|| prologue : Harry's monologue, 2203 A.D. ||

 

 火星の後継者を名乗る者達による軍事クーデターは、ナデシコの活躍によって未然に防がれたが、その後のテンカワ・アキトによる残党狩りは苛烈を極めた。 A級ジャンパーにして、国際S級テロリスト。それがそれまでの彼の肩書きだった。
 「君の知っているテンカワ・アキトは死んだ」
 彼はそう告げた。何度も。艦長がどれだけ追いかけようとも、戻ってきてくださいという叫びにも彼は首を縦に振ってこなかった。
 テンカワさんに追いついたとき、普段は決して見せることのない艦長の叫ぶ声。そして逃げられた後の嗚咽。
 どれほど後ろから艦長を抱きしめてあげたかったことか。でもそれはできなかった。それはどうしていいかわからなかったせいでもあるし、僕に意気地も勇気 も無かったせいでもある。
 でもそれでよかったのだと、後になって思うようになった。
 艦長の悲しみの隙に付け入るような真似をしても、きっと艦長はそんな僕の下心など容易く見透かすだろうから。そしてその軽はずみな行動に対する後悔は、 きっと僕にずっとついて回るはずだから。
 だけど、もし、あの時艦長を後ろから抱きしめてあげたらどうなっていたのだろうか。
 それを試すことはもうできなくなった。
 クーデター終結から1年に及ぶテンカワ・アキトの捕縛任務。だけど彼は散々逃げ回った挙句に、ついに彼は投降に応じた
 その主理由は、テンカワさんの余命があと3ヶ月も無いと知らされたからだ。恐らく当人は知っていたんだと思う。
 最終的な説得はミスマル・コウイチロウ元帥自らが直接行った。
 その通信越しの交渉の場に、艦長はもちろん、今ではこのナデシコの提督を勤めておられるテンカワ・ユリカ提督もいた。そして僕もいた。いや、サブロウタ さんを含めてブリッジ・クルーは皆いたんだ。
 あの時の元帥の言葉は今でも忘れない。

 「アキト君。君がユリカやルリ君や皆に迷惑がかかることを恐れていることは承知している。だが、君の命が残り少ないのなら、なおさら降りてきて欲しい」
 「残された者は、愛する者の最期を看取ることができない悲しみを生涯背負っていくのだぞ。それに比べれば君を匿うことで受ける迷惑などちっぽけな物だ」

 スケールの違いに眩暈がしそうだった。
 国際S級テロリストを匿ってもなお、それをちっぽけな物で片付けてしまう度量の大きさに。
 さらに元帥は元帥の奥さん(ということは、ユリカ提督のお母さんに当たる人)の最期を看取ることができなかったこと。それは仕事が理由ではあったけれ ど、そのことを思い返すと今でも亡き奥さんとユリカ提督に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、最期を見とれなかった自分を今でも責めるのだと仰った。
 そんな思いをユリカ提督と艦長にさせるのかと。それを望まないのならどうか降りてきてくれないかと、最後には土下座までしてみせた。
 それをテンカワさんを含め、提督と艦長の二人を除いたブリッジクルーも驚愕の表情で見ていた。
 表面だけを見れば、宇宙軍元帥がS級テロリストに対して投降してくれと土下座してお願いしたのである。
 そんな提督の言葉と行動に折れたのか、テンカワ・アキトと戦艦ユーチャリスのオペレーター、ラピス・ラズリの両名は連合宇宙軍にその身柄を拘束された。

 ・・・というのはあくまでも表面上の話だった。

 

 投降したテンカワさんは、そのままドクター・イネスによって集中治療を受けることになった。
 その間、ミスマル元帥は持てる政治力のすべてを駆使して、テンカワさんのテロ行為の殆どの責任をクーデターを起こした火星の後継者、そしてそれを軍事支 援していたクリムゾングループと、さらには秘密裏に手を組んでいたとされる統合軍の一部の幕僚たちの腐敗の証拠を盾に、ほぼ無罪放免を勝ち取ったと言って いい。
 しかし、まぁ、事情を知っている僕に言わせると、もうこれは殆ど詐欺。
 火星の後継者たちに誘拐され人体実験を施され常人では致死量を超えると言われた量のナノマシンを投入された、A級ジャンパーたちへの非人道的な実験。そ の結果としての五感の喪失と、削り取られた生命。
 公開裁判が行われた時には、テンカワさんの余命はあと1ヶ月と言われていて、集中治療室からどころか無菌室からすら出ることはできない状態であるとドク ターは法廷の場で説明した。

 

 そう、《説明》した。まぁ深く語るのはやめておこう。うん。やめておこう。

 

 事例が事例であるが故に早急ともいえる速度で結審。
 判決は死刑。
 情状酌量の余地が多大であることを鑑みても、なお極刑は免れない。という判決。
 だけど、判決にはこんな但し書きが付いた。処刑の執行はせず、残り僅かな余命をまっとうすることで贖罪とせよ、と。一見すると終身刑のようにも見える が、これが終身刑ではなく死刑という極刑の判決がミソだった。
 この時点で、テンカワ一派の勝利は確定したようなもの。
 カラクリはこう。
 予定通り、判決から47日後、ドクター・イネスはテンカワさんを仮死状態において、別の医師が死亡診断を行ったあと、こっそりテンカワさんを蘇生させ た。
 何故蘇生させたかと言えば、テンカワさんの身体を蝕んでいたナノマシンの9割がたの除去は既に終わっていて、余命1ヶ月と公言した時点では実は余命30 年を確保していたほど回復していた。
 しかも、死刑を執行した際に生き延びることができたものは、刑期を終了し実社会に復帰できるという制度を逆手にとって、テンカワさんは今のうのうと、い や、堂々と生きている。
 ナデシコに乗船はしているけれど、世間の目からは隠れるようにネルガル所属のシークレット・サービスとして、ブリッジ・クルー警護の任についている。テ ンカワ・アキトが実は生きているという事実を知っているのは、ネルガル関係者の一部とナデシコクルーの一部だけである。
 ドクター・イネスの治療で殆ど治ったとは言え、幾つかの後遺障害が残っている。
 まずは瞳。
 障害と呼べるほどのものではないのかもしれないけど、マシンチャイルドと同じ金色の瞳に虹彩が変わってしまったこと。
 また毛髪の色も殆ど抜け落ちてしまい、かつてのややブラウンの入ったボサボサ頭は、今や銀髪に彩られ、さらには髪型も変えて、瞳を隠すのが目的のサング ラスといかにもSSらしい黒いスーツ姿に扮することで、知っていなければ彼がテンカワ・アキトだとは誰も気付かないまでに変わったのである。
 ・・・あくまでも表面上は。

 

 テンカワさんが戻ってきたことで、艦長にも笑顔が戻ってきた。
 戻ってきたと言っているのはかつてのナデシコAのクルーの人たち。僕などに取っては、今まで見ることの叶わなかった笑顔だった。
 その笑顔が向けられる相手が僕じゃないのが悔しくはあるけれど、その笑顔の側に居させてもらえるだけで僕は幸せでいることができた。だから、こんな詐欺 に等しい策略も見てみぬ振りを死ぬまで続けることになるのだろう。

 

 そう思っていた。

 

 テンカワさんと、ユリカ提督と、艦長。という3人の関係。
 艦長がテンカワさんを追いかけている間、艦長はテンカワさんを家族として追いかけているのか、それとも一人の男性として追いかけているのか。はっきりと はわかっていなかった。だけれど、恐らくは一人の男性としてのテンカワさんを追いかけているのだろう、と思っていた。
 そしてそれは後に正解であったことがわかる。
 その後の3人の関係は、はっきり言って僕の予想を超えていた。
 それまで、テンカワさんが戻った後はユリカ提督との夫婦関係を再開して、艦長はテンカワさんを諦めるのではないかと、いや、違うな、諦めてくれるのでは ないかと期待していた。
 もっとも、そんな風に考えた自分自身に対して、後になって激しい自己嫌悪に襲われたけれど。
 艦長がフラれてそれが嬉しいなんて思う自分を、自分自身をぶっ飛ばしてやりたいと思ったのはあれがはじめてだった。
 でも、現実はもっと驚くべき関係をあの3人は構築してしまった。
 簡単に言えば三角関係。テンカワさんはユリカ提督と艦長の二人を対等に妻として迎え入れた。二人の関係はあくまでも対等。提督が本妻で、艦長が2号さん とかいうのではなくて、二人ともを同じ関係においてしまったのだ。
 一般的に言えば、もちろん重婚は認められていない。
 だけどこの人たちはもはや何でもアリだから。そのうち、重婚が認められる国に国籍をひょっこり移動させるくらいのことはきっと平気でやる。
 だけど、僕が驚いたのはそのことではない。いや、これ自体も驚きはしたけれど、想像できる範囲を超えているわけじゃない。
 もっと凄いと思ったのは、ユリカ提督と艦長も恋人という関係を築いたことにある。
 義姉妹になるとか、義母娘になるとかいうのなら、そういう可能性もあるのかもしれないと僕でも思った。だけど、この二人がテンカワさんを挟んだものでは なく(テンカワさんとはどちらも夫婦でありながら)、直接的に恋人という関係に至ったことに誰しもが仰天した。
 この二人は別にレズビアンなわけではないはずだ。これは僕が勝手にそう思うことなのだけど、ユリカ提督と艦長という、この二人の間柄だからこそ成立する 関係なんだと思う。
 もし仮に、将来この関係が崩れたとしても、艦長や提督が別の女性とこういう関係になることは恐らく無いだろう。この二人の間だからこそ、だと思う。

 

 もしユリカ提督の位置に僕がいたとして、艦長とテンカワさんが過ごす時間に嫉妬しないでいられるだろうか。
 テンカワさんと恋人に・・・というのは、男同士はさすがに論外にしても、同じようなことが僕にできるとは到底思えない。
 テンカワさんの位置に、仮に僕がいたとして、僕と艦長と、あと一人別の女の人がいたとして。それぞれがそれぞれを対等な関係として過ごすことができるだ ろうか。
 やっぱり、それが僕にできるとは到底思えない。
 だけど、それをこの3人はやっているのだ。それほどまでにこの3人に絆は強く、そして深い。

 

 そしてそんな3人を見て、もう艦長に僕の想いが届くことは無いのだと、そのとき僕は知った。

 

Martian Successor Nadesico : case after the darkness period.
- affection -
 
想いは巡る
 
Written by f(x)

 

|| scene.1 : wish ||

 

 ラピス・ラズリを引き取ったのは、アキト君が投降してからすぐのことだった。

 

 艦長も・・・って今は提督か。ルリルリも。そしてこのラピスも。当たり前のようにアキト君を集中治療室のガラス越しにへばりついて見ていた。
 「ねぇ、タカスギ君。艦長いなくていいの?」
 操舵席から副長のタカスギ君に聞いてみる。私自身、あの二人の気持ちがわからないではないけれど、航行中の船を提督と艦長がホッポリ出すのはちょっと無 責任過ぎない?
 「まあ何とかなるでしょ」
 本当にお気楽ね、あなた。
 「ハーリーがいますしね」
 「はい。お任せあれ」
 ハーリー君もちょっと辛いでしょうけどね。想い人たるルリルリは違う男に張り付いているし。
 そんなハーリー君にタカスギ君が茶々入れて、そこにオモイカネのツッコミのウインドウが現れたりして。それがなんとなくナデシコのブリッジらしくて、妙 に納得してしまった私がいるのも確か。
 だけどこの後思いもよらない方向に事態は動いていく。
 いくらアキト君が心配だからといっても、ユリカさんにしたって、ルリルリにしたって四六時中ガラス窓にへばりついているわけには行かない。自身の睡眠も あるし、仕事もあるのだから。
 ところが、本当に四六時中へばりついているのがいたの。
 そう、ラピス・ラズリが。食事も取らず、睡眠も取らず、文字通り二晩アキト君のいる集中治療室を見つめ続けて倒れたらしい。
 そんなことをしていれば倒れて当然よ。
 イネスさんは、アキト君の治療につきっきりだから仕方が無いとしても、ユリカさんもルリルリもラピスに気にも掛けないなんて、ちょっと冷たすぎない?
 倒れてから1時間後、医療室の看護士の女の子から連絡をもらって私が駆けつけることになった。何で私なの?と思ったけど、やっぱり放っとけないじゃな い?
 まぁこういう風に考えちゃうから、私のところに話が来るのでしょうけどね。
 医療室についてみれば、点滴も終わった小柄の薄桃色の髪をした女の子がベッドの上で蹲るようにして寝ていた。
 そのときラピスは泣いていた。どうして?アキト君が心配だからなんだろうかと思った。彼女がアキト君の五感をサポートして精神的にリンクを持っているこ とを知ったのは、もっと後の話。
 このときはアキト君とのリンクを解除して、精神的にすごく不安定な状況だったのだけど、私はそんなことを全然知らず、どうして一人で泣いているのかわか らなかった。判らないなりに、なんとなくこの子の力になってあげたいと思ったのは、アキト君たちを失ったと思ってた頃のルリルリを彷彿させたからかな?
 背中を丸めて毛布の中で泣いているラピスの背中を撫でてあげた。他にどんな慰めかたが出来たのかな。
 ビクっとして、「アキト?」と言いながら毛布から顔をのぞかせた。
 そしてちょっとガッカリしたような顔。ごめんね、アキト君じゃなくて。
 「誰?」
 「私はハルカ・ミナト。アキト君の友達よ」
 「ミナト?」
 「そう。よろしくね、ラピラピ」
 「ラピラピ?」
 「かわいいでしょ?」
 「よくわかんない」
 いっしょにベッドの中にもぐりこんで、きゅっとラピスを抱きしめた。
 「ミナト?」
 「一緒に、アキト君が元気になるのを待っていてあげよう?」
 「・・うん」
 とコクっと胸元で頷く頭。
 「・・・ミナト、あたたかい」
 「うん、ラピラピもね」
 おずおずと私の背中に回される小さな手。
 この子がアキト君を支えてあげたんだと直感した。それはリンクによるサポートという機能面での支援があったのは後で知ったのだけど、このとき直感したの は、もっと心の部分。
 アキト君自身がどう思っていたかはわからないけど、自分を慕ってくれる子が側に居てくれることで、きっと彼自身の心はギリギリのところで正気を保ってい られたのではないかと。
 私自身が、あの人を失ったあとにユキナの存在が私を支えたように。
 復讐する力なんか私にはないけれど、復讐することばかりが考えを支配するようだと、人の心はあっという間に磨り減ってしまって、何も感じられなくなって しまう。
 実際、アキト君は相当に磨り減ってはいたけれど、まだ優しさは失われていない。
 だからルリルリもユリカさんも帰ってきてといい続けられたんだ。
 もし優しさを完全に忘れちゃったアキト君に、同じことが言えただろうか。あの二人なら言いそうだけど、私にはちょっと自信が無いな。と考えたら、逆にそ こまで深くアキト君を思えるあの二人が羨ましくなってきた。
 ラピスもきっとアキト君がどんな風になってもついていくんだろうな。
 「ねぇ、ラピラピ。アキト君のこと好き?」
 「うん」
 間髪入れずに返ってくる応え。
 
 「私はアキトのすべてだから」
 
 ちょっと、アキト君。まさかローティーンの子に変なことしてないでしょうね。

 

 それから私はラピスを自室に引き取った。
 事情をユキナにも説明しなくてはならない。
 「というわけで、アキト君が回復するまで、預かることにしたの。ごめんねユキナに相談せずに・・」
 「いいのいいの。全然オッケー!」
 あの娘、ラピスのことを受け入れてくれるかな。という心配は、心配したこと自体がバカみたいに杞憂に終わった。
 「私は白鳥ユキナ。よろしくね、ラピラピ」
 「・・うん、よろしく。ユキナ」
 握手したあと、ユキナはラピスに抱きついた。ラピスに頬擦りしてる。ラピスは驚いて目を丸くしてる。
 「・・くすぐったい」
 「ラピラピかわいー」
 その後、ユキナとラピスが二人でシャワーを浴びた後、3人で食事を済ませて早々に寝ることにした。
 ポツリポツリと自分のことを話しだすようになったラピス。
 そんなラピスをはさんで3人で川の字になって寝る私たち。
 ラピスもユキナのことを気に入ってくれたみたいで、ユキナの手を両手で捕まえている。私はラピスの背中越しに身体をくっつけて、柔らかな桃色の髪を撫で てあげた。
 「アキトがね」
 ちょっと間のあいたあとラピスが思い出すように語りだす。
 「口に出しては言わなかったけど、私をナデシコに送りたがってた。私はアキトと離れるのが嫌だって思ってたけど、今ならなんでアキトがナデシコに行かせ ようとしていたのかわかる・・・気がする」
 「・・・理由聞いてもいい?」
 「ミナトもユキナも暖かいから」
 「ナデシコはみんな暖かいよ。私も一人ぼっちになっちゃったときミナトがいてくれた。暖かさと優しさを教えてもらった。今度は私がラピラピにそれを教え てあげる番だね」
 そう言ってユキナはラピスの頬を優しく擦る。
 私は嬉しくて、ちょっと泣いちゃった。
 こうして想いは届けられて行くのかな。
 ねぇ、九十九さん。

 

|| scene.2 : independence ||

 

 3ヶ月に及ぶ集中治療を終えて、アキト君は戻ってきた。
 この間、公的にはテンカワ・アキトは一度死んでいる。
 まぁ法制度の抜け道を衝いた格好なわけだけれど、ミスマル・コウイチロウの政治力、テンカワ・ユリカの戦術眼、そしてホシノ・ルリによるメディアネット ワーク掌握と世論操作。
 この3人にかかればS級テロリストですら無罪放免。
 権力者って怖いわね。でもそんな3人に共感すら覚えるのは、愛しい人を救う手段としての権力行使だからかしら。
 とか何とか考えたのも束の間、回復したアキト君を見て私は唖然とした。
 ルリルリたちマシンチャイルドと同じような金色の虹彩。
 淡い赤みを僅かに残しながら、綺麗に色の抜け落ちた銀髪。
 ナデシコA時代、そしてこのクーデター事件。時には隣で、時にはウインドウ越しで、アキト君の顔を見慣れた私でさえ、一番最初はこう思ったものだ。
 
 あんた誰、と。
 
 でも、アキト君の帰りを心待ちにしていたユリカさんにルリルリ、そしてラピスにはそんなことは関係ないみたい。
 ただいまおかえり愛しい人よ。
 「アキトさん、もう私たちを置いていかないでください」
 ルリルリがアキト君の胸の中で泣きながらそう言う。
 「こんどアキトさんが私たちを置いていったら、そのときは」
 その時は?
 「人類を滅ぼします」
 実行可能な人が言うと強烈な脅迫だわね、それ。
 そしてこれは後から気付いたことなんだけど、アキト君が戻ってきてから、ユリカさんはアキト君のことを「王子様」と言わなくなった。
 そのことを後日尋ねた事がある。
 彼女曰く、アキトは復讐の狭間で苦しんでいた。私に必要なのは、王子様に甘えることではなく、妻として罪の意識に苦しむ夫を理解し支えて一緒に歩くこと だと。
 そのときの横顔を私はきっと生涯忘れることは無いと思う。
 かつての天真爛漫なお嬢様の面影は消え、共に泣き、共に苦しみ、家族と良人を持ちいっぱしの「大人の女性」になった人。いつの間にかしっとりとした大人 の微笑をするようになった人。
 かつてアキト君が遺跡に融合されたユリカさんを救うための想いが彼を復讐鬼に変えたように、想いは人を変えて行く。
 そうして人は前に進む。
 私は・・・・・・前に進めているのかしら。

 

 「ミナト、ユキナ。今まで、本当にありがとう」
 アキト君が退院するまで。という約束で預かったラピス。アキト君が無事に退院し、彼の元に行くのは当然のことだった。
 ラピスにしがみついてえぐえぐ泣いているユキナのことの方がむしろ驚きだった。
 「ほら、ユキナ。そんなしてちゃ、ラピラピ行けないでしょ」
 「だってぇ」
 「ラピラピ、ユキナも私も待ってるからいつでも遊びに来てね」
 「うん」
 「毎日来てね」
 「ムチャ言わないの」
 あ、そうだ、とユキナは奥の部屋にどたどたと駆け込み、一つの大きな白いクマのぬいぐるみを持ってくる。
 「はい、これ。ラピラピにあげるね」
 「・・え?」
 表情に浮かぶのは困惑。そりゃぁいきなりクマのぬいぐるみ持ってきてこれあげると言われても困るわよね。
 「これはね、私がお兄ちゃんから誕生日にプレゼントされたぬいぐるみだよ」
 「そんな大切なものもらえないよ、ユキナ」
 そういうラピスにユキナは首を横に振った。
 「大切なものだから、大切な妹のラピラピにあげるんだよ」
 いつか私の背中に回したときのようにおずおずと受け取って抱きかかえるラピス。
 「大切に・・・するね」
 「うん」
 「ありがとうユキナ」
 想いがまた繋がる。

 

 まさか、その三日後にラピスが私たちのところに泣きながら戻ってくることになるとは思いもしなかったけどね。

 

 たった三日だというのに憔悴したような泣き顔のラピスが、ユキナから渡された白いクマのぬいぐるみをもって私たちの部屋に戻ってきた。
 「ラピラピ!どうしたの!」
 私もユキナもすぐにその様子が只事ではないことを知った。
 「私、もうアキトのところにいられない」
 どういうこと?
 ユキナがラピスを抱きしめ慰める。ラピスはユキナにしがみついているけれど、泣き止む気配が無い。
 「ちょっと私、アキト君のところに行って来るからね」
 そういいながら、アキト君たちに割り当てられた新しい部屋に走って辿り着く。
 「アキト君、いる?」
 彼らの部屋に入らせてもらうと、3人ともいた。どうやら今日は3人ともが非番だったらしい。
 「どうしたんですか?ミナトさん」
 「どうしたも、こうしたも。ラピラピが私のところに泣きながらきたんだけど、どういうことなのか説明して頂戴」
 『説明なら』
 「お黙りなさい!」
 私の青筋の立った一喝。一瞬1つのウインドウが開きかけてすぐ閉じた。イネスさんでしょうけど、ここは茶々入れて欲しくないわね。
 「3日前からラピスちゃんが遊びに来てたんだけど」
 遊びに来てたですって?
 青筋が一段階大きくなったのを自覚する。
 「私たちの真似をして、夜寝るときに裸でアキトのベッドに潜り込もうとしてくるものだから」
 そんなユリカさんの説明というか、言い訳を聞いているうちになんとなく線が繋がりだしてきた。
 「追い出したの?」
 「だって、ラピスちゃんはまだ12歳ですよ?ラピスちゃんがアキトのことを好きなのは知っていますけど、それでもして良いことと悪いことがあるはずで す」
 「いいわ、3人に質問があるのだけど、答えてちょうだいね。貴方たちにとって、ラピス・ラズリを家族として受け入れる気がある?」
 答えは3人ともYESだった。
 「そう。ならどういう風にあの子を見て、どう接するつもりなの?」
 これも3人で話あったんだろう。
 「ラピスを俺たちの娘として育てようと、思っています」
 「そのことをラピラピは承諾したのかしら?」
 私の追及に困ったような顔をする3人。
 「貴方たちの話を聞いていて、だんだん掴めてきたわ。ラピラピはね、貴方たちの娘になりたかったんじゃないの。ユリカさんやルリルリと同じように、アキ ト君を愛する女の子でいたいのよ」
 「・・・」
 「それを、ユリカさんとルリルリは受け入れられる?」
 一瞬の沈黙の後、意外にも真っ先に口を開いたのはルリルリだった。
 「ミナトさん、ごめんなさい。それは私は受け入れられません」
 「ルリちゃん!」
 アキト君が驚くような声を挙げる。きっと受け入れて欲しかったのだろう。でも、ユリカさんとルリルリだから互いにアキト君への想いを受け入れられても、 ラピスはその中にいないのね。
 「ごめんなさい、ミナトさん」
 「いいの、あなたたち3人を責めているわけではないの。ただ、このままではラピラピがかわいそうだわ。私のところで引き取るつもりだけど、いいかしら」
 「・・・ラピスがそれを望むなら」
 そんなアキト君の苦しみの声。
 きっとこれから私がしようとしていることは、アキト君も、ラピスも、ユリカさんもルリルリも傷つく。でも、これは必要なことだから。
 コミュニケで回線を繋いでユキナに連絡を入れて、ユキナにラピスを連れてきてもらう。
 部屋に入ってきたとき、ラピスは判るほど震えていた。
 「ラピラピ、こっちに来て。大事な話なの」
 「・・・うん」
 私とアキト君の口から、アキト君ではなく私がラピスを引き取ることを説明した。
 ラピスの震えはさらに大きくなる。後ろからユキナが支えているけれど、そうしないと崩れ落ちるかもしれない。
 「アキトは、もう私いらないの?リンクなくなったから、私、もうアキトの隣にいられないの?」
 「違う!俺はこの戦いが終わったらラピスを娘として迎え入れるつもりだった」
 「私はアキトのおよめさんになりたい」
 「・・・・・・すまない、ラピス。その願いには応えられない」
 そんなアキト君の言葉を聴いて、部屋にはただ、ラピスの嗚咽だけが残った。
 ユキナと私がラピスを受け止める。
 「すまない、そんな言葉で済むことではないのはわかっている。散々、ラピスをマシンチャイルドとして利用するだけで、ラピスの想いに応えてやれない。こ れだけは判ってくれ。勝手だと思われるかもしれないが、ラピス、お前を愛している。娘として、妹として、家族として、もっといろんなことを教えたいと思っ ている。だけどラピスを妻として迎え入れることはできない。許してくれ」
 「・・・・・・」
 「俺はこんな酷い男だ、リンクして支えてくれたのに、何も恩返しができない」
 「それはちがう」
 しゃくり上げながらも、気丈にラピスは返した。
 「私はあのままだったら人形のままだった。助けてくれた。ヒトにしてくれたのはアキト。ヒトを好きになることを教えてくれたのもアキト。そしてナデシコ につれてきてくれたのもアキトのおかげ。私はただリンクしただけ。私のほうこそいっぱいいろんなもの、もらった」
 「ラピス・・・」
 「ユリカ、ルリ、私の最後のワガママ、見逃してね」
 「ラピス、何を」
 そう一瞬の隙を衝くように、ラピスはアキト君の頬にキスをする。
 「!」
 「今までありがとうアキト」
 アキト君の手がピクリと動いた。ラピスを抱きしめようとして、手を止めたようだ。
 「ルリ、ユリカ、私の分までアキトを・・・アキトと・・・・・・ひっく・・・幸せになってね!」
 それだけを言うと、アキト君から飛び出して、再びユキナの胸の中に泣きながら飛び込んでいた。
 そこにルリルリがやってきた。
 「ラピス、こっちを向いてください」
 さっきのことを咎められるのだろうかとラピスは恐る恐るルリルリに向きなおすが、ルリルリの表情は悲しみと慈しみの両方が感じられる。かつてユリカさん とアキト君の二人の結婚のために一度は身を引こうとしたルリルリだからこそ、きっと彼女の悲しみや痛みが手に取るようにわかる。表情がそれを物語っている のが私にもわかる。
 「辛い思いをさせてごめんなさい、ラピス。貴女の想いの分まで私たちがアキトさんを幸せにします。だから、私たちの妹である貴女も必ず幸せになってくだ さい」
 「私からもゴメンね、ラピスちゃん。応援することしかできないけど」
 ルリルリに続いてユリカさんも隣にやってくる。ラピスは首を横に振るが、表情は涙を流しつつも笑顔だ。
 「私、アキトとリンクしてたから、アキトがルリとユリカをどれだけ想ってたか知ってる」
 「お、おい、ラピス」
 「ルリにもユリカにも勝てない。でも、アキトを好きでいてくれる人が、アキトが選んだヒトがルリとユリカで良かった」
 ルリルリが涙を流しながらラピスを抱きしめた。そしてそんな二人をユリカさんは慈しむように上から包み込む。
 「ありがとう」
 最後にそう言ったのは誰だったんだろう。

 

 「ルリとユリカにお願いがあるの」
 「私たちにできることであれば、何でも」
 そう言うルリルリの瞳に宿る色には、繋がった想いが宿っている気がした。
 「私、ナデシコのクルーになりたい」
 「ラピラピ・・・」
 「みんなの優しさ受け取ったから大丈夫。アキトとリンクすることだけが生きる意味だったユーチャリスのオペレーターはもう終わり。これからナデシコのク ルーとして、私が自分で生きる意味を見つける」
 この子は、今自分の足で、本当の意味で、育ての親だったアキト君から独立して行こう、大人になろうとしている。
 がんばれ、ラピラピ。

 

|| scene.3 : absolution ||

 

 「ハーリー君」
 「おはようございます、艦長」
 僕は艦長に呼ばれて振り返る。
 なんか今日の艦長は、いつにも増して笑顔が柔らかくて、テンカワさんのおかげなんだろうけど、つられて僕まで笑顔になってくる。
 「今日から、ハーリー君にアシスタントがつきます」
 「へ?」
 と驚くまもなく、突貫で僕の隣にシートが追加されていく。
 そしてシートの取り付けが終わると、艦長がコミニュケで連絡を入れる。
 「ラピス、準備ができました。ブリッジに来てください」
 という連絡のあと、10分後にやってきた人物を見て僕は驚いた。
 「ハーリー君、今日からあなたのアシスタントとしてサブ・オペレーターになってもらうラピス・ラズリさんです」
 そう艦長の紹介を受けて、薄桃色の髪をした女の子がちょこんと頭を下げる。
 「ラピス・ラズリです。よろしく」
 「あ、うん。マキビ・ハリです。よろしく。ハーリーって呼んでね」
 「うん」
 そういって微笑んだ笑顔に僕は一瞬見とれた。
 「ハーリー君、ラピスは私たちの大切な妹です。苛めたりしたら許しませんからね」
 艦長は、ラピスさんの後ろに立って彼女の両肩に手を置いて僕にそう言った。
 「僕はそんなことしませんよ」
 「そうそう、ハーリーは弄られる役だからな」
 そんなサブロウタさんのジョークにブリッジが笑いに包まれる。
 「さて、俺は副長のタカスギ・サブロウタだ。よろしくな」
 「よろしく」
 「サブロウタさん」
 「なんですか、艦長」
 「あなたの毒牙でラピスを泣かせたら、お仕置きですからね」
 「んー。まぁ、ご心配なく。10代の女の子は守備範囲外ですから」
 「ありゃ、んじゃ、私も守備範囲外?」
 ユキナさんが割り込んでくる。
 「君にはアオイ中佐がいるでしょうに。彼とやりあいたくは無いよ」
 そういって苦笑するサブロウタさん。
 「ユキナ」
 「なぁに、ラピラピ」
 ラピラピ・・・。
 「今度、アオイ中佐、紹介してね」
 「いいけど、ジュン君取っちゃ嫌よ?」
 「ユキナの大切なヒトにそんなことしない」
 そうラピスさんが言うと、ユキナさんが嬉しそうに彼女の頭を撫でている。
 ユーチャリスからテンカワさんと一緒に降りてきてはや3ヶ月。
 ウインドウ越しに見る彼女は、まるで人形のようだった。
 それがどうだろう。今僕の隣に立つ彼女は、まるで同一人物とは思えないほど、綺麗な笑顔で笑い、宇宙軍の制服にも、そしてこのナデシコのブリッジにも まったく違和感が無いほど、自然にそこにいる。
 「ほんと、バカばっか」
 ・・・艦長、満面の笑みで言う台詞じゃないと思うんですけど。
 「そして、もう一人、紹介しまーす!」
 今日も元気いっぱいですね、提督。
 「私たちブリッジ・クルーの護衛任務に着いてもらうことになりました。テンカワ・アキトさんでーす」
 そういわれてブリッジに入ってきた男性を見てブリッジはざわついた。
 いかにもシークレット・サービスという服装なんだけど、艦長に良く似た金色の瞳、色の抜けた銀髪。それを僕と同じようなオールバックで髪型を整えた彼。
 かつてPRINCE OF DARKNESSと呼ばれた真っ黒な彼が真っ白になって帰ってきたそんな印象。
 「テンカワ・アキトだ。よろしく」
 そう彼が言うと、それまでのどこかおちゃらけた空気を捨て去ったサブロウタさんが立ち上がる。
 そして腰に下げたブラスターをホルダーごと外して、艦長に手渡す。
 「サブロウタさん?」
 訝しがる艦長を相手にせず、そのままテンカワさんめがけて突っ走り、そのままワンパンチを繰り出した。ブリッジに短い悲鳴が上がる。
 「タカスギくん!」
 「テンカワさん、あんたが逃げ続けた間、俺たちナデシコのクルーは、いつも艦長の嗚咽を聞いていた」
 「・・・」
 テンカワさんはよろめきはしたものの倒れなかった。恐らくサブロウタさんも加減はしているだろうし、それが判っていてテンカワさんもわざと受けた節があ る。
 「あんたが提督と艦長の件をどう折り合いつけるのかは、あんたたちの問題だからとやかくは言わねぇ。俺は艦長があんたを亡くしたと思って軍に復帰して以 来副長を務めている。だから敢えて言わせてもらう。二度と、艦長を悲しませるな」
 「ああ、約束する」
 「必ずだ。・・・いきなり殴って、すまなかったな」
 「いや、構わない。君のルリを想う気持ち、確かに受け取った」
 そういって二人は握手を交わす。
 二人とも熱血アニメ見すぎじゃないですか?
 そしてサブロウタさんは、艦長と提督に頭を下げて、侘びをいれ、両手を突き出した。
 「何をしているのです?」
 「いかなる理由があろうと、ブリッジ内での暴力行為は軍規に反します。小官は自分の行為に恥じる理由はありませんが、いかなる罰則をも受ける覚悟はでき ております」
 「それがたとえ軍法会議だとしてもですか?」
 艦長の声が冷たい。
 「もちろんです」
 「ということなのですが、如何いたしましょう、義父様」
 『うむ』
 突然現れた、ミスマル・コウイチロウ元帥のウインドウ。
 「げ、元帥閣下」
 「タカスギ少佐の処遇を、義父様に一任いたします」
 『良かろう。タカスギ少佐』
 「ハッ」
 自然と背筋が正されます。
 『地球に帰還後タカスギ少佐は、護衛役テンカワ・アキト殿を伴い、ミスマル私邸に出頭せよ』
 「ハッ・・・・は?元帥閣下の私邸にですか?」
 『そうだ。罰として、一晩中、晩酌に付き合ってもらうぞ』
 「了解いたしました。復唱します。タカスギ・サブロウタ少佐は地球帰還後、ナデシコブリッジクルー護衛テンカワ・アキト殿と共に、ミスマル元帥閣下私邸 に参上致します」
 いや、いいんですか、それで。公私混同というか、表面上規律違反の罰則にかこつけた飲み会の約束じゃないか、それ。
 『よろしい。アキト君もだ。いいね』
 「お付き合いさせていただきます」
 『うむ』
 元帥閣下満足そうだ。っというか、すごく嬉しそうだ。
 『私はな、夢だったのだよ。息子らと朝まで酒を酌み交わし語りあうのが』
 拳を握り締め今にも涙を流さんばかりです。
 『それと、ルリ君』
 「はい」
 『初めて、私を父と呼んでくれたね』
 「・・・ご迷惑でしたか?」
 『とんでもない。君がそう呼んでくれる日を心待ちにしていたのだよ。アキト君のおかげだな』
 「お義父さん」
 『アキト君、君にやろうとしていたうちの一つは今、タカスギ少佐に代行してもらった。先程の約束忘れんでくれよ?』
 「もちろんです」
 『うむ!』
 凄く機嫌よさそうです、元帥閣下。
 『今日は記念すべき日だ!祝日にしようかな』
 それはやりすぎですから閣下。
 でもこの人、その気になったら提督や艦長とツルんで今日を親バカの日(提督と艦長ならむしろアキトの日?)という祝日に制定させるくらいのことはやりか ねないからなぁ。
 
 「ねぇ、ユキナ」
 ラピスさんがユキナさんに話しかける。
 「なあに、ラピラピ」
 「ナデシコって面白いね」
 「来て良かったでしょ?」
 「うん」
 そういうラピスさんの笑顔に、僕はまた見とれてしまった。

 

 ブリッジでのミスマル元帥との話の後、俺は展望室で一人なんとなく黄昏ていた。もっとも、黄昏るような夕陽はなくて、あるのは宇宙空間なんだけどな。
 もう俺の役目は終わった。
 後はテンカワ・アキトが引き継いでくれる。これでいいんだ。
 ・・・そう、これで。
 なんて思っていたせいか、後からこの展望室にもう一人入ってきた事に全然気付かなかった。
 ふぅ。溜息なんかついたりした直後。
 背後から包みこまれる、女性らしいトワレの香りと柔らかな胸。
 ・・・胸?
 「お疲れ様、タカスギ君」
 「・・・ハルカさん?」
 「隣いい?」
 「断る理由はありませんよ」
 そういって俺の隣に腰掛ける。
 かつての白鳥九十九の婚約者。今では白鳥ユキナの保護者か。
 「ルリルリのこと、好きなのね」
 「そうなんですよ、ハーリーのヤツ、本当に諦めが悪いって言うか」
 「貴方の事よ?」
 「・・・・・・」
 「きっかけはね、ユキナが、あなた宛に届く風俗店のビデオDMとかナンパしたとされる女の子からのメッセージの受信記録が無いことに気付いたことかしら ね。そしてオモイカネに聞いたの。あれは全部創作だって。」
 「オモイカネ、シークレットって言っただろ」
 【ごめん、サブロウタ】
 謝罪のウインドウがポップする。
 「オモイカネを責めないで。私とユキナで説得したのよ。タカスギ君の為だって」
 「・・・」
 もう、白状するしかないか。その方が楽なのは判っている。
 「はじめて会った時から、心奪われましたよ。ミスマル元帥から話を聞いていなければ、俺がハーリーになってましたね」
 そういって苦笑する。
 「まぁ、他にも色々あるんですけどね。あと一番大きいのはハーリーかな」
 「ハーリー君?」
 「ええ、あいつはまだまだガキでヒヨッ子で。でも真っ直ぐだ。俺が12の時でも、あんなに真っ直ぐじゃなかった。もし艦長がテンカワのことを諦めること になった時、隣に立つに相応しいのは俺じゃなくハーリーだ、そう思ったんです。それからは、俺は艦長の盾となることに徹しました。それももう終わりですが ね」
 「そんなルリルリへの想いを隠すために、軽薄男のフリしてたんだね」
 「俺は十分、軽薄な男ッスよ」
 「今更強がらないの」
 勝てないな、この人には。
 「だから、ルリルリの代わりに私が言うわ」
 そういって俺はこの人に頭をかき抱かれ豊満な胸を押し付けられる。
 「お疲れ様。タカスギ君。ルリルリのこと、今までありがとう」
 それは・・・反則でしょう。気恥ずかしさと心地好さ。報われない想いなのは判っていたけれど。それを知ってくれる人がいるだけで、こうも心は満たされる のか。
 こみ上げそうになる涙を必死に堪える。
 九十九殿、見ておいでですか。貴方がこの女性に心奪われた理由、今ならわかります。
 5分くらいそうしてもらっていただろうか。俺が少し動いたのがきっかけとなって、ハルカさんは俺を解放してくれた。言わなくても判る。今の俺、顔真っ赤 だろう。
 「良かったらこのあと食事でもどうかしら?」
 それは俺の台詞ですよ。でも・・・
 「・・・すいません、今日は1日、失恋気分を堪能させてください」
 「タカスギ君・・・」
 そういうとハルカさんもふと目をそらす。白鳥九十九のことを思い返しているのだろうか。
 「・・・ハルカさん」
 「なにかしら」
 「今日はどうもありがとうございました。貴女の優しさ、忘れません。もしこんな男でよければ、食事の話、後日もう一度誘ってください。」
 クサい台詞を吐いて展望室を逃げ出した。

 

 彼女の優しさは心に響いた。たとえ一時的な慰めであってもだ。いや、むしろ、ひっそり慰めてくれただけと思っていただけに、まさか次の日にもう一度誘い が来るとは、思っても見なかった。

 

|| scene.4 : sowing ||

 

 私がブリッジに入ると、ブリッジで仕事をしていたのは早番のハーリー君だけだった。
 「あら、ハーリー君。おはよう」
 なんとなく教師時代の癖が抜けない。
 「あ、おはようございます。ミナトさん」
 そういってニッコリ笑う少年。
 そういえば、こないだタカスギ君改めサブロウタ君が、展望室で言ってたわね。真っ直ぐだ。って。本当、気持ちのいいくらい真っ直ぐな男の子。
 出会った頃は、泣き虫な子だなって思ったけど。
 でも、このナデシコのクルーの中でここ最近一番成長したのは、私はハーリー君だと思っている。それはアキト君の存在がそうさせたのか、あるいはあの事件 がそうさせたのかわからないけれど、この1年の間にうわわぁんって泣いて走って逃げ出すようなことをしなくなった。
 それだけじゃない。ルリルリにとって良かれと思うことは、時にはルリルリの機嫌を損ねるようなことでも、進言することができるようになった。
 キッと睨まれて及び腰になっちゃうのはしょうがないわよね。
 でもルリルリも冷静だから、あとでちゃんとお礼を言うの。その時のハーリー君の笑顔は、私の琴線に触れまくり。女の子だったら頬擦りしてるわね。でも男 の子にはしないことにしてる。
 小学校に上がるくらいまでの子ならともかく、学校に上がって以降の男の子にやると逆に嫌われちゃうのよね、これ。
 この子、将来絶対いい男になると私の感がそう呟くのよ。
 年齢的にはラピラピね。
 ちょっと話振ってみようかしら。
 「ねぇ、ハーリー君」
 「なんですか?」
 「ラピラピと一緒に仕事して、どう?あの娘」
 「ラピスさんですか」
 「うん」
 「一言で言えば、天才ですね、ラピスさんは」
 あら、そっちに行っちゃうの?
 「上手く言えないですけど、僕があれこれ失敗しながらやっていることを、ラピスさんは一瞬でやってしまうんです。どうすればオモイカネがスムーズに動く か、というのが感覚的にわかっているんじゃないかなって思うんです。理屈じゃなくて。だから、僕がやる何倍もオモイカネが結果を出せるんですよね、ラピス さんがオペレートすると」
 「そうなんだ。・・・ラピラピに負けて悔しいと思う?」
 そういうとちょっと表情が固くなる。ごめんね、意地悪な質問よね、これ。
 「正直に言うと悔しいと思うときもあります。でも悔しがってるだけじゃ一生追いつけません。艦長とラピスさん。二人の天才に、追いつくことはできなくて も、もっと差を縮めたいです。今のままじゃどっちがサブなんだかわかりませんから」
 「がんばって、ハーリー君。努力はきっと報われるぞ」
 「はい、頑張ります」
 そういって笑うハーリー君。本当に真っ直ぐだなぁ、この子。と、思っていたら、ふと気付いてしまった。誰かに似ていると思ってたんだけど、この子、ナデ シコAに乗ったばかりの頃のアキト君に似てるんだ・・・。
 「ミナトさん、はじめて会ったときのこと覚えてますか?」
 「もちろんよ」
 いきなり私の胸に飛び込んできたんですもの。
 「あ・・えっと・・」
 あ、同じこと思い出してるな。赤くなった顔に出てるぞ。
 「とにかく、あの時もミナトさん励ましてくれましたよね。あの時は足が動けなくて情けなかったけど、今度は止まらないで頑張ります」
 うんうん、男の子はこうでなくっちゃ。

 

 ただいま自室で休憩中。おやつにケーキと紅茶。チーズケーキにはアール・グレイって決めている。ケーキといっても宇宙空間じゃ保存が利く冷凍物だけど ね。
 私とラピラピの分をテーブルに出す。ユキナはブリッジで仕事中。交代でやるからしょうがない。冷蔵庫にケーキ入れておくから、あとで食べてもらおう。
 そういえばあの子、火星の後継者事件の後もなんだかんだでなし崩し的にナデシコに乗っているのよね。学校は休学扱いなのに、ちゃっかりナデシコにはネル ガル契約で。これ本当に宇宙軍所属なの?と思うけど、ナデシコ艦隊はまぁ別格だからいいのか。・・・いいのか?
 「ねぇ、ラピラピ」
 「なあに?ミナト」
 ラピラピが両腕で頬杖つきながら、私のほうに笑顔を向ける。
 擬音をつけるなら「くるん」っていう感じ。
 この娘がナデシコにきてもうすぐ4ヶ月。最初は表情や感情が殆ど表に出てこない子だったのに、今じゃルリルリと互角なレベルで1、2を争うナデシコのア イドルになってしまった。
 ルリルリは艦長という役職を持つ立場なのとクールな印象から馴れ馴れしくできないクルーたちも、ラピラピには「ラピちゃん」と気軽に声を掛けてくれるら しい。この子も声をかけられると名前を知らないクルーでも笑顔で手を振り返して、後でオモイカネに「今のは誰さん?」って聞いているのを繰り返しているう ちに、200人以上いるナデシコクルー全員のプロフィールがラピラピの頭には入っているらしい。
 今、この子の精神面は猛烈な勢いで成長を続けている。
 そういう意味では最善であるかどうかはともかく、ナデシコという選択は間違いじゃないと思うし、それに私が一役買っていられることは、ちょっと誇らしい 気持ち。
 「オペレーターの仕事を始めてそろそろ2週間になるけど、お仕事はどう?」
 「うん、楽しい。ユーチャリスのダッシュよりも、こっちのオモイカネは頭がいいの。きっとルリとハーリー君がオペレートしてるからかな。」
 「そうなんだ。ハーリー君と一緒に仕事していてどう?」
 「ハーリー君はすごいよ。私なんかはあまり考えないでやっちゃうことでも、ハーリー君はいろんなパターンを検討して、最善を選ぶの。私なんか考えるまで もないじゃないと思うことでもパターン分析して、ハーリー君の出すものの方が良かったりするの。今はまだハーリー君の処理速度が遅いから私の方が結果を出 してるけど、ハーリー君もっとオモイカネとの連携を考えて処理速度が上がったら、きっと私も、ルリでさえも追い越すオペレーターになれるよ」
 はぁ、溜息つきそうになる。
 さっき、ものすごい勢いで成長してるって言ったけど、時にとても大人な一面を見せる。普通のこの年代の子で互いが相手の長所をリスペクトするなんて、そ うそうできることじゃないのよ?
 「ラピラピ、ハーリー君の話するの嬉しそう」
 「そう?」
 そこで顔をぽっ、とかするとぐっと女の子っぽくなるのに。
 まぁまだまだそこまで期待するのはあれかな。
 「ナデシコのクルーは皆、私にとってはお姉さんとお兄さんだけど、時々でも弟になってくれるのはハーリー君だけだもん」
 そうよね、時々はお姉さんにもなりたいわよね。きっとハーリー君も似たようなこと考えているのかしらね。
 まぁ変にけしかけるのはやめましょう。その気が育ってもいないのに意識しすぎて逆効果っていうこともあるわけだし、自然にお互いの気持ちが育つならそれ に越したことはないし、恋愛感情に至らなくても親友になるなら、家族同然になるなら、それでも一向に構わない。ナデシコは一つの大家族なんだから。
 でもね、ラピラピ。あなた自身もその片鱗を感じてるみたいだけど、あの子、将来大物になれる可能性持ってるから、今のうちに唾つけときなさいね。

 

|| scene.5 : awaken ||

 

 地球に帰還した僕たちは、宇宙軍支部での事務手続きを終えて少しばかりの休暇を楽しむことになった。
 その初日。
 ナデシコのブリッジクルーは、ミスマル元帥の好意でちょっとした祝宴が催されることになった。満開から数日遅れの桜を堪能しながらのちょっとした宴会 だ。
 先日のナデシコのブリッジでの、サブロウタさんのテンカワさんへの暴力事件に対する「処罰」の名の下に行われる宴会。
 なんだかなぁと思いつつも、楽しそうだからまぁいいかと思ったりする。オモイカネに言わすと、僕もすっかりナデシコのカラーに染まったそうだ。そう言わ れてちょっと嬉しいと思ったのも確かだ。
 宴会はすっかり盛り上がっていた。
 そしてユリカ提督の「注目〜」の後に衝撃的な事実が告げられた。
 ユリカ提督とテンカワさんの結婚。そしてテンカワさんと艦長の結婚。さらに、ユリカ提督と艦長の結婚。
 歓声と悲鳴と驚嘆とが同時に湧いた。
 それって重婚では?とか、同性で結婚?という常識は無意味。
 「ダメなら、重婚が認められている国に国籍移すもん」と提督は言う。
 そんなにほいほい国籍って移せるもんなの?という常識も無意味。
 もはやこの人たちに常識は通用しない。
 電子の妖精とよばれた艦長にかかれば、戸籍を弄るくらいは朝飯前なんだし。
 でも思いつくことと実行できることには、大きな差がある。それをあっさりと実行してしまうあたりで、艦長のテンカワさんと、ユリカ提督への深い愛情が ハッキリわかる。
 そしてみんなの前で、艦長は宣言したのだ。
 
 私はテンカワ・ルリになります、と。
 
 みんなの祝福と歓声の中、僕はひっそりとその場から逃げるように立ち去った。
 辛かった。嬉しかった。でもやっぱり、辛かった。
 艦長の笑顔は素敵だった。素敵すぎて、とても幸せそうで、それをもっと見ていたいのに、直視できなくなって、僕はまた逃げ出したんだ。
 もう逃げないって決めたのに。やっぱり僕はダメなヤツなんだ。
 桜が。風に舞っている。
 みんなが祝福している。
 もう、届かない。最初から届かないとは思っていたけど、こうしてまざまざと届かないという現実がつきつけられるのが痛い。
 宴会が行われている広場から少し離れた、池を望むベンチ。
 水面に桜の花弁が浮いていて、この季節にしか見ることのできない景色。
 綺麗なはずなのに、色を失っているように見える。
 溜息をついた。
 「ハーリー君?」
 名前を呼ばれて、思いっきりドキリとして慌てて振り返った。
 そこにいたのはラピスさんだった。
 「ラピスさん?」
 「大丈夫?元気ないみたいで、皆から離れていくのが見えたから。ひょっとして気分悪いの?」
 この人は、優しい人だ。
 「いや、大丈夫。大丈夫・・だけど」
 「私で良ければ相談に乗るよ?」
 「・・ラピスさん」
 「これ、一度言ってみたかったんだよね」
 頭をかきながらそういう彼女。
 僕が吹き出したのをきっかけに二人で大笑いした。
 大笑いしたあと、二人でベンチに腰掛けた。
 なんとなく、空気がそうさせたのか。自然と僕は胸の内を話していた。
 「僕は、艦長のことが好きだったんだ」
 「そうなの?」
 ちょっとガッカリした表情を見せるラピスさん。何故?
 「・・うん。もう、叶わないけどね」
 「そっかぁ。私もね、ずっとアキトのことが好きだった」
 そうユーチャリスで、あの暗黒の皇子の側にいたのは彼女だった。
 「表情に出さないけど、アキトは本当はユリカとルリのところに行きたがってた。でも迷惑になるから、絶対に戻れないってそう言い聞かせてた。苦しそう に」
 「・・・・・・」
 「でも、ナデシコに戻ってきて、本当に良かった。アキトにはユリカとルリが必要だから。あのままだったら、絶対アキト、心が壊れてた。私にはユリカやル リみたいに、アキトを支えられなかった」
 そんなことは無い、と僕は思った。
 「アキトが病室から出ることができるようになったときに、私、ハッキリ言ったんだ。アキトのお嫁さんになりたいって。でも、ダメだって」
 驚いた。まさかそんなことが起きていたなんて。
 「アキトは私を娘か妹のようにみてた。最初はそれが辛かったけど、今はそれでもいいんだ」
 「・・・どうして?」
 「アキトの笑顔、私に見せてくれるのと、ルリたちに見せるのと、ちょっと違うなって思うけど、それでも笑顔には違いないよ。ユーチャリスにいたときには 殆ど見ることのできなかった笑顔が見れるなら、私はアキトのお嫁さんにならなくてもいいって、そう思ったから。それに今はアキトよりも好きな人もできた し」
 「・・・強いんだね、ラピスさんは。僕は、艦長の笑顔が僕じゃなくてテンカワさんの方を向いているのが辛くて。だからまたこうして逃げ出したんだ」
 「・・・。ルリは私のことを妹って言ってくれる。嬉しかった。研究所生まれの私にも、家族がいるんだって。そしてルリは、ハーリー君のことを弟だって 言ってた。ハーリー君はそれが不満なのは私もわかる。でもね、ハーリー君。ルリの弟になれるのはハーリー君だけなんだよ。これはアキトにだってなれないん だよ」
 この人は、いつも僕に、今までにない視点を与えてくれる。
 確かに艦長は僕を「弟のような」と言ってくれることが何度かあった。僕がなりたいのはそれではないけれど、その弟という立場にいられるのもまた、艦長に とって僕がオンリーワンであるということを気付かせてくれる。
 僕は欲しいものばかりだけをみてた。
 でも、ちょっと視点をずらせば、僕にしかなれない特別な「ルリさんの隣」の位置があるのだと、気付かせてくれる。
 「・・・そうか、そうだよね。ありがとう、ラピスさん」
 だから、祝福しよう。あの3人を。
 
 そう思って、立ち上がったときだった。
 じゃり、っと人の気配がして。
 振り向いた先に見知らぬ男。懐に伸ばす手が、銃の存在を示している。
 「電子の妖精、ラピス・ラズリだな」
 ラピスさんの表情が恐怖に染まる。マズイと僕は直感する。
 相手が誰だとか、何のためとか関係が無い。シークレットサービスの人たちが護衛しているとは言え、僕がみんなから離れたことが仇となる。それにラピスさ んを巻き込んでしまった。
 冷や汗が吹き出す。
 「すまないが、死んでもらう」
 銃が抜き出される。
 マズイ!僕は殆どとっさとも言えるように、ラピスさんの前に立ちふさがる。
 手を広げてラピスさんを庇う。
 でも膝が笑ってる。
 怖い。
 それでも!ここには僕しかいない!ラピスさんを守れるのは僕しかないないんだ!
 「どけ、ボウズ」
 「ラピスさんは僕が守る!」
Master.
 叫んでいた。
We ask you.
 「ならば一緒に死ね」
We confirm you.
 死ぬ。
Do you wanna protect Lapis?
 直感した。
Do you have the preparedness to be the Knight of Lapis Lazuli?
 「やめて!」
We'll become your shield, if you wish so.
 ラピスさん。
 「僕が死んでも!ラピスさんを守る!もう、逃げないって決めたんだ!」
Yes, Master.
 最後の最後で、僕は逃げない。
Start our emancipate sequence.
 頭がカーっとなる。気分が高揚する。
Awaken, now.
 絶対に・・・守る!

 

|| scene.6 : resolve ||

 

 「それでは、始めようか」
 一室に集められたのは、ネルガルからはテンカワ・アキト、月臣元一郎、ゴート・ホーリー、プロスペクター。宇宙軍からミスマル・コウイチロウ元帥、テン カワ・ユリカ提督、ホシノ・ルリ(今はまだこうしておく)艦長、そして俺タカスギ・サブロウタ。
 そしてミスマル元帥の好意により、あの場に居合わせたナデシコのブリッジクルーの多くが、コミニュケ越しにこの集まりを見守っている。
 「はじめる前に、二人の容態を確認しておきたい。ルリ君、報告よろしく」
 「はい。まずラピスですが、ハーリー君が庇ってくれたおかげで無傷です。ただ精神的ショックが酷いため、現在ハルカ・ミナト、白鳥ユキナの二人の看護の 下、鎮静剤で眠っています。ハーリー君についてですが・・・銃弾3発を受け、現在イネス博士による緊急手術が、サセボの軍病院にて行われています」
 「そうか、助かるかね?」
 「術前にイネスさんに聞いた限りでは、出血が酷く、予断を許さない状況とのことです」
 そういって艦長は腰を下ろす。
 噛みしめる唇が、艦長自身、ハーリーのことを大切な者として見ていることを物語っている。
 「ナデシコの皆、すまない、浮かれすぎた」
 「自分を責めるな、テンカワ。あの場を離れた二人をカバーしきれなかった我々全員の責任だ」
 「襲撃したものの特定はできたのですか?」
 場の流れを変えようと俺が話題を振る。
 「元木連人だ。見覚えがある。恐らく火星の後継者の残党だったのだろう」
 月臣さんの言葉に、苦い空気はやはり消えない。
 「それでその男はどうなりました?」
 「死んだ」
 言葉少なげにゴートが言う。
 「正確には、我々が駆けつけたときにはすでに死んでいた。恐らく殺したのはマキビ君だ」
 「ど、どういうことですか?!」
 ゴートの言葉に艦長が声を荒げる。この人のこういう姿も珍しい。
 『それについては、私から説明しようかしら』
 そういってイネス博士のウインドウが開く。
 「イネスさん!ハーリー君は!」
 『落ち着きなさい。手術は終了したわ。ただ現時点では、命に別状は無いとは保証できない。確率は五分。今夜が峠よ』
 「そんな・・・」
 艦長は絶句する。恐らく今これを見ている、この場にいない者たちも同じ思いでいるはずだ。あいつは俺たちの弟分なのだから、心配していないヤツなどいな い。
 「それでは、イネス博士、説明をお願いします」
 『わかったわ。でも、その前に、プロスさん』
 「なんですかな?」
 『以前、貴方が話しをしていた、マキビ博士のアレ。ビンゴよ。証拠はバッチリ抑えてあるわ』
 「そうですか。それでは早速こちらは行動を起こすことにしましょう。皆さん申し訳ありません、私は途中退席させていただきますが、コミニュケで話はみて おりますので、イネス博士、続きをお願いします」
 『ええ。これは順を追って説明する必要があるので、長くなるけど聞いて頂戴ね』
 この人が説明に、こういう前置きをするときというのは極めて重大な話をするときだけだ。
 『まずハーリー君の容態だけど、銃弾を3発受けているわ。でも、不思議に思わなかったかしら?ハーリー君が襲撃者を押さえ込んでいた状況から考えて、彼 は至近距離から銃弾を受けている。にも関わらず、銃弾は貫通することなく彼の体内に留まっていたのよ。何故か。その答はナノマシンよ』
 「ナノマシン?」
 『そう、彼の体内にある、とあるナノマシン群が一瞬にして銃弾を受けたところに集中して集まっていたのよ。そのナノマシンが壁となって、銃弾の貫通を阻 止したと考えられるわ』
 「そんなことが可能なのですか?」
 『普通は無理よ。アキト君でも無理。ところがその無理を可能にするナノマシンだったのよ。そのナノマシンの正体は未だに不明。ハッキリしているのはそれ が我々の知っているナノマシンではなく、古代火星人の残したナノマシンであるということよ』
 「どうしてそんなものが・・」
 『恐らくそれをハーリー君に投与したのはマキビ博士よ』
 「そんな!マキビ博士がそんなことをするなんて考えられません」
 『ルリ。貴女はそう断言できるほど、マキビ博士のことをご存知なのかしら?』
 「・・・いえ。ですが、ハーリー君はマシンチャイルドの中でも、稀有と言えるほどまともな環境で育てられたと聞いています。ですからマキビ博士は人道的 な方だと思っていました」
 『そこが落とし穴だったのよ。その可能性に数年前からプロスは気付いていたみたいね。ずっと裏で秘密裏に調べてたわ。証拠がなくて尻尾が捕まらなかった けどね』
 「なぜです」
 『確かに、ハーリー君は十分な愛情をもって育てられたと思われているわね。でもね、あの博士の研究所にいたMCは、ハーリー君以外が原因不明の病死をし ているのよ。でもそれが実験などによるものではなかったことと、ハーリー君を含めて当時生存していたMCの扱いが真っ当であったために、疑われなかったの ね。ひょっとすると、実験を隠すために、愛情を持って育てているように偽装していた可能性もあるわね』
 「・・・どうして、マシンチャイルドというだけで、私たち、こんな目にあわなければならないのですか」
 艦長は俯き声が震えている。その隣にユリカ提督がやってきて、そっと艦長を抱きしめた。
 『結果論からいえば、そのナノマシンが壁となり、ラピスを護ったのは確かよ。その代償は大きいことになりそうだけど』
 「どういうことだ?」
 『さっきも言ったけど、これらの特定のナノマシンが、身体中に散らばっていたのに、一瞬にして傷口に集合したの。考えられる?体内のナノマシンの多くは 血液に乗って移動する。ところがその血管の中を、光速にも等しいと思われる速度で一瞬にして駆け巡り、目的の場所にナノマシンが集合したのよ。それが彼に 飛躍的な身体能力をもたらした一方で、その無理が身体のあちこちに障害を残したわ。この後細かい検査が必要だけど、現時点でハッキリわかっている深刻な障 害が一つあるの』
 聞きたくない。だが、俺たちは聞かなければならない。ハーリーのためにも。
 「なんですか、それは」
 『神経系にダメージが見られるわ。ある一箇所を除いて、今後の治療で治るわ。アキト君の時の治療の応用でね。でも・・・』
 いくら説明好きのイネスさんとは言え、辛そうな表情を隠さない。
 『彼の視神経は完全に焼き切れていた。もうあの子の瞳が光を捉えることはないの』
 そういって俯くイネス博士。驚きとも悲鳴ともつかない声がコミニュケを通して、あちこちから上がる。そして、艦長は堪えきれなくなってユリカ提督の胸の 中で泣いていた。
 
 その後のイネス博士の説明で、そのときのナノマシンの起動が、ハーリーの身体能力を一時的に超人的なレベルにまで高めていたらしい。その結果、ハーリー のヤツは自分が銃弾を受けたのをものともせずに、相手に突進して、相手を突き倒した。
 襲撃者はその衝撃で受身を取るまもなく、地面に叩きつけられて、全身強打と後頭部強打で即死していたらしい。
 そのときの衝撃は、時速180kmの車にはねられるのと同等という。
 だが、マキビ博士よ。あんた、なんでそんなナノマシンをハーリーたちに投入したんだ?という疑問が沸き起こる。後日、マキビ博士の弁を聞いたときは、怒 りのあまり我を忘れそうになるほど馬鹿げた妄想によるものだったのが、より苦いものとして残ったのだが。

 

 静かに脈の音を告げる電子音が病室に響く。
 それだけがハーリー君が生きていることを教えてくれる。
 ルリとミナトとイネスがいる。この3人がいてくれるから、ようやく私はこの病室にやってくることができた。一人では、ドアをくぐることさえできなかった と思う。
 静かに上下するハーリー君の胸。
 頭部には上から鼻のあたりまでを覆う白い包帯。
 私のせいで、ハーリー君は今、生命の危機にある。
 「自分のせいだと思うのはやめなさい」
 ハッとしてイネスに振り向く。
 「こういう時に言うべき言葉は、『ごめんなさい』ではなくて、『ありがとう』なのよ」
 「でも・・」
 「ラピス、あなたがもし小さな子が転ぼうとしているのを助けたときに、貴女が転んで膝を擦りむいたとしたら、相手の子に『ごめんなさい』と言われるの と、『ありがとう』って言われるのと、どちらがいい?」
 そう、確かにそれなら『ありがとう』って言って欲しい。
 「ハーリー君も同じよ。だから、そう伝えなさい」
 イネスの言うことは正しい。
 私はハーリー君の側まで来た。
 電子音が一定のリズムで鳴る。
 「ハーリー君の手、握ってもいい?」
 「ええ、そうしてあげなさい」
 両手で、静かにゆっくりと、ハーリー君の左手を握る。
 暖かい。こういう場所でなければ、ひょっとしたら寝ているだけのようにしか見えないかもしれない。
 私はハーリー君の掌を私の頬に当てた。
 「ハーリー君」
 変わらない。ここままでは、ダメ。
 「ハーリー君、死なないで。貴方に伝えたい言葉が沢山あるから。
私の気持ちを。
アキトさえいてくれれば、もう何も要らない。そう思っていたのはほんの半年前。
アキトを諦めたのがほんの3ヶ月前。
ぽっかりと空いた心の穴に、いつの間にかハーリー君が住んでいた。
ハーリー君の隣で一緒にいるのが毎日楽しくて。それが当たり前になってて。
あの時の話でハーリー君気付かなかったよね。アキトよりも好きな人ってハーリー君なんだよ。
ハーリー君を失いたくない。ずっとハーリー君と一緒にいたい。
死んじゃイヤだよ・・・一人にしないでよ・・・ありがとうって、大好きだよって・・言わせてよ・・・」
 言っているうちに涙が止まらなくなってきてしまって。ルリとミナトが隣で支えてくれる。
 心強い。
 恥ずかしいとは思わない。大切な人だから、みんな大切な人だから。みんなに知っていて欲しい。でも、一番知って欲しい人は・・。
 その時、ピクリとハーリー君の手が動いた。
 ハッとして顔を上げた。そんな私の反応に、みんな気付いたのか、みんながハーリー君を見た。
 「・・・ラ・・・ピ・・・・無事・・・・す・・・?」
 僅かだけど、でもハッキリとハーリー君の声が聞こえる!
 「ハーリー君。私はここにいるよ」
 「ハーリー君。あなたがラピスを護ってくれたお陰で、ラピスは無傷ですよ」
 となりでルリがハーリー君に囁く。
 「・・よ・・・った」
 ハーリー君が笑った。口元しか見えてないけど、僅かに微笑みが見えた。
 そしてふとハーリー君の手から力が抜けた。
 私はゾッとして、冷や汗が出てきて。
 「ハーリー君!」
 「大丈夫よ、ラピス。また眠っただけ。まだ起きるには早いのよ。ラピスの無事がわかれば、彼の回復は早いわ」
 本当にそれで回復が早くなるのかとも思ったけど、今はそれを信じたかった。
 早く良くなって。その願いを込めて、ハーリー君の手の甲にキスをした。

 

Master.
She waiting for you.
She waiting for you to wake up.
Therefore, we need to cure your wounds.
Please rest till then.

Good night, Master.

 

|| epilogue : evidence --- Harry's monologue? 2204 A.D.||

 

 あの事件で、僕は視力を失った。ただし、裸眼では、という条件つきで。
 ある程度回復して意識を取り戻した時に、僕に待っているのは闇だった。
 イネス博士の説明を受けて、僕は自分の中にいる特殊なナノマシンの存在を知った。以前と何ら変わらないレベルまで完治するが、視力だけはどうにもならな いらしい。
 ショックがなかったわけではないけれど、すぐに補助手段で視力を取り戻せることがわかったので、さほど落ち込まずに済んでいるのは、イネス博士のお陰 だ。
 マシンチャイルドであったこともプラスに働いた。以前、テンカワさんが五感を失っていた頃の様々な補助方法の研究の中で、編み出されたバイザー。僕も 今、バイザーを通してしかものを見ることはできなくなったけれど、以前テンカワさんとラピスがリンクを通す必要があったのに比べて、バイザーの性能が上が り、バイザーだけで以前の裸眼と同等の視力を回復できた。
 イネス博士曰く「以前アキト君がつけていたものよりも、小型でスリムでスマートでクールでカッコ良くてエレガントなバイザー」だそうだ。まぁ、確かに以 前テンカワさんがつけていたような禍々しさっていったら失礼かもしれないけど、そういう形ではなくて、ちょっと変わった形のサングラスみたいな形をしてい る。
 視力が戻って真っ先に飛び込んできたのが、ラピスの顔だった。
 「見える?」と聞かれたので、よく見えるよと答えたら、ラピスが胸に飛び込んできた。
 ビックリした。
 きっとラピスは、僕の目が見えなくなったことに責任を感じていたんだと思う。僕はラピスを護れて満足していたけど、その一方でラピスを苦しめていたかと 思うと、本当に申し訳なく思う。
 あ、えーっと。一応報告しておくと、今では僕は彼女を「ラピス」と呼び、ラピスは僕を「ハリ」と呼ぶ間柄になった。うん、もう少し具体的に言うと、恋人 同士になった。
 潤んだ目で上目遣いに大好きだといわれたときには、驚きと嬉しさと愛おしさと恥ずかしさとがごっちゃ混ぜになって、本当に耳から湯気が噴出すかと思っ た。相当、顔が真っ赤だったらしく、今でも時々このことでからかわれたりする。もっともからかうのは、サブロウタさん8割、ユリカ提督ルリ姉ペアで1割、 残りのナデシコクルー1割という比率だけど。
 というか、サブロウタさんだって、いつの間にかミナトさんと仲良くなっているじゃないかとからかい返したら、拳骨が帰ってきた。ズルいよなぁ。
 ラピスは僕のことを「ハーリー」ではなく、「ハリ」と本名で呼ぶことに拘った。呼びなれていないせいもあって最初のうちは違和感が拭えなかったんだけ ど、ラピスはあくまでも「ナデシコでハリと呼ぶのは自分だけ」ということに拘っているっぽい。そういうところが、いかにもラピスっぽくて、むしろラピスの 声で名を呼ばれるのが今では心地いい。
 それと、今、艦長のことを「ルリ姉」と呼んだことにも補足しておくと、テンカワ一家とミスマル元帥が、父さんから親権を取ったらしい。一応、もうそう呼 びなれてしまっているので、あえて父さんといい続けるけど、古代火星人のナノマシンによる実験、それによって死んだ研究所の兄弟たち、このナノマシンがや がて僕らを宇宙の支配者に育て上げるという理解不能な妄想、そしてあの優しさがこれらの実験と妄想のための偽装だったということを知ったとき、信じていた ものの1つが足元から崩れ去った気分を味わった。
 否定して欲しかった。
 でも、ナノマシンの発動(父さんの言葉を借りれば「覚醒」)を大喜びしている姿を見て、それが本当なんだと気付かされた。
 醒めた目で見るようになってしまったが、そんなこんなで僕の親権はミスマル・コウイチロウ元帥の下に移った。このとき、僕は一つ条件をつけた。
 それは、僕がホシノ姓を名乗ること。
 みんなビックリしてた。別にルリ姉さんのいた研究所がどうこうというのではない。
 憧れの女性としてみていた人の弟になる証。ルリ姉さんが捨てることになったホシノという旧姓を僕が名乗ることで、敢えて僕はルリ姉さんの弟になるのだと いう、それまでの僕の抱いていた気持ちと、ラピスの想いに答えたいという気持ちから来る、僕自身に対してのケジメだったんだ。
 ラピスに、将来ラピスはホシノ・ラピス・ラズリになってくれるかなって聞いたら、顔を真っ赤にして胸元に抱きつかれて大泣きされたことがあったりして、 めちゃくちゃ慌てたりして。そのシーン、オモイカネに録画されているとは知らず、後日ルリ姉さんによって艦長権限でしか削除できないパーミッションが設定 されて、挙句「無意識に女を口説き落とすテンカワ・アキトの再来ですね」とかからかわれて困ったり。
 とか、もう。この人たちはまったく、なんていうか。ルリ姉さん、台詞借りるね。
 
 本当にバカばっか。
 
 「もちろん、ハリもバカに含まれてるよ」
 その通り。ラピス、君もだよ。
 これからもこうして、日記なんだか独り言なんだかわからないけど、僕が今を生きた証を残しておこうと思う。僕たちマシンチャイルドは酷い目にあったのば かりだ。すべてのマシンチャイルドの兄弟たちに、この証が天国に届くことを願って。僕の目を通して、すべての兄弟姉妹たちに幸せが行き届くことを願って。

 

Master.
We hope your happiness.
Do your best with Lapis, as her knight.
Good luck.

 

fin

Postscript
 最後までお読みいただきありがとうございます。
 そしてお初にお目にかかります。f(x)(カンスウとお読みください)と申します。
 初めてのナデシコ二次創作ですが。如何でしたでしょうか。ナデシコらしさが表現できているか不安ではありますが。
 ごらんの通り、カップリングという分類ではハーリーとラピスです。
 ハーリーって言うのは二次創作では不思議な位置のキャラクターですよね。ギャグ要員として使われたり、不幸の代表格のように扱われたり、サイボーグ化し て空飛んだりと、いろんなハーリーがいます。
 そんなハーリーにスポットライトを当ててみよう。というのをふと思いつき、初めて二次創作というものに挑戦してみました。
 あちこちで原作と設定が異なるところがあるかと思います。意図的に変えているところもありますし、気付かないで思い込みでそう書いているところもあるか と思いますが、まぁあまりそういった部分に拘らずに読んでいただけたら幸いです。
 
2007年2月
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