酷く殺風景な廊下を歩く。唯、灰色で塗りつぶされた廊下が消えればそこは屋内船渠(ブンカー)のキャットウォーク。その下、いくつものドックの中の一つにソレはいた。


【ハツセ】



 渤海沖で消えた脅威が何故こんなところに? いや、そもそも何故この場所を乃木閣下の御孫嬢が案内しているのだ!? 我々と比べたら軽く頭ふたつ分小さい背丈が軽やかに階段を下りていく。その後ろを水雷艇艇長のナグモ中尉、私、一番最後をタカノ大尉がついていく。私とナグモ中尉は初見の光景だがタカノ大尉は2回目だという。
 ここは間違いなく大日本帝国最大の秘部……いや違う、ノギ総督閣下の力の源そのものだ。事実を知らないナグモ中尉には心躍る秘密基地にしか見えないのだろう。良く言えば謹厳実直のサムライ、悪く言えばゴリゴリの堅物軍人に見えた彼が必死に自分を保ちながらも周囲に好奇の視線を注いでいるのが微笑ましく思える。
 階段から昇降機(エレベーター)に乗り換え埠頭に降り立つ。ハツセが目の前に鎮座しているその前で、くるりと体を回し両手で高貴なものを紹介する身振りを交えて彼女――ミス・トーコ――が言った。私達、チュウイチ・ナグモ中尉、イソロク・タカノ大尉、そして私、ヒュー・ダウディング大尉に向かって。


 「ようこそ、霧の艦隊へ。」


 漆黒の上着とダービー・タイ、黒のショートスカートの植民地軍制服に身を包んだ彼女はどこまでも美しく、そして異質だった。





―――――――――――――――――――――――――――――



榛の瞳のリコンストラクト
   

第3章第14話







 「ミス、ここは私のような人間の来るべきところではないと思います。そもそも大日本帝国の秘部をたかがイギリス陸軍大尉が覗くべきではないと考えますが……。」


 躊躇、いや私の事実を知ることへの恐怖なのか? 私らしくない遠慮がちな言葉を彼女は言下に否定した。


 「御爺様の命でもあります。知りたがりの人間には現実を知ってもらうべきだと、そう仰っておられました。私達が何であるか、私達が何を求めているか、私達が何処へ向かって歩むべきなのか?」


 We?(わたしたち?)、その私の疑問形にタカノ大尉が答えた。


 「ダウディング大尉、彼女は橙子嬢ではない。いやあって無きものと考えた方がいい。橙子嬢の姿形に似せて作られたナノマテリアルの塊。いや、記憶も行動も模写された別物だ。橙子嬢は一人だが彼女の上役は彼女を起点として多数の【橙子】を運用している。」


 私の教えたはずの単語でそんな空想科学小説の如き暴論を語らないでくれタカノ! 慌てる私を見てくすくすとミスが笑う。隣ではナグモ中尉が鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしつつも必死に情報を頭の中で整理しようとしている様だ。


 「高野様の言っている事も事実ですが、今は本体たる橙子と接続している状態でもあるのですよ? 初めてハツセに乗って何をやらかしたかここでオリジナル(のぎ とうこ)に喋って頂いても??」


 思わず両手を挙げ、降参のポーズをとるタカノ大尉は兎も角、その事実に驚愕せざるを得ない。多数の人間が相互に無線通信で記憶や感情を共有し別個に行動を行う。それは既に人間の範疇と呼べるのか? しかもそれから考えるのは本体たるトーコ(オリジナル)は既にこの星の裏側にいる筈なのに其処まで無線通信が届くと言う意味だ。それも即時に! タカノ大尉が此処に来る前に話してくれた。『彼女は未来の使者』だと。未来、ヒトはそこまで科学を発展させているのだろうか?


「橙子御嬢様、質問したいのですが宜しいですか?」


 必死に情報を咀嚼していたナグモ中尉が発言する。命令は絶対、質問は必要最小限、任務には全身全霊、今からゴリゴリの堅物士官では先が思いやられそうだが
、水雷艇に任せると人が変わったように無茶苦茶な操艦をする。雷撃訓練時に標的代わりの三笠に暗礁を強引に突破して模擬魚雷を投下した時には乗組員全員生きた心地がしなかったそうだ。『人殺し南雲』彼の渾名だ。その為、彼の部下は一筋縄ではいかない荒くれ者揃いと聞く。彼の声に若干、ミスの声のトーンが上がる、榛の瞳も少し薄くなったようで口調まで変わってしまう。


「どうぞ。」


 先程のミスの言葉と違い丁寧な言葉で言葉を紡ぐ。そうか! 文字通り人格が入れ替わったのだ。なんということだ! 彼女の上役という存在は人の根本、主の教えで言う魂すら思い通りにできるのか!! そんな私の驚愕に気づくこと無く中尉は話始めた。…………ん?


 「思でゃサ、御嬢様の話あおがきヤこの艦は御嬢様ひドりで動かせるど推察いたしろす。何故我々が必要のハデしょう? 一念で艦が正確サ動けば人力サ頼きやのぐども結構の気がいタしゅ?」


 本人も言って慌てた顔をした。ミスが首を傾げてしまったことから地方語を混じらせてしまったのかもしれない。タカノ大尉が訳し、ミスに伝える。――楽なものだ。この耳あて状の翻訳機と付属している集音器、どんな言葉であっても訳し相手に伝える事が出来る。これ程のものが誰でも買えるならば未来はさぞ楽しく、心躍る物だろうな。なにしろどんな人種どんな民族でも話し、笑い、意思を聞き、そして伝えられる。どんなにすばらしい事か! 納得したミスが答えを紡いだ。


 「人は不完全な生き物にすぎません。だから自ら考え、行動し、より高みに向かって歩いていくことができます。完成されてしまった我等霧にとっては非常に興味深い対象です。おじい様はこれからこの時代で起こるある決まり事に人間が霧の役に立つという論理を持ち込む御積りの様です。」

 「さしずめ我々は人類代表といったところですな。」


 御度戯(おどけ)て言ったタカノに噛み付きそうになる。そんな冗談で済む状況か!? だがその前にナグモ中尉がもう一度質問をした。珍しい……いつも無口な彼が饒舌になっているのはこれほどの状況に彼も動揺しているのだろうか? 今度はまともな標準語のようだ。どうも彼は地方訛が強いのを気にしているようだな。


 「橙子御嬢様、敵は何ですか? 我らを軍艦に乗せる以上、敵がいるはずです。それでなくては秘密を明かし、我等を戦わせる理由にはなりません。」


 今度はミスに理解されたようだが彼女の言葉は想像を絶していた。人格が入れ替わるイントネーションの違いだけでこれほど苛烈な言葉が出るのかという絶句、


 「霧と戦って頂きます。相手はわたし達霧から出すことは私の上役から連絡が届きました。同格の霧の艦艇、霧の鉾と楯をもった人類がそれに打ち勝てるのであれば人類の存在価値は証明できると考えます。」

 「Wait! Wait For You!!」


思わず怒鳴った。あんまりだ! こんなことを!! これでは私たち、いや人類全ては只の実験動物か!!! 即座に反応したのはタカノだ。彼の口からもとんでもない言葉が飛び出した。


 「だからこそですな。150年後、我らの時から外れた150年後! 人類はその総力を持って貴女方に挑み、完膚無きまでに叩き潰された。全世界の海軍。いや、おそらく国家すら亡滅したはずです。その敗者復活戦(リベンジ)をやらせてくれる。そういった意味ですな?」


 タカノ大尉の言葉、先ほどとは違い棘、いや相手に白刃を向けるような声色だ。再び人格が切り替わり謳うようにミスが答える。


 「はい、そしてこれにはわたしも参加いたします。貴方様方の命令を霧に通訳しなければこの艦は動きません故。そして私は霧で有る以上に人であるが故に。」

 「実験動物である以上……勝って使い捨てるとは言わないでしょうな。」


 やっと論理が追いついて来た。そこで考えたのがミス達の実験。ここまで話すと言う事は我々に何らかの見返りがあると言う証左だ。このあたり外交官なら気の効いたレトリックで優位を作り出せるかもしれないが生憎私にはそんな才能は無い。だから率直に尋ねる。彼女は私の反応を見て肩の力を抜いたようだ。つまり彼女は私が彼女にコントロールされる事に今は従う。そう考えたのだろう。状況次第で私を今すぐここで抹殺することも想定していたはずだ。柱の一つに手を当て彼女は【ハツセ】に視点を移す。そしてそのまま言葉を紡いだ。


 「……当然です。私達が勝てば霧はこのまま世界に介入を続け、人類がせめて霧に抗するだけの力を持てるように文明を加速させるでしょう。それは人類にとってもより良い幸福へと続く150年に成る筈です。しかし負ければ、」

「人類を滅ぼす、いや予定通り介入せず人類が霧に敵対しそして滅びる……そういうことですか。」


 タカノの答えに彼女は反論することは無かった。故にそれを私は事実と確信する。最悪、想像を絶するほどの最悪の事態だ! 勝っても負けても今の態勢に変わりはない。しかし勝たねば人類は150年後破滅する!! 未来に責任が無いと我々が言うこともできる。だが知ってしまった以上、後戻りはできない。我等は軍人! 我らの存在意義は国家を、いや根本たる民を守ることこそにあるのだから。
 それが現在であろうと未来であろうと変わりはない。彼女は柱から手を離しゆっくりと【ハツセ】の入渠している船渠の端を歩く。すると、それにハツセが答えたのか光り輝く六角形の板がまるで階段の様に現れた。


 「始めましょう。この【ハツセ】の使い方を教えます。まずは図上演習(シュミレーションシステム)で、そして実戦訓練へと。」


 空中に出現した六角形の板で構成された階段……軽やかに【ハツセ】が創り出したタラップを上る彼女に我らは続いた。運命の階段を上る選び取られた者(パレスチナのヤコブ)の様に。






―――――――――――――――――――――――――――――






 トラキア総督府、軍務室で私はいきなり担当者に書類を突き返した。


 「駄目ですな、動員体制に1分の隙すら許されないことです。ここは貴国の本土とは違う。戦争となれば老若男女総動員しなければ戦うことなどできません。特例を認めるなど以ての外です。」

 「しかし……」

 「しかしもヘチマもない! このゼークト、着任してより1週間で大日本帝国欧州領およびマケドニア全ての軍事的状況は抑えたつもりです。結果はお粗末の一言! 貴官等は偉大なるゲネラールの下で何をやっていたのか!? 再度動員計画を提出せよ、二時間後だ!!」


 悲鳴を上げた日本人を一睨みし、追い出すように退出させる。すぐさま片眼鏡(モノクル)を嵌め次の書類に。正直これで戦争をしようという方がヨーロッパ人、いや戦争狂と揶揄される我らドイツ人であっても悲鳴を上げたいくらいだ。トラキアの屯田兵31万、当然家族一族含まれるので兵士として使えるのは根こそぎ動員しても5万だ。初期の移民国家としてはなかなかの数字と自画自賛している馬鹿を蹴り倒したくなる。それは戦争が半年以内に終わるという超短期決戦であった場合の話だ! その半年以内にこの5万人は根こそぎ消耗し、使い物にならなくなる。
 敵対すると予想される国家はセルビア、ギリシャ、ブルガリア……これだけで超短期決戦という状況ならば70万もの大軍を動員できる。いかに質で優れようが12倍という馬鹿げた差では戦いにならない。だからこそ……


 一、敵を撃滅するより阻止することを念頭とせよ。軍民守るために土地を明け渡すのも策である。

 一、敵の目的、マケドニアの奪取までに本土戦力を投入するためエーゲ海制海権は何としても確保すべき。本土から十万の兵が来れば戦は終わる。

 一、局所的な勝利は有効である。結果後退しても華々しき勝利は味方の喝采と欧州の同情を得やすい。世界において小を持って大を倒すは勇者の証であり正義の発露と納得させやすいからである。戦術的勝利で講和条約時の列強裁定を歪めるだけの外交的勝利を得られるならばそれは戦略的な敗北すら補える。ただし注意せよ、兵士の消尽は正しく外交の敗北に繋がる。


 ドアが開き、入ってきた男に一瞥をくれる。その男、植民地軍軍服にイタリア憲兵隊の帽子をあみだに被った伊達男は気楽な物言いで話しかけてきた。

 「ご機嫌斜めですな閣下、彼らは良くやっていると思うのですがね?」

 「ロドルフォ憲兵大尉、良くやっているのでは意味がないのだ。良いではなく最高か最悪でなければ話にならん。ゲネラール……いや日本陸軍士官の大半が型に嵌まりすぎている。大組織なら兎も角、小組織で型に嵌まるのは弊害でしかない。」

 ロドルフォ・グラツィアーニ憲兵大尉、何故こんな男が植民地軍にいるのだ? と初対面の時に面食らったものだ。典型的なイタリア陸軍軍人(パスタやろう)、だが法律を運用する腕だけは大したものだ。硬軟取り混ぜて相手を丸めこみ煙に巻く、法律違反を犯した相手に最終的に自分は間違っていたと思わせてしまうのだ。典型的な人たらしである。
 オサカベ中佐からの話ではトラキアの兵器を採用するか否かでイタリア中が大騒動だという。少数精鋭部隊、山岳猟兵(アルピーニ)軍警察(カラビリエリ)機械化部隊(ベルサリエリ)といった兵科は積極的に採用を働きかけ、歩兵、騎兵、砲兵といった伝統兵科がそれを阻む。さらに双方に財界と工業界がバックにつき地域同士の対立も相まって混沌とした情勢だという。つまりこれは採用派の外交攻勢なのだ。欧州領に技術者としてではなく、単なる一時的在留者(ようへい)としてイタリア軍人を派遣する。それを対価に安くトラキア製武器を導入するというカラクリだ。事後承諾で既得権益にすれば反対派も迂闊なことは言えない。彼はそんなことを気にする風ではなく飄々と報告を始めた。


 「そのおかげでこちらは助かっていますよ。なにしろ脱走兵は皆無、規律は良く、民衆に悪さをする者もいない。こっちの仕事は大半は現地民の慰撫ですな。面白いのは女絡みがロクにないって点ですね。」

 「それはそうだろう。誰が自分より半フィート(15センチメートル)もでかい女を抱きたがる? 東洋人の身長と比べたらコンプレックスのひとつも出るものさ。かつて中国大陸からレイ? 礼か……を持ち込んだシャイで集団行動を金科玉条とする日本人には未だこの地は異国なのだからな。」


 机から手を離し膝を机の上に投げ出す。祖国で仕事中にこんな粗相をすれば不真面目軍人と非難されようがここで相手によって態度と行動を変えることを私も覚えた。ニヤリと笑ってロドルフォ憲兵大尉が書類を提出する。手に取り、本題を精査しながら私は質問を続けた。


 「上手くいっているようだな? セルビア、ギリシャ……そしてブルガリアの詳細な道路情報がこれほど簡単に手に入るとは。」


 「まったくローマ様々ですよ。金払いの良い列強旅行者、しかも古い宗主国ともなれば相手も態度を変えます。日本人だけなら警戒されてダメだったでしょうな。」


 その日本人の士官に民間人の格好をさせ東洋の旅行者を案内してやる享楽主義のイタリア人を演じて見せるのだから大したものだ。自動車の侵攻経路はただの土を敷き詰めた田舎道ではだめだ。基本どこへでも歩いて行軍する歩兵とは違いスピードが早くても使える道、いや大地は限られる。彼らの偉大なる遺産――ローマ道――なら申し分ない。履帯(ケッテン)を持ち短時間であればいかなる場所でも入り込める戦車ですら例外ではない。周辺国中の道路情報を手に入れれば機械化部隊にとって鬼に金棒だ。


 「しかしこれらをどうするつもりです。しかもこの道路にも使えぬ頑丈かつ平坦な地盤を探せとは部下も首を傾げていたんですがね?」


 彼の疑問には前に一度、補給物資の集積所と答えている。だが納得はしなかったようだ。彼の部下に兵站専門家がいるならば早々にバレるような事を言った私も迂闊だったがあえて聞いて来たのは『自分が役に立てるのではないか?』と考えた彼の売り込みなのかもしれない。注意深く言葉を選ぶ。


 「軍機だが君には話しておこう。車には揮発油(ガソリン)が必要だ。なければ百キロと走れん……馬と違ってな。それに対処するにはロドピ山脈越えでガソリンを運んでしまえばいいわけだ。」

 「ほう! 中佐も大胆ですな。心なき挑発にベッドまで上がりこんで説得する御積りで?」


 まさかゲネラールの構想をこれだけで想定してくるとはな。人好きのする。いや女好きのする会話を組み立てられるのは流石はラテン気質か? 思わず咳払いをしたが嫉妬ではないと強弁したくなる程だ。


 「下品な表現はやめたまえ。ゲネラールを電信機だけでで説得するにも苦労したぞ。国土だけ守れば国家の尊厳は守られると日本人は勘違いしている様だが、相手に抑止力を植え付けるのが最大の国家防衛策だ。」


 『日本人、この愛すべき甘ちゃん。』と朗らかに笑う彼が表情を戻すと深刻な声を上げた。顔に影と怒りの残滓がある。


 「ならあの新大陸人(アメリカーノ)共、何とかなりませんか? 奴等、ロドピ山脈中に取水路とダムを張り巡らせるつもりです。水の恨みは半端無い形で返ってきますぞ!」


 こちらも苦いものでも飲みこんだ気になる。アメリカ人……あの新大陸の能天気な独善者共は自分の国を開発する感覚で水を独占し、トラキアに注ぎ込もうとしている。己の利権よりも日本人の目を完全に己に向ける為、あの弧状列島を完全に大陸進出の橋頭堡とする為に。それがバルカン中の恨みを買っていることに気づかない。特にブルガリアだ、トラキアとロドピ山脈を挟んで北に位置する彼の国は農業国、大量の水資源を欲する。すでに二度、山岳部で暮らす現地民とブルガリアの国境警備隊が悶着を起こしている。


 「(己は強なり、大なり、故に世界はかくあるべし。)」


 問題はその矛先がアメリカでなく大日本帝国、いやトラキアに向けられてしまっていることだ。そして日本政府にそれをやめさせる力はない。それほど日本本土に乗り込んできたアメリカ資本は強大なのだ。善意というものは相手の思いひとつで容易く悪意に変わる。だからこそ世界各国は日本帝国で言う恩義ではなく利害で結ばれることを選ぶのだ。この国はあくまで特殊と考えた方がいい。


 「こちらとしてもトート博士に一言換言してもらう位しか出来ない。開発に手心を加えることはできても全体図を変えられないからな。」

 「では、総督閣下の言った通り戦争ですな。そしてこのトラキアの勝利の条件は水、すなわちロドピ山脈全ての確保。」

 「然り、そのために他を切り捨てようともだ。」


 静かに確認する我ら。私は一枚の紙片を彼に手渡した。そこにはこう書かれている。隣のソファに腰掛けて煙草片手に深刻な顔で紙片を睨めつける彼に私は言い放った。その紙片の概要は装甲旅団と書かれた編制表、そしてユーおばさん(タンテ・ユー)と書かれた航空機の操作教本の抜粋、

 
 「これが鍵だ。」






―――――――――――――――――――――――――――――






 トラキアに戻って早々、俺を待ち受けていたのはある特務士官との出会いだった。その後短い休暇を経て実働準備に入るらしい。なんという気忙しい着任だ。


 「鍵島特務少尉です。第108警護師団第13中隊石鎚大尉の補佐として着任いたします。」

 「御苦労、少し知りたいのだが何故士官候補生如きの俺が中隊長なんだ? もし総督閣下の……。」

「それは違いますぜ! “大尉”殿。」


 謹厳実直な顔が崩れ戦慣れした……傍から見れば中国大陸の侠に近い視線を向けてきた。特務士官てのは兵から出世して此処まで来る。いわば叩き上げ、士官候補生など鼻で吹き飛ばして当然だと思ったが、俺が聞き手に徹する事を感じたのか上官を上官を扱わないような容赦のない言葉で話を続けた。容赦は無いが野卑ではない。その点好感が持てる男だ。


 「…………先の中隊長の奢り飯で中隊士官全員が腹を下しましてね。ええ! 背後からの急襲により中隊士官全滅の有様ですな。こちらも面倒が見きれるほど部隊下士官がいるわけじゃないんでデキの悪い奴は容赦なく放り出します。そのつもりで、」


 良かった。爺様のコネで戦争ごっこ、挙句に昇進するなど腹にすえかねる。軍隊は苦手だし戦は嫌いだが、それ以上に嫌いなのは己に卑怯かつ怠惰であることだ。


 「で……我ら士官候補生如きに下士官兵が付いてくるのだろうか? 訓練未了、経験も碌にない我らは見学に徹し、戦のやりかたを覚える方が良いのだろう?」


 本来、御国の陸軍はそういうものだ。士官候補生は一度下士官に任官して地元の駐屯地に配属、経験豊富な兵に上官としてのありかたを叩き込まれる。さらに年次が上がると今度は士官候補生として実戦部隊に配属、今度は直属の下士官に士官としての在り方を仕込まれる。俺達はその殆どがすっ飛ばされた、理由は簡単。それほどまでに先の戦・日露戦争が激しく、陸軍の再戦力化の為に呑気に教練等やっている暇がないのだ。案の定というよりそれを斜めに裏切るような現実を特務士官が突きつける。


 「できればそうしたいのですがね……正直兵が慣れていないんですよ。村から離れたこともない連中がいきなり徴兵され、訳の分らん訓練を体に焼き付けた後、いきなりトラキア行きですぜ。型どおりの動きしかできません。案山子(へいし)共を怒鳴り、殴り倒してでも指揮する人間が必要なんです。それを行える柔軟な頭をもった人間といえば貴方がた、士官様しか見当たりませんな。たとえ殻から出てきたばかりのヒヨコであってもね。」

 「それを先任が言うのもどうかとは思うんだが。」


 私の内心での呆れを察して彼が口を歪める。そう、下士官や兵では戦うことはできても戦闘を始め、そして終わらせることはできない。それだけの視野や権限だけでなく、教育を受けていないのだ。士官を()られた部隊がいきなり総崩れになったり、逆に自暴自棄の戦いを繰り広げ敵味方に大惨事をまき散らす。指揮する、いや部隊を仕切る者がいなくなったが故の悲劇だ。アイツが戦った旅順でもこれが起き、単なる殺し合いにも等しい地獄が現出されたという。是が非でも先任の言うとおり士官様に来ていただかねばならない。それでなければ部隊の下士官兵は勝っても負けても皆無駄死にすることになる。


 「解った、命令であるし厭も応も無い。第13中隊長拝命する。……俺は良いのだが残りはどうするのだ?」

 「星野候補生殿は是非とも機動警備中隊に回してくれと浦上閣下が……なんでも奢り飯で全滅した士官の中にそっちの士官様も交じっていたようで。しかも中隊長御自らとか?」


 酷い話だが逆に苦笑したくなる。あの星野がいきなり中隊長の代役? 機動警備中隊とは戦車部隊の別名、いきなり戦車部隊指揮官・星野エリート大尉様だ! 後でからかってやろう。


 「後は上井と教口と……いや教口は猪突しやすいから分隊長にした方がいいな。富永は元気がいいから先鋒っと。」

 「中隊長殿! ちょっと待っていただけますか?」


 何だろう、百戦錬磨の特務士官が何故慌てた顔をする? 彼は言いにくそうに話し始めた。


 「富永候補生は外していただけませんか? どうも勢いだけで周りが見えず、土壇場で恐慌を起こしやすいと……初戦で士官様が参られると兵が総崩れになります。」

 「そんな訳ないだろう? 多少大口は叩くが訓練でも優秀だし頭も回る、事務能力は随一だ。俺と違って陸大(陸軍大学校)通って参謀本部行きの逸材だぞ。富永の考課にそう書かれているのか?」

 「いえ……御嬢様の意見です。閣下も躊躇しながらも懸念を口にされました。」


 ハァ? アイツなら兎も角、姉貴の意見?? いつから陸軍は部外者の言いなりになったんだ!?


 「とにかく富永は外せとのお達しです。」

 「それは拒否だ、命令違反だとしてもな。」


 断固とした態度をとる。依怙贔屓で士官を選別するなど言語道断だ! 能力が足りないのなら致し方がない。能力がそちらに向いていない人間は頭を下げて辞退してもらうこともある。だが、海の物とも山のものとも解からん士官候補生を揃えて、その中の一人を問答無用で戦力外通告等許されることではない!!
 先任がじっとみている。不味いな、何か裏があるとしか思えん。もし俺が完全に特務の要請を拒否したらそれは命令に変わり、あいつは問答無用で征京に帰らされる。安全の為で済む問題じゃない! そんな事をしたら富永の人生はおしまいだ!! 本物のエリートなんだぞ!!! 唇を噛みしめて反論する。


 「つまり先鋒から外せということか? じゃあ装甲炊飯小隊の主計長代理ならどうだ? 彼も倒れて病院送りだし、今から行く場所で住民の慰撫や宣伝活動なら戦闘になる可能性は低い。だがその代わりこの任務での一番手柄は彼だ。俺じゃないことにしてもらおう。」


 呆れたように先任が口を半開きにした後。彼は溜息をついて肩をすくめた。


 「本当に良く似てますよ橙子御嬢様に。全く勝手気儘だ! 八年前、皇軍中掻き回されたことを思い出します。」

 「よしてくれ、あの暴力姉貴と一緒にされるなんざ金輪際ごめんだ。」


 ふと気付いた。八年前? 日露戦争の時か?? 尋常小学校の姉貴がアイツのオマケで満州に行ったのは姉貴から手紙で良く認められている。単なる物見遊山だろうと思っていたが姉貴なにをやらかしたんだ?? 
 書類の中の編制表、勿論軍機もあるから今写した紙片を頭に叩き込み燃やしてしまう。炭もバラバラに踏み砕いて風に舞わせる。第13中隊、アイツの指図だろうが正直数の多いことは有難い。本来の5割増しの数に加えて全てが御国の最新兵器を装備、中隊にひとつ付けば精々の重火器小隊に至ってはふたつもある。しかも御国の正規師団ですら3つしか配備されていない装甲炊飯小隊まである。実質増強中隊といったところだ。頭でどう運用するか考えていると喚起する言葉が聞こえた。しまった、思わず夢中で先任の言葉を聞き逃したか。


 「臨時中隊長殿!? 指揮官を楽しみたいのはよっく解りますが、まずは休暇ですぜ! 休む時に休んでおかないと緊張の糸ってもんは簡単に切れるもんです。……まずは(命の)洗濯とトルコ語の実地研修ですな。士官候補生全員集合させて頂けますか?」


 何のことだろう。彼はクンクンを俺の前で鼻を鳴らし得心したように答えた。数日後イスタンブールの外国人居留区、ある館で俺達はそれを思い知らされた。体力も懐もガタガタにされたというおまけを残して。





 あとがきと言う名の作品ツッコミ対談




 「どもっ! とーこです!! あーあーあー……初っ端からアルペジオ全開じゃん。何考えてるのよ作者?」


 ども、作者です。いよいよ4章に向けて全てのプロットで助走が始まっているからね。最後のプロットがこの14話で動き出したと言う事。霧VS霧の橙子側がこのメンツになった。今回から訓練開始だから実戦投入までもう一年ない。忙しいぞ。


 「解っちゃいたけどなんで南雲さんな訳? 二水戦の田中閣下でもいいし他にも候補者いろいろいるでしょ?? 態々史実の問題キャラばっかし集めちゃってさ。」


 うーん、その点もあるけど海兵でのこのあたりで太平洋戦争前で現役でしかも車引き(駆逐艦乗り)に特化してるのが彼くらいしかいないのよ。太平洋戦争の実戦指揮官の大半がまだ中学生だわな。そこで痛恨事があってね。一章で乃木パパ&高野君の砲に敵弾直撃する描写あっただろ。あの直前に彼が報告して扉閉めた瞬間にドカンの予定だったのよ。だけど余りに長く間が空きすぎるから削除。今になって後悔してる。


 「バカがバカを修正してバカを露呈したとしか(呆)、じゃツッコミその一行くわよ! 一章以来誰もかれもが忘れていると思うけど総旗艦の名言が再度登場したわね。」


 そうだよ、拙作では霧の物語スタンスにはこの艦隊総旗艦【ヤマト】と今回のオリジナルとも言える霧の考えが車の両輪のように回りながら物語を構築している。しっかし困ったもんだ。向こう側に【ユキカゼ】いるじゃんか。


 「でた! 作者最大級の大失策その一!! こっちでもユキカゼ出しちゃったしねーどう整合性取るの?」


 一つの考えとしてはコアユニットごと向こう側にいる霧の大元が作りなおしたと考えるべきだろうね。イレギュラーな事態だしさすがにこの時代のユキカゼが150年間存在し続けるとイオナよりユキカゼの方が戦術アップロード画面の親として適任になっちゃうしな。


 「コアユニットが次元及び時間転移したのは作品で語っているから並行次元世界というスタンスなのかな? アルペジオとリコンストラクトは。」


 そうだね。アルペジオ側の人物は恐らくこの拙作の後の時代においても出るだろうけど役割は違った物になる可能性は高い。それ以上なのが歴史上の人物なんよ。


 「へ?」


 じーちゃまが改変しすぎて世界歴史が滅茶苦茶になっただろ! こうなると第二次世界大戦、つまり失われた勅命の配役すら変わりかねないと言う点だ。


 「ゲー! どうすんのよ作者!! 第2部のプロット大混乱なんでしょ!!!」


 否定しないが元々原作でも『書かれない歴史』ぽぃからな。追々進めていくよ。


 「心配だなぁ。さてツッコミその2 なんかゼークト閣下が欧州領軍仕切っているし。統帥権干犯モノなのに大丈夫なのかな?」


 御雇い外国人……だろ。そもそも軍人待遇であって本物の軍人じゃ無い。でも日本人社会にとってこう言った存在は強いぞ。従来の命令系統に居ない別格の顧問官……軍師って戦国時代そういった名前すらない脇役の存在なのに何故か本来の指揮官より目立つだろ? 正式な権限を持たないNo2が日本における権力者ってのは確かだしね。それにゼークト閣下をこの位置に付けたのは日本軍の将官と違って『全体像を見て枠を作り策を練る』タイプだと思ったのさ。


 「何のことか意味不明……。」


 日本軍の欠点は指揮官の型に嵌り過ぎる思考回路にあるってなんかの本で読んだけど枠に嵌る事自体は問題ないのよ。そうでなきゃ軍隊組織が崩れてしまう。作者が問題視したのはその上『全体像を俯瞰』できる戦略家が必要ってこと。此処に値する人間を作れなかったのが旧日本帝国陸軍の最大の欠陥だと思う。まー無理だわな『出る杭は打たれる』日本のお役所にそんな天才送り込んでも機能しないから。


 「むむ……ということは俯瞰できる立場の人間をあえて顧問扱いで置き、じーちゃまの後ろ盾という威光で正しい枠を作らせるのがゼークト閣下の仕事って事?」


 良くできました。実際市販の仮想戦記読んでも軍人としてありえないような思考回路の軍人ばかり目にしてきたからね。あくまでそんなフレキシブルでアグレッシブな軍人が重用されるのは小国どまりなのよ。まーそんなこと書くと面白くないから世の作家様方はあえて端折るんだと思うけどね。


 「また天の邪鬼的な発想よね。じゃツッコミその3 やっぱ彼か。作者が決めつける帝国陸軍最大の愚将……解らんでもないけどこんなやり方じゃ橙洋反発するだけだよ。どう見ても説得失敗前提で鍵島さん話しているようにしか見えないや。」


 脅しという面が強いだろうね。『彼に気をつけろ』が伝言ゲームで拡大しちゃった感じ。じーちゃまも橙子も状況違うしで一応注意をが、鍵島さん『御嬢様の弟なんだから万が一があっては』で先走った。最悪失敗しても自分の失言になる様にね。特務士官だからそういった気の配りが出来ると考えて配置したのさ。


「ん〜〜〜〜?」


 良く解らない顔してるな。まだ明治の世の中で「軍人が女に守ってもらう」なんて噂が知れたら面子丸つぶれだ。なんだかんだで噂になっちゃうくらい橙子は橙洋に甘いのよ。それは暴力姉貴という橙洋の口のきき方で伝わるようにした。基本橙洋のセリフで対抗すべき者や敵はアイツとか代名詞使うようにしているからね。じーちゃまなんてその典型。でも橙子に対しては橙洋は何かと押しかけてくる苦手な相手と一歩内に入った考え方してる。なんだかんだで血の繋がりのある姉弟なのよ。まーそれを書ききれなかった作者もポカだけどね。


 「?」


 旧悪を晒すけど橙子から橙洋での手紙と称した文節があったのよ。余りにも体が痒くなり現在其の文節自体を挿入できない状態だけど……


 「それってつまり……」


 ……国語優良なじーちゃまの添削もあるから文章も難易度高いだろうし、どうしたとーこ?


 「話完成させずにアップしたのかこのバカ作者―――――!!!(怒)」


 暴力姉貴がオツに澄ましてあんな文章書くかっつーの!!!(怒)
 

(轟音と悲鳴が数度ばかり交錯)



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