狼姫<ROKI>
運命/neon knight


古来より人類は闇夜を恐れた。
光で照らされぬ真っ黒な暗い空間の先に良からぬ妄想を膨らませ、その向こう側で存在するかもしれない脅威に怯えてきた。
故に人々は灯火に縋り、闇を削りながら生きてきた。それは己の内側にいる”獣”を御さんとする人間性だったのか。
しかし、自らに都合のいい明かりを作り、己の外側にいる”獣”を狩る為の道具を作り出したことで、流血の歴史が始まった。

人を名乗り、人と呼ばれようとも、人もまた獣性を宿し、同時に理性を宿す混沌の生物であった。

黄金の魂を持つ王はこう言った。
人間とは犠牲がなくては生を謳歌できぬ獣の名だ、と。
平等という飾りごとは闇を直視できぬ弱者の戯言。醜さを覆い隠すだけの言い訳にすぎん、と。

それを証明する心の闇を表す概念の名を『陰我』と言う。

そして『陰我』は魔獣をこの世界に引き寄せる。
その魔獣の名は『ホラー』。人間の血肉と魂を喰らう人類の天敵。

しかし、ホラーにも天敵が存在する。
魔戒騎士―――心の力で操る超金属・ソウルメタルの鎧を纏い、その手が振るう剣は陰我を断ち切り、人々を守る。
彼らはその志を後世に伝え続けてきた。師父からの教えを受けて長じた弟子は新たな希望となり、人々の未来を救う。

そして、いかなる時代でも多くの魔戒騎士の憧憬と尊敬の念を集める最強の騎士がいる。
その者が背負う称号の名は”黄金騎士ガロ”。
一つの時代に他の黄金騎士が誕生したとしても、唯一無二の存在として語り継がれる最高位の魔戒騎士。

そして、この時代でその称号を子々孫々に渡って受け継ぐ一族の名を”冴島”といった。





*****

「あれからもう、十数年か。本当に色々あったわね」

冬木市の第四次聖杯戦争。
かの地で開催された願望機たる聖杯を巡る英霊達が繰り広げる争奪戦……の筈だが、いつの間にか全く別の物語が展開された。
大聖杯に混ざった古代の陰我に惹かれ、現世の肉身と魂を貪る魔獣ホラー。彼奴等から今の世を守る救世の戦いが繰り広げられた。
過程は省略して結果だけを記すと、”ホラーの首魁は魔戒騎士とサーヴァントが力を合わせて殲滅した”。
これだけを聞けば、仮初ながら現代に蘇った英雄と、今を生きる騎士の英雄譚が紡がれたと思うだろうが、ややこしい問題が発生したのは寧ろ戦後だ。

まずは戦後処理。最終決戦にて邪龍が放った破壊光線。あれは孤高の剣士の命がけの行動である程度勢いが削がれ、狙いも逸れた。
しかし、その逸れた先が問題だった。破壊光線は龍洞の抜けた後、こともあろうに新都にまで流れ着き、その一区画へと直撃したのだ。
まるで隕石が衝突したかのような惨状と化した町では一発で死ねた者と、二次災害の火事の火と煙で死ぬ者とで別れた。
崩壊寸前の龍洞からどうにか這い出した魔戒騎士らと、サーヴァントとそのマスターらは急いで満身創痍の体に鞭を打って現場に駆け付けた。
それでも結果は芳しくなく、彼らがその場で救えた命は少なく、眼前で取りこぼした命の方が多かった。

後にこの戦争の終結に最も貢献した女騎士は、手ずから救助した少年とそれ以降も関わっていくのだが……。
その後の問題、外部勢力は彼女にこそ注目するという厄介ごとが起こっていた。

大聖杯を寄る辺としたレヴィロンを名乗る元大魔導輪は、自身の全存在と全能力を用いて、自身を討った魔戒騎士に魔法という名の呪縛を与えた。
第三魔法『魂の物質化』。簡潔に言うと『真の不老不死と永久機関』の実現である。
大聖杯の機能で強制的に引き起こされた本物の奇跡の反応を英国の時計塔にある魔術協会は計測していた。

ホラーどもの介入があったとはいえ、一般社会への被害の甚大さ。ロード・エルメロイの死亡。
これだけでもツッコミどころとして十分だというのに、挙句の果てには『根源の渦』の発生だ。
上の二つは言い訳できないわけでもなかったが、三つ目だけは明らかにアウトだったらしい。
『根源』に通ずる門を開くという偉業は協会の監視下で行われるべきだったにも関わらず、勝手に開けて勝手に閉じるとは何事だ、というのが上層部の意見だ。
本来ならこの件の説明責任を果たすのは魔術協会から冬木の管理を認可されている遠坂家の当主たる時臣の役目だ。
だが、弟子に裏切られて令呪ごと意識を刈り取られ、目が覚めたのは戦争が終結した後の真相を目にしていない彼にまともな説明などできるわけがない。
そこで止むなく、代理として番犬所が事の顛末を時計塔の連中に伝えてやったのだ。というより、時臣を黙らせて神官が勝手に話を進めたというべきか。

そこからはもうパレードと見まごう程の大騒ぎとなった。
事の始まりは第三次聖杯戦争。アインツベルンのルール違反で召喚されたアンリ・マユ擬きのサーヴァントの敗北がきっかけで大聖杯が汚染された。
それが大魔獣レヴィロンの介入を許した原因であり、門を開け閉めしたのが現代の魔術師風情では到底制御できない怪物であることに協会は震撼した。
だが、それ以上に彼らの度肝を抜いたのが図らずも第三魔法の体現者となってしまったロキの称号を持つ女騎士、聖輪廻である。

この情報が出た時点で既に遠坂家やアインツベルンへの責任追及など滓のように忘れ去られた。
魔術協会に属する者にとっては概要の情報すら禁忌とされる第三魔法をこともあろうに魔術使い、それも手が出し難いにも程がある女の魔戒騎士が得てしまったのだ。
彼女を研究対象と見なして手を出すという事は、番犬所、牽いてはその上位機関にして一流の魔戒騎士と魔戒法師を擁する元老院を敵に回すことを意味する。
魔戒の者たちは人を守りし者。魔術師たちの一般常識や倫理を無視した研究、端的に言うと人道に背く人体実験等を平気で行うその姿勢を闇に堕ちた輩も同然として嫌悪感を抱く者は多いのだ。
迂闊な真似をして全面戦争なんてことに発展すれば両陣営共に少なくない犠牲が出るだろう。
そうして失われる貴重な人材の分だけホラーの跋扈を許し、漏洩しかねない神秘のことを考えるとそれは魔術の衰退に繋がる。

結果として、魔術協会は聖杯戦争の成果をまんまと外部勢力にもぎ取られるという苦汁を飲まされる形となった。
ただし、これだけでは後々に禍根を残すため、神官ヴァナルはある物を時計塔に送り付けることで最低限のギブ・アンド・テイクを成立させた。
その物品とは破壊されたはずの大聖杯の欠片である。より正確にいうと、ユスティーツァの魔術回路の一部といった方が良いのか。
一体どんな手段を用いたのかは神官ヴァナルは頑として語らないが、彼は崩落した筈の龍洞の最奥からこれを回収し、魔術協会との交渉材料とした。
協会としても第三魔法を再現し得る奇跡のホムンクルスの秘奥―――例え欠片でもそれが入手できるという条件を出されたことで協会の上層部は渋い表情をしつつ、これで手打ちとした。

さあ、これで戦後処理は終わったか、と思いきやそうはいかない。
今度は守りし者たちを統括する元老院への出頭を求められた。こればかりは代理など立てられる訳がなく、輪廻とヴァナルは揃って元老院の城内に足を運んだ。
二人がまず通されたのは元老院の上級神官グレスの間だった。位階の低い者では謁見すらできない人物が対応にあたっていることから、元老院は輪廻の身に起きたことを重要視しているのは明らかだった。
しかし、あくまで問答を行うのはグレスのみ。複数名の衛兵も同席したが、問答に口をはさむことはなく、輪廻は内心でほっとしていた。
時計塔の魔術師達なら、三百人は入りそうなホールで当事者を大勢で囲み、徹底的な糾弾を行っただろうから。

繰り返し説明するが、第三魔法の体現者は『魂の物質化』により、事実上の不老不死の存在となる。
魂とは本来、生まれ落ちた瞬間に宿った肉体、或いはその複製にしか宿ることは出来ず、肉体が死を迎えればそれに引き摺られてこの世界から消える。
だが、今の輪廻は例え今の肉体を失ったとしても、人型の魔導具だろうが、赤の他人の体だろうが、それを新たな器として魂を定着させ活動を再開することができる。
その在り方はまるで、人間の肉身に憑依し、騎士によって器を破壊されても魂は独特な形状の短剣として残り、消滅ではなく封印するしか対処法がないホラーと似通っていた。
”輪廻”という名前を持ちながら、輪廻の輪という理から外れてしまった聖家の現当主に対してグレスは問うた。内容を短く纏めるとこうだ。

”貴女はこれからどう在りたいのですか?”
”変わりません。これまで通り、私は守りし者で在り続けます”

自身に奇跡を押し付けたレヴィロンに問われた時と同じ回答を返した。

”誓えますか?”
”はい。私のこれまでの人生の全てを懸けて”

今の自分の口から、魂を懸けて、という言葉は余りにも軽すぎる。
だから、こう言い換えた。掛け替えのない、今まで過ごしてきた時間こそが何よりの証明だと。

”聖輪廻……黄金騎士ロキ。貴女が希望の光で在り続けることを期待します”

輪廻の覚悟が通じたのか、グレスは彼女を新たなる黄金の担い手の一人として認めてくれた。
しかも、今後は輪廻を番犬所から元老院に転属させることを宣言した。
この処置は今後、神秘そのものと化した輪廻を狙うやもしれない闇に堕ちた騎士や法師、外道の魔術師を牽制する意図があったようだ。
無論、輪廻が紅蓮の鎧を黄金の鎧に進化させ、堕ちた大魔導輪を討滅し、これからも続いたであろう聖杯戦争を完全に終結させたという功績を認めたということでもある。
事実、他の五騎の力はあの決戦の直後に消えていたが、英霊エミヤの持つ固有結界の力だけはその後も輪廻に継承されている。
永劫不滅の魂から捻出される無尽蔵の魔力から繰り出される異端の投影魔術と、展開すれば敵を決して逃がさない固有結界(内なる魔界)は鎧の制限時間を大幅に延長する。
恐らくこれから先の未来、どれだけ待ちわびようとも聖輪廻に代わる逸材は登場しえないだろう。ならば、彼女には今まで通りホラー狩りに従事して貰うのが得策と言える。

話はそのように纏まり、輪廻は上級神官の間から退出しようとしたが、ヴァナルは自分からも話がある、と申し出て輪廻を先に退出させた。
そこから先はどのようなやり取りがあったのか、広間で大人しく待っていた輪廻には知る由もない。
優雅に煙管を吹かしながら戻ってきたヴァナルから聞いた話の内容を耳にして、輪廻は目を見開いて絶句した。

”雷火の処遇だが、条件付きで復帰を許してもらえたぞ”

言うまでもないことだが、今の聖雷火は吸血鬼、即ち自然の摂理に反して起き上がった死人。
しかも、魔戒騎士にとって最大級の禁忌である暗黒騎士へと反転しているという反則の権化だ。
彼女の現状が他の番犬所や元老院にバレれば即座に始末せよ、という指令が下っても可笑しくない立場である。
そんな雷火に、特定の管轄に属さず留まらず、与えられた指令を拒否しないことを条件に魔戒騎士として活動する許可が下りたのだ。
一体どんな交渉術を以ってそのような承認を取り付けたのか、と輪廻が必死に問いただすが、ヴァナルはクククという含み笑いをしながら明確な答えを避けるのみ。
輪廻はその日、大敵であったレヴィロンよりも、眼前にいる味方の方が恐ろしいと思ってしまったのは此処だけの話。

こうして暗黒騎士ギロこと聖雷火は、今は亡き間桐臓研が押さえていた霊地の管理を引き継ぐことになった間桐雁夜を供として日本各地を巡ることになったのだった。

そして仕上げに、紫電騎士ロックの魔戒銃剣と魔導具を彼が所属していた英国の番犬所に返還し、称号はデュークの従弟が継承したことで漸く全ての戦後処理が完了したのだ。

『どうかしたのか、マスター』
「気にしないで。少し過去を思い出していただけ」

と、ここで左手の中指に収まっている腹心からの呼び声を受け、一旦回想を中断する。

第四次聖杯戦争から十数年後、聖輪廻は今宵も強大なホラーを狩るべく闇夜を陰らぬ美貌で照らしていた。
かねてより愛用していた金色の帯で締めた漆黒の浴衣の魔法衣、その上には元老院から贈られた純白の長羽織を纏っている。
最初にそれに袖を通した時は、赤色に変化した魔戒剣の鞘と柄も合わさって、ガロの伝承者に匹敵する働きをするように、という元老院からの無言の要求ではないかと勘繰った。
元老院付きになってからの十数年間、下された指令は並の騎士では到底こなせないであろう高難易度のものが多く、反則級の手札を数多く持つ自分でなければ無事に遂行することはできなかっただろう。
もし任務中に今の肉体が使い物にならなくなった時に備えてヴァナルはソウルメタル製の義体を用意していたらしいが、生まれ持った自分だけの体はまだまだ手放したくはない。
しかし、お陰様で転属当初は女だから、半ば人を辞めている、実姉が死人兼暗黒騎士、等の理由で嫌味な態度をとっていた連中を黙らせる程の功績を得ることができたのは不幸中の幸いだ。
当世において、ガロを最強の騎士とするなら、ロキは最優の騎士と呼ぶ声も高まりつつある。

「それにしても、貴方と一緒に仕事ができるだなんて嬉しいわ」
「いえ、こちらとしても助かります」

輪廻が話しかけたのは隣に立つ、真っ白な魔法衣のコートを着込んだ青年。
彼もまた魔戒騎士であり、その証拠としてその左手には赤い鞘の魔戒剣が握られ、中指にはソウルメタルのスカルリングを着けている。

『ああ。まさかあの聖姉妹の協力を得られるとはな』

スカルリングの名は魔導輪ザルバ。
ここまでくれば最早説明は不要かもしれないが、この指輪を身に着けている青年の名は”冴島鋼牙(さえじまこうが)”。
最強の魔戒騎士と名高い、ガロの称号を背負い立つ冴島家の現当主である。

「さて、そろそろ姉さんが敵を連れて来る頃……準備はいいか?」
「無論です」

森林地帯を見下ろせる高台で一時の休息を味わっていた二組だが、予定通りなら先行した姉が敵を引き連れて此処へ来る手筈だ。

『魔塵ホラー・ダロダ。今回だけは奴に同情するぜ。何しろ今夜は暗黒騎士だけでなく、二人の黄金騎士がお相手をするんだからな』
「ザルバ、無駄口はそこまでにしておけ」

鋼牙は固く厳しい口調でザルバに短い叱責を飛ばすが、余人から言わせればザルバの無駄口に同意できる部分もあった。
何せ、元より七体の使徒ホラーの打倒の指令を受けている鋼牙だけでなく、偶然にも他の指令を終えた矢先にばったりと合流してきたのが天下無敵の聖姉妹なのだから。

森の中で雷火の相手をしているダロダは激しい戦闘を繰り広げているのか、具体的にどこにいるのかが一目瞭然な程に砂埃を巻き上げている。
微粒子を取り込むという奴の特性上、砂埃を使って自らの体積を増やして巻き返しを図っているのだろうが、吸血鬼である雷火に対してそれは悪手だっただろう。
微粒子を取り込んでいる最中に、自身を霧に変化させるという能力を発動させたホラー喰いが混じればどうなるのか、想像するだけでダロダが可哀想に思えてくる。
より一層、わざとらしく大きくなった砂埃は徐々に、徐々にと輪廻たちのいる高台に向かって近づいてくる。

「三騎士の力を合わせ、早々に決着をつけるぞ。……帰って美味しいご飯食べたいしね」
「―――はい」

漢らしい騎士としての口調の後に付け足された、女らしい個人として言葉を耳にして、鋼牙は僅かに間をおいて肯定した。
彼と付き合いの長い者にしか判別はつかなかっただろうが、返事をする直前、彼の表情が綻んだ様に見えた。
しかし、それも一瞬のことにすぎない。二人の騎士の表情は戦を前にして厳しく引き締まり、左手で鞘を、右手で柄を握りしめた。





*****

地獄を見た。燃え盛る地獄を見た。
それはある夜に突然降ってきた。最初はまるで流れ星のようだと、誰かが言った。
でも、その星は恐怖の大王となって自分たちの住む町に降臨し、多くを薙ぎ払い、多くを火で包んだ。

少年は数多いる犠牲者の一人だった。生まれ育った家は焼け落ち、父も母もいなくなった。
ただ只管、少年は火炎地獄の中を歩き続けた。足を進めるたびに声が聞こえる。

苦しい。熱い。痛い。止まって。助けて。こいつだけでも。

少年は歩くことを止めなかった。聞こえる声を聞かなかった。目を閉ざした。
泣きながら歩いた。謝りながら歩いた。自分にはどうすることもできない。ごめんなさい、ごめんなさい。

そうして、幼い体と心を引き摺りながら歩き続けてどれだけの時間が経ったのだろうか。
いつの間にか、全身にまとわりつくような火の熱さも煙の臭いもなくなりつつあった。
手を耳から放せばポツポツという音が聞こえる。目を開ければ雲で覆われた空から数えきれない雫が落ちて来る。

少年はそれらを認識した途端、その場で仰向けに倒れこんだ。
自分の中で何かがプツンと切れてしまったかのように、少年は浅く呼吸をするだけで微動だにしない。
少年は光を失った眼で空だけを見上げながらも、視界は少しずつ霞んでいった。

もう死ぬのかな、と漠然と思い始め、それを心が一度は受け入れた。
あとは心臓の鼓動が止まるだけだった。そんな時だった。

「――――――!!」
「――――――――!?」
「――――――――――!!」

誰かと誰かと誰かが大声を出しながら、涙を流しながら自分の近くにいることに気が付く。
そして、少年はゆっくりと意識を手放した。





*****

「……どこだろ、ここ」

少年が次に目を覚ました時、病院のベッドで身を横たえていた。
どうやら自分はあのあと、此処へと担ぎ込まれたらしい。それだけでなく、境遇を同じくする者たちがいることも知った。
皆、広い部屋の中で並べられている多くのベッドの上にいる。

それからの数日間は赤ん坊のように何もできない状態だったが、少しずつ自分の状況を理解し始める。
自分たちは突如として起こった大火事によって両親を失い、体は包帯で覆われ、そして独りになったんだと。
そのことを納得するのは割と早かった方だろう。共通の被害を受けた子供たちが傍にいるのだから、寧ろそうするしかなかったのだが。

これから自分はどうなるのか、どうすればいいのか、などと漠然とした不安を感じながら時間ばかりが過ぎていき、包帯が取れるようになった頃だ。

「こんにちわ。君が士郎くんね」

病院食を食べ終えて暇を持て余していると、一人の若い女性が訪ねてきた。
長い髪に黒い浴衣という恰好。顔立ちは中々綺麗だと率直に思った。
簡単な挨拶と体調は如何程かという軽い会話を交わすと、彼女は意を決したように切り出した。

「単刀直入に言うけど……孤児院で皆と暮らすのと、美人のお姉さんの養子(こども)になるのと……どっちがいいかしら?」

自分と彼女は遠い親類なのか、と思ったが実際は赤の他人だった。
親しみがあるようでどこか凛然とした雰囲気のある人物だったが、妙な人だなと思った。
しかし、孤児院にしろ目の前の彼女にしろ、見ず知らずの場所に行くことには違いない。
少年は後者を選んだ。

「そう言ってくれて助かったわ。じゃあ、早速手続きを済ませないと。新しい家族と、新しい家が待ってるから」

そういって彼女は当時の少年には小難しくてよくわからない作業をテキパキとこなしていく。

「あ、そうそう。私の養子(むすこ)になる前に教えておくことがあった」

彼女と自分が義理とはいえ家族になるための養子縁組やら退院やらの手続きを片付ける前に、ある一つのことを明かしてきた。

「実は私―――不死身のヒーローなの」

その言葉にはどんな意味が込められていたのか、当時まだ幼かった少年には推し量れなかった。
だが、決してジョークを口にしているわけではなく、本人なりに真剣だったのだと、成長してからは思うようになった。
尤も、先程から言っているように、この時の少年はまだ子供だった。

「―――うわ、ねえさん凄いな」

こうして少年は女性の子供になった。

家も親も過去も、全てを失った少年はこの日から多くの新しいものもらった。
新しい家、新しい家族、新しい未来、そして新しい名前を。

聖士郎(ひじりしろう)
少年はこの名前を口にするたびに、心なしか誇らしい気持ちになった。





*****

『―――シロウ、朝です。―――シロウ、起きてください』

清く澄み渡った川のせせらぎのような少女の声が鼓膜に響いた。
障子が張られ、畳が敷かれた和式の部屋で目を覚ましたのは一人の青年だ。
赤銅色の髪に琥珀色の瞳、180pを超える恰幅のよい長身が特徴の青年はゆっくりと上体を起こした。

「あぁ……おはよう、ルルヴァ」

瞼を開け、青年は部屋の机の上に置かれた白銀に煌く西洋竜のオブジェに話しかけた。
プラモデル程度の大きさながらも、細部に至るまでの作りこみのお陰か生きているかのような質感を持つ竜のオブジェ。
普通ならただの凝った置物程度の代物の筈だが、こともあろうにこの竜の頭は口を動かして言葉を喋り、緑色の両眼は青年の姿をしっかりと捉えている。

『おはようございます、シロウ』

布団から出てきた青年、”聖士郎”に挨拶をする竜。
士郎は立ち上がると竜のオブジェに手を伸ばし、その頭を体から取り外し、自身の左手の中指に装着した。
彼女の名は魔導輪ルルヴァ。未熟な高校時代の頃から契約を交わし、士郎の傍にいてくれているパートナーだ。

「さて……道場で一汗かくとしようか」

その前に布団を畳んで部屋に隅に置き、障子戸を開けて部屋の外に出た。
十一月、秋から冬へと季節は移ろいゆくことを示すように、風に乗って冷気が士郎の体を通り過ぎていく。
朝の冷えた空気を感じて僅かに体を震わせた。体を動かして血行を促進させれば、体温は上がり、頭は冴える。
士郎は足早に廊下を歩いて道場へと向かった。

この衛宮邸は世間一般で言うところの豪邸と呼ぶに足る広さを有しており、今いる住人の一人ずつに部屋を割り当ててもなお空き部屋がある。
さらには、これから向かおうとしている道場、庭には二階建ての土蔵が建てられていることがその事実をより一層際立てている。

足早な歩調で辿り着いた朝の道場は相も変わらず静まりきっており、それによって厳かな雰囲気をもつ聖域のようにも感じられた。
道場に入った士郎は、今度はゆっくりとした歩調で道場の壁に掛けてある鍛錬用の木刀を二本手にした。
道場の中央で足を止め、陣取るように立ち尽くし、呼吸を整えつつ精神を集中させていく。

『始めます』

ルルヴァの短い開始の合図を機に、道場の四隅に黒い靄が発生しそこから一体ずつ、計四体の異形が姿を現した。
岩のようにゴツゴツした漆黒の痩躯、背中に生えた翼、この世全てに敵意を剥き出したかのような凶相。
それは素体ホラーと呼ばれる下級の魔物を精巧に模した仮想敵。道場に刻まれた鍛錬用の術式に魔力を流すことで自動的に現れる仕組みとなっている。
ある程度のダメージを与えると消滅する脆弱で動く標的でしかないが、その動きだけは本物のホラーと遜色ない。
ホラーとの戦いで重要視されるのは、的確に相手の動きを見切り、敵の攻撃を捌きつつ最適な瞬間に隙をついて攻撃すること。

だからこそ、一度剣を抜いたのなら躊躇の類だけは決して抱いてはならない。

「ハ―――ッ!」

動き始めたのは士郎。
二本の木剣を順手から逆手に切り替えると同時に疑似ホラーに斬りかかる。
一体目の疑似ホラーを右手の一太刀で切り裂くと、直後に左のもう一太刀で横合いから迫る疑似ホラーの喉笛を一突き。
次に取るべき行動は回避と防御。ホラーの間には滅多なことで本物の仲間意識など芽生えはしない。大抵は生き延びるため、餌を獲り易くするためにつるんでいるに過ぎない。
なので、つるんでいる輩を囮にしてその隙を自分が突くという戦法も平然と敢行する。

「フ―――ッ!」

よって、残った二体の行動も大体見当がつく。その鋭く尖った爪と牙を剥き出して吼え、有無を言わさぬスピードで士郎に左右から襲い掛かる。
それに合わせ、士郎は足を少しずつ動かしながら体をわざと後方へと大きく倒していく。だが、決して背中を床につけるわけではない。
背筋をフル稼働させて上半身を後方に90度曲げた状態で支え、二体の疑似ホラーの攻撃の射線から身を躱した。

これによって疑似ホラーは標的を見失い、代わりに同族の顔面が大写しになる。
直後、二体の疑似ホラーの頭と頭が激突し、揃って怯んでしまった。
そして語るまでもないが、敵が怯んで生じた隙は絶好の反撃のチャンス。それをみすみす逃す戦士などいない。

「終わりだ」

振るわれる二振りによる剣撃。
放たれた言葉通り、これにて修練は終わりだ。道場にはゆっくりと息を吸って吐く呼吸音だけが響く。

『シロウ。そろそろ朝食の時間です。身を清め、食卓へ向かいましょう』
「あぁ」

ルルヴァの進言に士郎は短い返事を口にすると、木剣を元の場所へと戻し、キビキビとした足運びで道場を去って風呂場へと向かう。
今日の朝食はアイリさんが手伝うんだったな、ということを思い出して一抹の不安を感じながら。





*****

衛宮邸・居間。
低めの長いテーブルとその直ぐ傍にはこの家に住む人数分の座布団が置かれ、その上にはこれから朝食を摂らんとする者たちが座っている。
併設されたキッチンで鬼怒川とアイリスフィールが朝食を作っている間に、今に置かれた大型テレビで朝のニュースを観ているこの家の住人たちを紹介しよう。

まずは家主の衛宮家。
第四次聖杯戦争の終結後は戦後処理が済み次第、すぐに輪廻に協力を乞い愛娘のイリヤ奪還に動いた。
吹雪に見舞われるアインツベルン本家に乗り込むにあたって切嗣が輪廻に同行を願ったのは、現当主ユーブスタクハイト(通称アハト翁)を欺く為だ。
生きた石板とも呼ばれるその老人の視点では、切嗣とアイリは最高の手札を用意してやっても聖杯を獲得できなかった無能者でしかなく、彼らの為に開く門はない。
それは即ち、衛宮夫妻の実子であるイリヤを渡すつもりもまた毛ほどもないことを意味している。
故に切嗣はアインツベルンの悲願たる第三魔法の体現者となった聖輪廻を伴ってアインツベルンの本家たる城へと赴いたのだ。

結果は予想通り、ユーブスタクハイトは変則的ながらも第三魔法のサンプルを持ち帰った切嗣を城内に迎え入れるべく結界の一部を解除した。
そして、切嗣の画策通りにその門が開かれ、入場した瞬間に黄金騎士ロキによる一種の無双状態が展開された。
本来、魔戒騎士の剣は只人に向けてはならぬという鉄の掟が在るが、アインツベルン城にいるのはホムンクルス達が殆どであり、その主であるアハト翁の正体はかつての第三魔法の使い手の弟子たちが作り上げた人工知能ゴーレムだ。
第三魔法の再現を成し遂げるという至上命題の為に第三次聖杯戦争で反則を行って反英雄を召喚して大聖杯が汚染される切っ掛けを作り、それは第四次にてホラーを呼び寄せる原因となった。
これらの情報…………というよりは罪状により、元老院から許可を得た輪廻はアインツベルンに対する粛清を執行をするべく囮を装い彼らの懐に忍び込んだのだ。

後の顛末は極めてシンプルだ。城内で輪廻は尽きぬ魔力にものを言わせて強力な魔術、法術の数々を刀の刃に乗せて振るうことで存分に注目を集めた。
一方で切嗣はその隙にイリヤがいるであろう部屋を突き止め、他のものには目もくれずに娘を抱きかかえてアインツベルン城から全速力で脱出したのだ。
そして、輪廻は粛清の最後の一幕として黄金の鎧を纏い、アハト翁に英霊剣を突き付けて「次は本気で焼きを入れる」と最後通告をして城を後にした。
因みに、輪廻はアインツベルンがこれに懲りることなく似たような愚行に手を染めたのであれば、烈火炎装で城ごと焼き払うつもりである。

日本へとイリヤを連れ帰ると、次に行ったのは幼い彼女の肉体の再調整である。
次代の小聖杯として誕生したイリヤは胎児の段階から魔術的処置を受け、圧倒的な魔術の才覚の代わりに人間として生きられる時間を大きく削られていた。
それらの問題を解決すべく切嗣は優れた技術を有するヴァナルの手を借りることにした。

神官ヴァナルは優秀な魔導具を作ることに長けている。それは錬金術や法術、魔術の類に造詣が深い一流であることを意味する。
ならば、ホムンクルスと人間のハーフの肉体を正常に近いモノに調整することも不可能ではない、という判断が切嗣の中にあった。
しかし、仮にも相手取るのは錬金術の大家たるアインツベルンの最高傑作であり、彼らの大本命と言える嬰児だ。
イリヤの肉体の再調整と魔術刻印や記憶の封印といった処置を並行して行っていることもあり、所要とする期間は当然数年に渡った。
それでも、再調整は見事に成功し、イリヤスフィールは真っ当に成長する肉体と人並の寿命と平穏な生活を送ることが出来ている。
そうして彼女は穂群原学園の高等部に通う女子高生として、尊い日向の道を歩くことが出来ている現在こそが、衛宮切嗣とアイリスフィールの夫妻に遺された唯一にして最大の幸福だ。

一方、聖家。
既に語ったことだが、元老院への移動となった輪廻と今後の活動の許可を得た雷火。
妹は冬木市の衛宮邸を生活の拠点としつつ、指令が下れば魔戒道を歩いて日本全国で活動するようになった。
姉は条件通り、特定の土地に長期滞在することなく、悪友と従者を連れて日本全国を津々浦々歩き回っている。
士郎は義理の母となった輪廻に弟子入りし、高校を卒業すると魔導輪ルルヴァを授かり正式な魔戒騎士として南の管轄の所属となった。

士郎が成人してからは輪廻は以前にも増して多忙になっており、家にいる時間はめっきり少なくなった。
その為、こうして家に住む者で食卓を囲う時、母の姿を見る機会は希少なものとなっている。
無論、だからといってそれを過度に寂しいと感じることはなく、次の指令が来るのはいつ頃になるのだろう、と考えてすらいる。

「お待たせ、皆」
「本日の朝食です」

キッチンから二人の女性の声が耳に届いてくる。
片や割烹着を纏った黒髪の女性とエプロンを着けた銀髪の女性。

黒髪の女性の名は聖家の使用人、鬼怒川。主人たる輪廻に仕える都合上、冬木に共に移り住んできた忠誠心溢れる人物だ。
どういうわけか年齢が三十台に突入して以来、その容姿に変化は殆どなく、年月と共に使用人としての有能さだけがレベルアップしつつある。

銀髪の女性の名はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。切嗣の妻にしてイリヤの母だ。
かつての戦いの最中で注がれた呪詛の影響で身体機能に障害をきたしていたが、平穏な生活を送りながらリハビリ治療を続けた結果、今は杖を用いて一人で歩ける程度にまで回復している。
今こうして朝食の準備の手伝いが出来ているのが何よりの証拠だ。

二人が運んできたのは、白米、卵焼き、漬物、味噌汁といった定番の日本の朝ご飯だ。
シンプルだが、だからこそ飽きることのない美味しいご飯を前にして一同は手を合わせて「いただきます」と言って箸を持ち、食事を開始する。

「ん……?あの、アイリ……」
「なに、あなた?」
「この卵焼き……しょっぱいんだけど」
「え……ご、ごめんなさい!」

どうやらアイリが担当した卵焼きは砂糖と塩が間違って入ってしまったらしい。
時折だが、料理に限ってアイリはこういったドジをすることがある。まあ、毎回というわけではないので、ご愛敬の内として家族からは大目に見てもらっている。
ただ黙々と食べているだけではつまらない。食卓には笑顔が必要だと言わんばかりに、一同はアイリのプチ失敗に微笑んだ。

そうこう言っている間に皆の箸は進み、お椀の中は空になっていた。

「ご馳走様」
「お粗末様でした」

と、定番の挨拶で朝食を締めくくると、お椀や皿を盆の上に纏め、鬼怒川がそれを洗い場に持っていく。

「さてと……じゃあ、僕はそろそろ出かけるよ」

とこのタイミングで切嗣が腰を上げた。

「爺さん、もう行くのか?」
「あぁ。現地にいる舞弥が準備を終えた頃だからね」

ここで忘れてはいけない人物をもう一人紹介する。
名前は久宇舞弥。まるで歯車のように切嗣の助手を務め、仕事を円滑に進めるべく行動する魔術使いの女性だ。
冬木に定住した切嗣に対し、舞弥は少女時代に生んだ我が子を探して海外を飛び回っては定期的に衛宮邸へ立ち寄り数日間程滞在するという生活をしていた。
最近になって探し求めていた我が子を見つけ出して話し合ったらしいのだが、息子はすでに魔術使いの傭兵を生業としており、何より親子だからという理由で強引に一緒にいるべきではない、という結論になったとのこと。
とはいえ、それでも互いの生存を報告し合うべく一ヶ月に一回のペースで手紙や電話といった方法で連絡を行っているらしい。

そして、話を切嗣の仕事に戻すが、彼は今魔術師殺しからホラー狩りを生業にするようになった。
頻度こそ高くないのだが、番犬所から依頼されて、先に現地入りしている舞弥の補佐を受けつつ、番犬所から支給されたソウルメタル製の弾丸をターゲットとなったホラーに撃ち込んで封印する。
尤も、切嗣の所に依頼されて対処するホラーは本職の騎士や法師の手が足りず、後回しとなっている低級ホラーなのだが、それでも現世を生きる大半の人間にとっては死に直結する脅威には違いない。
愛する妻子の為にも、これ以上裏世界での恨みを買うわけにはいかず、かといって働かないわけにもいかない切嗣が自身の培ってきた技巧と現在の人脈を活かそうと思うと、こういった仕事を熟すようになったのはある意味必然だったのかもしれない。

「それじゃあ、イリヤ、士郎、行ってくるよ。鬼怒川さんも、家のことをよろしく」
「お仕事、頑張ってね」
「行ってらっしゃいませ」

ここ数年で重くなりつつある腰を上げ、切嗣は玄関へと向かった。
イリヤと鬼怒川は居間でそのまま出発する切嗣に言葉をかけるが、士郎だけは無言で玄関までついていく。

「気を付けろよ、爺さん」
「分かってるさ。それより士郎、君にも仕事があるみたいだ。詳しいことは鬼怒川さんから」
「……分かった」

この世界線では義理の親子ではなく同居人という関係の二人だが、長い年月を共に過ごした所為か、そこには親子や友人とも違う、奇妙な関係性は構築されていた。
それは一種の運命共同体。聖家と衛宮家は第四次聖杯戦争を通して、分かち難い縁を結んだのは確かなのだから。

そして、予め玄関に置いていた仕事のための荷物が入ったケースを手に取ると、戸を開けて切嗣は外へと出ていった。
士郎は彼が家の門を潜って敷地外に出たのを見届けると、戸を閉めようとした。

「シロウ。私ももう行くね」

そこへイリヤが鞄を手にしながら歩いてくる。

「あぁ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」

靴を履き、閉めかけの戸をそのまま進み、イリヤは家の外へと出ると足取りも軽く登校していった。
士郎は心の中でこう思った。

(藤ねぇが産休をとってから、朝の動きがスムーズになったな……)

藤村大河。かつて士郎が通い、現在イリヤが通う穂群原学園高等部に勤める女性教師だ。
在学中の士郎が所属していた弓道部の顧問にして、英語の授業を担当している。
学生時代に切嗣が衛宮邸を買い取った際、彼女の祖父である雷画が牛耳る藤村組を通して切嗣や輪廻と懇意になり、以来この衛宮邸に入り浸りになっていた時期があった。
現在はとある男性と良縁に恵まれて結婚し、子息を出産して休暇を取っている為、此処へやってくる頻度はすっかり少なくなった。

「士郎さん、番犬所からです」

日常の象徴ともいえる姉同然の女性の近況に思いを馳せていると、背後から鬼怒川が士郎に声をかけた。
右手に持った赤い封筒を差し出しながら。切嗣の言っていた”仕事”が早速やってきたようだ。

「ありがとう」

短く礼を言いながら封筒を受け取ると、士郎は足早に自室へと戻った。
そして、アンティーク風のライターを取り出し、着火すると緑色の魔導火が現れる。
緑の魔導火が瞬く間に指令書を焼くと、中に封入されていた魔界文字が飛び出して空中で文となるべく列をなした。

「"臆する心の陰我に塗れしホラー、名はウィードル。学び舎の平穏の影に潜みし邪心を断ち切るべし”」

指令内容を朗読すると、読了から僅か数秒で文字が消えた。

『シロウ、これは……』
「あぁ、俺たちの学園だ」

学び舎、という部分にルルヴァと士郎は目敏く気が付いた。
ここ冬木は南の管轄の一部にして今は聖家と遠坂家が半ば共同で管理している土地だ。
故に陰我の宿るオブジェの浄化も昼間の内に度々こなしていたが、士郎が穂群原学園を卒業してから数年、現在の生徒たちの内情までには手が行き届いていたかと問われれば言葉に詰まる。
即ち、今在籍している生徒の内の誰が濃厚な陰我を宿し、そしてホラーに憑依されたかなどはチェックの仕様がないのだ。

「久々に冬木(ここ)でホラーを狩ることになる。遠坂家と教会、それから桜に声をかけた方がいいだろうな」
『えぇ、陽が落ちる前に連絡を済ませるべきでしょう』

魔術協会から冬木の管理者(セカンドオーナー)を任されている遠坂家、聖堂教会傘下である冬木教会。
この二つに根回しを頼んでおけばホラー退治の際の事後処理もつつがなく済むだろう。
そして、肝心のホラーとの対決に備えて、間桐邸にいる間桐桜からある物を受け取っておいた方が良い。

そう判断した士郎はすぐさまに行動を開始した。





*****

冬木市・深山町。その小高い丘に建つ西洋風の豪華な屋敷の門前に士郎は足を運んだ。
遠坂邸と呼ぶべきその豪邸は、文字通り遠坂家の者の住居にして、冬木で二番目に格の高い霊脈の上に建つ一種の魔術要塞だ。

「それでホラー狩りの事前報告の為に態々ここへ来たのね、聖くん」
「悪いな、遠坂。折角訪ねたのに」
「別にそれ自体はいいのよ。あの魔獣がこの土地で好き勝手するのは、私としても看過できないから」

屋敷の門前にて会話をする二人、片や聖士郎、片や遠坂家五代目当主・遠坂凛。
赤の上着に黒のスカートというコーディネートで身を固めた長い黒髪の彼女は、少年時代からの付き合いながらも、今回は一人の魔術師として目の前の魔戒騎士と相対していた。
英国の魔術協会の総本山と呼ばれる”時計塔”で高度な神秘の研究に勤しむべく、中学校を卒業後は成人するまで留学していた。
現在は父から一人前の魔術師として認められ、名実ともに遠坂家の当主としてその腕を振るっている。因みに彼女が特に気を使っていることは財政管理である。
また、英国へ留学する直前の時期に輪廻に頼んでホラー退治を見学させてもらったことがあるため、かの魔獣の恐ろしさを彼女は知っている。こうして二つ返事で士郎に協力するのもそれが大きい。
ついでに、どうでもいいことかもしれないが、士郎が直接遠坂邸に来訪した理由だが、

「ところで遠坂。ケータイはそろそろ使いこなせそうか?」
「ほ、ほっといてよ!」

どういうわけか、彼女は近代文明の利器と相性が悪い。すこぶる悪いのだ。
固定電話ならまだ使えるのでそちらで連絡しようと思ったのだが、どの道外へ出る要件があるのだからと直接訪問することにしたのだ。

少年少女の頃のように昔のように揶揄うのはここまでにすると、士郎はその場を後にした。

「士郎」
「ん?」
「気を引き締めて行きなさいよ」
「あぁ、頑張るよ、遠坂」





*****

次に士郎は訪れたのは間桐邸。
遠坂邸の時とは違い、門を潜って屋敷の扉の前にまで歩いて呼び鈴を鳴らした。
それから一分足らずで扉の向こう側から足音が近づいてきた。

「どちら様ですか?」

扉の向こう側から聞こえてきたのは若い女性の声だ。
士郎は声の主の顔見知りであり、堂々と彼女の名を呼んだ。

「桜、俺だ。開けてくれないか」

直後、屋敷の扉は開放され、菫色の髪の女性が現れた。

「先輩、今日はどうされたんですか?」

頭髪と同じ菫色のアクセントが入った黒い和装型の魔法衣を身に着けた女性は微笑みながら士郎を歓迎してくれた。
彼女の名前は間桐桜。元魔術師の一族、間桐家の養女にして、魔戒医学を修めるべく精進に励む魔戒法師である。
士郎とはかれこれ十数年に渡る付き合いがあり、同じ魔戒の者として事あるごとに力を貸し合ってきた間柄だ。

「少し前に作ったって言う霊薬を分けて欲しいんだ。いいかな?」
「えぇ、それなら大丈夫です。すぐにご用意しますので、屋敷の中でお待ちいただいてよろしいですか?」
「あぁ、謹んでお邪魔させてもらうよ」
「それでは、こちらへ」

楚々とした態度で士郎を家の中へと迎え入れる桜。
かつては間桐家を強力に支配していた老いた魔術師・臓研の影響で内外共に陰気なお化け屋敷のようだった此処も、間桐兄妹が魔戒法師に転向してからは幾分かは開放的で陽の光が差し込むようになった印象を受ける。
それは士郎が通された客間にも現れており、昔なら薄暗い部屋を最低限の電灯だけで照らす如何にも胡散臭さを演出する部屋だっただろうが、今は大分改善された。
電灯の数を増やしたことで部屋全体が明るくなり、これだけでも陰気な部屋の雰囲気ががらりと変わった。
さらには来客に精神的な安らぎと落ち着きを与えるアースカラーの調度品を置くようにしている。

少年時代に訪れた時と比べると、知人宅の印象が変化をしみじみと感じてしまう。

「お待たせしました、先輩」

そんな風に物思いに耽っていると、桜が小瓶を手にしながら客間へと入ってきた。
その手で丁寧に持った小瓶の中には淡い桜色の薬液が入っており、それを目にした士郎はソファーから腰を上げた。

「はい、ご要望の霊薬です。効果は一時的なものですから、飲むタイミングに気を付けてください」
「いつも助かるよ、桜」

件の霊薬が入った小瓶を手渡され、士郎はそれを魔法衣のコートの中に仕舞いながら桜に礼を述べる。

「そういえば今日は慎二を見ないけど、どこかに出かけたのか?」
「兄さんでしたら、号竜という魔導具の話があるとかで、元老院に所属している魔戒法師の布道さんという方の御宅を訪ねに今朝出かけていきました」

間桐慎二。桜の義理の兄にして、士郎にとっては親友にして戦友と呼べる間柄の青年の名前だ。
彼は魔導具の類を開発・製作することを生業とする魔戒法師であり、高めのプライド故か態度に些か問題はあるが、それは己の確かな腕前を誇りに思っているという気持ちの裏返しのようなものだ。
遠坂家と同じく少年時代から間桐家とは付き合いがある為、士郎はこれまでの指令の内の幾つかで襲い掛かってきた窮地を間桐兄妹の力を借りて乗り越えてきた。

「となると、今日や明日には帰ってきそうにないな」
「はい。新型の号竜の構想があると、自信満々に言っていましたから」

号竜、とは稀代の天才法師・布道レオが開発した半機械半生物的な戦闘用魔導具だ。
話によると、慎二が考案した新型の号竜は蜻蛉を模した飛行型らしく、歩行と跳躍を移動手段とする既存の号竜とは一線を画する代物らしい。
今の号竜だけでも下級ながらホラーの封印を法師だけで行えるようになった。そこへ更に画期的な新型が加われば、法師たちの活躍の場は増えることだろう。
その構想を現実のものとするべく、慎二は号竜の開発者であるレオの家に赴き、話を纏めて開発に取り組むらしい。

とまあ、話が脇に逸れそうになったが、そろそろ次の場所へと移動する時間だ。

「先輩。今夜の仕事、頑張ってください」
「ありがとう、桜。また明日」
「はい、先輩。また明日」





*****

新都・冬木教会。
かつて、第四次聖杯戦争における中立区域にして脱落したマスターの保護を行い、英霊とマスターの戦いの後始末を担当していた聖堂教会傘下の施設だ。
聖杯戦争の完全終結後、この教会を預かっていた言峰璃正は一人息子の謀反と死亡のショックも覚め切らぬまま事後処理に追われ、皴が寄り白に染まった頭の老体に鞭を打ち続けた。
漸く落ち着ける時間を得ると、彼は我が子の陰我を気づけずにいた己を責めるように多くの時間を天主への祈りに費やし、悔恨の念を表すように若き日に鍛え上げたであろう肉体は衰えていった。
それでも彼に休まる日々は訪れない。かの災害によって親も家も失った多くの孤児らを受け入れる場所として教会は機能していたからだ。
聖職者として、父親として、そして子らを導く先生として……多くの責務を抱え苦悩するその姿は、亡き息子にとって観賞に値するものだっただろう。
しかし、そんな日々は終わりを告げることになる。それから数年後、本部から言い渡された仕事の都合でヨーロッパ南部に出向いたことが運命の小さな歯車を動かした。
職務を果たすべく仕事先の近くにあったとある教会を訪れ、そこで宿をとることになった際に出会った一人の少女が、壊死しかけていた言峰璃正の生涯に最後の灯を与えたのだ。

父親が分からない、母が自殺した孤児の少女。それは十字架を掲げる者にとって罪深い出生だ。
そういう扱いを物心がつく前から石のように頭が固く器の狭い神父に教育も洗礼も与えられず、育てられたというよりは生かされていた少女。
璃正はそんな哀れなアルビノの少女の姿に今は亡き息子が生前に娶った極度に病弱な女の面影を見た。

そして、枯れ果てた聖職者は少女を引き取ることを決心した。
手間暇をかけてDNA鑑定までして自分と少女が祖父と孫の関係にあることを証明して。
愚かな息子が遺した孫娘を日本へと連れ帰った璃正は、正式に彼女を迎え入れた。

しかし、それは天から与えられた最後の使命だと言わんばかりに、璃正は病によって床に臥すことになり、そして闘病も空しく神の許へ召し上げられていった。
第四次聖杯戦争から十年後のことだった。

件の少女は今、璃正の後任として教会に務めることになったディーロという司祭と共にシスターとして働いている。
祖父から受け継いだ、影の仕事も含めて。

彼女の名は言峰カレン。
この冬木教会が、彼女の家であり職場だ。

「相変わらず、お忙しいようですね。私にも仕事をさせる程に」

会って事情を説明するやいなや、包み隠さない皮肉が飛んできた。
長い白髪と身を包む修道服が特徴の彼女は、教会内の荘厳な聖堂で聖士郎と対話していた。
舌先から飛んだ少量の毒を浴びせられた士郎はほんの僅かに申し訳なさそうにするが、それはそれ、これはこれで押し通ることにした。

「面倒をかけてすまないな、カレン。だけど、頼まれてくれないか」
「はあ……どうせ断っても食らいつくのでしょう、それこそ狼のように」

呆れるような声音でそう呟くと、カレンは止む無しと言わんばかり溜息をついた。

「場所は穂群原学園の校舎、時間帯は真夜中ですね。今のうちに手配をしておきましょう」
「助かる」

短いながら真摯な感謝の言葉を告げる士郎。
母校を戦場にして命の取り合いをする以上、出来る限りの準備を整えておきたいというのが正直な心情だ。

直接対面しての遠坂と教会への根回し、桜からの霊薬提供。
人と人の縁こそが平常時と緊急時の双方における何よりの手段であり財産。それさえあれば如何なる窮地の只中でも大丈夫。
敬愛する義母にして師匠の教えを胸の奥で反芻させ、士郎はカレンに一先ず別れの言葉を済ませて教会から出ていった。





*****

時刻は草木も眠る丑三つ時。場所は穂群原学園高等部校舎の屋上。

「……ふぅ」

体に魔法衣を纏い、両手に二刀の魔戒剣を握る青年騎士、聖士郎は一息つく。
彼の足元には黒い何かが靄となって消えていく。それは称号持ちならば容易く封印できる素体ホラーだった。

『桜の薬は確かに効いています。ですが、寄ってくるのは下級ホラーばかりです』

左手のルルヴァが事務的な口調で現時点の状況を報告する。
桜から受け取った霊薬は、飲んだ者を”血に染まりし者”、或いは”血のドルチェ”と呼ばれる者に近い状態にするというもの。
言うなればホラーを引き寄せる疑似餌のような体質にする薬だ。

この薬を桜が作れた理由の一因は彼女の義理の叔父である間桐雁夜の主である聖雷火にある。
雷火は対ホラーに特化した吸血鬼。呪物同然のホラーの血肉を糧とする為、当然の流れとして”血に染まりし者”となる。
だが、既に死者である吸血鬼の彼女にとってホラーの血は直接命を奪う物にはなりえない。寧ろ好都合に働いた。
なにしろ、夜中に出歩くだけで彼女の食糧となるホラーが誘引されるのだ。まるで食虫植物のように。

そんな雷火の特性からヒントを得た桜は、用心深い性質のホラーを誘き出す霊薬を開発した。
しかし、安全面を考慮してこの霊薬が効能を発揮する時間は短く、個人差もあるが服用してから約三時間といったところ。
士郎が霊薬を服用したのは日付が変わる頃なので、効果の持続時間はあと一時間足らずだ。

「…………」

士郎は口を噤み、意識を集中させて周辺を見渡す。
目つきも自然と鋭くなり、そこには一部の隙も無いように感じる。

『ッ―――士郎!』

その瞬間を見計らったかのように何かの気配が濃厚になり、それを察知したルルヴァが声を荒げて主に危機を報せる。
次の瞬間、キンキンという二つの金属音が屋上に響いた。
それは士郎の魔戒剣がどこかから投擲された二本の投げナイフを叩き落した音だった。
投擲されたナイフは邪気を固めて作られた物だったらしく、叩き落されると同時に砕け散って消滅した。

その腕前(トオルゲナレ)……流石は魔戒騎士(タツザバナサリシチ)

聞こえてくる魔界語。
漸くターゲットが現れたことを確信し、士郎もまた言葉を投げかけた。

「遅かったじゃないか」

様々な意思を短い一言に凝縮し、士郎は敵の姿を真っすぐ見据えた。
穂群原学園の制服を身に着けた男子生徒……敵は予想通りの依り代を得ていた。
出来れば杞憂に終わる、外れて欲しい予想だったが。

「ああ……お前から漂う香しい匂いを嗅いだ途端、行くべきか行かざるべきか悩んじまってな」

そんな士郎の思いなど知ったことかと言わんばかりにホラーは男子生徒の顔を歪めながら口を開く。
天敵たる魔戒騎士すら食糧としか見ていないことが一発でわかる言動に士郎はこう返す。

「要は斬られるかもって、臆病になっていたのか」

一刀両断とばかりに返された言葉を聞いて、ホラーの顔が見る見る不機嫌そうな表情を浮かべる。
怒りは苛立ちを生み、冷静な判断力を失わせ、行動を単純化させる。つまり相手の行動が読み易くなる。

「ハッ……だったら、その臆病者の力がどの程度のもんか、見せてやるよ!」

実際、敵は落ち着きを失くし、早々に魔獣としての本性を露わにした。
全身を束ねられた太い触手、或いは筋肉の繊維か何かで人型に編み上げたかのような赤黒いグロテスクな姿。

『ホラー・ウィードル。情報通りです、シロウ』

左手の指に嵌っているルルヴァの声を受けて、士郎は手中にある二刀の魔戒剣の切っ先を前方に突き出し、大きく円を描いた。
二つの大きな円は一つに合わさり、より大きな光の輪となる。それは現世と魔界と繋ぐ門となり、士郎の総身は亀裂のように漏れ出した光に包まれた。

現れるのは総身を鎧で包み込んだ狼の貌を持つ紅の騎士。
全体的に鎧のデザインは当世具足を意識しつつ、蓮華を模した背中の装飾から垂らした長い黒の飾り布、腰には鞘を連想させる凧形の騎士の紋章といった特徴がある。
両手に握られている魔戒剣は片刃の双剣”弔狼剣(チョウロウケン)”に昇華している。

紅蓮騎士・芽牙(MEGA)―――それが聖士郎の背負う称号の銘である。

消えろ(シネモ)魔戒騎士(ナサリシチ)!』

召喚された鎧が周囲の邪気を払い事で生じる後光を心底忌避し、邪念の籠った声と共にウィードルはナイフを投擲する。
その数は二本どころかニ十本を超え、まさしく弾幕のようにメガへと殺到する。

投影開始(トレース・オン)

メガは心乱されることなく短い詠唱を口にした。
すると、彼の背後には力が未解放の魔戒剣たちが大量に出現し、作り主の意を瞬時に汲んだかのように射出された。
屋上には夥しい火花は飛び散って周囲を僅かに照らし、衝突による音は金網のフェンスを震わせた。
同数の剣とナイフが互いに互いを打ち消し合うと、メガは両手に握りしめた弔狼剣を構えて一気に突撃していく。
ウィードルはそれに対抗してか、肘から先の両腕を曲がりくねった形状の両刃剣へと変形させて迎え撃つ。

ガギン、ガギン、という剣戟が高速で幾度となく響き渡る。
剣と剣がぶつかり合うたびに、ホラーの邪気をソウルメタルが浄化し、徐々に徐々にとウィードルの腕の剣には刃毀れが生じていく。

『ッ……離れろ!』

それを文字通り体で感じ取ったウィードルは咄嗟に足でメガを蹴り飛ばし、強引に距離をとらせた。
刃が欠け出していた両腕を忌々しそうに見ると、すぐさま再生させ、次の一手に出る。
奴の背中に邪気が集中すると、それは巨大な翼となり、空気を大きく叩いて体を浮き上がらせた。
地上戦では敵わないと見てすぐに、制空権を取って優位に立とうする切り替えの早さはある意味素晴らしいといえるだろう。

『シロウ、弓を』

もっとも、それは遠距離攻撃手段を持つ相手には大して意味のない一時凌ぎにすぎない。
メガは両手の剣の柄尻のコネクタを接続させると、切っ先からはソウルメタルの弦が伸びピンと張られた。
紅蓮弔狼剣(グレンチョウロウケン)へと変形した己が得物を確りと左手で持ち、右手には投影魔術で作り出したソウルメタルの矢を持って弓に番えた。

「撃ち落とす」

一度に発射された二本の矢は射手の狙い通り、ウィードルが生やした大きな翼へと命中し、蝙蝠のような皮膜を貫いた。
飛行手段を破壊され、まるで穢れた堕天使のように地に落ちていくウィードルに、メガは即座に追撃をかける。

イメージするのは最強にして最優の刃。遍く陰我を断ち切り、光を齎す剣。
他の魔戒の者にとってそれは最強の騎士が振るう牙狼剣がいの一番に連想されるかもしれないが、聖士郎にとっての最強にして最優はもう一人の黄金を意味する。
故にここで投影すべき物として選択し、矢として番えるは―――断罪剣―――!

「―――疾ッ!」

彼にとっての最高の騎士がかつて振るっていたというそれに他ならない。
銘の通り、一条の矢として細長く調整されたそれは空を裂いて無様に墜落するホラーの胸へと命中し、射貫かれた体は瞬く間に爆散した。
断末魔すらもなく、黒い邪気を散らしながら消滅したホラーを見て、メガは弓をゆっくりと下ろした。

(く……くくく……)

そんな無防備ともいえるメガの背中を見て、密かにほくそ笑む者が一人いた。
闇夜の影に潜み、抜き足差し足で忍び寄り、鎧の隙間に勢いよく貫手を差し込んで肉も骨もグチャグチャにしてやろうと目論む。

死ね(チネ)魔戒騎(ナサリシ)―――ズィ!?』

典型的な三流の如く、獲物を前に舌なめずりしたそいつは情けない声を出して吹っ飛ばされた。
屋上のフェンスを越えてそのまま頭から校庭の地面へドサりと落下した。吹っ飛ばされたことで露わになったその姿は、陰我を得る前の素体のそれだったが、ウィードルにとって重要なのはそこではない。

『ヒヒィィィン!』
『魔、導、馬……だと……!?』

自らを桁外れの馬力で蹴り飛ばした者を見て、明らかに狼狽する。
金色の鬣と尻尾を生やしたメタリックレッドの馬体はまさに百戦錬磨の証、魔導馬であった。
内なる影との試練の末にこの力を得た騎士は駿馬に乗って軽やかに校庭に降り立った。

「よくやったな、流星(リュウセイ)

主から名を呼ばれ、労いの言葉を受け取ったその魔導馬は短くヒヒンと鳴き声を発した。

「ルルヴァ、火だ!」
『はっ』

続けて左手の甲に鎮座する相棒に指示を飛ばすと、彼女はその見た目に違わず口から魔導火を吐き出した。
緑色の魔導火はメガの手にある紅蓮弔狼剣に着火し、刀身を魔界の炎で包み込んでいく。

燃え盛る炎を宿した刀身は主の手に従い、縦一文字、横一文字が重なった十文字を描いて宙に浮かぶ。
緑色の十文字は宙に浮いたのも束の間、メガが拳を押し出すと同時にウィードルめがけて突撃する。
炎の十字はウィードルの体を貫通し、奴の動きを浄化の力で著しく弱めた。貫通した十文字はまるでブーメランのように舞い戻り、メガの鎧に纏い最後の一撃の力を発揮する。

烈火炎装―――魔戒騎士の奥義の一端が発動し、ここにホラー・ウィードルの運命は決した。

「お前の陰我は、俺が断ち切るッ」

今宵、一つの陰我、一つの魂が弔いと慈悲の刃によって眠りにつくのである。

己が剣に今度こそ目標の陰我と魂が封印されると、紅蓮騎士は鎧は主の身から離れて魔界へと送られた。
後に残るのは、一人の青年の沈黙のみ。勝利を収めたというのに、その表情に喜びはなく、ホラーに憑依された人間だった彼への弔いの念が浮かんでいた。

『奴が憑りついた陰我は臆する心に端を発するもの』
「だから、最初から本体は隠れて分身を操っていたのか」

為すべき仕事を終え、ルルヴァと士郎は互いに口を開く。
仕事終わりには黙祷を捧げることが習慣になっている自分にタイミングを見計らって声をかけてくれる彼女に心の中で密かに感謝しつつ、士郎は何でもないかのように会話に応じた。

『後のことは凛とカレンに任せ、我々は番犬所に向かいましょう』
「そうだな。明日は皆にお礼を言わないといけないし、早く済ませよう」

魔法衣のコートをたなびかせながら士郎は学校の敷地から立ち去った。
今夜起こった戦いは無かったモノとして情報が操作され、別の何かに置き換わり、ホラーに憑依された男子生徒は行方不明、或いは不慮の事故で死を迎えたことにあるだろう。
考え出せば後味は決して良いとは言えない、それがホラーを狩るということ。決して万人からの称賛を浴びることのない日陰の道だ。
日は沈み、月が昇る。そして暗い夜は明け、世を照らす太陽が顔を出す。この星が誕生してから繰り返されてきた大自然の法則のように、希望と絶望が世界を巡る。

それでも守りし者として生き、守りし者として戦う。一人でも多くの命を救う為に。それが彼自身の意志で選択した運命なのだから。





*****

「彼の今夜の仕事は終わったか。ならば、さっさと番犬所に戻らねば」
「おや、もう帰ってしまうのかい」

ここは『塔』。永久に閉ざされた理想郷の一部。
伝説に謳われしアーサー王が死後辿り着き、傷を癒す地とされる島。
名をアヴァロン。またの名を妖精郷とも言う。

そんな神秘そのものと言える地に建つ塔で話し込む二人の男の姿があった。
片や狐の仮面を着け煙管を手にした男、片やリスのような猫のような犬のような奇妙なモフモフした生き物を連れたローブ姿の優男。

「すまないがマーリン、私はこう見えて多忙なのだ。機会があればまた来よう」
「そうか。では、君が再び訪れるのを楽しみにしているよ。なあ、キャスパリーグ?」

フォウ、と優男に呼ばれた生き物は特徴的な鳴き声で返事をした。
しかし、その鳴き声はどこか不機嫌そうに聞こえるのは何故だろう。
具体的に言うと、自分の部下と自分の王様の様子を覗き見していて楽しいか、といった感じだろうか。

「なぁに、そう長く待たせはしない。マーリン、君にはここで『騎士王の玉体』の管理という大切な使命を任せているのだから」

そして、この『塔』にいるのは正確に言うと二人と一匹ではない。

「この『塔』に彼女の本体がある限り、魔導輪ルルヴァは新たな聖と……メガと共にあるのだから」
「そうだね……、彼女からこの提案を受けた時はどうしたものかと本気で頭を悩ませたが……。ヴァナル、私も信じることにしたんだ。彼女たちを、そして彼を」

珍しく顔に憂いを覗かせた魔術師は、すぐに表情は明るく切り替えた。
理想郷に辿り着いた王から聞かされた何時かの話と、その話を証明するかのようにいかなる方法を使ったかは知らないがこの『塔』に足を踏み入れた神官。
時代は動き続け、次代へと受け継がれていく。それを人でなしの青年は今更のように実感した。持ち前の千里眼で得た情報や魔術の腕を貸してあげてもいいと思う程に。

「あぁ……ありがとう、友よ。私も君も、人でなしは人でなしなりに、美しい光景が観たいものだからな」

これからも存続していく人類史という一枚の巨大な絵物語
二人の隠者にして賢者はその物語に宿る光り輝く美の為に、いつか辿り着く幸福な結末の為に、これからも生き続けるだろう。





*****

ホラーの中でも特級と言える程に厄介な性質を有する者たち、七体の使徒ホラー。
その内の一体、魔塵の二つ名を持つ魔獣ダロダ。全身を砂や埃といった微粒子で形成し、地上にいる限り自身の体積を幾らでも増大させることができる。
つまり、どれだけ斬りつけられても直ぐに再生してしまい、場合によっては取り込んだ微粒子を散らし無形のものとなって逃げることもできる。
並の騎士では相対することをイメージするだけで気苦労をしてしまいそうな能力を持つこのダロダであるが、その命運も今日限り。

『ぐっ、がああああああ!!離、れろ……!離れてくれェェ!!』
「ああ、ダメですよ、そんなに暴れては」

聖雷火。またの名を暗黒魔戒騎士ギロ。
彼女は聖輪廻の姉であり、先代のロキであり、そして吸血鬼として復活した死人である。
怪異となって起き上がった彼女に宿った能力は、吸血鬼らしく我が身を霧に変え、さらには有機物・無機物を問わず他者の肉体と同化するというもの。
即ち、通常ならまともに攻めることも追うこともできないダロダを封殺することができる文字通りの鬼札なのだ。

ダロダと同化を試みているギロは数多のホラーの血肉を啜り喰らい続けてきた生粋のホラー喰い。
そんな輩に纏わりつかれるなど、悪夢以外の何物でもない。ダロダの魂は想像を絶する不快感と恐怖に侵されているだろう。

『やはり、これは哀れとしか言いようがないな』

ダロダの悲鳴を合図にして待機していた二人の騎士が現場に駆け付けると、魔導輪ザルバが憐憫の念を全面的に出した台詞を口にする。
一方でザルバの契約者、冴島鋼牙は普段通りの凛とした表情で淡々とその状況を見据えていた。

「それでは二人とも、今から私はこいつに”形”を与えて分離します。フィニッシュをお願いしますね」
「任せて、姉さん」

ギロから発せられた事実上のチェックメイトに妹の聖輪廻は自信満々の様子で自らの魔戒剣を抜刀し、隣にいる鋼牙もまた赤い鞘から魔戒剣を抜刀する。
それを見てギロは過去に喰らい、貯蔵していたホラーの”形”を己の内側から引き出し、それをダロダに押し付けながら自分だけ綺麗に剥離するかのようにそこから抜け出した。
強引に与えられた”形”を見て、鋼牙の冷静沈着な表情が一気に崩れ、僅かな狼狽が顔に出た。
巨大な爬虫類のような二足歩行の体に、不規則に生えた幾多もの牙と角を持つ大型ホラー……。

『魔獣ライゾン!?こんな奴まで取り込んでいたのか、なんて女だ!』

ザルバの口から大声で告げられる魔獣の名前。それはかつて”シロ”と呼ばれた冴島鋼牙にとって深い因縁のある相手。
”ヤマブキ”、”クロ”、”アカネ”、”ムラサキ”
少年時代、共に修練場での厳しい修行の数々を潜り抜けた大切な友達を腹に収め、まんまとその場から逃げおおせた仇敵。

「鋼牙くん」
「―――はい」

打てば響くような無駄のない返事。それを聞いて輪廻は鋼牙と共に刀の切っ先を天に掲げ、迷いなく光の軌跡で輪を描く。
頭上の完全なる円、そこから降り注ぐのは黄金の光。そして二人が呼び寄せ纏うのもまた黄金。

黄金騎士・狼姫(ROKI)
黄金騎士・牙狼(GARO)

「斬り裂くぞ、ガロ!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」

かくして、降臨した二人の剣士が地を蹴り、気高き剣で邪悪を断つ。
夜天に輝く満月が見守る中、金色の狼が気高く吼える。

闇に潜む魔獣ホラー。人を喰らい、人を憎悪する魔獣。
かつて人はその魔獣の影に怯えていた。しかし人は希望の光を手に入れた。
魔戒騎士という名の希望の光を。魔獣を狩りし者、人を守りし者……人は彼らをそう讃えた。

そして現代……守るべき人々に知られずとも、今までも、これからも、人類の物語が続く限り一点の光となって輝くのだ。



後書き

ルルヴァ
『物語はこれで終わります。ですが、守りし者たちの使命は終わりません。
 命尽きる瞬間まで彼らは永遠とも思える使命を受け継ぎ続ける。
 そして私は彼らを見守り続ける。それが私の選んだ”今の私”なのだから』



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