「半蔵!」

「……ここに……」



姿は見えないが、返事だけは聞こえた。
その返事に、家康は笑いをこらえきれなかった。



「ハハハ……!相変わらずだな、半蔵」

「……性分……」



放っておいてくれ、と言わんばかりの小さな声。
その声を聞き、無理に笑いをこらえようとする家康の姿を見、やむを得ず半蔵は姿を現した。



「……用件……」

「ん?あ、そうだったな」



どれほど可笑しかったのやら……
家康の目には、僅かに涙さえ浮かんでいた。



「これ、なんだがな」



そう言って家康の見せてきたのは、一枚の書状。
差出人の名前は、羽州の当主・最上義光。
その名を見て、半蔵はやや難色を示す。



「東軍への同盟の申し出だ。他にもいくつかの地方から、同盟の申し出があってな。忠勝には、伊予河野の巫殿を迎えに行ってもらっている」

「……此方は、北へ……?」

「そうだ。迎えに行くというよりは、同盟の真意を聞きに行って欲しいというのが、ワシの本音だがな」



書状を半蔵に手渡すと、家康は腕を組み、下を向いて考え込んでしまった。
少しばかり心配になった半蔵は、半歩ほど歩み寄る。



「……家康、様……?」

「……最上、あいつは何と言うか、食えない奴だからな……それなりに用心はしておいてくれ」

「……御意、に……」



不安は隠しきれない。
ただ、家康と半蔵とが抱いている不安は、少々異なっている。

家康は、最上義光を東軍に引き入れてよいものか、と言うことに対して。
半蔵は、家康が不安を抱いているということそのものに対して。
二人しかいないこの場には、不安が渦巻いていた。



「……忠勝……」

「ん?どうした、半蔵?」

「……忠勝は、大丈夫かと……」



その場の空気に耐えられなかったわけではない。
ただ、多少なりとも話題を変えて、家康の気を晴らそうと、半蔵なりに考えた結果である。
半蔵の心遣いを察し、家康もホッとした表情を向ける。



「忠勝は、大丈夫だろう。巫殿は、それこそ世間との干渉を絶った場所で育ってきてはいるが、信頼に値する人物だ。なによりも、先読みが出来ると言う人間が、ワシら東軍に参入したいと言ってきて、それを反故にする道理もない」

「……承知……」



半歩下がり、半蔵は一礼する。
頭を下げたままの半蔵の肩に、家康はそっと手を置く。




「毎度のことながら、お前には迷惑をかけるな」

「……些かの、問題もなし……」



家康の手が離れてから、半蔵はゆっくりと顔を上げる。
そしてそのまま、空間に溶け込むようにその場から姿を消した。

後に残された家康は、普段の陽気な雰囲気はどこへやら。
腕を組み、険しい表情で俯いていた。



「……最上、か。半蔵、くれぐれも頼んだぞ」











「……さて……」



半蔵のように優れた忍びであれば、三河から羽州までは二日ほどあれば余裕を以て到着できるだろう。
現に、三河を発ってから丸一日経った今、半蔵は越後の地へと到着していた。
厳密に言うと、到着と言うよりは、足止めを喰らっていると言った方が無難かもしれない。



「……厄介……」



小さな溜息とともに、短い愚痴がこぼれる。
羽州へ向かうなら、太平洋側からでも日本海側からでも、対して距離は変わらない。
しかしながら、どちらから向かおうとも、避けられない問題がある。

東北の地においての、最上・上杉・伊達の三角関係。
それぞれ、かなりの力を持った勢力が睨みを利かせあっている。
そして、この三つの勢力の内、もっとも北に位置する羽州へ向かうためには、敵対関係にある越後か奥州のどちらかを通らなければならない。

忍びであるのだから、気が付かれないようにさっさと通り抜ければいいものではある。
しかし、そうは問屋がおろさない。
現に、半蔵が足止めを喰らっている理由は、目の前にいる人物が原因である。



「ま、そう言うわけ。俺としても、すんなり通してやりたいんだけどねぇ……」

「……止む無し……謙信公は……?」

「謙信?んー……俺の独断じゃ、会わせられないしなぁ」



身の丈ほどの大刀を背負った、身形の派手な男。
最近、上杉家に仕官したという、前田慶次だ。
聞いた話によれば、戦から身を引いた上杉謙信と、酒を酌み交わす毎日を過ごしているとか。

ただ、今回は半蔵に運が無かったのか。
国境を見回っていた慶次に、ものの見事に見つかった。
勿論、気配は消して行動していたのだが、忍びを多く所有する上杉軍に仕官しているだけのことはある。
身を潜めていた木を斬り倒され、止む無く姿を現すに至った。



「あんたが家康の家臣だってことは知ってるよ?でも、あくまで俺は謙信に仕えてる身だからさ……」



気まずい空気を察してか、慶次が状況を取り繕うように弁明する。
しかし、半蔵は一切表情を変えず、その場にじっと立っていた。
ここで自分が騒ぎを起こし、家康に迷惑をかけるわけにはいかない。

幸い、上杉軍には知り合いがいないこともない。
ついさっき、慶次が使いを出したのだから、もう少し待てば──



「待たせたな、半蔵」

「……かすが……」



注意を向けていなかったということもあるが、空中から急に下りてきた忍びに、慶次は少々驚かされたらしい。
対して半蔵は、久々に会った好に、ほんの僅か表情を崩した。



「用件は聞いた。そのことについて、謙信様から直々にお話があるとのことだ」

「……謙信公が……?」



ほんの僅かながら、半蔵は首を傾げる。
同時に、いつでも戦闘態勢に入れるよう、右手の籠手が強く握りしめられる。



「安心しろ。血生臭い会話で無いことは、私が保証する」

「……なら、持ってて……」



慶次には絶対に見せないような笑みを浮かべ、かすがが半蔵にそう告げる。
その表情と言葉で安心したのか、右手の籠手を取り外すと、慶次に投げて寄こした。



「よっと……!了解、確かに預かった」

「ならば、行くか」

「……うん……」



忍び同士で、短い会話のやり取りがあったかと思うと、既に二人の姿はそこには無かった。











「謙信様、服部半蔵を連れてまいりました」

「おはいりなさい」



謙信の承諾を聞き、一瞬の間を開けてから、かすがが襖を開く。
その一室の中には、茶器を並べる謙信の姿が、凛とあった。



「ようこそ。ゆきのふりしきる、このえちごへ」

「……………」



すっと手を差し出され、座るよう促される。
後ろからかすがにも小突かれ、用意された座布団の横へと正座する。



「……此度は、不躾な行いを……」

「かまいません。さ、ちゃでものんでおゆきなさい」



謙信自ら点てたのだろう。
茶柱の立った茶が差しだされる。



「……此方は、不作法者で……」

「ふふ……おすきにのみなさいな」



そう言って、謙信はまるで酒の入った杯でも飲むように、片手で湯のみを口に運ぶ。
半蔵も、(両手を使おうにも、左手は義手のために)同じように不作法に茶を啜る。



「ちゃがしも、たべますか?」

「……結構で……」



礼儀正しく、小さく礼をする。
その様子を見ながら、謙信は小さく微笑む。



「ふふ……かすがに、きいたとおりですね」

「……………」

「そ、そこで私を見るな!何も余計なことは言ってない!」



急に視線を向けられたからか、かすがは思わず狼狽した。
表情を一切変えないまま、半蔵はそのまま謙信へと視線を移す。



「かすがとは、どうきょうのよしみ、らしいですね」

「……是……」

「すこしはなしをききました。とても、しんらいにたるじんぶつである、と」

「……恐悦……」



穏やかな視線で、半蔵を見つめる謙信。
湯呑みを置き、半蔵は小さく頭を垂れたままであった。



「──とはいえ」

「……………」

「ただそれだけでは、このちをとおすわけには、まいりません」

「謙信様」



小さく呟き、かすがは半蔵へと視線を移す。
ほぼ同時に、半蔵もゆっくりと頭を挙げ、謙信の目をじっと見据えていた。



「ごあんしんなさい。なにも、とおさないというわけではありません。ですが、このちをとおるといういじょう、それなりのりゆうが、おありなのでしょう?」

「……是……」

「ならば、それをもうすのが、わたくしにたいしてのれいぎと、おもいませぬか?」



穏やかな視線、穏やかな口調。
しかし、どこか謙信からは威圧感を感じる。
恐らくは、半蔵の目的は察しているのだろう。

対して半蔵は、真っ直ぐと謙信の目を見据えている。
それでいて、謙信が発する威圧感に、全く動じていなかった。



「……否……」

「ほぅ……りゆうはもうさぬ、と?」

「……家康、様の御為……拷訊を受けようものなら、この舌、噛み切る所存……」



真っ直ぐ、半蔵はそう言い切った。
少し後ろに座っていたかすがは、気が気ではなかった。

仕えている主は違えど、同郷の好。
このような不遜な言葉を吐いて、首が飛ばされてもおかしくはない。



「ふふふ……」



しかし、それは杞憂に終わった。



「しつれい……じゅうしゃのかがみ、ですね。よいでしょう、このちをとおることを、きょかいたします」

「……恐悦、至極……」



深々と頭を下げる半蔵を見て、謙信は再び微笑んだ。
対して半蔵は、やや不安のある表情で、謙信を見つめていた。



「……理由を……」

「りゆう?たいしたことでは、ありませんよ。それこそ、あなたにはきょうみさえわかぬような、さまつなこと……」



ゆっくりと立ち上がり、謙信はかすがに目配せする。
小さく頷いて、かすがはその場を立ち去った。



「──しいて、いうとするならば……」



少し間を置き、謙信は口を開く。



「かつて、せんじょうでまみえた、あのおさなきものが、これほどまでにしんらいをえるほどにせいちょうした。そのゆくすえに、きょうみがわいたから──といったところでしょうか」

「……御厚意、有り難く……」

「では、これを……」



そう言って、謙信のとり出したのは一通の手紙。
それを受け取った半蔵は、やや怪訝な表情。



「それを、そなたのあるじに」

「……御意」

「ふふ……じかんをとらせましたね。さ、おゆきなさい。そなたであれば、このちをじゆうにとおってもよいですよ」



謙信は背を向ける。
その背に対し、半蔵は深々と頭を垂れ、闇に溶け込むように消えていった。











「……謙信様」

「……謙信」



半蔵の去った後。
一言足りとも口を利かず、静かに酒を啜る謙信。
その姿を心配したのか、かすがも慶次も、不安そうな表情を隠し切れていない。



「……早めに寝なよ、謙信」



これ以上無理と判断したのか。
それとも、無下に謙信の心中に踏み入るのをよしとしないと判断したのか。
慶次はかすがに目配せし、二人してその場を去った。

一人残った謙信は、ゆったりと空を仰ぐ。
今宵は新月。
辺りに灯りは殆どなく、星の淡い光だけが、酒に映っていた。

星の入った酒を啜り、謙信はそっとほくそ笑む。
静かに目を閉じ、辺りの静寂を壊さぬように立ちあがる。



「なぜでしょうか?」



空に向かって呟く。
無論、誰一人として答えるものはいない。



「あのものから、あなたさまのそばにいたもののような、そんなくうきをかんじたのは……?」



手に持つ猪口へと視線を落とす。
変わらず水面は、夜空の星を映している。
緩やかな波紋で、その星たちはまるで踊っている様。



「ふふ……かんしょうにひたるなど、いくさからみをひいた、わたくしにはおにあいですね……」



もう一度空を仰ぐ。
しかし、先程とは異なり、仰いだ方向は北。
体をそちらへと向け、片手を前に出し、小さく祈りの構えをとる。



「そなたのたびじに、さちおおからんことを……」















後書き


な、難産だった……orz
いや、展開はある程度決まってましたし、プロットとかも決めてましたよ?
でも謙信の口調とか考えると、相当厳しかったです。

……と言うか、もーーーーーーーーのすごく遅くなってすいません。
とりあえず、年内に目標では後2話、投稿したいですね。
いやはや、大学3回生って、意外と時間に余裕ないんですね……
……失敬、ただの言い訳です。

あと余談ですけど、今回から文章の表現法(?)を変えてみました。
試験的なので、もっとこうすればいいというものがあれば、絶賛募集中です。
誠に申し訳ないです、こんな作者でorz



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m

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