多分。

自分でも気付かない心の奥底で。

俺はきっと、助けを求めていたんだと思う。


あの、楽しくて、騒がしくて、幸せな日々を。

上から見えなくなるまで塗りつぶしてくれるような、そんな現実を求めて。

なんと愚かな行動だろうか。

エゴ丸出しの、情けないばかりで弱い心だろうか。


彼女を裏切って、傷つけて、そして時間が経っても同じ事を繰り返してしまった。


―――もう、彼女との道が交わることはない。

―――その道が、交わってはいけないのだから。



WHITE ALBUM2 風岡麻理SS「涙を頂戴」



「…っ」


ハッとなって、突っ伏していた机から勢い良く頭を上げた。

少しだけ目を瞑って休憩するつもりが、眠ってしまっていたらしい。

とはいえ、時計を確認すると先程眠る前から十分ほどしか経っていない。


「寝ちゃってたか…」


現在担当している雑誌の締め切りにも十分間に合う。

時刻は現在3時20分。

どうということはない。


「…くそっ」


というわけで仕事を再開しようと思う。

が、なぜか指がキーボードを叩いてくれない。

体がまったく言うことを聞かない。


何なんだよ、いきなり。


「いや、わかってるさ」


俯き、自分以外誰もいないフロアの床を睨みつけながら吐き捨てる。


いつまで過去に囚われ続けるんだ?

いつまで俺は、あの罪と付き合い続けなきゃいけないんだ?


あの人を選び、雪菜を傷つけて、そこで吹っ切れると思ったのに。

俺はまだ、追いかけてくる過去と終わらない鬼ごっこを繰り広げている。


雪菜との別れから、もう三年も経つというのに。


「ふぅ…」


ギュッと目を閉じ、深呼吸してから顔を上げて天井に向ける。

まぶたの裏に届く光に眩しさを感じつつ、ゆっくりと目を開いた。


そう、全ては自分の罪。

雪菜を選んで、だけど途中で冬馬を追いかけ始めて。

今度は向こうから追いかけて、こっちが振り返ったら向こうが逃げ出して。

挙句の果てに逃げられて。


めんどくさい奴だった。


「くそっ、今更なんで…」


いろんな記憶が行ったり来たり。

誰を責めたいのか、誰に責められたいのか、それすらわからなくなってきている。

冬馬の思い出と、雪菜の思い出がごっちゃになって。


いつになったら、この悪夢から抜け出せるのだろうか?


「―――北原?」

「…っ」


ああ、なんて馬鹿なんだろうか。

こんな夢なんかに付き合ってたばっかりに。

一番見られたくない人に、一番見られたくない顔を見られてしまった。





「…泣いてたのか? お前」

「少し、気分が悪くなっただけです。ちょっと眠ったら良くなりました」


あの頃と何も変わらない。

それよりか、少し艶のある表情を見せるようになった上司は、こちらの言葉に裏があることに気がついたのか。

コツンと冷たい缶コーヒーの角を頭のてっぺんにぶつけてきた。


「部下の健康管理がなってなかったな。悪かった」

「…すみません。それと、いただきます」

「…本当にどうしたんだ? 北原らしくないぞ。

 このくらいの嫌味はいつもだったらこれ以上の嫌味で返してただろ」


不機嫌そうに眉をしかめ、腕を組むその姿は威厳に溢れていた。

アイツとは違う、不良が背伸びしたような感じじゃなくて、経験が伴ったその雰囲気。


いや、ダメだ。なんで今日はこんなにも昔を思い出しているんだろう。

もう、“昔”とつながるものなんてここにないのに。


「昔の夢を見ていました」

「昔…」

「俺が昔、傷つけてしまった女の子のこと---雪菜のことです。

 結局、俺は最後の最後まで傷つけることしかできなかったんですけど」


付けてしまった傷は大きく、俺では絶対に塞ぐことも、癒すこともできない。

今でも、彼女の声も、顔も、そのすべてが脳裏から消えることはない。

目の前の人も同じように傷つけてしまったのに、最後にはこの人を選んだのに。


「ごめんなさい。麻理さんに話すようなことじゃなかったですね」

「―――まったくだ。今の彼女にそういうことを話すな」

「はい」


苦笑で答え、受け取った缶コーヒーのプルタブを開ける。

中身を一気に飲み干すと、冷えたコーヒーが頭に冴えをもたらしてくれた。


「ふぅ…」

「大丈夫か?」

「ですから、本当に昔の夢を見ただけですから。麻理さんが心配することなんて、何も無いですよ」

「北原。お前は編集部をまたいで仕事取ってくるくらいの度胸があるのに、他人が自分の中に入ってくるのは相変わらず嫌なのか」

「それは事情が違うじゃないですか」

「ああもう、ああ言えばこう言う」

「………」


頭を抱える麻理さんを尻目に、窓の外に映った“それ”に釘付けになる。

空からいくつも降り注いで、そして窓の下へ消えてゆく。


「そっか、今日は雪か」

「北原?」

「ついでに、今日は2月の14日か。

 ―――ははっ、本当に、俺は…馬鹿だろ」


そうだった。

今日は雪菜の誕生日だった。

もう、自分には祝う資格も、プレゼントを送る資格もない。


だけど、今日なら、あんな夢を見てしまうのも仕方のない事なんだろう。


「北原…!」

「―――っ」


麻理さんの怒声がフロアに響き渡り、同時に正面から頭を抱きかかえられた。

あやすように、守るように。


俺よりも細いのに、俺よりも強い力で。


「辛いなら、いくらでも泣いていい。喚いていい。

 けどな、一人で全部抱え込むな。…その、私がいるじゃないか」

「っ…ごめんなさい、麻理さん」

「謝るだけじゃ伝わらないだろ。言えよ、吐き出せよ…!」


麻理さんの背中に手を回しつつ、溢れる涙を止める気はしなかった。

だって、この人にこれ以上見られたくなかった。

情けない自分を。許されるべきではない自分を。


「…俺は―――許してほしかったんです、許されたかったんです…。

 自分が裏切ってきたものに、許してくれないってわかってても、それでも…!」


親友達の思いを裏切った。

かつて恋人だった女性の想いに背を向けた。

そして、今目の前にいる女性すら傷つけた。


それでも、この地獄のような悪夢から救ってほしかった。

すべてがすべて、自分が引き起こしたことだというのに。


なんと質の悪い人間だろうか。

なんと救いがたい愚か者だろうか。


「どうして、ですかね…全部、自分がいけないってわかってるのに、自分のせいなのに…。

 わかってたんですよ、後で絶対こんな風に自分自身を苦しめるって…だけど、苦しすぎます…!」

「北原…お前、」


加害者なのに、どうして救いを求めてしまうのだろうか。

救われなければいけないのは、彼らなのに、彼女なのに。


―――弱すぎるだろ、俺。


いつものように頭が回らない。

ただひたすら、赤ん坊のように麻理さんの胸で泣き続ける。


これが、罰なのだろうか。

死ぬまで、こんな苦しみを味わい続けなければいけないのだろうか。


この痛みこそ、雪菜が味わい続けてきたものなのだろうか。


「く、ぅぅ…ぅぁ………。

 ぁぁあああ……あ゛あ゛ぁぁ………!」


どうして雪菜は、こんな痛みに耐えてこれたんだろうか。

こんな、身を潰してしまいそうな痛みと、向き合ってこれたのだろうか。





「………北原」


泣き止んだ春希だったが、未だに麻理の胸に顔を埋めたまま、彼女の背中に回した手を離そうとはしなかった。

麻理はただひたすら、泣いている間も春希の頭を撫でていた。


「正直、お前がここまで弱音を見せてくれるのが久々だったから、ちょっと嬉しかった」

「麻理…さん」

「それでいいんだよ。抱え込みすぎるな。そんなことしてたら、いずれ自分で自分を潰すことになる。

 でもな、お前の痛みをわかろうとする人間がいるってことは、絶対に忘れるな」


口調は、残酷なまでに優しく。

その罪を、外の雪に埋もれさせてしまおうと思わせるほどに、愛おしさに満ちていた。


「なんで、麻理さんはこんなに優しいんですか…」

「優しい? ―――フフ。そんな風に言われたの、初めてだ」

「俺の罪を知ってるのに。

 俺が麻理さんを裏切ってたことも、彼女を裏切ったことも知ってるのに」


彼女にとってはもう、思い出話なのかもしれない。

だが、春希にとっては消せない罪となり、今も彼を苦しめている。


春希の言葉に一瞬ぽかんとした表情を浮かべる麻理。

だが、すぐに真顔に戻って春希の頭を解放し、今度はその両頬に手を添えて至近距離で睨みつける。


「ああ、覚えているよ。今でも忘れない。

 お前が浮気性で、私を代用品にしてたことも」

「っ………」

「で、そのことを今後悔してたわけか」

「それも、あります」


鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔は、とても見れたものではない。

それでも麻理にとっては大事な大事な恋人の、普段からガッチガチの堅物で、他人に己の弱い部分を見せない青年の、数少ない表情なのだ。


「じゃ、あとは?」

「俺が苦しめてしまった人の感じていた痛みが、時間が経つにつれてわかるようになってきまてしまったんです」

「…そう」

「でも、俺もこんな苦しみから助けてほしかったんです。大事な人を切り捨てることの辛さを、誰かに受け止めてほしかったんです」


春希の身勝手極まりない言い分。

最低の屑と罵られて当然の男の、最低の主張。

傷つけてばかりで、なのに自分が傷ついたら救いを求める。


多分、かつての春希よりも今の春希の方が弱くなっているのだろう。

かつての春希なら、たとえ恋人でもこんな弱音を吐くことなどなかったのだから。


それでも、麻理は純粋に嬉しかった。

彼の心が解きほぐれていくことに。

彼の弱さを知っていくごとに、愛おしさが胸の中にこみ上げてくる。


けど、麻理はどこかの誰かさんと同じで素直じゃないから。


「ああ、助けてやる。お前の弱いところも受け止めて、辛さを知ってやる。

 だから、その罪を忘れずに、その痛みを一生抱えながら私と幸せになれ。私を幸せにしろ。もっと、もっとだ」

「麻理さん…」

「一緒に背負ってやるさ。お前がいつか、その痛みを糧にできる時が来るまでな」


春希に微笑みかけつつ、麻理は机の上にあったティッシュで春希の顔を拭いてやる。

春希は自分でやるというが、こんな日くらいは年上のお姉さんぶってもいいだろう。


「すみません、仕事中に」

「どうせ締め切りは明後日だろ」

「けど…」

「…いつか言ったよな。仕事に逃げても、結局それは質の差として現れるって」

「…はい」

「だったら休め。上司命令だ」


きっと、まだ立ち直るには少し時間が掛かるだろう。

なら、そこは恋人として、また上司としてカバーしてやるのが務め。

そうして麻理がコートを掛けてやると、春希は腫れぼったい目のまま彼女に向けて頭を下げた。


「ごめんなさい…」

「…とりあえず、私の方もあと少しで終わるから、おとなしく部屋で待ってろ」

「…はい」


それでも春希は抱え込む。

苦しむなと、背負ってやると言っているのに。

自分が悪いからと、その言葉を、他人を拒絶することの免罪符にして。


そうして、春希がデスクから去っていくと、麻理は頭をくしゃくしゃに引っ掻いた。

それでも、顔には深い笑みを浮かべて。


まったく、めんどくさい奴だ。


彼の傷を知っている。彼が付けた傷も、彼が受けた傷も。

だから、言えるのだ。当時の彼の優柔不断さが招いた結果が、今日の、先ほどの彼なのだと。

それでも、真面目にひたむきに仕事に打ち込み、周囲の期待に答え、頑張ってきた春希だからこそ麻理は惹かれた。


だが、その真面目さこそが、彼に今も尚罪悪感を駆り立てているものにほかならない。


そして、その傷は今もまだ、癒えきってはいないのだと。


<完>


あとがき

ブログ宣伝も兼ねて。

WHITE ALBUM2における初SSなのでgdgdで下手くそなのはご用心。



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