体中が鈍い倦怠感を持つ痛みに覆われている・・・…目が見えない、いや幼少のころ左目は視力を失っているから右目が見えないといった方が正しいか。意識が混濁し某とした頭の中に何か響いている。


「…………かっか……閣下!……軍司令官閣下!!」


 目を開く。別に眼が潰れたわけではない、(まぶた)についた雪が溶けて凍りついただけなのだろう。はっきりと両目で部下の伊地知の顔が映る。まだ脳味噌は良く動いていない。


 「乃木軍司令官閣下、大丈夫ですか!! 衛生兵まだか!?」

 「参謀長、君が怒鳴って衛生兵が韋駄天になるわけではない。儂は大丈夫だ。」


 何とも言えない顔をしている彼の肩を借り上半身を起こす。ようやく状況が飲み込めてきた。無様だ、戦も御国も孫すら守れず失ってしまった。情けない、儂は結局その程度の男だったのか! 少し違和感がある視界を不審に思いながら参謀長に尋ねる。


 「状況は?……それはどうでもよい、終わったことだ。護衛兵の救護を急げ、少尉は一時拘束だ、父君であるマッカーサー少将には儂自ら話をする。……どうした?」


 指示を飛ばしながらまだ泣き笑いとも嫌悪と敬愛の入り混じったような顔をしている参謀長に問いかける。再び彼が部下に怒鳴る。


 「衛生兵! 鏡だけでいいからはやくもってこんか!!」


 だから衛生兵は忙しいのだろうが、彼らの仕事は他にもある。訝しげに衛生兵が差し出した鏡を覗きこんだ時、

 儂は、儂は……なにもかも忘れ、絶叫していた。





―――――――――――――――――――――――――――――






榛の瞳のリコンストラクト
   

第1章第15話 
    










 ついに乃木第3軍と黒木第1軍が接触する。奉天の北西を第3軍が、北東を第1軍が、そして南を第2軍と臨時野津軍が展開を完了しロシア軍を両翼包囲という戦場においてこれ以上望みえない必勝の陣形を形作った。しかし、誤算といえたのは…………
 鉄嶺を通る南満州鉄道を強行突破しようとしたロシア軍脱出列車が脱線転覆し貴賓(ブルマン)車から変わり果てた姿のクロパトキン大将と幕僚が発見されたのだ。黒木大将すら苦々しい顔をせざるを得なかった。勿論、敵前逃亡への非難ではない。そんなものは個人の資質の問題なのであって精々大新聞の飯の種でしかないのだ。旅順に続く2度目の敵総司令官の戦死、最高司令官亡き33万ものロシア軍をどうやって降伏させれば良いのか?
 結果は奉天市民を巻き込んだ日露両軍の市街戦という最悪の結末を辿ることになる。後に日露両軍、わけても日本陸軍の勇名を悪名に変えてしまった『奉天大虐殺』の始まりである。



◆◇◆◇◆




 向日葵の種、ずた袋一杯に母が詰めてくれたので私ですら呆れ返ったものだが、もう残り少ないな。埒のないことを考えながらまた少しボリボリやる。部屋の中に匍匐前進で入ってきた我等が上官、マンネルハイム『大佐』が私の隣に座り込むと私は彼の手に種を一握り押しつけた。彼はその中から一摘み取り、残りを隣の兵に。その兵も一摘みとり、さらに隣の兵に。最後の軍曹が種を受け取ると彼は自らの背嚢から酒瓶(ヴォートカ)を引き出し一口含んで逆に回していく。最後の一口を私が含むと大佐が話し出した。


 「状況は最悪を3つばかり掘り進めたぐらい悪い。」

 「6つ掘り進めなけりゃ悪魔のいる氷結地獄(コキュートス)には届きませんぜ。」


 一人の兵士の軽口に皆でニヤニヤと笑みを漏らす。そう、此処に居るのはあの地獄の黒溝台会戦を生き延びた騎兵連隊の生き残りだ。臨時に中隊を率いていたマンネルハイム大佐の勘がなければここにいる全員が乃木の蒸気鋸に挽き殺されていただろう。あの襲撃の生き残り――さらに離れ離れになった中隊残余の一部20名余り――が大佐の部下だ。 名誉な筈の野戦昇進でたった20名の部下の大佐だから気の毒としか言いようがない。床を指で線を描きながら大佐は言う。埃の積もった土のキャンパスに書いているものは奉天の概略図だ、……落書きにも見えるが、


 「第2軍団のザスリッチ中将からもう少し持ちこたえよ、だそうだ。今この門を潰されれば閣下の部隊だけでなく満州第1軍は袋の鼠になる。増援ひとつ寄越さず言ってくれるものだ。」

 「シベリアの狼(第1軍司令リネウィッチ大将の綽名)が奉天の痩せ犬になって逃げ出すわけですかい? こりゃいい、傑作だ!!」


ニヤニヤとした笑みがとうとう複数の笑い声になる。笑い声が終わると全員の目が鋭くなり奉天の城郭にある小西門の上、欄干がついた楼観の小部屋に緊張の糸が張り巡らされる。私がまず質問をする、


「具体的にはいつまで保たせればいいんです? 既に大佐がいない間、2度襲撃を受けました。日本の奴らだってこの下をロシア兵士が続々と撤退しているのは知っているはず。門外に奴らが来ればどのみち終わりですし内城の方から1個大隊も来ればこれも同じです。」


砲兵士官の一人も懸念を口にする。


「今まで持ちこたえられたのは敵に砲が無かったことが理由です。この楼観は砲に耐えられません。下手をすると命中と同時に下の門まで潰されかねません。」

「後、1回。」


マンネルハイム大佐が人差し指を立てて宣言する。


「2回の襲撃失敗で日本兵が懲りるはずはない。今度は最低中隊規模の歩兵と数門は砲を持ってくるはずだ。そして時間帯からして襲撃は薄暮、夜になれば狙撃はできないが地の利がない場所でむやみな夜襲はできまい。そしてこれで少しばかり脅してやれば流石の奴らも強襲は躊躇うだろう。」


 司令部まで従兵としてついていった兵士が大きな布袋の口を解く。皆唖然とした。


「奴らの……武器?」


 日本兵、それも精鋭部隊が使っている小銃、手榴弾、ラケータ(ロケット)僅かだが弾もある。10人程度に行き渡る数。緊張していた兵の一人が物欲しげに手を伸ばす。当然だろう。奴らの最新武器、使いこなせれば己の生存確率は跳ね上がる。特に負け戦ならなおさらだ。しかし、『まあ、待て』の大佐の言葉にお預けを喰らった犬のようにしょんぼりとしてしまった。口元を綻ばせながら大佐は言葉を続ける。


 「第1軍で鹵獲した武器の全てだ。増援を寄越さないならと全部頂いて来た。」

 「面白いことになりそうですな。使えるんで?」  私が即座に問う。

 「使い方は大体わかった。はっきり言って使えん。」


 皆、大佐の言葉に首を傾げた。目に笑いを浮かべながらマンネルハイム大佐は話を続ける。話が終った時、我々は即座に行動に取りかかった。





―――――――――――――――――――――――――――――






 奉天の街区は酸鼻を極める地獄と化した。ロシア兵に銃と軍刀(サーベル)に脅され即席の弾避けとして奉天市民が日本軍陣地に殺到する。彼らはまともな武器すら与えられずただ棍棒を模した材木や幸運にも手に入れた刃物を片手に突撃させられたのだ。ためらう者、反抗する者は突撃前に皆殺しにされている。いまこの突撃している瞬間にも足を止めたものは即座に後ろからの弾丸で射殺されるのだ。民兵とすら言えぬ市民の群れが陣地に近づくのを見た日本兵士の大半は戸惑う。軍隊でなくとも若者や少なくとも男なら敵と考えることもできたのだろう。しかし近づいてくる市民には明らかに女子供……いや大半が女子供なのだ!
 防御射撃を止めようとする兵士たちに士官達の叱咤と鉄拳が飛ぶ。士官たちも解っているのだ。『女子供殺して何が軍隊だと』だが、現実彼らの後ろに続くロシア兵は彼らを弾避けにして接敵しようとしている。涙声で射撃中止を進言する下士官を張り倒し士官自ら機関銃座につき射撃を始める。こうしなければ我々が死ぬ、我々が死ねば国が滅びる、生きるために……コロセ!!
 前線士官たちの怒りはたちまち彼らの上官である小隊長、中隊長に伝染する。後方の督戦隊を叩け!奴らを生かして返すな!!多数の迫撃砲、歩兵砲が火を噴き督戦隊の立て篭もる建造物を破壊する。戦闘後、その惨状を見た士官の一人が絶句する。骸を晒した狙撃兵の中に明らかに銃を抱えて死んだ奉天市民がいたのだ。奉天市民がロシア軍に紛れて攻撃してくる!この報告を受けたある大隊長は怒りのあまり事実を確認せずに市民を敵性兵力を考えよ、と命じる。その命令は拡大解釈され奉天市民全てを敵として考えよと伝えられる。逆にロシア軍内で捨て駒にされた兵士達が反乱を起こし、日本軍・ロシア軍が襲ってくることに恐怖した奉天市民がロシア軍の武器庫を襲い暴徒と化す。収拾のつかないまま、奉天にいる人々は三つ巴の戦いに自らを投じていった。市街戦は終わりを見せぬまま、死者をうずたかく積み上げていく……





◆◇◆◇◆




 中腰で素早く建物の間を駆け抜けていく兵の後を追いながら廃屋に潜り込む。先行した上等兵は僕に声をかけた。


 「乃木陸軍大尉殿! こちらですぜ。」


 あぁ……その陸軍はつけないで欲しい。ただでさえ優秀な兄貴と比べられるのは酷なんだ。それに死んじまったらもう乗り越えられないじゃないか。向こうは真面目に言っているだけなのに僕はどうしてこう考えてしまうのだろう? 内心では嫌味と思っても決して顔に出すなかれ。子供のころから軍隊教育三昧だった為か感情と表情を切り離す術は心得ている。僕の兄は海軍軍人、父上に至っては陸軍の軍司令官だ。どうしたって次男は双方と比べられる。そんなことを考えながら指揮官に会いに行く。僕の部隊は増援なのだ。それも苦戦中の味方を救う為の。


 「第6師団、第13連隊所属の杉山です。この中隊をお預かりしております。」


 若い少尉が先に敬礼する。思わず聞き返す。「井上大尉殿は?」 僕は野戦昇進の新米大尉だ。向こうが先任に決まっているだろう。


 「大尉殿は戦死なさいました。」

 「何!?」

 「第2小隊の樫野中尉殿も第3小隊の小池中尉殿もです!!」 


 顔を歪めながら彼が答える。増援部隊兼、第1小隊長の代わりとして僕が来たのだが……まさか!?


 「第11中隊の指揮を僕がやるのか? いや、何故指揮官がやられたのだ?」


 突貫でもしない限り指揮官先頭はあり得ない。本来突撃命令でさえも下士官の一人が先鋒を務めるのだ。士官が真っ先に戦死したら部隊は総崩れになる。少尉の傍らにいた一人の下士官が塀の隙間から城壁にそびえ立つ楼観を指す。


 「狙撃兵がいます。それも神業級が複数、200メートル先から百発百中で当ててきます。先ほど小池中尉殿が殺られた時に逆上した第3小隊が突貫したんですが皆殺しにされました。士官は真っ先に狙われます、お気をつけて。」


 ただの一戦で1個小隊を全滅させるほどの精鋭狙撃兵部隊……これは不味いな。あの楼観の下、桝形に組まれた城壁の門から続々とロシア軍が撤退を始めているそうだ。本来全軍を挙げて追撃すべきなのだが殿と思わしき死守部隊に阻まれ思うように前進できていない。この方面に至っては僕のところが最前線だ。僕の受けた命令は現地部隊と共に門を封鎖し敵の退路を断て。
 正直、僕が最前線に行くことを連隊長はおろか師団司令部でも反対したらしい。兄貴が戦死してから僕の所属する第1師団への武器供給が俄然増えた。これが師団全体ならまだ戦略的な判断と言えないこともないが僕の所属する中隊、大隊ばかりに優先的に供給されるというのはおかしい。その意は明らか、


 『武器はやるから僕を前線から下げさせろ。』


 父上や姪っ子の意思だろうが臆病者と思われてはたまったものではない。上官に噛みつく位に抗議し座り込みを続けた。有難かったのは前中隊長や師団長等、理解者が多かったことだ。帝国陸軍にはまだ武士としての気風が残っている。ある意味軍隊でない不完全さ、未熟さと捉えることもできるが面目を失えばどれほど苦労するか皆解っているのだ。
 これが幸いし僕が所属していた中隊は硫黄島製の武器で固められ表向き師団長直々の精鋭としてここぞという時に投入されるようになったのだ。……それも昔の話、今では何処の部隊も兵力が不足し僕の部隊だけでなく硫黄島製の武器を持つ部隊は師団の各戦線に引っ張りだこだ。庇ってくれた中隊長殿も、もういない。


「臨時中隊長殿、気楽にいきましょうや。どうせ我々と合わせても2個中隊もいないんです。夜半か遅くとも朝には重歩兵砲がやってきますんでそれで城壁ごと吹き飛ばせばいいんですよ。」


 臨時とつけた上等兵の言葉にムッとするが逆に少し余裕が出てきたことを感じる。彼から見れば兵達が不安になるほど切羽詰まった顔をしていたのだろう。無理攻めする必要はない気楽にいこう、暗にそう進言してくれたのだ。確かに楼観……つまり城に立て篭もった兵士にむやみに突貫するのは自殺行為だと少し考えていると下士官の一人がやってきて耳打ちした。


 「本当か?」

 「間違いありません。露助の奴ら砲を運び出そうとしてます。」


 やっかいな、兵士だけならともかく砲や段列といった重装備まで運び出されては妨害しないわけにもいかない。武器を持った兵士が揃えば戦ができる等、妄言でしかない。だから師団長や軍司令官達、分けても父上は兵士を一兵残らず包囲せよとは言わなかった。だが砲や重装備まで持ち出し、軍隊として脱出しようとする輩は捨て置けない。


 「擾乱しよう。放置すれば後々やっかいだ。」


 部下の何人かの下士官が頷くとすでに用意を始めていた迫撃砲の準備を急がせる。全部で5門、それに携帯歩兵砲も20本ある。機関銃は6挺、第3軍でしか望めない重火力だ。兵士の中には旅順で使ったという鉄楯を持ち出し自らや戦友を庇う姿勢をとる者もいる。僕の周りには3名が楯を構え待機する。これ以上部隊長殿を靖国に送られてたまるか! 必死の形相をする彼らに有難うと声をかける。一人が振り向き微笑んで頭を下げる。


 「大隊長殿、いけますぜ。」


 上等兵の言葉に頷き命令を下す。


 「擾乱開始!」





―――――――――――――――――――――――――――――






「ええい! 糞、糞! クソッ!! 日本人め早すぎるぞ。」


 3度目は簡単だった。頭を出した莫迦な士官を狙撃し逆上して突貫してきた小隊、その突撃配置から下士官を狙い撃っていく。日本軍に限らずだが突撃しているときはその部隊構成はワンパターンだ。それを逆用して上から崩せばいい……うちの大佐の言うことはもっともだがそれが解る観察眼をもつ指揮官に恵まれたことこそが我等の幸運だ。
 しかし奴ら性懲りもなく4回目の攻撃をかけてきたのだ! 怒りの声をあげて毒吐く。奴ら楼観の私達を目標にするのではく桝形の城壁で鎧われた内部、撤退している友軍に攻撃を開始したのだ。桝形の中で悲鳴が上がる。あの中では避けることも逃げることもままならない! 狭い場所に友軍がひしめき合っている中に砲弾を撃ち込まれているのだ。

 「山砲か、これまた厄介なものを。」

 大佐もこめかみに手を当てている。騎兵である私には専門外だが砲兵が使う大砲というものはいろいろと種類があるらしい。相手を直接狙う加農砲(カノン)、曲線を描き遠くの敵を狙う榴弾砲(ハウザー)、奴らが使っているのは射程が短い代わり大きな山なりの曲線を描き防御構造物のない上空から目標を狙う山砲をいう奴だ。命中率は大したことはないがこういった直接相手を狙えない場所に砲弾を送り込める特徴がある。それにも増して問題は、


 「砲撃地点は特定できたか!?」

 「はい、5か所! 全て遮蔽を取ってます。威力が軽砲より小さいのが救いですが狙撃じゃどうにも。それに奴ら機関銃も配置してます。狙撃すれば掃射してくる気ですよ!」

 「脅せる(威嚇射撃できる)か?」

 「砲でないと逆にこっちの窮状をバラすだけです!」


 生き残りの騎兵中尉と元から此処の哨兵をしていた伍長が言い争う傍で、大佐の人差し指が激しく壁を叩いている。それ以上の音を立てて階段を駆け上がってくる人の気配。大佐殿の邪魔立てになると判断して階段の前で仁王立ちになる。


 「貴様等! 援護はどぉしたぁ!!」


 気取った服装をした――といっても戦塵で見る影もない有様な――貴族士官殿が殴り込んでくるが、その拳を掴み私の分厚い胸板で体ごと弾き飛ばす。そのまま階段を転がり落ちそうになる貴族士官殿を掴んだ拳で止めながら言ってやる。


「士官殿! 大佐の戦闘指揮を邪魔しないで頂きましょう。こちらは戦闘中です。羊の様に逃げ出す輩に言われたくはありませんな!」


 この巨体と顔の立派なカイゼル鬚のせいかピョートルの綽名で呼ばれることもある。兵士の中では将軍より偉そうだと言う者もいる位、脅しにはなっただろう……と思ったらその士官殿はどこかで頭をぶつけたのか目を回している。
 やれやれと思い手を離すと、彼はそのまま大袈裟な音をたてて階段下に転がり落ちていった。ポンポンと大佐が肩を叩いてくる、匙加減を決めたのだろう。


 「全部使おう、ここで出し惜しみすればこっちの掛け金が少ないことがばれてしまう。それと準備は?」

 「いつでもやれます、大佐の指示どおりに。」


 (ローシカ)どころか(チャーシャ)だった。全部使えとの兵士への下知に俄然部下たちが勢いずく。


 「よっしゃ!」


 年若い新兵が勢いよく武器を構える。兵士、下士官とも燧石銃(マスケット)の火皿に播かれた火薬のように激発寸前というところだろう。


「己の武器、奴等にタップリ味わわせてやれ! 戦友の仇だ!!」


 次々と奴らの武器が我等の手の中で踊る。





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 信じられない物を見た!
 楼観から撃ってきたのはモシンナガン(ロシア軍制式小銃)でもマキシム機関銃でもなかった。後方へ噴射炎を発し飛んでくる不格好な土瓶、こっちの携帯歩兵砲(パンツァーファウスト)の弾体だ! 迫撃砲班が隠れている土塀に突き刺さり轟音と共に突き崩す。
 この歩兵砲、頑丈なベトンや鋼鉄の装甲板なら内部に仕込んだ炸薬で強引に焼き切ることができるのだが土や木の建物ではその威力は半減してしまう。炸薬が一転に集中する構造が原因なのか隙間のあるものや弾性のあるものには効きにくいのだ。それでも風月を経た壁には限界だったらしい。半ば以上倒れて迫撃砲を押し潰し兵士を下敷きにする。
 しかしそれに追い打ちをかけるように聞きなれた絶叫音があの楼観から鋼製の凶器と共に降り注ぐ。これまた此方の主力機関銃(マシーネンゲヴェール)だ。下敷きで下半身を土砂に圧し掛かられた迫撃砲班に避けるすべはない。悲鳴と共に体を吹き飛ばされ物言わぬ骸に変えられる。


 「やめろ! こっちは味方だ。なに考えている!?」 

 飛び出そうとする杉山少尉を押さえつけ怒鳴る。


 「死ぬ気か! よく考えろ。こっちは兵器をいくらでも捨てられる。奴らがそれを拾い集めても不思議じゃない!!」

 「しかし! 皇軍兵士とあろうものが武器を粗末にしあろうことか敵に奪われるなどとッ!」

 「これがこれからの戦だ! 武器に惑わされるな、死んだ味方から生きるために武器を奪っても恥ではない。そして此方が使えるなら奴等も使える!!」


 いつの間にか銃声は止んでいた。流れ弾に当たったのか先ほどの楯兵が倒れている。命を失わなかっただけましだが鉄楯を弾丸が貫通し膝に弾丸がめり込んだようだ。呻き声と同僚の励ます声、畜生!


 「やられましたなぁ……臨時中隊長殿? 迫撃砲班は2つが全滅、残りも砲座から後退せざるを得なかったようで再配置しようとすれば狙撃兵の良い的ですぜ?」

 軽蔑ともとれる上等兵の声が勘に触るが彼自ら率先して状況を確認している。指揮官なら感情にとらわれるな。水筒から水を呷り気分を落ち着けると状況を尋ねる。


 「何故機関銃班【MG42】は援護しなかった?」

 「当然でしょう? 今までアレで撃たれた露助(ロシアじん)がどうなったか皆見ています。ブルっちまって皆家屋の中に逃げ込みましたよ。」

「あぁもう! 奪われた兵器に臆して逃げたとなれば武士の恥どころの話じゃないぞ。」


 実際、致し方が無いとも思うのだが、大新聞にでも記事にされれば皆軍に居れなくなる。軍法会議なんぞの前にだ! 中には食い扶持目当てで軍に入った兵もいる。彼らには帰る場所はない。
 僕にとっても父上に借りは作りたくない。気に食わなくても父親に面倒を持ち込むなら子供同然だ。どう揶揄され罵られても子供扱いだけは我慢がならない!


 「上等兵、裏から回って逃げた奴に一喝してこい! それと煙缶を全部ぶちまけろ。この風向きならいける!!」


 彼は軽く右手の拳で左掌を叩くと遮蔽沿いに裏手に回っていく。僕は直属の一個小隊を散開させると時を待った。





―――――――――――――――――――――――――――――





 モクモクと壁の影、家屋の中から濃密な白煙が立ち上ってくる。こちらが風下なのを察して煙幕で我等の視界を隠した上で、兵士を砲に再配置する気だろう。良い手だが詰めが甘い! 特にこちらの窮状を理解せず、日本の武器で武装したロシア精鋭部隊と勘違いしてくれていることが見て取れる。そう鹵獲した武器を私が使えないと一刀両断したのは一戦すらできない弾数の少なさだ。後500発、いや100発でもいいから弾があれば3時間は持ちこたえられたのだが……

 「兵曹長、奴らが飛び出したら全弾使いきってかまわん、マキシムもだ。各自近接戦用意! 切り札に注意しとけ。私は上に登る。」

 兵士と別行動で楼観の2階へ。小雪が舞い風が隙間から吹き付けている。外を見れば・・・…早いな、潮時か。
 起伏がある城外に目をやれば雪煙と轟音を立てて近づいてくる鋼鉄の悪魔共、脱出した兵士たちが右往左往しているのがわかる。機関銃の射撃が始まりすぐに止まる。全部合わせても残弾50発余り、牽制にしかならないのはよくわかっている。
 しかし復讐心と血が狂った日本兵が突入してくる前に決着をつけなければ! 不意に何かを感じ頭を押さえ横になって丸まる。確証はないが体が反応した。すぐそばを先ほど部下が撃ち奴らの迫撃砲座を潰したラケータが飛び込んできた。
 爆発音、鈍痛、木材が大きくきしむ音、迂闊だった!奴らにも同じものがある。鹵獲武器を見た瞬間、小銃だけを打ち合う戦争は終わったと確信したはずなのに。火器の複合による歩兵戦闘、私達ができるならその火器に慣れた日本兵の方がずっと上手く、そして容赦がない。
 太腿に木材の破片と鉄片が刺さっている。木材の方はかなり深い。負傷のショックを超え激痛に変わり始めた足を無視しナイフでロープを切る。下から絶叫、私の名を呼ぶ声、間に合ってくれ!



◆◇◆◇◆



 その時、携帯歩兵砲多数の直撃で大きく拉げ傾いた楼観の2階、その瓦面直上の欄干から垂れ幕が展帳される。その色は白! 楼観の四方にマンエルハイム大佐自ら備え付けた降服旗が垂れ下がる。そして間をおいて楼観の1階から適当な柱に白旗をつけた降服旗が振られた。


◆◇◆◇◆



 「マンネルハイム大佐! 生きてますか!?」

 「地獄の口から吐き出された気分だよ。ブジョンヌイ下士官」


 銃声が止んでいる、敵も味方も我に返ったようだ。降伏はタイミングが肝心、敵も味方もも相手がよく戦ったと確信出来ない限り勝者の一方的な虐殺に変わりかねないのだ。しかし愚図愚図していれば乱戦が始まり降伏どころでなくなってしまう。その最良のタイミングを測るのも士官の務めと私は思っている。
 もはや階段の残骸としか言えぬ物を伝って登って来た彼に抱きかかえられ、痛みに顔を顰めながら私は自らの戦が終わったことを悟った。





―――――――――――――――――――――――――――――






 「クソッ!奴らこの期に及んで!!」


 拳を震わせて杉山少尉が怒鳴る。上官を何人も殺された彼にしては御都合主義ぶりに腹が立つのだろう。僕は静かに、しかし断固たる声でそれを押しとどめる。


 「戦闘終了だ、少尉。復讐で殺しても皆生き返るのか? 無駄な殺しは軍だけでなく御国に泥を塗る。我々は生きている、それでいいじゃないか。」


 やるせない怒りと悲痛な感情の赴くまま少尉は軍帽を脱ぎ棄て地面に叩きつける。嗚咽の声を僕は聞こえないふりをした。


 「少尉、君は後方の部下を統率してくれ。降服交渉に行ってくる。今の君では辛いだろう。」


 本来、最上級者が交渉するのは褒められたことじゃないんだが、他に手近な士官もいない。……父さん、そして兄さん、これでよかったんだよな? 父さんだって好きで旅順で殺しをやったわけじゃない。兄さんだって無駄死にしたわけじゃない。ロシア軍も僕たちも祖国と自らの未来のために戦っている。それでいいんだよな?
 十数人の兵士を従え整列する。向こうから負傷したらしい指揮官とそれを補助する下士官がゆっくりとやってきた。


 「西小門防御指揮官、マンネルハイム大佐だ、貴官に降服する。」

 「第1師団所属、乃木保典大尉です。降服を了承します。」


 簡単な儀式が終わると双方の衛生兵、というより手当ができる兵士全てが駆り出され双方の救護に当たる。瓦礫に腰掛けながら手当てを受ける彼は僕に話しかけてきた。多少でもロシア語をやっておいて良かった。


 「ノギ? ……もしかして君は旅順のノギの家族なのかね?」

 「詳しく言えませんがその通りです。」

 「そうか。君の采配はまだまだ稚拙だが大いに伸びる可能性を秘めている。研鑽を怠らなければいずれゲネラル・ノギを越えるかもしれない。私は君に期待したい。」

 「有難う御座います。父上に会ったことがあるのですか?」 


 慣れないことはするもんじゃないと思う。早速バラしてどうするんだ僕は。彼はしまったという顔をしている僕に微笑むと言葉を返した。


 「直接は会ったことはない。だが、彼の軍を見たとき彼の意思、決意、そして狂気に触れることができた。私があれほど恐れたのは生まれて初めてだ。」


 狂気? なんのことだろう、彼は第3軍に何を感じたのだろうか。


 「なんにせよ、ゲネラル・ノギの息子と戦えたのは光栄だ。次はノギの息子ではなく
君の名を呼ぶことを期待しよう。」


 握手を交わす。




 こうして僕・乃木保典の戦いは終わった。そのまま僕は師団を離れ捕虜護送の任務に就く。一足先に戦場を離れる後ろめたさもあったが、その時には僕らの戦争は終わっていた。だけど……それがすべての始まりになるとは僕も父も御国すら、誰も知らない。










あとがきと言う名の作品ツッコミ対談



 「どもっ!とーこです。というかさ?今話だけどじーちゃまのモノローグ除いてエピソード的に全然関係が無さそうなんだけど??」


 ん、今話は1章におけるエピローグに当たる話になるね。ぶつ切り感大だけど次の章の構築上、戦記としての終結を行って区切りをしなきゃならなかったんだから。え?ポーツマスまでやって1章終了の予定じゃなかったかって?初めはそうだったけどねぇ


 「だから閑章が極大化した言い訳をいまさら(呆)」


 うん、そうなんだ。本来日露戦争と欧州領の間に閑章を入れて間を持たせて状況を作り出していく予定だったけど完全に目算が狂った。閑章が2〜3話どころか5話超えて一章として構築できるほどの分量になったんだ。だから第1章の終幕と旧第2章の序文を加え新第2章として再構築した。だからこそじーちゃまが懊悩して鬱モード全開の奉天会戦を他キャラで構築できたしマンネルハイム大佐も乃木伯父さんも出せた。


 「……思ったけど杉山ってまさか杉山元元帥?」


 いや偶然、フェリとしても書いた時呆気にとられたけど彼は第12師団だから第一軍所属だしね。同姓の別人という事でw


 「思わぬポカね?でもさぁ「奉天大虐殺」は言い過ぎでない?作者何処の大陸報道官かと思ったよ。」


 いや、アレで正しい。近代戦で市民を巻き添えにした市街戦にもつれ込んだのは事実だし重火力化した上に弾幕上等の補給があれば建物含めて都市ごと破壊した方が早い。そしてこの頃の市民の命は安い。しかも戦争当事国に属さないから何されても文句が言えない。国が守ってくれない民なんて哀れなものさ。


「そうじゃなくて…第一に国際線であるシベリア鉄道を破壊したのは国際条約違反という点。民衆を避難させず戦闘に巻き込んだのは攻撃側である日本陸軍の責が大きいという事。大山じぃも児玉おじさんもそんなヘボはやらない筈だよ?」


 シベリア鉄道じゃなくて支線である東清鉄道だろ?しかも警備部隊がいるところにわざわざ攻撃を仕掛けて破壊したから「戦闘に巻き込まれて壊れた」と言い訳できる。脱線転覆も修理中に強行突破しようとしたほうが勝手に自爆しただけと言い逃れできる。問題ナッシング♪そして奉天は市民を楯にしたのはロシア側。元々ロシア勢力圏だしその住民の生殺与奪はロシア側に係っている。PN鉄男町市街戦と同じ状況になると思うよ。一応包囲した後で満州軍は降伏勧告は行ったけどロシア側は時間稼ぎするだろうし日本側は予算問題から悠長に包囲を続けられない。結果、市民巻き込み上等の殴り合いになったわけ。


 「(頭抱え)どーすんのよ!日露戦争をこんな大惨事にしちゃって。」


 それでも歴史は変わらない。この程度で変わるわけがない。所詮極東の一地域の事件に過ぎないからね。むしろ大問題になったのはこの後さ。


 「対馬(日本海海戦)は書いてないよね?歴史変わったの??」


 いやこれについては変化なし。旅順は早期陥落したけどバルチック艦隊はもう引き返せないとこまで来てるし。あれは多少偶然が重なったとはいえどちらにせよ日本が勝てる。最悪ロシアの有力艦取り逃がしても霧が蹂躙して終わりだしね。いや…口あんぐりされても困る。これからが戦争の本番だから。


 「?」


 始めた以上終わらせなきゃいかんぞ…児玉のおじさんも言っただろ?後日談になるから商用作品では勿論、SSですら殆ど書かれることは無いけどこの言葉の真の意味である『外交戦』を第2章でやるから。


 「大丈夫?マジで??世の作家様すら未踏の領域よ???」


 やらなきゃ話が始まらない。これにて起は完成した。いよいよ長い物語が始まるのさ。この第一章は巨大な序章でしかない。完全にアルペジオの時代に繋げる為に概算でどの位係るか想定したけど……


 「想定したけど(恐る恐る)」


 全5部17章260話以上という馬鹿げた値になった!


 「あほかー!(威嚇射撃)そんなに読む読者が何処にいるー!!!」


 だからこそ1902から1932辺りまでの30年間を2部7章100話を最大値として書くのさ。これでも多いけど一部ごと主人公が完全に変わるから同じ世界の別作品として扱われると思う。ま、第一部完結までは最低月一連載続けるけど。


 「じゃ今回で一区切りついたから挨拶しよっか?」


 ども、ここまでお読みいただき誠有り難うございます。続いて第2章に移行し狂ってしまった世界、そして大日本帝国欧州領の始まりを一家族から書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


 「(下書き見てる)ナニコレ?本当に書けるの??超有名人ばっかじゃない!」


 みー・たー・なー     (轟音と悲鳴が立場逆にして交錯)


 追伸、第2章開幕は6月上旬の予定です。清書と校正が尽きましたのでひと月お休みです。


 「自分の不行状も棚に上げるなー(轟音と悲鳴が交錯)」



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