14.

 ぱちぱちぱちぱち、ぴしゃ。
 開いて、閉じる。
 随分と長い間、持ち主の意思と無関係にその軍扇は規則的な律動を繰り返している。主人であるシーマ・ガラハウ中佐の手元で。
 「リリー・マルレーン」、メインブリッジ、スキッパーズ・シート。
 つまり、使うつもりがまんまと上手い具合に使われたワケだ。さすが総帥の懐刀と呼ばれただけのことはあるってことかい、エギーユ・デラーズ。
 確かに、とシーマは振り返る。不自然なまでの厚遇だった。あたしらへの永年の冷遇をジオンを代表して陳謝する、だけにしては。腹を割る、器量を示すといった交渉術では説明出来ない、作戦に参加する部隊指揮官への状況説明及び指示、指導としても異例な、余りにも過度な情報開示ぶりだった。言外に、裏切れるならやってみろと恫喝せんばかりの。
 アクシズの介入など、全く予想外だ。
 いや、アクシズによる”支援”についてへの言及はあった。だがそれは時期尚早、決起には準備不足という自陣営に満ちる声無き声を抑えきれなかったハマーン・カーンの政治的詐術、に過ぎなかったのではなかったか。
 自分が与えた情報、敵陣営中枢深くに獲得したインフォーマーからの情報に連邦軍がどれだけの影響を受けたかは読み切れない。だが、情勢判断の材料として、そして今回のソロモンでの大敗に自分が全く無縁であったとは考えられない。
 やはりギアナで潮目が変わっていた、か。
 シーマはうすく眼を開いた。将官の換えなどいくらでもあるだろうに、あの巨獣のような連邦軍が蟻の一噛みでうろたえ惑っている。観客としてであれば無責任に面白がっていられるのだが、自身、舞台に上がっている役者の一人としては笑っていられない。
 ジオン再興。
 腹の底で言葉を転がし彼女は顔を歪める。なまじの美貌が凄愴を交えた凶相に置き替る。
 我らが捧げた無私の忠勇に公国が何を以て報いたか。
 名誉も誇りも、時間さえも。ただ奪われ、打ち捨てられた。大義だ信義だと、笑わせるな、ブタの餌にもなりゃしない。
 簒奪されたものと比して、あくまでささやかな報復、だ、これは。
 その機会は必ず来る。それまでは。
「…利用してやる、徹底的に」呪文を唱えるが如くシーマは呟く。

「コロニーの爆砕処分、だと。気は確かかねコーウェン少将、”アレ”は君の退職恩給で賄えるようなシロモノではないのだぞ?」
 おおげさに目を剥いてみせる軍令部長相手にコーウェーンは硬い表情を崩さない。
「自分は至って冷静です」
 南米、ジャブロー。
『コンペイトウ方面での大規模な武力衝突と膠着』
 今回の”事態”に対するこれが軍と政府の公式声明だった。重大な欠落はあるが辛うじて虚報ではない。
 アクシズとのハンドリングを奪われ、挙句それと現地軍の暴走、衝突を殆ど無策に見過ごしに任せたのは何故か。
 それはギアナ事件で天から降って湧いた上級官職を巡り、残った者が職分を忘れこの地で盛大なイス取りゲームに明け暮れていたから、だ。
 最も遠い局外に立つコーウェンは胸中で吐き捨てるが戦後判明した事実に照らせば、この時ジャブローで進行していた状況は「ゲーム」の一言で片付けるには余りに大規模なものであった。それは参加各陣営の総力を傾けた情報戦であり、幸いにして砲火を交えず終結した内戦に他ならなかった。荒れ狂い互いに激突する組織力学に轢き潰され転がった死体の数は両の手に余る。
 結果、前後を含め約一週間近くの長きに亘り、ジャブローは機能不全に陥った。コンペイトウ方面の動静に戦争ごっこは好きな者に任せておけばいいと嘯きつつ。
 そして最終的にそれら要職を占めたのは。軍部高級官僚としての見識も浅薄なら適性も疑わしい、現職を評議会出馬までの腰掛けぐらいにしか考えていない、つまりはコーウェンの眼前に居る男のような無能以前に何より迷惑極まりない有象無象共。
 以前の体制には歪ながらにも観望と、そこから導かれる指導があった。
 今は何もない、否。
 現政権への粘つくような迎合だけが存在する。しかもそれが。
「それでは、ゼダンからグラナダへの戦力移転の件は、如何なされているでしょうか」
「ああ、あれはイカンよ」
 部長はワケ知り顔で指を振る。
「サイド3方面の情勢は現在甚だ不穏だ。守旧派の活性化に不安定化工作も確認されておるしな。そこへゼダンからの戦力抽出など、誤ったシグナルとなりかねん」
 続く言葉は全く逆の内容であった。
「この現状に鑑み、ゼダンへの増派が午後には議決されるはずだ。グラナダの予備兵力からこれに充当する」
 コーウェンは軽い眩暈を覚え、よろめく。
 アクシズが仕掛けた情宣はかくも有効に機能しておるわけだ。
 謀略、情報戦、何れも発足当時から連邦軍のお家芸だった。
 それが。
 コーウェンは胸中で呻く。構わん、ああ構わんとも。
 それで”勝利”できるのであれば。
 よもや、負けることなどあるまい。それがコンペイ島のあの体たらくだ。コーウェンが掴んだ情報は、連邦軍の意想外の惨敗を克明に伝えて来ていた。
 外、に向け情報を伏せるのはまだ理解出来る。自身を瞞着してどうするのだ。
 現実を見よ。コンペイ島はコリニーが召集した戦力と共に失陥したのだ。
 地球正面がかつてない程手薄な状況を貴様らはどう観ているのだ。
 デラーズにとり、これが千載一遇の好機であるというこの現況をだ。
 だが、その想いは一言とて現実化することは無かった。
「了解であります」
 コーウェンが実際に発したのはその一言だった。
 我は少将、彼は中将、そしてここは軍隊なのだ。
 同時に暗澹たる気分で、自分の子飼に掛かる更なる重圧を想う。

 デラーズ・フリート。総隊旗艦「グワデン」
「全く、お見事な手腕です。感服致しました」
 デラーズは手放しの讃辞を述べる。
「出来ることを全てした、させたまでだ。大したことはない」
 しかしハマーン・カーンは顔色一つ変えずに受け流す。
「むしろ出来ることしか出来なかった。時間も戦力も限られていた故な」
 デラーズは軽く否定する。
「十分過ぎましょう。ソロモンまで破壊されるとは」
「敵の策源を断つは兵法の初等であろう?ソロモン程のもの、さすが、捨て置きに地球へ押し出すわけにはいかぬでな」
 デラーズは深く、二度、三度頷く。
「しかしガトーと言ったか。よい駒を持っているな」
 ガトーを駒、と決められデラーズは僅かに声を固くした。
「全く、小官には」
「小官、は止めにしよう、エギーユ」
 カーンはすかさず止める。
「貴公と私は対等のはずではないか」
 デラーズがさりげなく下手に出るのをやんわりと抑えた。
「ああ、これは失礼した、全く、私には過ぎた漢です。或いはハマーン様の下でこそ輝く星であるやもしれません」
「よい、私にもこれで幕下が無いでない。戯れだ、捨て置け」
 デラーズは軽く頭を下げ、ふと気づいたように。
「そろそろですな」
 時刻を確認した。

 コウが背後に立ったのに気付いた様子でありながら彼女は全く何の反応も示さない。
 故に、激怒してる。コウは断定した。それもかつてないほど。
 ルセットは情動烈しそうで、怒っているところはあまりみた記憶がない。作業中はよく殺気だっているがそれは怒りとは違う。
 しかし今は。殺気だっている、のではなく彼女の背中から殺気が立ち昇っているのが視える気がする。
「えーと、その、ルセット、さん」
 仕方なしコウはこちらから声を掛けた。
 ぱたり、とその手が止まる。
「あらコウ、お帰りなさい」
 自然だが平板な様子で彼女は応える。相変わらず顔は動かさない。
 たたたたぱしぱし。
 直ぐ作業を再開した。
 地雷を真上から踏みつける気分でコウは再び自分から声を出す。
「怒ってる、ねえ怒ってるよね」
「うん、怒ってる」
 再び平板な声が返る。うあやっぱし。
「御免!。せっかくのフルバーニアン大破させ」
「そんなのどうでもいいのよ!!ニナじゃあるまいし」
 だん。とコンソールを叩きルセットはコウに向き直った。
 どうでも?じゃなんで。
「だってコウは無事帰ってきたんだもん。いいよ、また修理すれば」
 嬉しいことをいう。
 でもじゃあなんで?。
「ガトーと交戦したのね」
 ひくりとコウの背が震えた。
 ルセットの眼が告げる、当たり前でしょ、全部診るのよ私たち。
 14相手の無様な相打ちまで。
「ソロモンの悪夢。戦うまで気付かなかったの?」
 不意に、コウは悟った。ルセットがデータエントリした意図を。
 つまり、この先危険、のマーキングだったのか。
 逃げろ、と。
 でも、戦争なんだよ。逃げることなんて。
 そう思った、違った。真逆だった。
「何で一騎討ちなの」
 え。
「ガトー相手に一人で勝つもりだったの?」
 あ、え。
「隊長も、キースも、アデルさんも近くに居たんでしょ?!なんで皆でボコってやらなかったの?!戦争だったら見方の支援を受けて当然でしょ、そうじゃないの!!」
 脳天を叩き割られたような衝撃だった。
 確かに、その通りだ。
 全く、思いつきもしなかった。
「それとも何、勝てると思った?ガンダムなら?!」
 ビームサーベルを根元まで突き入れられた気分だった。
 実際にあのときコウに兆したのはもっと不遜な感情だった。
 おれ如きが、とあの時コウは確かに思った。
 ガトーを墜としてしまっていいのか。機体性能差のみで。
 トリガを鈍らせたのはその逡巡だ。
 なんて傲慢な。
 後悔するなら勝利してからで十分だ。
 そのことを、今、このエンジニアから教えられた。
「生きて還ってよ!真剣に!じゃなきゃガンダムなんてあげないから!!」
 彼女は、泣いていた。
 違った。全てが逆だった。
 彼女は怒っていたのでもない。
 ただ不安に震えていた、いるだけだ。
 おれがいない時間を。その帰還までの時間を。
「ごめん」
 コウは素直に詫び、彼女を抱きしめた。
「反省してる?」
 泣き笑いの内に彼女が聞く。
「してます」
「本当に」
「必ず、生きて還る、絶対に、本当だ」
「よし!!」
 ルセットは涙をぬぐい、ちゃらり。
 ごついキーをコウに手渡した。
「帰還率大幅アップのアイテムよ」
 GP03、とタグにある書き文字は場違いに可愛らしい。
 アナハイム・エレクトロニクス所属、ドック船、「ラビアン・ローズ」。
 アナエレ本社と同様連邦軍の統括下にあり、さらに現在は臨時指揮所であり野戦補給、整備場ですらあった。早い話が全く便利使いされている真っ最中だった。
 周辺に駐留しているのは「アルビオン」を筆頭にマゼラン級が二隻、サラミス級が五隻、コロンブ級が一隻。何れもコンペイ島から落ち延びて来た戦力だった。
 云わばこの帳簿に存在しない戦力を取り込み、「アルビオン支隊」は臨編されていた。コーウェンに向け非公式に最新情報を発したのも、当然この部隊を率いるシナプス司令による判断である。
 部隊は「ラビアン・ローズ」からの根こそぎ徴発により戦力の維持を企図していた。シナプスとしても心苦しいものはあるが已むなし、と既に割り切っている。所有する戦力もその一環であり、先にデフラが移乗し調整を急いでいたGP−03も戦力化が間に合った。
 部隊の次の目標は、現在守備が手薄な搬送コロニーの護衛部隊への合流だった。が。




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