虎の章/第29’話『選んだ理由』


階段を上るだけなのに、それが嫌に怖く感じる。
その理由は分かってる。
これから眼下に広がるのが、血と悲鳴が舞う戦場だからだ。
それを高い場所から眺めるってのは今まで経験がない。
だからだろうな、こんなに鮮明に恐怖が見えるのは……


「あ、御遣い様ー」


戦場に似つかわしくない笑顔で、ピョンピョン跳ねながら俺に手を振る羅々。
これほど気楽にいられるのはある意味羨ましい。


「お疲れ。戦況はどうだ?」

「まだ何とも言えないですねー。見た感じだとー、もう間もなく敵が攻めて来るとは思うんですけどー」

「ま、焦ったところで仕方ないか」


さて……
俺も羅々に倣って遠くを眺める。
遠目にも敵の部隊が整然と整列してるのが分かる。


「……あの中に飛び込むって、どうなんだろうな」

「はいー?」

「……何でもない」

「それにしてはー、随分暗い顔してますねー」

「そりゃな。水関で嫌ってほど思い知らされた」

「何をですー?」

「……狂気を」

「へ?」


今までの戦いで知ったつもりでいた。
でも、それはただの自惚れだった。
大将として水関に立った時、それを思い知らされた。

今までとは規模が桁違いのこの戦だ。
そこに犇めく狂気の量も質も段違い……
高みの見物をしていたからこそ、目で肌で感じ取ることができた。


「羅々、一つ聞きたいことがある」

「何ですー?」

「何でさ、お前はそうやっていられるんだ?」

「はいー?」

「羅々って特に気楽に見えてな……怖いとか思わないのか?」

「それってちょっと酷くないですかー?」


これでも真面目に聞いてるつもりなんだが……


「別にー、私は普通にしてるだけですけどー?」

「それが何でできるか教えてほしいんだよ。ここまで戦ってきて今更かもしれないけど、やっぱり俺は戦が怖い」

「逆にー、私は御遣い様のそう言う部分に憧れますけどねー」

「え?」

「私だってー、人を殺すことはいけないことだと思ってますよー?でも、戦を乗り越えていくとー、そう言う気持ちは薄れていくもんですー。その気持ちをいつまでも、そこまで強く持ててる御遣い様はすごいと思いますよー?」

「……………」

「私が気楽に見えるのはー、ただ単純にバカなだけですよー。あんまり難しいこと考えようとしないだけですー」

「……そっか」


羅々は自分で言うほどバカじゃない。
きっと自分でも気付いてないんじゃないかな?
そうでなけりゃ、俺の心が落ち着くはずがない。


「あー、私からもー御遣い様に聞いていいですかー?」

「何をだ?」

「何でこっち来たんですー?」

「来ちゃ悪かったか?」

「いえいえー、そーいう訳じゃないんですけどねー?何となくー、恋様か霞様の方に行くものだとばっかり思ってたんでー」


そう言う割には何で拗ねてんだお前?


「来た理由なぁ……」

「……ひょっとしてー、大した理由はないんですかー?」

「無かったらどうなんだ?」

「べ、別にー……御遣い様のお好きにされればいいと思いますよー?」


だから拗ねるな。
てか、拗ねてる原因が分からん。
こういう部分はただの駄々っ子だよなぁこいつ……


「……ハァ」

「……ハァ」

「なんで溜息吐いてんだ?」

「御遣い様こそー……」

「若干お前が面倒くさかったから」

「むぅ〜……」


……………ったく、本当に面倒くさい。


「羅々」

「何ですー?」

「お前の髪を梳くのって結構好きなんだよ」

「……はいー?」

「手触りが良いし、羅々も大人しくされるがままだし、俺の楽しみの一つでもある」

「え、えっとぉー……?御遣い様ー、何が言いたいかさっぱり──」

「恋とか霞とか律とか……羅々はアイツらに及ばないだろ?だから、俺自身の手で守りたくなった。それが理由じゃダメか?」

「っ!?」


誰かの上に立つって言うのは色々責任が伴う。
これまでだと、学園内での先輩後輩くらいだった。
でも、羅々は俺にとって初めての部下。
それも、命を預けてくれる人間だ。
預けてくれた命を、俺自身の手で守りたい。
それも上官としての責任の一つだと思うし、後は──


「……っておい、何を顔赤くしてんだ?」

「いやいやいや!今のは御遣い様のせいですってー!」

「は?」

「だって……だってぇ〜!!」


何か知らんが、顔赤くして悶えてる……
俺のせい?
そんな変な発言してないだろ?


「んで?ここに来た理由がそれだと不服か?」

「ぇ、ぁ、ぃや、その……し──」

「し?」

「知りませんー!分かんないですー!」


その割にはなんか嬉しそうに見えるのは気のせいか?


「伝令!」

「ん、ご苦労さん。んで?」

「はっ!敵軍に動きあり!先鋒は曹操軍と袁紹軍かと」

「んー……」


連合軍の中でも特に巨大な軍が二つまとめて先鋒か。
さて、詠はどういう風に軍を動かすつもりか……


「御遣い様ー、どうしますー?」

「どうもこうもない。何せ、こっちは強固な虎牢関って防御がある。多分、詠も無暗に打って出る必要はないとか言ってるとは思うし……」

「しばらくは私たちの部隊が頑張るー……ですかー?」

「だな。それと──」

「それとー?」

「多分なんだけど、曹操の方はあんまり突っ込んでこないとは思う」

「……まー、そりゃそーでしょーねー」

「二つの軍をまとめて相手にするとか考えないように兵の皆にはちゃんと言っておいてくれ。少しでも気の持ちようが変わってくる」

「了解ですー!」











「全員、敵を引き付けろ!3…2…1…放て!」


俺の号令で矢が雨のように敵軍に注がれる。
敵の怒号の中に悲鳴が混ざり、耳が痛くなる。


「御遣い様ー、兵の指揮は私にー!」

「任せる」


羅々に任せて、俺は戦況を確認する。
連合の各軍、それぞれ纏っている鎧が違うから、どの軍がどういう動きをしてるかは高い位置にいればよく分かる。
んで、今この状況……
俺の予想がほぼ当たってたようなもんだな。


「突っ込んでくるのは袁紹軍。曹操軍はその少し後ろで様子見、か」


まぁ、この辺でトップの器も知れるようなもんだ。
ここで危惧しておくべきは曹操の方だろう。
こちらが不利に傾く隙を伺ってるのか、それとも別の何かか……


「んー……」


他の軍に今のところ動きは見えない。
当面はこの二つの軍に注力していていいだろう。


「羅々、ちょっと離れるぞ」

「どこへー?」

「霞のところ」

「了解ですー!」


こっちの先鋒とは言え、いきなりぶつかれなんて指示は出されていない。
よっぽどのことが無い限り、こちらは出張る必要もないからな。
さて……


「霞!」

「お、ナオキ」


階段を降り切って少し歩いたところで待機していた。
いつでも出撃できるっぽいな。
まぁ、出来れば出撃してほしくないってのが本音だが……


「上からはどんな感じなん?」

「袁紹がバカみたいに突っ込んで来てる感じだな」

「やろな」

「こっちに被害はまだ無いに等しいし、しばらくは待機しててくれてもいいと思う」

「せやろか?」

「ん?」


どこか霞の表情が浮かない。
何か不安な部分でもあるのか?


「ウチもこんだけデカい戦は初めてやから何とも言えんけど……これだけで終わるんやろか?」

「……それは俺も思ってる」


連合軍のトップの考えが共通しているはずがない。
どうせ、この戦で名を上げたいとか思ってるやつもいるだろう。
他にもいろんな思惑が動いていたっておかしくない。


「霞殿ー!」


音々音が走ってきた。
そういや、詠の代わりに全体指揮も採ってるんだったな。


「あ、白石殿もおいででしたか」

「まぁな。んで、何かあったか?」

「あ、いえ。こちらの様子を伺いに来ただけであります」

「ウチらはいつでも出れるで。ま、あんまり出たくないけども」

「俺としても出てほしくねぇな」


ただ、霞は曹操軍の足止め役を担ってる。
戦線が硬直しない限り、ここでのんびりしてもいられないだろう。


「なぁ音々音。今先陣切ってる敵軍以外で、動きが有りそうな部隊ってあるか?」

「さすがにそこまでは……」

「ナオキ、うちのこと心配してくれてるん?」

「まぁな。水関であんな啖呵切った責任くらい取らせろ」

「にゃはは!そういうとこ好きやでウチ!」

「そりゃどうも」


ホント、俺はみんなが羨ましい。
今から命を落とすかもしれない場所に行くってのに……
なんで、こんなに笑ってられるんだろう……
ただ単に俺に余裕がないだけか、それとも……


「で、伝令!」

「何でありますか!?」

「連合軍後方に砂塵あり!どうやら後曲の部隊が進出してきたようです!」


後曲の部隊が?
そんなことしたら前線が混乱するだけだろ?
……袁紹並にバカな奴がいたってのか?


「敵前線は混乱の様相を呈しております!叩くなら今が好機かと!」

「ねね、どないする?」

「この好機を逃す手はないのであります!霞殿はすぐに出撃を!律殿も共に出てもらうであります!」

「……………」


……いや、これはある種の罠じゃないのか?
連合軍が緻密な連携を取っているとは思えない。
でも、こちらが不利になるための要素は、門から出て戦うことだ。


「音々音、悪いけど賛成できない」

「心配ないであります。こういう状況の時の指南書を詠殿から預かっているであります」

「……でも、もう少し様子を見たほうがいいと──」

「ナオキ、大丈夫やて。ほな、ねね!すぐに律にも伝令走らせといてや」

「承知したであります!」

「……分かった。じゃあ、俺は持ち場に戻るけど……水関で言ったこと、忘れんなよ?」

「勿論や!」

この選択が吉と出るか凶と出るか……
今は天に委ねるしかない。


「羅々!」

「御遣い様ー」


俺が呼ぶと、羅々が駆け寄ってくる。
少し焦りの色が見えるな。
ま、急に戦況が変わればそうなるか。


「何だかー、連合の方で動きがー」

「知ってる。どこの部隊が突っ込んできた?」

「えとー……牙門旗はまだ見てなくてー……」

「なら俺が直に見る」


門の上から見下ろして、さっきまでとの違いを探す。
ま、混乱してるのは目に見える。
その原因を探すために目を凝らす。


「……“孫”だと?」

「何か問題でもあるんですかー?」

「大有りだ。旗標が“孫”ってことは、孫策の部隊が突っ込んできたってことだ。江東の麒麟児とか言われてる戦上手が、こんな馬鹿な真似を取る理由が分からない」


何かしら思惑があるのは間違いないはず……
ただ、それが思い浮かばない。
向うにも向うなりに事情ってやつがあるんだろうけど、味方を混乱に陥れる必要性が見出せない。


「御遣い様ー、門が開きますー!」

「霞たちが出るからな。混乱してるところを叩くんだと」

「では私たちはー……?」

「援護射撃と行こうか。混戦になるなら様子見、敵が撤退するようならその前方に向けて矢を放つ」

「了解ですー!」











後書き


お久し振りです。
少し迷った部分もあるんですが、九曜の紋の別ルートを書かせていただきます。
最終的には集約していく物語になるとは思うんですが、また頑張って書いて行こうと思います。

このルートは少しオリキャラが多くなるかもしれません。
ただ、以前の反省も活かして、人物設定とか人間関係とかを濃く書いて行こうとも思っています。
ご期待に添えられるかは分かりませんが、一度完結させたという自信もあります。
シルフェニアの作家の一人として、しっかりと頑張っていきます。

では次話で



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