ロンドン郊外の私邸、勿論30そこそこのボクの持ち物じゃ無い。それでも祖父の取り巻きから譲り受けたと小さいながら洒落た物、最近はそこに無粋な電信室と電話室を付けざるを得ず甚だ閉口したものだ。世の移り変わりが早い以上、最低それに追従せねばならない。――そう彼女によって今の世が本来の世よりも加速を始めた以上――久々に尋ねてきた客は挨拶もそこそこに話し始める。


 「さてさて、困りましたな。世界はまさに蜂の巣をつついた如きだ。」


 アーチャー卿の相も変わらずの言葉でボカァ微笑んだ。それをお膳立てしたのは彼だと言うのにお気楽なもの。しかし、その智謀ばかりは恐れ入るとしか言いようがない。


 「フランスがドイツ領アルザス・ロートリンゲン地方に限っての1年以内での奪回作戦を宣言、オーストリアはイタリア領ヴェネト州に同様の理由を持って開戦、さらにはイタリア王国は未回収のイタリアたるフランスニース地方回収を宣言して6ヶ月間の宣戦布告。スウェーデン王国もロシア領カレリア地方を奪回すると宣言しております。」


 百年前の欧州各国が凌ぎを削った時代でもこんな誰が敵で誰が味方か解らない戦争はなかった。当時の政府首脳陣すら静観と言う名の放置を決め込んだだろう。だがボカァ違う。


 「中小国のスペイン、デンマーク、オランダ、ベルギーすらも勝手に次々と宣戦布告……一体誰の企みでしょうな?」


 今度は二人して笑う。いや此処に三人目たる植民地人の全権大使君がいても同じだろう。これが我等の出した方策と対策。
 このままでは欧州全土が崩壊する。例えリヴァイアサンが示した世界大戦で無くても持てる国・持たざる国の偏差が欧州各国の国民に拭い難い亀裂を作り出し、彼滅ぼすか我滅ぼされるかの二択しか考えられないようになるのは自明だ。
 確かにリヴァイアサンが示した富の最均等化はカンフルとなる。しかし、それだけで足りない。最小の被害で欧州諸国民が戦争と言う冒険行を忌避するようにしなければならないのだ。

 
欧州が世界を回す為に!


 既に新興国たる大日本帝国は列強の鎖に絡めとられ、欧州の一国に押し込められた。新大陸の雄たるアメリカ合衆国はリヴァイアサンの玉座があるトラキアが為だけに地中海と言う我等のホームグランドに割りこまねばならない。これが彼女の示した“第一次世界大戦後”なら兎も角、欧州が弱体化せずアメリカが強大化しない今なら【国際連盟】等と言う誇大妄想な組織ではなく、欧州による世界の統治【欧州連盟】……もっと直接的な言葉で言うならば欧州人による欧州人の為の世界帝国が完成することになる。我らが知恵を絞ったこの世界同時多発紛争とそれを出火から消化までのコントロールしきる調停機関の設立。他にもいくつかの事案こそあるが、これが彼女の知識から我らが導き出した新たなる世界大戦の真実だ。


 「欧州のみに平和をもたらす戦争を終わらせる為の戦争、故に以降も戦争は無くならない。欧州列強の代理戦争地域として、世界にはこれから踊り狂ってもらいましょう。なにしろそれほどの事をしても150年後、我らが勝利する保証等無いのですから。」

 「それに、傍観者として戦争の傍から眺めるほど楽しいものはありませんからな。」


 彼が笑って勝手に戸棚を開け、スコッチの瓶を取り出してグラスに注ぐ。それをボク等は持ちバルコニーまで出て声を合わせた。


 「欧州の繁栄と我等が小さき導き手(リヴァイアサン)が為に杯を掲げん。献杯!」


 テーブルに置かれている小さな写真に写る小柄な少女、遊びたい盛りの身体を無理やり押し込んだ御仕着せの姿、緊張した表情の中の榛の瞳。そう、世界最初のカラー写真でこそ解る榛の瞳。先程思いついた言葉を酒と一緒に舌の上で転がす。酒は飲み込み、言葉だけ彼に伝えた。

 「アーチャー卿、古来榛……黄色は我等欧州人にとって狂気と裏切りの代名詞でした。さて彼女はいったい何を裏切ったのでしょうな?」

 「チャーチル卿、東洋では黄色は最も高貴な色とされています。皇帝の色と……彼女は何を持ってこの世に高貴足らんとするのでしょうかね?」


 ボク等の質問に答える者は誰も居らず……只ボク等は遥か東を、マケドニアのある方向を眺めている。





―――――――――――――――――――――――――――――






 「しかし、凄い土地だな。青天漸々黄土荒陵(せいてんようようおうどこうりょう)とは良く言ったものだ。」


 確かに叛乱討伐でクルディスタンまで行った時も酷い土地だと思ったが、此処は別の意味で酷い土地だ。一度だけ行った奈良の地と比べてしまう俺の方が問題だろうが古き敗亡の地、忘れ去られた始まりの大地、ギリシャを西洋文明の祖というならばこの有様を欧州人達はどう考えているのだろうか?
 もはや原形をとどめない、おそらくこの地の神々を祀ったであろう神殿跡。棘があるバラの仲間の植物がまばらに生え、薄汚れた白い岩屑と赤茶けた土がなおその印象を強くする。辛うじて基礎が残っている神殿、その石材すら朽ち果てると思わざるを得ない程劣化し、その重みで倒れたであろう石柱に腰掛けて鍵島特務は笑みを浮かべた。


 「言っちゃなんですがね大尉殿、東洋人……分けても日本人と欧州人の考え方は違いすぎます。我々が去就を感じさせるこの柱にしたって彼らから見れば幾等の価値があるか? 位にしか思われちゃいないわけで。」

 「新しい存在にしか価値を見いだせない? そこまで欧州人は近視眼的と言う意味か?」


 彼が石柱を撫でるとボロボロと表面が剥がれる。その中から鉄片の様な鋭い小片を摘みだし、それを眺めながら鍵島特務はオレの言葉を否定した。


 「違います。彼ら欧州人は『新しき価値は古き価値を乗り越えねばならない』を至上命題としているんです。カルト的な話ですが『石工は新たなる建物を作るために意図的に古き建物を崩す。』こんな話があるわけで、古き伝統に拘っても古き価値観には重きを置かない訳ですな。御国だって似たようなものですよ? ただ御国は四季の移ろいがその傷を癒し、古きものに郷愁を感じさせられるよう癒し続けてくれた。それが、この土地には欠片も無いって事です。」


 ゾクリとして彼に聞き返す。此処の古い価値観『オスマン・トルコ帝国』と新しい『大日本帝国欧州領トラキア』其の関係は? ……それはつまり、


 「俺達日本人は、今かろうじて残っているオスマン統治の仕組みを根こそぎ破壊してその上に日本人の価値観による近東の強国【新ローマ】(ケヌリオ・ロマノ)を作り上げようとしているのか?」


 それは裏切りじゃないのか? オスマンという母体を喰い破ると言う意味なのか?? 鍵島は一つ頷くと周囲を睨めつける。此処に他の部下はいないのは解っている筈なのに改めて確認をするとボソリと口を開いた。


 「有り体にいえばそうです。ですが正直なところ乃木閣下は古き酒を蒸留し直し、新しき革袋に入れない限りオスマン・トルコの再生は敵わないと見ています。勿論橙子御嬢様もです。」


 また出た。何故姉貴なんだ? 俺と同じ年の、しかも女が施政官見習い。これだけで十分異常なのに。今の話し方はまるで姉貴が総督府の重鎮みたいな話し方じゃないか。思い切って聞いてみる。


 「鍵島特務、何故姉貴なんだ? たかが俺と同じ」  「来たようです。」


 鍵島が此処まで敵意にも似た何かを発するとは思わなかった。思わず拳銃に手が伸びる。しかし現れたその体は余りにも小さく、ひび割れた石畳の小道を硬い音が響き渡る。今鍵島が腰掛けている石柱が元々あったであろう台座に彼女は腰掛けた。それは血を分けた唯一の肉親にも似てありえない状況、


 「姉貴……何故ここに。」


 彼女がコクリと首を傾げた。





◆◇◆◇◆






 植民地軍の軍服、しかし上着は肌着と一体化するように整えられ、腰下は腿辺りまでで終わるショートパンツを履き、それをサスペンダーで吊っている。色は尽く漆黒で固められている。首を傾げていた彼女が頭を元の位置に戻し鍵島の方を向き話しかけた。


 「鍵島特務少尉、これはどういう事でしょう? 我を橙子と識別しない貴方や乃木希典は我と橙子の違いを【血】で識別していると前に言いましたね。しかし、最も近いはずの【血】を分けた弟に我は姉と認識されました。貴男方の言う論理は矛盾していませんか?」

 「御嬢……それは石鎚大尉殿の戸惑いの結果と考えて頂きたい。誰しも姿形が全く同じ人間を初対面で見分けられる訳はないのですから。」


 一つ頷くと彼女は俺の方に向き直りながら話しかけてきた。


 「成程、経験則による判断ミスとしておきましょう。さて石鎚橙洋大尉、総督府の意向を無視した気分は如何かしら? この点については橙子にも伝えておきました。彼女は『知らぬとはいえ軽率』と判断したようです。」


 もはや絶句している場合ではない! こいつは姉貴とは別人、しかも日本にいるはずの姉貴をどうやってか知らないが意思を交わしている。少なくとも国際電信回線を私事で使う事が出来る存在ということだ。例えて言うならば大国の首相級の権力を持っていることになる。

 あり得ない…………しかしあり得る。

 日露戦争の乃木大将(あいつ)の活躍は群を抜いていた。同格の軍司令官はおろか満州軍総司令の故大山閣下や総参謀長の故児玉閣下自ら日参したと言う位。仲の悪い海軍すらあいつの要請には頷くしかなかったと言う。今の御国の兵器を用立てた存在は陸海軍の士官たちでも噂になるが、あいつのスポンサーというモヤモヤした答えだけが出るばかり。目を眇める。

 
コイツだ


 
日露戦争で御国に未曽有の勝利をもたらし、御国を陰から操る存在。



 「お前は、誰だ……いやお前程の存在が何故俺如きに話しかける?」


 俺の言葉に少し彼女が微笑んだ。洞察に叶う喜びと、その程度の器という苦笑が混ぜこぜになった笑顔。


 「我が何者か少しは理解したようでなにより。では、本題の前に少しだけ試させて貰いましょう。つい45分前、セルビア・ブルガリア・ギリシャよりオスマントルコ帝国に向けて宣戦布告が発せられました。すでに第一報でセルビアの師団規模部隊が南下を開始しています。国境警備隊は……蹴散らされましたね。」


 一気に話を飲み込み咀嚼、答えとして吐き出す。娑婆では要らない職能、これが体に染み付くのが軍人と言う職業だ。


 「ならば、我々の任務は定時連絡と正規命令書を待ちつつ近辺の民間人に状況を説明、避難の準備を進める。同時に偵察隊を派遣、情報の収集に努める。以上だ!」


 話に割り込めないか? と危惧していた鍵島が『以上だ!』の言葉と共に俺に敬礼し走り去る。元々あいつの従卒だったらしいがホント有能だ。これだけは乃木将軍閣下(あいつ)に感謝しなきゃな。不思議そうな顔をして彼女が尋ねてきた。


 「独断で富永少尉候補生を慰留させたにしては随分と慎重な対応ですね? もう少し破天荒な動きを想定しましたが。」

 「俺だって馬鹿じゃない。」


 そっちが本命か、どうしても富永を外す、いや軍から放逐する気だ。それにこいつ、軍人じゃないな。軍隊としての知識は俺以上に持っているだろうが、軍人としての規範意識に欠ける……というよりその規範そのものがない。いや、それ以上に国に属して働く――官吏(やくにん)――としての意識すらないのかもしれない。


 「貴方と鍵島特務と何らかの繋がりがあると思った時点で間諜の類じゃない事は解る――そういうとこ厳しいからな、俺の先任は。だが、軍人て物は命令書が無ければギリギリまで動くべきじゃない。敵を撃つ武器(ちから)を持つ以上、制御されなければ匪賊と同じだ。そして、まだ俺等には余裕がある。」

 「では余裕があるからあの候補生を戻さなかったと?」


 やっぱりそうだ。この少女を模した何かは根本的にオレ達と何かが異なる。思考? 信条?? 論理??? もしかしたら人間そのものか!? それでなければこんな質問を返しはしない。反論する、


 「違う! 不公平だからだ。軍人である以上、機会は公平でなけりゃならない。どんな不条理でもな。だが、恐らく貴女と乃木希典(あいつ)はそれを歪めた。だから俺は怒っているのさ。」


 何かが変わった? 彼女の雰囲気がか?? 彼女の放った言葉が、姉貴でも、まして少女ですらない声音が俺を慄然とさせる。


 「富永恭次中将(・・)、1945年1月16日、部隊抗戦中に上級司令部に無断で敵前逃亡。なお所属部隊の大半は彼に航空自爆攻撃を強制され全滅、残余も陸戦にて壊滅。」

 「な……に…………。」


 富永恭次少尉候補生(・・・・・)、それが彼女があいつが『外せ』を言ってきた名前だ。だかしかし1945年!? 俺は聞き間違えたのか。


 「我の記録ではそうなっている。随分と尾鰭が付いたようだな。芸者やウィスキーと共に逃亡したとか、一升瓶1本で部下を使い捨てたとか。」


 恐ろしく冷えた声が返ってくる。そもそも口調がまるで違う。もしかしたら先程の声は只の飾り言葉、今の言葉こそ本性だというのか。そして今の軽蔑をも込めたような言葉から恐怖せざるを得ない。こいつは俺たちが知らぬ歴史を歩み、それを元に世界を操ろうとしている最悪の犯罪者……総督府兵站部で会った垢抜けた海軍の先輩で、大の空想科学小説気違い(サイエンスフィクション・ギーク)。高野大尉が言う時間犯罪者の言葉がしっくりくる。
 敵にするのは不味い!……橙洋、考えろ!! 風圧の無い暴風に煽られる一本の樹のように足を踏ん張り声を発する。


 「貴方が言っている事を真実と仮定しても、俺の心は覆せない。未来は全てが決まっているわけじゃない! 足掻いて手に入れた結果こそが未来だ。貴方が言った真実は未だ真実へとたどり着いていない現実の予測材料でしかない!!」


 殆ど高野先輩の受け売りだな、内心笑ってしまう。彼女が目を丸くしている。何かあったのだろうか? 彼女が口調を戻して再び口を開いた。


 「……失礼しました。今我が感じた驚きは相当なものでしたね。数年前、妹を抱いた橙子が近しい海軍大尉の前で全く同じ台詞を吐きましたよ。家を分けた姉と弟。【血】がもしこれを伝えたと仮定するならば我がそう言い、貴官が【絆】と呼ぶモノは我等を決定的に変える原動力になるかもしれません。」


 訝る俺に彼女は何もかもわかったように話を繋げる。再び冷えた声音、しかしその本質は何処までも熱く苛烈。


「やってみるがいい。そして我の瞳に刻みこめ。予測材料を覆した新たなる現実を。」


 革製の薄い鞄を投げてくる。その中に入っていたのはこの近郊の作戦地図。彼女は浦上大佐殿に支援を言付けると言って去って行った。作戦地図を精査し、すばやく鉛筆で修正点を書き上げる。少なくと四もつの村と一つの街、人口にして二千人もの人々を避難させなければならない。優先すべきは宗教間憎悪の捌け口になる回教徒(ムスリム)、防衛拠点はこことここ……鋭く一瞥して鍵島が戻った事を確認する。


 「閣下、冷や汗物です。もう二度とこんな真似はしないでください。」

 「特務が言うのなら彼女は相当な大物なのだろうな? なにしろ俺を半殺しにした姉貴と瓜二つだ。正しくこの国の象徴八咫鴉だな。」

 「??」


 そりゃ熊野の八咫鴉の裏は知らないか。俺だって星野から聞いた話に過ぎないからな。


 「八咫鴉は神武東征記において道に迷った神武帝を導いたとして伝えられる。じゃ神武帝が道に迷うまでに失った兵は? 大和の国での国造りで失われた敵味方の命は?? 神話ってのは都合の好い所しか書かないものさ。彼女は傲慢という意思一つでこの国を導いている。かつての神武帝を導き、そして今の御国を導いている八咫鴉の様にだ。」


 鍵島は絶句したように押し黙った後、遠慮がちに言葉を掛けてきた。何とも言えない顔は多分俺を心配しているんだろう。


 「大尉殿……なんというか、不敬どころの話じゃないですぜ。部下の前では橙子御嬢様同様そんな話はしないでください。」

 「暴力姉貴とは一緒にしないでくれ。俺はあれほど容赦無い人間じゃない。それより見てくれ。俺の案なんだが…………」


 特務と一緒に作戦地図を凝視し行動を決めていく。これが俺の初めての実戦になる。この資料が正しければ、対する相手は日露戦争の英雄にしてアイツの戦争を二度凌ぎ切った将、養伯父の乃木保典中佐殿に苦杯を呑ませた漢、

【グスタフ・エミール・フォン・マンネルハイム大佐】









―――――――――――――――――――――――――――――










 「しかし大丈夫なんですか? ……セルゲイ親方、大佐殿の本隊はぐずの集まりです。連隊の半分は今からでも帰隊した方がよいと自分は考えます。」


 恐る恐る言う辺り彼、ヴォルデマル・ハルグンド軍曹にとって命令は承服し難い、――おっと、貴族的表現か――納得していないのだろう。実はと言うと私も大佐殿にその言を翻すよう説得したのだ。カレリア出の新米軍曹にすら言われている辺り、大佐の直接指揮するセルビア師団の酷さは目を覆わんばかりだ。
 別に略奪とか軍紀違反とかは問題じゃない。そんなもの戦争ともなれば日常茶飯事だし傭兵はそういった事と無縁じゃない。緩めるとき、締め付けるとき、ちゃんと統制してやれば部隊はちゃんと動くもんだ。戦争で誰も死にたくは無いし、儲けたいと思うのは兵士として当然のことだ。だが、私が問題としているのは其処じゃ無い。


 「まーそうだな。大佐殿自ら言ったし、問題は無いんだろ? 何しろ大佐殿のカンとオツムは群を抜いている。我等下っ端は大佐殿を信じてやる事をやればいい。そういえば日本軍のメシは旨いぞ、上手く後方を攪乱出来たら奴等のメシにありつけるかもしれんな。」


 指揮官を信じられなくなったら軍隊は終わりだ。私の役割は只でさえ気が滅入るような現状を部下を共有するんじゃなく部下を鼓舞してやることをやらせる。馬の扱いが上手いだけの兵士代表(おやかた)は細かい事は部下を煽てて頑張らせるのが主な仕事だ。私の仕事は大佐殿の指揮下にある馬達の世話、それだけでいい。


 「ブジョンヌイ大尉殿! それは余りにも楽観すぎます!!」


 真っ赤になって反論する彼を睨みつける。優秀なんだが肩に嵌り過ぎる。ここは軍隊じゃない。


 「ヴォルデマル・ハルグンド軍曹! 私は誰だ!!」


 私の怒りを隠さない声に失態を悟ったのだろう。慌てて彼が言葉を訂正する。


 「し! 失礼しました。セルゲイ親方!」


 まーったく……いくら傭兵士官であっても大尉はないだろ大尉は! これじゃ私はエリート士官様じゃないか。私に似合うのはせいぜい兵士代表(おやかた)。士官なんてガラじゃねぇ。本来は話すべきじゃないんだが少しは安心させないと不味いのかねぇ?


 「正直なところ大佐殿は唖奴等(セルビア)の軍隊を信用しちゃいない。プトニック参謀総長に『指揮下部隊の生殺与奪権を』と言ったのだからな。ふつうは即解任モノだ。だが、参謀総長閣下は笑って承認なされた。『使い潰せ、その中から使える奴は芽を出す。』とね。大佐殿の部隊、練度も装備以前に、軍としての意識も酷いものだったろ? 大佐殿は参謀総長閣下直々のお墨付きで『師団を篩にかける』つもりなのさ。」


 あんぐりと軍曹が口をあける。思いつきで齧っていた木の実(ライチ)をそのまま口に放り込んでやった。目を白黒させ軍曹は咀嚼する。それを眺めながら私は言葉を続ける。


 「だがな。その有様を我等傭兵部隊の士官が見たらどうなる? セルビア兵は役に立たん、この戦負け確定と脱走者だらけになるのは確実だ。喩え戦に負けても『面構えが変わった兵隊』を我等が見ることが出来ればこの作戦は成功……そういうことなんだな。」


 「恐ろしい御方だ、マンネルハイム大佐殿は。」


 絶句している彼から目を離し南を見る。そこにいるはずだ。日露戦争の英雄にしてトラキアの統治者、大佐から【鬼武者】と畏怖されるあの漢が。


 「大佐殿で恐れてちゃ話にならないな。恐怖したいならせめてトラキア親衛隊(イニチェリ・ガディード)に会ってからだ。あのゲネラール・ノギ自ら鍛えた地獄の軍団(ラスト・バタリオン)の前でな。」


 彼の喉の動きからごくりと喉を鳴らす声が聞こえてきそうだ。それほどまでに彼等トラキア親衛隊は恐れられている。列強ですら表沙汰にしないが列強の第一級師団と比較しても6倍差、装備を同等としても倍の戦力差があると想定されているのだ。これでは万が一戦争に勝てたとしても大佐殿の言葉で言う【ピュロスの勝利】になることが解りきっている。此方が滅入りそうになるな、と思う。
 数騎の騎兵が返ってきた。機を取り直して彼等――偵察隊――の報告を聞く。思えば良い道案内を手に入れたものだ。ヨシップ・ブロズという小僧だが地に明るく、馬の使い方も上々だ。本人は不平たらたらだが、彼の預金は大佐殿が預かり給与もきっちり払っている。彼自ら戦はさせないと言う条件も付けてだ。


 ロドピ山脈の隘路や険峰を山岳騎兵をもって突破。トラキアの背後を擾乱する。――それが我等フランス外人部隊ロシア軽騎兵連隊の任務だ。


 しかし400騎で連隊ねぇ。二個中隊しかいないじゃないか! 最後に私は愚痴をこぼした。



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