「ハァッ!!」

 触るのも遠慮したくなるような滑ついた肌に、炎を纏った渾身の右ストレートを放った。

「グエェッ!!」

 灼熱の一撃を喰らった奴は、不気味な悲鳴を上げながら後方に大きく吹っ飛ぶ。こちらが警戒を解かずに様子を窺っていると、奴はしぶとく立ち上がった。

 しかし微かに聞こえてくる呼吸の音は明らかに乱れ、立ち姿も腰から上が前に大きく傾き、両腕もだらしなく垂れている。どう見てもこの姿勢を維持し続けるだけで精一杯。とても戦いを続けられるような状態には見えない。チャンスという言葉を使うのなら、最もこの瞬間を置いて他には無いだろう。

 こちらは身体の右半分が赤、そして左半分が黒という姿を持つダブルの戦闘形態のひとつ、ヒートジョーカー。対する相手は、蛙の姿を模した異形の怪人。

 人気の無い倉庫街の一角を舞台に繰り広げられる両者の戦いは、今まさにフィナーレを迎えようとしていた。

「翔太郎! メモリブレイクだ……って思ったけど、今回は僕の方で勝手にやらせてもらうよ!」

 ダブルの肉体である翔太郎の頭の中に、相棒フィリップの声が響く。かと思うと、今度はダブルの右手が翔太郎の意思とは関係無しに勝手に動き出した。

 フィリップの意識はダブルへの変身時に翔太郎の身体に移るため、今はひとつの身体にふたつの意識が存在していることになる。基本的に身体の主導権は翔太郎側にあるが、右半身だけに限ってはフィリップが自由に動かすことができるため、今のようなことが起こってしまうのだ。

「おいどうしたんだよ、フィリップ!」
「その質問に答えている暇は無い! 君は黙っていたまえ!」

 その声はまるで何かに対して急いでいるように切羽詰っていた。普段の機械的なまでの冷静さを持つ彼からは想像もつかない程に。

「……な、なんかよく分からねえけど、お前がそう言うんだったら任せる!」

 尋常ではない相棒の様子を怪訝に思いながらも、翔太郎は動きを彼に合わせることにした。奴を倒す意思があるのなら別に問題はない。それにこのまま言い争っている隙に、奴に逃げられるのだけは何としても避けたかった。

 フィリップは翔太郎から主導権をもぎ取ったダブルの右腕で、腰のダブルドライバーのライトスロットからヒートメモリを抜き取り、代わりにサイクロンメモリを差し込んだ。

『サイクロンッ!』『ジョオオカァァッ!!』

 ドライバーから叫び声にも近い合成音声が響き、鮮やかな赤だったダブルの右半身の色が緑へと瞬時に変わる。

 サイクロンジョーカー――風と切り札の記憶を同時に秘めた、全部で九つあるダブルの戦闘形態のうちのひとつだ。

「トドメだ! そこでじっとしていたまえ!」

 フィリップが言うや否や、今度はドライバーのレフトスロットからジョーカーメモリを引き抜き、それをベルトの右側面にあるマキシマムスロットに放るように差し込んだ。

『ジョオオカァァッ!!』『マキシマムドライブッ!』

 先ほどとは違う合成音声がドライバーから響いた後、ダブルは右足を引き、左半身を前に晒す構えをとった。周囲に滞留していた空気が大きくうねり、後ろに大きく引いた右の拳に吸い寄せられるようにして収束していく。

「ハッ!」

 フィリップが短い呼気とともに、右の足裏で地面を蹴りつける。伝わってきた反動が腰を回し、上半身にひねりを加え、全身の力が乗った右腕を奴に向けて繰り出させる。極限まで収束していた空気の塊がその枷から解き放たれ、巨大な暴風の渦となって怪人の身体を軽々と空高く持ち上げた。

 道端のゴミがいくつも宙に舞い上がり、竜巻となった風の軌道を視覚的に表現する。通りすがりの野良猫はその光景に驚き、一目散に逃げ出していった。

 怪人に遅れてダブルも垂直方向に跳び上がる。竜巻に動きを封じられた奴よりも高く。ボディが陽光に照らされ、サイクロンサイドが赤みがかった緑へと彩りを変えた。

「ジョーカーエクストリームッ!」

 翔太郎とフィリップ、ふたつの意識が同時に叫ぶ。一寸の乱れもない息の合った呼号。その瞬間、ダブルの身体がふたつになった。

 片方のボディの色が黒で、もう片方は緑。まるで元の姿から、それぞれの色を引き継いだかのような二人のダブルがそこにいる。

 彼らは怪人に向かってそれぞれ一気に距離を詰め、空手でいう足刀跳び横蹴りを同時に叩き込んだ。

 断末魔の叫びとともに小規模の爆発が生じ、倉庫街の静寂を一瞬だけ掻き乱す。静寂が再び戻った後、その場にあったのは元の姿に戻ったダブルと、仰向けに倒れたまま動かない怪人の姿だった。

「グゲェ……」

 奴のだらしなく伸びきった舌からUSBメモリのような物体が抜け落ちたかと思うと、アスファルトの地面に落下した途端バラバラに砕け散った。

 原型を留めないほどに破壊されたこの物体はガイアメモリといい、地球上に存在するあらゆる記憶のうちのひとつがこの小さな物体の中に封じ込められている。これを手にした人間が身体のどこかにメモリを取り込むことで、ドーパントと呼ばれるメモリの記憶を具現化した姿の怪人に変身するのだ。

 ドーパントとなった人間は常人を遥かに超える力を振るえるようになるが、その代償として地球の記憶の強大な力に精神を徐々に支配されていき、やがては凶暴と化してしまう。翔太郎たちはこうした奴らの破壊活動を食い止めるため、ダブルとして日夜戦い続けている。

 ドーパントが中年の男の姿に戻っていく。ダブルがメモリブレイクを行った結果、ガイアメモリの影響から開放されたのだ。

 メモリブレイクは本来、使用者の意思でしか取り外すことのできないメモリを強制的に排出する行為。その際、過度の負荷で使用者の身体は著しく衰弱してしまうが、命そのものにまで危険が及ぶわけではない。現に目の下に濃い隈を残した男は時折小さな呻き声を発しており、死んでいるわけではなかった。

「じゃ、後はよろしく!」

 翔太郎はフィリップの意識が自分の中から離れていくのを感じた。同時にガイアーマー(ダブルの装着者が纏う強化皮膚)が剥がれ落ち、元のハードボイルド探偵スタイルに戻る。フィリップが勝手に変身を解除したのだ。

「おい待てよ、フィリップ!」

 翔太郎はダブルドライバーを介してフィリップに文句を投げつける。ダブルに変身していなくても腰にドライバーを巻いた状態であれば意思の疎通ができるのだが、いくら呼びかけても向こうからの返事は無かった。

「ったく、しょうがねえなあ……」

 ため息をつく翔太郎の耳に、パトカーのサイレン音が微かに届く。先ほどの爆発を嗅ぎつけて来たのだろう。だとすれば、後のことは彼らに任せておけばいい。

 翔太郎は近くに停めてあったバイク――ハードボイルダーに跨り、エンジンをかける。

「それじゃ、後は頼んだぜ」

 誰に言うとでもなく呟き、バイクの排気音を響かせながら、彼はその場から走り去った。





 翔太郎は知る由も無いだろうが、ダブルとドーパントの戦いの一部始終を物陰から密かに窺う者がいた。
 他に誰もいなくなったことを見計らって、そいつがゆっくりと姿を現す。
 その姿は、明らかに人間とはかけ離れていた。

「あれが仮面ライダーかぁ……ま、ありがたく使わせてもらうよ」

 どこか笑みを含んだ声を残し、異形の者は静かにその場から姿を消す。
 寂れた倉庫街に残されたのは、かつてドーパントだった男と、徐々に大きくなるサイレンの音だけだった。





「まったく……余計な面倒事を持ち込んでくれたものね」

 誰でも気軽に立ち入ることを許さないかのような雰囲気を醸し出す部屋の中で、その女は明らかに怒気を孕んだ言葉を吐いた。既に中年と呼べる域に差し掛かっている容貌だが、背筋を伸ばして毅然と佇む様はそんなことを全く感じさせない。

 女の隣には個人が使うには少々立派な執務用のデスクがあり、その端には三つ折りの折り目がついたA4サイズの紙が一枚と、数枚の写真が無造作に置かれている。紙には活字の切り抜きと思われるものがいくつも貼り付けられているが、そのどれもが不揃いで同じ大きさのものはひとつとしてない。

 女の前には、ふたりの人間が彼女と向き合うようにして並び立っている。ひとりは三十前後と見受けるやや痩せ気味な背広姿の男で、もうひとりは十代半ばのティーンズカジュアルファッションに身を包んだ明朗そうな少女。

 性別、年齢、容姿――そのどれを取っても、ふたりに共通するところは何も無い。ただひとつだけ挙げるとすれば、ふたりとも眼前の女の怒りに対してひたすら恐縮していることだけだった。

「何故こんな軽はずみなことをしたの。今が大事な時期だというのは、あなたも分かっているはずでしょう?」

 女は少女を睨みつけて言った。

「ま、待ってください! わたし、本当にこんなことしてません! 信じてください! お願いします!」
「じゃあなに? この写真に写っているのはあなたの偽者だとでも言うのかしら」
「そ、それは……」

 少女は俯いたまま黙り込んでしまった。

「はぁ……もういいわ。この件に関しては今後、一切を私が預かります。明日香、あなたはほとぼりが冷めるまで自宅で謹慎していなさい」
「はい……分かりました……」

 明日香と呼ばれた少女は暗い面持ちのまま、素直に応じる。

「牧枝、あなたも異論は無いわね?」

 牧枝と呼ばれた背広男からの返事は無い。どこか上の空といった感じで、女の話が耳に入っていないようだ。


「牧枝っ!」
「……!? は、はいっ!? な、なな、なんでしょう!?」
「あなた、いま私の話を聞いていなかったわよね。いつから私を無視できるほど偉くなったのかしら」

 女は牧枝の前に出て、凄みを効かせながら言う。牧枝は額や首筋に玉のような脂汗をかき、恐怖に慄いたまま固まった。

「も、申し訳ありません! 決してそのようなことは!」
「じゃあ、文句は無いわよね」
「は、はい、無いです! 断じてありません!」
「そう。なら、この話はこれで終わりよ。もう用は無いからとっとと行きなさい」

「……失礼します」

 牧枝と明日香がそろって部屋を退出し、ドアの閉まる音を聞いた途端、女はチェアに勢い良く腰を下ろす。怒りは既になりを潜めていたが、代わってその表情は苦渋に満ちていた。

「どうしたものかしらねぇ……」

 目の前に置かれたままの紙と写真をため息まじりに見やる。言葉では何気ない響きでも、このふたつ、特に写真の方は今まで血の滲むような努力をして積み重ねてきたものを一瞬のうちに打ち砕いてしまう――そんな危うさを秘めていた。

 こちらの弱みを相手に握られている以上、もはや一刻の猶予も無い。一瞬、警察という言葉が脳裏に浮かぶが、女は直ぐにそれを否定した。

 警察は目に見える形で実際に被害が起きなければ動いてはくれないだろう。それにいくら情報漏洩の防止に力を入れていたとしても、大組織であるからには思いも寄らないところからあっさりと漏れる可能性もある。それだけはどうしても避けたいので、頼るなら民間の調査会社の方がいいと思った。それも弱小や零細といった言葉が付くような、世間にはあまり知られていないところを。

 そこまで考えを纏めた女は、デスクの傍らにあるノートパソコンを手元に引き寄せる。普段、メールで社の内外と業務に関するやり取りを行うか、世の中の動向を把握するために政治や経済のニュースをいくつか流し読みするぐらいにしか使わないものだ。

 女は検索エンジンに探偵や興信所などといったキーワードを次々と打ち込んでは検索をかけていく。こういったことは秘書にでも命じて調べさせればいいのだろうが、今回は事態が事態だけに他人に知られることは少しでも避けたかった。

 始めてから十五分ぐらいたっただろうか。全国規模か、それより規模は小さくても広い地域でチェーン展開している大手の名前が検索結果の画面に並ぶ中、ひとつだけ聞いたことも無いような名前があった。

 だが女はその名前を目にしているうちに、あることを思い出す。とある知人が、数年前に調査の依頼をしたことがあるという探偵事務所と名前が同じであることを。

 以前その知人から聞いた話だと、そこは探偵とその弟子のふたりだけで構成された個人経営と言っても差し支えないほどの小さなところらしい。が、探偵の方は能力も実績もあるベテランで、依頼人のことを何よりも第一に考え、仕事を迅速且つ的確に行う姿勢に知人も心を打たれたという。事務所の所在も同じ風都の中にあると、知人はその時合わせて言っていた。

 今の自分が欲しているものに、これほど叶った選択肢は他に無い。女は詳細を求めるべく、その名前――『鳴海探偵事務所』と書かれたリンクをクリックした。



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