「秀吉、三成君はどこに?」

姿の見えない三成を、半兵衛は朝から探していた。
その半兵衛に対し、秀吉は茶を啜りながら答えた。

「三成なら、小牧長久手に出向いておる」
「小牧長久手?あそこは確か今、徳川家康が陣を張っているという情報が入っているはずだけど……?」
「事の仔細は告げてはおらんが、三成のことだ。何か思うことがあってのことであろう」

三成の不思議な行動に、秀吉は対して不信感を抱かない。
その様子を見て、半兵衛は呆れたように口元を緩める。

「相も変わらず、君は三成君を信用しすぎだよ。まぁ、それほど長い付き合いということは承知しているから、
何も言うことはないけれどね」
「ふっ……人の上に立つ人間が、己の親友を信じられなくてどうする?」
「確かに、君の言う通りだ」

半兵衛はそう答えながら、秀吉に向って座り込む。
そして、手に持っていた地図を広げ、各国の勢力範囲などを指示していく。

今現在、豊臣の勢力圏はさほど大きくはない。
だが、軍事力という点で見れば、甲斐の武田や越後の上杉・尾張の織田ともやりあえるほどの規模を誇っている。
あとは、その軍事力に見合うだけの勢力を拡大していきつつ、さらに軍事力を強大なものにしていく。
当面の方針は、そのような具合にまとまっていた。

主に、こういった事柄を決めるのは半兵衛の仕事。
秀吉があまり口をはさまないのは、それだけ半兵衛を信頼している証。
故に、豊臣軍の手綱は半兵衛が握っているといっても過言ではない。

「しかし、三成君の今回の行動には、ほとほと呆れるよ」

地図の上に駒を並べながら、半兵衛がつぶやく。
直接地図に書き込まないのは、この時代、それほど地図というものの希少価値が高かったためである。
そのため、勢力や軍の侵攻などを示す際には、このような駒が使われることが常であった。

「言ってやるな、半兵衛」
「そうは言うけれどね、理由もなくあちこちに放浪してもらうのは、なかなかに面倒なんだよ」
「……三成が一人でどこかに赴く理由……半兵衛、忘れたわけではあるまい」
「……忘れているわけではないけれどね、家康君にそれほどの価値があるかどうか……」

二人の言う、“三成の理由”。
それは、視察が目的ということである。

豊臣軍の隠密部隊を預かるほど、それらの扱いに長けた三成。
当然、自身にもそれなりの能力は備わっている。
それ故、数名の隠密を密かに供に付け、様々な場所に視察に行くというのはよくあること。
持ち帰る情報の質は非常によく、秀吉公認で好きに視察に行っているのである。

だが、今後の方針を決める上で、多少なりとも意見の提供は欲しいところ。
方針が曖昧なこの時期に勝手に行ったことに、半兵衛は苛立ちを隠せないでいた。

「三成にも、三成なりの考えがある。此度くらい、大目に見てやればよかろう」
「秀吉がそこまで言うなら、僕はもう何も言わないよ」

自分も茶を啜り、大きく息を吐く。
夜通し作業を進めていた体に、気持ちの良いほど沁み渡っていくのがよく分かる。

「半兵衛、無理はしておらぬだろうな?」
「大丈夫だよ、秀吉。これくらい、どうってことないさ」

仮面越しからでも、半兵衛にそれなりの疲労が溜まっているのはよく分かる。
だが、本人が問題ないという以上、無理に休ませるのも気が引ける。
一応注意の言葉だけ掛けておくが、それでも秀吉には懸念が残る。

「……秀吉、そんな顔はよしてくれ。僕なら本当に大丈夫だよ」
「なら良いが……今はまだ、焦って進軍するときでもあるまい。浅井より併呑した将兵の鍛錬もこれからだというのだ、ゆっくりと事を進めればよい」
「分かったよ。なら、少し休ませてもらうとするかな」

持ってきた地図は、秀吉が自分で処理するから置いておけというので、そのままにしておいた。
そして、部屋を後にしようとした半兵衛だったが、不意に出口の手前で立ち止まった。

「そうだ秀吉、ひとつ訊きたいことがあったんだ」
「ん?何だ、半兵衛?」
「三成君がいないから丁度いいんだけど……」

人目を憚るように周囲を確認した半兵衛は、一呼吸置いてから再び口を開いた。

「三成君が、君を利用して天下を掌握しようとしてる、なんて考えたことあるかい?」
「有り得ぬ」
「おや、ずいぶんと彼を買っているようだね。でも、僕からすれば、彼はこれから対峙するどんな敵よりも性質が悪いよ」
「案ずるな、半兵衛。三成は天下を統べられぬ」

秀吉の、どことなく安心しきった発言に、半兵衛は首をかしげる。
そんな彼を見て、秀吉は表情を和らげて答える。

「三成には、天を統べるだけの器はない。それ故、天下など統べることはできぬ」
「おやおや、ずいぶんと辛辣なんだね」
「三成本人が言っていることでもある。無論、我から見ても、三成は人を統べることはできても、天下を統べることなどできぬ人材だと思っておる」

意外な言葉に驚きつつも、秀吉も言葉には納得させられる。
天下をどのようにしたいかという野望も、天下を統べられるほどの器量も持ち合わせていない。
確かに、半兵衛から見ても三成は、秀吉のような人間でないことは一目瞭然。
少しも心配する必要などなかった。

「まぁ、僕の懸念で済めば言うことはないんだけどね」
「案ずるな、半兵衛。仮に、三成が反旗を翻そうと、我を超えることなどできぬ」
「うん、それは間違いないね。君ほど大きな野望を持っている人間なんて、そういな──」

突如、半兵衛の言葉が途切れる。
不審に思った秀吉が、心配そうに視線を送る。
だが、問題ないといった体で、すぐに笑顔を向けてくる。

「さて、と……秀吉、僕は自室に戻るよ」
「うむ……半兵衛、くどい様だが無理はするな」
「分かってる」

秀吉に心配させないように、半兵衛はそのまま軽快な足取りで部屋へと戻った。
すると、すぐ様机に向かって文字を認める。
途中、何度も咳き込みながら、その作業は続いた。

「(僕にはあまり時間がない……一刻も早く、秀吉の天下を成し得るためには、体のことなんて省みる暇なんてない。それに──)」

半兵衛の心の内には、どうしても拭い切れない不安が一つあった。

「(三成君、彼の心の内は大体分かっているつもりだ。いずれ秀吉の前に立ちふさがるであろう、非常に厄介な相手になる)」

しかし、秀吉の言うとおり、三成は天下を統べる器は持ち合わせていない。
誰かのために天下を取るというなら、長い付き合いの秀吉以外に思い浮かばない。
各国の武将を思い浮かべるも、内通している気配などない。
というより、三成が誰かの指示で秀吉の情報を横流しするとも思えない。

「(今の内に叩いておくべきか?いや、彼の真意がわからない以上、むやみに事を進めるのは危険。三成君、君は──)」

 

──────────────────────────────────────────────────

 

 

一方そのころ、小牧長久手では事件が起きていた。
それは、秀吉が一切懸念していない事態につながる、前兆にすぎないもの。

「くっ……忠勝さえ、忠勝さえ起動できていれば、こんなことには……」
「自分の不甲斐無さを、部下のせいにするのは見苦しいぞ、家康?」

三成の目の前には、跪く家康の姿。
その周囲は、徳川の将兵たちが血に塗れて斃れていた。
かろうじて息のある者もいるようだが、もはや虫の息。
助かる見込みはなかった。

跪く家康に、三成は刀を向ける。
哀れみ一つかけない、冷たい眼差しと共に……

「家康、ここで死を望むか?」
「わ、ワシは……!」
「私に屈するならば、命くらい助けてやらないこともない」

全く感情のこもっていない声。
さらに、自分を侮辱するようなその発言に、家康は我慢できなかった。

「な、舐めるな!腐ってもワシは武人!情けをかけられるくらいなら、死を望むくらいの覚悟はできておる!」
「……悪い、言葉を間違えた。家康、お前に選択肢などない。私に屈しろ」

先程とは違い、凄まじく冷たい眼差し。
そして、言葉には重々しい圧力が込められている。
家康は、背中に冷たいものを感じ、息を呑んだ。

「……断れば?」
「お前の大切な人間が、一人ずつこの世から消えていくだけだ。例えば、これの持ち主とか……」
「そ、それは、母上が身につけているお守り!なぜ、なぜお前ェが持っている!」
「私の部隊を舐めてもらっては困る。これでも、豊臣軍の隠密部隊を預かる身。女一人拉致させるなど、造作もない」

家康の顔が青ざめていく。
元来、孝行者の家康にとって、母親はとても大切な存在。
その命を、目の前の人間に握られているこの現状では、家康がとるべき道は一つしかなかった。

「わ、ワシは何をすれればいい?」
「物わかりのいい人間は好きだぞ、家康?」

若干機嫌のよくなった三成から、先程の冷たい眼差しは感じられなかった。
懐から取り出したそのお守りを再びしまい、腕を組みながら口を開いた。

「お前は今より、私の忠実なる手駒だ。これより先、お前は日の本の東側を攻め、その領土を広げろ。敗けは許さん、ただそれだけだ」

思わず家康は、首をかしげた。
「領土を差し出せ」や「豊臣軍に従属しろ」ならまだ分かる。
だが、今回の要求は「東国の制圧」。
豊臣軍にとって、そこまで利があるようには思えなかった。

「な、何を考えてんだ、お前ェ?」
「質問は却下だ、家康。……そうだな、天下が一つになった時にでも、私の真意を教えてやろう」

何か含んだような笑みで、家康を眺めている。
家康にしてみれば、蛇に睨まれた蛙の心地。
不気味で、恐ろしく、動くことも声を出すこともままならない。

「一つ……一つだけ教えてやってもいい、かな」
「……え?」
「これは秀吉や半兵衛の方針ではない。あくまで、私個人の考えだ」
「どういう……?」

それきり、三成は何も答えなかった。
死屍を踏み散らし、その場を去っていく姿が、夕日に照らされ、一層恐ろしく家康の目には映っていた。

 

 

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