「三成様、家康殿が参られました」
「通してくれ」
「御意」

とある一室に、家康は通される。
絢爛豪華な飾りで目が眩しいその部屋は、江戸に建てられた城の天守閣。
三成は、その店主の窓に腰掛け、城下を見下ろしていた。

「来たか、家康」
「お、遅れ馳せながら、参上いたし──」
「違うだろ?」

いつものように、圧力のある言葉で家康の口を遮る。
家康もまた、頭を垂れ、震えながら言葉を改めた。

「み、三成、様。天下統一、祝着至極に存じまする……」
「クク……それでいい」

家康を見下しながら、微笑を浮かべる。
右手にもつ好物の柿を頬張りながら、再び城下に目を移す。

「家康、ここからだと天下の様子がよく見える。お前も見てみろ」
「は、はっ」

恐る恐る三成に近寄り、窓より城下を見下ろす。
目に映るのは、あまりに凄惨な状況だった。

重税に民は苦しみ、飢えと貧困が満ち溢れている。
兵士たちにも恐怖の色は絶えず、三成の顔色を窺う様な生活を強いられていた。
道端に死体が転がっていても、三成は気にも留めていない様子だった。

「これが私の天下だ、家康。どうだ?なんとも──」
「……?三成、様?」

思わず小さく吹き出した三成。
それは、自分に向けた嘲笑であった。

「なんとも、居心地の悪い天下なのだろうな」
「なっ!ご、ご自分で作り上げた天下だというのに、何を……!」
「クハハ……!無理して敬語を使わずともよい、家康。ここには私とお前しかいない」

許しを得て、家康は若干気を持ち直した。
大きく息を吸い込んで、頭の中を整理し、三成に言葉を投げかける。

「三成、お前ぇは何を望んだ?この天下に、お前ぇの望むものがあるってぇのか?」
「あると思うのか?この廃れた天下に……?」
「なら、なんでだ!お前ぇが関ヶ原で豊臣に言ったことは、全部出任せだったってぇのか!」
「……口を慎めよ、家康。仮にも、お前とお前の大切な人間の命は、いまだに私の手中にある」

毒蛇のように鋭い眼で睨まれ、家康は再び口を噤む。
その様子を見た三成は、すぐにその目をやめてしまう。

「そうだ家康、お前になら教えてもかまわんだろう。私が、秀吉を見限ったその理由を……」
「豊臣を見限った、理由……?」
「関ヶ原で語ったのは、ほんの一部だ。本当の理由はな──」

三成が語るその理由。
聞きながら家康は、半年前のことを思い出していた。
関ヶ原の合戦……
日の本を賭けた、最期の闘いを──

 

 

──────────────────────────────────────────────────

 

 

「な、何故だ……?三成」
「滑稽な姿だな、秀吉。出会った時以来か、こうしてお前を見下すのは……」

地に伏すのは、豊臣秀吉その人。
全身に痛々しい傷を負い、血で大地を染め上げていた。
見下す三成もまた、それなりに傷は負っていた。
だが、秀吉に比べれば軽い。
それは、後ろに立つ人物の奮闘の賜物。

「流石の覇王も、戦国最強の前には形無しということか」
「フン!だが、その戦国最強も、我らが建造した大筒の前に散ったではないか?」
「口だけは減らぬか、流石は覇王──いや、強がりは何の誉れにはならないな」

お互い、不敵に笑みを浮かべて相手を貶す。
動かなくなった忠勝が、ただその様子を見つめている。

「三成、せめて答えろ。何故、我を裏切る?」
「言葉を誤るな、秀吉。私が裏切るのではない、お前が私の期待に応えなかったのだ」
「何だと……?」

訝しげに首をかしげる秀吉。
自身の言葉を納得できなかった秀吉に、三成は不服な様子。

「わざわざ説明してやるつもりはない、が……一応聞いておきたいことがある」
「何だ?半兵衛を葬った貴様などに、何も答えるつもりなどない!」
「半兵衛?あぁ、あの自惚れの過ぎた半人前の軍師様か」

頬を引き攣らせ、嫌な笑みを秀吉に向ける。
その笑みが、貶す言葉をより醜悪なものに飾り立てた。

「私が直接手を下したわけではないが?」
「嘘を申すな!ならば何故、貴様の服は半兵衛の血に染まっている!」
「……あいつが普段から服用していた薬、それに少しばかり細工してな?まぁ、薬の効果が表れて、盛大に血を吐いて死んでいっただけだぞ?」
「我より友を奪ったその愚行、死を以て償うといい!」

不意を突き、秀吉が三成に襲いかかった。
咄嗟に避けようとするも、秀吉の拳の速さは自分がよく知っている。
直撃は免れたものの、その大きな掌に左腕を掴まれてしまった。

「しまっ……!」
「石田三成、我に刃向うならば、たとえ貴様であっても容赦はせぬ!」

言葉を言い終わると同時に、その拳に力がこもった。
鈍い音が響き、三成の表情に苦痛の色が浮かぶ。

「ぐぉっ……!」
「三成……貴様には失望したぞ?我の造る天下、ともに見るつもりがなくば……」
「……く、口を閉じろ……」
「何?」
「お前の……お前程度の造る天下に、興味など既にない!」

いつもと違い、感情的に叫ぶ三成。
右手の刀で秀吉を切りつけ、後方へと飛び退く。

「……っ!我の天下に、興味がなくなった、だと?」
「その通りだ、秀吉。今の私なら、これの持ち主の造る天下のほうが幾分か興味がある」

三成の視線の先には、動かなくなった本田忠勝の姿があった。
その目は、今まで秀吉が見たことのない、どことなく優しさがこもっていた。

そんな三成を見てか、秀吉は不敵に微笑む。
不快を示した三成が睨むが、大して意味のないこと。
秀吉は腕を組み、声高らかに言葉を放った。

「家康ごときに、この国は治められぬ!」
「それは力なき者の言う言葉だぞ、秀吉?」
「我に、力がない、と?」

久しく聞かなかったこの台詞。
今の秀吉にとっては、悪口にもならない愚かな言葉。
だが、三成は戦の最中に冗談や嘘をつくような人間ではない。

「三成、我に力がないと申すか?」
「そうだ、秀吉。そもそも、お前は力の何たるかを理解していない」
「“力の何たるか”だと?」

まさかの発言であった。
今まで一番長く時間を共にした戦友である三成から、そんな言葉を言われるとは思わなかった。

「答えてみろ、秀吉。“力”とは何だ?」
「知れたこと……何物をも凌駕する、絶対的なもの。それこそ力よ!」
「……………ハァ」

小さくではあるが、確実に三成は溜息を吐いた。
秀吉は、三成のその行為に不快を示したようである。

「何が不服か、三成!」
「根本的に間違っているとなると、訂正の仕様がないと思ってな……少々呆れていたのだ」
「呆れていた、だと?」

不快はやがて、憤怒へと変わる。
秀吉の額には青筋が浮かび、握り締めた拳が震えている。

そんな秀吉を見ても、三成は至極落ち着いていた。
自身の武器の片方を持ち、根元の鎖を器用に外す。
そして冷徹に睨みつけながら、秀吉にその切っ先を突き付けた。

「ほぉ?わざわざ自身の武器を壊すのか?」
「お前に左腕を壊されたからな……私の武器は、両の手で扱うことに適してはいるが、片手では如何せん扱いにくい……」
「すなわち、覚悟を決めたということか……それはともかくとして、答えてもらおうか三成」

大きく深呼吸し、落ち着きを取り戻した秀吉が問いかける。
三成も、その問いの内容は分かっている様子。
不敵な笑みで、その問いに応えた。

「“力”の何たるか、か……本質を見失った人間に、教えてやる義理などない」
「ならば死ね、三成。そして、我が作る天下の礎となるがよい!」
「……秀吉、私はな──」

猛烈な勢いで突っ込んでくる秀吉に対し、三成はその場を動こうとはしなかった。
顔を俯け、どことなく悲しい雰囲気をまとっている。
襲いかかった秀吉が見た三成の目には、薄らと涙が光っていた。

 

 

「……………お前を信じていたかった……………」

 

 

──────────────────────────────────────────────────

 

 

「私は、秀吉に裏切られた。だから、見限ったのだ」
「だから、殺したのか?」
「そうだ……」

自嘲気味に笑う三成には、どことなく寂しさが感じられる。
それを察したのか、家康も言葉を濁す。

「……家康、お前にとって“力”とは何だ?」
「ワシにとっての、“力”?」
「そうだ、ぜひ聞かせてくれ……」

不意に、三成が問いかけてくる。
今まで聞いたことのない、どこか寂しげな声。
そんな三成の声を聞いてか、家康は間を置き、真剣な面持ちで答えた。

「ワシにとっての“力”。それは、大切な何かを守り抜くものだ!」
「……………そうか」

三成の表情は、どこか安心した様子。
一端家康から視線を逸らし、城下へと目を向けた。
そして小さく、それでいて家康に聞こえるようにつぶやいた。

「漸く、ここまで辿り着いたか……」
「み、三成……?」
「ご苦労だった、家康。私の目的は、漸く達成できそうだ。あとは──」

そう言いながら、三成は壁に掛けてある槍を手に取る。
それを家康に手渡し、諸手を広げた。

「私をお前が殺せば、万事終了だ」
「なっ……!な、何言ってる!お前ぇを殺す、だと?」
「そうだ。それが、お前に残された最後の役割……今更逃げることは許さない」

高圧的な視線はいつもの如く……
だが、自分を殺せなどという命令を受けて、それを二つ返事で実行できるほど、家康は非道ではない。

「わ、ワシには出来ねぇ……そもそも、なんで殺さなきゃならねぇ!」
「それはな、家康……お前を英雄に仕立て上げるためだ」
「え、“英雄”?」
「万人から恨まれ・憎まれ・蔑まれ……生きていること自体“悪”の存在を、今まで善行しかしてこなかった人間が打倒せば、その人物はどうなる?」

三成の言いたいことは、何となくだが分かった。
だが、それだけの決心は家康にはつけられない。
そんな家康を見てか、三成はさらに言葉を続ける。

「更に……その人物が、“悪”の首魁に脅迫されていたと知れば、人心は一気に傾く。脅迫され、大切な人間を殺されたと知れば、猶更な……」
「……殺された、だと?ま、まさか……」
「悠長な進軍だったのでな、見せしめにお前の母気味には死んでもらった。そうだ、ここにその残骸があったはず──」

懐から何かを取り出そうとした三成。
だが、それは叶わなかった。
怒りに震えた家康の槍が、三成の胸を深々と貫いていたからだ。

返り血を浴び、家康は我に返る。
だが、三成はどこか満足げに倒れた。
思わず家康も膝をつき、その顔をまじまじと見ようとする。

「み、三成……」
「く、クハ、ハハ……やはり、人を支配するなど、私には……荷が重すぎ、たか……」
「何でだ、何でだ三成!お前ぇが望んでた天下って一体……?」
「そ、そんなものなど、ない……ただ、私は、立ってみたかった、だけだ。人の、上に……」
「嘘だ!」

天守に家康の声が響く。
いつもと立場が逆になり、三成も思わず驚いた。

「何で、自分を犠牲にする!そうまでして造りたかった天下が、お前ぇの中にあったはずだ!」
「……驚いた、な……流石、と言ったところ、か……?」
「答えろ……答えろ、三成!ワシを無理にでも怒らせて、何でそうまでして死にたがる!」

家康の心中には、怒りの色しかなかった。
だがそれは、母親を殺されたことからきたものではない。
“そんな嘘をついてまで、三成が死にたがっていた”からである。

「……私が望む天下、そこに、不必要な存在だった……から、だ」
「な、何だと……?」
「“力”の、何たるか……それを、一度でも間違えば、“恐怖”で人を、支配することとなる……私も、その一人……そんな人間、全て、この世から、いなくなってしまえばいい」

焦点の合わなくなった眼で、三成は天井を仰ぐ。
どこか満足げな表情を浮かべ、どこか安らかな眼差しをして……
今までで一番、家康を優しく見ていた。

「家康、私はこれでも、幸せだぞ……?死せれば……いくら、蔑まれようとも、苦にならん……」
「し、しかし……!」
「寝かせてくれ、家康。重荷を背負って、ここまで……歩き続けて、来た。そろそろ、降ろしても、よかろうて……」

三成はそっと目を閉じる。
家康は今まで、幾度となく血に染まった三成を見てきた。
だが、今ほどその三成が、惜しい人物に見えたことはない。
恐怖を醸し出してきた人間に、今は悲しみすら覚えている。

「し、死ぬな……三成」
「……………」
「まだ、ワシにはお前ぇが必要だ。足蹴にされようと、蔑まれようと、お前ぇから教わることは山ほどある!」
「……………ない、な」

か細くなった声で、三成は答えた。
目は開くことなく、小さな声で……

「お前から、教わることはあっても……私は、誰にも、何も……教えるものは、ない」
「そ、そんなことはねぇ!ワシは……!」
「何故、泣く?顔を、上げろ……天下人に、涙は……いらぬ。ただ、“力”だけ、持っていろ……傲岸に、不遜に……それが……天下を戴く、人間だ」
「み、三成……っ」
「家康……か、感謝、している────」

一度だけ家康を見、三成は静かに息を引き取った。

その後、徳川家康による天下が幕を開く。
天下を治めるにあたって家康は、三成の墓前に固く誓った。
彼の懐より見つけた、一つの文字を必ず守っていくと、心に誓った。

『大一大万大吉』の、その文字を

 

 

 

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