散々打ち減らされ敗残同然の数であっても閲兵は終われる。彼等の半数はセルビア本国へ戻り次世代たる軍の中核となる。残り半数は新規の補充兵とともに『手伝い戦』だ。私が天幕で紅茶が出すと上司であり雇い主である総司令官閣下は笑みを浮かべた。

 「師団兵力13000中8000が残ったか。普通なら全滅と言う判定だな。」

 「申し訳ありません。」  殊勝に頭を下げておく。

 そう、新聞記者なら全滅という言葉には青くなるだろう? 戦場に出た兵士が一人残らず戦死したと言う意味に勘違いする為だ。ただ、軍隊においてはこの全滅という言葉は相対する上司、ラドミール・プトニック セルビア陸軍総参謀長を始め軍人一般からすれば少々異なる。部隊の攻撃能力をゼロとして算定しなければならない程度に数が減ったと言う事だ。
 同じ意味? 全く違う! そのラインまで兵士が戦死傷しても戦死1割、戦傷2割で7割の兵士が無傷という事なのだ。逆に言えばそれほどにも軍隊と言うものは戦力減少に気を使う。私が篩にかけて減らした5000という数は、本来なら即時解任の上、軍法会議にかけられるほどの罪状になるのだ。閣下は笑みを大きくしながら謙遜するなとばかり手を振る。


 「いや、逆に驚いているくらいだ。目の色が変わり、戦場慣れした兵や士官がよくぞそこまで残ったものだ。ゲオルグ将軍、よくやってくれた。」 

 「天幕内でもその名は使わざるを得ませんか?」


 新参者が旧体制から疎んじられるのは世の常。しかしどうにも私に宛がわれた偽名はしっくりこない。戦史で初めて知った名前が私の偽名としてのファミリーネームだ。しかし元の英雄の功績から考えればたかが一軍人が名乗るのは冒涜ではないかとすら思ってしまう。閣下は私の逡巡を見透かしたかのようにキツイ一言で納得させてきた。


 「すまんな、フランス外人部隊のグスタフ・エミール・マンネルハイム大佐が先鋒を務め戦果をあげたとあれば国内の将軍達が黙っていない。それこそ前線に無理難題を押し付け手柄を横取りするだけでなく我が国を手前勝手な采配で破滅に導くだろう。キミはこの国においてはセルビア人で元ロシア帝国士官学校生、ロシア-ジャパン戦争従軍経験のあるゲオルグ・エパミノンダス将軍……と言う訳だ。」

 「レウクトラの英雄程私は偉大ではありませんし、彼はアカイア(ギリシャ)全てと争って戦死しました。何の冗談です?」


 閣下は執務机のペン立てに万年筆を放り込む。小気味良い音と軽く方向を変えてペンを受け止めた基部が勢いを殺しきれずいっぱいまで傾き万年筆を放り出した。乾いた音を立てて放りだした物が机の上で円運動をする。


 「本国の意向と言う奴だ。捨て駒として死ね……だろうな。確かに北マケドニアと其の首府スコピエを得た今、外交で譲らざるを得なかった西マケドニアとテッサロニキはギリシャに譲らねばならない。手伝い戦は捨て駒達で勝手にやれと言うことらしい…………勿論そうはさせんが。」


 ブジョンヌイ親方が激怒して戦線離脱しかねない内容だ。彼は確かに戦術家でも軍略家でもない。本人曰く兵士代表らしい。それはそれでいい事だ。彼は馬と言う一芸に秀でた人間と己を見切っている。新戦術などは部下に任せ自分は戦場の勘を戦場で嗅ぐ役割に徹する。無能と己を規定し、無能なりの対策のみを行う。軍隊で全ての人間が有能で在る訳は無いから無能で在る事を逆に武器にしているのだ。有能な士官ばかりが激論を戦わせた挙句どうなるかを日本帝国軍は『船長ばかりでは船は山に乗り上げる。』と言うらしい。しかし私を怒らせるのでなければラドミール閣下はこんなセリフは吐かない。ならば、


 「それは手厳しい。つまりセルビア政府は先程の会合でギリシャ政府に外交的な敗北を喫し、テッサロニキ市を陥としたところで西マケドニアで何も得られないという外交的言質を取られたと言う事ですね。」


 ならば此方は政治的状況を加味し『手伝い戦』をギリシャの公式な要請に基づいたモノと諸外国に認知させればいい。特にトラキア、ゲネラール・ノギに。彼ほどの軍略家ならその意図に気づき対応してくる。例えばセルビア軍への攻撃を意図的に避けギリシャ軍にその主攻軸を移す……といった具合に。それで私の目論見は皮一枚分は剥がされずに済むのだ。上官への確認と言う質問の後に閣下は片眼鏡を上げ皮肉気に口を歪めた。そして彼の母国では讒言されかねない暴言を吐く。

 
 「そして北マケドニアの領有で手打ちにされ、大セルビアの夢は頓挫したと言う事だ。」


 成程、ラドミール閣下からすれば夢は夢のままで良いと言う事か。夢想の挙句、得た領土を統制しきれず国滅ぶ事態より、確実に北マケドニアを領有する。大日本帝国欧州領の三分の一を奪うならセルビア王国の国威を喧伝出来、閣下の言うバルカンの中心をベオグラードに引き寄せる材料にはなるだろう。ならば捨て駒の役割は、


 「ギリシャ軍を囮に日本帝国を消耗させる……セルビアは決定的な一面で一撃だけを与えて日本帝国軍の心胆を寒からしめ、スコピエに撤退して彼の軍の北上を心理的に阻止する。それが我等傭兵の役割と言う事ですね。」

 「どうだ? 戦争が終わったら我が国に残らぬか。次期参謀総長に推薦してもいいぞ!」


 私は今の台詞、閣下の大笑のなかで飛び出した冗談にぞっとした。それほどまでにセルビアと言う国が今後発展していく余地が少ないと言う事に。セルビア国民が望む大セルビアという世界の一等国がどれほど危険な火遊びかつ、それに気づく者が少ないかと言う現実に。やっとの思いで一言繋げる、もう慰めにもならない台詞。


 「心中お察しします。」


 私の言葉に閣下は顔を引き締める。冗談は終わりだと言う峻厳なまでの表情。此処からは一挙一頭足が神の試練なのだという事実、


 「ならば勝ってみせよ。戦場では勝てずとも戦争で勝つ、昨今二つの戦争だけで中世のまどろみから醒めるが如き幸運を繰り返させるな。大日本帝国欧州領(にほんじん)を引き擦り下ろしてやれ! 


 私達が話しながら天幕の裏側に回ると其処は大口径砲の設置作業の真っただ中だった。未だテッサロニキ市まで100キロメートル近い。いったいどこを攻撃するつもりで? と砲身を目で追う。長い……長すぎる! 一体これは!!


 「フランス人が開発した試作砲だ。日本人の高く伸びた鼻を圧し折る一手だよ。」


 其の砲座に書きこまれたイニシャルプレートが目に入る。埃まみれの表面を拭うと文字が露わになった

21センチK12【パリ砲】
 





―――――――――――――――――――――――――――――






 儂が上座に付くと全員が一斉に敬礼する。


 「乃木だ。先ずは最初に諸君等に謝罪せねばならない。予想外に時間がかかってしまった。」


 そう内乱を収束させ、帝都より此処虎騎亜総督府までに二月以上かかる破目になった。本来なら一月で済ませるつもりだったものを……理由は明瞭。儂は愚か、橙子すら……いや唖奴ですら想定できない事態、世界中で同時に領土争いが起こるとは思わなかったのだ。まだ苦境の独逸に付け込むのなら想定内だった。しかし欧州列強全てが手前勝手に敵を指定し『橙子の史実』で言う短期限定総力戦を始めるとは思わなかったのだ。特に、国同士とはいえ名乗りを上げて相手国の非をあげつらい、堂々と大軍を進撃させ正面からぶつかり合う等、源平の時代ではあるまいし……と呆けた程。それによって生じた事案が儂の足を止めさせる要因になったのだ。
 場所は香港、二型大艇が到着した途端から欧米諸国、中米、南米の駐在員その他、世界中の中小国の外交官が待ち構えそれぞれ交渉を要求、いや彼等からすれば懇願に近い言葉を並べたのだ。


 「欧米列強が皆勝手に領土争いを始めた。我々も彼等の餌にされてしまうのではないか?」

 「民衆が怯えている。怯えるならまだしも、勝手に武器を取り政府に戦争を要求するようになった!」

 「反政府勢力が俄かに現れ政府に無理な要求を突き付けている。分離独立も辞さない勢いだ!!」


 そして一様に悲鳴を上げる。


 「何故こうなった!?」   


 そして一様に外交的な要求を並べる。


 「武器援助を!」


 何の冗談かと悩むこと数刻、橙子や何人かの随員と話して漠然と感じたのは、彼等は今に恐怖し未来に焦っている。フィリッポス金鉱山で列強の序列が流動化し、再度その序列を作り直されようとしているのではないか? そして己達中小国もそれに晒される、いやそれだけでなく其処に己の野心を重ねられるのではないか?? を考えているのではないかと……
 そして彼等が一様に願う御国、特に儂を窓口にした武器援助はこうとも取れる。御国の軍事費は国家予算に占める割合は高い。いくら軍縮しても国家予算が小さければ軍事への予算増加は避けられぬ。そして困った事に橙子と唖奴が与えた兵器は欧米列強に伍する、いや凌ぐ性能を持つ故高価な(たかい)のだ。そもそも実態は投げ与える物故タダ同然だが列強は兎も角中小国はこう思うのだろう。


『大日本帝国は己の国を守るため、多額の予算を傾注し最新兵器を作り続けている。』


 儂が供与を否定すれば『全世界疲れ果てたところで日本は己の野心を満たそうとする』と宣伝できるし、一国にでも供与してしまえば『我も我も』となるは必定。交渉を行いながら一般規定(ガイドライン)を作るのは骨が折れた。橙子と唖奴が手伝わねば儂は虎騎亜が陥落しても香港から出られなかっただろう。だからこそ到着した今、即座に動かねばならない。それ以上に、


 『戦争の終わらせ方を変えねばならない。』


 彼等は恐怖と焦りから儂に頼った。では今、虎騎亜に攻めかかっている三国はどうか? 敵視は恐怖、欲望は焦りとも言える。この三国の国家や国民の心がそれに塗り潰されて続けていれば際限なく国民感情は肥大化し、収拾がつかなくなる。史実における第一次バルカン戦争後に起こった戦勝国共の醜い争い、“第二次バルカン戦争”どころではない。虎騎亜の安寧どころか虎騎亜が『橙子の史実』を上回るバルカンの火薬庫になりかねないのだ。成程……


 「(故に分断し統治せよ……か。英国の御偉方はよく考えたものだ。敵を一つにまとめる直前に内部分裂させ己を含めて序列を作らせる。だから大英帝国(コモンウェルス)なのか。)」


 姿勢を正しはっきりと口にする。今まで考えてきた全てをこの莫迦げた戦に叩きつける為に。


 「先ず言いたいのは、このバルカンでの戦は欧州は愚か世界の命運すら動かす大戦。気張った言い方ならバルカン大戦と呼ぶべきモノに発展してしまった。今の今まで其処まで考えに至らなかった儂としては諸君等に頭を下げねばならない。」


 素直に頭を下げる。未来を知っても現在が未来の様に進むとは限らぬ。そう介入すればするほどその歩みは歪められ途方もない方向へ走って行く。それをマッカーサー少佐が教えてくれた。悪例ではなく好例という儂如きには勿体ない贈り物として桜田門外で示してくれたのだ。事実を周囲に浴びせる。儂が帝都の内乱以降、虎騎亜の外側から知り得た全てを、


 「今、全世界が大日本帝国領虎騎亜の一挙一頭足に注目しておる。何故なら諸国全てが虎騎亜の行動如何で存亡を賭けねばならないのだ。このバルカン大戦如き貴官らの努力でいくらでも勝利を拾えると儂は確信しておる。だが戦に買って虎騎亜にそして御国に危機が降りかかるは論外。負けることを含めてでも儂は貴官等の命を預かり、使いきる。」


 唖然とする者、動揺する者の中でテッサロニキ市から急遽海路で帰還した一戸少将が真っ先に敬礼する。次々と武官文官と敬礼する者が続き場が静まって行く。日露戦争の遼陽会戦、旅順の一堡塁にも匹敵する防衛陣地に向け彼と其の部下は突貫した――流石にそのままでは犬死にしかねないので儂と橙子が介入したのだが――それでも彼は陣地を奪い取った。しかし、新聞記者への答えは淡々としたもの『誰かがやらねば御国が滅びます。私の部下の番が来ただけの事。』彼が儂の言った言葉だけで『この戦は国家存亡を賭けた日露戦争より重大な意味を持つ。』と認識したのだ。実際感謝の言葉を述べたいぐらいだがそれでは公私の区別がつかぬ。一つ頷いて言葉を繋げる。


 「今回の戦は虎騎亜が、いや御国が勝って万歳三唱と言う訳にはいかぬ。勝つ以前に勝ち方を誤っただけで少なくともこの欧州全てが地獄に変わる。昔儂から聞いた者もいるだろうが2000万もの死傷者を出した“第一次世界大戦”を凌ぐ悪夢がこの世に生まれかねんのだ。故に儂はこう断じておこう。」


 静かに断言する。


 「戦の場所は此処大日本帝国欧州領を含めたマケドニア地方ではない。」



 儂の構想を聞き、儂が退出した後、会議室は騒然と大混乱……そして橙子が紅天黄日八咫鳥旗を披露した時の如き高揚感に包まれていたと後に楓君が儂に話してくれた。






―――――――――――――――――――――――――――――







 哨兵の数は僅かだった。素早く襲撃し歩哨を殺害、建物ごと大佐発案の収束手榴弾で爆破して残りも始末する。物資も念入りに焼く。最後は奪った兵器やトラックでとんずらだ。日本兵は個々の住民に親切で気前が良いらしい。激怒した民衆の群れに吊るしあげられない様、素早く撤退。先ほどの軍服を脱いでトラキア総督府や日本帝国自慢の植民地軍所属の証である漆黒の軍服に着替える。帰って来た手練の軍曹に私は労いの言葉を掛ける。


 「ハルグンド軍曹、ご苦労さん。君が優秀だから私は楽のし放題だ!、本体に帰ったら私は大佐殿からクビ扱い、君がこの連隊を率いることになるのは間違いないぞ!!」

 「やめてください。200人で騎兵連隊なんで何の冗談かと思いますよ。それもここまで気難しい軍馬を事故や病気も無しで動かせるなんてセルゲイ親方も相当に出来ていると思うんですけどね!」

 「ハッハ! 200人で連隊なんて私も愚痴をこぼしたくらいさ。君はこの戦で士官になれる。あの高慢なフランス人教官に戦果報告を突き付けてやれ!!」


 そう笑いながら冗談を言い、周りの兵士達の緊張を解していく。彼らにも緊張と恐怖の連続だっただろう。何度やっても同じだ。敵中を秘密理に行軍、出合わせたトラキア軍には雇われ傭兵であるフリをし民衆に対しては植民地軍の軍服を着て情報を集める。厄介な物資集積所や拠点を探しては。民衆に悟られない様に植民地軍のフリをして、直前で漆黒の軍服を脱ぎ襲いかかる。マンネルヘイム閣下の言う挺身破壊工作、ロシア-ジャパン戦争でキャヴァリアー・アキヤマが我がロシア軍に使った手だ。
 少数の兵で破壊工作を行い。其の防衛のために大兵力を動員させ敵の戦力を拘束する。華々しい役割だが正規の軍行動としては微妙なもので、露見すれば敵軍とすら見なされず問答無用で処刑されるというヤツだ。思わず数日前に聞いた状況報告に苦り切る。


 「ロドピ山脈中を駆け回って日本帝国軍の脇腹を突く……とは大佐殿も言っていたがこりゃ無理だな。いくつかの拠点を潰したが進撃する兵が無ェ。」


 「ブルガリア軍の事ですか? 東洋の小国如き一個師団で十分と言って奴らの大隊に返り討ちにされては世話はないですが、捲土重来とばかり増援の一つも出しませんね? 本来は此方が主攻軸の筈ですが。」


 ほー、ハルグンド君はどうやら国際情勢まで加味して意見を言ってるのか。彼は下士官だから士官達の作戦会議には加われない。傭兵達の作戦会議にあってもだ。ひたすら自習だけで其処までたどり着いたのなら大したもの。次回、私は仮病とでも偽って彼を代役に立てよう。うん、そうすればこの青年はもっと伸びる。では、親方の質問(こうしゅう)の時間だ。


 「どうしてそう思う?」


 そりゃこっちは理由を話せるが試験でもしないと上の連中は話すら受け付けてもらえんからな。マンネルハイム大佐殿が信任する親方の推薦という御墨付きを得る為のテストをしなけりゃならん。彼は予め答えを用意していたのか淀みなく理由を話し始めた。


 「まず、今回の戦の形態です。どう頑張っても我々三国軍は大日本帝国欧州領の首府、征京を攻略できない。奇襲なら兎も角、正攻法の前に外交交渉になるのは目に見えています。なにより彼らのスポンサーである英国と米国が黙っていません。そして日本帝国も三国の首府、アテネ、ソフィア、そしてベオグラード全てを攻略する力はありません。」

 「だが、どれか一つは確実に攻略できる。特にアテネだ。トラキア総督(ゲネラール)が英国に譲歩し英地中海艦隊が動けば戦わずにアテネは元よりギリシャが陥ちる。」


 「それはあり得ません。」


 キッパリと私のカマを否定して彼が説明する。大佐殿が私に言った言葉通りだ。最後の仲介相手を敵味方に分けるという愚は絶対に犯せない。大英帝国は今唯一この【ヨーロッパ内戦】に関わっていない。つまり戦に関わる全ての国が、彼の国を仲介役に設定しなければならないのだ。米国もいるが彼等は新大陸、彼等が仲介に出ようとしても欧州から見れば植民地人が本土に関わるな。という罵声を浴びせられるだけだろう? 彼は最後に結果を口にする。


 「この戦はあくまで領土争いの延長線でしかありません。そうせねば三国は経済破綻の上国家が崩壊、日本帝国は混乱するバルカン半島全ての面倒を背負いこまねばならなくなります。つまりどちらが勝とうと全ての国の負けで終わるのです。そして当座の三国の目標、北マケドニアをセルビアが、西マケドニアをギリシャが獲ればブルガリアに得る物はありません。それでも彼等は参戦した。いや参戦せざるを得なかった。それは応分以上の分け前を提示されたから……たぶんそれはここです。」

 地図をブルガリア西部まで伸ばし一点を指す。こりゃまいった! 次期騎兵連隊指揮官どころかセルビア派遣傭兵隊全軍の長が務まるんじゃないかコイツ? 


 「じゃ私達がやっている意味も解るな。」


 即座に答えてくる。そう、その意味は大佐殿の現状認識を読ませると言う事だ。それでなければ私はこの質問はせず、お茶を濁して話を打ち切るだろう。


 「です。ですがこのままでは囮の意味をなさない。本当の囮たるブルガリア-ロドピ軍集団が壊滅した今、ゲネラール・ノギの注意を西に向けねばこの作戦は破綻します。なにしろ彼の機械化部隊はヘルメスの靴を履き、バルカンの大地を空を飛ぶように駆けるのですからね。彼等が足を止めざるを得ない戦場に誘導しなければなりません。」


 其処までくれば馬以外さっぱりな私ですら彼の望む事が解る。彼の差した方向とは逆、今大佐率いる連隊主力とオマケ共、其の地点を指す。あぁ! どいつもこいつもオマケでしかない!! セルビア軍、ギリシャ軍全く持って使えん!!! 地図の上、マンネルハイム大佐がいる場所を鋭く叩く。


 「そうだ、此処が、連隊主力が、そして大佐其の物が囮であることをゲネラールに悟られてはならない。もしゲネラールがこれを読んでいたら?」

 「この戦争は大佐閣下や親方にとって生き残るための戦いに代わると言う事です。そこまで読んでいればゲネラール・ノギはかつてのフランス皇帝(ナポレオン)を凌ぐ軍事的識見を持っている事になりますね。考えたくもありません。」


 首を振って最後の否定の言葉を吐いた軍曹の顔を見て前言撤回、オマケ共ですら今使いこなさないとバルカン同盟軍が戦わずして瓦解することもあり得るのか。本当にマンネルハイム大佐殿には敬服してしまう。本当の戦略家、いや将軍とは戦の前に此処まで読んで作戦を立てる者の事を言うのか。やっぱ私は親方が一番だ、うん。
 少し考えて新たな目標を示す。ハルグンド軍曹が『命令違反の上に同盟軍にヒビを入れるつもりですかッ!』と怒鳴ってきたのは御愛嬌だろう。私もできることはやらねば。ロドピ河上流を見つめる。其処にいるはずだ。疲れ果て、士気も無い兵隊の群れが……


 「そいつを頂く。」


 騎兵の対する蔑称『馬狂』らしい笑みを私は浮かべた。




―――――――――――――――――――――――――――――

 



 俺が借り受けた第13中隊と星野が指揮していた第27独立戦車中隊、それに雑多な部隊やテッサロニキ市から志願してきたムスリムまで集めた集成大隊と名がつく寄せ集めが今度の部下たちだ。


 「臨時少佐殿、星野臨時大尉殿から報告がありました。内容は『35年式一号より強そうだが相当に癖が強いぞ、期待されても困る。』だそうです。」


 差し出された編成図をひったくるように手に取り睨みつける。思えば全部暗記しろという士官学校の教務とは全然違う。機密保持こそより厳しいが、なにをどこへどれだけいつまでに……と言った書類が確実に手元に届くのだ。日露で爺様が始めた事だと言う――阿吽の呼吸は今は良くとも最後には弊害に変わると――気に食わんが爺様が正しいんだろう。暗記では覚えきれない戦車のスペックや運用方法まで事細かに書かれているのだから。
 試製40年式二号戦車甲型……略称【山猫】(ルクス)、同7糎半砲搭載乙型……略称【貂】(マルダー)、同10糎半搭載丙型……【雀蜂】(ヴェスペ)、同火炎放射機搭載丁型【紅鶴】(フラミンゴ)…………なんだこりゃ?

 「何時から帝国陸軍造兵廠は勝手に鳥や動物の名前を愛称にするようになったのだろう? せめて虎とか象なら格好も尽きそうなんだが。」


 隣で書面を俺に取られた鍵島先任がいきなり吹きだし激しく咳き込む。差し出した水筒から水をがぶ飲みし一息ついた後、彼は笑いを噛み殺しながら話し出した。


 「それなら既に作ったそうですよ? 188トン超重戦車マウス(マンモス)呉の軍用桟橋をその重みで撃沈して責任問題になったそうですぜ。56トンの虎戦車(ティーゲル)ですらそこら中の道も地面も破壊して使い物にならなかったとか。」

 「造兵廠か技研に知り合いでもいるのか?」


 俺の問いに彼は笑みを浮かべて答える。


 「閣下も解っていると思いますけどね。全部、橙子御嬢さんの命名ですよ。全部受け売りと言っていましたがなかなかオツな命名だとは思いませんか。」


 声を低くしてさらに問う。


 「そこなんだ。姉貴と、先任が御嬢と言ったあの女、どういうことなんだ? 多分あの女が爺様と手を組んで御国を満州で勝利に導いた。其の時使った列強すら恐怖した武器、兵器の出所があの女であることは推察できる。だが、結局御国はあの戦争で唯唯諾諾と列強の要求を呑み、俺達はこんな辺鄙な場所でまた戦争をやってる。もし初めからこれほどの力があれば俺達は列強の要求を撥ね退け、御国でまだ騒いでいる自称国士の言うようにアジアの大国になっていたんじゃないのか?」


 「其の挙句、17年にもわたる無謀な戦争の果てに大日本帝国滅亡という結末になった……。」


 何かを嘲るような笑みに顔貌を変え鍵島は言い放った。


 「良くは知りませんが御嬢は其の時代からさらに100年以上過ぎた世界から来たそうです。何をしたいのかは乃木閣下としか話さないそうですが、国を安んじ奉ることを尊ぶ閣下の事です。変えたいのでしょう? だから御嬢は橙子御嬢さんの姿形を借りてこの世にいる。私としては気に入りませんがね。」


 やはりあの女は未来を知っている。富永を外せと言った理由も解った。あの女が話した状況は国としても軍としても末期の状況、それをアイツも聞いたのだろう? だからアイツはあの女を利用し己が思い描く御国を作るつもりなのだ。しかし対価は姉貴の姿形を真似ただけなのか? それを訊いてみると複雑な顔をされた。


 「御嬢からすれば己の時代を待つまでの暇潰し……なんぞと吼ざいておりましたが何か別の理由がある筈です。それも私達が思い描けない何かをもう支払わされたのかもしれません。と、こんなことを何度言ってもキリがありませんや! 仕事仕事!!」


 そうだな、今の戦場の方が余程重要だ。こんなことは全て終わってから姉貴に尋ねればいい。先の戦で生き残った連中に同期やその指揮下の部隊まで編入して2個中隊、星野の戦車中隊とテッサロニキ市の市民兵が一個中隊、それに『来たばかり』のアメリカ義勇兵と称する連中、一戸閣下始め司令部からすれば宣伝用の味噌ッ滓部隊だろうが、だからこそ緊張する。爺様の声無き恫喝、

 半人前が不満なら軍規に則り証を立てて見せよ。

 あぁ! やってやるさ!! だが俺が目指すのは功名成り名を遂げる事じゃない。歴史に己を刻む事でもない。

 皆と共に戦い、そして皆と生き残る事。

 拳を握りしめ敵の来るであろう貧弱な市壁と其の外に連なるボックス陣地を俺は睨みつける。



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