「暑い……」


何が暑いかって、目の前にいる人物たちそのものが暑苦しい。
先程から大声を張り上げたり、殴り合いをしていたり……
どこぞの体育会系の光景を見ているようだった。

甲斐に着いた小次郎たちは、目的地の武田信玄の元へと向かった。
出迎えてくれたのは、そこで忍びとして働いている猿飛佐助。
随分とノリの軽い人物だったが、悪い印象は受けなかった。

彼が話すところによると、信玄は現在修行の間にいると言う。
案内してもらうと、そこでは一人の若武者が修行に励んでいた。


「お館様ァァァ!」
「幸村ァァァ!」


いや、あれは修行なのだろうか?
思わず小次郎は眼を疑った。
二人はお互いの名を叫びつつ、殴り合っている。
……言いたいことが山ほどあるが、多すぎて逆に何も言えなくなった。

二人のことは風のうわさでよく知っている。
一方は武田信玄。
甲斐の虎と恐れられ、智勇共に名高い武将である。
もう一方は真田幸村。
虎の若子と呼ばれ、武田軍の中でも屈強の武士。

その二人のやり取りは、小次郎も聞いたことがないと言えば嘘になる。
だが、風説程度で気に留めていなかったため、唖然となっていた。


「えっと……慶次、これはどういう……?」
「あー、俺もこの二人の関係は、よく分からねぇ」
「ま、それが普通の考えだよね」


隣にいる佐助が、溜息を吐きながら口を開く。


「……まさかとは思うが、これは日常的にはやっていないだろ?」


半ば祈るような声で、小次郎が尋ねる。
だが、佐助は首を横に振る。


「生憎と、あれが二人の日常みたいなものでね。そろそろ、俺様の出番かな?」
「お館様ァァァ!」
「幸村ァァァ!」
「お館様ァァァ!」
「幸村ァァァ!」
「お館──」
「お館様、客人が見えています」
「む?」


佐助の落ち着きはらった声で、二人は漸く小次郎たちに目を向ける。


「えっと、佐々木小次郎、だ……邪魔してしまって、その……」
「気にするでない。客人を待たせた、ワシらにこそ非がある」
「佐々木殿、お待たせして申し訳ござらん!」


深々と頭を下げられ、小次郎は困惑する。
もう、どのように接すればいいのか分からない。
慶次に目線をやるも、お手上げ状態。
諦めて、ある程度は流れに身を任せることにした。





──────────────────────────────────────────────────





「佐々木殿、我らにどのような御用件で参られた?」
「あぁ……その、果たし合いを申し込みに……」
「ほぉ、ワシらに挑もうと?」


勝負と聞いて、二人はやる気満々。
小次郎としても、士気が高い相手と戦えるとは嬉しい。
……ふと、武蔵が頭を過ったが、なかったことにした。


「……で、ワシら二人を相手に、お主ら二人で挑もうと言うのか?」
「いやいやいや、俺はただの見届け人。だよな、小次郎?」
「あぁ、果たし合いを申し込みたいのは、俺一人だけだ」
「ならば、まずはこの真田源次郎幸村が、お相手仕る!」


進み出た幸村に、小次郎は小さく頷く。


「じゃあ、早速だけど……」
「うむ!参られよ、小次郎殿!」


二本の槍を手に取り、幸村は身構える。
小次郎も太刀を右手に持ち直し、深呼吸する。
目をカッと見開き、幸村を見据える様は、まさしく剣客。
だが、あくまで抜刀はしない。


「小次郎殿、何故刀を抜かれない?」
「……答えたくない」
「武人たるもの、果たし合いを申し込むからには、手を抜くことは許されぬ!」


幸村は声を張り上げ、小次郎へと訴える。
苦味を潰したかのような表情で、小次郎はその言葉を聞いていた。


「手は抜かない、それだけは言える」
「戯言を申されるな!武人同士が戦う上で、刀を抜かぬなど──」
「この愚か者がァァ!」


幸村が、小次郎の視界から消えた。
真横から凄まじい勢いで、信玄が殴り飛ばしたのだ。


「お、お館様?」
「幸村よ……相手のことをとやかく言う資格が、お前にあるのか?」
「お、お言葉ながらお館様!小次郎殿は、武人としてはいかがな心構えかと……」
「馬鹿者ォ!他人の心の内を土足で踏みにじるなど以ての外!たとえそこにどのような理由があろうと、無闇に詮索するではない!」


その言葉は、小次郎の心にも深く響いた。
自分でもよく分かっていない胸の内を、そっと包みこんでくれたような気がした。


「小次郎殿!」
「……………」
「も、申し訳ござらん。某、そう言ったことには未熟故……」
「いいさ、もっともな言葉だったんだ。俺の方が悪いに決まってる。だから──」


腰を落とし、幸村をじっと見据える。
本気の殺し合いのような、殺気を込めた眼差しで……


「殺す気で来ないと、怪我だけじゃ済まないぞ?」
「……心得申した」


空気が変わった。
目を合わせるだけで、死んでしまいそうなほどの殺気。
二人からは今、それが尋常でないほどあふれ出している。


「参る!」


先手必勝。
そう言わんばかりに、幸村は飛び出した。
武器を構えて、すぐのことだった。

小次郎の懐めがけて、槍が凄まじい勢いで突き出される。
その切っ先を見据え、刀の柄の先端で受け止めた。


「な……!」
「何を驚いてる?このくらいの芸当できなきゃ、果たし合いになんてこないさ」


小次郎が押し返す力に乗り、幸村は後ろへと飛び退く。
今の挙動だけでも、十分に小次郎の強さは理解できる。
だが、理解したと思いこむのは危険。
予想外の攻撃を放たれれば、本当に死が待ち構えている。


「……次は、俺から行くぞ」
「参られよ!」


小次郎も、勢いよく突進する。
柄と鞘に手をかけ、今にも抜刀しそうな構え。
鯉口が切られ、ほんの僅かだけ刃が見えた。

小次郎の太刀は、幸村の槍よりも長い。
刀が完全に抜かれるまでには、通常の刀よりも時間がかかる。
ならば、間合いの内側に入ってしまえば、何の問題もない。
幸村も突進し、小次郎の間合いを侵そうとする。
しかし……


「残念」


刀は抜かれることはなく、突き出された。
柄の部分が懐へ吸い込まれ、幸村を吹き飛ばす。

壁際まで吹き飛ばされた幸村は、槍を使って立ち上がる。
だが、その衝撃は想像を超えており、呼吸もやや粗くなっている。
距離を保った状態で、息を整えながら、幸村は必死に考えていた。
目の前にいる相手に、勝つ方法を……


「(小次郎殿の間合いを侵すことは難しい。だが、某よりも広い間合いの相手の外からでは、まず自身の攻撃が当たらぬ)」
「……考え事か?どうでもいいけど、次の攻撃に対処できなきゃ、大怪我するぞ」
「し、心配は無用!この幸村、いかなる攻撃をも耐えて見せようぞ!」
「分かった。じゃあ……行くぞ?」


一瞬、時が止まったかのように感じた。
その場にいた全員が、動きを止めたからだ。
誰一人、微動だにしない。
その緊張を破ったのは、小次郎だった。


「秘剣・鴉纏い!」


太刀が薙ぎ払われる。
刀の軌道に不吉な物を感じた幸村は、咄嗟に横へと飛んだ。
その一瞬の後、鋭い音がしたかと思うと、斬撃の軌道上の物が真っ二つに斬られていた。

その切れ味の恐ろしさに、幸村は息を呑む。
もしもあの軌道上にいたならば、間違いなくこの胴は二つに分かれていた。
それを考えると、背中に冷たいものを感じずにはいられなかった。

「さ、流石は佐々木殿。こ、これほどまでの実力とは……」
「いや、避けただけでもすごい。人に対して使ったのは初めてだけど、正直、避けられるとは思ってなかった」


幸村は、右手の槍を見つめる。
刃の部分が斬り裂かれており、その斬撃の威力を物語っている。





──────────────────────────────────────────────────





「……さて」


小次郎は柄に手をかける。
鯉口を切り、刀を抜こうと構える。


「今の技をかわされたんだ、本気を出さないと勝てそうにない……」
「(戯言を……今の技、避けられたのが奇跡のように感じているというに……)」


幸村はすでに息が上がっている。
今の斬撃をかわすことに、全神経を研ぎ澄ませたためである。
さらに、額には薄らと汗がにじみ出ている。
それが冷や汗なのかは、定かではない。

小次郎はゆっくりと、自身の刀身を露わにしていく。
だが、どこか様子がおかしい。

カタカタ……

小次郎の手が、小刻みに震えている。
どことなく表情も暗い。
当然、幸村はすぐに気がついた。


「さ、佐々木殿?いかがされた?」
「……え?な、何のこと?」
「お顔が真っ青にござる。心なしか、何かに怯えているようでござるが……?」
「き、気のせい……だろ?」


だが、青ざめた表情を隠すことはできない。
いつの間にか、手の震えも大きくなっている。


「佐々木殿、無理をされ申すな。どのような事情があるかは知りませぬが、某も、無理をされてまで戦われたくはござらん!」
「……悪いな」


抜きかけた刀を元に戻す。
しばらくすると、震えていた手も収まり、顔色も元に戻った。


「……礼ってわけじゃないけど」


刀を自分の前へと突き出す。
まるで盾のように刀が聳え立ち、幸村を圧倒するかのよう。


「俺の技の中でも、特殊なやつを見せるよ」
「承知した。ならばこの幸村も、全力で参る」


少し距離を取る。
槍の先端には炎が灯り、徐々にその勢いが増していく。
突進する構えを見せる幸村に対し、小次郎は至極落ち着いた様子だった。


「火走ィ!」


一気に小次郎の間合いを侵略する。
凄まじい勢いの突進と共に、槍を横に薙ぐ。
炎が纏われたその横薙ぎで、小次郎は炎に包まれる。
……だが


「なっ……!」


小次郎は何事もなかったかのようにそこに立っていた。
しかも、視界を覆い尽くすほどの炎に包まれたと言うのに、火傷の一つも負っていない。


「ふ、服の一片すら、燃やせぬとは……さ、佐々木殿!い、一体……?」
「どうした?俺は立っているだけだぞ?」


不敵な笑みで挑発する。
その挑発に、幸村は容易く乗ってしまう。


「ぐっ……!れ、烈火ァ!」
「秘剣・鶫語り……」


幸村は凄まじい速度で、突きの連続攻撃を放つ。
だが、そこに立っているだけの筈の小次郎には、一切当たらない。
当たっているという手ごたえもない。
徐々に募ってくるのは、疲労と焦燥……


「(な、何故だ?某の槍を避けているのであれば、それなりの動作が見えていてもおかしくはない。まさか、目にも見えぬほどの動きをしているわけでもあるまい……)」
「考え事はやめた方がいい……」
「なっ……!」


不意に、小次郎の姿が視界から消える。
左右を見渡すが、どこにもいない。


「旦那!上だ!」
「むっ……!」


見上げれば、刀を振り下ろす小次郎の姿があった。
咄嗟に槍を交差させ、その攻撃を防ごうとする。


「惜しいな……」


槍にぶつかったのは、小次郎の刀ではない。
見事なバランス感覚で、小次郎は幸村の槍の上へと着地していた。
あまりの出来事に目を見開く幸村に、そっと呟く。


「真剣勝負と言っておきながら、悪かったな……」
「佐々木、殿」
「秘剣──」


刀が振り抜かれた。
だが、やけにその速度が遅く感じた。
それでいて、その刀から伝わってくる恐怖は、計り知れないものがあった。


「──燕返し」





──────────────────────────────────────────────────





「……おい、大丈夫か?」
「っ……!そ、某は……?」
「天晴れな戦いぶりであった、幸村よ」


意識が吹っ飛んでいたらしい。
何が起こったのか、幸村が理解するまでには時間がかかった。
だが、自分の真横にできた穴を見て、感覚として把握する分には早かった。


「……某は、負けたのだな、佐助?」
「……………」
「幸村よ、見事な戦いぶりであったぞ!」
「お、お館様?」


目の前に立つ信玄は、幸村に賛辞の言葉を送る。
だが、負けた自分にそのような言葉が送られたことに、幸村は動揺を隠せない。


「も、申し訳ございませぬ、お館様!ぶ、無様な戦いを……」
「良いと言うておるであろうが!」


信玄の拳が、幸村の頬に吸い込まれる。
勢いよく吹き飛び、道場の引き戸まで巻き込んで、庭先へと倒れた。


「お、お館様?」
「幸村よ!お主はこの戦で、多くを学んだであろう!それを以て、此度の勝敗に関しては、ワシは口を出さぬ!」
「お、お館様……」
「幸村!」
「お館様ァァァ!」
「幸村ァァァ!」
「お館様ァァァ!」
「幸村ァァァ!」
「(あーあ、また始まったよ……)」


既に眼中から外されている小次郎は、思わず溜息を吐く。
しばらく放っておくことに決め、自身は刀を見つめていた。


「……まだ、なのか?俺は……」


戦いの中で、刀が抜けなかった。
それが悔しくて仕方がない。
幸村に対しても申し訳ない。
表情は自然と暗くなり、鞘を握る手は震えていた。


「佐々木殿、これからどうされるので?」
「(いつの間に終わってたんだ、この二人……?)」


疑問を抱きつつも、とりあえず幸村の問いには答える。


「一応武者修行って言うことで、ここに寄らせてもらったからなぁ……もう少し続けたいとは思ってるけど、後はどこがいいか……」
「それであれば、奥州へ赴いてはいかがか?」
「奥州?……って言うと、独眼竜の?」
「如何にも!その右目であられる片倉殿は、剣の達人として名高いと、耳にしたことがありまする!」


独眼流の名前を出したとたんに、幸村の表情が変わった。
その理由は分からないが、剣の達人と聞いて黙ってはいられない。


「……なら、奥州に向かうとするか」
「お?じゃあ、俺もまた一緒に行くぜ?」
「……何だ、いたのか?慶次」


適当に扱われ、文句を言う慶次。
それを適当に流しながら、小次郎は奥州へと向かう。
目指すは、独眼竜とその右目──





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