その日、セグラントは自身の主君にあたる皇帝シャルルの側近であり、特務総監を
務めるベアトリス・ファランクスに呼び出された。

 特務総監の執務室まで辿りついた彼は重厚な扉を軽く叩く。

 扉を叩くと同時に奥からベアトリスの声が返ってくる。

「開いています。入りなさい」

 扉を開け、ベアトリスの前に立つと、彼女は机の上に大量に積まれた書類の塔に
印を押し続けていた。
 ベアトリスはセグラントが自身の前まで来たのを確認すると印を押す手を止め、
じっと彼を見据えて言った。

「ヴァルトシュタイン卿、有給を取りなさい」

「は?」

 突然のベアトリスの言葉に呆然となるセグラント。

「は? ではありません。貴方はナイトオブラウンズに就任してから一度も有給を
取っていません。故に言っているのです。有給を取りなさい、と」

「いやいやいや。ナイトオブラウンズに有給なんてあるのか? 俺らは叔父貴、
皇帝陛下の剣であって、有給とか取れる立場じゃ無いはずじゃ……」

「何を言っているのです。騎士といえど社会人。そして、部下に有給を取らせないなど
何処のブラック企業ですか。いいですか、これは皇帝陛下自らのお言葉でもあります。
さあ、さっさと有給を取ってください。私は忙しいのです。有給の申請はキチンと書類
に書いて、規定の場所に提出してください。……もう退出してくださって結構です」

 ベアトリスは要件のみを伝えると再び印を押す作業に戻る。
 既にセグラントの事など意識に無いようだった。
 
 何処か納得が行かないが、どうしようもないので部屋から退出する事にした。

「……有給って。何をすりゃいいんだよ」
 
 ブツブツとボヤきながら廊下を進んでいると、反対側からモニカとアーニャが歩いて
来るのが見えたので、一先ず声を掛ける事とした。

「よう、どうしたんだ?」

「あら、セグラント。別にどうも無いわ。そういう貴方こそどうしたのよ。そっちは
特務総監の執務室だけど」

 モニカの質問にコイツらに相談してみるのも良いか、と思い、先程のベアトリスの言葉
を一字一句漏らさず言うと、

「有給ねえ。というか騎士に有給って」

 モニカは頭を抱えてしまった。
 どうやら彼女も有給を使ったことはないようだったので、アーニャに聞くと、

「……ジノはよく休んでた。有給の事なら彼に聞くのが一番。彼なら多分サロンにいる」

「それだ! 他のラウンズに聞いてくりゃいいんだよな!」

 アーニャの言葉を聞くやいなや駆け出すセグラント。

 彼の背中は直ぐに見えなくなった。
 そんな彼の走っていった方向を見ながら、アーニャは思い出したように言った。

「あ」

「え、どうしたの?」

「……そういえばさっきサロンにナイトオブテンも入っていくのを見た」

「え”」




 ラウンズ達が集まり、休憩する場として提供されているサロンはとても嫌な空気で
満ちていた。その原因は二人の人物にあった。

 一人がジノ・ヴァインベルグ。ナイトオブラウンズの第三席にあたる青年であり、
そのモデルのような容姿に加え、明るい性格で万人に好かれる好青年である。
 そしてもう一人をルキアーノ・ブラッドリーと言った。
 ルキアーノはナイトオブラウンズの第十席である。好戦的で残虐な気性を持った
男であり、ブリタニア帝国に所属している理由も合法的に殺しが出来るから、という
ものであり、大凡騎士とは言い難いその生き方から味方からも恐れられている人物で
ある。それ故に、騎士としてあろうとするジノとの仲は険悪である。

 二人はお互いに目を合わせようともせずに、だが立ち去ろうともしない。

 ルキアーノは軍服からナイフを取り出し、磨き始める。
 
「ブラッドリー卿、サロンで武器は出さないでいただきたい」

「別に構わんだろう? それともヴァインベルグ卿はたかが(・・・)ナイフ一本が怖いのか?」

 安い挑発だ、と分かっていながらもジノの米神に青筋が浮かぶ。
 ギュッと拳を握るが、それを抑えるように両手を組む。

「安い挑発だな。それが吸血鬼殿の限界かな?」

「なんだと?」

「何か?」

 両者の視線が合わさり、火花が散る。
 お互いの一挙一動を見逃さないようにしながらも直ぐにでも立ち上がれる様に姿勢を
変える。一触即発の状況だった。

 サロンにて応対をする為に配備されているメイドや執事は生きた心地がしなかった。
 誰でもいいからこの状況を何とかしてくれ、それが彼等の心境だった。
 
 その時、サロンの扉が開かれる。

「ういーっす。ジノはいるか?」

 入ってきたのはセグラントだった。
 突然の客にメイド達は一瞬だが反応できなかったが、直ぐに自身の職務を思い出し、
応対に当たる。

「ヴァルトシュタイン卿、何かお飲みになられますか?」

「あ〜、適当に」

 セグラントは手をぷらぷらと振り、睨み合っているジノ達の下に赴き、

「よう。何やってんだ? そんなに殺気をまき散らしてよ」

「これはこれは猛獣殿のお出ましか。なに、少しお話をしていただけだよ」

 ルキアーノはわざとらしい程に肩を竦め、ナイフをしまう。
 それを見たジノも拳を緩める。

「まあ喧嘩すんのはいいけどよ。……よっこらせと」

 セグラントもこの両者の仲が悪いのは知っている為、敢えて二人の真ん中に位置する
席に座る。セグラントが座った事で事態は治まったかと思えば、

「そういえばセグラント卿、どうしてヴァインベルグ卿を探してたのかな?」

「おお、そうだそうだ。ジノに聞きたい事があったんだった」

「なんですか、先輩」

「おう。有給って何すりゃいいんだ?」

 セグラントの質問にジノはおろか、その部屋にいた全員が固まった。
 まさか、天下のナイトオブラウンズの第二席からそんな質問が飛び出すとは誰も
考えていなかったのだろう。ジノはいち早く立ち直ると尋ねる。

「有給ですか。それはまあ故郷に帰るとか、好きな事をするか、ですかね」

「故郷、な」

 ジノの言う故郷にセグラントの眉間に皺が寄る。
 セグラントは今でこそヴァルトシュタイン姓を名乗っているが、物心ついた時には
砂漠で軍相手に追い剥ぎをやっていたような人間であり、故郷と呼べる物は砂漠位しか
無いのである。軍に入った当初はその事を口性ない貴族に陰口を叩かれもした。

 その事を思い出したのかジノは失言だったかと自身の発言を後悔するが、
 セグラントは気にするな、と言い笑う。

「ヴァルトシュタイン卿、有給の使い方に悩んでいるのなら適当に狩りでもどうかな?」

 そう提案したのはルキアーノだった。
 彼は再びナイフを取り出し、その刃に指を這わせる。
 
 指から血が流れるが、ルキアーノは気にするでもなく会話を続ける。

「狩りは良い。獲物の命を奪うあの瞬間がたまらない。ヴァルトシュタイン卿にも
是非、知ってもらいたいと思ってね」

 ルキアーノの言葉にジノは我慢ならなかったのか、椅子から立ち上がり、

「命を奪う事を愉しみとするのか? それは騎士ではない!」

 ルキアーノに叫ぶが、ルキアーノは飄々とし、それを受け流す。

「先程貴君も言っていただろう? 私は吸血鬼だ。騎士じゃあない」

 両者の間で再び火花が散る。

「おい、お前ら。やめとけ」

「先輩は黙ってて下さい。もう我慢なりません」

「ヴァルトシュタイン卿は邪魔だ。ヴァインベルグ卿、お前の大切な物はなんだ?」

「貴様には到底奪えん物だ」

「くくく。言ってくれるじゃないか」

「おい」
 
 二人を止めようとするが、

「どいてください」

「邪魔だ。猛獣」

「ああん?」

 逆に喧嘩に参加しそうな勢いになってしまった。

 セグラントも拳を構える。

 その様子を見たメイド達は顔を青を通り越して白くする。

 そんな均衡を破ったのは一人の男の大喝だった。

「何をやっておるか!馬鹿者どもがあ!」

 扉の前にはビスマルクとアーニャ、モニカが立っていた。

「げ、親父」

「今度はなナイトオブワンの登場か。今日は人が集まる日だ」

 ビスマルクの登場に三人は構えを解く。
 ビスマルクは彼等の前に立つと、まずはセグラントの頭に拳骨を落とし、そのまま流れ
るような動作でジノ、ルキアーノの頭にも拳骨を落とす。

 三人は頭を抱え、床を転がる。

「いってええええ! 俺は仲裁しようとしただけだってのに!」

「くおおおお。この私が、吸血鬼が拳骨をくらうとは……ッ」

「うおおおおおおお。痛い! 頭が割れそうな程痛い!」

「馬鹿者どもが。これで一件落着としろ」

 ビスマルクは床をのた打ち回る三人を見た後、去っていった。
 
 残されたのは未だ痛みで立ち上がれない三人と、どうしようと頭を抱えるモニカ、
そしてのた打ち回る三人を携帯で写真に収めるアーニャだった。



 

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