った。

「…………部屋に戻っても良いか?」
「は、はわわっ! 戻っちゃ駄目ですぅ!」

呆れた様子で部屋に戻ろうとする元親を朱里が腰を掴んで懸命に引き止める。
彼女の次いで愛紗や星、翠も引き止めてきた為、仕方なく元親は席に戻った。

「はわわ……良かったですぅ。ご主人様が居ないと御話が進みませんから」
「…………いや、別に俺が居なくても話なんか進みそうじゃねえか?」

戦事を考えていた自分が馬鹿みたいだと思い、元親は深々と溜め息を吐く。
だが下着を盗まれた彼女達にとって今この時が戦の準備なのだろうとも思った。

「事の発端は3日前、私と愛紗と翠が入浴を終えた後でした」

星が席を立ち、事件の始めを語り始める。
彼女によればその時、翠の下着が消えていたらしい。

「それからと言う物の、我等が入浴中に下着が消える事件が頻繁に起こり始めたのです」
「我々もやられてばかりではと思い、怪しい気配を感じた時には飛び出したのですが……」

愛紗と星が無念そうに「捕まえられなかった」と語る。
元親も最初は首を傾げていたが、段々と哀れに思えてきた。

被害は愛紗、星、翠達ばかりでなく、華琳達や蓮華達もやられたらしい。
更には月や詠の侍女組等、盗まれた下着の量はかなりの物になるだろう。

「我等だけでなく、華琳様の下着まで盗むとは……許せん!」
「余程下着泥棒は命が要らぬと見えるな、姉者」
「僕達が犯人を捕まえて思い報せてやりましょうよ!」

春蘭と秋蘭、季衣が怒気を身体中から放ち、犯人に対する思いを吐き出している。
更に彼女達の近くには薄ら笑いを浮かべる華琳と桂花も居る為、迫力が増していた。

「我々ばかりか、蓮華様の下着まで盗んだ下郎は私がこの手で捕まえてやる!」
「悪いな思春。犯人は私と二喬が先に捕まえ、やった事の愚かさを思い報せる」
「「頑張りましょう! 冥琳様!!」」

一方の呉軍も魏軍と同じく物騒な話をしていた。
蓮華と小蓮、穏は言葉こそ口にしないが、かなり怒っている事は分かる。

(馬ッ鹿な野郎だなぁ、犯人も)

元親は犯人を救いようの無い下衆だと思いつつも、哀れみの感情も抱いていた。
よくもまぁ、力を合わせれば大陸を滅ぼせそうな面子から下着を盗んだものだ。
自分が捕まえればまだしも、彼女達に捕まれば確実に命は無いだろう。

「と言う訳でご主人様、犯人を確実に捕まえる為にも、兵を総動員したいと思うんですが」
「うむ、それが良い。我等を馬鹿にし切った罪、ジワジワと追い詰めて味あわせてくれる」

朱里と星のトンでもない発言に元親は思わず度肝を抜かれた。
たかが下着泥棒の為に、軍の兵士を総動員させると言うのだ。

「お、おいおい! ちょっと待て! 流石に大袈裟過ぎるだろうが!」

元親は慌てて止めに入るが、女性陣の冷たい視線が彼へ一斉に向けられる。

「大袈裟なんかやないでえ、チカちゃん! ウチ等にとっちゃあ!」
「そうですよご主人様。女の子にとって下着は重要な物なんですから」
「む、むぅ…………」

元親の反論もすぐに霞と紫苑に説き伏せられてしまった。
霞はともかく、元親は年上の紫苑にだけは全くと言って良い程に勝てないのである。

「で、でもなぁ……下着泥棒ぐらい今のお前等なら楽勝に――」
「迷っている時ではないぞ! ご主人様!!」

説き伏せられはしたが、未だ兵士を出す事に渋る元親に水簾の激が飛ぶ。

「早急に泥棒を捕まえる為、兵士を出し惜しみしている時ではない!」
「水簾の言う通りだ。元親、総動員させるべきだ!」

何かと気が合う桜花の助言も有ってか、この場に居る女性陣全員が首を縦に振る。
最早一致団結した彼女達に元親の反論等は無に等しかった。

(言葉も出せねえんじゃあ、俺が居る意味ねえじゃんか……)

元親は内心で深々と溜め息を吐きつつ、渋々頷いて兵士を総動員させる事を了承した。
その判断を嬉しく思ったのか、愛紗達が元親に声を掛けるが、彼からすれば微妙だ。

「ご主人様からの了承も得ました。皆さん、早く不届きな泥棒を捕まえましょう!!」
「「「「オオオオオオオ!!!」」」」

朱里の掛け声を皮切りに武将達が一斉に雄叫びを上げた。
まるでこれから大戦でも始まりそうな勢いである。

(俺も1人でボチボチ探すとするかぁ……泥棒もいきなり殺されなくて済むだろうし)

元親は真剣に会議を進めている彼女達の眼を盗みながらコソコソと部屋を出て行った。
あの殺伐とした空気が流れる部屋に何時までも居てはこちらの神経が保ちそうにない。
ならせめて1人でゆっくりと泥棒を探して捕まえる事に決めた。

 

 

 

 

顎に手を添えつつ、元親は通路を歩きながら考えていた。
愛紗達に気配を悟られながらも捕まる事なく、下着をまんまと盗んで行く手練――
自分は勿論やっていないし、兵士達にもそんな下劣な事をする者が居るとは思えない。
更には外部の者の犯行にしてはあまりにも命知らずな輩である。

「ん……? でもあの野郎なら……」

元親の脳裏に1人の人物が思い浮かぶ。
確かに彼が今考えている人物になら犯行は十分可能だ。
犯行に及んでしまった動機――らしき物もある。

「う〜〜〜ん。ちょっくら奴を探してみるか……?」
「あ、兄貴! 御苦労様です!」
「おっ! お前等」

元親が疑惑の人物を探す事を決めていると、歩いていた兵士の何人かが声を掛けてきた。
恐らく彼等は朱里の指揮の元、泥棒探しに動員させられた兵士の一部だろうと元親は思った。

「いつも苦労掛けちまうな、お前等には」
「いえ! 兄貴の為だと思えば、全く苦じゃありませんぜ!」
「それに俺達、将軍達には逆立ちしたって勝てませんし……」

そう1人の兵士が呟いた時、彼等の周囲を哀愁漂う風がフッと吹いた。
流石は彼女達に厳しく鍛えられている兵士達、己の力量を分かっている。

「…………後で上手い酒と肴、持って行ってやるからな」

元親がそう言って彼等の肩を1人ずつ優しく叩き、励ます。
これだけで彼等には元親の優しさが伝わったらしく、ゆっくりと頭を下げた。

「ありがとうございます! 兄貴……俺達、頑張りますから!」
「よ〜し! 行くぞぉ、お前等!!」
「「「「オオオオオオオ!!!」」」」

そうやる気の雄叫びを上げ、兵士達は一斉にその場を去って行く。
彼等の後ろ姿を存分に見送った元親は疑惑の人物の元へと向かった――

 

 

 

 

「確かここら辺に居るって聞いたが……」

元親が今居る場所は、疲れた場所を休めるには最適な広場である。
愛紗達が訓練所としても使っている為、なかなか広めな場所だ。

同じく泥棒探しをしている女官達から話を聞き、疑惑の人物の居る広場へと足を運んだのである。

「もう何処かに行っちまったのか……?」

元親が辺りを見回すが、それらしき影も形も一切見えない。
自分を上回る巨漢の持ち主であるし、居るなら見えない事は無い筈だ。

「しゃあねえ。また別の場所を探して――」
「うわああああん!! ご主人様ぁぁぁぁぁ!!」

背後から不気味な声と気配を感じ、すぐさま元親は振り向く。
するとそこには探していた人物の顔面が目前に迫っていて――

「うがああああ!?」

一切躊躇する事なく、彼の顎に目掛けて抉り込むような拳を放った。
地の底から響いたような悲鳴を上げて吹き飛んだ彼――貂蝉は地面を転がっていく。

「危ねえ……ちょい焦ったぜ」

額から出る冷や汗を拭い、とてつもない危機から脱した元親は心から安堵した。

「酷いわぁ! ご主人様! いきなり私を殴り飛ばすなんて!」
「お前が目前まで迫ってたら、誰だって同じ事をするんだよ!」

殴り飛ばされてから少しも経たない内に復活した貂蝉は眼尻に涙を浮かべて訴える。
当の元親は「そんな事は知るか!」と言わんばかりに貂蝉の訴えを見事に一蹴した。

「ゴホン……まあ、とりあえずだ。大人しく愛紗達から盗んだ下着を返しやがれ」
「んまっ! ご主人様、私を下着泥棒だって疑っているの!?」
「お前以外すぐに思い付く犯人が全くもって居ないんだよ」

元親の言葉に貂蝉は「心外だ」と言わんばかりに顔を顰めている。
しかし彼のヒモパン一丁の身なりを見れば疑われても仕方は無いと言えた。

「私は決して女の子の下着を盗んで喜ぶような変態じゃないわよ!」
「お前の存在その物が変態だから全然納得出来ねえんだが?」
「もう! 失礼しちゃうわ! 私だって下着泥棒の被害者なのよん!」

刹那、元親の身体が固まった。
貂蝉の口から出た――“私も被害者だ”と言う言葉に。

「…………嘘だろ?」
「嘘じゃないわよ! 今日の朝起きてみたら、お気に入りのヒモパンが1つ無くなってたのよぉ!! 怖いわぁ!! ホントに怖いぃぃぃ!?」

膝をガックリと落とし、何処からともなく取り出した布で貂蝉は眼から溢れ出る涙を拭う。
ハッキリ言えば怖いと言っている貂蝉の方が怖くて不気味だ。

「きっと今頃、下着泥棒は私のヒモパンで厭らしい事をしているんだわぁ!!」
「そりゃあ哀れだな……(泥棒が)」

盗んだヒモパンの持ち主を知ったら、下着泥棒はどうなるのだろうか。
最悪の場合、発狂してしまうんじゃないだろうかと、元親は思った。

「ご主人様! お願い! 下着泥棒を捕まえて、私のヒモパンを取り返して!」
「いや……別にお前の下着はどんな末路を辿っちまっても良いんだが……?」

元親が無表情でそう貂蝉に告げる。
刹那、彼の眼から再び涙が溢れ出した。

「酷い……酷いわ! ご主人様は私の事なんてどうでも良いのねぇ!!」
「だああ! ピィピィ泣くんじゃねえよ! 只でさえ不気味なのに……」
「もう知らないわ! ご主人様なんて大嫌いよぉぉぉぉぉ!!!」

そう吠えた貂蝉は砂煙を上げながらその場を走り去って行った。
彼が起こしていった砂煙に少し咽ながら、元親はぶっきらぼうに頭を掻く。

「少し言い過ぎたか……? しょうがねえ、ついでに引き受けてやるか」

脱力しつつ、元親は泥棒探しに戻る事にした。
犯人は誰なのか、それはまだ誰も知らない――



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.