毎年わたしは八か月をトラキアで、四か月を帝都で暮らす。御爺様も同じ、もうそれが6年目になろうとしている。もうすぐわたしも女子師範学校生、わたしに合わせて御国の学習院大学校も着々と女子学部を増やしている。
 本来あり得ないこと。学習院大学、皇族・華族の御歴々が通う名門中の名門。知識で知った御国が破滅の坂を転がり落ちていった時代の御上である迪宮裕仁親王殿下が下級生にいる。本来男子選任の大学校が男女共学に向けひた走っているのだ。

わたしの為に

 わたしは世界を歪めているのだろうか? それとも起こりうる『現実』を先取りしているだけに過ぎないのだろうか??
 二型大艇の行き足が止まった、桟橋に機体が繋がれ舫い綱(もやいづな)が掛けられる。四つのエンジンが順序良く停止し、操縦席の機長が指示を飛ばしているのが解る。念のための処置、この機体の主要部分はナノマテリアルで編みこまれ、索敵ユニットが統御している。万が一御爺様に危険が迫っても、この機体そのものが旅順(ようさい)と化す仕掛けだ。
 キャビンアテンダントさんが到着の挨拶をしている。外来語も日露戦争の時に比べてずっと増えた。東京のハイカラな街区では片仮名や英文の文字が見れるらしい。御爺様が立ち上がった、私も席を立つ。イタリア軍人さんから貰った小さな鞄を肩から提げて大きな旅行鞄――自身の予備マテリアルの塊――を引っ張る。後ろの真瑠璃ちゃんも鞄に手を伸ばしている。
 全てが始まった9年後、日露戦争が終わって8年……帝都、そこは秋に染まっていた。




―――――――――――――――――――――――――――――



 
榛の瞳のリコンストラクト
   

第3章第15話








 米国製の大型乗用車の中で儂はひとつ溜息をつく。思えば日露戦争が終わって8年、あの時とは何もかも……いや、『橙子の史実』すれば異様な程に帝都は変わりつつある。上空から見下ろせば大都会の倫敦(ロンドン)や摩天楼が空に向かって屹立しつつある亜米利加紐育市(ニューヨーク)に比べれば貧相な木造建築物の集合体にしか思えないだろう。
 内実は違う、東京湾沿岸や横浜には外国資本の工場が立ち並び、浜辺から内陸に向けて労働者たちの均一な集合住宅(アパートメント)が立ち並ぶ。帝都の大学街、夜街の表側である繁華街では西洋風の店舗が軒を連ね欧米の衣料、雑貨が所狭しと並べられる。かつて初めて儂が未来を知る手段となった映画(シネマ)も、欧米人によって商品化され御国はおろか世界中が興奮の中にある。映画館から出れば喫茶店(カフェ)に立ち寄る人々も多い。一時は恐慌と混乱、そして未来への不安で狂った人々の顔は外国資本の参入で好景気のおこぼれに預かり、喜びと安堵に変わっていったのだ。

 儂が為した事

 勿論良い点ばかりではない。都市への人口流入による農村の荒廃、地方都市の没落、拡大し続ける貧富、穏やかな自然を(ことごと)く損なう環境破壊……数え上げればきりがない。車が制動版(ブレーキ)をかけ急停止する。隣の橙子が背もたれに頭をぶつけた。不満気に櫛を取り出し髪を整え始める。大方街の眺めに夢中で、前を見て居なかったのだろう。運転手に尋ねる。


 「どうしたのだ?」

 「いえ……どうも渋滞中の様で申し訳ございません。」

 「構わぬよ。時間の余裕は持たせてある。」


 静かに待つ。確かに所要山積だが無理をすれば道理が通らぬ。橙子は髪を()き終えるとまた窓の方を向く。娘らしくはなってきたがまだまだ子供だ。考えていることなど手に取るように解る。知ってか知らずか孫が口を開いた。


 「御爺様、所要多いならば歩きましょうか?」

 「大騒ぎになるぞ? そしてお前の思惑など群衆にあっというまに踏み潰されるだろうな。」

 「う――。」


 止まっている前の茶屋から出来たての饅頭の良い匂いが漂ってくる。だが儂等二人が連れだって歩けば店内も店外も騒動だろう。もう少し待って動かないようなら運転手に頼むことにしようか――と考えていると車列の前方で騒ぎは起こった。
 何度も鳴る呼び笛、逃げてくる男とそれを取り押さえる羅卒(けいかん)逹、それに喰ってかかる群衆を力づくで黙らせる方楯と警棒。激しく抵抗する男、おそらく弁士だ、彼に縄を掛け引き立てようとする。


 「治安維持法4条9、国家転覆を目的とする民衆教唆の疑いで逮捕する!!」


 羅卒に追い散らされる群衆の中から激しい抗議と罵声が飛ぶ。辺りを値睨(ねめ)つける巡査の一人が窓越しに儂の顔を見て慌てて駆け寄ってくる。儂も車の窓を開く。


 「閣下、申し訳ございません。すぐ車列を開けさせます。オイ! 何をしている!!」

 「構わぬよ。しかし困ったものだ。」

 「ええ! 困ったものです。全く原総理自ら『国民に自由闊達な議論を。』と言ったのにあんな大馬鹿の極論ばかり。何が攘夷だ! 現実も解らぬ愚か者め!!」


 答えに窮した。彼と私、考えていることが違いすぎる。そうなのだ、儂は未来のことを思い描いていた。私が為した未来はこんな者を生みだす結果になってしまったのかと。しかし巡査は違う、今を見ている。この世で御国が世界から弾かれかねない言動を行う男に本気で怒っている。
 車が走り出す。その会場の横を通り過ぎる時、巡査の宣った通り、扇情的な言葉が並んだ旗幟(はたのぼり)が翻っていた。


 【尊皇攘夷再起】

 【亜細亜解放】


 思わず呟く。孫が不審そうな顔をして振り向いた。


 「馬鹿共め。」





―――――――――――――――――――――――――――――






 最初に向かったのは山県侯の椿山荘、相も変わらず毒舌と罵り合いと皮肉の応酬だったが伝えることは伝えた。ただ、侯は動くつもりはなさそうだ。あれでも元維新の志士、命の危険も省みず正面突破の御積りだろう。
 次に向かったのは場所は予想外ともいえる状況になっていた。立見尚文大将、儂の台湾総督職を補佐し、日露の戦では第8尖兵師団を率いて旅順・奉天を駆け回った僚友、佐幕の位置にいるが運良く排撃の対象にならず出世を続けた。なにより奉天が終わった直後から強引に国に帰らせ養生させたのが大きかったかもしれん。史実では日露から二年も保たず世を去った彼がここまで生きたのだから。
 しかし、ここまでだった。布団から辛うじて身を起こした彼にはありありと相が浮かんでいた。『死相』というモノが。余力全て振り絞り蒲団から体を起こした彼が言う。その言葉は悲嘆と言うよりも絶叫に等しい現実だった。


 「閣下……申し訳ございません。あれほど、あれほど! 言葉を尽くされておきながら馬鹿共の跳梁を止めることはできませなんだ!! 誠、まっこと申し訳ござりませぬ。」

 「言うな尚文、儂が甘かっただけのこと。国豊かになれば飢えた妄言より未来の生活を求める物と早合点しておっただけだ。そしてやはり彼らなのか?」


 橙子は隣室にて保典と話している。この場は彼たっての願いなのだ。末期の水を儂に汲んで欲しいと。そして場を外した2人は彼と会っている筈。まさか彼にあんな爆弾を落としていたとは予想外だったが、こんなところで彼を巻き込むわけにはいかぬ。最後の命を絞り出すように尚文は言葉を続ける。


 「二十三年後の彼らには彼らなりの憂国も正義もあったのでしょう。しかし! それは独善と無責任の羅列でしかない。今度はそれを元凶たる彼らが実行しようというのです。御国に不可能は無い、日露は運が悪かっただけなのだと。」

 「すまぬ……儂が世界を、史実を変えたが故に。」


 断腸の思いだ。御国を亡滅の坂に転がり落とすあの災厄が今まさに動き出そうとしている。問題なのは彼らを今捕らえても何の解決にもならぬ事。できうる限り最高の機会で彼らを捕え、罪を明らかにし……そして国民全てに今の世界を認識させる。あの上役の思い通りになって堪るものか! 
 確かに国敗れた後に御国は未曾有の繁栄を遂げた。しかも全世界が羨み、嫉妬するほどの繁栄だ。だがその前に幾千幾万の命が草生す屍、水漬く屍に変わったか!!
 史実を知ったのであればそれを防ぐ。未来の繁栄など子々孫々の努力でどうにでもなる。今まさに開かれんとする破局を防ぎとめることこそ、あの雪の日に満州で起こった惨劇を償うことになるのだから。何かを察したように尚文が無理やり笑みを作る。彼の眼の焦点が定まっていない。光が消え(めしい)たか、そう思うと同時に彼は穏やかに言葉を紡ぐ。


 「懐かしいですなぁ……旅順、奉天、あの大地を埋め尽くす程のロシア兵相手に苦闘した日々。それでも我々に笑いが絶えることはなかったし、目指すものがあった。そう……目指すものがなんであれ坂を登っていける。そんな足と意志を信じて歩き続けましたなぁ。」

「…………尚文。」


 ゆっくりと彼の体を床に横たえようとする。彼の体から急速に命が零れ落ちているのを感じるのは儂が異形と化したからなのか? 彼の細君、息子娘達のすすり泣く声が聞こえる。申し訳ない思い、そして誇らしい気持ち。彼の最後を儂が看取るのだ。


 「閣下、一足先に逝かせて頂きます。なにしろするべきことは多すぎますので。これから先に逝った兵共を鍛え閣下の御到着までに揃えねば……きっと閣下も私もいないことでだらけておりますぞ……また心躍る戦い、見せてくだされ。」


 最後の命が零れ落ちたのを見届け一礼して席を立つ。号泣する彼の家族にも一礼して部屋を辞した。




◆◇◆◇◆





 家紋の入った黒の羽織袴、父上と再会し今、姪と控室に座っている間に大柄な白人男性に問いかけられた。向こうも黒ずくめの喪装に黒の蝶ネクタイを締めている。


 「ご機嫌ようミス・トーコ、そちらの方はメイジャー(少佐)・ヤススケ・ノギですか?」


 私ではなかったようだ。姪が頭を下げ英語で私を紹介する。そのあとに私に彼、ダグラス・マッカーサー少佐を紹介する。来年師範学校に上がるだけの器量は身につきつつあるな。そう思った。素に戻ればまだまだ我儘一杯の子供だが公私の場をわきまえるだけの分別と教養は持ち合わせれるようになったか。
 父上が話した惨劇とその後は私も震え上がった程、いやその惨劇はまだロシアで続いていることを考えるともはや乃木家はおろか御国全てでも償いきれぬ程の規模なのだ。純粋さとはその方向ひとつで角も恐ろしい物と思う。それを起こした姪は償うことなど出来る筈もなく、延々その咎を背負い続けるのだろう。


 「ところでミスター・マッカーサー、貴官は何故ここに?」


 不思議に思った。陸軍三顕職の一、教育総監を務めた立見閣下と彼にどんな関係があるのだろう? 姪が通訳し彼が答える。


 「以前より立見閣下とはアメリカ陸軍戦車設計局との会議を持たれまして何度か顔見せで、本日は鮫島閣下から話を聞き慌ててこちらへ……だそうです。」


 成程、父上の差し金か。その後もマッカーサー少佐と姪が何か話している。思わず姪の口から笑みが零れた。ぶしつけながら聞いてみると以前カフェで奢ってもらったチョコレートなる菓子を軍用糧食とする件で彼が菓子会社と軍兵站部で綱引きの対象にされ大騒動になったとの事、しかも利権の匂いを何処で嗅ぎつけたのかマフィアも加わって、銃撃戦の中逃げ出したこともあったらしい。肩を竦めて手を挙げおどける彼が妙に様になっている。軍人というより役者(はいゆう)と言った方が彼らしいかもしれない。
 泣き声が上がった。居住まいを正し両手を合わせ念仏を唱える。隣では姪も手を合わせマッカーサー少佐も黙祷し十字を切る。
 父上が戻ってきた。我らも多忙だ、ここで愚図愚図していられない。私は第2師団司令部へ状況を報告しひと月後には空の人、父上は父上ですべきことが山のようにある。後4カ月後、父の見立てではそれが起こる。最後に父上がマッカーサー少佐に尋ねた。


「時にダグラス君、米陸軍参謀本部付になった君が何故また日本に? そこまで米国も人使いが荒いとは思えぬのだが??」

 「大騒動をやらかしましてほとぼりを冷ましてこいと、新設の第1騎兵連隊付士官として満州に赴任です。当分はここで訓練、三月には大連に渡ります。」

「ふむ、訓練中に多少騒擾があるだろうが軽挙妄動無きようにな。保典、念の為に二師(第二師団)にも横須賀の亜米利加戦車揚陸艦の件、一報入れておけ。……それでは、失礼する。」

「?」


 不思議そうな顔をする彼を尻目に我らは邸外の円タク(タクシー)に乗り込んだ。





―――――――――――――――――――――――――――――






「橙子ちゃんおひさしぶりっ!」

「いおりちゃん元気だった!?」


手を取り合って再会を喜ぶ二人、私も数日前、校長先生に留学の報告を終えてほっと一息だ。話す言葉は全部外国語、外国の習俗、考え方、なにもかも目新しく不思議な体験だった。毎年あの国に帰る橙子ちゃんがどんどん垢抜けていくのも当然だと思う。……ちっちゃいのは相変わらずだけど。


 「でもいいなぁ! 真瑠璃ちゃんは外国留学できて。私なんて写真でしか見れないのに。」

 「外国じゃないよ? ちゃんと日本の一部、大日本帝国欧州領虎騎亜、勉強したでしょ。」

 「御国を離れて幾千里♪ ここは虎騎亜大王の領♪♪」

 「もう!!」


 戯れ歌真に受けちゃって、でも仕方が無いことだと思う。欧州にも飛び地といって祖国の外側にも本土扱いになる土地がある。でもそれとは規模も距離も比較にならないほど遠い世界、それが日本にとっての欧州領なの。いくら日本本土といっても市井の人々からすれば遠い世界、酷い言い方になると植民地と蔑視する人もいる。新聞でも欧州の人たちが米国の人たちを馬鹿にする言葉『植民地人』を平気で使うこともあるのは悲しい事、同じ日本人なのに。


 「でもすごいね、乃木閣下は今度、征京に天守閣を建てるんだって。しかも! 廣島の天守閣をばらばらにして向こうで建て直すってすごい騒ぎだよ。」

 「うん! 廣島の軍駐屯地を拡張するって御爺様話してたからその関係かな? 熊本とずいぶん競り合ったみたい。」


 そう、本来は城下の誇りである天守閣を売り飛ばすなんてお役人も市井の人たちも絶対に認めない。でもお金の為には四の五の言えなくなってるの。帝都、横浜、大阪、神戸……外国と繋がる大都市は良い方、欧米の資本が入って働き口が増え、給金も上がり豊かな産物が市場に溢れる。でも取り残されていく地方都市は? 大都市に若者が働き口を求めて流れ出し、輸入される安い農産物に押されて庄屋のような大きい農家までも田畑を畳まねばならない。地主たちが集団で陳情に上京する『地主争議』が全国で起きていると新聞に出ていた。地方はお金のある存在……橙子ちゃんの御爺様である乃木総督閣下に陳情に上がるのは当然なのだろう。いまや欧州領は御国の財源の2割を賄える大金庫なのだから。総督閣下は無駄遣いをしないことで有名だからなにか使い道があると考えておられるのかも。


 「でも御蔭で閣下の周りは不穏よ。欧州領は欧米とつるんで御国をないがしろにしているとか。政府の建物に血判状が投げ込まれたってさっき伊藤さんが話していたわ。」

 「え、みんな豊かになれるし戦争の後に比べれば国民総生産も国民所得も鰻昇りでしょ? 成長率だって……」

 不思議そうに頬に指を当てて首を傾げる橙子ちゃんだけどこれが彼女の悪い癖何でも数学でまず考えてしまう。数字は重要だけど絶対じゃない。しゃがみ込み彼女の両肩に手を当てて私は首を振る。

 「そうじゃないの。豊かになってく人ばかりじゃない。零れ落ちていく人たちも多いの。私達はそういう人たちを見捨ててはいけない。そういう零れ落ちていく人たちの血と汗で私達は生きているのだからせめてその涙だけでも掬い上げなきゃならないの。解る?」


 橙子ちゃんがコックリと頷く。そう総督閣下や政府だけじゃ無い。帝都に蟠っている不穏な気配。養御爺様に帰って早々『当分寮で暮らせ、屋敷にも家にも戻るな。』そう言われた。この学校もおかしい。帝大ならともかく、名門とはいえ私立の大学校に【海軍陸戦隊】が常駐している。友達の『海軍さんも貧乏なのね? 大学校の警備に駆り出されるなんて。』そんなくすくす笑いに一喝したい位、

何かが起こる。


 「ねぇ、橙子ちゃん。御爺様から何か聞いていないの? 軍機とか話せないならいいけど。」

 橙子ちゃんもうーんと考え込んでいる。もしかして図星だったのかしら。いおりちゃんも『無理したらあかんよ?』と注意した。意を決したように橙子ちゃんが私達の耳元でひそひそ話をする。私といおりちゃんは顔を見合わせた。
 総督閣下は二月に行われる冬の合宿で戦争ごっこでもするのかしら? 妙な気分を振り払うようにいおりちゃんが明るい声を出す。


 「変な話はここまでっ! 授業終わったら御徒町いってみない?アメリカの商店ばっかりだから面白いよ!! もうアメ横って渾名がついてるくらいだし。」

 「いきたいいきたい!! 明日は向こうの国の聖者のお誕生日なんだって。凄い賑やかって聞いたよ?」


 いおりちゃんと橙子ちゃんのかけあいに笑いながら私も話に加わる。私達には遠い世界の話、そう割り切った。





◆◇◆◇◆






 私は気付くべきだった、乃木総督閣下、養御爺様である山県有朋閣下の御考えに。そうすればあの惨劇を防ぐ術はあったのに! そして私が大日本帝国欧州領で生きる理由ともなったあの事件をこの時私は絵空事としてしか思っていなかった。






―――――――――――――――――――――――――――――








 正月も終わり今日は学習院の合宿、それが終わればわたしはまたトラキアに帰る。東京では珍しい二月末の雪、この雪を最後にして帝都も再び春が近づいて行くのだろう。 しんしんと降っている淡い雪の中、椿の蕾が重そうに雪を被っている。学舎の中、わたしは歩く。四時間ほど前は宿直さんの雷が落ちるまでみんなでわいわいお喋り。雷が落ちてからも布団の中で小一時間ほどひそひそ話が続いた。
 柱時計が二つ鳴る。厠はついで、御爺様に言われたように廊下を歩いて外に出、御爺様の東屋に向かう。特別講師という扱いだから御爺様は宿直室や今回の合宿の先生達のように校舎で寝泊まりしているわけじゃない。質素な六畳と二畳の家、その外で御爺様は待っていた。薄く積もる雪の中、植民地軍の軍服を纏って。


 「御爺様、参りました。」  「来たな、橙子。答えは出ていないようだな?」


 答えに窮する。御爺様が何度か下された指示。横須賀鎮守府、仙台の第2師団、名古屋の第3師団へ量子通信の可能な索敵ユニットを橙子の形で配属しておくこと。東京湾に「ウネビ」を配置し全ての船の記録を取り報告する事、他にも色々……
 今夜遅く横須賀海軍陸戦隊が配置交代で来ていることも解っている。業務が終わった兵隊さんたちは明日帰隊するのだろう。今日の夕餉は何故か農家や市場から肉野菜を持ち込んできて鍋宴会の“惨事”になってしまったらしい。明日の御飯と御味噌汁は私達の料理実習品になるんだろうな。埒もない事を考えてしまった。結局わからず仕舞い。正直に答えて謝る。


 「解りませんでした。申し訳ございません。」   「ふむ……」


 仕方が無いと考えるふりをして。御爺様が自らの肩を叩く。コートに上から少しだけ積もった雪が零れ落ちる。曇った空を瞳だけで見上げるようにして御爺様は言葉を紡ぎ始めた。


 「二十三年後のこの日もこんな静かな雪の夜だったそうだな、橙子? あの一件は儂もお前の上役からの資料で一通りの事は解っておる。皇軍最大級の不祥事、如何に御国が腐ろうと刀に鎧に意志を持つことは許されぬ。なぜならその腐った御国で死に物狂いで働く民草に我らは食わせて頂いているからだ。厭なら辞めれば良い、死ぬ物狂いで働く者と同じ目線で働き、不満を国民として上げれば良い。その為の国民国家……」


 よくわからない。そんな道義的な話をされても……不満そうに口を尖らそうとすると。ばたばたと陸軍中尉が駈けてきた。


 「閣下、欧州領より急電です。『獅子と白鷲と蛮人が盟を結んだ。』さらに『天使と2重の王冠が復仇を誓う』以上です!

「どいつもこいつも戦を欲っしおって……莫迦の行列にそんなに加わりたいか!」


 駆け去る彼を見送り、溜息を御爺様が一つ吐いた。一つ毒吐いた声も聞こえた。
 初めの文は解る。獅子はブルガリア王国、白鷲はセルヴィア王国、蛮人は英雄ヘラクレス……すなわちギリシャ王国の国章だ。バルカン三国同盟が結実するならばその狙いは明らか、私達大日本帝国欧州領・トラキア! でも後ろの文は? 先回りするように御爺様は嘲る様な声を上げる。


 「フン! 天使と言えば旧フランス王国の国章、2重の王冠は言わずと知れたオーストリア=ハンガリー帝国の事よ。二国の復仇先は間違いなくドイツ領アルザス・ロートリンゲン地方とシュレージェン地方だ。……もう一度言うぞ、今日は何月何日だ?

 「2月に……」


夕餉の時に聞かれた言葉だった。何の気なしに答えた言葉。それが詰まる。今御爺様が放った皇軍最大級の不祥事……其の単語が喉に詰まる。いいえ、まるで喉がそれを言葉にするのを拒否するように。やっとの思いで口にする。


にーにぃろく(2.26)……事件」


 何故? 何故!? こんなことに。二十三年も先の事が何故こんなにも早く!! 
 頭で割れ鐘のような音が響き耳が痛い。私が、私が世界を砕いたから?? 御爺様が嗤っている。昏い笑みを浮かべ哄笑している。その言葉一つ一つもはっきり聞こえる。


 「陛下、やはり儂は何時の世も、何処まで行っても咎人のようです。ならば精々楽しむことに致しましょう。此の世の地獄で足掻き続けましょう。命尽き、名も無き溝で息絶えるまで戦いぬきましょう。それが儂の償いです。」


 植民地軍所属を表す漆黒の軍服、いえ“ドイツ第三帝国総統直属兵団・武装親衛隊”をモチーフとした軍服を纏った御爺様は誰よりも美しく、そして恐ろしかった


戦争が……始まる。








 あとがきと言う名の作品ツッコミ対談




 「どもっ! とーこです!! ようやく第三章も最終話かぁ〜。長かったわね作者?」


 ども、作者です。とーこが申す通りこの第三章はとんでもない難産になりました。まさかプロットにまさかアレ(今回)が挿入されたおかげで4章が本土とトラキア、仮想戦記とアルベジオを同時展開するというありえない事態になったからね。まだ下書き中だけど話の分量のバランスが不完全のまま投入になりそう。


 「おーぃ! それを言うかフツー? 作品投げたと同意義だぞ!!(砲口径拡大中w)」


 まーとにかく頑張る。先ずは外伝だけどね。そっちも四苦八苦、なにしろアルペジオにおけるメインのメンタルモデル総出演だから。


 「は?」


 だから前にも言っただろ。『大海戦』を書く。しかも『あきつ丸』視点も入ってる。


 「ちょ! ちょっと待って! それ矛盾してる。其の頃にはまだメンタルモデルは存在してないよ。読者の皆様申し訳ありません。このバカ粛清しますので!(大慌)」


 ばっかもーん! それくらい作者も解っとるわ!!(怒) だからこそ一つギミックを組んだ。向こうの霧たちが群像君達クルーにも『聞かれていないから答えない』ひた隠しにしているリコンストラクトの始まりをね。


 「其処まで来たら話すよね。今まで隠していたアレを。」


 話さざるを得ないだろ? じゃそろそろツッコミ始めるか。


 「よし先ずはツッコミそのいち、なんか史実とはいろいろ変わってきているみたいね大日本帝国。」


 だね。儀礼的な日露敗戦から二流国への足止め、米国の経済植民地に転落した現実がコレだ。表向きは国民的な豊かさを享受できる大正デモクラシー当時の状況、裏に回れば太平洋戦争敗戦後の国民生活という状況。貧富の差なんて史実の比じゃないな。しかも欧米で用いられているハイエク型の経済に近い。一昔前のタイのような都市と地方の格差が酷い国になってしまったな。


 「これがじーちゃまが望んだ結果なの? 余りにも痛々しい結末としか。」


 そうでもないさ。大日本帝国が本来歩むべき地道に国家が発展する事を考えれば此方の方が正道と言える。むしろ大日本帝国の史実の道の方がとんでもないチートなのよ。あのころの帝国軍人や帝国政治家はハンパなかったんだなぁと思うよ。


 「其の結末が2.26じゃ報われてない! どーするのよ!? 内は日本史上最大の内乱、外は三カ国連合軍からのトラキア本土決戦、どないしろと。」


 知らなかったのはとーこのみ(笑)。じーちゃまは1年以上前から想定して策を練っていたよ。12話で行ってたよね。内憂外患って。さらにその前からじーちゃまはこれを予測してた。さすがに同時に来る事に気がついたのは今回の帝都帰還以後だけどね。


 「もうひとつよ! 2.26やる人間どうするの? まだ栗原、中橋、安藤といった史実の実行犯は子供以下じゃん。だれに実行させるのよ。あ……永田事件で有名な相沢さんは大丈夫かな? 主犯は彼??」


 いや適任がいるじゃないか? ついでに相沢さんはかなり気苦労の多い役として第二部でキャラしてるな。


 「へ??」


 荒木、真崎、小畑………


 「(絶句)……と、とんでもない事ぶちまけるわね作者! 2.26の影役を23年巻き戻して実行犯?」


 もうひとりいるけどね。彼に罪は無いが結局作者とじーちゃまは彼を処分せざるを得なかった。運が悪かったとしか言いようが無かったな。結局作者はバランスシートなのよ。高野君が海軍中央からはじき出されたり、彼が処分される等、本来名が通る筈の人物が失墜してしまう反面、今まで見えていなかった人物が脚光を浴びたりする。仮想戦記としてはそちらの方がより見栄えがすると作者としては思っているよ。


 「其の実態は天の邪鬼だけどねー。さてツッコミその2 以外に出番多いわねアルペジオからの転位キャラ。何か仕掛けているの?」


 彼女達については橙子への心理的影響以外は極力関わらずに制限してる。基本まだ女性が活躍できる時代じゃないからね。でも女性どころか人間としてすら別枠の橙子に対してじーちゃまの次に影響を与える事が出来るのは彼女達だ。要所で使うつもり。


 「あー、もしかしたら彼女達も橙子に課せられた枷か!」


 そういうこと。彼女達がいて初めて橙子は人として自覚が出来る位、人間としての精神面が発達していない。幼いころから霧の超絶的な意識や情報、そしてじーちゃまのそれを御するだけの精神的自覚しか与えられてこなかったからね。人格としてはかなり歪なのよ。だから人同士のつながりを実感できる彼女達が橙子という人間にとっての命綱でもあるわけだ。


 「でも静ちゃん結局出なかったしー、僧くんも杏ちんも出て無いと言う事は2部に期待ってとこかな。じゃツッコミその3、細かい様だけど広島城天守閣なんてなんか余分な情報の様な?」


 でもないさ。広島第5師団が今後大日本帝国における海兵隊の役割を担っていくから広島城そのものが解体されると思う。其の天守閣を征京に移して中心は和式、構造は古代中華の都城、市街は洋式なんていうカオスな街を作るつもりだ。それと少しばかり史実の修正を行ったのが作者的な企みかな?


 「??」


 長崎には天守閣無いしね。


 「こ、こっ……この馬鹿作者ー! なんつー伏線組むのよ全く!! 申し訳ありません広島市民様。今すぐこの馬鹿粛清しますので!!!(ツッコミ砲大上段)」


 だぁぁぁっ! まてまてまて、その前に状況考えろよ全く!! 今のアメリカ様に逆らっても史実以下の結果にしかならないよ。戦う前に戦争反対の市民が出てきて内閣総辞職だ。戦争にすらならない。日本が日露戦争でヘタレてしまった結果がこの拙作。だからこそ目的を見失ったテロリズムや叛乱が起こるわけ。そもそもピカドンだがあり得たとしても60年近く先の話だわな。日本が大人しくなりアジア全体が停滞するとアジア利権の再分配での列強同士の戦争に巻き込まれる位しかあの兵器の使い道は無いのよ。せいぜい核実験程度かな。


 「うそつけー。 欧州人が世界の中心で当分その他は人間扱いされない時代が当分続くと作者言ってるじゃん。英国の腹黒狸共が実験扱いで平気で落とすと思うよ。」


 む、それは余程の事が無い限り起きないな。まぁじーちゃまの予防措置と言う事で頼むわ。


 「信用ならないなー今までが今までだからなー。」


 さて最後になりましたがこれを持って第三章は終了。ひと月おきまして外伝をアップする予定です。こらこら、その口径はダメだよ? 我慢しなさい。


 「ちぇー。」



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