誰かの声が聞こえる。懐かしい声、厭わしい声、わたしの奥底(きおく)から浮かび上がってくる電子信号と異なる様な()…………


「(自己診断完了、並列人格プログラム再起動)」


 その(ふね)の経歴を覗いた時、わたしは涙した。三姉妹の唯一の欠陥品で在った事ではない。活躍した事が戦争でなんの意味も為さなかった事でもない。無念の最期を遂げた事ですらない。ただ…………

 忘れ去られた事

 信濃、世界最大の巨体を持って生まれた“最初で最後の実戦参加した航空戦艦”、それは初めから計画されたのではなく、一つのそして致命的なまでのミスから生まれた物だった。何も予定の二年前に作り始めた事が問題でなく進水後(できたあと)で発覚した。

 載せるべき第三主砲塔が旋回できない

 設計は完璧だった。でも技術が付いてこなかった。しかも三番艦で技術者も工員も足りなかった。当然の事、当時の大日本帝国に“大和級戦艦を三隻同時に建造(・・・・・・・)”する力等無かったのだ。

 解体するしかない

 戦争が始まった直後ですら関係者はこう思ったと言う。それを真珠湾への航空攻撃が変えてしまった。停泊し惰眠をむさぼっていた筈のアメリカ戦艦が護衛をつけ港湾から出ていたのだ。
 僅か二隻、されど二隻、真珠湾攻撃艦隊に護衛として付いて行ったのは旧式の巡洋戦艦。近づかれればひとたまりもなく沈められ、肝心の空母が襲われる。航空攻撃隊の指揮官は真珠湾を爆撃することなど放り投げ、二隻を集中攻撃するよう命令した。護衛戦闘機もいない戦艦に100機を超える航空機で滅多打ち。それが全てを変えてしまった。

 どんな戦艦も航空攻撃を受ければひとたまりもない

 東南アジアで英国の戦艦が二隻、航空攻撃で沈んだのも大きかった。戦艦乗り、特に攻撃した側の日本帝国の戦艦乗り達は恐怖した。自らの存在意義が無くなったと恐怖したのだ。特に三隻同時に建造している大和級戦艦に予定されている艦長達にとっては。だから、
 信濃の大改造が始まった。世界最大の主砲を乗せる筈だった第三砲塔基部は後部甲板ごと引き剥がされその上にバランスが悪くなるのも承知で航空機甲板を新設、最強の戦闘機とされた零戦を其の設計元にすら知らせず他会社で違法改造させ特注の艦載戦闘機を作り上げた。ミッドウェーの大敗北から帰ってきた戦闘機乗りを引き抜き、持っている戦艦の維持費用まで削って独自の航空隊を作り上げた。
 空の脅威は己で排除し、大和級戦艦本来の目的たる『制空権下での艦隊決戦』を敵に強要する。其の為の航空戦艦・信濃


「(並列人格、補助プログラムのみで稼働中、メインサーバー再起動開始)」


 でも信濃が完成した時、なにもかもが変わっていた。

 枯死寸前で本土に居られなくなった戦艦部隊、ミッドウェーでマリアナで壊滅しアメリカ太平洋艦隊の数分の一にも満たない機動部隊。フィリピンでの決戦において戦艦部隊の役割は艦隊決戦で無く敵上陸船団と刺し違えよというものだった。
 それでも信濃は戦った。後部甲板をキャンバスで覆い未完成の戦艦と見せかけて空母の居ない艦隊と誤解させ信濃航空隊をもってアメリカ航空隊を苦しめた。レイテの戦いが敗北しても再度シンガポールから出撃し、今度は夜襲でアメリカの上陸地点を破壊、おっとり刀で駆けつけた巡洋艦部隊を返り討ちにした。物資の不足する日本本土に使われることが無かった他の航空戦艦と共に物資を輸送し感謝されもした。
 今度恐怖したのはアメリカ太平洋艦隊だった。戦艦と空母の力を併せ持ち、積極的に動き回る新型艦艇。もしこれが通商破壊を始めたのなら? もしこれが身一つで真珠湾やアメリカ本土に殴りこんできたら?? もう特攻が始まっている時代、日本人が躊躇する筈もない。最優先攻撃目標、出来そこないの改造艦にアメリカ海軍の全力が注がれようとしていたのだ。そしてそれは果たされなかった。其の命令を発した直後、潮岬沖であっさり信濃は沈んだのだ。潜水艦から放たれたたった四本の魚雷によって。

「(人格基盤“トーコ”再起動応答なし。内接自己診断プログラム稼働状態、コア権限により介入、覚醒プログラム起動)」

 何故? いいえ、ここからが信濃の受難

 アメリカ海軍にも派閥は存在する。戦艦、空母、護衛部隊、海兵隊、輸送部隊、潜水艦、戦艦部隊か空母部隊かで争う獲物を横から一隻の潜水艦【アーチャーフィッシュ】が掻っ攫ったらどんなことになる? もはや大日本帝国が敗北すると皆が確信していたからこそだった。名誉と栄達、それを確約してくれる勲章(しなの)を横取りされたのなら?

 たかが潜水艦如きに!

 アーチャーフィッシュの戦果は証拠があるにもかかわらず不明とされ、自らの乗組員の名誉と抗議した艦長は社会的に抹殺された。乗組員はバラバラにされ詐欺師の手下と罵倒された。その波紋はアメリカに留まらず無条件降伏した日本にすら向けられる。
 信濃の建造、行動は文書を破棄され存在しなかった贋物として処理された。僅かに生き残った者も海軍脱走者として扱われ社会的に抹殺、中には物理的に消された(ころされた)者までいたと言う。大和級戦艦は二隻、これが日米の共通認識とされ信濃はその銘すら消されたんだ。その銘が取り戻され、日本国民の口で『失われた戦艦』と呼ばれるようになったのは21世紀直前だったと言う。まともな資料すら残らず、其処にあった事すら確約できなかった艦…………
 だから、この艦が霧であっても、霧によって作られた仮初めのものだとしても、其処に存在していたかったんだろうと思う。だから、元と違うこの世界に来た。そう信じることにした。


「(トーコ稼働確認、緊急全力稼働要請を受領、コア承認。これより『橙子』全演算野解放)」


 だから、忘れさせない。わたしたち(・・・・・)を異物とみなし、全く同じ仮初めの潜水艦にわたしを消させようとした。【忘れさせない】、これがわたしたちの宣戦布告。


 
「アアアアアアァァァアッッッ!!!!!!」



 あの時、初瀬の上で贋物如きが叫んだ絶叫。今、わたしがそれを咆哮する!






―――――――――――――――――――――――――――――







 
蒼き鋼のアルペジオSS 榛の瞳のリコンストラクト
 

 
第四章 第20話











 わたしの認識力を拡大。タソス島にいるシナノに照準を向ける。今、わたしと橙子が統合される!


 「(体内ナノマテリアル流入中、生体部品浸食を確認)」


 ハッキング開始、警備プログラムを無視させ防壁を無力化し中枢たるドミニオンコアに直接接続する。超戦艦のデルタコアをも凌ぐ“向こう側”の人類評定のバックアップ、それが統括記憶艦【シナノ】の正体、わたしは歯車に過ぎない、そう“わたし”自身にハッキングの知識も経験もない。だけど索敵ユニットである『橙子』にはある! 『橙子』が鍵となり“わたし”の感情と本能(こうげきしょうどう)が万能の組み換え刃となる。それがわたしの力、浸食能力の正体!!

 「(素体負荷変換進行中、艦内搭乗員に危険、重力子シャッター展開)」

 あった! 大海戦で霧が人類に対し使わなかった、いいえ! 使う必要すら演算しなかった力、超斥力場捕縛重力子照射砲(グラヴィティブラスト)、通称・超重砲? そんな子供騙しじゃない!! 
 霧の創造者達が、いいえ第二次世界大戦の終わり、目覚めた|破滅的存在(ワレラ)を改変者・グレーテル・ヘキセ・アンドヴァリが其の本能で抑え込み、人類が霧と言う存在を初めて認識した原点、カタチが最初にあるのではなく、あったのはチカラ。

 「(素体浸食率45パーセントを超過、意識障害の危険性あり)」

 わたしと橙子、二つのココロが共存を始めた。それは二つのココロが元に戻られなくなる証、無数の警告がわたしの中で喚き立てる。五月蠅い! 演算率から使えない? 同時起動等前代未聞?? 構うもんか!! ドミニオンコアに付属するグレード3級コアを一気に掌握、都合24基のコアを同時統御、元のデータから私が使えるものを、使える形に組み直す。

 「(ハツセ、艦体崩壊開始。艦橋維持機能を優先)」

 できた! それを持って自分の身体に、ついでに制御のために索敵コアを一個借りて行く。でも私が持って帰れるのは情報(データ)だけ。だから持ち帰る事は出来ない。ならば『呼び寄せればいい』次元転送機能を追加する。起動はシナノが、ハツセは受け取るだけ。それなら私達の力は殺がれない。シナノだって見たい筈、わたしの力が、わたしの意思で何を引き起こすかを!!
 戻るとわたしの体躯(からだ)が変わっている。可愛がられていた尋常小学生並のちんまい背丈でなく霧になってわたしが望んでも手に入る事が出来なくなったモノ。乙女としての身体、感動することは許されない。わたしは託された、【人と霧の相克】を。わたしは祈った、【忘れさせない】と。だからわたしたち(・・・・・)闘いを(セカイを)加速させる。
 其の意思、渾身の力を籠めてわたしはハツセの艦橋で叫ぶ!


 
「旗艦装備、起動!!!」(フラッガーエグリップ・ドライヴ)







◆◇◆◇◆







 「高野大尉、近づいてはいけません!」


 駆け寄ろうとした私にあの鎧モドキを着たままで南雲中尉が羽交い締めにする。そう御嬢さんの絶叫が始まった直後、それは彼女の周りに展開し周回を続けている。電子コンソールが爆発したように膨れ上がり6重もの真円を形作った。その中心で御嬢さんは其の身を燃え上がらせる。其の纏っていたトラキアの軍服も、いつも二の腕か腿に結んでいる陛下御下賜の飾り紐まで。


 「しかし!」

 「落ち着いて下さい! あの中心円に入れば人間など一瞬にして消し墨です!! それに……」


 彼の説明に愕然とする。彼の面貌に展開される情報では御嬢さんの表面体温は一千℃を超えているにもかかわらず皮一枚隔てた体内では平熱そのもの。一体どうやって!?


 「 be forgetful about something だと? どういうことだ。」


 ヒューが呆然とメインディスプレイを見て呟く。【忘れさせない】だと?? 大海戦、渤海沖、乃木大尉、鉄嶺の噂、トラキア移民、アーチャーフィッシュ……バラバラの単語がジグソーパズルのように今、繋がる。


 「あ……あ?…………あ!」  そうか、そういうことか!!

 「「タカノ(大尉)?」」


 怪訝な声を上げた二人に『話は後だ!!』と叫び、席につかせ命令を下す。彼女の小柄な体躯、それが成長する理由も解る。“向こう側”の空想科学小説、このご時世此方の世界で出版されるか解りもしないパルプペーパーなジャンルだ。正しく幼年期の終わり


 「この艦は初瀬だ。外見(なり)だけだろうがナノマテリアルで作ろうがこの艦で彼女の父・乃木大尉は死んだ! そして初瀬自体が御国や諸外国によって隠蔽され戦没艦としてしか扱われなかった。信濃も同じだ! 御国に尽くしながら敵と祖国に存在を抹殺された!! そして今、同じ事が繰り返されようとしている!!!

 「なら、許さないになる筈だが?」


 コンソールを叩き次々とプログラムを走らせるヒューの疑問に此方に面貌を向けた南雲が答える。


 「それで一度大失策をやらかしましたからね、橙子御嬢さんは。国も人も吹き飛ばしては『覚えている者』は居なくなる。だから【忘れさせない】という訳ですか、高野大尉?」


 
「旗艦装備、起動!!!」(フラッガーエグリップ・ドライヴ)



 我等の座席の後ろ、唐突に自身を燃え上がらせ其の身を組みかえている――もうどのような非常識も驚くものか! ――橙子御嬢さんが叫ぶ。なんだそれはと言う疑問符とコンソールで検索を行おうとして特秘事項の名とともにそれが拒絶される。前に座る二人に尋ねる。


 旗艦装備? 二人とも解るか??」 質問する。

 「兵器としても不可解です。大海戦ですら霧が使わなかった超重砲なら超重砲と言う筈ですが?」


 南雲の疑問はただ破壊だけ引き起こす兵器を使っても【忘れさせない】の意味にはならないと言う事なのだろう? ヒューが次々と外部映像をメインディスプレイに広げながら言う。


 旗艦か……想像に過ぎないが一つ解った。これは霧の各艦艇が常備する装備では無いということ。即ち霧で旗艦任務に就く艦が己の艦隊を対象として使用する装備。見ろ。」


 艦底を浸食魚雷によって抉られ無惨な破口を露わにしていたハツセ。其れを中心に海が重力場によって二つに分かたれていく。その海の壁に張り付く二つの円盤型の装備それは資料として見たことがある。彼方の大海戦ですら霧が人類に対して使う必要すら考えなかったオーバーキル兵器、


 「超斥力場展開器? 超重砲に使うハツセに無い装備をどうやって!?」


 一連を正面投射版に様々な角度から映像を映し出させるヒューが言う。己の感情を麻痺させ、さも当たり前の様な情景を目にしているように彼は語る。


 「創り出したのさ。見た目は同じだが、やる事は全くの逆だ。始まるぞ。」


 南雲の疑問にヒューが答え私もディスプレイを凝視した。その超斥力場展開器からあふれ出してくるモノ、海中からそれに吸い上げられるときは濡れたような銀色、中央部から霧のように吐き出され、ハツセの艦体を包み込む時は白銀の光輝、


 
「「「ナノマテリアル……」」」



 そして天よりそれが降臨した。(おちてきた)





―――――――――――――――――――――――――――――





 私の目の前で再び悪夢が再現される。海面を揺らめかせ現れた六角格子の球体複数、それが包み込まれた海水を飲み込み蒸発? いや消滅させる! その後に水柱、些か違うが海軍実戦経験者が忘れる事が出来ないであろう船体破壊音。その直後、

 
海が割れた



 「命令! 総員再度配置に付け!! もう間に合わん!!!」


 我ながら、いや艦長としても無茶な命令だ。三笠は無理矢理、孤島の浅海面に突っ込ませ座礁させた上で総員上甲板。駒城始め操舵員や応急班の努力で即沈没にはならなかったものの、いくつかの隔壁が海水で満たされている艦に今から戻れと言うのだから。それでも命令は絶対、下士官の『総員再配置、急げ!』の怒鳴り声と共に今艦壁からロープを伝い救命艇(カッター)へ降りてきたばかりの水兵が力任せにロープを握り登攀に掛る。艦舷では最後に残っていた米内君が応急班に叫び散らし、艦内総点検と被害復旧を命じている。
 三笠から離れたばかりのカッターの一隻が戻ってきた。


 「千早艦長、どういう事です!?」


 寄せてきて早々駒城少佐の質問に顎をしゃくる。目にするは海面に出来たあり得ぬ断崖、


 「あ……ア……ああ……アアア…………」


 彼の言葉にならない『あ』の羅列に同情する。渤海沖でのアレは緘口令が敷かれた後でも荒唐無稽な噂となって海軍中に蟠っている。被雷し、沈みかけた初瀬に畝傍が横付けし、双方とも光の爆発とともに互いを食い潰しあった。そして現われたのはこの世界の科学技術など塵芥の如き存在【ハツセ】。それがロシア戦艦と巡洋艦を撃沈――撃沈など生温い、あの所業こそこの世から消滅させたと言うにふさわしい。――その直後今度は我々の番だと感じた者も多かった。しかしそれは海面に穿たれた壁の中に消え、脚色された『伝説だけが残った』
 公式には戦場心理による集団白昼夢とされ英国の高名な医師も太鼓判を押している。騒ぎ立てる者は凄まじき海戦の哀れな犠牲者と同情され、弔慰金や海軍を勇退する名誉まで与えられた。だから黙っている者というのは関わり合いになりたくない者、真実を探す者、そして真実を知った者だけだ。


 「駒城副長、君はこれを見て騒ぎ立てる者か?」

 「い……いえ、しかしこれは?」


 水兵たちが次々ロープを伝い上っている中、我々は会話する。最後に残った下士官も我々の会話に聞こえぬふりをしてロープを握りしめ登り始めた。


 「これが橙子御嬢さん、そしてそれに取り憑いた存在の力だ。人間など比すに値しない絶対的な意思だ。トラキアは其の意思の下、諸外国に存続を許されている。


 拳を握りしめる。そんなことではない! 私が言いたいのは!!


 「不山戯るな! (へいき)の意思如きで人間が其の営みを左右されるだと!? 御国はあの時より奴の奴隷そのものだ。(ハツセ)は総督と御嬢さんを楯に取り、自らの意のままになる世界を作ろうとしている!!

 「…………確かに人が御せる力では無いようです。ですが艦長、あんなモノに抗えると本気でお思いで?」


 彼が呆然とそれを指し示す。海面の断層から浮き上がってきた【ハツセ】。艦中央部に巨大な破口を穿たれ、今にも竜骨破断を引き起こしそうな惨状。内部構造さえ露わになっている無惨な姿だ。いや無惨と言っていいのか? 人間が使う戦艦とは全く違う構造、それを建造した思想そのものが違う……アレは既に人類が呼称する船の範疇に収まっているのか!?
 それと同時に浮上してきた円盤状の物体、それが銀色の流体を汲み上げては白銀の霧を吐きだしハツセを包み込んでいく。そして堕ちてきたモノ


 
「「鳥居??」」



 余りにもそれは社殿の正門として使われる鳥居に似ていた。





―――――――――――――――――――――――――――――






 「艦底破口部急速に再生中。ばかな! 予備マテリアルなんぞ持っていないんだぞ。」

 「しかし、事実再生している。あの超斥力場展開器が重力子を放射し周囲のナノマテリアルを強制的に掻き集めている。それを使用しているとすれば。」

 未だ海中に在る『名前のないナノマテリアル』は使用できない、それが『霧のルール』。それに関係なく集積して名前を付け、取りこんでいるとすれば……たしかに今までの霧の兵器等問題にならないな。正に次元の違う装備」

 
「「「これが旗艦装備か」」」



 最早これは戦艦がどうの兵器がどうのと言った存在ではない。兵器が意思を持つ究極系、人の手を離れた兵器がどれほど恐るべきもので人を魅せるものなのか!


 「恐らく上で展開している鳥居モドキが再生機械ですね。超斥力場展開器が集めたナノマテリアルを【ハツセ】の設計図に合わせて再配置していく。」


 ヒューの言葉に違和感が出た。どうもおかしい。


 「南雲、現在の【ハツセ】全体像をこっちに回してくれ!」


 メインディスプレイに大きく表された【ハツセ】に三人共口をあんぐりとあける。


 「「「これはハツセじゃないぞ!!!」」」


 確かに船体は其の物だ。歴史上もう使われることがない衝角、艦橋とその中に仕込まれた我々の指揮室、縦横二列に配されている煙突に偽装された各種兵装、艦舷に並べられた副砲の形をした側面多目的誘導弾庫………


 「第二主砲塔が前部に移動してきている。さらに何も無くなった後部甲板が巨大化? 誘導弾庫が消失!? いや、誘導弾庫がそちらに移動してきている。 更に偽装煙突が1本に集約した上に誘導煙突に……弾かれたアクティブターレットが連装になった上煙突周りの砲塔型として再生!! こ……これはまさか!!!」

 状況を報告する中で南雲が呻く。


 「これは【シナノ】なのか? あの統括記憶艦を御嬢さんは模写しようと??」


 ディスプレイをしばし見て感じる。【忘れされない】を刻むこの艦を、この奇跡を。ヒューが軽い話題を扱うように論評し切り捨てた。しかし、其の間も私はそれを考え続ける。この奇跡を、銘を。


 「それにしては随分小さいな。これはシナノではないよ。そんなものを出せば幾等御嬢さんでも上役と総督閣下から拳固を貰う筈だ。 」

 「(…………)」


 ふと後ろを見ると御嬢さんが佇んでいる。もはや人の形をしながら人とは思えない姿、背中から広がる巨大な制御ユニットが翼に見え西洋の天使に思えなくもない。意識等此方に向ける余裕等無い筈だが少し不貞腐れているような表情から見ると何を考えているか想像がついてしまう。手刀を落とされてはたまらないので早々と思考を纏める事にしよう。彼方の歴史に消された悲劇の戦艦(シナノ)と此の世で消え霧として生きねばならなかった初瀬(ハツセ)。其の存在を掛けて150年の闘いを始めた人類の希望。やっと見つかった。それを静かに吟ずる。乃木総督閣下程、謡いに長じては居ないが。


 信濃(・・)国諏訪淡海より出る建御名方神(てんりゅうがわ)初瀬(・・)……即ち」


 彼方にも無く、此方でも人が作ること無き完全独自設計(オリジナル)の霧の艦艇。向こう側のカタログデータで見た大戦艦(せんかん)海域強襲制圧艦(こうくうぼかん)複合能力艦(ハイブリッド)。人に描かれ霧に作られ、双方に背を向けた狂気と裏切り(はしばみ)。今、銘を刻もう。


 
榛の強襲戦艦(リ・ベネトレイター) ハツセ』



 「…………この世で初めて生まれ出た霧の艦艇がその上位組織の裏切り者にして人類の希望ですか。軍記物としても凄まじすぎますな。」

 「むしろ私はトラキアとの因縁を感じますよ。かつて日本列島を襲った大侵略軍を退けた神風、それを吹かせた神が今度は欧州始まりの地にて軍神(マルス)の銘をもって何をするのか。」

 「再出撃まで180秒、超重力子射出器構成開始(グラヴィティカタパルト・テイクスタート)……艦内各部チェック開始。」


 我々の感嘆の声とは別に御嬢さんの無機質な声が響く。この声に危惧を覚える。御嬢さんは今どこまで浸食された? そもそも今の状態から戻る事が出来るのか!? 慌ててチェックに走るヒューに命令。


 「ヒュー、橙子御嬢さんの状態もチェックしてくれ。特に後どれくらい保つかを。」

 「了解、いえ……それはナグモ中尉に任せた。操舵系統切り上げてくれ。そちらにプログラム回す。」


 ヒューも己の斜め後ろ――橙子御嬢さん――を見やった後にそれを南雲に丸投げ。どういうことだ? 尋ねようとした矢先、


 「既に8分が経過している。異常事態とはいえ【アーチャーフィッシュ】がこのままでいると思うか? キャプテン・タカノ!」


 その通りだ! 奴がさっきとった戦術は簡単。我々に己の分身を配し多対一で戮殺するという戦い方で我等を欺く。あくまで奴の狙いは一対一で【ハツセ】を仕留める事。全てを囮に最も高角で魚雷射撃範囲を取れ、しかも【ハツセ】の潜行深度を逆算。即ち此方が総攻撃を放つ場所を先読みし、その直下から無音潜行のまま浸食魚雷を放った。奴が伊400級と同じスペックならは両舷八射線、直撃が二発だったのは僥倖以外の何物でも無い。暴走状態の探査・捜索システムを何とか立ち上げ走査した矢先!


 「来た! 本艦正面距離17000 浸食魚雷8!!」


 此方が重力子偏差による海面断層内に居る事を知り。あえてそこで阻まれるより対艦ミサイルとして浸食魚雷を放ったか! 大海戦時代の人類側の兵器【スーパーキャビテーション魚雷】を識る霧なら雑作もない事だ。そしてこれが失われた勅命や人類評定の介入で無いと解ったのであれば攻撃に躊躇する事はない。八分間、これだけで充分な恩恵だ。


 「ミス・トーコ、ちっと無理してもらいますよ。」


 ヒューの言葉とともに橙子御嬢さんが僅かに顔を歪ませる。私の予測では寸刻を争う程なのに何を考えているのか!? と言おうとしてメインディスプレイの光景が目に入ると絶句した。超斥力場展開器から噴き出すナノマテリアルが多数の四角い壁の様な物に変化し、それに浸食弾頭が吸い寄せられるように突っ込んでは自爆する。ヒューが歓喜して叫ぶ、


 「思った通りだ! 過去の戦訓にエネルギー偏差のある兵器の同時着弾という事態になると構造の劣化を起こしやすいとあった。それはナノマテリアルで構成されているならば艦体であっても魚雷であっても同じ。自動浮遊壁型発振機から多種の指向性波長を同時に叩きつけ信管を暴走、無力化する。――流石に着発信管までは無効化できないがな。」


 どういうことだ? 霧対霧の戦い等、この戦闘が最初の筈。そう考える事を見越したのかヒューが前を向いたまま人さし指を左右に振る。


 「“向こう側”、【大海戦】の戦訓さ。発案は陸上自衛隊所属ミサイル駆逐艦あきつ丸……海上自衛隊名では【うねび】だ。向こうでも霧に負けっぱなしじゃなかったんだな。」


 思わず赤面する。向こう側の戦訓に、それも御国の戦訓としていくらでも霧との戦いがあるのにそれを失念していたとは! これでは艦長失格ではないか。南雲も報告を開始する。


 「高野大尉、現在御嬢さんの身体をかなりの勢いでナノマテリアルが浸食しています。85%以上身体が浸食されれば御嬢さんの脳味噌まで電算化が起こり御嬢さんは御嬢さんで無くなる可能性が高まります。そのタイムリミットは【ハツセ】射出より13分02秒です。」


 「13分間の奇跡か、13分間が過ぎれば最悪ミスが暴走し奇跡が全人類の破滅という悪夢になりかねん。」


 ヒューの冷厳なまでの予測で私は握りしめた拳を凝視する。躊躇するな……遊びなら兎も角、戦で丁半に賭ける等、統帥の外道。向こう側の無様な私を見たからこそ私は軍人である事を博打に乗せなくなった。それでも生来の博打好きは直らなかったが堅実かつ客観的な軍人となる。それが私の新しい生き様だった筈だ。だが、

 
乃木閣下と橙子御嬢さんの別離を永遠の物としたくはない。


 総督閣下が度重なる戦の孤独の中、生きる支えにした小さな希望。御嬢さんが乃木大尉を失ってなお、寄り掛かれる最後の場所。二人の別離を大尉の代わりとして馬上で過ごせたあの時を苦き思い出にしない為に……。

私は!



 「ヒュー、南雲。狐飛びを使う(フォックストロット)、準備を。」

 「タカノ! 本気か!? アレはまだ図上演習(シュミレーション)上のモノでしかないんだぞ!!」


 ヒューの絶叫に南雲が応える。


 「しかも扱った事のない新型で……でしょう? ヒュー・ダウディング大尉。しかし扱えます! 操艦特性はハツセとほぼ同じ。寧ろ過敏すぎる位ですが、逆に言えば一粍単位で艦を動かせればよいのです!!」


 何か言おうとするヒューに立て続けに南雲が畳み掛ける。嫌悪感を隠さずに。


 「アレは倒すべきです。競争相手と言う意味じゃない。アレは霧が作ったプログラムをただ遂行する機械じゃない。学んでいるんです。我々の知識を経験をかつての大海戦以前の向こう側の戦う術を! あんなもの……あんなクソに人間が倒されてなるものかっ!! 歴史を継ぐ者は御仕着せの正解を紡ぐ者ではなく悩み苦しみながら答えを創り出す御嬢さんとわでりゃぞ!!!

 総督閣下と話した時、彼が口にした言葉。二つの世界を跨いだ霧と150年後の未来に向けた人類への指標、それを創り出す者をこう称された。


 
【航路を継ぐ者】



 其の為に我等全ての手段をテーブルに並べ(ベット)札を捲ろう。(ドローカード)今こそ!


 「重力子カタパルト構成終了、射出シークエンス開始。射出まで45秒。」

 「主機関駆動開始、各兵装へ動力伝達開始、全機能電子制御開始(オールシステムオンライン)

 「タイプB重力子機関、緊急出力で待機、全力発揮まで3秒に設定、重力子臨界圧まで上昇します。主駆動機、補助駆動機とも安定。主舵副舵及び姿勢制御機構(ベクタードライブ)感度良好(オールグリーン)

 量子波索敵(クアンタムサーチ)、重力波索敵(グラヴィティサーチ)問題なし。主砲迎撃弾頭装填(ガンランチャー)モード、アクティブターレット問題なし、後部強襲制圧弾頭対ミサイル2、対潜3、対魚雷4で配分終了。艦首発射管選択願います。」


 艦長権限でそれを選択する。後部発射管は言わずと知れた全弾スナップショットだ。


 「全弾、アクティブデコイ、次弾を全弾浸食弾頭で。」


 それとは別に南雲が御嬢さんに話しかけた。


 「御嬢さん、私が合図したらアレを使ってください。発動は5秒、持続は1分でお願いします。」

 「…………保ちますか?」


 辛うじて返事が利き出せた事に安堵。それでも数値は既に50を超えた。予断は許さない。


 海軍精神注入棒(バッター)十連打に比べれば軽いものですよ。それに言いましたよね?」

 「世界一の操舵手になる……それをこんな手段でですか?」

 「手段を選ばないということですよ。」


 量子波による神経系負荷増強(ドーピング)。南雲が私にだけに『危うく死にかけた』と嘆息し『左道(げどう)の術、二度と使う事はない。』と言い切ったその言葉を覆す。全ての意思を乗せ……


 「射出開始まで5秒前、4、3」

 「重力子機関始動!」  


 南雲が吼え、カタパルトを雷光が纏う。一万トンを上回る巨大戦闘兵器を航空機並みまで加速させる力が展開される。


 「2、1」

 「戦術アップロードシステム閉鎖起動(オフドライヴ)!]  


 ヒューが叫び【ユキカゼ】の知の紋章(イデアコード)、いや既にその原形をとどめていない此方の霧の艦艇一番艦【ハツセ】の光輝の紋章。それが浮かび上がる


 「0」

 「ハツセ、発進!」


 私の声と共に全てが爆発したように加速する。景色も、戦況も、我々すら…………


 
戦闘再開(リ・エンゲージ)





―――――――――――――――――――――――――――――





 さぁ始めよう。双方の勝利(そうこく)を…………

 アーチャーフィッシュが安芸を殺った。あの時、私は二型大艇の中でそれ(・・)に気づいた。本来我等を怒らせるが為に戦艦一隻吹き飛ばすのは不可解だ。今回の海戦が日本帝国の勝利、それが今後のバルカン半島のバランスに影響するという事自体言い訳にしかならない。ならば彼等、失われた勅命と人類評定は何を狙ったのか?
 ミス・トーコの力を計る、これはどちらかと言えば副次的な理由にしかならない。寧ろ副産物だろう? 考えられるのは……

 自らの存在を全世界に明かし、人類の艦を沈める事で人類に対する宣戦布告とした。そう、圧倒的な力を持って。

 人類はこの抗うのすらバカバカしい敵にどう対処すべきなのか? バカ正直に正面から相対する者もいよう。利用し己の野心を満たそうと考える馬鹿も続出するに違いない。しかし彼等が思考と言う知性を持ち意思疎通が可能であるならば――そう、可能だ、ミスと我々がその試金石なのだから――共存が可能ではないか? そう考える真の莫迦が出る筈だ。新たなるそれを導く、そう私達に続く者を霧は欲し、其の姿と力を誇示……そう考えるべきだ。


 「敵アーセナルユニットより第4波! 弾数40、タナトリウム反応2」


 素早くコンソールに並べられた迎撃魚雷、水中展開誘導弾、を叩き配分していく。第一次迎撃ラインで防げないものをミスの可能性から自己判断し4基のアクティブターレットと前後主砲の追加機能であるガンランチャーに迎撃指令、脅威度の低い物には対空レーザーを自動配分させる。その間に此方の切り札たるモノが起動する。――やれやれ、これまで先程の再生で変形していたらどうしようもなかっただろうな。


 独立航走駆動器(イクス-クラフト)、切り離せ。プログラムは14-8-5のまま。自己診断はナンバー9を。」


 艦底後部に張り付いていた大型魚雷、と言うより小型潜水艇の様な物が両舷分、二隻切り離される。外見は御自由にというミスの申し出で私は未来祖国が作り上げる特殊作戦用潜行艇を選択した。本来は港湾に引き篭った大型艦を爆薬と言う罠で攻撃する為の物、こいつは罠なのは同じだがスケールが桁外れだ。もし純粋に破壊エネルギーに換算すれば攻撃する大型艦どころか艦隊泊地(スカパフロー)英王室大艦隊(ロイヤルフリート)ごと消滅しかねない。――それでもびくともしない霧が異常なだけだ。
 ハツセと都合3隻でアーチャーフィッシュを挟み撃ちにする。ま、向こうは挟み撃ちにすら思って居ないだろうがな。索敵し精査しても其の実態は欺瞞能力の無い自己移動できるアクティブデコイ、注視はするだろうがそれだけだ。それにこいつらには対魚雷迎撃弾を20発程積んでいる。アーチャーフッシュのコアはこう判断するだろう? アーセナルユニット兵装の迎撃に特化した露払いと。向こうは量子通信で掌握を想定しても演算するだけ無駄と考える筈。『同格故掌握は難しいが、掌握する程の価値は無い。』と、


 「ポイントSへ到達、フォックストロット11秒前、急速潜行開始。」


 ナグモの声に緊張する。シュミレーション上の物でしかないんだこの策は! 最も使えないと霧が判断するであろう兵器を最も使える状況で行使する。其の為に【初瀬】から【ハツセ】に至り、我々が運用するようになってもこの装備は残され、そして強化されたのだ。


 「ハツセ、タイプA重力子エンジン稼働開始。主機関との接続遮断、予測クラインフィールド指向域調整を。」

 「了解、主機関との接続解除、タイプA重力子エンジン独立稼働開始。オートセイフティ解除します。」

 「ヒュー? クラインフィールドはどのくらい保つ??」

 キャプテン・タカノの質問に素早く応える。

 「8秒……ワンチャンスだけだ。」

 「フォックストロット開始!」


 僅かにシートに押し付けられる感覚。そうだ現行60ノットから最大出力100ノットに加速したその感覚すらこの程度。本来海上、海中、いや空中であろうとも人間がこの加速に耐えられる筈もない。今の機械ですら耐えられない。其れを使いこなす霧だからこそ、陥穽が存在する。同じ時代でのスペックでしか考えられない。

 
それを突く


 「アーチャーフィッシュ、フルファイヤー確認! 誘導弾48、キャビテーション短魚雷24、浸食弾頭搭載泡沫噴進長魚雷(タナヒレイトキャビテーター)8! アーセナルユニット同じく! あぁもう!! 計測不能だ!!!」


 自棄を起こすような私の声とは裏腹にタカノが冷静に判断を下す。私とて口は兎も角、コンソールを叩く指と戦術状況スクリーンを滑って迎撃命令を続ける電子筆は止まらない。


 「アクティブデコイ全弾射出!」


 手早くコンソールを叩く艦首発射管から6発のアクティブデコイ搭載魚雷が放たれる。それでいい。此方にスナップショットがなく苦し紛れにアクティブデコイと楯にする戦術と誤導する。だからこそ真打ちの浸食弾頭は最後列。アクティブデコイなら通常弾頭で十分だ。そして浸食弾頭も恐らく近接信管、此方に直撃させずともクラインフィールドを飽和させればそれでいい。止めは次弾、其の程度お見通しだ!
 一瞬にして展開したばかりのアクティブデコイが爆散する。敵のフルファイヤーによって此方の放った迎撃弾があっという間に喰われ、その間隙を8発の浸食弾頭が突破しハツセに迫る!!


 「(頼むぞ、ナグモ)」






◆◇◆◇◆






 「量子覚醒波、投射」


 私の思考と共に耳が異音を捉え、すぐに収まる。急激に視野が聴野が広がったように感じられ味覚も触覚も今以上に精密に感じられる。私の闘争心が強烈な快感となって体中を駆け巡り、心臓が体液がこれでもかとばかりに沸騰する程熱く、そして意識だけが凍りつく程冷たい。
 全てのハツセの艦外展視鏡(カメラ)映像が同時に頭に流れ込んでくるが苦にもならない。私が今どこにいて、敵がどこに居るのかが己の身体と同感覚で感じられる。
 人機一体を疑似的に再現するのがこの量子の波という麻薬の効能だ。勿論代償はある。使用後、心が死にかけた。麻薬中毒とはこのような物かと恐怖した位だ。橙子御嬢さんは使用後、副作用の出る前に中和剤を打ち込みナノマテリアルを投与して昏睡状態にすると言ったが期待はすまい。それでも尚、不可能を可能とすべく私はこの力を使いこなす!


 「(第一波4発……三次元浸食領域予想図展開……第二波続けて展開)」


 己を中心にどのように浸食弾頭が炸裂しあの赤黒い格子紋が広がるか直接意識に飛び込んでくる。最早ダウディング大尉が言う魔法と幻想の世界『未来視』に近い。……隙がないな、本来の操艦では逃げ場はない。上下左右何処に艦首を振ろうとあの赤黒い格子に突っ込み此方のクラインフィールドが飽和、いや現状では艦体そのものが喰い潰される。今、ハツセのクラインフィールドは元の性能からすれば紙一枚程度の強度しかないのだ。


 「(艦首下げ0.04、左舷0.4回頭、速力0.5秒で11ノット低下、艦体右回転開始、擦過時間0.28秒後逆進開始、艦体縦面240度回転後16ノット増速)」


 そう不可能だ! こんな馬鹿げた操舵命令を出す操舵士官が何処に居る!? いくら帝国海軍の操舵士、操舵兵が優秀でもこんな粍単位の命令など不可能だ。其れを可能にするのがハツセ……そして私だ!!!
 右舷側の浸食弾頭が炸裂しあの格子――対消滅半径――が広がっていく。下げた艦首の縁、そこでクラインフィールドが接触し部分飽和が始まる……始まりながら其の接触点が艦体の運動によって徐々に艦腹へ移動していき飽和点は広がりながらも全面崩壊に至らない。逆にクラインフィールドに押されて艦尾が大きく持ちあがり、まるで跳馬選手の要領で対消滅空間を『飛び越える』
 対消滅空間が離れた途端、重力子機関が唸りを上げ格子との接触点を強引に引きはがす。本当に有難い。御国の艦艇でこんな事をやったら出来たとしても全員艦内で挽肉になる。重力子制御、慣性中和あってこその五輪体操選手並の機動が行えるのだ。


 「(艦首上げ0.5、右舷0.8回頭、艦体4秒後左回転、5.08秒後次元推進タービン逆進、全姿勢制御も逆進。右舷機関のみ全力運転)」


 第二波の四発の浸食弾頭――内、二発は此方を指向出来ない。己の速力を殺せず旋回に失敗し、先程の浸食域に突っ込むのが『未来視』できる。残るは二発! 思わぬ程海底との隙間が少ない。間隙は初瀬を入れれば一尺あるかどうか……
 感覚の無い自分の顔面に笑みが浮かぶのを感じた。あんな装甲巡との闘いがまるで模擬戦の様だ。今度は炸裂し広がっていく格子を眼上で見ながらハツセをその表面で回転させ海底に転がり落ちる。海底に接触する寸前、野球選手がホームに向かってスライディングするように艦の前後を逆に振り、艦体を逆に突進させる。眼上の浸食域、眼下の海底が接触する前にその間隙を潜りぬける!
 一気に視界が開け、同時にイエローゾーン――肉体汚染限界――の警告が表示。緊急停止を命令し……


 「(高野たいイ、よろしくおにゃ…………)」





◆◇◆◇◆





 「後部発射管5秒毎にスナップショット発射開始!」


 抜けた! 抜けられた!! これをやるのにシュミレーターとして時間経過を何倍にでも遅くしてすら何回失敗したか!!! 南雲、良くやってくれた。流石日本――いや世界一の操舵手だ! だから、最後は私が決着をつける!
 彼から操舵制御を艦長権限で移譲、180度回頭を行いながら順次スナップショットを撃ち放っていく。それと同時に独立航走駆動器を確認すべくコンソールを走らせ、


 「タカノ! 独立航走駆動器健在、お前のツキをもう一度見せてくれ!!」

 「ヒュー、最終タイミング任せる。狐飛びスタート(フォックストロット)!」


 狐飛び……ヒューの御国、大英帝国本土の駄話を聞いた時のことだ。彼の国の狐であるアカギツネは餌となる鼠族を狩るのに一風変わった戦術を使う。鼠は思ったより賢く、そして用心深い。只追いかけただけではあっという間に巣穴に逃げ込まれ、狐は無駄足と言う馬鹿を見る。ならばどうするか? 興味の無いフリをして一定距離まで近づく、ここまでなら可能だがその後どうする? 追いかける事も出来ずそこで立ち止まっていれば鼠の事、さっさと立ち去ってしまうだろう?? 警戒し此方を向いている時が鼠の最大の隙だと狐は認識したのだ。
 右か左か、それとも正面か? 鼠は警戒しアカギツネが次に取るべき行動を予測し備えている。其の三者のどれをキツネが取るのかに“だけ”全神経を集中している。ならば!


 上げ舵(アップトリム)45、重力子バラスト姿勢制御のみで全解除(フルパージ)主機関過負荷運転開始(オーバーブースト)!」


 南雲の様にミリ単位等望めないがそれでも既存の艦艇などより遥かに制御が利く。しかも私の声が御嬢さんによって電気的な命令へ組みかえられハツセの動力が正確にそれに従うのだ。重力制御が追いつかなくなり急速に己の重さで座席が軋みを上げる。艦体そのものが無茶な機動で軋みを上げる。艦内状況でいくつもの区画がレッドマーカーに変わり警告音が響き渡る。


 「深度40……20……ゼロ!」


 ヒューの叫びと共にハツセが海中から海面へ…………

 「全機関全力噴射(フルバーニアン)!!」

 後部機関収納区画が艦後部装甲ごと爆ぜ割れ、花弁が咲き誇る様に大きく開く。そこから吹きだすは花粉ではなく、艦其の物を海面からさらに上に押し上げる推力!


 「ハツセ離昇!」  ――そして我々は空中へ其の身を躍らせる。


 そう、狐は気づいたのだ。何も平面軸で動かなくてはならない道理は無いと。接敵距離ギリギリから空中に跳躍し、空から襲いかかる。視界から突然天敵が消えた鼠は一呼吸だけ反応が遅れる。その一呼吸の隙こそが最大のチャンス。


 「独立航走駆動器稼働開始、未だタカノ!!」


 ヒューの確認。独立航走駆動器、その正体はその内部に搭載されたタイプR重力子エンジンにある。これを暴走させ疑似的な重力隔離区域を構築、次元偏差で壁を創り出し海水ごとアーチャーフィッシュを閉じ込め海面へ持ち上げる。その間僅か25秒。私の頭で最後の命令が弾け、切り札が起動する。


 「姿勢変更、艦体前傾姿勢へ。艦首兵装起動!」


 全ての意思と共に声とする。艦首、使われることが無い模造装備、そう思われていた突起が大きく開き、むき出しの重力子エンジンとそこから延びる二重高速回転する不格好な四角錐が露わになる。衝角、その役割を終えた旧戦術の残滓、それが戦術、心理、状況揃えて初めて戦力として再構成(リコンストラクト)される!


急降下衝角戦開始(ジャガーノート・スタート)


 眼下500メートル、その敵に艦艇では不可能の音の壁を引き裂いてハツセが襲い掛かる。




―――――――――――――――――――――――――――――






 轟音と破砕音、不気味な振動で意識が飛びそうになるのを必至で堪える。艦首衝角、ハツセでなくても対日本帝国軍艦・初瀬であっても時代遅れの代物だ。そもそも交戦距離が200メートル前後の時代なら使いようもあろうが日清戦争で2000メートル日露戦争では5000メートルという絶望的な砲撃戦距離がその使用を阻む。突撃し近づけば良い? その前に蜂の巣になるのがオチだしそもそも近づく為には艦首を敵に向けねばならない艦首を敵に向けて突進するという行為は砲撃戦では自らの砲力を下げる下策、腹を晒して全火砲を一瞬で敵に向け叩きのめす敵前回頭がセオリーだ。

 だがそれは誰でも知っている未来の常識であるならば……その常識を逆手に取る事で奇策として使える。

 浸食魚雷群をあえて迎撃せず回避しきる事でアーチャーフィッシュの誤判断を誘う。スナップショット数発を断続的に炸裂させる事で量子索敵()聴音分析(みみ)を奪う。此方は予定通りの行動で空中からアーチャーフィッシュに突撃、短時間とはいえ一万五千トンの質量が音速で叩きつけられるのだ、それもクラインフィールド付きで!


 「ヒュー!状況!!」

 「全員生きてる! たが不味いぞこれは!!」


 送られてきた状況にやはりと頷く。独立航走駆動器が起動した時点でアーチャーフィシュはその重力子エンジンの全エネルギーをクラインフィールドに振り向けた。本来のコアユニットならそんな状況でもあれこれと力を分散しようとするがそれが無い。つまり相手も考えている。これはハツセの自暴自棄な賭け、凌ぎ切れれば此方の勝ちだと、


 「予測通りだ。2秒前でやれ!」

 「しかし!」


 後ろを振り向こうとするヒューを諭す。


 「勝つのハツセでなくてもいい。我々と御嬢さんが勝つ事が……いや、」


 言葉を繋げる。


 「負けない事こそが奴等、シナノと人類評定に突き付ける課題だ!!」

 「アイ・サー!」


 彼の敬礼と共にコンソールに向かう。ナグモの状況、相当悪いな。早速救援を要請しタソスのドックに移送すべきだろう。向こうも勝てなかったで意趣返しなど考えもすまい。御嬢さんの話では『後悔』『悔しい』それすら霧は実装出来ていないのだから。寧ろ事実を起こした貴重な実験体(サンプル)を逃しはすまい。
 独立航走駆動器が其の稼働に耐えきれず自壊し次元偏差海域――最早、ぶつかり合う波涛が三次元の幾何学模様に割れ海水と言う液体が固体の偶像と化しているのを海域等と呼べるのならだが――が荒れ狂う。カウントダウン、その時間(とき)が迫る。
 静かにディスプレイに流れる言魂、浸食率は69から70をカウントした。御嬢さんからの最後の言葉。其の文字を凝視し続ける。ヒューのディスプレイにも流れているのだろう。彼が一言も発しない。南雲が、意識を失っている彼がうわ言の様に『ヲ嬢サ』と声を出した。私の背後、御嬢さんが居る空間がナノマテリアル其の物で分けられ隔離される。


 「また会えるさ……きっと。」 袖で顔をぐいと拭い。最後の瞬間に備える。

 「ファイヴ……フォー……」 ヒューのカウントが虚ろにも聞こえるように響く。

 「スリー……ツー!」 最後の命令を下す。【忘れるものか】

 艦首発射管、全浸食弾頭起爆(オーバーアタック)!、艦橋射出(ベイルアウト)!!」


 艦首に再装填されていた6発の浸食魚雷、その全ての弾頭が自爆信管を起動させる! タナトリウムが重力子崩壊を起こし、対消滅の赤黒い格子を発生させる。其れは初瀬の艦首ごとクラインフィールドもアーチャーフィッシュの艦体すらも一緒くたに呑みこんでいく。
 私達がそれを見たのはハツセが指揮室を丸ごと射出し空中に放り出した後だった。



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