第12話『黄昏の女王との出会い』



「……さて。この状況、どうやって脱出したものしょうか……」

『夜の迷宮』に入り、調査を始めてから数分後。迷宮の構造を探り、効率よく調査できるようにするために自分の意識を土地に重ね、把握しようとして感じた奇妙な波動に惹かれるように歩を進めつつ、調査をしていた昴は現在――

「確か、この道を歩いて来たと思ったのですが……いえ、こっちでしたか? それとも、あの道でしたっけ? いえ、それ以前に……そもそもこの道、通りましたっけ? ええ、と……あれ?」

 ――現在、絶賛道に迷っていた。齢24歳にして、しかも迷宮の構造を己の感覚を広げ、完全にではないものの読み取っておきながら、他に言い様がないほどに完璧に迷子になっていた。遭難とも言う。
 彼自身、気付かないうちにはしゃいでいたのかもしれない。真言で作り出した光によって薄明るくなった通路を右へ左へ、上へ下へと縦横無尽に歩いていた彼は、気付けばどういう風に道を進んで今いる場所まで来たのかをすっかりと忘れ、迷宮内部の十字路で立ち往生していたのだ。
 ちなみに、マッピング等はしていない。そもそもこの迷宮の地図を持っていないのだ。

「ううむ、私としたことが。よもや道に迷ってしまうとは……不覚です」

 腕を組み、どこか困ったようにそう言うが、実際にはそこまで困っている訳ではない。脱出しようと思えば、真言を使って即座に脱出出来るからだ。
 しかし、それを分かっていながら昴は脱出用の真言――転移系の真言を使おうとしない。能力を使わず、あくまで自分の足で、自分の感覚等を頼りにこの深く、非常に入り組んだダンジョンを調査しつつ脱出しようと言うのだ。
 すぐにでも脱出できる能力を持っていながら昴がそんな行動を取る理由は、「迷う事もまた迷宮探索の楽しみ。楽に脱出できるのなら、まずは楽しめる全てを楽しんでから」と言う、酷く馬鹿げた物だ。
 ちなみに関係あるかどうかは微妙だが、昴は子供の頃から毎日一度は必ず道に迷っており、さらに一度通った道でも6回から7回は通らないと完全に覚えられないと言う、凄まじいまでの方向音痴なのだ。家族と遠出したり、修学旅行に言っても絶対に迷子になっている。それでも誘拐や事故を始めとした大きな被害には遭わず、最後には必ず無事に家族やメンバーの元に帰りつく事は出来ていたのだが。そのあたりの運はいいのだろう。

「ふぅむ。このままじっとしていても迷ったと言う事実は消えませんし、しかし適当に歩けば余計に道に迷ってしまいかねませんよね。さて、どうした物でしょうか……」

 組んでいた腕を解いて、迷宮の壁に手を着き呟く。石で作られた壁はひんやりと冷たく、多少ではあるが体の熱を奪って行く。迷宮内の空気自体も、寒いとまではいかないもののそれなりに冷たい。
 十秒、二十秒。昴は壁に手を着いたまま、じっと考える。

「……進むとしますか。じっとしていても現状が変わる訳ではありませんし、無為に時間を過ごすだけで終わりますし。いざという時は真言で脱出すればいいのですし」

 方針が決まった様で、昴は壁についていた手を離した。冷たい岩の、ひやりとした感覚が手のひらに残っている。

「取り敢えず、この波動の持ち主の所を目指すとしますか。何故かはわかりませんが、妙に気になると言いますか……」

 言って、昴はとある方向に顔を向けた。その方向には当たり前だが、迷宮の回廊を作っている壁しか存在していない。
 しかし昴は、視覚ではなく感覚の網でその方向に岩壁ではなく、別の存在を感じ取っていた。自分の感覚に妙に障る、奇妙な波動の感覚だ。他にも生命の波動を昴は感じとっていたが、この波動だけはやけに気にかかるのだ。

「感覚からして、おそらく人間だとは思いますが……何か違う感じもしますね。まあ、取り敢えず出逢ってみれば分かりますか」

 人間だったなら、どのような人物だろうか。そんなことを考えながら、昴は片手に槍を持って迷宮を進んで行く。一歩足を踏み出すごとに、蒼黒のコートの裾が踊る。
 目指すは妙な波動の持ち主。通路は中々入り組んでいるが、居る場所は分かっているのだ。問題なく辿りつけるだろうと思いながら、昴は見つけた階段を下りて行った。
 ……数分後、さらに酷く道に迷ってしまう事になるとは、今の彼は思ってもいない。

 ■

 地下を昴が、これ以上ないと言って良い程に迷いながら進んでいるとほぼ同時刻の地上。かつては大勢の人々が暮らし、行き交ったであろう大通りを『紅き翼』の面々――ナギ達は突き進んでいた。目的は唯一つ、遺跡に捕らわれているだろうアリカ王女達の救出だ。
 魔法を放ちながら、剣を振るいながらナギ達は道を進む。彼らが行く先には、おそらく敵だろう魔法使い達が進路上に存在する建物を壁として使用しつつ、火や水、雷、砂、闇などと言った多くの属性の『魔法の射手』を撃ってきている。初級の魔法であり、さらに込められた魔力もそこまでではないらしく威力は低いが、撃たれる数が多く進みにくい。
 さらにそれに混じって、数こそ少ないが『魔法の射手』の隙間を突くように中級の魔法も放たれている。こちらはそれなりに魔力を込められているらしく、遺跡の一部を吹き飛ばしている。直撃すれば、多少の怪我では済まされないだろう。

最強防護(クラティステー・アイギス)

 襲い来る初級魔法の雨と中級魔法に対し、白髪の少年――フィリウス・ゼクトが全員の前に出て無数の魔方陣を展開する。それは防御魔法の中でも最上位にあると言って良い、鉄壁の守りを誇る魔法。幾重にも展開されたそれらは最強防御の魔法名に相応しく、魔法陣の一枚も砕けることなく魔法の射手と中級魔法の全てを完全に防ぎ切った。
 それを見て相手の魔法使いたちに動揺が走るが、それを無視してゼクトは両手から無詠唱で二種類の魔法を同時に放った。放たれた魔法の属性は風と土で、地属性の魔法が地面から槍の様に突き出し敵を空中に突き上げ、風の魔法がそれらを一切の容赦なく吹き飛ばす。遺跡の壁に激突し、敵の魔法使いが気絶、あるいは絶命する。

「はー、やっぱお師匠はスゲーな。詠唱もなしで魔法二つを同時発動とか……」
「この程度、修練を積めば誰でも出来るようになるものじゃ。そうじゃの、本気を出せば「魔法の射手」より少し上ぐらいの魔法なら、数関係なく全属性を同時に撃てるぞ、ワシは」

 それらに目を向けることもなく、掛けられたナギの言葉にゼクトは何を考えているのか分からない表情で、当たり前の様にそう返した。

「マジかよ!? おいアル、お前そういうの出来るか?」
「出来なくはありませんが、私でも三属性が精々ですね。流石にそれ以上はちょっと……」
「やっぱ妖怪じじいか……」

 ゼクトの言葉に驚いたラカンが、魔法使いであるアルビレオ・イマに問う。ラカンも魔法は使えなくはないが、彼自身は魔力よりも「気」を用いて戦う事の方が性に合っているため魔法はあまり使わないのだ。それで自分よりも魔法に対して深い見識と多くの経験を持っているアルビレオに出来るかを聞いたのだろう。
 が、返事は「出来なくはないが、三属性以上は無理」と言うものだった。

「スッゲー! なあお師匠、今度コツとか教えてくれよ」
「別に構わんが、止めておいた方がいいじゃろ」
「へ? なんでだよ?」
「お主、馬鹿魔力に物を言わせてのゴリ押しが主体で制御能力がかなり低いじゃろうが。それでは同時使用はとてもではないが出来ん。今のお主がやろうとすれば、暴発するのがオチじゃ」

 ナギの疑問に、ゼクトは彼の魔力制御力の不足を理由に挙げた。実際、ゼクトが言うようにナギは力押しの大呪文で攻撃することがしばしばある。
 魔法使いは属性に縛られた存在であると言える。誰にでも得意な属性や苦手な属性があり、得意な属性であれば習熟速度は上がり、威力は高くなる傾向がある。反面、苦手な属性に関しての習熟速度は遅く、さらに程度の差はあれ威力も低くなりがちだ。これは火や水・氷、光と闇のような反対属性を考えればいいだろう。大抵の魔法使いは、得意とする属性の反対属性の魔法を苦手としているのだ。
 また、属性が違うと言う事は魔力の波長も違うと言う事だ。人によって魔力の波長に違いはあるが、属性の違いはそれとはまた別のものである。
 普通の魔法使いは、態々別の属性の魔法を同時に使用することはない。別々の魔力の波長が互いに干渉しあい、結果として魔法の精度が落ちてしまうからだ。精度が落ちれば威力も下がり、減少した威力を補う為に必然的に消費する魔力量は増える。それなら複数の属性を使うより、単一の属性を極めた方が効率などは遥かにいいのだ。
 だからこそ別属性の魔法を同じ精度で同時に使用出来ると言う事は、それだけで高位の、強い力と高い魔力の制御能力を持つ魔法使いであるという事を示す。
 だが、強い力と深い見識を持っているアルビレオですら三属性が限度と言っているのだ。数関係なく全ての属性を同じ精度で同時に使え、さらに高位魔法すらも使用可能と言うゼクトは、魔法使いとしては正しく最上位に在ると言って過言ではないだろう。

「そんな事より……」
「んぁ? どぁっと!?」

 道を進む足を止めずに会話を交わしながら、ナギに対してゼクトは指を向けた。その行動に訝しげな視線をナギは向けるが、直後ゼクトの指が光り、圧縮された水属性の魔法がナギに襲い掛かる。
 銃弾と同等かそれ以上の勢いを持つ魔法をナギは咄嗟に避けるが、凄まじい勢いを持って撃ち出された水は彼の髪を切断し、さらに射線上に存在した遺跡の壁をまるでコルクに穴を開ける様に容易く撃ち抜いた。

「お、お師匠! いきなり何すんだよ!? あぶねーだろ!」
「たわけ、よく見るのじゃ」
「へ?」

 突然のゼクトの行動にナギは文句を言うが、当のゼクトは気にした様子もなく、むしろ攻撃した理由として撃った場所を見ろと言った。
 その言葉に首を傾げ、しかし言われたとおりに顔を向ける。視線を向ける先には、かつては民家であったのだろう建物があり、その壁にはたった今ゼクトの魔法で穿たれた穴が綺麗に開いている。
 そして、その穴の下部に敵だろう魔法使いが倒れ伏しているのが入り口だろう部分から見えた。

「あいつは……」
「敵じゃろうの。ワシ等を狙っておった様じゃが、気配の隠蔽がお粗末じゃったな。じゃが、普段なら気付くそれに気付かんとは……まったく」

 ゼクトに倒された敵を見ているナギに、ゼクトは呆れたように溜息を一つ吐いた。

「ナギよ、少々気が急いておらんか。王女が心配で焦っておるお主の気持ちはわからんでもないが……」
「なっ、お、俺は焦ってなんかいねーよお師匠!」
「たわけめが、今のお主を見て焦っておらんと言う者がこの場に居るものか。皆にも確認してみるがよい」

 自分は焦って等いない。そう言うナギにゼクトはあからさまに呆れた様子を見せ、仲間たちに確認するよう促す。
 言われ、ナギは仲間達……アルビレオ、詠春、ラカン、ガトウ、タカミチを見る。

「まあ確かに、普段のナギと同じには思えませんでしたね」
「ゼクト殿の言うように、焦っているようにしか見えなかったな。私には」
「口を開けば姫さんが、姫さんがって、親とはぐれたガキかテメェは」
「ラカンの言葉は流すとして、確かにお前さんらしくなかったな」
「て、テメェら……!」

 ナギの視線を受け、応えたのはアルビレオ、詠春、ラカン、ガトウの四人だった。だがその四人全員が、「普段のナギらしくない」と言った。
 彼らから見た普段のナギは、少々どころかかなり生意気なお調子者の、しかしどこかカリスマじみた魅力のある少年だ。その性格と自信からか、彼が焦りを露わにする事など滅多にないと言って良い。
 そのナギがあからさまに、目に見える形で焦っているのだ。珍しいを通り越して、ある種異様な物に彼らには見えるだろう。

「焦るなとは言わん。が、焦ったところで事態は好転せん。むしろその焦りが、王女達をさらに危険に晒す可能性も考えよ」

 ゼクトの言葉にナギは黙り込んで自分の状態を思い返し、さらに普段の状態を思い返すと、天と地ほどの差があった。
 確かに、普段の自分と比較すればかなり焦っていたのだろう。思わず笑いが出そうになる。

「おい、黙ったかと思えばいきなりニヤケだしたぞ、アイツ」
「なんと言うか、気色悪いな」
「しっ、そう言うのは黙っていてあげるのが優しさですよ」
「言ってる時点でお前さんも酷いと思うが……」

 小さく聞こえてきた会話に、自分がいつの間にか苦笑を浮かべていたことを自覚し、同時にあいつらを殴るとナギは心に決める。しかし、それはアリカ王女達を救出した後だ。
 今は――落ち着いて、だが急いで助けることに集中しろ。

「ワリィ、お師匠。言ってた通り、ちっとばかし気が急いてたみてぇだわ」
「ちっとばかしではなかった気がせんでもないが、まあよい」
「では落ち着いたところで、急ぐとしましょうか。こうしている間にも、アリカ王女達に危険が迫っているかもしれませんし」

 アルビレオの言葉に、ナギは盛大に舌打ちをする。忘れかけていたが、ここは敵地だ。自分たちが王女達を助けなければならないのに対し、敵は王女達を自分たちの手に渡さない事が勝利条件。それには、姫を殺してしまう選択肢も存在する。
 その事実に思い至り、ナギ達は心は落ち着けつつも急いで救助に向かう事にした。唯でさえ時間を取られているのだ、これ以上遅らせることはできない。
 そう思い、全員が駆け出そうとした瞬間だった。
 音が聞こえた。それもただの音ではなく、まるで雷がすぐ側に落ちたかのような爆音が。同時に、僅かな振動が地面を伝って足に伝わる。

「おい、今のは……」
「聞き間違いでなければ、雷でしょうね。ですが、この晴れた天気で、しかも屋内から自然の雷が発生するはずもない。となれば……」

 魔法でしょうね。アルビレオがそう言った瞬間だった。

「姫さん!」

 落ち着いて行くと言った直後に、ナギは瞬動を駆使して爆音が聞こえた場所に向かって行った。

 ■

「あー……死ぬかと思いましたが、何とかなりましたね」

 薄暗い通路の中。溜息を吐きつつ、昴は安堵したようにそう零す。彼は疲れたように通路の壁に背を預け、座り込んでいた。冷たい感覚が火照った体を冷やす。
 その姿はこのダンジョンに潜った時とは違う。新品同然だったはずの服は煤け、所々にほつれや、焦げたような痕跡が見て取れる。見間違いでなければ、服の間から僅かに見える肌にも軽い火傷の跡や小さな擦り傷などを確認できる。

「やれやれ……ようやく静かになりましたか。まったく……」

 言いつつ、昴は視線をある方向に向ける。
 彼が視線を向けている場所には、巨大な水の球が存在していた。昴の体の倍ほどもある大きさのそれは通路の宙に浮き、静かにその表面を揺らしている。その内部には、人間と獣の中間のような姿の何かが、動くこともなく漂っている。目と思われる部分を閉じているその様子は眠っているようにも、囚われているようにも見える。
 囚われている、と言う表現は正しい。事実、水球の内部に居る何かは囚われているのだ。
 囚われているのは、昴は知らないが、この『夜の迷宮』を根城としている雷の最上位精霊だ。
 奇妙な波動の持ち主を目指すついでに昴は遺跡を探索し、しかし凄まじい方向音痴である彼は結果として盛大に迷子になってしまったのだ。
 それでも波動を目指して彷徨い歩いていると、精霊に出会った。出会った当初はそれが何なのか分からず、さらに出会った瞬間に雷を放ちながら襲い掛かってきた何かに混乱しながら、昴は命の危険と精神の危険を感じ、身を守るために応戦したのだ。
 戦いは激戦と言うほどではなかったが、昴にとっては中々にきつい物だった。何せ今まで経験した戦闘は全て屋外であって、今回の様に屋内での戦闘は初だったのだ。さらに相手は雷の化身と呼んで差支えないだろう最上位の精霊だ。まともに攻撃しようにも雷の速度で移動することで回避される。さらに触れたところで物理攻撃はまったくと言って良いほど意味をなさず、感電の要領で武器を伝って電気が体を蝕んで動きを鈍らせる。直接触れれば、最悪の場合感電死と言う結果もあるだろう。
 一度槍で攻撃し、感電を体験した昴はそれだけで槍での攻撃を捨て、真言を用いて相手を無力化することにした。全てを現実とするこの力なら、無力化するのは容易いだろうと思ったからだ。
 とは言え、相手は雷の速度で動く存在だ。容易いと思っていた無力化も、何かを喋ろうとした瞬間に雷が飛んできて邪魔をしてきたので想像していたよりも遥かに手間取った。
 それでも何とか飛んでくる雷や直接攻撃してくる精霊を防御、あるいは回避し、何度も邪魔されながらも昴は真言を紡いで雷の精霊を無力化することに成功した。

「あぁ、ここまで疲れたのはいったい何時ぶりでしょうかね……っと」

 息を吐きながら壁に手を着き、立ち上がる。そして衣服に付いた汚れなどを軽くはたいて落とし、投げ捨てていた槍を拾い上げる。

「傷は……まぁ、残っているのは然程でもないですし、治療は後でいいですか」

 体を少し見て、違和感がないかを動かしながら確かめる。電気による麻痺なのか若干体の反応が鈍い気がするが、そこまで酷いと言うほどではない。少し時間を置けば、普段の状態へと戻るだろう。

「さて、無力化には何とか成功しましたが……どうしましょうかね。流石にすぐ解放、という訳にはいきませんし。かと言って捕えたところで何をするわけでもありませんし、殺すことも出来ればしたくありませんし……」

 そもそも殺せるか分かりませんけど。と、最上位精霊を内に封じ込めている水球を見ながら昴はそう零す。封じている水の球はいつだったか、ナギやラカンに対して使った水や氷と同じく力を抑えつける効果を持っているので、独力で破られることはまず無いと言って良い。さらに精霊本人が強制的に眠らされていることもあって、元々無かった破られる可能性は極限まで低くなっている。
 しかしそれは外部からの干渉がなければ破ることが出来ないと言う事で、さらにこのダンジョンの内部に生命の波動はあまりと言うか、ほとんど感じられない。おそらく来ているだろう冒険者達の集団も、自ら好き好んで敵になり得る存在を開放したりはしないだろう。つまり、精霊が解放される可能性は著しく低いと言う事だ。昴が解除しなければ最悪、永遠に眠り続けることになるだろう。あまりそういうことはしたくない。
 だが今開放してしまえば再び戦闘になる可能性が非常に高い。距離をとって開放すると言う手もあるが、このダンジョン内では止めた方がいいだろう。ここは精霊の庭のようなものだ。どの道を通れば良いかなど知り尽くしているに違いない。少し離れたところで、追いつかれて再度戦闘になるのがオチである。すぐに逃げられるだろう屋外ならともかく、この通路のような狭い屋内ではもう戦闘はしたくない。

「放置でいいですか……まあ、私がこのダンジョンから出た少し後で解放されるようにしておけば大丈夫でしょう」

 暫し考え、結論として昴は暫くの間水球(雷精入り)を放置する事にした。昴本人にしても、次に戦えば今度こそ殺してしまいかねない存在を相手にしなくて良いので、気が楽ではあるだろう。何せ、先程の戦闘時にも殺意を抑えるのに苦労していたのだから。

「そんな訳ですので、暫しそこで眠っていてください。安心してください。
『私がダンジョンから離れれば解除されます』から」

 そう言って嬉々として、とは言わないが、それなりに軽い足取りで昴は水球を放置し、迷宮の通路を進んで行く。目指すのは当初の目的道理、彼の感覚に障る奇妙な波動だ。
 階段を上り、通路を曲がり、遺跡でもあるダンジョンの状態を調べながら波動の元を目指す。そして精霊と戦闘した地点から15分ほど進んだ場所で、波動の元となっている人間が居るだろう部屋を見つけた。

「ふむ、ここですか……波動の元と、もう一人……と言うところ、ですかね? もう一人のこれは、子供……でしょうか」

 地上部分に出てきたのか、遺跡の通路や扉には美しく壮麗なレリーフが装飾として刻まれていた。天井を見上げれば、所々にシミ等とは違う色彩が非常に薄いが残っている。壁画が描かれていたのだろう。かなり劣化して最早何が描かれていたのか知ることも出来ないが、これもまたかなり美しかったに違いない。現在昴が立ち止っている場所にも、レリーフが刻まれている扉が一つある。
 その扉を前に、昴は目を閉じ、部屋の内部の波動を探る。中には現在も昴の感覚に障る波動を発している元であろう人物と、もう一人分の波動を感じた。
 感じる感覚的に、二人とも女性だ。しかもその片方は子供と言ってもいい気がする。そして感覚に障る波動の元だろう女性のそれは……やはりと言うべきか、この数ヶ月の間に出会った人物の誰かに似ている感覚がある。
 だが、誰なのか思い出せない。このような特徴的な波動の持ち主、忘れるはずがない筈なのに何故か思い出すことが出来ない。

「……考えていても仕方ありませんか。きっと、出会えば思い出すでしょう」

 小さくそう言って、昴は扉に近づき、ノックした。

「誰が居るか知りませんが、一応礼儀は必要ですからね……失礼しますよ」

 人が冒険者達以外に居ないだろうこのダンジョンで、何を馬鹿なことをやっているのかと、誰かが見れば間違いなくそう思うだろう。仮に人が居たとしても、態々ノックして声を出してまで確認する必要はない。その行為は魔物が居るダンジョンなどでは、自らの身を危険に晒す愚かな行為だ。
 だが、昴は部屋の内部に誰かは分からないが人が、それも女性が居る事を知っている。そして女性が居る部屋に挨拶もなく入ることは、昴の育ちや経験などからも不可能だ。もう会う事など叶わない両親に、妹ともどもそう育てられたのだから。
 数分待つが、部屋の中から返事はない。むしろ、何か警戒するような感覚を波動から感じ取った。
 それを気にせず、昴は扉に手をかけ、開いた。

 夕日が差し込んでいるためか、部屋の中は思っていたよりも明るかった。窓があるのかと昴は思ったが、それは近代にありがちなガラスで覆われた窓ではなく、吹きさらしの通廊のような印象を与える。
 部屋の広さはそこまで大きいという訳ではなく、むしろ狭いと言って良いだろう。その狭さは廊下よりも少し幅がある程度で、部屋と呼んでいいのかどうか分からない。室内を彩る調度品などもなく、生活感のない、ひたすらに殺風景な室内。そこに彼女たちは居た。
 一人は金髪に褐色の肌をした、民族衣装のような衣を身に纏った少女。頭に角があるので、人間は人間でも亜人と呼ばれるタイプの存在だろう。魔法世界に来てから出会うことが割と多く、当初は驚いていたが最近では「そういう存在もあるのだろう」と言う風にしか感じない。
 どことなく気品を感じさせながらも、どこかやんちゃ坊主にも似たような雰囲気を感じさせるその少女は快活そうな雰囲気を全身から発しており、昴には何か面白い物を見るような、そんな感じの視線を投げかけている。
 この少女からは感覚に障る波動を感じない。その波動の持ち主の側に居た者だろうと昴は結論付けた。
 もう一人は、少女と同じく金髪の、しかし彼女より成熟し、正しく女性と呼んで差支えない人間。切り揃えられた髪は夕日を浴びて美しく煌めき、燃える焔のようなイメージを抱かせる。こちらの女性も少女と同じく気品を感じさせ、さらに白いドレスを完全に着こなしている。その表情は凛々しく、さらに昴を見る目はどこか冷たく、明らかに警戒しているのが見て取れる。
 その女性を見て――正確にはその瞳と夕日に燃える髪を見て、昴は自分の感覚に障っていた波動に感じていた既知感の正体を知り、そして思い出した。
 夕日に照らされ燃えるような髪と、翡翠(ジェイド)藍玉(アクアマリン)の虹彩異色。
 この数ヶ月で昴が出会ってきた多くの人物たちで、この条件に該当しているのはたった一人だけ。昴が初めて戦場に介入し、掻き乱していったあのオスティアで出会った黄昏の少女――アスナ。目の前にいる金髪の女性の顔立ちも、波動も、彼女に似ているのだ。
 流石に全く同じという訳ではなく、事実、虹彩異色の目はその色彩がアスナと左右逆ではあるが、それでも感じる波動の大部分が、アスナとこの女性では非常に似通っている。

「……貴女は……誰、ですか?」

 思い至ったそれに、昴自身訳も分からず半ば呆然とし、間抜けな問いを投げてしまう。
 それに対し、女性は警戒をそのままに、昴に問い返した、

「……そういうお主こそ何者じゃ。我が騎士の仲間……と言う訳ではなさそうじゃが」

 片や半ば呆然と、片や凛々しく、二人は夕日に照らされながら言葉を交わす。
 これが、魔法世界の存亡を賭けた大戦を駆け抜けた後に、『真言の紡ぎ手』と『黄昏の女王』と呼ばれる二人の出会いだった。




あとがき
非常に遅れてしまい真に申し訳ありません。
職が変わったり住所が変わったりと色々あったのですが、何を書いても言い訳にしかなりませんので書きません。
ただ、予告を遥かに超えてしまったこと、本当に申し訳有りません。
これからも不定期更新になってしまうでしょうが、最後までお付き合いいただけたらと思います。



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