軽音部のキセキ
V.シンフォニー


1.

「帰ってからロンドンに電話してみた。けど、録音テープが流れてるみたいなんだ。
英語だからよくわかんないけど、要は使われてないっていってるみたい。だから、高校の時のムギの電話にもかけてみた」
「あ、それ、執事が出るやつだろ? あたしも昔、かけた」
 律は思い出して笑った。
「琴吹家には執事がいて、ムギお嬢様は海外に休暇旅行してるって冗談言ってたら、ホントだもんなあ」
「その執事がさ、お嬢様は不在です、用件はお伝えしますの一点張りなんだよ。
どこにいるかだけでも教えてくれって頼んでも、言えませんってんだ。おかしいだろ?」
「澪、向こうにしてみりゃあたしら、友達かもしれないけど、要は赤の他人だぜ。
そんな相手に、大切なお嬢さまの情報をあっさり教えるわけねえじゃん」
「そりゃそうだけど、じゃあ、この情報は? ムギの執事さん、名前を齊藤って言ったんだぞ」
「齊藤? ああ、確か、そんな名前、聞いたなあ」
「何、呑気なこと言ってるんだよ! あの別荘の女の子も齊藤だっただろ?」
「澪! いい加減にしろよ!!」
 携帯の向こうで、澪が固まるのを律は感じた。
「齊藤なんて苗字、ごまんといるよ。それだけであれがムギの別荘だって決まるわけじゃない。
いや、仮にあれがムギの別荘だとして、それがどうかしたのか?
ムギがあそこにいるっていうのか? いていいじゃないか。自分ちの別荘だろ、いちゃ駄目なのか? 何が言いたいんだ?」
「な、何が言いたいって……ムギと連絡とれないんだぞ」
「仕方ないよ。ムギにも都合があるんだろ。澪だって、閉じこもってたときには音信不通だったじゃん」
「だからこそ……あのとき、あたしは世界中を呪ってたんだ。
自分ひとりだけが不幸で、世の中から笑いものにされて、ありとあらゆる罪悪を背負わされたと思ってた。
このまま、一人ぼっちであの部屋の中で死んでいくんだと思い込んでたんだ。
だけど、律、お前らがいたから、そこから出てくることができたけど」
「あ、いや。そんなに感謝しなくていいから」
 律の茶々は澪に通じていなかった。
「だから、今、ムギがそんなことになってるっていうんなら、今度はあたしが助けてあげたいんだ。
わからないっていうだけで、放っとくことなんかできない。
ちゃんと逢って、ムギの口から困ってないか聞くまでは、あたし、諦めるつもりはないんだ。
今のあたしは友達って呼ばれることにふさわしくありたいって願ってるんだよ」
(そういやあ、澪って頑固なところ、あったなあ)
 律は携帯に向かって改まった。
「わかった。澪。じゃあ、ムギの行方を捜すとしようや。
あの別荘かもしれないし、そうじゃないかもしれない。で、どうやって見つけるつもりなんだ?」
「そ、それを――律と一緒に考えようかなーと」
「オイ!」律は携帯に毒づいた。

 小雨が降っていた。もう闇がすぐそこに迫っていた。
宅配の車が道のわきに寄る。すかさず乗り込む、フードをかぶった小さな影。車はすぐに発進した。
「どうだった?」
「ダメ。収穫なし。車も人も出入りなし。ほんと、誰かいるのかーって叫びたいぐらい」
 フードをおろして濡れた髪を拭きながら、澪が答える。
「でも、意外に照明がつく部屋が多いんだ。見えないだけで、人はたくさんいるみたい」
「そうかあ。でもそれじゃあ今のところ、証拠は何もないなあ」
 二人はできるだけあの別荘を見張っていた。しかし仕事持ちの身ゆえ、限られた時間に交代で見張るのが精いっぱい。
別荘に荷物を運び込むチャンスもなかなかこなかった。
「なあ、澪。そろそろ止めねえか? これはやっぱり無理――」
「律。律は唯が死んだとき、どう思った?」
 言いかけた言葉を、律は飲み込んだ。
「い、いきなり何――」
「唯が死んだニュースを聞いて、どう感じたのかって訊いてるんだ」
 澪は前を向いたまま、律のほうを見ない。
「まあ、その前から大麻報道とかあったからなあ。あーあ、やっぱりって感じだったなあ」
「あたしも似たようなもの。いや、それより酷いかもしれない。だって、半分嬉しかったから」
「澪?」
 友人の言葉に、律はハンドルを滑らせた。あわてて車を元に戻す。
「高校のとき、素人のはずだったのに短期間ですごくうまくなったのはわかってた。
部室だとぼーとしてお茶とお菓子ばかりなのに、陰ですごく練習してるんだって、最初は感心してた」
「それはあたしもおなじだよ」
「だけど、梓が言ってた。唯は別物だって。天才なんだって。でもそんなこと信じてなかった。
そんなすごいのが同じ高校の同じクラスで同じ軽音部にいるなんて思えるわけないじゃん。
時折、すごいと思うことはあっても、それ以外はただのぼけーとした女の子だったのに」
「そうだよなあ」
「律はいつ気が付いた?」
 相変わらず窓の外を見たまま、律は訊く。
「一年の学園祭の時、かな。澪ちゅわんが縞パンツさらけ出した時でちゅよ。へへ」
「う、うるさいっ! そんなこと、訊いてない」
 ようやく澪は律のほうを見た。少し、頬が赤くなっている。
「澪に何度も言われたよな。正確なリズムキープができてないって」
「ああ。律は夢中になると、すぐにテンポが上がるからなあ」
「だからメトロノームに合わせて、ゆっくりと正確さだけ気にして叩いてみたりとかいろいろ練習してたんだ。
だけど、なかなかうまくならなくて」
「ふうん。そんなことやってたんだ」
「すっげえつまんねえんだよ、その練習法。ちまちまちまちま叩くんだぜ。
そんなことのために、ドラムやってんじゃねーよっ! って何回、スティックを投げたことか」
「ま、まあな。律ならそうだろうな」
 少し笑いながら、澪が言った。律も笑った。
「だから、学園祭のライブ、出来がひどかったのは自分でもわかった。リズムが上がったり、下がったり。
とにかく、勢いだけで叩きまくった。きっと澪もムギも合わせるのに、苦労してたんだろうなあ」
 律の笑いが突然止まった。
「そんな中で、一人だけあたしについてきたのが唯だった。いや、ついてきたんじゃない。あたしがリードされてた。
めちゃくちゃなリズムをまるで先読みするかのように、自在に音を操ってたんだ。
 気が付いたときは興奮した。これがバンドだって勘違いした。少しぐらいヘタでもあっちゃうんだって!」
「少しじゃないだろ」
 澪の冷めた突っ込みに、律は頷く。
「全然、少しじゃない。興奮が冷めたら、自分がすごいんじゃなくて、唯がすごいって気が付いた。
それからは唯ばかり気にしてた。唯の音、唯のアレンジ、唯の曲。どれもすごいってことがわかったんだ」
「それで諦めたんだ」
「諦めるしかないじゃん。相手はあたしが逆立ちしたって、かなわない天才なんだ。神様みたいなもんだぞ。
あたしがどんなにヘタなドラムをやろうが、ミスをしようが、合わせてくるんだ。
そんな相手を前にして、練習する意味があると思うか?」
 澪は無言。
「だから悟った。あたしは高校の三年間は楽しく叩いていればいいって。
苦しい練習なんてしなくていいんだ。それから先はしーらねーってね」

 雨が本降りになってきたようだ。ワイパーの音がリズミカルに車内に響く。
「澪はどうなんだ。どう思ってたんだ?」
「いなくなればいいって思ったときもある」
 ワイパーの動きを目で追いながら、澪は言った。今度はあらかじめ予想していたのだろう、律もあわてることはなかった。
「ちょっと前までは呆れるぐらいに何にも知らなかったのに。あたしやムギや梓に頼ってばかりだったのに。
気がつけば、一歩も二歩も前に行っていた。
 それでもこっちがちょっと頑張れば、すぐに追いつけるって思ってたよ。信じてたっていうのかな。
それを壊されたのが、夏の合宿――おまえらがすっぽんぽんで演奏した、あれだ」
(うひゃあ)律は赤面の思い。
「率直に言って、感動した。唯の演奏があれほどすごいってそれまで気がつかなかった。
いや、気がついてたのかもしれなけど、無視してたんだ。
 でも、あのとき、心の底から感動した。夢を見てると思った。もう、涙が止まらなかった。あの才能を素直に認めようと思ったよ。
だけど、もう一人のあたしが、素直じゃないあたしが、それを拒否したんだ」
 律が車のライトを点灯させる。暗がりの中、濡れた路面とラインが走り去っていく。
「何とかして追いつきたいと焦ってた。絶望して何もかも諦めてた。できるだけ無視してた。唯の成功を単純に喜んでた。
全部の気持ちがあたしの中にあったんだ。唯のニュースを聞くたびに、どれかのあたしが反応した。
喜んだり、悲しんだり、憎んだり、無視したりするあたしが」
「ま、澪は不倫もあったしなあ」
 ちいさく、うなずく澪。
「あれで自分がいっぱしの社会人になったと勘違いしてた。
自分の才能に男が寄ってきたって自惚れてた。ただ、身体だけが目的だったのに」
 少し涙声の澪が顔をこすった。
「唯がどんな苦労をしたのか、知らない。死んだって聞いたときは、いい気味って思った。
だけど、時間がたつにつれて、寂しいって思うようになったんだ。
 どうして、何も言わないで逝ったんだろうって。確かにあたしは唯にとって酷い友達だったかもしれないけど、
挨拶ぐらいしてくれてもよかったんじゃないかって。そう思ったら、ますます惨めになった。
唯にとっては、あたしは友達じゃなかったのかなって。それなのに、友達だって思ってる自分はなんなんだろうって」
「それはあたしも似たようなもんさ」
 澪は座席に身を沈めた。
「唯には申し訳ないけど、あたしは酷い友達でしかない。けど、律やムギや梓に対しては、いい友達に戻りたい。そう思ったんだ。
だから諦めない。諦めたら、唯に対してとおんなじ酷いやつになっちゃう。それはもういや。
何もできないかもしれないけど、何もしないとは違うんだ。
律、ごめん。あたしのわがままにつき合わせて」
(ま、いいさ。それも澪だ)
 律は助手席を見て、笑顔を浮かべた。澪はそれを見て、安心したように目を閉じた。

2.

 昨夜の雨は夜のうちに止んで、日の光が濡れた路面を輝かせていた。
足早に歩く長い髪の少女と、その後ろをついていく背の高い男。
「あれからどうなったのか、聞いてないの?」
 梓は背後をついてくる男に問いだたした。
「警察にしょっ引かれた後はしらねえ。だけど、アイツの仲間にはあいつが何かするようなら、連絡くれって言ってあるし。
当分は動けないだろ」
 あの、襲われたところを助けられて以来、梓はなんとなく男と距離が近づいたことに気づいていた。
が近づきすぎれば、体に震えが走る。そうなれば、とにかく男から離れて、収まるのを待つ。
会話ができるだけの距離でつかず離れず。男が近づけば遠ざかり、遠くなれば近くによる。そんな不思議な距離感。
 ふとしたはずみで男に近づき過ぎたことがあった。たった、それだけのことで梓の動悸は激しくなり、呼吸が乱れる。
また漏らした、と思うほど冷や汗がでた。
(ダメだ!)
 そう思って梓は走って逃げた。落ち着くために必要な距離を守る必要があった。近いようでも遠い距離。
その距離より近づけば、頭より身体のほうが勝手に反応することが梓には驚きだった。
(後遺症なんだ――よね)
「あんたの忌まわしい記憶が、あたしの体から抜けない」
 梓は男をにらみつけた。
「悪い虫を寄せ付けなくなったんだから、感謝してるって意味かな?」
「勝手なこと言うな!」

「アズ、アズってばよお」
「うるさい! 今後、その名前で呼んだら、あんたをぶっとばすからね!」
「おお、怖い」
 男は梓から大げさに離れた。もちろん、梓が手など出せないことは百も承知の上。
「生理でむしゃくしゃしてんのかい?」
「だまれっ! バカ! いうな!」
 男の無神経さが梓の気に触る。
「生理用品、買ってこようか?」
「は? 男のあんたに買えるものか!」
「いや、昔は買わされていたんだが」
 へ? とばかりに、梓は男の顔を見た。冗談ではなさそうだ。
「誰によ?」
「あいつだよ。あのヴォーカル女」
「あ、あんたねえ。それって使いっぱしりじゃん。男のプライドってもんはないの?」
「ないね。そんなもん、とっくの昔に捨てちまったよ」
 ふと、遠くを見る目をした。
「なあ、ア――梓。その、頼みごとができる立場じゃないことはわかってるんだけど、頼みたいんだ」
 改まった男の言葉に、梓は足を止めた。
「その……平沢 唯とお前、高校のときバンド組んでたんだよな」
 梓は男の顔をじっと見た。
「うん。そうだよ。でも、それがどうかした?」
「一度、バンドで聞かせてくんねえかな。お前のギターだけじゃなくて、バンドで」
「どうしてそんなことを?」
「バンドでこそ輝くような気がするんだよ。お前の歌、聞いてると」
 梓は考えてみた。考えてみればそうなのかもしれない。
(もともとは『放課後ティータイム』というバンドのために書かれた曲だもんね)
「あんたもバンド、やってたの?」
 ふと、そんな気がして、梓は尋ねた。
「ふん。ちょっとだけな。平沢の曲、聞いたときにすっかり諦めちまったけど」
(ああ、ここにも唯先輩の影響を受けた人がいたのか)梓は思った。
「考えとく。でも一人じゃバンドできないんですけど」
「ああ、できるようになった時でいい。で、ナプキンか、タンポンか?」
「ナプ――ぎゃあああぁぁ! そんなことはどうでもいいから!」
 梓は真っ赤になって遮った。

「けど、アイツがいたことに感謝してもいいかな」
 そんなことを言う男。
「なんでよ?」
「お前の近くにいる理由になるからさ」
「堂々と恥ずかしいことを言うな!」
 そう怒る梓の背後から、聞きなれた声がした。

3.

「なあ、澪。一つ、訊いていいか? 前から気になってたんだが」
 運転席の律が話しかけた。助手席の澪が頷くのを横目で確認する。
「あれだけ引きこもってた澪が、どうして出てくる気になったんだ?」
 配送車の中で二人が休憩していたときのこと。
「あの時は誰にも会いたくなかったんだよ。何の取り柄もない、ただのババアであることを思い知らされるから」
「澪がババアならあたしだってそうじゃん」
「律ですらちゃんとしてるのに、あたしは何にもしてないって思ってたんだ」
「そりゃ、悪うござんしたね」
 澪はひざを抱え込んだ。
「このままであたしの人生、終わってしまうんだと泣いてたよ。泣いてるだけで、何一つ、努力しようとしてなかったんだけどな」
「で、その澪が、どうして出てきたんだ?」
 澪は小さく乾いた笑い声を立てた。
「出てくるしかない目にあえば、出てくるさ」

 アパートの戸口のドアが激しく叩かれる音に、澪は目を覚ました。
(あ、自慰してたのに。いつ寝たんだろ)そう思いながら、枕元に転がっているコーラの瓶からラッパ飲みする。
再び激しく叩かれる音を無視して、ぼーっと周りを見回す。
 乱れた布団。自分を慰める小道具。ぬぎっぱなしの下着が散らかる部屋。
(律にパンツ脱ぎ散らかしてるなんて言われたけど、ほんと、そのとおりだ。あたしはどうしようもないやつだ)
 そう自虐の言葉を胸に吐きながら、またコーラを飲む。
「貯金も少なくなってきたし、どうしよう。
どっかで男、引っ掛けて金むしり取るか。スケベそうな親父にちょっと胸触らせて大騒ぎすれば金だすかな」
 そんな澪の邪な心に惹かれるように、扉を叩く音がいっそう激しくなった。
叩くどころではなかった。扉そのものがきしむような音をたてている。
「な、なんだ? 何が起きてるんだ?」
 澪がようやく戸口へと向かったとき、咳き込んだような音が二回した。
今まで頑張っていた戸口のノブが、哀れにも落っこちる。
あっけなく抵抗力を失った扉が、外へと引っ張り出されて、強烈な日光が部屋の中へと差し込んだ。
 澪は呆然としながら、目をしばたたいた。明るい外の光を背景に、誰かが勢いよく入ってくる。
「だ、誰? 何事? けいさ――」
 そこまでしか言えなかった。勢いのまま、澪は体当たりを受けると、背後へ押し倒される。
もつれ合う二人に巻き込まれて、家具が飛び、ゴミやほこりが舞い上がった。
澪の目の前には黒光りする拳銃。たった今発砲したばかりなのか、銃口の熱さが皮膚に伝わってくる。
「おめえ、いったい何やってんだ?」
 入ってきた影が、汚いものででも吐き捨てるかのようにつぶやいた。
澪は改めて、影を見直した。帽子、何かの制帽のよう。ジャケット風の上着。そしてミニスカート。
(お、女?)
 女の影が少しずれた。ポリス帽にメガネ。短い髪。
「の、和!?」
「ようやく気がついたか。さっさと応対に出ろ。おかげで扉を壊すことになったぞ」
 低い声で答えると、和は靴を履いたままの片足をどかっと澪の頭の横に置いた。
おかげでミニスカートの中身が丸見え。
「和。下着が見える……」
「真昼間っからすっぽんぽんのやつに言われたって、ちっとも応えねえ」
「ち、違う! これはちょっと着替え――」
「miomioは着替え中ですってか? 澪! 全部知ってんだよ、こっちは!」
 澪は言葉を失った。動画サイトのニックネームがどうして和にばれている?
「おめえら、一体どういう連中の集まりだったんだよ。唯の葬式に誰一人として出てこないなんて。
それでも仲間か? 一緒にバンドやった仲間なんだろ? 友達なんだろ? 違うのかよ!」
 ようやく、澪は和の怒りに気がついた。
「誤解だ。あたしは、ただ――」
「ただなんだよ?」
「ふ、不倫がばれて大変なときだったし、もうどうでもいいって思って――」
「それで引きこもりかよっ! 最後の別れに出てこない友達なんて、ありえねえだろっ!」
 銃口が澪の口に押し込まれた。舌に鉄の味が広がる。
「『放課後ティータイム』が誰一人、唯の葬式にでてないなんて、信じられるか?
あたしは驚いたんだよ。そして悲しくて、情けなくなって、なんて連中に唯は三年間、取り囲まれてたんだってね。
そして決意したんだ。どうして出てこないのか、徹底的に調べてやるって」
 和は澪を見下ろした。
「律はすぐつかまったよ。葬式には来てたんだ。ただ、みんなと離れてコソコソ隠れるようにいたから、気がつかなかっただけ。
こっちが見つけると逃げようとしたんだ。掴まえてなぜ逃げるって聞いたら、ろくな就職もしてなくて恥ずかしいって。
ばかって言ってやったけど」
 澪は昔を思い出して、顔を背けた。
「記憶ありそうだな。律、言ってたぜ。律のことを恥ずかしいって言ったのは澪だって。
気にしてないつもりだったけど、有名人とかいっぱいきてる葬式の雰囲気に、近寄りにくかったって。
そんなの気にするほうがおかしいって言ったら、泣いてたよ。『ゴメン、ゴメンよ。唯』ってさ。
それ見て、ああ、律はまともだって安心した」
 銃口も澪から離れる。
「ムギのことは律から聞いた。ロンドンじゃあしょうがないかって。
ムギのことだし、プライベートジェットで飛んでくるぐらいのこと、知ってたらやるだろうしな。
ただ、少し気になることはあったけど……」
「気になる?」
「唯に最後にあった一人がムギだってこと。もしかすると唯の薬に小細工するぐらいはできたかもって」
「そ、そんな! ムギが唯を殺したって!?」
 澪の反応に、和は首を振った。
「そこまでは言ってない。あくまで可能性だけ。限りなく零に近いと思ってる。
だけど、イギリスは管轄外だ。調べるのはロンドン市警察にまかせたよ。結果はシロだって言ってきた」
 それを聞いて、澪は安堵のため息をついた。
「次は梓だった。楽だったけど、面倒だった」
「なに、それ?」
 ようやく、澪にも口を出す余裕が生まれてきたようだ。
「唯の後を追って、芸能界入りしたってのはわかった。そこから先、経歴はいろんなグループを出たり入ったりしてたよ。
上昇志向と自分の感情が抑えられないのかなあ。喧嘩別れが多いみたい。協調性がないとも言えるけど。
最後は路上ライブまでやってた。そこで記録はおしまい」
「そうか、梓、そんなことまでして、芸能界にしがみつこうとしてたのか」
「哀れだって思ったよ。いや、それは梓に失礼か。頑張ってはいたんだよ。そこまでして何が得られたのかなとも思うけど」
「で、梓はどうなったんだ? まさか、唯の後追い自殺なんて?」
「ああ、あたしもそう思ったから、必死で探した。そしたら、なんのことはない、警察に記録があった」
「け、警察?」
「精神錯乱。混乱。まあ言葉はいろいろだったけど、要するに心に異常をおこして、親御さんの手で入院。
よくなって退院したかと思うと、騒動をおこして、また入院の繰り返し。普通じゃなくなってたんだ。
やっぱり唯の死は梓には耐えられないぐらいの衝撃だっただろうな。
そんな梓に葬式だのなんだのって言うほうがおかしいだろ」
「ま、まだ梓は入院してるのか?」
「いや。ようやく最近落ち着いてきたらしい。家に戻って、普通に仕事してるようだ。で、残ったのが、澪。お前だ」

 和の冷たい声に澪は体を震わせた。
「会社で不倫騒動おこしてやめた事はわかった。手切れに相当もらったこともな。
会社のほうじゃあまだ話のタネになってたぜ。あんな奴にひっかかったバカな女がいたってな。
 だけどそれ以降、一切わからない。あまりに記録がないんで、梓じゃないが、自殺したんじゃないかって思ったよ。
律は携帯の番号は知ってても、住所は知らなかったし。
こっちの番号からは着信拒否にしてやがるし、携帯の電波から位置情報を取り出そうかとも思ったけど。
八方ふさがりで強硬な手段にでるしかないかって思ったぞ」
「そ、それでどうやって、ここを?」
「幸い、職場にコアなmiomioファンがいてな。動画ファイルを保管してたやつがいたんだよ。
隠し損ねた背景とか、バックの走行音とか騒音とかから、大体の場所を推定してたんだ。
後はあたしがしらみつぶしに調べるだけのことだった。
 もっとも、楽器の音がうるさいって近所のおばちゃんが噂してたし、
メイド姿で出歩く若い女性なんて珍しがられたから、すぐわかったけどな」
(く、くそ。近所にはもうちょっと愛想よくしとくんだった)
 そう後悔する澪のたるんだ腹を、和は勢いよく叩いた。
「いてぇ!」
「ボテ腹しやがって。どんだけ怠けてやがったんだ。
現実から逃げてて楽しかったか? いつまで逃げてる? 逃げ切れると思ってたのか?
おめでたくて、涙が出てくるよ。澪っ! 友達もいない、仲間もいないお前が、これからどうするつもりだ?」
 震える澪の額に、和の銃が押し付けられた。
「死にたいっていうんなら、このまま殺してやる。唯のところへ行って、今までのこと全部謝ってこい。
おまえのファンクラブ会長まで務めた縁だ。後始末はちゃんとやってやる。自殺したことにするぐらい簡単だよ」
 澪は必死で首を左右に振った。
「死にたくないっていうんなら、仕事しろ! 自分の食い扶持ぐらいは自分で稼ぐんだよ。
幸い、律んとこで人手が欲しいって話があるんだ。律と一緒に働くんならいいだろ。どうする、そこ行くか?」
「り、律がいい。行く、律んとこ、行く!」
 叫んだあとで、澪は自分のお腹に滴る熱い液体に気が付いた。見上げると、和が泣いている。
「なんで、最初からそうしないんだよ。澪、メンバーの中でお前が一番しっかりしてたじゃないか。
何がお前を狂わせたんだ。あんなに楽しそうに歌ってたのに。
友達思いで、下級生に慕われてて、どう見たって、いいやつだったじゃないかよ」
 澪は顔をそむけた。
「自分でもわからない。けど、そんな外見だけが私じゃないよ」
「ああ、そうだな。それは社会に出ていやというほど経験したよ。外面と内面が違うってのは」
 和は拳銃をしまった。
「律んとこ顔出せ。すぐに仕事させてくれるはずだ。いいか、サボったらすぐにわかるからな。
そうなった時はもう一度来るからな。そん時はおとなしく帰らないぞ。その性根、叩き直してやるから覚悟しておけよ。
でももし、どうしようもないと思ったときには、あたしんとこ、電話して。何とかするから」
 そう言い残すと、和は戸口に消えた。まるで台風か嵐に襲われたような、そんな気が澪にはした。
「あ、の、和! まって、待ってよお!」
 あわてて、戸口から顔を出す。バイクのエンジン音とともに、すでに和の姿は小さくなっていた。
「修理代ぐらい置いて行ってよぉ! 全然お金ないんだから。どうするの、この扉!」
 澪の泣き声は和には届かなかった。

「あはは、それ、災難だったなあ」
 律の笑いに、澪はむくれた。
「笑い事じゃないし」
「ああ、ごめん。で、扉はどうしたんだ?」
「鍵がかからないんじゃ無用心すぎる。仕方ないから、大家さんに修理代立て替えてもらった。
その分の借金もあるから、働かないとあのアパート追い出されちゃうんだ。
ニートを卒業できても、今度はホームレスだなんて、お話にもならない。だから、働くしかないんだよ」
「よし、じゃあ、そろそろ仕事に戻るか」
 律は納得しかけたが、ちょっと気になることがあった。
(澪が来る直前、バイトが一人、急に辞めたよなあ。あれって、まさか、和が裏でなにかしたってことは――ねえよなあ。まさかな)
 ちょっと背筋に冷たいものを感じながら、律はエンジンキーをまわした。
(って、和って何の仕事してるんだ? もしかして、警察か?)

 が、それにしてもあの別荘へ訪れる機会が来ない。配達の依頼がない。
(この前、家捜ししたこと、ばれたんじゃないだろうな)
 律はそう思ったものの、その証拠もない。
「ちくしょう! せっかくその気になってるっていうのに」
 澪も苛立ちの気持ちを隠し切れてなかった。
「よそうぜ、澪。イラついたって、何の解決にもならないぜ」
「わかってる。わかってるけどさ……」
「こういうときはどーんと構える。それにかぎるさ」
 自分の中の不安な気持ちを打ち消すかのように、律は仕事に集中した。そしてやっと、待望の連絡がやってきた。

4.

「梓ちゃーん」
(うーーー、憂かあ)
 梓は絶望的な気分で振り返った。そこには笑顔の憂。
「もー、私が邪魔者なのはわかりますけど、そんなに邪険にしないでくださいね」
「あ、いや、そんなことはしてないけど――」
 梓には目もくれず、憂は男のところへ近寄る。
「その節は、助けていただいて有難うございました」
「あ、いや。こっちこそ乱暴して悪かった」
「私、平沢 憂です。梓ちゃんの高校からの友人です。あの、お名前を……」
「ん? あ、えっと、仲間からはシブタクって呼ばれてる」
「あー、雰囲気ぴったりのお名前ですね」
 憂の笑顔に、梓は複雑な気分。
「梓ちゃんも口では怒ってるふりしてますけど、心の底では大変うれしがってるんですよ」
「憂!」
「確かに照れ屋だからなあ」
「お、お前もいい加減なこと、言うなぁ!」
(調子狂う。なんか、憂がくると、あたしのリズムじゃなくなる)
 そう思いながらも、梓は一方ではうれしく思うところもあった。憂の表情が今までよりも格段に明るくなっていた。
(憂は自分を助けてくれるヒーローにあこがれるんだろうなあ)
 だんなさんに見出す事ができなかった部分を、シブタクに見出したのだろうか。
(でも、憂。そいつ、レイプ犯なんだからね! あたしを無理やり手篭めにしたんだから)
 憂の笑顔を見ながら、梓は必死に胸の中で毒づいた。

「ねえ、憂?」
「なあに? 梓ちゃん」
「あのとき、唯先輩の真似してたよね。あずにゃん、助けてーて」
 憂は意外そうな顔をした。
「えー、そんなことないよ。捕まってから記憶ないもん。覚えているのは、戒めを解いてもらっているところぐらいだよ。
それに、あんな状態でお姉ちゃんの真似してるほど、あたし余裕ないよぉ」
 言われてみれば確かにそのとおりだった。が梓は戸惑った。
(じゃあ、あれは空耳? ううん。確かに憂の声だった。どういうことだろ。聞き間違いなんだろうか?)
「ってことは、こいつのことをレイプ魔って叫んだのも知らないってことか」
 小さく呟きながら、梓はなんとなく安心した。

「で?」
 憂が席を外したすきに、梓はシブタクに宣告した
「憂の手前、過去のことは不問にする。だからあんたも黙ってる。いい?」
「別に犯されたってしゃべっていいぜ。俺はかまわねえ」
「う、うるさいっ! あんたのためじゃない。憂のためよ!」
「ふーん。なんだ、お前ら、高校以来って言ってたけど、その頃からの百合関係か?」
 梓は言葉を失った。いきなり記憶がよみがえる。
(あ、あれはついつい、憂の言葉に載せられて、唯先輩の下着で二人してイッちゃった――)
「ち、違う! そんなんじゃない!」
 梓は真っ赤になって否定した。
「身に覚えあるんだな。理解した」
 梓は席を立ち上がった。男につかみかかろうとする。全身に走る緊張も無視して。が、振り上げた右手をつかまれた。
「梓ちゃん。乱暴しちゃ駄目だよ。女の子はおとなしく振舞わないと」
「憂。こいつが酷いことを――」
「あー、シブタクさん。いくら梓ちゃんが可愛いからって、からかってばかりじゃそのうち怒りますよ。
女の子には優しくしてやってくださいね」
 毒気を抜かれて、梓はへなへなと崩れ落ちそうになった。なんとなく、シブタクもそんな感じに見える。
「あー、もしかして、二人だけになりたいと思ってるんでしょ。あたし、お邪魔虫になってるとか?」
「あ、いや、そんなことは――」
「いいんですよ。シブタクさん。私より梓ちゃんのほうが、絶対に可愛いから」
「いや、お前さんもなかなか捨てがたい――」
「わあ、うれしい。そんなこと言われたの、初めてじゃないかな」
 憂は包みを梓に手渡した。
「なに、これ?」
「お弁当だよ。二人分の」
 絶句している梓を面白そうに見つめる憂。
「助けてくれた御礼しなくちゃと思って。男の人って、ご飯作ってくれる女の子には弱いんだよ。
梓ちゃん、こういうこと疎いし。覚えといて。じゃあ、お二人さん、あとはごゆっくり」
「あ、ちょ、ちょっと、憂!」
 憂はさっさと消え去った。残された梓とシブタクは顔を見合わせる。
「……お前の友達ってのも、なかなかだな」
「……否定できない」
 梓の手の中で、お弁当がずっしりと存在感を放っていた。

 間に弁当をおいて、ベンチの端に座っている二人。すっかり弁当は空になっていた。
(憂はやっぱり、お料理上手だ。今度、勉強させてもらおうかな)
 がっつり食って満足げなシブタクの様子を見て、梓は考えた。
「ねえ?」
 公園のベンチの端に座っているシブタクに、もう一方の端から梓は問いかけた。
「ん?」
 そっけない返事。  
「唯先輩の曲、どこがよかったの?」
「ちぇ、そんなことかよ。飯の話かと思ったぜ」
 口調とは反対にシブタクは考え込む表情。
「メロディラインかな。こんな意外な音を入れるのかよ、って感じだなあ。
でも最初は違和感があるんだが、聴きこんでいるうちに納得しちまうんだよ。これ以外はねえ、すげえとしか思えなくなる」
 梓は頷いた。
「絶対こいつ、普通じゃねえと思った。神様か、異常者か、とにかくオレとは違うってね」
(普通じゃない)
 その言葉に梓は両手で顔を覆った。その陰から小さな笑いがこぼれる。シブタクはそんな梓を見つめた。
「そうだよね、そうなんだ。普通じゃない。唯先輩、最初からおかしかったんだよ。
楽譜は読めない、用語は知らない。ギターだって、入ったときには全然弾けなかったって聞いた。
そのくせ感覚はピカイチ。あたしが懸命に練習してやっとものにしたテクニックだって、
一回見ただけで弾いて見せた。この人は天才だ。あたしと違う。そう確信した」
 笑いはいつの間にか、泣き声に変わっていた。
「それからはあの人と同じステージに立ちたいと思うようになってた。どんどん前に進んでいく先輩を、追いかけることしか考えてなかった。
少しでもチャンスがあれば、なんでもいいから前に進んでいれば、きっとあの横に一緒に立つ事ができる、あの人と同じ世界が見える、そう思ってた。
だけど、あたしはあの舞台に立てなかった。立つだけの才能がなかった。努力も足りなかった。あたしは結局、じたばたしてただけなんだ」
「そうか、お前、そんなふうに思ってたのか」
 シブタクはちょっと考えて、話し始めた。
「お前、才能あるんだぜ」
「え?」
 意外な言葉に梓は顔を上げた。涙を拭いて、赤くなった目を両手でこする。
「あのヴォーカル女がプロデューサーとできてたのは知ってんだろ?」
「当たり前よ。そのせいで喧嘩して、あのグループ脱退することになったんだからさ」
「お前がその原因だってことも知ってるか?」
 梓の驚いた顔に男は笑った。
「あいつが怖かったのは、お前の才能なんだよ。あのグループの次のセンターはお前だってみんな言ってたんだぜ。メンバーもお客も。
だからなんとしてもお前を叩き潰したかったんだ、あの女は。プロデューサーに体売ってもな。でなきゃ、お前に奪われちまうんだから。
プライドだけは高いあの女が、そんな屈辱に我慢できると思うか?」
「そ、そんな……」
「あいつの恐怖はどこからくるのか、よくわからなかったんだ。あんなチビに何びびってるんだかって。
だけど、お前の曲をよく聞くようになって、ようやくわかったよ。
お前の曲のどこかに平沢のイメージがあるんだ。どこか、はじけるっていうか、ぶっとぶっていうか、
何て言っていいのかよくわからんけど、時折、あれっ、似てるって思うところがある」
「唯先輩が、あたしの曲に――?」
「まあ、高校時代から何年か付き合ったんだ。自然に覚えたとしても、不思議ないんじゃないか」
「唯先輩が、あたしに残してくれたものがあるなんて……」
 いつの間にか、梓の目からはまた涙があふれ出ていた。
(自分ではまだよくわからないけど、先輩、有難うございます)
 なぜか、笑顔と泣き顔が一緒になっているのが、自分でも不思議に思えていた。



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