戦場に立つ、一人の男がいた。
長い髪をその中ほどで結った、頬に入れ墨を施しているその男性。
今で言う軍服に似た服を身に纏い、その上から赤い縁取りの羽織に袖を通している。
両の手には鎖で繋がれた一対の刀を携え、その場にただ凛と立っていた。

名を石田三成。
豊臣秀吉が軍を興した当初より傍に仕え、今まで軍の指揮を執ってきた人物。
竹中半兵衛の参入により、その地位より身を引いたが、今でも変わらずに重役を担っている。
武においては秀吉に、智においては半兵衛にそれぞれ若干劣るが、三成の力は豊臣軍に欠かせないものであった。

そんな彼を討ち取らんと、数多の兵士が押し寄せる。
だが、彼より一定の距離からはだれも近付くことなく、命を散らせていく。
鎖の中ほどを持ち、縦横無尽に振り回す、まさしく死の演舞。
切り裂いたときに飛び散る血は、赤い花弁を思わせる様であった。

「さすがよ、三成」
「……秀吉か」

三成の武に恐れ戦き、敵勢が逃げ腰になった頃合いであった。
背後より近寄ってきた、一人の武将がいた。
彼こそが、豊臣秀吉その人である。

秀吉は、怯え・逃げ惑う敵に対し、哀れみをこめた視線を送っていた。
その意味を、当然三成は知っている。

「三成。見たか、この国の現状を」
「聢とこの目で……」
「この国は脆く、弱い。いずれ、海の向こうより押し寄せる国に押しつぶされるのは目に見えている」
「そうだな。だから秀吉、お前がこの国を強くするのであろう?」
「如何にも!」

そう言うと秀吉は、拳を固く握りしめ、天へと掲げる。

「我が力を以て、この国をより強大にする。三成、お前にも期待しているぞ?」
「言われずとも。しかし──」
「む?何だ?」
「……いや、気にするな。私個人のことだ」

三成がそう告げると、秀吉は小さく頷きその場を後にする。
去っていく秀吉の背を見つめ、三成は不気味に微笑んでいた。

「秀吉、仮にも私が“覇王の素質ありき”と見込んだのだ。この日の本くらい掌握してくれないと困る……尤も──」

いったん言葉を区切り、天を仰ぐ。
天に手をかざし、その手をゆっくりと握り締める。

「掌握した日の本は、私に献上してもらうがな?昔、私が秀吉に献上したように……クク、クハハ……」

 

──────────────────────────────────────────────────

 

 

日の本掌握に向け、その支配を広げようとする豊臣軍。
彼らがまず最初に白羽の矢を立てたのは、浅井長政の治める近江国。
精錬され、規律の整っているとして名高いその軍を、軍師である半兵衛は手中に収めたかった。
徐々に数が膨れ上がってくる豊臣軍にも、それだけ規律が取れれば、今以上に精強となることは目に見えているからである。
かくして、一行は浅井軍が陣を敷く姉川へと、軍を進めた。

「まずは四方の砦を制圧せよ!浅井長政の逃げ道を断つ!」

半兵衛の指示で、精錬された兵士たちが各砦に押しよせていく。
青龍・朱雀・白虎・玄武の砦を落とされれば、中央の砦にこもる長政も黙ってはいない。

「しかし、乱暴な進軍だな。一万余の浅井軍に、十万近くの軍勢で攻めよせるとは……」
「見せしめと捉えてくれて、一向に構わないよ、三成君」

皮肉たっぷりに答えるのは、豊臣軍の軍師・竹中半兵衛。
仮面をつけていてもわかるその笑みからは、背筋が冷たくなるものを感じさせる。

「だがね、三成君。秀吉の力を世に知らしめるためには、こういった新軍も必要不可欠なんだ。分かるかい?」
「……半兵衛、私とお前と、どちらが長く秀吉と付き合っているか、忘れたわけではあるまい?秀吉が力でこの日の本を治めようとしていることも、そのために不要なものを排除しようとしていることも、重々承知している」
「そうだったね。失敬、君にしては珍しい発言だったからね」

そんな二人の、互いの腹の内を探るような会話を聞きながら、秀吉は微笑を浮かべていた。
覇王ゆえの余裕か、はたまた別の理由か……
その真意は、誰も知る由もなかった。

 

──────────────────────────────────────────────────

 

 

「長政様!青龍の砦、陥落いたしました!」
「ご報告!朱雀・白虎の砦、陥落間際とのこと!」

長政の寄せられる報告は、全てこちら側が不利であるというもの。
その報告を聞くごとに、長政の表情は曇っていく。
唇をかみしめて悔しがるあまり、赤い血が滲み出ていた。

「おのれ、豊臣秀吉。このような愚劣な行い、許してなるものか!」
「……長政様」

怒りに震える夫を、心配そうに見る姿があった。
どことなく妖艶な雰囲気を醸し出すその女性は、織田信長の妹の市。
長政とは対照的に、暗く重い空気をまとっている。

「市、貴様は逃げろ!たとえ悪の軍勢とはいえ、女子供までは殺すまい」
「嫌です……市、長政様と一緒にいる……」

目には涙を浮かべ、子どものように縋る市を、長政は足蹴にはできなかった。
苦渋の思いをしながらも、市の意思を反故にはできない。

「……勝手にしろ、怪我をしても知らんぞ」
「はい、長政様……」

 

──────────────────────────────────────────────

 

相手の十倍の軍勢で押し寄せた豊臣軍にとって、四方の砦を陥落させるのは時間の問題であった。
秀吉たちがそれほど待つまでもなく、中央の砦の門は開かれた。
そこに赴くのは、石田三成ただ一人。

「三成君、君ほどの腕前ならば、長政君を説得することくらいできる。もしも、説得を聞き入れない場合には……」
「三成、お前の裁量に任せる」
「──心得た、秀吉、半兵衛」

たったそれだけ言葉を交わし、三成は歩を進めた。
道中、浅井の兵が抵抗してきたようであったが、三成の記憶にとどめておくほどのことでもなかった。

「む!来たな、悪の手先め!」
「はじめまして、だな?浅井長政」

不気味に微笑みながら、三成は歩みを止めた。
目の前にいるのは、浅井長政とお市の二人。
その二人を交互見眺めながら、三成は小さくため息をついた。

「……正直言って、がっかりだ。正義云々にはうるさいと聞いていたのに、初対面の私に向って“悪”とはな……」
「黙れ!我が正義を脅かすものは、断じて許さぬ!悪と無駄口、即刻削除なり!」
「まぁ落ち着け、浅井長政。態々ここに赴いてやったのには、それなりの理由がある。それを聞いてからでも、私に刃を向けるのは遅くないはずだ」
「……………」

不承不承といった風で、長政は構えた刀を下ろす。
それを見届けた上で、三成は再び口を開いた。

「今この状況下において、お前が取れる選択肢は二つに一つ……豊臣に屈するか、ここで犬死するかのどちらかだ」
「な、何をふざけたことを……!」
「私は戦場の最中に、嘘をつくような愚者ではない。現に、この中央砦も我が軍が包囲し、犬猫一匹たりとも逃げ出すことはできない。そんなお前に対し、私は猶予を与えているのだ」

三成が相手を説得する際に、こういった発言の仕方が目立つのは今に始まったことではない。
秀吉と出会った時も、半兵衛を傘下に加えた時も、このように上から見下す発言が多かった。
それ故に──

「貴様ぁ!言うに事欠いて、私を愚弄するか!」

相手を逆撫でし、牙を向けられる場合が多い。
だが、半兵衛が敢えて三成を差し向けたのは、元々長政自体には用はなかったからである。
用があるのは、統率された練兵のみ。
一つの軍に統率者が複数いては、逆に軍は乱れてしまう。
そのため、長政という統率者は、ここで消しておくに限る。

「選択肢は決まったようだな、長政」
「貴様の、私に対する数多くの暴言、許すまじ!」

刀を天にかざし、長政は猛る。
自身の正義を踏みにじられたその憤りを力に変え、その愚か者を睨みつける。
光り輝くその剣は、まさしく怒りの表れ。
左腕につける盾もやがて輝きだし、その怒りが大きく膨れ上がっていくのが手に取るように分かる。

傍らの市も、三成のことは嫌いのようだ。
黒く禍々しい空気を、双頭の薙刀に纏わせて凛と立つ。
しおらかで、それでいておぞましい、一輪の花の如く……

「交渉、決裂だな……」
「行くぞ、石田三成!貴様を削除する!」

凄まじい勢いで突進した長政の刀と、ゆらりと立つ三成の刀が交差した。
三成は様子見らしく、片方の刀のみで相手をしている。
対して長政は、接近しては切りつけ、飛びのいては盾を飛ばし、一瞬の隙すら与えない構え。

双方の刀の扱い方にも、若干の差異がうかがえた。
長政は主に、斬り下ろし斬り上げる、オーソドックスな刀の扱い方。
それに体術も交え、衝撃を倍増させている。
対して三成は、突刺を主体とした戦い方。
鎖で二つの刀がつながっているために、片方の刀だけで戦うとどうしても攻撃が制限されるためである。

「石田三成、私を愚弄するつもりか!本気で戦わないのか!」
「それは私の言葉だ、長政。この程度が本気というのなら、私はいい加減──」

不意に、三成の言葉が途切れる。
その視線は長政ではなく、その後ろの人物に向けられていた。
長政の妻の、市である。

「市、お前はそこで何をしている?」
「石田三成、貴様の相手は私であろう!市は関係ない!」
「寝言は起きている時に言うものではないぞ、長政。戦場に身を置いているのに、傍観するなど言語道断。そこに性別など関係ない」

長政から視線をそらし、市へと向き直る。
だがその市は、ずっと俯いたまま。

「市、お前はどうしたい?服従しつつも生きながらえるか、抗って死ぬか」
「……市には、分からない」
「考えるつもりはないのか?」
「……………」

返答はなし。
その態度に、三成の心中は穏やかなものではなくなった。
左手の刀を市に向かって投げつけ、鎖で絡めとり、無理矢理こちら側に引き寄せる。

「なっ!き、貴様、市には手を出すな!」
「黙れ、長政。私はこの手の人種が嫌いなのだ」

市の頸を掴みながら、先程とは違う、怒りに満ちた目で睨みつける。
掴む手にも力がこもり、徐々に市の呼吸も荒くなる。

「や、やめろ!」
「長政、お前にも野心くらいあるだろう?その野心があろうとなかろうと、ただ人に付き従うだけの人間など、ましてこの女のように、自分をもたない人間に、未来を生きる価値があると思うか?」
「な、長政……様……」

か細くなったその声と、虚ろになりつつあるその目で、市は長政を見つめる。
体から力が抜け始め、持っていた薙刀は地に落ちる。

「最期に、一言くらい言わせてやる。何でも言ってみろ」
「い、市は……な、長政様を、殺さ……ない、で──」
「却下だ」

無情な一言と共に、市の体に刀を突き立てた。
すぐさま刀を引き抜いたために、鮮血が飛び散り、三成の顔を赤く染めた。
その光景を、長政は眼を見開き、呆然と見ているだけしかできなかった。

市の体を乱雑に投げ捨て、長政に向き直る。
呆然としていた長政は、三成の赤く染まった顔を見、激しい怒りを湧きあがらせる。

「貴様ぁ!よくも、私の市を!」
「案ずるな、長政。すぐに同じ場所に行けるさ」

三成の言葉が終らないうちに、長政は斬りかかっていた。
二つの刀で受け止め、軽々とはじき返す。

「長政、私が憎いか?」
「当然だ!貴様は私の市を──」
「だがしかし、お前は“正義”を名乗っている。“正義”を名乗る者が、そんな目先の衝動に駆られていいのか?」
「う、うるさい!」

三成の言葉をかき消すかの如く、長政は刀を振り下ろす。
しかし、迷いの生じた刀には、先程までの衝撃はない。
先ほど以上に軽々と、三成に押し飛ばされてしまう。

その勢いで地に伏した長政に、冷酷に三成は刀を突き付ける。
意地でその刀を弾き、長政は後ろに飛びずさる。
だが、その息使いはやや粗くなっている。

「……飽きたな、長政」
「な、に……?」
「あまり時間をかけると、半兵衛がうるさいんだ。悪いが、次で終幕とさせてもらう」

刀の柄から手を放し、その先の鎖に手をかける。
その佇まいからは、今まで以上に殺気を感じる。
思わず、長政は息をのんだ。

間違いなく、今までのは小手調べ。
確実に、次は本気で殺しにくる。
肌にひしひしと伝わってくる殺気が、明瞭に語ってくる。

「最後くらい、抗って見せろ」
「い、言われずとも!」

瞬時に構えなおし、長政は三成に突進する。
今まで以上に刀が煌めき、その鋭さを増した。

「輝斬・十文──」
「……遅い」

十文字に斬りつけるという、長政の必殺技。
だが、斬りつけるはずの対象は、目の前から姿を消していた。
目の前には、桜の花びらのようなものが、霞むように漂っていた

「何を見惚れている?」

突如、後ろから声がする。
驚きのあまり、振り向くことはできなかった。

「長政、お前にも一言残すことを許してやろう。何でも言ってみろ」
「くっ……!」

敗北を諭され、悔しさから拳を強く握る。
だが、すぐに力は抜けた。
気づけば目の前に横たわっていた、市の姿が目に入ったからだ。

「ならば、ひとつだけ願いを聞いてくれ」
「言ってみろ」
「私の首はくれてやる。だが、せめて、市と同じ場所に埋葬してくれ」

絞り出すような声で、長政は懇願した。
対して三成は、何かに堪え切れなくなったようで、突如笑い出した。

「クハハハ……!長政、なかなかに可愛げがあるではないか。これは予想外だな……しかしだな──」

再び、三成の声は冷たくなっていく。

「論外だ」

背後から、力いっぱい長政を斬り裂いた。
一瞬で絶命した長政の体は、ほんの僅か市に触れることは叶わなかった。

「市のその死体は、いずれ織田への宣戦布告の際に必要だからな。くだらないことをいうものじゃない、長政」

戦は、密やかに幕を下ろした。
三成が首級を携え、秀吉の元に戻ると同時に、高らかに鬨の声がこだました。


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