Muv-Luv Alternative The end of the idle


【風雲編】


〜 PHASE 9 :変わり行く世界 〜






―― 西暦一九九一年 九月三日 インド・ムンバイ ――



「静粛に、静粛に願います」

 演台中央に設けられた席上、その中でも中心に座する浅黒い肌をした壮年の男が、良く通る声を発した。
 一段低い記者席からは、絶え間なくシャッターを切る音とフラッシュが焚かれていたが、その一声を皮切りに徐々にそれも鎮まっていく。
 各国メディア、それも一流処を集めた甲斐があったのか、それなりに弁えたジャーナリストの面々が、片手で記録用のマイクを構えつつ、続く発言を待ちわびる様に無音の空間を形成していくのには、さほど時間も掛からなかった。

 ジッと息を凝らし演台を見る多数の視線。
 その内の半分は演台中央を占める先程の男性に、そして残り半分が、その脇に涼しげな顔で座っている歳若い少年へと注がれている。

 ユーラシア南方国家連名で開催されたこの記者会見の場に一見そぐわないとも思われる若さ、否、幼さ。
 だがそれに奇異さを感じる者など、この場には一人も居なかった。
 およそ八ヶ月前、世界を震撼させた少年――枢木ルルーシュの一挙手一投足を、僅かたりとも見逃すまいと意気込む面々の前で、壮年の男性――インド代表が、重々しく口を開く。

「お集まりの皆様方、そして世界の方々。
 まずは、貴重なお時間を割いて頂いた事に感謝を」

 そう言って定型な挨拶から切り出したインド代表は、一旦、そこで言葉を切ると、眼下にひしめく記者達を軽く一瞥してから、再び、言葉を繋げた。

「そして、今日この日、この場にて、この発表を為せる事を、それを皆様に伝えられる事を、我等一同、心より喜んでおります」

 そこで、インド代表が軽く頭を下げると、習うように各国代表達も頭を下げた。
 次いで上げられた面々の表情には、嘘偽りでない満面の笑みが浮かんでいる。

 ――誰かが、ゴクリと唾を飲んだ。

「今日、この日を以って、我等ユーラシア南方国家群は、対BETA戦勝利を目的とした軍事同盟――南亜細亜連合を発足させた事を、ご報告させて頂きます」

 ――驚愕が走った。

 だがそれは、ある程度、想定された驚きでもある。
 わずか二日前、彼らの親会社に、この日この場を指定しての重大発表の通知が為された時から、情勢に聡い面々は、薄々ではあるが、この展開を予期していたのだ。

 BETAの大規模東進の開始により、大陸東方及び南方でも激しい戦闘が日々繰り返される様になった昨今、その圧力に単体では抗しかねる東南アジア諸国及びインドが、手を結び自国の生き残りを図るのは、なんら不思議な事ではない。
 彼らにとって驚きに値したのは、この土壇場に到るまで耳聡い彼らですら、その兆候をまるで掴めていなかったという一点だった。
 恐らくは、同盟締結に際し、横槍を入れられる事を懸念しての事だったのだろうが、時として大国の情報機関にすら苦汁を舐めさせる彼らの情報網さえ欺き切った事は、驚嘆の一言に値する。

 そして一同の視線は、そんな奇蹟を演出したであろう少年へと自然に惹き付けられた。
 やや皺の目立つ浅黒い顔に、苦笑めいた笑みが浮かぶ。

「さて、それではここで、本連合発足に辺り、多大な尽力をして頂いた方を、ご紹介しましょう。
 ―――とはいえ、今更、知らぬ方もありますまい?」

 笑いを含んだ問い掛けに、記者達の眼差しもわずかに和らいだ。
 だが、それが気の緩みまで至らぬのは、流石と言えば流石である。

 演台の上と下で視線が交錯する中、黒く節くれだった手が、脇に座す少年を指し示した。

「枢木工業・アヴァロン計画担当臨時取締役、枢木ルルーシュ殿です」

 脇を固める代表達が力強い拍手を送り、それに釣られて鳴り響く記者達の拍手。
 それらに周囲を固められながら、臆する素振りも見せる事無く、ルルーシュは軽く会釈をすると自身の前に置かれたマイクに手を伸ばす。
 怜悧な美貌に、不敵な自信家の笑みが浮かんだ。

「ご紹介に預かりました枢木ルルーシュです。
 ――とはいえ、私個人については、今更、説明の要は無いものと考えております」

 そこまで言うと、一旦、マイクを口元から離し、確認するかの様にザッと視線を巡らせる。
 彼を注視する視線の主達は、しわぶき一つ漏らす事無く、無言のまま続きを促していた。
 形良い口元に、再び、マイクが添えられる。

「私自身としては、今回の連合発足にあたり、各国間の条件調整に多少の労を取らせて頂きました。
 そのご縁により、今日、この晴れがましい場に一席頂くという栄誉に預かっております」

 無形・不可視のオブラートに包みつつ、記者達の聞きたいであろう事を告げる。
 様々な勢力の耳目をかわし、各国間の利害調整を含めた連合の取り纏めを行ったのは自身である事を明確に認めたのだった。
 微かなざわめきが広がっていく中、少年は、更に言葉を重ねて、連合の概要について説明していく。
 明らかに、単なる協力者の範疇を越えた振る舞いを、新連合の代表達が許容している様に、記者達は、この同盟の真の発起者が誰であるかを否応なしに理解した。
 理解しながら、それ故に、彼の解説に耳を傾ける。

 ――基本的には、東南アジア諸国とインドによる軍事同盟である事。
 ――但し、米中の影響力が強いフィリピンは、最初から加盟対象国として除かれている事。
 ――また、今後は国連に対しても各国個別にではなく南亜細亜連合として協力し、また協力を求める立場である事。

 等々を、理屈立てながらも、分かり易く説明していくルルーシュに、当初は好奇の視線を寄せていたジャーナリスト達も、話が進んでいくに連れて表情を強張らせていく。

 名目上は軍事同盟ではあるが、実質的には域内統合に近く、事実、経済的な協力・統合も今後推し進めていく事を明言していた。
 形態としてはEUのそれに近いが、各国の経済格差や宗教問題、民族問題等も考慮し、当面は軍事面での統合を最優先し、それ以外は時間を掛けてとの説明も、記者達の顔から引き攣りを取り除くには至らない。
 この連合の誕生が、大陸南方のパワーバランスを完全に塗り替える事を理解してしまった彼らは、自国も含め、他の国家――特に安保理を構成する五大国プラス2の今後の動きまで想定し、頭痛を堪えるような表情を浮かべた。

 それぞれが、それぞれの形で、何らかの影響力を持っているこの地域に、彼らの制御を押し切るような巨大勢力が、突然、産まれた訳である。
 各国共に、蜂の巣を突いた様な騒ぎになる事を想定し、彼らの中にもざわめきが広がっていくが、続くルルーシュの宣言が、それ等を速やかに打ち鎮めた。

「――MD社が生産ラインを移転すると?」
「少し違う。
 ファントム(F-4)からイーグル(F-15C)へのライン変更に伴い、不要になったラインを我が社が買収、南亜細亜連合内に設ける生産拠点に移設する事になる」

 連合内部に兵器生産拠点、それも米国系戦術機のラインを立ち上げるという宣言に、記者達の耳が大きく惹き付けられた。
 どう見ても、企業間での話し合いのみで行われる事ではなく、つまり米国政府は今回の連合成立に対して肯定的な立ち位置にあるという事になる。
 或いは、米国の勢力圏であるフィリピンを加盟対象から外したのも、彼の国とのすり合せが既に為されていたのかと、多くの記者が想像を逞しくした。

 ――それ即ち、この連合が米国の後ろ盾を得て、成立しているという事にもなる。

 もし、それが事実だとすれば、他の安保理理事国も、そうそう強硬手段に訴える訳には行かない事が確実だった。
 その辺りの質問というか突っ込みを、やんわりとした口調で、さらりと往なしたルルーシュは、決して言質を与える事無く、中断された話を続ける。

「新設される生産拠点では、生産段階からファントム・ジークC(F−4GC)として生産を行い、南亜細亜連合軍の制式機として供給が行われる事になる」

 そこで一旦言葉を切ったルルーシュは、用意されていた水を一口含み喉を潤すと、やや皮肉気な表情を浮かべて見せた。

「これにより今まで他国にお世話になってきた兵器供給についても、自領域内での調達がある程度可能となるだろう。
 なにせこのご時勢――兵器供給国の方々にも色々と都合があるのだろうが、唐突に兵器が供給出来ない等と言う不吉な話を聞かずに済む様になる訳だ」

 最後におどけた感じを演出した彼に、演台に並ぶ各国の代表も微かな笑みを浮かべた。
 但し、それは微笑みと呼ぶには、やや固く、そして少なからぬ毒気が混じっている。
 少年が、最後に告げた言葉――不吉な話とやらが、現実にあった逸話である事を、暗に示すそれに多くの者が眉をひそめるが、自国勢力維持の為、或いは何らかの利権の為なら、脳裏に浮かんだどの国でも、その位はやるだろうと納得した。

 そして、連合内での兵器生産体制を確立する事は、現在の兵器供給国である米国やソ連からの過度の干渉を抑えるのにも繋がる事を暗示しつつ、ルルーシュは最後の爆弾を投げ込んだ。

「実のところ、既にラインの幾つかは移設済み。
 現状、二本のラインが試験稼動を開始しており、来月より試験生産された機体が、南亜細亜連合軍に納品される事になっている」

 記者達の眉間に一斉に皺が寄る。
 それだけの事をいつの間にと、詰め寄る一部の者達にルルーシュは、謎めいた表情を浮かべて冷たく言い切った―――「国家機密」と。

 知る権利の前に傲然と立ちはだかる無粋な壁に、記者達の多くが渋い表情を浮かべる。
 一方、ルルーシュを初めとした連合代表らは、そんな事も知らぬ気に―――つまりは、平然と無視しつつ、その他諸事を伝達し閉会を告げた。

 消化不良の余り、憤懣やるかたないといった記者連中の前で、インド代表を中心に連合加盟各国の代表達が肩を並べて握手を交わす。
 連合結成の歴史的瞬間――それをフラッシュを瞬かせフィルムに焼き付けながら、反骨精神を原動力に記者達のジャーナリスト魂も激しく燃え上がった。

 ――絶対に突き止めてやる!

 連合の命綱との理由から、場所すら秘匿された生産拠点の全貌を解き明かす事。
 その一事が、彼らの意識野に強く深く刻まれた瞬間だった。



 ……そして、それ故に、それ以外の出来事から、彼らの注意は逸れていく。
 日本帝国在住の某少女が、『意地悪な方』認定したとある少年の望むままに。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 九月四日 帝都・二条城 ――



 遠くインドより発した激震は、この地にも余波を及ぼしていた。

「これは一体どういう事だっ!」

 広い会議室の隅々まで、怒りに燃えた政治家達の怒声が響く。
 常ならぬ剣幕に、いつもなら余裕を見せて応対する官僚達も、思わず及び腰になりながらシドロモドロに口を開いた。

「そ、それは……」

 そこまで言ったところで口を噤む。
 続けるべき言葉を失い黙り込む相手を、侮蔑の眼差しで見下ろしながら、発言者は追撃の手を緩めなかった。

「情報省、外務省共に、全く兆候を掴めなかったのかっ!?」
「予算ばかり持っていって、この体たらく……貴様等の首の上に在るのは帽子の台かっ!?」

 もはや遠慮も何も無い痛烈な悪罵に、今回の失態により最大のポカをやらかした外務官僚の面々も、顔を青褪めさせながら反論し始めた。

「……確かに、我等の失策である事は認めましょう」
「ですが、我等のみが悪いのですかっ!?
 何らかの形で、枢木の暗躍を掣肘する……或いは、強引に止めれば良かったのではないですか!」

 彼らにとっては、青天の霹靂とでも言うべき出来事。
 それを演出してのけた者達にこそ非があり、それを掣肘出来なかった者達にも、また非があると言い返すが、それは相手の怒りに油を注ぐだけとなる。

「そんな権限は政府には無い!」

 切り捨てるような一言には、怒りと失望が滲んでいた。
 法を犯した訳でもなければ、倫理上問題がある訳でもない。
 何ら咎め立てする理由の無い一私企業の活動を、政府が恣意的に制限し、或いは妨害するなど、公には出来る筈も無いのだ。

 ――そんな事も分からないのか?

 言外に、呆れと嘲りを込めて投げ返された断定。
 そこに含まれる侮りに怒りを滾らせながらも、言われた側の面々が、未練がましく噛み付いてくる。

「やりようなど幾らでもあるでしょう!?」
「今からでも遅くありません。
 枢木に強い警告を発して―――『もう遅い』っ!?」

 興奮し切り、冷静さをどこかに放り出してしまった面々の頭上に、冷たい水が浴びせかけられた。
 他に比すれば決して大きいとは言えない声量。
 だがそこには、今にも掴み合いにならんばかりの一同を、制する力強さが篭っていた。
 一喝され、首をすくめた面々が、恐る恐る声の主へと視線を移す。

「もう遅いと言っている」

 わずかにトーンを下げた声で、声の主――次期首相の呼び声も高い榊是親国防相は、既に手遅れであると重ねて告げた。
 次いで、思わず反発の声を上げかけた外務官僚を、一睨みして黙らせると、滔々とした語り口で自身の考えを口にする。

「事が表沙汰になる前ならいざ知らず、連合が正式に発足し、それが世界に公表された以上、今更、枢木に圧力など掛けても帝国の恥になるだけだ」

 声に篭る圧力が、自身の面子の為だけに無駄な足掻きをしようとした連中を揃って撫で斬りにし、返す刀が、動かし難い現実を伴って、容赦の無い止めを刺す。

「また、そんな真似をすれば、南亜細亜連合からの反発も予想される。
 既に東南アジアへの生産拠点の移転を開始している現状では、あの地域から反感を買うような行為は慎むべきだ」
「し、しかし、だからこそ東南アジアへの影響力低下は、避けるべきなのでは?
 もし、移転した生産拠点の接収などされたら、どうするのですか!?」

 狼狽しつつも、それでも諦め悪く食い下がる相手に、榊は怒りではなく憐れみの視線を向けた。
 自分達の失態を、何とか糊塗しようとする姿に失望の念を深くしながら、冷厳たる口調で告げる。

「そんな無法が通る筈も無い。
 また万が一、その様な事態に陥れば、それこそ大義名分付きで介入が可能になるだけの事―――どこに問題があるというのだ?」

 ―――まあ、万に一つも、そんな下手は打たないだろうがな。

 そうやって官僚達を窘めつつ、連合の黒幕とでも言うべき人物を思い浮かべながら、榊は胸中で嘆息した。

 全く見事と言うしかない。
 少なからぬ監視の目を掻い潜り、いつの間にこれだけの根回しをしたのかと、半ば感心しつつも、立場上、そうとは言えず仏頂面をするだけだった榊の内心を他所に、軍事アドバイザーとして、彼がこの場に伴った帝国軍高級将校の一人が、席を立って爆弾発言を放り投げた。

「――軍としましては、正直、連合成立は、ありがたい面もあります」

 榊に頭を抑え付けられ不満を噛み殺していた官僚――ことに大きく面目を潰された形の外務官僚達が、発言者を険悪な眼差しで睨みつける。
 対して、戦火渦巻く欧州へ駐在武官として出向した経験もある高級将校は、そよとも揺らぐ風情を見せず、注がれる非友好的な視線の全てを黙殺しながら歯に衣着せぬ言葉を口にした。

「連合成立の結果として、東南アジア地域の防衛力向上は充分期待できるでしょう。
 そうなれば、彼の地における我が軍の負担は、大幅に減る事になります。
 軍としましては、大陸派兵により戦力の手当てが苦しくなっている現状、軍事面から言えば歓迎すべき事であると考えております―――コレが外務省の努力の賜物で無い事は残念至極ではありますが」

 ―――正直、あちこちに兵を派遣してばかりでは、国土の防衛すらままならない。
 ―――たまには外交努力とやらで上手く立ち回り、こちらの負担を減らして見せろ。

 そんな軍の本音を、薄いオブラートに包んで投げつけてきた相手に、無意味に高いプライドを刺激された何人かが、卓を叩いて激昂した。

「腕力にモノを言わせるだけの連中が、我々の苦労も知らず賢しげな口を叩くなっ!」
「そうだ!
 軍人に外交の何が分かる!」

 野蛮な武力に頼らず、知略と弁舌を以って国を護っていると自負する外務省のお歴々が、怒涛の如く捲くし立ててくる。
 それらを呆れた眼差しで眺めていた当の将校は、小さく舌打ちすると、最も有効であろう一打を以って痛烈な反撃と為した。

「確かに分かりませんな。
 分かる事と言えば、外務省が枢木にアッサリ出し抜かれたという事実だけです」
「「「なっ!?」」」

 いま現在の急所を突かれ、外務官僚達が揃って絶句した。
 対して発言者を筆頭とする軍部の高官達は、人の悪い笑みを浮かべながら、相手の顔色が変わっていく様を、じっくりと楽しんでいる。
 榊が人選に気を使い、反枢木の色が無い者のみを連れてきたのが、モロに影響する形となり、この場での空気は、一転、外務対国防へとシフトチェンジしつつあるようだ。

 軍事は外交の一形態、それも最も愚かで泥臭い―――などと、常日頃から公言していた外務官僚達に対し、痛烈な一矢報いた事に軍人達は大いに溜飲を下げる。
 外務省の無為無策により大陸での補給路を統一中華に握られた結果、荷抜きや横流しの横行に大陸派遣軍は苦渋を舐め続けており、本土に対する怒声混じりの上申に、日々、頭を悩ませていた彼らにしてみれば、エリート面した連中が間抜けを曝す様は、痛快としか言い様が無かったのだ。

 対して、言われた側にして見れば、謂われない誹謗としか受けとれない。
 元々、一企業が国家連合の仲介を務めるなどという事自体が非常識で、外交上有り得ない筈の奇策なのだ。
 少なくとも、彼らがこれまで行ってきた外交から見れば、想像も出来ない暴挙としか言い様が無い。
 それを出し抜かれたなどと、あげつらわれる事自体が不本意極まりなかった。

 そんな彼らの中での『常識』に従い、反論しようとした外務官僚達の機先を鋭い一声が制する。

「不毛な真似は止めたまえ!
 ここは、南亜細亜連合の発足を受け、今後、帝国がどう動くべきかを話し合う場だ」
「ハッ、失言でした」
「「「…………」」」

 言い合いに割って入った榊に対し、くだんの高級将校は素直に頭を下げるが、忌々しげにそれを睨みつけていた外務官僚達は、詫びの一つも口にせず無言のまま視線を逸らす。
 一連の事態に為すすべも無く冷や汗を流すだけの外務大臣の面を、榊の冷厳な眼差しが撃ち抜いた。
 注がれる無言の圧力に真っ青になりながら、それでも官僚達をたしなめない大臣を、鋭い視線で見据えていた榊は、やがて失望の吐息を吐いて視線を外す。
 長々とした安堵の溜息が、彼の鼓膜に届くが、最早その意識にまでは届かなかった。
 既に完全に見限った男を黙殺し、榊はこれからの事に思考を集約していく。

『南亜細亜連合自体は、承認せざるを得んだろう。
 むしろ帝国と彼の地域の今後の関係を鑑みれば、ここは積極的に支持すべきだ。
 それに不本意ではあるが現在の情勢を考慮するなら、軍部の言う通り、東南アジア地域の防衛負担が減るのは大きい』

 いずれにせよ帝国が、現在の国力・戦力を維持し続ける為には、豊富な資源を有する東南アジアとの緊密な関係の維持は必須である。
 ここで無用の嘴を挟み、東南アジア諸国の反感を買うよりも、積極的にこちらから支持を表明した方がメリットが大きい―――と榊は判断した。

 唯一、不安材料を挙げるとすれば、連合発足の立役者と目される枢木の腹の内だろう。
 正直、現在のところ帝国と枢木の関係は、お世辞にも良好とは言えなかった。
 先のアヴァロン計画末期の不始末を考えても、先方が現日本政府――特に責任放棄に走った外務省に好意的であるべき理由など何処にも無い。
 それに不始末の張本人である大使は、あの後、密やかに召還され、そのまま退官に追い込まれてはいたが、表向きには何の処罰も受ける事無く、今は優雅な年金暮らしに入っている事も拙いと言えば拙かった。

 一旦は、事を表沙汰にして一罰百戒の見せしめにしようとした榊であったが、仮にも国連大使ともあろう者が、ハニトラに引っ掛かった挙句、自国企業の権益を他国の言いなりになってご破算にしようとしたなどと、余りにも外聞が悪過ぎた為、事が公になれば日本帝国の面目に決して拭えぬ泥を塗る事になるという外務省の主張に押し負け、お茶を濁す形で事を納めてしまったのである。
 今にして思えば彼らしくない失策ではあったが、他企業の国外での活動にも影響を及ぼすとまで強硬に主張されると、どうしても最後の一歩が踏み込めなかったのだ。

『きっちりと詰め腹を切らせておくべきだった。
 そうすれば、少なくとも帝国政府の意思では無かったと主張も出来たのだがな……』

 今更と思いながらも、榊は胸中で嘆息した。
 自身が首相であったなら、自ずと別の対応も有り得たのだが、一閣僚の身では出来る事にも限界があり、それでも強行し過ぎれば単なる面当て程度の思惑で馬鹿な事をされかねない。
 その辺りの見極めが着かなかったが故の失態ではあるが、最早、どうしようもなかった。

『この上は、枢木に正式に詫びを入れ、連合との仲立ちを依頼するのが得策か?』

 ――小細工を弄したところで意味が無い。
 ――非がこちらにある以上、素直に頭を下げて、助力を請う勇気こそが肝要。

 と、そこまで思考を推し進めた榊の聴覚を、不愉快な声が掻き乱した。

「――とにかく何としても、連合が軌道に乗るのは阻止すべきです。
 我が省が、彼の地で築き上げてきた影響力をフルに活用すれば、ポッと出の連合如き卵の殻を踏み潰すより容易く叩き潰せます!」

 榊の眉間に太い皺が寄った。
 滲み出る怒気に、脇に座っていた軍高官が、ギョッとした表情で腰を浮かしかけるが、『演説』に熱中している外務次官は、気付く事無く熱弁を揮い続ける。

「今ならまだ間に合います!
 何としても、連合を称する連中を叩き、彼の地での我が国の影響力を死守すべきです!」

 彼ら――外務省からすれば、焦りもあったのだろう。

 元々、外交下手には定評がある日本人。
 他国の後塵を拝し、或いは煮え湯を飲まされる事も少なくない彼ら外務官僚にしてみれば、相対的に圧倒的な国力からアジアの盟主的立ち位置にあった自国の地位が、この地域で低下する事など受け入れられないとの思いも、少なからずあった筈である。
 ましてや、それが自身の失態のツケとあらば、その思いはより一層、深く強くなるのも想像に難くはなかった。

 だがそれは、この場合、とんでもない悪手である。

 新たに誕生した国家連合は、人口だけでも数億を数え、豊富な地下資源と未だ肥沃な大地を有しているのだ。
 また今後、軍事に続き経済統合も進んでいくなら市場としても魅力的であり、貿易により国を成り立たせている帝国にしてみれば、是非とも誼を通じておくべき相手なのである。
 そんな相手に、生誕祝いの品ではなく、呪いの品を送りつけるような真似をすれば、どんな結果になるか………

 火を見るよりも明らかな結末―――なのに、それを見ない。 見ようともしない頑迷さに榊の堪忍袋の緒が切れる。

 次の瞬間、議事堂内の会議室に特大の雷が轟き渡った。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 九月四日 アラスカ ――



 帝都同様、この極北の地においても、遥か南方で起きた激震の余波は、遍く影響を及ばしていた。
 事態の発生より一日が過ぎ、詳細の把握が終わった今、この場には政軍の要職にある者達が顔を突き合わせている。

 無論、議題は言わずと知れた事。

「……なんという事だ。
 想定外にも程があるぞ!」

 苦虫をまとめて噛み潰したような渋い顔で、高価なスーツを纏った党幹部の一人が、忌々しげに吐き捨てた。
 その隣に座る痩せた男は、神経質そうな眼差しを情報関係の担当者へと向けて冷たく問い質す。

「監視を付けていたのではなかったのかね?」
「…………」
「――まんまと出し抜かれた訳だ」

 返らぬ返事に、苛立たしそうな別の声が重なった。
 幾人かの現場責任者が、気まずそうに視線を逸らす中、党のお歴々の一人が皮肉混じりに脅し文句を口にする。

「シベリアでは、人手が幾らあっても足らんそうだ。
 みんなBETA共に、喰われててしまうからな」

 眼前の高級軍人、あるいは情報部の者達の顔色が、揃って青褪めた。
 以前、枢木相手に謀略を仕掛け、結果、良い様に利用された連中の末路を知っているが故である。

 不穏な空気が、その場に立ち込める中、いま吊るし上げられている面々の上司に当る幹部の一人が、窘めるように助け舟を出した。

「責任の擦り付け合いをしている場合か?」
「問題の明確化と原因の改善を求めているだけだ」

 自身のターンに水を注され、やや不愉快げな色を見せた男。
 その耳元で、割って入った幹部が何事かを囁いた。
 微かに漏れ聞こえた『枢木』という音と共に、言われた側の顔色が僅かに変わるが、言った方にも弱みは有る。
 色々と枢木絡みで脛に傷持つ者が、上層部にも増えつつある昨今、両者は痛み分けといった風情で互いに顔を背けた。

 わずかに空気が弛緩し、その間隙を縫うように経済官僚の一人が口を開く。

「不幸中の幸いと言うべきか、元々、東南アジア地域における我が国の兵器シェアは高くはありません。
 本年度の外貨獲得計画には致命的な支障はでないでしょうが、全く無いと言えない以上、相応の損失は発生するものと思われます」

 そう言って伺うような視線に、この場での最上位者である老齢の男が軽く手を振って許しを返す。

「その辺りは構うまい。
 今の時代、兵器の買い手に困ることは無いのだからな。 問題は………」
「……『スワラージ作戦』」

 ――場に沈黙の帳が落ちた。

 政治的にも、外交的にも大国としての意地と面子が掛かった第三計画(ALV)
 その中止と第四計画(ALW)への移行が濃厚になりつつある現在、問題を打破する為、研究の成果を無理矢理にでも出す事を目論んで、乾坤一擲のハイヴ攻略作戦を発起させようとしていた彼らにとって、最有力候補地であったボパールを領土とするインドが加わった大規模地域連合は、邪魔以外の何物でも無かった。
 国連の場で、数に物を言わせてゴネられては、バンクーバー協定という錦の御旗が有っても、色々と具合の悪い事が出てくるだろう。

 資料に眼を通していた陸軍の将軍が、苛立ちを隠しつつ問い質す。

「なんとか切り崩せんのか?
 構成国を見る限り、我が国の同志も含まれている様だが……」

 少なからぬ期待が込められたその問いに、情報部門の人間が、苦渋に塗れた表情を浮かべた。
 暫しの無言のやり取りの末、貧乏クジを引かされたらしい男が、重い口を開く。

「現在、各国の大使館を含め、表裏のルート全てを使い、工作を開始しております……ですが………その……」
「発言は明確にしたまえ!
 出来んと言うなら、別の者に代われ」

 歯切れの悪い口調に、イライラを抑えかねた幹部の一人が、言葉の鞭を振るった。
 粛清を暗示するセリフに、発言者の背に電流が走る。

「ハッ、申し訳ありません!」

 真っ青になりつつ、緊張の極みに到った男は、一息だけ呼吸を整えると、それまでの躊躇いが嘘のような勢いで告白する。

「表裏問わず、各国の同志達が排除されつつあります!」

 驚愕が、場の空気を攪拌した。
 思わず顔を見合わせる姿が、随所で生まれる中、幹部達がその胸中を無意識に口にする。

「馬鹿な!」
「そう易々と、狩り出される筈があるまい!」

 連なる否定の言葉。
 矢面に立つ事になった運の悪い男は、吹き付ける驚きと怒りに気圧される自身を鼓舞するように叫び返した。

「ですが事実ですっ!!」

 場に沈黙が満ちた。
 どこか張り詰めた空気の中、もはやヤケクソの境地に到った男の声が滔々と響いていく。

「スキャンダルや汚職による失脚、病死、事故死、原因は様々ありますが、各国における同志達が次々と無力化されているのを確認しております」

 そこまで言い切ると、荒くなった呼吸を整えつつ腰を下ろす。
 震える手で、目前にあるコップの中の水を一気に飲み干す男を他所に、徐々に我に返りつつある一同の内から、呻きにも似た呟きが零れた。

「……馬鹿な……」

 この国が営々と培ってきたネットワークが、いとも容易く掘り起こされていく現実に驚きと怒りを覚える面々の耳を、ようやく落ちつきを取り戻した男の声が打つ。

「こちらから警護を出す事も検討しておりますが、すぐさま動かせる駒が少なく……」

 語尾の切れた言葉。
 だが、今度はそれを咎める声は起こらない。
 そんな余裕は、既に失われていた。

 いま確かめるべきなのは―――

「もし、いま残っている同志達を確保出来たとして、連合の切り崩しは可能なのか?」
「正直なところ難しいかと。
 影響力の高い者が、優先的に排除されている為、残存勢力を死守出来たとしても、恐らく不可能と判断しております」

 ざわめきが、波紋の様に広がっていく。
 方々で交わされる会話は、酷く不明瞭で、それ故に、人の不安を煽り立てるものだった。
 善後策を求めつつ、収拾がつかなくなるという矛盾した空気の中、重々しい声が響く

「……止むを得んな」

 何かを割り切り、切り捨てる声。
 そんな印象を与える声の主――党書記を務める最上位者の老人が、炯炯とした眼差しを情報部の面々に注ぎつつ命令を下す。

「動かせる駒を使い、同志達の保護を行え。
 但し、生き残ったとしても、連合内の切り崩しを行わせる必要は無い」

 ――今後の為の手札として残す。

 暗に告げられた判断を含めた命令に、手足達は一も二も無く頷くが、中には血の巡りに悪い者も居たらしい。

「しかし、それでは連合への対処が……」

 そこまで言ったところで、発言者は言い淀む。
 自身に注がれる冷たい視線に気付いたからだ。

 それから逃れる様に、身を縮こまらせた愚か者を、まるで路傍の石でも見るかのような眼差しで見下した老人は、視線を転じるや一同に向けて宣言する。

「『スワラージ作戦』の件については、バンクーバー協定を楯にして押し切る。
 いざとなれば、オルタネイティヴ権限を発動するだけだ」

 強引なまでの力技の行使。
 だが、そちらの方が、この国にはあっていたらしい。
 どこか生き生きとし出した面々が、連なるように献策を口にし始めた。

「中華にも話を通しておきましょう」
「米英は無理でも、仏には付け込む隙があるかもしれません」
「日豪はどうする?」
「拒否権の無い名前だけ理事国など無視して構わんだろ」
「確かに、それに先の例を見る限り、日本を気にする必要はあるまい」

 停滞していた座の空気が、一気に動き出す。
 明確な方向性を与えられ流れ出したソレ等を、ジッと見定めていた党書記が、最後に一同の空気を引き締める様に叱咤の言葉を口にした。

「何としても『スワラージ作戦』を発動させねばならん!
 我等の偉大なる祖国の名誉の為に、そして我が国の優秀性を世界に知らしめる為にも、必ずだ!」

 低く冷たい空気を纏ったその一声に、一同は弾かれた様に同意を示した。

 この謀略が、未達成に終わった時の事など、誰も考えはしない。
 その時、自身とその周囲に降りかかるであろう災厄を、頭の隅に蹴飛ばしながら、何としても事態の打開を図るべく彼らは動き出した。



 ………既に、王手詰み(チェックメイト)に成っている事にすら、気付く事無く。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 九月六日 帝都・枢木邸 ――



 白い障子を越えて射す秋の夕日が、室内を赤く染める中、篁唯依は両手に抱え込んだソレを抱きしめながら寂しそうに呟く。

「……今日もお出掛け……」

 昨日も、一昨日も、その前も、と小さな桜色の唇が呟きを漏らす。

 もう一週間近くルルーシュと顔を会わせていない唯依は、愛らしい唇を尖らせながら、この場に居ない部屋の主へと不満をぶつけた。

「唯依は寂しいです……ルル兄様……」

 懐に抱く枕をギュッと抱きしめる。
 微かに残る兄の匂いを感じ、わずかに相好を崩した唯依は、ここ暫らくあちこちを飛び回り、自分の事を全く構ってくれない不実な兄の事を思う。

 彼とその腹心達が、何らかの明確な意図を持って、動き続けているのが分からぬ程、少女は不明ではなかった。
 だからこそ、放置されている寂しさにも耐える事が出来る――否、出来ていたと言うべきか?
 大分、雲行きが怪しくなってきた様子を散見させながら、抱きしめた枕に顔を埋めた唯依は、その意図を知りたいという欲求のままに、ルルーシュの思惑が何処にあるのかを考えた。

 ……考えてみたのだが、今の彼女には、その胸中を忖度する事など出来そうに無かった。

「……ふぅ……」

 小さな溜息が漏れた。

 少女の通う学び舎での兄の評価は、正直なところ宜しくない。
 売国奴と罵る声も、時たま耳にする程だった。

 もっとも、そんな輩は懇切丁寧に論破するのが、少女の常ではあるのだが――

 正直、その全てが紋切り型の主張しかしない程度の輩であり、モノの十分も言い合えば、もう涙目になって何も言えなくなってしまうというのも、やはり常であった。
 その優れた容姿と由緒ある家柄から、入学当初は高嶺の花であった彼女が、今ではアンタッチャブルな存在として扱われているのも、繰り返された舌戦と完勝続き(パーフェクト)な戦歴故である。

 まあ結局の処、世界的に見ても優れた技術を有する枢木が、それを帝国だけの為に使わない事が気に入らないという何とも器量の小さな小人の妬みと嫉み――そんな親の意識を、そのまま受け継いでいるだけの輩に、色々と……本当に色々と揉まれて逞しくなっている唯依が言い負ける筈もなかったのだ。

 とは言えである――

「困ったものです……本当に……」

 誰とも無く呟きが漏れる。

 先の南亜細亜連合設立の会見は、帝国にも大きな衝撃となって伝わり、予想される帝国の権威失墜に、反枢木のマスコミは起死回生の好機とばかりに、こぞって非難の声を上げていた。
 またぞろ学び舎の内でも、不愉快な声が聞こえる様になるのも確実だろう。

「憂鬱です……」

 また一つ溜息が零れ落ちた。

 残念ながら、それらの誹謗中傷をアッサリと聞き流せるほど、自身が出来た存在ではないという自覚はある。
 無論、舌戦で負ける気はサラサラ無く、更に、それ以上の事態になったとしても、やはり負ける気遣いは無かった。
 伊達に日々弛まぬ修練を繰り返し、どう考えても非常識としか言い様の無い女傑に、玩具にされている訳でも無い。
 自身の技量・精神共に、同年代の中では突き抜けているとの認識がある唯依にしてみれば、その辺りの事は案ずるに足らぬ些事だった。

 そう、問題は別の点にある。

「……ううっ……また(こわ)い女との陰口が……」

 事実上、校内において不可侵の存在となった少女にも、色々と気苦労の種はある様だった。
 そうやって、悶々と予想される未来に煩悶している唯依の背後より、不意に白い腕が二本、ヌッとばかりに差し出される。

 ルルーシュの枕を抱き締める唯依の小さな身体を、すっぽりと抱きかかえる腕。
 白く柔らかな女性のソレを、ジト目で見下ろした少女は、もう一度溜息を零す。

「……はぁぁ……それで、何か御用ですか?」

 私は大人、私は大人―――と薄い胸中で呟きながら、振り返りもせず、態度を以って無作法に対する控えめな抗議を口にする唯依。
 そんな少女の頭上から、つまらなそうな声が降って来る。

「ううっ……唯依ちゃんがスレちゃった。
 どこで教育を間違えたのかしら……うっ……うぅうっ……」

 空々しい嘘泣きまでしてみせる美女に、唯依はもう一度、疲れた溜息を漏らした。
 対して、素っ気無さ過ぎる少女の反応に、真理亜は不満げに口元を尖らせる。

「つまらないわね。
 つまらないわよ。
 嗚呼、昔の純真な唯依ちゃんは、どこへ行っちゃったのかしら?」
「……叔母様が、毎回、毎回、唯依をからかうのが悪いのですっ!」

 大人過ぎる息子の代わりに、愛でてきた少女の反応が、とても面白くないと主張するこの家の主に対し、成長せざるを得なかった当の本人の反撃が打ち返された。
 事有る毎にからかわれれば、スレもすると主張する彼女の姿に、真理亜は面白そうに笑みを浮かべる。

「あららぁ?
 ダメよ他人の所為にしちゃ」
「全部! 完全にっ! 間違いなく叔母様の所為です!!」

 ………と、案外簡単に崩れる大人な唯依の顔だった。

 そうしてゼイゼイと息を荒くしながら真理亜を睨む唯依。
 対して、こちらは余裕綽々のまま抱き枕よろしく唯依を抱きかかえた真理亜は、ややストレスが溜まり気味な少女へと手を差し伸べた。

「……色々と知りたい事があるみたいね?」
「………」
「分かる範囲で良いなら、教えて上げてもいいのよ?」
「――っ!?」

 無言を貫き反抗の意志を示していた少女を取り巻く壁が崩れた。
 思わず振り仰ぐ視線の先に、チシャ猫めいた笑みを浮かべた真理亜の美貌が映る。

 数瞬の沈黙が、唯依の逡巡を示す。
 聞きたい、知りたい――そんな衝動が、彼女の中で抑え切れぬ程、膨らんでいった。

「………教えて下さい。
 ルル兄様が、何を考えているのか。
 何をしようとしているのか……唯依は、それを知りたいです」

 か細い声が、それでも必死の色を湛えて真理亜へと向けられた。

 何も知らぬという不安を抱えて過ごすのは、やはり辛い。
 兄の事を信じていても、周りからの騒音に心乱れる事もあり、そんな自分が嫌になることも有った。

 真摯な願いを湛えた唯依の眼を、真っ直ぐに見下ろす双眸から、悪戯っぽい光が消える。

「そう……なら教えてあげる」

 真理亜の声音から、おどけた色が抜けた。
 膝の上に抱きかかえていた唯依を畳の上に降ろすと、姿勢を正して真正面から向かい合う。
 珍しく、本当に珍しく真面目な態度を取る叔母の姿に、唯依も思わず正座してしまい、息を殺して続く言葉に耳を傾けた。

「さて、それでは現在の情勢から、おさらいしましょうか?」

 紅を引いた唇が、一瞬だけ寂しげな笑みを刻むと、ゆっくりと動き出した。



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―― 西暦一九九一年 九月六日 帝都・煌武院邸 ――



 連合結成の余波による帝国政府内部の混乱状況を語り終え、榊は言葉を切る。
 彼の眼前に座し、報告にジッと耳を傾けていた少女―――煌武院悠陽は、しばしの間、自身の中で告げられた情報を咀嚼すると、躊躇い混じりの問いを放った。

「……それで結局、帝国としての方針はどの様に?」
「当面は静観、という事になりました。
 南亜細亜連合結成については、早急な支持も不支持も表明せず、各国の動静を見極めてから帝国の方針を示すとの事です」

 細く優美な眉が寄った。
 そんな悠陽の変化を受けた様に、右脇に座す月詠真耶の表情も目に見えて険しくなる。
 座に不満と不安の空気が満ち、それを押し退ける様に悠陽が静かな口調で意見を述べる。

「それでは遅いのでは?
 他国の尻馬に乗った処で、何の意味も無いでしょう」
「……そうですな。
 確かに、悠陽様の仰る通りです」

 榊の眉間に太い皺が寄る。
 それが彼の苦衷の程を、如実に示していた。

 彼自身としては、何としても早期に誼を通じたかったのだが、面子に拘る外務省の必死の抵抗がソレを阻んだのである。
 如何に力有る政治家であれ、国防相という自身の立場から、外交分野でゴリ押しするのは難しく、結局、無念の涙を呑んだのだった。

 そんな榊の苦境を見通したのか、労わるような視線を送っていた悠陽は、その眼をもう一人へと向けなおす。

「萩閣、軍の方針は如何に?」
「ハッ、帝国軍としましては、東南アジアにおける防衛の分担について、可能な限り早く連合の担当者と擦り合わせを行いたいと考えております……」

 そこで一瞬、彩峰の視線が榊と交差した。
 無言で頷く榊に、彩峰も軽く目礼を返して先を続ける。

「……ですが、榊大臣が言われた通り、政府の方針が静観と定まった以上、軍部としても迂闊には動けません」

 軍部の暴走などと言われ、批判や摩擦を起こすのは避けたい。
 言外に、そう告げる彩峰に、悠陽は気遣わしげな溜息を吐いた。

 少女は、未だ何も為せぬ我が身を、情けなく思い臍を噛む。
 もし、もしもこの身が、将軍であったなら、例えお飾りとはいえ何某か事が出来たのではないのかと。

 そんな少女の葛藤をジッと見定めていたのか、悠陽の左脇に座する巨漢が、彼女が言いたくても言えなかった言葉を口にした。

「それでは機を逸するのではないか?
 連合の立場が固まってしまえば、最悪、帝国との協調を不要と見做す意見も出よう」

 政治・軍事ともに、巧緻でなく拙速が必要ではないのかと、紅蓮が問い質す。
 無論、本来の役職――斯衛軍少将としての立場を考えるなら、越権行為とも取れる発言ではあったが、この場では自由な発言をこそ望んでいる主君の意向とその胸中を汲んでの事だ。
 そして、その辺りは、榊・彩峰共に弁えており、特に反発を見せる事も無く紅蓮の問いを肯定する。

「確かに、その通りです。
 誕生間も無い連合としては、政治的な後ろ盾――自身を肯定してくれる存在を求めています。
 ここで我が国が、率先して支持を表明すれば、これまでの友好関係も加味して、更に緊密な関係を構築する事も出来る筈です」

 そこで一旦言葉を切ると、饗された茶を一口呑んで喉を潤した榊は、やや苦笑混じりに先を続ける。

「……ましてや、ソ連と中国が、連合結成に否定的見解を表明している今、下世話な言い方になりますが恩の売り時と言えるでしょう」

 連合結成後、真っ先に出されたのが両国の共同声明だった。

 曰く―――人類存亡の危急の時、覇権主義的地域連合の結成など言語道断、これは人類社会全体に対する許し難い犯罪行為であり、速やかに全てを白紙に戻すべきである―――と。

 聞く者が聞けば、どの口で言うかと激怒しそうな、否、実際に各国から非難の声がチラホラと上がり始めている曰く付きの代物であるが、国際社会において公式に上げられた最初の声明が、連合の存在を否定する物であるというのは、関係者にとっては些か具合が悪い筈だ。
 ここで帝国が、連合を支持する声明を公式に出せば、今後の外交関係が明るいものとなるのは確実だったのである。

 だったのであるが、しかし……

「……だが、現実問題として政府は動かない、か。
 事が収まった時、逆に反感を買うのではないか?」

 苦しい時の助力に、感謝の念を抱くのは、ごく普通の感情の動きだ。
 逆に苦しい時に、それまで友人と思っていた相手が、そっぽを向けばどうなるかは、自明の理だろう。

 紅蓮当人は、武人であり軍人である以上、政治や外交への造詣は、さほど深くはない。
 だが、その彼の眼から見ても、今回の帝国政府の決定は、悪手という感が拭えなかった。
 そしてそれを、最も切実に感じ、且つ、理解しているのは……

「……力及ばず、面目無い限りです」

 無念の思いに唇を噛み締め、頭を下げて詫びる。
 そんな榊に対して、労わるような口調の声が掛けられた。

「是親、頭を下げる必要はありません。
 そなたに非があるとは、到底、思えません」
「はっ!」

 悠陽へと短い応えが返される。
 だが、下げられた頭が上がる事はなかった。
 自責の念に囚われた男を、痛ましそうに見ていた少女は、耐えられなくなったのか、この場に居る最後の一人へと水を向ける。

「鎧衣?」
「こちらからも色々と探りを入れてはいるのですが、いやはや何とも堅いガードです」
「そうですか……」

 この不敵な男には珍しい弱音に、幼いながらも整った顔が更に曇った。
 彼の人物が、如何に力を入れて今回の事に臨んでいるのかを、間接的に証明するソレに、暗澹たる気分を抱く。
 そんな悠陽に向けて、言い淀むような声が掛けられた。

「ですが、一つ気になる事が……」

 全員の視線が弾かれた様に動き、発言者へと集中する。
 頭を下げ続けていた榊ですら、反応する程の真剣さが、そこに宿っていたのだ。

 注がれる視線の集中砲火の中、鎧衣は渋い表情のまま先を続ける。

「連合加盟国内の連合反対派が、次々に失脚、或いは消されている様です」

 『誰』が、とは言わない。
 『誰』に、とも問わない。

 この場に居る全ての者が、皮肉気な笑みを浮かべた少年の顔を思い浮かべる中、榊が苦い口調で問い質す。

「……騒ぎにはなっていないのかね?」
「連合内のマスコミは、政府には逆らえません。
 国外の有力な処は、別件――国家機密とされた戦術機の生産拠点を追う方に気を取られているようです」

 そう言って肩を竦める鎧衣に、一同が顔を見合わせる。
 鎧衣の言で、先の会見での無用な挑発の意味が、ようやく読めたからだ。
 そして口先一つ、態度一つで、世界を欺き望むままに動かす彼の有り様に、ゾッと背筋を寒くする。

 そして、それ故に――

「遠からず気付くでしょうが、恐らくは、手遅れになった後でしょうな」

 まるで手品師の右手ですな―――苦笑しながら、そう結んだ鎧衣に、一同は渋い顔を浮かべるしかない。
 鎧衣が評したように、まるで手品か詐術に掛かった様な気分だった。
 良い様に誘導され、踊らされている自身の無能さに、皆が皆、胸中で頭を抱える。

 そんな中、いち早く立ち直った悠陽は、小さな溜息と共に呟いた。

「そうですか……」

 憂い顔で、天井へと向けられた視線。
 だが、それが映すモノはそこには無い。
 ここには居ない何かを、誰かを思って、今一度、高貴な少女は嘆息した。

 ―――余りにも、遠過ぎる。

 彼我の差を思い、挫けそうになる心を支えながら、悠陽は歯を食い縛る。
 それでも、決して挫けまいぞ、と。

 そうやって、萎えかける心を奮い立たせて誓う少女を、心苦しいそうに見守っていた一同の内、未だ近侍見習いという立場から沈黙を守っていた真耶が、耐えかねたように声を発した。

「悠陽様、私がアヤツの心底を見極めて参ります!」
「月詠?」

 突然の発言に、眼を白黒させる悠陽。
 そんな主君に向かい、真耶は必死の形相のまま言い募る。

「此度の一件、その根は全て、あの男に繋がっているのは明白。
 ならば、アヤツの――枢木の思惑を、見定める事こそ肝要かと」

 ――このまま振り回され続けて終われない。
 ――否、終わらせられない。

 そんな焦燥にも似た思いを抱えながら、真耶は畳に額をこすり付けんばかりに平伏し、請い願う。

「どうか! どうかっ!
 私めに、お命じ下さい」

 ――枢木の真意を問え、そしてそれが帝国に仇なす事なら………斬れ、と。

 そう懇願する忠臣を見下ろしながら、悠陽は一旦、静かに眼を閉ざし、暫し後、再び開いた。

「その必要はありません」
「悠陽様っ!?」

 告げられた一言に、悲鳴混じりの少女の声が上がった。
 だが、それすらも押し潰すような凜とした声音が、その場の隅々まで響く。

「控えなさい」

 反論を許さぬ声。
 静かな、それでいて気迫に満ちた一声が、興奮し切っていた真耶の耳朶を打つ。
 彼女の頭から、昇っていた血が一斉に引いていった。

「アッ!………はっ!」

 主の逆鱗に触れたと思ったのだろう。
 一転して縮こまる少女に、今度は柔らかな口調で悠陽は話しかける。

「………以前、私はあの方に言われました。
 『お前が、その荷を背負う限り、我等の道が交わる事は無い』と……」

 どこか誰かを懐かしむ様な声と表情は、聞くもの全てを惹き付ける。
 水を打ったような静けさの中、悠陽の独白のみが響いていった。

「もし、貴女を行かせれば、きっと嗤われる事でしょう。
 あの方が言われた事を、まるで理解していなかったのかと……」

 もはや関わらぬ。
 そう明言した相手に使者を出す。

 きっと嗤う事だろう。
 覚悟が足りぬと。
 あの時の選択は、何だったのかと。

 それは……

「私にも意地があります。
 あの方の慈悲には縋れません」

 ……それは、悠陽にとって、決して許容出来ぬ事。
 自ら立つ事を望んだ彼女にとって、決して取れない、取ってはならぬ選択。

 だからこそ、悠陽は拒むのだ。

 今は届かずとも、いつの日かきっと、対等な位置に立ってみせる。
 その決意の為にも、今は……

 そんな主君の覚悟を前に、真耶は己の身を恥じた。
 この場から溶けて消えてしまいたくなる様な羞恥に身を焦がしながら、振り絞るような口調で詫びの言葉を口にする。

「……申し訳ありませんでした。
 この身の浅慮を、お許し下さい」

 真っ赤になりながら額づく真耶。
 それを見下ろしていた悠陽は、赦しを与えるように静かに頷くや、一転、凛然とした表情を崩し、歳相応の少女らしい悪戯っぽい顔を浮かべて見せた。
 そして、そのまま真耶の耳元に寄せられた唇が、とても楽しそうに動く。

「………でも真耶さんが、個人的に、一人の乙女として、あの方の処に行かれるのを咎めるつもりはありませんから安心して下さい」

 真耶の血が、再び沸騰した。
 狼狽し切った声が、硬質な美貌の一部を象る口元から零れ落ちる。

「ゆ、悠陽様!?
 ま、また、そ、そ、そのような、おた、お戯れを!」

 別の意味で真っ赤になり、別の意味で絶叫する美少女。
 そんな自身の忠臣の姿に、悠陽は鈴を鳴らすような声で、コロコロと笑う。
 少し前まで場を覆っていた重苦しい空気は、もはや欠片も残っていなかった。

 一方、そうやって、じゃれ合う幼い主従を、微笑ましげに眺めていた大人達は、示し合わせたように目配せを交し合う。

 悠陽の矜持は尊い。
 そしてそれは、帝国の象徴たる者に欠くべからざる資質でもある。

 だが、国を預かる立場からすると、枢木の真意を知らずに済ます訳にも行かなかった。
 だからこそ彼等は、無言の連携の下、自身が泥を被る事を選択する。

 ――混沌と混乱の嵐の目、枢木ルルーシュの真意を見定め、場合によっては、その手で討ち果たす事を。



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―― 西暦一九九一年 九月十五日 帝都・枢木邸 ――



「お帰りなさいませ。 ルル兄様」

 明かりが落とされていた自室。
 そこで三つ指ついた姿勢のまま、そう告げた妹の姿に、ルルーシュの明敏過ぎる思考も、一瞬だけフリーズする。

 だが、数多くのイレギュラーを切り抜けてきた経験からか、素早く立て直しを図った少年は、わずかな動揺の色を残しつつも、この不意打ちへの苦情を口にした。

「……ここは、オレの部屋だったと思うが?」
「間違いなく兄様のお部屋です。
 さぁ、どうぞお入り下さい」

 対して、どちらが部屋の主か判別不能なセリフを口にしつつ、顔を上げる唯依。
 その瞬間、ルルーシュの頬が、再び微妙に引き攣った。

「……ああ………」

 無意識の内に敷居を跨ぎつつも、動揺の残滓が、少年の反応を鈍らせる。
 対称的に少女は、しげしげと注がれる無遠慮な視線にも、物怖じする素振りも見せず、未だ平坦な胸を誇らしげに張っていた。

 生来の整った容姿と相まって、山吹をあしらった着物がとても良く似合っている。
 長ずればきっと多くの者の眼を惹く器量良しとして、やがては良き夫を得、幸せな妻、或いは母としての生を全う出来るだろう――とルルーシュは、止め処なく思った。否、思っていた。

『しかし、これは……』

 少年の胸中に、呆れにも似た感情が湧き起こる。
 毅然とした表情のまま、綺麗な正座を崩す事無く自身を見上げる唯依。

 ………だが、しかし。

『タスキがけに鉢巻……流石に……な……』

 あまりと言えばあまりな妹分の格好に、一体どこに討ち入りに行く気だと尋ねたくなる衝動を抑えつつ、ルルーシュは口を開いた。

「もう夜ではあるし、話があるなら明日聞こう。
 今夜は、もう部屋に戻って休むが良い」

 宥めるような口調。
 何故か怒っているらしい妹分の怒りを鎮めようとした彼の配慮に、冷然たる声が牙を剥く。

「叔母様から話を聞きました……」

 彼と同じ紫の双眸に、鋭い光が宿る。
 一切の嘘、隠し事を認めないとでも言うかの様なその輝きを前に、少年は冷や汗を掻いた。

 ――また母上か?

 そう心中で呟きながら、頭を抱えるルルーシュ。
 今度は何を吹き込んだと、密かに憤りかけた彼の頭に、妹の声が凍てつく冷水となってぶちまけられる。

「……兄様のお考えを、です」

 少年の脳から、怒りと熱がスッと引いた。
 ルルーシュの双眸が、一瞬だけ細くなるが、次の瞬間、まるでそれが眼の錯覚でもあったかの様に雲散霧消する。

 文字通りの一瞬、コンマ以下のわずかな間で、対応を決めた少年は、その選択のままに振舞う事を選んだのだ。

 すなわち――

「……母上が、何を言ったかしらんが、からかわれただけではないのか?」

 ――惚け通す。

 そう心に決めたルルーシュは、その見事なまでの演技力で動揺を覆い隠し、優しい作り笑いを浮かべながら唯依を宥めにかかった。
 彼の言葉を受け、見上げる少女の顔に微かな揺れが産まれる。
 そのまま俯く唯依の姿に、勝機と見たルルーシュは、更に偽りの言葉を紡いだ。

「まあ、話があると言うなら、明日にでも時間を取ろう。
 だから今日はもう――っ!?」

 このままなし崩しに、有耶無耶にしようとしていた彼の喉が、ピタリと動きを止めた。

 サラサラと背に届く黒髪が揺れている。
 小さな肩が震え、噛み殺された嗚咽が、少年の鼓膜を掻き毟った。

 ゆっくりと上げられた幼い美貌を、二筋の透明な痕が穢している光景に、ルルーシュは息を呑む。

「唯依は……唯依は、それほど頼りないですか? 信用出来ませんか?」

 激情と悲嘆に暮れる声。
 綺麗な紫の瞳一杯に溜めた涙が、とめどなくポロポロと流れていく。

「……唯依も、少しで、も兄様のお力………に成りたいので…す……」
「……唯依……」

 嗚咽に途切れ、しゃくりあげる声に、思わず抱き寄せようとしたルルーシュの手を、唯依は力一杯払った。
 見上げる双眸は、涙に濡れながらも、決して誤魔化されまいとする強い意志に輝いている。

 ルルーシュの相貌に、苦渋と歓喜の入り混じった複雑な笑みが浮かぶ。

 苦渋は、愛しい妹を苦難に巻き込む可能性への懸念から。
 そして歓喜は、妹の持つ強さと成長を感じ取ったが故に。

 諦めと安堵の吐息が、秀麗な口元から零れ落ちた。

「母上から、どの程度の事を聞いている?」

 声の質も、口調も先程と同じ。
 だがそこに篭る真摯な念。
 ルルーシュの変化を敏感に感じ取った唯依は、喜びに顔を輝かす。

 そんな妹の姿に、少年は微かに口元を綻ばせた。
 手にしたハンカチで、優しく涙を拭ってやりながら、無言のまま先を促す。

 そんな兄の思いが届いたのだろう。
 妹もまた、微かに頬を赤らめながらポツリポツリと話し出した。

 ――話し出したのだが。

 聞き進める毎に、ルルーシュの頬が頬がヒクついていく。
 そこまで話すかと叫びたくなる衝動を堪えつつも聞き進め、流石に刺激的過ぎると感じたのか、東側陣営の壊滅を狙っている等の血腥い話までは聞いていない事を知り、密かに胸を撫で下ろした。

 とはいえである……

「………子供に話すような話ではなかろうに……全くあの人は……」
「……兄様……」

 自分の年齢の事を、遠くの棚へと放り投げて愚痴を零すと、ルルーシュは、癒しを求めて唯依を抱き上げる。
 今度は唯依も抗わず、素直にされるがままに任せた。
 端整な顔を台無しにしていた険しい表情が緩む。

「許せ。 だがこれが、お前が聞くには早すぎる事は分かるだろ?」

 告げられた詫びの言葉と問い掛けに、唯依も不承不承ながらも頷く。
 兄の考えは、異端であるのは間違いないのだ。
 その視野も視点も、常人のそれではない。
 正直、ホンの少し、本当にちょっぴりだけ、唯依自身も正気を疑った程だ。

 そんな印象を裏打ちするように、少女の頭上から静謐な声が降って来る。

「オレは世界を壊し、世界を創る――世界を救う為に」

 サラリと告げられた短い宣言。
 だが、その言葉の持つ意味が、そこに込められた強靭な意志が、少女の舌を凍らせる。
 返すべき答えも、掛けるべき言葉も失い、わずかに青褪めた顔で見上げる事しか出来ない唯依を、ルルーシュはそっと抱き締めた。

「に、兄様っ!?」

 凍っていた筈の舌が溶けた。
 真っ赤になった少女の耳翼を、優しい声が柔らかく撫ぜる。

「唯依――お前は、もうオレの力になっている。
 何者にも代え難い、かけがえの無い力に、な………」

 抱き締める力が強くなる。
 腕の中の少女を締め付け過ぎない様に気を付けながらも、その身をしっかりと己の懐に収めた。

 唯依の心臓が激しく高鳴る。
 苦しくない筈の息が、荒く熱く途切れかけた。
 熱に浮かされ、ボ〜となりかけた彼女の耳に、彼の告白が届く。

「お前が、ここにこうして居てくれるだけで、オレは戦える」

 ――誰であれ、何であれ。

 言外に告げられるその言葉に、唯依の心が激しく揺らいだ――歓喜と渇望に。
 震える心のままに、少女の唇が妖しく震える。

「……ルル…兄様……」
「空を翔る鳥にも、帰るべき場所は必要だ………分かるな?」
「は……はい……」

 ルルーシュの言葉に深い喜びを覚えつつも、それでもまだ満足しきれぬ自分が何処かにいる。
 そんな自身の矛盾を無意識の内に感じ取り、唯依は戸惑いを覚えた。

 ――まだ足りない。
 ――これでは足りない。
 ――もっと、もっと、もっと!

 己の内でざわめく声。
 未だ満たされぬその声を恐れる様に、唯依は、己を抱く兄の腕をギュッと抱え込む。
 答えるように力を増す兄の腕に、唯依はホッと安堵の吐息を漏らした。

 遠ざかっていく。
 否、自身の中に沈んでいく――声。

 やがて完全に消え去ったソレ等を、無意識に記憶から消しながら、唯依は兄の腕の中、その温もりと鼓動に抱かれて、ゆっくりと眠りの園へと落ちていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 九月二十日 アラスカ・ユーコン基地 ――



「ふぅ……」

 テストを終えて帰還した機体から降りた篁は、衛士強化装備のまま戦術機ハンガに掛けられたパレットの手すりに寄り掛かり、手にしたミネラルウォーターを口にする。

 僅かな身じろぎにも軋む身体。
 そんな自身の醜態に、男は苦笑いを浮かべる。

「………鍛錬を怠ったつもりは無いのだが……やはり歳か……」

 そう呟きながら愛機を見上げた。
 極秘計画ゆえ、開発衛士の手当てもままならず、自身がその任に当たる事を選んだのを少しだけ後悔する彼の脳裏を、一つの思いが過ぎる。

 ――ここに巌谷が居てくれれば。

 そんな愚痴を胸中で呟きながら、機体に取り付き整備を開始している整備兵達を、ぼ〜っと眺めていた篁の背後から、えらく上機嫌そうな声が響いた。

「ご苦労様でした。 マサタダ」

 仕立てのいい上品なスーツをまとった男が、満足そうな笑みを浮かべて話しかけてくる。
 今回の計画の技術主任として、自ら名乗りを上げて参加してきたマクダネル・ドグラム社技術顧問を務める旧友フランク・ハイネマンだ。
 いきなりの登場に、わずかに眼を丸くする篁に対し、ハイネマン自身は実に楽しそうな口調で話しかけてくる。

「思った以上の機体だよ。
 これは弄り甲斐があるな」

 戦術機ハンガーに固定された機体――TSF-X03を見上げながら、玩具を与えられた子供の様な表情で、そう告げて来るハイネマンに、緊張していた篁の表情もわずかに緩む。

「『戦術機開発の鬼』にそう言われたと聞けば、この機体を作った技術者達も喜ぶだろうな」
「面映い限りだよ。
 私ごときを、そこまで評価されてしまうとね」

 戦術機の開発に携わる者なら知らぬ者無きビッグネームの持ち主を、篁が持ち上げると、一転、どこか嘘くさい笑みを浮かべた中年の男は、謙遜の言葉を口にした。

 そんなハイネマンの態度を見た篁の脳裏に、ルルーシュから聞いた人物評が蘇る。

『………『政治の出来るロイド』か……』

 昔からクセの強い男だったが、言われてみれば確かに合点のいく処があった。
 己の興味を満足させる事に、非常に熱心な辺りは確かに良く似ている。
 そして、色々と黒い噂が絶えない面が、『政治家』との評の理由だろうとも。

 とはいえ、既に賽は投げられたのだ。
 篁にしてみれば、ハイネマンにその才能と技術を、存分に使って貰わねばならない。
 そう言った意味では、ハイネマンがTSF-X03に興味津々な現状は、悪い事ではなかった。

 そうやって打算混じりに思考を進めていた彼の聴覚に、一つの単語が届く。

「『蜃気楼』だったか?」
「……ああ仮称ではあるが、名無しでは何かと不便だからな」

 微かな動揺を巧みに隠しつつ、ハイネマンの問いに答える。
 彼自身が、不遇な機体に付けた仮初の名でしかないが、少なくとも此処にある間は、それがTSF-X03の名となっていた。

 わずかに残る動揺の残滓を掻き消すように、篁は言葉を繋ぐ。

「現在、帝国で開発が進んでいる機体の名称候補は、『不知火』が有力らしいのでな、それに引っ掛けてみただけだ」

 不知火――八代海の怪火、その正体が漁り火の産みだす蜃気楼現象である事は、この時代では良く知られていた。

 不知火の正体、言わばその本質を示す名を与えたのは、篁なりの意地でもある。
 この機体こそが、本来の不知火なのだと暗示するのは稚気の類と思わぬ事も無かったが、彼自身はそれを押し通す事を選択したのだった。

 そんな彼の胸中を知ってか、知らずか、どこか薄い笑みを浮かべたハイネマンが口を開く。

「マサタダ、少し良いかな?」
「?……まあ多少なら……」

 テスト結果のまとめなどで、本音を言えば余りよろしくは無かったのだが、心証を悪くする事を恐れたのか、篁は小さく頷いた。
 ハイネマンの笑みが、わずかに深くなる。

「悪いね。
 それじゃ、こちらへ……」

 どう聞いても、申し訳無さそうには聞こえぬ声で告げると、そのまま背を向け歩き出す。
 わずかに目を細めた篁が、無言のままでその後に続いた。

 そのまま歩き続ける両者は、国連から貸与されたエリアの更に奥へと進んでいく。
 幾つもの階段を降り、通路を抜け、やがて三つめのエレベーターに乗った所で、不意にハイネマンが口火を切る。

「実はマサタダに、やって貰いたい事があってね」
「……やって貰いたい事?」

 意識してでは無かったのだろう。
 だが、不意に掛けられた声に、思わず警戒の色を出してしまった篁に、ハイネマンは作り笑いめいた笑みを浮かべて応じた。

「ああ、そう身構えないで欲しいな。
 それ程、厄介な話じゃないからね」

 そうやって軽い口調で話しかけられるが、篁の中の警戒心は微妙に上がる。
 歳を重ね、どこか人を不安にさせる雰囲気を放つ様になった男は、そんな篁の反応をスルリと見逃しながらニヤリと笑った。

「まあ、軽い気分転換程度に考えて欲しいんだがね。
 一つの事に集中し過ぎると、視野が狭くなるだろ?」

 そこまで言って軽い笑い声を漏らすや、一転、今までの嘘くさい笑みを収めたハイネマンは、眼鏡の縁を弄りつつ告げた。

「……とある物を使って貰い、マサタダの意見を聞きたいんだよ」

 ただそれだけの事だと、軽く、だがどこか重さを感じさせる声で話す相手に、篁の眉間が寄った。

 計画遂行の為、寝食を惜しみ任務に当る身に、任務以外の仕事を割り振られるのは迷惑との思いもある。
 だがそれ以上に、ハイネマンの口調から、聞き逃しては拙いとの直感を受けた篁は、わずかに苦味を増した声で問い直した。

「『とある物』……だと?」
「ああ、現在我が社と枢木が共同で開発中の物でね。
 ……まあ実質、枢木が開発の主体になっているんだけどね」

 そう言って苦笑を浮かべる相手に対し、篁の表情は苦味を増す。
 借りばかりが増えている相手の名が、借りを作る原因の方から出てきたのだ。
 生真面目な彼にしてみれば、無視する方が難しい。
 それ故に、相手の望み通りと承知の上で、篁はその誘いに乗った。

「枢木と……か?」
「ああ……実を言うと、『蜃気楼』の強化改修を引き受けたのも、コレの開発に枢木の協力が是非とも必要だったからなんだよ」
「……そうか……」

 自身が無理を言った対価がソレであると言外に告げられ、篁の頬が少しだけ引き攣った。
 そして同時に思う。

『断り難いな、流石に……』

 胸中に響く苦々しい呟き。
 ハイネマンの思惑通りに動かされる不快さを感じつつ、そうせざるを得ないと観念する。

 そんな篁の心中を読み取ったかの様に、ハイネマンが、ニコリと嘘くさい笑みを浮かべた。

「なに、それなりに興味をもって貰えると思っているよ」

 かすかな含み笑いが、エレベーターの中に響く。
 篁の表情が、ますます渋くなる中、わずかな浮揚感と共にエレベータが停止した。

「……オット、話している内に着いたようだ」

 白々しいと言いたくなるようなハイネマンの呟きに、篁は無言を以って対峙する。
 そんな彼の反応すら、織り込み済みと言わんばかりの様子で、開いた扉から外へと出て行く後姿に、篁は諦めの溜息を漏らして続いた。

 通路を進む足音が響く中、あちこちにセットされた防諜・防衛システムの多さに、篁は軽く目を見張る。
 明らかに、蜃気楼の置かれた区画よりも厳重な警戒に、MD社がこの先にある物を、どれ程重要視しているかが察せられた。

 そのまま五分ほど歩き続けると、厳重に封鎖された扉の前に着く。
 ここでも歩哨に立つ機械化歩兵の姿に、密かに驚きと警戒を強くする篁を他所に、ハイネマンは慣れた様子で扉のロックを解除した。

 重々しく開かれた扉の向こう。
 そこに鎮座するモノを目にした瞬間、篁の口から微かな吐息が漏れた。

「……これは……」

 吸い寄せられるように、フラフラと近づいていく。
 近くによって、それをしげしげと眺めた篁の首が弱々しく振られた。

「ライト・メアフレーム?
 いや違う……首がついているし、それに……コレは、まさかっ?」

 全高は、およそ四メートル半ほどだろうか?
 人型をしたそれは、通称『首なし』とも呼ばれる枢木の製品『ライト・メアフレーム』と同程度のサイズだったが、頭部が付いている事も含め、その造詣は大きく異なっていた。

 後頭部から背後へとせり出しているのは、センサーマストの類だろうか?
 そして、踵から後方へと延びるガッチリとした造りの突起の先には、大き目のローラーが取り付けられているのが見て取れた。
 背中から張り出すコクピットは、ライト・メアフレームと同じだが、視界確保の為、強化ガラス張りになっているあちらと違い、こちらはスーパーカーボン製と思しき頑丈そうな装甲でガッチリと覆われている。

 そして何より頑強そうな機体全体から受ける印象。
 明らかに民生機とは異なる雰囲気を醸し出しているソレに、篁の眼差しが険しくなった。

 そのまま振り返った彼を、笑顔のハイネマンが迎え撃つ。

「気付いたようだね。
 流石はマサタダ、こんな時、日本ではご慧眼というんだったかな?」
「……これは兵器なのか?」

 シレッとした口調で、心の篭らぬ世辞を口にするハイネマンを、篁は睨みつけながら問うた。
 ハイネマンの笑みが、再び深くなる。

「ああ、その通りだよ。
 現在、我が社と枢木が共同で開発中の新型機動兵器。
 戦術機と機械化歩兵の間隙を埋める人類の新たな刃――ナイトメアフレーム『YM-1 バルディ』だ」

 絶句し眼前の機体を見上げる篁。
 対して、新型機動兵器などという想像の埒外にある物を突きつけられ、混乱する男を他所に、ハイネマンは薄い青紫の機体へと歩み寄って、そっと手を触れる。

「どうだい、美しい機体だろ?
 このバルディ(YM-1)は、未だ試作機とされているけど、私の見るところ既に完成版と言っても何ら問題の無い出来栄えだよ」

 薄青紫の機体は、どこか無骨さを醸し出し、一般的な感性からすると、お世辞にも美しいとは言い難い。
 だが篁もまた、混乱しつつも、ハイネマンと同じ印象を抱いていた。

 兵器としての有り様を突き詰めた機体。

 戦術機のソレとは異なりながらも、どこか共通するソレに、技術将校としての彼の本能が共鳴していたのかもしれなかった。
 無意識の内に、擦れた声が男の喉から零れ落ちる。

「……これを枢木が?」
「ああ、快く協力してくれたよ」

 ―――キミのお陰で。

 含み笑いに続く幻聴。
 それを振り払うように篁は頭を振ると、乱れかけた思考を強引に立て直す。

「……分かった。
 それで私は、これに乗れば良いんだな?」
「ああ、是非とも。
 マサタダの評価を貰ったとなれば、御国に売り込む際に大きな箔が付くからね」

 相変わらず嘘くさい笑みを浮かべた男が応じた。
 それが流石に癇に障ったのか、篁にしては珍しい好戦的な笑みを浮かべると、これまた珍しい挑発を口にする。

「……相変わらず自信家な事だ。
 私が高評価を下すとは限らんぞ」

 ――乗るだけは乗ろう。
 ――だが、それで貸し借りは無い。

 と、言葉にはせずとも宣言する篁に対し、ハイネマンは自信満々の態で笑って見せた。

「なら、私はキミに相応しい評価をするだけさ」

 ――この機体の良さが理解出来ないなら。

 と、同じ手法でやり返す。

 両者の視線が交錯した。
 互いの思惑が複雑に絡み合い、軋みを上げる。

「――いいだろう。
 乗らせて貰おう」

 無言のまま佇む鋼の騎士のその前で、戦闘開始を告げるゴングが鳴ったのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九一年 九月二十九日 インド洋・セイロン島沖南東五百海里 ――



 本来なら、ただ茫漠たる大海原のみが続く筈のこの場所に、今は無数の人影があった。
 各地から集められた箱型の浮体構造物が次々と連結され、更にそれらは、より巨大な浮体式構造物――ギガフロートの一角へと接続されていく。
 既にして最大長四キロを超えつつあるこの巨大な人工島は、それでも足らぬとばかりに今この時も増殖を続けていた。

 そんな飽くなき成長を続けるギガフロートの一角、光線級狙撃を考慮し、高層建築物が殆ど無いこの地の中枢たる建屋内にて、いま現在、この人工島の所有者達――南亜細亜連合加盟国らが集い、会合を行っていたのである。

「……現時点での『アルカディア』建造の進捗状況は、お手元の資料にあるようにおよそ十七%、当初予定のスケジュール遅延範囲内に収まっています」

 各国の代表らを前に、人工島『アルカディア』建造の総指揮を執る青年――いや、少年の朗々たる声が響く。
 未だ十三歳とは到底思えぬ堂々たる態度と、綻びの影すら見えぬ運営に、各代表達も静かに耳を傾けていた。

「―――現在、当『アルカディア』内で二本のF-4GC生産ラインが稼働中。
 最終的な計画では、合計六本のラインが稼動する事となります」
ファントム・ジークC(F-4GC)の納品状況は?」

 告げられた最重要事項の進捗に、代表の一人が挙手して問いを放つ。
 とはいえ、何ら問題のある質問でもなかった。
 あくまでも確認事項に過ぎぬ、それに対し、見事なビジネススマイルを浮かべた少年――枢木ルルーシュは、淀みの欠片すら見せる事無く応じてみせる。

「現在、ファーストロットとして計一〇八機、一個連隊分がインド戦線向けとして準備完了し出荷が開始されています」

 そう応じながら、各人の手元の端末にデータを送る。
 現状、もっとも逼迫しているインド戦線への梃入れが、連合にとっての最優先課題である以上、これに異を唱える声も無かった。
 チラリと各代表の表情を一瞥した少年は、問題ナシとして話を続ける。

「残りも随時、数が揃い次第、予定の順番で各国向に納品される事となります」

 幾人かの代表、主にインドシナ半島の国々が満足そうに首肯した。
 現状、未だ激戦とは言えないながらも、徐々に増すBETAの圧力に大陸と地続きの国々は早急な戦力配備を必要としており、ここから供給される戦術機は宝石よりも尚、価値がある。
 それらが計画通りに進行している現状は、彼らにとって満足すべき事でもあった。

 更には――

「また、これとは別に、既存のファントム(F-4)向けのアップデートシステムも調達が進んでおり、九十二年中には現行の機種のアップデートが完了する見込みです」

 既に中東、欧州で実戦評価を受け、多大な功績を挙げつつあるアップデートシステムの開発元直々の供給は、彼らに心強さを感じさせるのに少なからず貢献している。

 こうして、『アルカディア』――当初は、『蓬莱島』と名付けられる筈であった人工島の完成度、F−4GC生産ラインの稼働状況、生産済み戦術機の配分等々につき連合加盟各国への報告と調整が進んでいった。

 そうして、ひとしきり説明を終えたルルーシュは、一旦、言葉を切ると代表達をグルリと見回す。
 特に不満等を浮かべている者が居ない事を確認すると、代表等に水を向ける。

「……何か、ご質問等は?」

 ルルーシュの呼びかけに対して、幾人かの代表がパラパラと手を上げる。
 それ等を一瞥したルルーシュは、各国間の様々な関係を脳裏に浮かべるや、どの代表の面子も潰さぬ様な順番を弾き出すと、それに従いながら代表達の質問に答えていった。
 卒の無い対応に、各代表達も揉める事無く自身の疑問を解消され、やがて質問も途絶える。

「それでは次の議題へ移ろう」

 連合議長国に選出されたインド代表が、議事の進行を促した。
 一様に頷く面々を前にし、議長が進行に則った議題を提示する。

「以前より検討されていた事ではあるが、連合にとっての暫定首都を、この『アルカディア』に置く件につき決を採らせて頂きたいと思う」

 域内統合も視野に入れた連合の顔としての首都。
 いずれの国にそれを置くかで、一度は揉めかけたところを、いずれの国にも属さない場所―――すなわち、この人工島に置く事で決着を図ったのだった。
 結果、元々は、BETAの脅威が容易に及ばぬ生産拠点として計画されたこの『アルカディア』は、その過程において当初計画よりも大幅な拡張をする破目になったのである。

 ともあれ、いずれの国でもない連合独自の首都というのは、各国にとっても妥協が図り易かったのは確かな様で、以後、この件についてはスムーズに擦り合せが完了していた。
 今回の投票も、あくまでも合議制の手順を踏む為のものであり、既に実務者レベルでの合意は終わっている為、反対意見を述べる者など居はしない。
 それでも手順の遵守を重要視している手前、議長は各代表へと意見を呼びかけた。

「最終的な投票の前に、各代表からの意見、或いは確認しておきたい事等ありましたら、ご遠慮なく発言して頂きたい」

 そう言って、しばしの間、猶予の時間を置いた。
 だが、既に議論も調整も尽くされているこの案件に、今更、チャチャを入れる程、各代表達も空気が読めない筈も無い。
 十分程過ぎて、誰からも発言を求められない事を確認した議長は、おもむろに口を開いた。

「それでは、各代表方からのご意見も無いようなので、決を採らせて頂く」

 そこで一旦言葉を切り、一拍の間を置いて告げる。

「当議案について、賛成の方は挙手を願います」

 今度は次々に上がる手、手、手。
 わざわざ数えるまでも無い、そして予定通りの結果を、議長は静かに宣告した。

「賛成多数、よって当議案は可決されました」

 万雷の拍手が巻き起こる。

 どの代表の顔にも偽りの無い笑みが浮かんだ。
 これまで小国故に、大国のエゴに翻弄され続けてきた国々が、世界を動かすプレイヤーの一人として、正式に産声を上げた瞬間である。
 この時ばかりは、皆が皆、ソレまでの確執も、利害関係も忘れて歓喜の念に包まれていった。

 それ等を見届けたルルーシュは、微かな安堵の吐息を漏らす。

 彼の推し進める封じ込め戦略における弱点の一つ。
 比較的小国が林立する東南アジア方面への梃入れはコレで成った事となり、同時にインド亜大陸の戦線の建て直しにも目処がついた訳だ。
 ボパールハイヴが邪魔ではあるが、インド亜大陸の半分も保持できれば、オリジナル・ハイヴへと到る陸路での最短進撃路を確保するのに繋がる事となる。

 戦略における選択肢の増加。
 勝利への道筋が、確実に増えた事に、少年は静かな笑みを浮かべた。



 こうして、BETAの猛攻を耐え凌ぎつつ、人類の反攻準備は、ゆっくりと、しかし確実に進んでいく。
 だが、それらが実を結ぶまでには、未だ長い時と多くの犠牲を必要とするのも、また動かし難い現実だった。










―― 西暦一九九一年 十一月 ――

 南亜細亜連合は、国連から要請が出されたボパールハイヴ攻略作戦――『スワラージ作戦』への参戦を正式に拒否。
 現時点で小康状態にあるインド戦線の戦力配置を崩してまで、ハイヴ攻略戦を行うのはリスクが高過ぎるとの判断理由と共に、一通の告発状を添えて回答を行った。
 この参戦拒否までは安保理の予想範囲内であったが、同時に提出された告発状が、とんでもない爆弾として作用する。

 安保理を構成する大国の面々、特にソ連の顔色を大きく変化させたその内容―――現在、ソ連が遂行中の国連極秘計画『オルタネイティヴV』に関し、国連が投じた巨費の一部が、計画以外、具体的にはソ連国内へと流用されている疑惑を掲げ、『スワラージ作戦』自体が、打ち切りの危機に瀕する第三計画の延命の為、ひいては各国が苦しい内情の中、身を削る思いで搾り出した費用を、今後も自国の利益の為のみに掠め取る事を目的とした史上最悪の詐欺犯罪であるとの告発は、安保理側の予想の斜め上を行き、事態を大きく紛糾させる事となった。

 当然の如く、ソ連代表は烈火の如き怒りを見せ、告発状の内容を事実無根として完全に否定。
 近い立脚点を持つ共産中華も、これに賛同を表明した。

 だが、他の常任理事国はというと、実に微妙な対応となる。

 米英は、告発状と共に提出された資料から、南亜細亜連合の主張に一理あるとし、ソ連に査察の受け入れを要求。
 対して、仏は中立の立場を示すも、これはどちらかと言うと米英への反発という意味合いが強く、ソ中の主張には懐疑的な意見を述べる。
 残る拒否権凍結組(なんちゃって)理事国の日豪はと言うと、更に曖昧さを増した。
 宗主国あるいは同盟国である米英の意を汲みつつも、ソ連の恨みも買いたくない両国は、玉虫色の意見に終始し、結果、安保理の場を更に混沌化させるだけとなる。

 結局、ほぼ五日に渡る討議の結果、比較的劣勢に追い込まれた東側陣営は、渋々、査察の受け入れを了承。
 代償として、潔白が証明された暁には、南亜細亜連合の正式な謝罪と自国の名誉を傷付けた事に対する賠償、更にバンクーバー協定に基づく『スワラージ作戦』への戦力供出を確約させる事で矛を収めた。

 この判断の裏側には、ソ連側が自国政府の潔白を確認し終えたという事実が存在する。
 逆に言うなら五日間という期間は、ソ連政府が自身の内部を洗うのに要した時間でもあったのだが、流石に、そこまで愚かな筈も無く、国連資金流用の事実が無い事を確信した駐国連大使は、自信満々の態を以って、安保理の議場を後にした―――後にして、再び、その場に戻る日が来ない事を知る由も無く。

 確かに、ソ連政府による資金流用の事実は、全く無かった。

 かなりグレーゾーンな領域――関連インフラや技術開発等の計画凍結後も、ソ連の利益・資産となって残る様な物への過剰な投資自体は存在したものの明確な流用自体は皆無であったのだ………政府としては。

 そして査察の眼が、政府だけでなく個人レベルまで浸透した時点で、彼らの計算は、いとも呆気なく破綻する。

 官僚や政治家、そして高級将校。
 ソ連という一党独裁国家の上層部に位置する面々が、それぞれのポケットに少しだけ入れた物を合計した瞬間、査察に当たっていた米英の財務担当者達が、揃って激怒したのである。
 その合計金額は、これまで第三計画に投じられた資金総額の実に二割弱に達し、その殆どが、浪費や賄賂に無謀な投資、或いはBETA侵攻の余波を受け事実上回収不能となっていたのだ。

 怒り狂った査察団からの報告を受けた安保理もまた当然の如く紛糾。
 反ソの立場を明確化した西側理事国は、事態の説明と問題の解決について声を上げようとするも、肝心要のソ連大使は当の昔にアラスカに召還されており、後任すら決まっていない有様で、米英は振り上げた拳の下ろし先すら失っていた。
 更に、事態打開に向けて本国と相談すると称し、共産中華代表が逃げ出した時点で、問題はなし崩しに曖昧化されてしまう。
 結局、欠席裁判となった安保理では、横領された資金の返納と関係者への厳格な処罰が決議され、ソ連政府へと通達されるが、これが遵守されるとは誰も思っておらず、そしてその予想は完全に的中する事となった。

 資金の返納については、言を左右にし続け、第三計画が中止され、第四計画に移行した際にも、第四計画担当国である日本に引き渡される事もなければ、国連へと返納される事もなく、最後の最後まで曖昧にされ続けてしまう。
 そして関係者の処罰についても、末端の一部を処刑し、それらに全ての罪を擦り付ける事でお茶を濁しただけだった。

 この様な流れの中、ソ連が推進する第三計画への不信感は日毎に増大し続け、それに正比例する形で、早急な第四計画立ち上げ論が、国連内部でも急速に力を持っていく事に成る。
 対して、事態の悪化に焦りの色を濃くしたソ連は、強引過ぎる程のヤリ口で、『スワラージ作戦』発起を強行しようと画策するも、南亜細亜連合は、前述の理由を楯に堂々と参戦を拒否し、更には、参加兵力として当てにしていた中東連合も、同じく参加を拒絶。
 安保理内部においても、まずソ連が襟を正すべしとの論が根強く、バンクーバー協定を楯とした近隣諸国からの強制的な戦力供出もままならなくなる。

 結果、ソ連及び同じ穴の狢と見做された共産中華は、自国戦力を青息吐息で削りながら作戦に要する兵力を抽出。
 翌一九九二年、アラスカ或いは中国沿岸からインドまで長躯した挙句、実り無きボパールハイヴ攻略戦に挑む破目になるのだった。






どうもねむり猫Mk3です。

今回の唯依姫分は……微妙かなぁ?

さて、戦略・政略レベルでの転換点。
スワラージ作戦は、スワラージ作戦?へと……
まあ、自分の面子を保つ為なんですから、自腹が筋ですよね。

これで戦力低下を免れたインド・東南アジア・中東諸国の抵抗力UPです。
まあ皺寄せが大陸東方に行く事になるんですけど、比較的大国が多いんですから、下手を打たなきゃ持つ筈です……多分。

さて、ようやくナイトメアフレーム登場。
描写は、まんまサザーランドですが、名前に関してはヤマダさんから頂いた『バルディ』に決定。
きっと良く働いてくれる名馬になるでしょう。
唯依パパは、過労死しかねないですけどね。


それでは次へどうぞ。





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