思ったより飛行機の中と言うものは騒々しいと毎回思う。
発動機の轟音、機体が大気を切り裂いて進む風の唸り声、橙子が言う防音版で遮ってすらこれなのだから本来の2型大艇の客室では皆離陸から着陸まで耳を塞いでいるのではなかろうか? と思う事もある。
 半月前に唖奴がやってきて匪賊討伐を見学していったらしい。その時もこの二型大艇の中だったが、こんな場所ですら、概念伝達という方法で橙子とその上役が意思を交わし合うなど未来と言うものは便利になったのか、気忙(きぜ)わしくなったのか判断に迷うことがある。
 まだ薩摩の突端――指宿――までは1時間ある。橙子はウトウトと舟を漕いでいる様子、イギリス領香港で買い求めた英国の新聞を開いた。
 実は儂は英語は解さぬ。留学と言う事で独逸語こそ覚えたが、その他の言葉はさっぱりだ。せいぜい漢詩から大陸の文字を推測できる程度。しかし座席に挟んだ新聞は英語は愚か仏蘭西語、独逸語と国際色豊かである。勿論単語すらよく解らぬ。
 しかし読めるのだ。儂の躯はあの時に人とは呼べぬ物になった。肉体は外見こそ同じだが筋力も皮膚も比較にならぬ。それ以上に驚いたのは左目だった。初めは孫娘と同じ榛色に変わっただけかと思ったが……
 新聞を開く。アルファベットではあるが独逸語では無い故、単語の意味はよく解らぬ。このままでは読むことはできないだろう? だが左目は違う。儂が視線を向けただけで単語が日本語に訳され、文章が眼に浮かび上がるのだ。それだけでは無い。良く解らぬ意味には注釈がつき、『橙子の史実』と照らし合わされた情報が次々と開示される。橙子が言うには百年ほど後には似た技術が開発され、庶民が当たり前のように使えると言っていた。
 記事を一つ一つ読み進める。デイリーテレグラフ紙の二面、ロシア大飢饉の記事だ。既に帝政は倒れ、ニコライ皇帝の家族は隣国スウェーデンに亡命している。彼とその妻、そしてその長女までもが家族の盾となるため命を散らせたのだという。それはよい、痛ましい限りだが残された四人の息子と娘は生き残れたのだから。だが、その革命を起こし、権力を握った筈の共産党までもが苦境に立たされているという自体に眩暈がする。
 既に4年目……この大飢饉はいつまで続くのだろう? このままでは歴史上で権力を握った筈の共産党までもが倒れてしまう。これを起こした当事者の橙子は勿論、その上役(コアユニット)までもが真っ青になったらしい。本来一年間で終わる筈が期間も範囲も倍々遊戯(ゲーム)のように拡大を続けているのだ。5年目における最後の自壊プログラムが機能しなかった場合……つまり最悪の事態に陥った時、上役はヨーロッパロシア全体を処分するという計画を実行に移す。余りにも規模が大きすぎ、儂等人間ではもはや神仏に祈るより外は無い。
 橙子に至っては責任云々でとんでもない事を言いだしたが儂は即座に却下した。一見妙案にも覚えたがそれでは駄目なのだ。人命は代え難い物、しかし人類全体が造り物の神に跪く等、おぞましい限りである。犠牲になるのは橙子、だがそれは霧の前に儂等が闘う前から勝負を投げてしまう事になるのだ。いくら命永らえてもそれは人類という名を借りた奴隷になると同義、命狙われ罵詈雑言浴びようとも覆すつもりは無い。そして…………
 もはや列強にも対処のしようが無い。初めは金儲けの機会とばかり騒ぎたてた者も顔面蒼白だ。もし、ロシア国境という堤防が飢餓によって決壊すれば数千万の飢えた人々が欧州に雪崩れ込む。かつての歴史に存在したゲルマン民族の大移動、かつての羅馬(ローマ)大帝国すら滅亡しかけた厄災が規模を数百倍にして襲い掛かってくるのだ。列強は今までの対立など忘れたように第二の堤防足る独逸(ドイツ)帝国、墺太利(オーストリア)帝国に援助を行い決壊に備えている。独逸帝国に至っては仏蘭西(フランス)共和国の抗議も耳に貸さず、一部の軍隊を動員し独露国境を封鎖している。本来動員を行う事は戦争と同義だから、当時者も抗議する者も、黙認する者すらその恐怖と狼狽は如何程のものであろうか。
 それでも米国は怯まない。莫大な国家予算を投じ穀物を増産、片端から援助として送り込んでいる。彼等は欲するは実績と名誉、ロシアを救ったという功績はロシア国民の親米感情を高めるのみならず、列強に己の力を見せつける格好の材料になるだろう。大白亜艦隊(グレート・ホワイト・フリート)の世界一周等、添え物に過ぎぬ。それに随伴してやってくる穀物輸送船こそ彼らの力だ。恐ろしいのはこれほどの施策を行いながら手に入れた満州を東洋の穀倉地帯として開発する力、その上にパナマ運河の建設だ。
 “史実の御国”はなんと馬鹿な戦争を行ったものだと嘆息する。国家規模の大事業を複数同時に展開する存在、後の超大国の面目躍如だ。こんなモノに勝てるわけが無いのは自明だろうに。それに比べて御国の有様は…………
 (けぶり)を振る、儂が為したことだ。その罪を償い、明日に繋げる為に儂は生きている。大山閣下、児玉閣下、黒木、野津……そして奥、既に日露にて共に戦った司令官(どうはい)は消え、残るは儂のみ。眼下の東支那海を眺めながら御国が見えてくるまで儂は身じろぎしなかった。





―――――――――――――――――――――――――――――





蒼き鋼のアルペジオSS 榛の瞳のリコンストラクト
 

第三章 吾輩は東洋人で在る 第5話






…………かくも軽挙なる振舞いは大学校の威信を傷つけるに留まらず、日本女子の貞節を疑うとの女学部長の弁は(もっと)もである。但し、女学生においては自ら写真を送付し参加した訳で無く、一族一個人の勝手にて写真を送付されたことから被害者であることも明白。学習院顧問官としての一考と為すならば、これは学徒の未来を閉ざす論旨退学処分ではなく、学府として身勝手な一個人への抗議を行い女学生を護る事こそ教員一同心同じくすべし、と信ずるものである。


 御国初となる日本美人写真集についてはどうするべきか? 学習院の敷地内にある宿舎、教員寮でも良いのだが他の教員達が畏縮するということで校内の小さな一軒家を借りている。その小さな書斎、万年筆を弄びながら思いを巡らせる。この類は一種の見世物であり玄人(プロ)ならともかく、素人を美醜で区分けするやり方には腹が立つ。しかし、欧米諸国では登竜門だ。まだ技芸で比べるほうが良いのではないか? ……そう考え、ふと気付くと後ろに橙子がいた。


 「なんだ、人の悪行を(からか)いに来たのか?」

 「いえ、御爺様もまだまだ成長するのだなと思いました。」


 クスクスと笑みを漏らしながら橙子が机の上の書面を覗き込んでいる。『橙子の史実』、これが何時でも儂に周りに付き纏う。日本初の美人コンテスト、これに学習院の生徒が応募していた事が大問題になったのだ。50年もたてば各地の大学校でこれが盛んに行われ、儂等明治の人間が仰天するような賞品が贈られるほどだというが、“この時”に学習院院長となった“儂”は学府の体裁だけを考え、女学部長の言葉を鵜呑みにしてしまったという。
 おそらくその直後“儂”も気付いたのだろう? 己の言葉・軍神の言葉の重みを。女生徒を退学させたに留まらずその人生を破滅させかけたことに気付いた時、どんな顔をしたかは儂自身が良く解る。
 婚約相手たる野津閣下の御長男が肝の据わった人物で婚約を破棄しなかったから良かったものの、“儂”は媒酌人として東奔西走する羽目になったという。今回は状況がより悪い。野津閣下が戦傷で倒れられ、長男である彼が当主となってしまっている。そうなれば体裁を重んじて婚約破棄にもなりかねない。儂自ら率先して動き、不幸な結末を潰すべきだ。その悪戦苦闘を他人事でからかうとは……少しばかり揶揄してやる。


 「人の成長を気にするのなら己の背格好を気にするのだな。いまだに5尺に届かぬ有様で同級生から御転婆妹扱いと聞いておるぞ。」


 橙子の頬がぷぅーっと膨れ御爺様の意地悪! の言葉が飛んでくる。そのまま怒って足音荒く廊下を駆け去って行ったようだ。普段は叱りつけるのだが、その事実に儂は鉛を呑んだような顔になる。
 橙子が取り憑かれてから早6年……橙子は学習院中等部の二年生、つまり14歳になっている。しかし背格好が全く変わらない、せいぜい尋常小学校の五年生程度までしか成長していないのだ。その理由も解っている、橙子が話した事実。


 【成長抑制剤の恒常的投与と脳内神経の半量子演算基盤化】


 簡単にいえば橙子の不老化、機械化といって良い。恐ろしい話だ。人、特に女性が望んでも得られない奇跡が橙子の内にある。それも詐術(ペテン)といった形で。確かに橙子は不老の体とあの上役の強大な力を振るえる超常の存在になれた。しかしそれは上役の奴隷同然だということ。しかも不老の体は同年代の人々から取り残され、孤独の中を生きねばならないということなのだ。【女】になることすら危ういかもしれぬ。思わず己の拳を握り、そして開く。そう、老人特有の皴も日露で患った凍傷の痕すら消えた壮年の男の拳。
 儂とて他人事ではない。儂の身体もこの異常事態、『上役は儂等を不老不死にでもするつもりか?』と橙子に問うてみたが。そうはならないらしい。


 寿命


 それをかなりの勢いで削っているとの答えが返ってきた。それでも儂が自裁したよりは長く生きる筈と橙子は断言したが、後何年生きられるの問いには絶対に答えようとしない。
 儂の死、それを橙子は心底恐れている。孫はまだ軸が定まっていない、ふらふらと状況に流されるのが精々なのだ。だから儂という軸に(すが)りついている。孫の軸が定まらぬうちに儂が死ねば再び大災厄が起きかねん。
 筆箱の二重底に隠した書状を出し、珈琲の煮出しに使うランプで燃やしてしまう。これで燃やすのも三度目か……自らの遺書を燃やしながら呟いた。


 「当分は死ねんな。」




―――――――――――――――――――――――――――――





 学舎の中、応接室の方が騒がしいと思ったら帰ってきたんだ。同級生の賑やかな輪の中で小さい躰が木箱から沢山の物を引っぱり出している。何かが出てくるたびに歓声が上がり質問や御喋りの花が咲く。


 「真瑠璃ちゃん、こっちこっち! 早くしないと皆取られちゃうゾォー!!」


 明るい茶色の髪を二つに纏めた女の子――校則違反なんだけど彼女は将軍様の御代に異人(がいこく)の血が混ざっているので特別だ――親友のいおりちゃんが手を振っている。学習院生では珍しい下町出身の子だけど快活で頼れる同級生。其の隣で大騒ぎの中心にいる女の子。
 いくらなんでもこんなところで始めなくてもいいのに……【彼女】の御爺様である乃木顧問先生に見つかったら御目玉もいいところ。級長として注意と自分の取り分を確保すべく走ろうとし床の段差に靴を引っ掛ける。
 悲鳴と盛大な音と共に私は床に接吻した。





◆◇◆◇◆






 「真瑠璃ちゃん大丈夫?」


 額が少し腫れていて唇から少し血の味がする。切っちゃったかな? 私より一回り以上小柄な躰が心配そうに見上げてくる。本当にこうして見るとちっちゃいなと思う。精々尋常小学生位の背丈、クリクリした榛色の瞳の同級生、乃木橙子ちゃん。


 「さっきゴーンって言った、お寺の鐘みたくゴーンって!」


 恨めしそうに()めつける。それを避わしてケラケラ笑う彼女(いおり)にひとつも文句を言おうとして……バカらしくてやめた。学習院女子中等科の姦し三人組と言ったら私達の事だ。


 「はい、真瑠璃ちゃんの分! イスタンブールのバザールでの掘り出し物だよ。」


 小走りで私の前に出て振り向き自慢げに手の中の物を見せてくる。綺麗……掌に乗るくらいの蝶のブローチだ。ビーズや貴石を糸で結わえて形にしている。でもこの中央の青い輝き、もしかしてトルコ石?


 「ちょっとまって! これものすごく高い物じゃない? とても貰えないよ。」

 「へへ――。10円位だったのを1円までまけさせましたっ!」

 「お……鬼じゃ! 値切りの鬼がおるで!!」


 私の躊躇を彼女の得意技とからかう声が封殺してしまう。良く見ると貴石やトルコ石の大半に傷や曇りがある。廃品を再利用して高く売りつけるつもりが彼女に散々値切られたのだろう。小さくても口は達者だ。日本に長くいることはできないけれど皆と連れだって茶屋に行く時、おやつを注文するにも手加減無しでかかるのだ。必ず皆で学習院の制服を着て行くことから露骨極まりない。『ここで学習院の御嬢様方がよくお茶してます。』良い宣伝元に逃げられる位なら茶屋の主もまけることを考えるだろう。
 有難く頂くことにした。


「で、いおりちゃん免許取れた?」


 気まぐれ猫みたいに話の相手をころころ変えるのが彼女の御喋り。いおりちゃんが拳を作って親指を立て、


 「ぐ〜」

 「グー!」


 同じように橙子ちゃんも親指立てた拳で軽くいおりちゃんの拳に打ち付ける。双方御機嫌で笑いだした。なんのことはない、自動車の運転免許の事、ガチガチの乃木顧問官先生らしからぬ事だけど機械技術と外国語、それに基礎的な武術を男子学生だけでなく女子学生にも徹底して指導するよう取り計らったのだ。『これからの世は男子も女子も等しく扱われる。此処に来た以上、貴殿貴女等は特別であらねばならない。文明人として世界に通用する人となることが学府のそして父母の願いである。』
 そう思うと少し胸が痛い。妾腹の孫娘、養御爺様(おじいさま)の引きでこんな場所で学ばせてもらっているけど私にそんな価値があるのだろうか?


 「真瑠璃ちゃん! 聞いてるの!?」

 「あ……ごめんなさい。ちょっとぼおっとして。」


 むーと橙子ちゃんが頬を膨らませている。悪いことばかり考えてしまうのは、ほんと癖だ。橙子ちゃんも察したようだ、勘が鋭い子だからこっちが考えてる事が直ぐ解ってしまう。


 「大丈夫だよ。侯爵様のことなんて関係ない。真瑠璃ちゃんは真瑠璃ちゃん! それでいいんだよ。聞いた? 御爺様いつも山県侯爵様を『世の流れも解らぬ頑固者』言っているのになんていい返されてカンカンになって帰ってきたと思う? 『西洋かぶれのハイカラ男』だって。」


 思わず笑ってしまう。乃木顧問官先生がハイカラ! どちらかというと蛮カラと言った方が良いんじゃないかしら? でも昔は養御爺様と顧問官先生はあまり仲が宜しくなかったと聞いたことがある。双方悪口言い合って怒っているならむしろ少しは仲が良いのだろうか? 私が吹き出したのを見て安心したのか橙子ちゃんの御機嫌も戻ったようだ。


 「ねぇ聞いた? 顧問官先生今度は学舎の隣に旅順みたいな堡塁作らせるんだって! 私達に戦争ごっこでもさせるつもりかしら?」


 他の子の他愛ない話に直ぐに反応し駆けていく。いつも年下扱いを嫌がるのにほんと、皆の妹なんだから……いおりちゃんと顔を見合わせて笑い、私達もそちらに歩いていく。





―――――――――――――――――――――――――――――







 非公式な訪問とはいえ、大使館を訪ねるノギ閣下の案内を申しつけられる大役に緊張する。三年! 三年ぶりだ!! あの冬の日の満州で強制的に閣下と別れさせられ拘置室へ、そこで親父とすり替わり大統領閣下に事の次第を報告。あれよあれよといううちに私の立場も地位も変わってしまった。思わず【大尉】の肩章をちらりと見る。私の個人的な策謀等、とうの昔に吹き飛んでしまった。ヒューはさぞかし恨んでいるだろうな。
 着たようだ。寸分も無く着こなした軍装、綺麗に切り揃えられた白髪髭の中で左顔面が誰もが畏怖せざるを得ない形相に変わっている。そしてその後ろをあの時の姿のままちょこちょこと駆けてくる小さな躰、閣下の御孫嬢。
 先程まで鏡の前、何度も確かめた服装のまま私は完璧な敬礼を行う。


 「ダグラス君か! 見違えたぞ。」

 「ジェネラル・ノギ、お久しぶりです!」


 通訳を介さないという非礼等置き忘れ、凍りついていない顔の半分で柔らかな笑みを浮かべながら閣下は尋ねられた。



◆◇◆◇◆





 大使館の回廊を歩きながら閣下と談笑する。あの時、閣下と話す親父の傍らで憧れという名の傍観しかできなかった自分が閣下と直接世間話ができる。あの時はどれほどコレを望んだことか! だからこそ失敗(ヘマ)は許されない。

 
 「済まなかったな、アーサー閣下の御葬儀にも顔を出せず礼を失ってしまった。」

 「いえ、親父が常々悔んでいましたよ。『同乗した貨客船をシージャックしてでも閣下を祖国に迎えるべきだった。』と。あんな辺鄙な小国(トラキア)で閣下が御苦労させていることを考えれば、私は余程我が祖国(ステイツ)にて力を奮って頂きたかった。」

 「君の偉大なる祖国(おもんばか)ってのことだ。借り物の力で(おご)れば、必ず儂のような憂き目にあう。足元を固め、手に入れた智慧(ちえ)をもって階段を一歩ずつ踏みしめたまえ。それが貴国を、そしてを世界に冠たる存在に昇らせるだろう。」


 驚く、手に入れた力に奢るどころかそれを容赦なく否定し、自己研鑽こそ正統かつ正論と言ってのける。もしホーフブルグの講和でジェネラルが不満ならば世界中が彼という大嵐に抗せざるを得なかったのに……彼は負けを認めたのだ。あの雪の日の地獄に勝つために! それは別として閣下は親父の死の関連について思うことがあったようだ。尋ねてくる、


 「満州はどうなのかね。貴国が動員まで行った程だから相当な事態なのだろうが。」

 「むしろその点、親父には感謝するべきなのかもしれません。親父の死が祖国を本気にさせたのですから。大統領自ら公約したほどです。『アジアに最初の共和国を打ち立てる!』と。」


 そう、旧大陸人が『まんまと日本帝国から奪い取った』と祖国を揶揄する満州。実のところ、始め祖国も国民もあまり興味を持たなかった。誰が豊かなチャイナとはいえ端っこの辺境など欲しがる? おまけでくっついてきた半島部分等、尚更だ。精々山師が利権を探して歩く程度の価値だったのだ。親父はそんな田舎に総督として乗り込み、そして殺された!! 奉天駅、あの地獄の跡を復旧せんと陣頭指揮を行っていた親父の背後から3発の銃弾。(ことごと)く命中し親父は血溜まりに沈んだという。疎ましく思っていたとはいえ私も子だ。砕けかけた無惨な親父の顔を見たとき抑えていた感情が爆発した。


 
「奴等は人間ではない! 獣だ!!」



 さらにそれに拍車をかけたのが日本が半ば衛星国としていた大韓帝国。その政府が暗殺を正義と言いだし満州は自らの領土と言いだしたのだ。少し考えれば交渉の為のブラフと解る。しかし我々はそう捉えなかった。
 そうだ。祖国が智慧と汗をもって獲得した大地に奴等はとんでもないケチをつけたのだ! 何世紀もの前の論理を持ち出し侵略行動に出たのだ!! 

 
身の程を弁えず!!!


 ロシア帝国すら打ち破った東洋の新興国である大日本帝国を首輪に繋いだという優越感、いくら小とはいえアメリカ人の物を奪われる恐怖、たかが三流国の増長への怒り、そして有色人種への蔑視。それらが祖国の世論を爆発させた!

 
【リメンバー・アーサー】


 議会は容赦なく【処置】を大統領に要求。大統領はすぐさま連邦軍を動員にかかる。本来、祖国たるアメリカ合衆国に常備兵の伝統は無い。各州が警察力として州軍という軍隊を持ち、緊急時だけ大統領がそれを連邦軍として動員する。私の台詞はそのまま大新聞に掲載され国民の戦意を煽りたてた。結果、集まった連邦軍20万! 続々とその兵力が太平洋を押し渡る。
 宣戦布告は無かった、講和どころか降伏交渉すらなかった。ただ我々は王室を政府を貴族を覆滅した。大韓帝国という小国を跡形もなく……滅ぼしたのだ。
 我が祖国はこれを計画的に【凄然】(せいぜん)とまでに推し進めた。叩き台になったのは大英帝国によるビルマ併合。国家の上層部を殲滅し、庶民の上に直接君臨する。最も強権的な植民地開発方法だ。
 本来これを止めに入る列強はいなかった。口では非難こそしたもののそれは黙認というお墨付きを与えるだけ。ジェネラルの祖国、大日本帝国すらも恐る恐るコメントを発したが無視された。裏面も知っている。我らが手に入れた満州と朝鮮、彼らはホーフブルグの講和によって表向きいかなる進出も行えない。今、上の階でふんぞり返っている我が国の駐日大使がこう囁いたのだ。


 「満州、朝鮮の開発ではありとあらゆる製品が足りません。そこでどうでしょう? 我々が日本に工場を作り日本人を雇います。出来た製品を我々が買い上げ、満州人と朝鮮人に売る。代価はこの2地方が産出する資源、悪い話ではないと思いますが?」


 これだけで新しく就任したこの国の宰相には覿面(てきめん)だったらしい。平民宰相を自称していただけに日露戦争が彼らの実質的敗北に終わり、景気まで沈滞する有様にこの国の民芸品である牛の置物(アカベコ)のように頷いたという。
 そして祖国はこの地方を手に入れた。数年後この地方は東アジア合衆国(USEA)の名のもとに再建される。当分は祖国の間接統治、独立は20年後……その頃にはアメリカの経済植民地として体裁が整っているだろう。
 いつのまにか大使の執務室の前まで話し込んでしまった。閣下は静かに私の話を聞いていたが大きく頷くと感謝の言葉を述べた。そして、


 「では大尉、孫を頼んだぞ。何かと物騒な言葉を吐くだろうが子供の戯言、話半分で付き合ってやって欲しい。」


 駐日大使の執務室前でジェネラルを見送る。衛兵の2人が仰け反っているのが解った。ジェネラルの顔面はそれだけの威圧感と存在感がある。交渉家である我が大使が逆に気落とされて有利な取引をさせられそうだが、それで責任を取るのは彼だ。私には関係ない。数日前からなけなしの知識を使って組み立てた言葉――日本語――を口に出す。


 「御爺様ハ大切なオハナシがアリマス。甘イモノを用意シマシタ。どウゾ此方へ。」


 努力を続けたのに未だこの有様だ! 本当に日本語は難しいと思う。母音が多すぎるのだ。ジェネラルの小さな孫娘。白いワンピースドレスに橙のショール、オレンジの造花をあしらった鍔広の白い帽子を抱えている。私が軽く頭を下げるとニッコリと微笑み帽子を持っていない手でワンピースの裾を摘んで挨拶して見せた。
 祖国の上流階級(ハイ・ソサィエティ)でも通用する優雅さ。しかし祖国でも絶対に注目される……いや畏れられるモノがそこにある。黄金にも似た――

榛の瞳


 あの冬の日、ジェネラルを絶体絶命に追い込み、第三軍司令部を壊滅させかけた彼女。今でも思う。この小さな少女は人の理にはいない。人の姿形を借りた人の上に君臨するモノ。小さな手を差し出してくる。その手を取って歩きながら、それだけで彼女と私の差が逆転してしまうことを私は恐れた。




◆◇◆◇◆





 「このホットチョコレートですけどハーシー社のものですよね? 最近固形型のチョコレートが出来たそうですけど軍用食料としても使えそう、ただ兵士の皆様方には不評かもしれません。ナッツやアーモンド、キャラメルで固めてチョコレートバーにすれば美味しいと思うのですけど??」


 大使館の中庭に設けられた回廊、小さなテーブルと二つの椅子。テーブルに並べられた中身の入ったカップとチェロス(スコーン)を盛った小皿、傍から見れば都会に初めて出てきた女の子が年の離れた兄に飲み物を御馳走してもらうようにも見えるだろう? しかし会話の内容は想像を絶するものに変わっていた。傍から生温かい目で見ている同僚には後できっちり話を通すつもりでいる。
 まず驚くべきは彼女との会話はすべて英語だということだ。いくつかの仏単語、独単語を流暢に使っていることから考えておそらく彼女は複数の言葉を操れる。日本人は総じて小柄だから年齢は割り増しで考えなければならないが、それを差し引いても異常だ。日本で言う小学生(ジュニアスクール)の子供が国際会議での通訳に使えると言ったら世界中の外交官が頭を抱えるだろう。
そして話の内容! 日本人の子供が何故創業1903年、日露戦争前のアメリカ製菓会社を知っている!? しかもチョコレートの固形化ときた。まだハーシー社でも量産にこぎつけたばかりの筈。それを高カロリー軽重量から軍の非常食料をして採用の可能性を示唆したのだ。止めは最後に付け加えた『カカオの摩砕は10から30ミクロンが適当ですね。それ以上でも以下でもチョコレートが不味くなってしまいます。』
 今、ハーシー社の幹部がこれを聞いたら札束で膨れ上がったトランクを山積みして祖国へ招聘するだろう。事実、私は手帳にメモを取っている。もし私がこれをハーシーの幹部に話し、チョコレートの軍への導入が始まればその成果の幾割かは私に帰せられる。マッカーサー少佐か、ハーシー社企画部マッカーサー部門長になるには十分な功績だ。驚愕と緊張の余り、私の口から本音が零れ落ちる。


 「貴方の目的は何なのです? ヒューから聞いたあの戦艦(ハツセ)、そしてジェネラルは愚かインペリアルアーミーを壊滅させかけた力、それだけの力を持ちながら貴方は未だに小さな枠組みの中にいる。いったい貴方は何を目的としてこの世にいるのです??」


 私の問いに彼女の小さな瞳が濃くなったように感じる。彼女はカップから両手を離し答えた。


 「人は限界を持つ不自由なもの、だからこそ自由を求め、考え、そして至高へ向かって歩み続ける。私はそれを演算するに過ぎないモノです。」


 さらに瞳が濃くなるもはやそれは黄金に近い、風圧なき暴風が私の体に叩きつけられているような感触。そう、神意の前には人など塵芥に過ぎないというまでの強烈な意思。


 「そして我の評であるならば……終わりの在るものだからこそ、無限の存在足り得るため行動し、そして何物かを遺す。」


 哲学者並みの答えが返ってきた。先程までの知識だけ突出した子供ではない。明らかに別人、それも複数! いや、これが彼女の正体なのだろう。私だけでなく軍人なら今の彼女の巨大なまでの存在感に覚えがある筈だ。


 兵器……人によって作られながら人を圧倒せざるを得ないほどの凶器


 本来兵器は人の道具でしかない、しかし彼女の状況と観念は全くの逆だ。人は兵器の構成部品に過ぎない。ならばヒューの話も、あの雪の日の事件も納得できる。憎悪や嫌悪感を向けることすら考えられない。ただ静かに私は事実を確認しようとした。


「我々は実験動物(モルモット)なのですか?」

「それを貴方が言いますか? 後の世、この国を根本から変えた“日本国”占領軍司令官殿。」


 打ちのめされる程の言葉、その情報を頭に刻む。それだけで私が何者か、“何を為したのか”必至に頭を回転させる私を満足した顔で眺めながら彼女は再びカップを口に運んだ。ふっと息で湯気を払う。私のほうに流れてくるカカオの香気。しかしそれを感じた時、私は真新しい砲に塗られた塗料の匂いを思い出していた。





―――――――――――――――――――――――――――――






 軍用チョコレートについては軍でもたちまち採決され連邦軍は愚か世界中の軍で非常食として採用されることになる。しかし、味についてはジャガイモに味がついた程度になったそうだ。不満気に上官に聞いてみると。


 「君は兵士の非常食をおやつに変えてしまうのかね? 予算が幾等あっても足りない上に、兵士におやつを食ってはいけないと君は言えるかね??」


 …………成程と思った。







 あとがきと言う名の作品ツッコミ対談






 「どもっ! とーこです。なんか話が始まって早々わたしとじーちゃま日本に帰国中だけどいいの?」


 3話で帰国中を浦上中佐が話していただろ? 話はそこに巻き戻るわけさ。それに毎年帰国するようになったのはちゃんと理由があるから。


 「どういうこと?」


 もう桂内閣はとっくに総辞職してるけどその辺りで秘密になっていた日露戦争のアレコレが軍経由で新しい政府にも流れてくる時期な訳、こちらの日本の政府首脳にとって絶叫したい心持ちだろうね?なにしろ日露の軍部と政府が徒党を組んで世界歴史を改編しただけでは飽き足らずたかが一個人の暴発が一国を滅ぼし、しかも世界を危機におとしいれていると考えれるならどうよ、
 表向き知らぬ存ぜずを貫いてもまた暴発されたら今度こそ列強によって日本が詰め腹を切らされかねない。その一個人をちゃんとマトモに育てるためにも日本最良の学府のひとつを専用教育機関としてでっちあげざるを得なかったわけだ。幸か不幸かじーちゃまも付属品としてね。


 「で……学習院“特別顧問官”乃木希典の誕生となったわけか。宮内省御用係や学習院院長と比べて随分格下げになったわよね?」


 自分のことはスルーかい(笑)逆の意味でそれどころじゃないね。じーちゃまは楽隠居するどころか実質天皇陛下直臣たる“王”になったと考えるべき。大日本帝国欧州領総督、権威こそないから総督だけど天皇直下で政府の関与が及ばない独立王国の主と言ってもいい。じーちゃまに与えられた権限ってそれほど大きいのよ。もう史実のような中途半端な立ち位置には居させてもらえないということ。少なくとも初代朝鮮総督たる伊藤博文公より強大な権限を付与されている。


 「じーちゃま過労死させるつもり?(アワアワ)」


 それくらい苦労してもらわないと欧州領そのものが存続できないしね。


 「じゃツッコミ行きます。その1! ナニコレ初めのエピソードって実話な訳?」


 そうだよ。実際に調べてみて出てきた話をこちらで解釈して再構成してみた。実際このエピソードには諸説入り乱れていて乃木無能論や乃木悪玉論にも乗せられているけど、作者として思ったのは史実のじーちゃまは深く考えなかった故の大ポカだと考えたわけだ。論旨退学処分を決めた後じーちゃま実家に戻っている件があるからばーちゃまにかなり搾られたと思うよ? 女の扱いがなっていないってね(笑)


 「どーしてそうなるの? 作者は乃木家を典型的な明治日本の軍人一家と考えているから男尊女卑とは言わないまでも男児優先の論理はあると思うけどさー?」


 こらこら、それとこれとは別、前にも言ったけど現在の論理で昔の常識を語っちゃダメ。それにもっと決定的な面としてじーちゃまに娘がいなかったことが大きいと思っている。年頃の女の子がどう感じるかを露ほども考えたことが無かったのが史実のじーちゃまの大失敗につながったと作者は考えたわけだ。だから少しだけ頭も軟らかくなったし橙子を揶うだけの余力もある。


 「なるほど〜〜相も変わらず凝った造りしてるわよねぇ?」


 明治を描かなきゃならないからね。苦労してるよ。


 「じゃその2! マジで驚いたわー!! ついに原作アルペジオメインキャラ登場!!! まさか同級生でくるとは思わなかったよ。」


 さっきもそうだがその口調……じーちゃまに言いつけるぞ(ボソ)


 「え―――――コホン! でも性別変化も考えて登場を思案していると前に考えたよね? 何故こうなったの??」


 まず一つ目としては原作へのリスペクト、だから時代転写という同名キャラを過去に配置するという手段をとった。でもこれだと誰でも連れてこれるから制限をかけてる。男キャラは姓は同じで名前が変わる。女キャラは姓を変えて名前を同じに……こんなルールを作って運用することにした。


 「だから山県真瑠璃かぁ……え? 山県?? ま、まさか…………」


 御名答、山県候の外孫だよ。ただし妾の子の子だから血や家なんて在って無きがごとし。ちょっとその辺りコンプレックスもった影のある子にしてみた。勿論山県候の目的は縁造りと監視だね。彼ほどになると政治的理由でごり押しするだけの権力は持っているからね。


 「原作でも品良さそうなタイプだもんねぇ。真瑠璃ちゃん。でもいおりちゃんについてはどうするのよ? 設定上まだ姓決まってない(←拳固)殴らないでよもー!!!」


 ペラペラ内輪を喋らない! まったくこれじゃ裏も表も関係ないじゃないか(嘆息)。実はいおりについてはその通り姓を決めてない。これは第2部との姓の混同を防ぐ意味でもある。ただし具体的に相手は決めていないということかな。言えるのはそれだけだ。


 「作者も危うい橋渡っているくせに(ブツブツ)。では最後、なんと日露戦争で日本支配圏とならなかった大陸のその後ですか。でもさー毒ぶちこみすぎてない?? もうここまで来ると悪意としか思えないよ。」


 ん〜そういう人はいたのは事実だけど(実話)この世界における政治的状況や未だ未熟な合衆国の植民地開発方法からすればこの状況はビルマ併合直前と良く似ているのよ。どうにも合衆国は植民地を経営するのには世界最強効率なんだけど作り方に関して言えば『銃と棍棒』論理から抜け出せていない拙速かつ暴力的な面が強いからね。トリガーはもちろん奉天駅事件、被害者は伊藤氏に代わってアーサー閣下、加害者は……まぁいいやテロリストなんて名前なんぞ無くても。


 「毒吐くどころか作業部屋にポイズンブレス吐きまくってるわこの作者。」


 ただこれで日本は本気でおとなしくならなきゃならない。欧州領どころか本土すら列強全てに取り囲まれてしまった。世界に関与できない二流国の扱いとはこういうことでもあるのさ。


 「きついなぁ……未来はアルペジオに繋がるのやら?」


 さぁね〜〜♪(他人事)


 「(怒)」


 (轟音と悲鳴が交錯)



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.