Muv-Luv Alternative The end of the idle


【風雲編】


〜 PHASE 11 :第三の娘 〜






―― 西暦一九九二年 五月二十七日 インド・ボパール近郊 ――



 低く垂れ込める重金属雲の中を、時折、雷光めいた光が走る。
 天から地ではなく、地から天へと駆け上がる光の軌跡。
 絶え間なく撃ち下ろされる軌道爆撃と、それを迎え撃つ光線属種達のレーザーが、ここボパール・ハイヴの近郊に異様な光景を作り出していく。

 血泥と化した砂漠。
 無数の残骸と死骸が転がる中、未だ死闘の刻が続いていた。

「ああぁぁぁああああぁ!」

 恐怖に塗れた雄叫びと共に放たれた砲弾が、要撃級の強固な前腕に阻まれる。
 流れ弾が僅かに露出した体表を削るが、その程度の事で動きが止まる筈も無かった。
 息絶える瞬間まで前進し、敵を襲い喰らう。
 忌まわしくも強靭な生命力を持つ異星起源種にとって、致命傷でない傷など傷とは言えないのだ。
 それを証明するかの如く砲撃にも怯む事無く前進し続けてくる化物達の姿を前に、逆に怯みを覚えたのか殲撃8型の一機が後ずさる。

「ホンラン4、勝手に下がるな!
 敵前逃亡は重罪だぞ」

 怖気づいた指揮下の機体に向けて、中隊長機から痛烈な叱咤が飛んだ。
 まともな軍人なら、この一喝で我に返り再び戦線に戻っただろ。
 だが、この戦場においては、まともな軍人の方が少数派だった。

「あ……あ……うわぁぁぁぁ!」

 再び無様な悲鳴を、通信機越しに上げたホンラン4は、そのまま背を向け走り出した。
 半ば唖然として見送る他の中隊機を他所に、跳躍ユニットに火を入れた機体は、見る見るうちに遠ざかっていく。

 瞬きする間に、豆粒の様に小さくなっていく機影。
 それを視界の隅に留めながら、要撃級の接近を阻止すべく砲弾をバラ撒いていた中隊長は吐き捨てるように呟いた。

「馬鹿が……」

 呆れと哀れみが微妙に入り混じった声音が、管制ユニット内に響き、次の瞬間、遠雷の様な轟音が彼の耳に届く。
 網膜投影されたマップ上から、自隊の光点(フリップ)が一つ減っていた。

 ロストしたのは『ホンラン4』――先ほど逃げ出した奴のモノ。

 敵前逃亡と判断され、HQからの遠隔操作により、機体内に据え付けられた自決用の爆弾で木っ端微塵にされたのだ。

 中隊長の口内に苦い唾が湧く。
 噛み締められた歯が、ギリリッと軋みを上げた。

 彼を含めてこの部隊は、全て囚人によって構成されている。
 彼自身は軍刑務所から引っ張られてきた軍人上がりだが、残る中隊機の大半は一般の刑務所から衛士適性を認められた囚人を催眠暗示と促成教育で仕立て上げた衛士モドキだ。
 当然、軍律のグの字も知らぬ連中であり、劣勢になれば、否、少し怯えた程度で逃げ出す程度の輩でしかない。
 そんな連中を、使い捨てとはいえ兵士として使う為に、統一中華軍、いや、共産中華が考え出した手段が『コレ』だった。

 即決裁判による処刑。
 今頃はHQ内で、敵前逃亡罪によりホンラン4を死刑に処した旨が、ホンの数行の裁判記録として書き上げられている頃合だろう。

「クソッたれが!」

 押さえ切れぬ怒りが、低い罵声となって零れ落ちる。

 ――進めば化物の餌食、退けば味方による処刑。

 四面楚歌と呼ぶに相応しい状況の中、ホンラン中隊隊長は自嘲混じりに呟く。

「……とはいえ、我が隊はまだマシか……」

 劣悪としか表現し得ぬ状況。
 だが、それでもまだ、自分の隊が全体的にはマシな環境に置かれている事を再認識する事で、崩れかけそうになる気力を支える。
 既に、中隊戦力の三分の一を喪失しつつも、未だ『戦えて』いるのだ。

 ――逃げたところで処刑されるだけとあらば、逃げるよりは抗う。

 その程度の気概は、残っていた連中が多かったのが一点。
 そしてもう一点は、旧式化しつつあるとはいえ、一応はまともな兵器である殲撃8型を配されていたが故だろう。

 見渡す戦場のあちこちに、戦術機と似て非なるヒトガタの残骸が、数えるのも厭になるくらい転がっている様に、男は眉を顰めながら引き金を引き続けた。

 転がるヒトガタの名残は、メアフレームと呼ばれる建機の残骸。

 元々は、忌々しい日帝の企業が作った物らしいが、この場に転がっているのは彼等の祖国が『独自』に開発した機体だ。
 これまでも陣地や基地の造成に大きく貢献していたのは彼も知っていたが、インドを含めた南亜連合及び中東連合の参戦拒否により、戦力不足に悩んでいた自軍が、急遽、戦術機の代用品として戦線に投入したものである。

 そう、投入したのだが……

『変わった棺桶を戦場に持ち込んでどうする。 阿呆共が!』

 盗聴器を警戒し、胸中で吼える。

 元々は建機、戦闘など考慮していない機体だ。
 また彼自身は知らない事だが、機体構造の一部も改良の名の下に簡略化・変更されている部分も多く、機体の耐久性・強度共に、本来のメアフレームの足元にも及ばない。
 これは建機としては無駄に頑丈で耐久性も高かった本来の機体に比し、安上がりに出来る分、不正コピー機が市場での競争力を得るのには役立った。

 ……飽くまでも、建機としてではあるが。

 そう、どこまで行っても、統一中華製或いはソ連製のメアフレームは建機のカテゴリーに収まるレベルでしかなかったのだ。
 それでも本来の使い方をする限り、多少の問題は出ても、我慢できる範囲にはあったのだが、そこを外れてしまえば途端にボロが出る。

 持たされた82式戦術突撃砲を撃てば、反動を抑え切れず、明後日の方角に弾が飛ぶだけだった。
 77式近接戦闘長刀を振り下ろせば、堅い装甲殻や衝角に当った瞬間、負荷に耐え切れなかった腕が圧し折れる。

 戦術機よりも遥かに小柄なミドルやライトと呼ばれる機体も、強化外骨格や装甲車両用の兵器を手に参戦していたものの結果は大して変わらなかった。

 そのまま半ば自滅に近い形で、数だけは多かった機体が見る見るうちに減っていき、統一中華製メアフレーム部隊は、作戦開始後二時間と持たず瓦解。
 後は喰われるだけの獲物へと成り下がったのだった。

 跳躍ユニットが付いている訳でもなし、ただ地面を二足歩行するしかない機体は、速度においてBETA主力の戦車級に大きく劣る。
 逃げるに逃げられず右往左往している内に群がられてしまえば、申し訳程度に付けられた簡易装甲などトイレットペーパーほどの防御も期待できはしなかった。

 通信機越しにオープンチャンネルで届いた痛切な悲鳴は、今も男の耳の奥にこびり付いている。

 生きながら喰われる恐怖の叫び。
 断末魔の悲鳴。
 憎悪に塗れた呪詛。

 それら全てを聞き流しながら、自隊の維持のみに努めた結果が、今の状況だ。

「死んでたまるか!
 必ず……必ず生きて帰るんだ」

 生き残りさえすれば、全ての罪状は帳消し。
 一階級昇進の上で、軍への復帰も約束された。

 そう、生き残りさえすれば……

 その為に救いを求める声を黙殺し、戦力の維持に努めたのだ。
 退くも進むもならぬ地獄の中で、それでも必死に未来を掴むべく男は足掻く。

 元々が理不尽な罪状。
 上官の犯した横領の罪を、嫌々ながらに手伝っていた自身に全て押し付けられた挙句の果てが今である。

「生きて帰って、きっと!」

 絶叫しながら、77式近接戦闘長刀を振り下ろす。
 その超重量で前腕衝角を叩き割り、その下に隠されていた白い醜悪な肉を叩き潰した。

『た、隊長!』

 そうやってようやく一息ついた男の耳に、怯え切った部下の声が響く。
 忌々しげに舌打ちした男であったが、それでも機首を巡らせ声が掛けられた方へと向き直り――固まった。

 戦場全体を覆いつくすドス黒い重金属雲と地平線の境界。
 もうもうと立ち上る砂煙の壁が見えた。
 眼に映る限り全てを覆い尽くすかの様な巨大な壁。
 それが何であるかを本能的に悟った男は、蒼白になりながら通信機に向けて怒声を上げた。

「CP、CP!
 こちらホンラン1、突撃級を前衛としたBETA梯団が接近中。 何故、見逃した!」

 冷や汗を掻きながら、詰る声が管制ユニット内に響く。
 だが、それに応じる声は無かった。
 ただただ耳障りなノイズのみを吐き出す通信機を、男は呆然と見つめる。
 頭の中で様々な思考がグルグルと巡り、マーブル模様を描き出す中、最悪の想像が彼の脳裏を占めた。

『隊長指示を!』
『ど、どうすりゃいいんだよっ?』

 怯え切った部下達の悲鳴が、次々と吐き出される通信機を睨みながら、男は血が出るほどに強く歯を噛み締めた。

『見捨てられた?
 いや、最初からこうするつもりだったのか』

 今の祖国には、囚人を養っている余裕など無い。
 国土の過半をBETAに食い荒らされつつある今、何の役にも立たぬ囚人など邪魔なだけだ。
 そうであるからこその使い捨て部隊。
 それでも生き残る事が出来れば、使える駒として生かして貰えると考えた彼だったが、どうやらその見込みは余りにも甘過ぎた様だ。

「……ここまでだ」
『なっ?』
『隊長!?』

 自嘲と共に吐き捨てられた言葉に、生き残った中隊の面々が絶句する。
 それに被さる様に、思わず漏れた暗い笑いに乗せて胸中にわだかまる怒りが迸った。

「もうお終いだと言ったんだ!
 オレ達は見捨てられたんだよ。
 初めからの予定通りにな!」
『『『………』』』

 沈黙が満ちる。
 彼の部下以外の生き残りも、オープンチャンネルで送られた非情な宣告に我を忘れて固まった。
 固まって、そして……

『『『―――っ!!』』』

 声に成らない絶叫が、通信回線を満たし、飽和させる。
 怒りが、呪いが、悲嘆が、電波に乗って広がり混沌を押し広げていった。

 生き残りの内の半数近くが機首を翻す。
 次々に火が入る跳躍ユニットが、その大推力を遺憾なく発揮し巨大なヒトガタを飛翔させた。

 一縷の望みを託しての逃走。
 或いは、何かの手違いで撤退命令が届いていないだけとの思いからのソレは、ソレが単なる妄想でしかない事を数十秒後に証明した。

 地上スレスレの空とも言えぬ場所で、無数の焔の花が開く。
 遠雷の様な轟音が、ありえぬ奇蹟を信じ、成り行きを見守っていた残る機体の表面を叩いた。

『『『………』』』

 しわぶき一つ起こらない。
 眼前に広がる絶望そのものに、殆どの者の心が折れたからだ。

 管制ユニット内で頭を抱える者。
 ブツブツと意味不明の呟きを漏らす者。
 呆然としたまま放心し果てた者。

 もはや戦う意味も、意思も失った抜け殻のみがその場に取り残される。
 そう取り残されたのだ。

 ただ林立するだけとなった鋼の巨人の群れから、数機の機影がゆっくりと動き出す。
 後ろではなく前へと。
 地響きを立てながら迫り来る巨大なBETAの津波へと立ち向かう様に。

 そんな機体の内の一つ、ホンラン中隊隊長を務めていた男は、微かに鳴り響く異音に惹かれて空を見上げた。

 暗い重金属雲を貫き天から降り注ぐ無数の軌跡が、地から立ち上る光条をも圧し、次々に大地へと突き刺さっていく。
 地を揺らす振動と共に、鳴り響く轟音。
 戦いが佳境へと到った事を告げる戦鐘に、男は皮肉気に頬を歪める。

 ――軌道降下兵団(オービットダイバーズ)による軌道降下戦術。

 本作戦の肝とも言える切り札が、今この瞬間切られた事を知り、そしてそれ故に囮である自身らの役割も終わった事を悟ったからだ。

 この戦いの趨勢がどうなろうと、戦史に刻まれるのは勇猛果敢にハイヴに挑んだ彼等であり、その露払いに過ぎぬ自分達ではない。
 いや、一行くらいは書かれるだろうか、我が身を犠牲にして彼等の侵攻を助ける為にBETA共を引き付けた死せる英雄として――

『……まあ、どちらでも良いか』

 もはや覚悟を決めた彼にとって、後々、自身らがどう呼ばれようと関係は無かった。
 今はただ――

「死に方くらいは自分で選ばせて貰う」

 そう呟くと弾切れとなった突撃砲を捨て、最後の得物である77式近接戦闘長刀を振りかざす。

 眼前に広がる巨大なBETAの壁。
 迎え撃つは、自身を含めてわずか数機の戦術機のみ。
 万に一つ、否、億に一つの勝ち目も無い絶望を通り越した戦い。

 だが、そんな戦、いや虐殺を前にしても、男の心は昂揚していく。

 何故ならば……

「囚人としてではなく、衛士として終わらせて貰おうか!」

 咆哮が戦野に轟いた。
 刀身が暗い大地に煌き、跳躍ユニットが吼える。

 弾かれた様に飛び出す機影。
 それに追随するかの様に、残りの機影が続く。

「おおおおおぉおぉぉっ!!」

 雄叫びが通信回線を満たす。
 ただ一筋の矢となった鋼の巨体が、長大な壁へと突き刺さっていった。





 同時刻、降り注ぐ人工の星々を別の場所から仰ぎ見る者達が居た。

 歴史に名を刻むであろう勇者達を乗せたソレらを羨望の眼差しで見上げている者達は、自らも又、捨て駒である事を熟知しつつ、それでも任務を果たすべく血塗られた舗装路を駆ける。

 ――オルタネイティヴV計画隷下のA−01連隊所属フサードニク中隊。

 彼等も又、歴史にその名を刻まれる事無き者達。
 それでも祖国の命じた任務を、死力を尽くして果たす事に異論はない。
 筋金入りの軍人である彼等にとって、それは息をするに等しい行いでしかなかったのだから……

 だが……だが、それでも押し殺しきれぬ不満は存在する。

 中隊機である青いロークサヴァー(F-14 AN3)を駆る衛士達の双眸には、多かれ少なかれ苛立ちと嫌悪の色がたゆたっていた。

「………チッ!」

 眼前にある『モノ』から可能な限り逸らした視界。
 だが狭い管制ユニット内では、限界というものが存在する。
 可視範囲ギリギリで揺れる銀色の髪を眼にした衛士の口元から、不機嫌そうな舌打ちが響いた。

 嫌悪と畏怖の眼差しに映るのは、まだ年端もいかぬ少女。
 顔の半ばまで覆うゴーグルらしきものの所為で、表情すらロクに判らなかったが、その事を気にする者など居なかった。

 彼らフサードニク中隊の衛士にとって、『コレ』は厄介なお荷物で、忌々しい化物でしかない。
 例え少女の形をしていようとも、『コレ』を少女と認める者など誰一人として居なかったのだ。

 ――ALVの精華たる人工ESP発現体。
 ――化物(BETA)の思考を読み、化物(BETA)思考(メッセージ)を伝える為だけに産み出された人の形をした化物。

 それが中隊員達に共通する認識であり、それが改まる事は終になかったのだ。
 故に、彼らにとっての関心事と言えば、肉体的には脆弱である『コレ』に付けられたバイタルセンサーのもらたす数値のみであり、それ以外の全てを意識的に無視している。

 ――目的を果たすまで死ななければ良い。

 そんな捨て鉢な思いと共に、バイタルの限界を超えぬぎりぎりの領域で機体を振り回す。
 危険域(レッドゾーン)に入り掛けても悲鳴一つ漏らさぬ姿が、彼等の認識を更に補強していった。

「――フサードニク1より中隊各機。
 これより我等が姫君を玉座までご案内だ。
 ”戴冠式”の準備はいいな?
 君主気取りの奴等の頭から王冠をむしり取ってこい!」

 中隊長機より全機に向けて(ゲート)突入の指示が飛ぶ。
 応ずる復唱と共に、青い機体が雷光となって加速した。
 バイタルセンサーの数値が再びレッドゾーンに突入するが、苦悶の呻き一つ無い事を免罪符に機体の加速が落ちる事は無い。



 ゴーグルに覆われた青白い顔。
 わずかに露出したその頬を、一筋だけ涙が流れた。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十日 帝都・枢木本社 ――



 広壮な応接室の一角。
 とてもとても高そうなソファに、脚を組んでその身を預けた少年は、頬杖をついたまま皮肉気な笑みを浮かべると相対する面々に言葉の矢を放つ。

「……ふむ……つまり帝国におけるKMFの生産と販売を、貴社が一手に握りたいという事かな?」

 壮年から老年、年齢は様々ながら、どこか似た雰囲気を漂わせた一同は、向けられた皮肉に顔をわずかにしかめつつも、ゆっくりと首を振り否定の意思を示した。
 一同の中心――遠田技研の現社長を勤める老人が、部下達の意見を代弁するかのように口を開く。

「そう思われても仕方の無い申し出ではある。
 だが我々には、貴社の権益を傷付けるつもりは無いのだ」

 バルディ(Mk-1)のライセンス生産の許可と技術提供の打診。
 更に、枢木とマクダエル・ドグラムの間で取り決められている日本における販売権の譲渡もしくは貸与。

 自社の申し出が、枢木が苦労して開発したであろう成果(KMF)を、横合いから掠め取るに等しい行いであると理解しつつも、彼にはどうしてもこの提案を呑んで貰わねばならぬ理由があった。
 だからこそと鬼気迫る様子で自身と対峙する老人に、どこか天邪鬼な面のある少年は興味を惹かれた顔を見せる。

「……詳しい事情を、説明して頂けるのかな?」
「それでは!?」

 少年が見せた気のある素振りに、遠田技研の重鎮一同が揃って色めき立つ。
 この機を決して逃すまいとばかりに、猛りかけた歳の割りに血の気の多い面々に、ルルーシュは苦笑を噛み殺しつつ釘を刺した。

「急かさないで頂こう。
 取り合えず、話を聞いてからだ。
 ……無論、事情の説明が出来ないというなら、このままお帰り頂くが?」

 まずは事情を。
 そう告げる少年の年齢に似合わぬ落ち着きに、遠田の社長も平静を取り戻した。
 自身の軽挙に、思わず苦笑いが浮かぶ。

「お恥ずかしいところをお見せした。
 確かに、こちらも少し性急過ぎたようだ」

 やや暴走気味であった自分達の焦りを戒める呟きと共に、血圧を下げた老人は、少し虚空を睨んで考えを纏めると、今度は落ち着いて事の経緯を語り出した。

 そもそもの発端は、今は病床に臥せっている遠田技研の創始者である遠田翁が、数年前に発売されたメアフレームを目にした事から始まる。

 戦術機主機やES兵器開発の雄として、今では広くその名を知られる遠田ではあるが、光菱・富嶽・河崎のような戦術機開発の御三家と異なり、元々は太平洋戦争後、遠田翁の手腕で町工場から伸し上がってきた新興企業だ。
 遠田翁自身、どちらかと言えば経営者としてより、技術者として名を馳せた人物であったが、そんな翁にとって、枢木の発売したメアフレームは、ひどく興味をそそるものであったらしく、極秘に購入した機体を手ずからバラして調べる程の熱の入り様だったらしい。

 MD社とのライセンス契約が決まった際には、ひどく悔しがっていたと懐かしげに語る老社長の言葉に、ルルーシュもわずかに頬を緩めた。

 遠田翁自身は、自社でも生産を手掛けたいとは思っていた様だが、世相の情勢と反枢木に固まる御三家の圧力が、それを許さなかったらしい。
 とはいえ、それでめげる様な御仁でもなく、その後の枢木の動静は病に伏せる様になってからもマメにチェックしていたのか、この度、新規に販売が開始されたKMFについても、国内の誰よりも早く詳細な情報を得ていたのだった。

 そしてその上で、病の床に社長以下重役連を集めて厳命を下したという。

『なんとしても帝国におけるKMFの生産と販売権を手に入れろ』と。

 自身の遺命とまで言い切って、一同に発破を掛けたその底には、企業経営者としての感覚だけでなく、帝国の未来を案ずる志があった。

 帝国と枢木の軋轢は、既に周知の通り。
 このままではアップデートシステムの二の舞は確実と踏んだ遠田翁は、それが今後の帝国の国防に関して大きな疵となる事を恐れたのだ。

 無論、アップデートシステムの様にMD社から購入するという選択もあるだろう。
 だが装備品である多機能装甲(MCA)と機体そのものでは、価値が、重みが違い過ぎた。

 ――国防の根幹に関わる兵器の生産を、国外の手に委ねるべきではない。

 一見、国粋主義者と間違われそうな意見であるが、本質の部分では全く異なっていた。
 遠田翁にしてみれば、たとえKMFがマクダエル・ドグラム社単独で開発した品であったとしても、躊躇わずに同じ指示を出しただろう。
 出自が何処であれ、自国で生産できるか否かで、その後の外交関係に大きな縛りが出来る以上、それは避けるべきと遠田翁は考えたのだ。

『最悪、当面は利益が出なくても構わん。
 我が社で生産すれば、帝国軍も否とは言うまい』

 例え損を出しても、自国での調達体制を整える事。
 遠田翁は、それが帝国の未来を開く一助となると判断し、そして信じたのだ。

 そうやって、一通りの事情を話し終えると、社長は深々と頭を下げる。

「非礼無礼は承知の上。
 その上で、恥を忍んでお願いする。
 どうか我が社に、KMFのライセンス生産の権利と販売権を譲って頂きたい」

 その懇願と共に、他の重役達も一斉に孫ほどの歳の少年に頭を下げた。
 土下座にすら劣らぬ程の低姿勢、いや、土下座しろと言われれば、誰もが躊躇う事無くして見せただろう。

 それ程までに、彼等は必死だったのだ。
 もしこの交渉が流れれば、自身が直接出向くとまで言い切った遠田翁。
 病に加えて高齢故に、もはや布団の上で起き上がる事すら難しい翁に、そんな真似をさせれば確実に生命に関わる筈だ。

 翁自身に見出され、息子同然に可愛がられ、時には灰皿で殴られながらも、ここまで引き上げられた子飼いの面々にしてみれば、それだけは断じて避けねばならぬ事態である。

 土下座をしろと言うならしてみせよう。
 裸踊りをしろと言うなら喜んで踊ってみせよう。
 腹を切れと言われれば、躊躇う事無く切ってみせる。

 そんな悲壮な決意と共に、ただひたすらに希う相手の姿を、ジッと見つめていたルルーシュは、その怜悧な頭脳の中で静かに思考を重ねていた。

 遠田そのものと枢木の確執は余り無い。
 戦術機開発の主流とは言えない遠田は、枢木とは近からず遠からず程度の間柄でもあったので、企業として関係を持つのは悪くなかった。

 対して視点を変えてみるなら、彼が世に出た時点で、遠田翁自身は既に引退しており、直接の面識も接点も無い。
 だがその令名は、ルルーシュをしても無視し難いものだ。
 そんな一代の巨人の最後の願いと言われては、天上天下唯我独尊な彼であれ、正直いささか断り難いものがある。

『さて、どうしたものか?』

 元々、帝国における販売権は、有って無い様な物と割り切ってはいた。
 現在の帝国と枢木の関係からすれば、たとえ現場が切望したとしても、上層部内に未だ巣食う反枢木の面々が必死に阻止に動くだろう。
 彼等にしても、これ以上、枢木が帝国政府や軍に食い込んでくれば、自身にとっての死活問題に繋がる以上は必死だ。
 排除自体は不可能ではないだろうが、コストとリターンが釣り合うかは微妙なところである。
 そんな無駄をする位なら、無視して国外に売っている方が余程効率が良かった。
 帝国での販売権は、いずれ何某かの代償と引き換えにMD社に譲る算段を付けており、そして先方もそれを期待しているだろう。

 言わば双方の間で暗黙の了解が成立している状態であり、ここで遠田に販売権を譲るという事は、それを一方的に破る事になるのだ。

 無論、現時点において、枢木としてもMD社と仲違いするつもりは無い。
 先方も、この程度の事で腹を立て、事を荒立てはしないだろうが面白くは思わない筈だ。

 要するに、現在のビジネス・パートナーの不興を買ってまで、遠田に手を差し出す意味があるかどうかである。

 その一点に思考を絞り、様々なケースを脳裏で検討していたルルーシュであったが、ほどなくして結論は出た。

 テーブルの上に置かれた紅茶を一口含み、喉を湿らせた少年は、面を上げるように遠田技研一党へと告げる。
 緊張に強張った男達の顔が、恐る恐るといった風情で上げられ、それを迎えた少年の麗貌がフッと弛んだ。

 形を変え、場所を変え、そして人を変えようとも、これもまた忠義の形。

 今は遠くに居る己の騎士の事を思い出しながら、静かに頷く彼の面前で男達の歓喜が爆発する。
 互いの肩を叩きあい、或いは握手を交わしあう面々。
 帝国を代表する一流企業の重役らしからぬ振る舞いに、ルルーシュの整った面差しにも苦笑が浮かぶ。

 そのまま一頻り騒ぎが静まるまでまった彼は、年甲斐の無いはしゃっぎぷりから我に返り、思わず恐縮し肩をすぼめる一同に大枠の条件を提示した。

 一、共同開発社であるMD社の許可は、遠田が責任を持って取り付ける事。
 二、販売は帝国内に限定し海外には売らない事。
 三、供与された技術の無断流用は厳禁とする事。

 以上、三点を基本条件に相応のライセンス料を支払う事で、ライセンス生産を許可する旨を告げる。
 そうすると流石に今度は騒ぐ事無く、一連の条件を吟味し出した遠田一行ではあったが、提示された条件が彼等の許容範囲内に収まっている事を互いに確認し合うと、一つ頷き合った。

 代表して差し出される老社長の手。
 皺深いソレに、若々しい少年のソレが重ねられた。





 ――こうして、93式自在戦闘装甲騎『鬼葦毛』は、産声を上げる事となる。

 遠田技研が、枢木よりライセンスと共に技術供与を受け、西暦1993年初頭より生産を開始したこの日本版バルディ(Mk-1J)は、原型機の設計を忠実に再現してはいるが一点だけ異なる点があった。
 背部コクピット脇に設置された兵装担架。
 本来は半月斧(バルディッシュ)突撃槍(ローズバルサム)を備える筈のその場所には、KMF用に設計された93式近接戦闘用長刀の支持担架が、デンとばかりに据えつけられていた事である。

 日本人のアイデンティティとも言える刀の搭載に拘ったのは、前年末に燃え尽きるように世を去った遠田翁の強い意向でもあった。
 そしてそれは、見事に正鵠を射る。

 発売後、待ちかねた様に殺到した注文は、ほぼ例外なくオプションとしての刀剣の搭載を要望しており、遠田翁の最後の予見の正しさを証明した。
 急速に伸びる受注と利益に、いまは亡き『オヤジ』の偉大さを今更ながらに噛み締めながら、社長以下重役一同は一丸となってKMFが帝国内に普及するのに尽力していく事となる。
 そんな努力の結果として充足度を増した帝国の機甲戦力は、1990年代末期のBETA大侵攻の際、彼等や彼等の家族の生命を護る強靭な楯となった。
 死してなお、彼等の『オヤジ』は、息子達を護ったのである。

 そんな彼等であればこそ、遠田翁が遺した最後の言葉。

 ――恩に報いよ。

 その一言に対して、愚直なまでに忠実だった。

 枢木が帝国から離反した後、多くの企業が国内に残された枢木の特許を蚕食する中、遠田だけは、海外の口座にライセンス料を振り込み続け、最後の最後に到るまで、その送金が途絶える事は無かったという。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十二日 アラスカ ――



「ふぅ……」

 深い吐息と共に、軽く背を伸ばす。
 微かに軋む身体と体奥に澱む根深い疲れを感じながら篁は眉間を揉んだ。

「流石に徹夜の連続はキツイか……」

 自嘲の呟きが漏れた。
 この地に来てより幾度と無く感じた実感。
 自身が既に若くないという現実に苦笑しながら、ニ連荘の徹夜で纏めた資料を封印した篁は、今日の午前に出る便で帝都へと送るべく部屋を後にする。

 任務そのものには、何ら支障は無かった。
 いや、むしろ順調過ぎる程に順調な事が、開発衛士と主査の二足草鞋を履く彼の作業量を増していたと言えただろう。

「……やはり無理があったな」

 早朝故、人影もまばらな通路を歩きながら、男は小さく愚痴を零す。
 自身の見積もりが甘かった事を痛感しつつも、今更と自嘲の笑みを浮かべた。

 そう全ては今更の話。

 既に蜃気楼(TSF-X03)の改修作業は佳境へと至り、今更、開発衛士の交代など出来る筈も無い。
 後は、年末に控えた期限まで、ひたすら完成度を上げていくだけの状況下では、全てをご破算にしかねないソレは考慮の対象ですら有り得なかった。

『もはや最後まで、このまま行くしかない。
 いやはや何とも……しんどい話だ』

 胸中でそうボヤきながらも、篁の頬には満足げな笑みが浮かんでいた。

 蜃気楼(TSF-X03)の仕上がり具合は、既に他の試作機(TSF-X)を完全に凌駕したと確信したが故の笑み。

 親友が大陸でデータ収集と調整に勤しんでいる試四号機(TSF-X04)ですら、兄弟機である蜃気楼(TSF-X03)には及ぶまい――そんなある種の優越感が、彼に疲労を忘れさせていた。

『このまま行けば、間違いなく蜃気楼(TSF-X03)が、帝国の次期主力戦術機となる筈』

 既にスペック面でも、完全に他の兄弟達を引き離した蜃気楼(TSF-X03)は、スペック重視に偏るが故に、帝国軍上層部からも徐々に評価が上がっている。
 先だっても追加予算と人員の補充について、向こうから打診があった程だ。

 無論、米国の手を借りた機体を鬼子と見做し、飽くまでも純国産機に拘る面々の抵抗は未だ止む事は無い。
 そしてこれからも、それが無くなる事は無いと篁自身も覚悟していた。

『……だが、それでも』

 次へと繋がる『道』は出来た。
 この蜃気楼(TSF-X03)が帝国の主力となり、国を護る楯として刃として働き続けるなら、彼の想いを理解してくれる者もやがて増えるだろう。

「国際共同開発による国産戦術機……か」

 歪なれど思わぬ形で実現した彼と親友が見た夢の具現。
 それが帝国の未来を開く礎となると確信した篁は、疲れに鈍る身体の重さすら忘れ、晴れ晴れとした気分となりながら脚を進めていく。

「んっ?」

 窓外から射す暁光が、彼の顔を照らし出した。
 眩しそうに眼を細めた男は、誘われるように窓の外へと視線を向ける。

 短く、それ故に豊かなアラスカの夏。
 近づきつつあるソレを示す様に、窓から望む景色も緑の萌え出る気配を感じさせる。

 冷たい氷雪の下から、再び生まれ出ようとする生命の息吹。
 絶望の中から、それでも這い上がろうとする希望の象徴を感じた男は、今度は別の意味で目を細めた。

「……夏には又、帰れそうだな」

 その頃には、既に蜃気楼(TSF-X03)の完成も間近の筈。
 この一年、任務任務で放り出してしまっていた愛娘にも、土産話の一つくらいはしてやれるだろう。

 いや……

「………むしろ、父の顔など忘れてしまったかな」

 そう思った瞬間、篁の頬に苦笑が浮かんだ。
 大好きな兄と一緒に過ごす内、育児放棄している無責任な父親など記憶の彼方に追いやられてしまったのではと、少なからぬ不安を覚えつつ、男は軽く頭を振る。

「やはり……そうするべきなのだろうな……」

 どこか寂しげな笑みが、篁の面を過ぎる。

 愛娘も、もう八歳。
 格式ある家柄なら、許婚を定めてもおかしくない歳ではある。
 昨年の一件以来、露骨な真似をする者は鳴りを潜めたが、やはり無言の圧力というものは侮れなかった。

 未だ子離れが出来ぬ子煩悩な父ではあったが、そろそろケジメを付けるべきとの思いも少なからずある。

「……今度、話をしてみるかな?」

 呟く声には寂しさと喜びが入り混じり、複雑な模様を形作っていた。
 愛娘を手放す寂しさと、代わりに何れ得るであろうモノを思い、篁は今一度、苦笑する。

「まあ、お祖父様と呼ばれるのも悪くはないか」

 この地に来て、自身がもう若くないと痛切に実感した男は、苦笑いと共に在るべき未来を肯定した。

 窓辺に向けられていた男の踵が返される。
 日々、形を成しつつある希望を胸に、男は遠い空の下に居るであろう娘へと想いを馳せながら、力強さを増した足音のみを残し、無人の通路を足早に歩み去っていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十二日 日本・帝都 ――



 チカチカと瞬く蛍光灯が、室内を寒々しく照らし出す。
 機密性を重視し、居住性を無視したような部屋の内には、数名の男達が集っていた。

「聞いたか?」
「ああ……資料も見た。
 上層部の一部も、かなり乗り気になっているらしい」

 低く抑えた声で互いに確認を取り合う。
 どこか陰気を纏ったまま、顔を見合わせた一同は渋い表情を向け合った。

 将官から佐官までと幅広い階級の者が、どこか人目を避けるように集い合うこの一団にとって由々しき自体が進んでいる事に、憂慮と憤りの念が室内に広がっていく。

 彼等――国産派と呼ばれる一派にとって、つい昨日アラスカより送られてきたレポートは、焦眉の急を要するものだった。

 今この瞬間も、着々と進んでいるであろう蜃気楼(TSF-X03)の改修。
 出来損ないと見限った筈の機体が、米国の技術を導入する事で、他のTSF-Xを凌ぐ機体性能を発揮し始めた事に彼等は焦りの色を濃くしていた。

 内心の不満を抑え切れなくなった一人が、罪の無い机を叩きながら吼える。

「確かに、高性能ではあろう。
 だが性能が良ければ、それで良いというものではないぞ!」

 と、可愛い我が子(TSF-X03)を危うく葬られかけた某工場長が聞けば、顔を真っ赤にして怒りそうな事を叫ぶ佐官に唱和する声が重なった。

「全くだ!
 篁も余計な事をしてくれる」
「『瑞鶴の英雄』の片割れも地に堕ちたな。
 米国に尻尾を振るだけの犬に成り下がったか」

 忌々しさを抑え切れぬ別の佐官の罵りに、皮肉に塗れた蔑みが応じる。
 彼等――国産派の神輿になる事を拒んだばかりか、率先して外国機あるいは外国の技術導入を図る篁に対し強い憎しみを共有する一同。
 外国、ことに米国に頼った機体に反感を募らせていく。

 そんな中、別の軍人が、心底忌々しげに顔を歪めながら吐き捨てた。

「所詮、あの男は枢木とツーカーの仲よ。
 娘も自身の屋敷には置かず、枢木に預けたままだそうな」

 室内の温度が一瞬上がった。
 充満する怒気が、天井知らずに膨れ上がる中、座を纏める将官が憎しみの叫びを放つ。

「忌々しい!
 またしても帝国に仇為すか」

 本来は、それほど単純ではない筈なのだが、少なくとも帝国軍内に今なお蔓延る国産志向は、国粋主義に、そして排外思想へと繋がっている。
 となると、それは当然、外国の血が入った者――端的に言うなら、今や枢木の顔となったルルーシュと、彼が率いる枢木グループへの強い反感に容易に転化し得たのだ。
 結果、軍内部の国産派の内、少なからぬ数が、そのまま反枢木へと流れていく事になる。

 幾ら狩っても狩り尽くせない反枢木陣営。
 その理由が、コレである。
 本質的に閉鎖的な面を持つ日本人の気質。
 それに根差した本能的な反発こそが、彼等の原動力であり、同時に彼等を産み出す土壌なっている。
 こんな、ある種アメーバ染みたこの有り様には、潰すべき頭も抉るべき心臓も無い以上、根本的な解決は限りなく不可能に近いと言えた。

 彼等にして見れば、外国の血の混じったルルーシュ。
 そしてソレを長として奉じる枢木。
 それ等はすべからく潜在的な敵性存在であり、帝国に仇為す存在()でもあったのだ。

 そうなると、それ等と親しく交わる篁達もまた悪。
 それも英雄から堕落した許し難い悪だ。

 ――そんな悪に、憂国の志士たる自身が屈する事など出来はしない。

 少なくとも一座の内の半分以上、利害関係からではなく純粋な義憤に駆られ、この場に参集している面々は、そう思い、そう信じた。
 そうやって、どこかズレた正義と義憤に燃える者達を含め、一同はままならぬ現状への憤りを隠す事無く、声を荒げて腹の中のモノを吐き出していく。

「このままでは、米国の手が入った機体が帝国の次期主力戦術機となるのは必定」
「そんな事になれば、諸外国からいい笑いものだ。
 所詮、猿真似だけが得意な日本人には、独力で戦術機など造れぬのだとな!」

 怒りに燃える声と恥辱に震える声が重なり合う。
 そうなった時の光景を妄想し、顔を真っ赤に染める者も居た。

 ――日本人の誇りと意地に賭けても、そんな真似はさせられない。

 そんな思いが室内に満ち満ちていく中、一同は、初の純国産戦術機『不知火』誕生を完遂すべく誓い合う。

「なんとしても、阻止せねばならん。
 帝国の面子に掛けて、米国の手で穢された『不知火』モドキを採用などさせる訳にはいかん!」
「そう『不知火』こそが、正しく帝国の剣となるべきだ」

 気勢を上げ合う一座の者達。
 欲得ずくで煽りを入れる者も混じっていたが、熱狂に囚われた者達は、それに気付く事も無かった
 そのまま興奮の坩堝と化しかけた室内であったが、未だ冷静さを保った者が、そこに一筋の冷水を注ぎ込む。

「……しかし、どうやって?
 お歴々は随分と乗り気になっているぞ。
 しかも、中には枢木と気脈を通じている者も居る」

 一転、文字通り水を打った様に室内が静まり返る。
 熱狂が霧散し、変わって薄ら寒い表情が、一同の面へと広がっていった。

「……枢木……か……」

 今や彼等にとっての憎むべき怨敵。
 そして最大の鬼門と化した名を誰かが呟くと、皆が皆、首筋に冷たいモノが走る錯覚に囚われた。

 出所も定かならぬ伝聞ではあるが、その筋では高名な篠崎の一門も、失踪していた跡取り娘の手引きで、一族揃って枢木の犬に成り下がったとも聞く。
 ある日突然、同志の一角が左遷の憂き目に遭い、あるいは現世から除名されていくのも、その犬共の仕業だとも……

 自身らが敵視し、相対している相手の暗部を思い出し、その暗く深い穴の底に引き摺り込まれる恐怖をも同時に思い出した一同は、薄ら寒い感覚を覚えつつ、互いに無言のまま視線を交わす。
 基本、彼等は軍人であり、権謀術策に長けた者は少ないのだ。
 無論、そちら方面に特化していた者も居なくはなかったのだが、その悉くが罠を仕掛けたつもりが嵌められて、破滅に追い込まれているのだから、残された者の腰も引けようというものである。

 重苦しい空気が、一座の者の肩へと圧し掛かっていった。
 この状況は我慢できないが、どうすれば打破できるのかが分からない。
 袋小路に陥った様な息苦しさを覚える男達。

 そんな中、一人の少将が不意に何かを思いついたように叫びを上げる。

「いや、待てっ!
 枢木だ、枢木に居るではないか逆転の鍵が」
「逆転の鍵?」

 訝しげな視線が、彼の人物へと集中する。
 逆転の鍵などと大袈裟な事を言われても、思い当たる節が無かったからだ。

『あの枢木相手に、そんな都合の良いモノがあるのか?』

 そんな疑念に囚われた面々は、それでも一縷の望みを託し男を見つめる。
 対して、同志達の血の巡りの悪さに辟易しつつも、同時に集中する縋る視線に秘かな優越感を感じながら、件の少将は自信たっぷりな声音で彼の言うところの『逆転の鍵』の正体を告げた。

「そうだ、枢木に預けられているという篁の娘の事だ」

 一座の中心で爆弾が破裂した。
 産み出された爆風が、二つの波紋を描き室内へと広がっていく。

 驚愕と納得。
 否定と肯定。

 二種に分かれた反応。
 その内、人としての矜持に賭けて認められぬ者達が、間髪入れずに反論を口にする。

「待て、いかに切羽詰ろうが、頑是無い幼子に手を出す事など出来るか!」
「そうだ!
 貴様、窮する余り、帝国軍人としての誇りすら失ったかっ!?」

 室内に怒号が満ちた。

 その思想の有り方についてはともかく、この場に集う者の多くは帝国を憂う者達。
 いわば帝国の防人としての矜持は、少なからずその胸の内で息づいているのだ。
 そんな彼等にとって、護るべき幼子に危害を加える事など、断じて許容できる物ではない。

 それ故に、圧倒的な非難の声が、発言者に賛同の意を表した少数派を踏み潰し、当人へと殺到していった。

 男の顔が赤黒く染まる。
 良かれと思ってした発案が鬼畜の所業扱いされた事に、苛立ちと怒りを篭めて男は怒鳴り返した。

「ならば、どうしろと言うのだっ!
 このまま『不知火』モドキが帝国の剣になるのを、黙って指を咥えて見ていろとでも言うのか!?」

 義憤に駆られた一同の横面を、切羽詰った叫びが殴打する。
 余裕の失われた糾弾が、一同の興奮を吹き飛ばし、その顔を見合わせさせた。

 対案があれば、それを誰かが上げただろう。
 恐らくは、今この場に居る者の殆どが、それを望んでいた筈だ。
 だが、挙がる手も無く、開かれる口も無い。
 誰もが後ろめたそうに視線を逸らすだけだった。

 そんな重苦しく、やり場の無い空気の中、呼吸を整えた彼の少将が、懐柔するかのような猫撫で声で、今一度、自身の策を主張する。

「なに、本当に危害を加える必要は無い。
 要は帝国軍人としての誇りを忘れた奴に、少しだけ強い警告を突きつけるだけだ」

 傷付ける意図は無い。
 ただソレのみを強調して説得を重ねた。

 ――篁に自身がどれだけの不興を買い、どれ程危険な真似をしているのかを警告し、合わせて預かっていた娘の無事を保証できなかった枢木との間に亀裂を生じさせる。

 ただそれだけが目的であり、幼い少女に危害を加える意図など全く無い、と。

 そうやって重ねられる言葉に、困惑と逡巡の色が濃くなっていく。
 先ほど率先して糾弾に立った者達も、彼等の置かれた窮状と帝国の未来を説かれ、徐々に視線を俯かせていった。

 そうやって場の主導権を完全に握った少将は、ダメ押しするように宣言する。

「あくまでも脅し。
 これ以上、あの男を暴走させない為のな」

 ……反論する声が、室内に響く事は無かった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十五日 帝都・枢木邸 ――



 未だ幼い小さな手が、手にした数枚の便箋を大切そうにめくる。
 達筆な中に、どこか本人の気質を滲ませたきっちりとした筆遣いの文字を、一生懸命に眼で追う唯依の頬は、知らず知らずの内に弛んでいった。

 仕事が順調に進み、今年の夏には、また一度帰れそうとの報せは、彼女にとってもうれしい事で、久方ぶりに父に会える喜びに唯依の心も沸き立っていく。

 そしてそんな少女の喜びを、更に盛り上げてくれるのは――

「ふむ、良かったな。 唯依」
「ハイ!」

 ――脇に寄り添いながら、一緒に父からの手紙を読んでいた兄の存在だった。

 久しぶりに取れた丸々一日の休暇を、自分の為だけに割いて貰える。
 そう思えば、浮き立つ気分を抑え切る事など到底出来なかった。。
 淡い桜色の唇が、甘えた口調で言葉を紡ぐ。

「……本当に、父様も、叔父様も困りものです。
 任務、任務と言われて、無理をされてばかり」

 不満を口にしつつも、その眼は誇らしげに輝いている。
 どちらも少女にとっては、尊敬して止まぬ自慢の父親達だ。
 そんな唯依の心情を知悉している少年は、特に茶々を入れるでもなく楽しげに語られる妹分の言葉に合わせて相槌を打つ。

「そうか、確かに困りものだな。
 お二方も、もうお若くないのだしな」
「全くです。
 特に叔父様は未だ独り身ですし、何かあっても気を使ってくれる方が居られないのですから……」

 ルルーシュの肯定に勢い込んで応ずるも、言葉が進む毎に唯依は、形良い眉をしかめる。
 自分で言っておいてなんだが、本当に心配になってしまったのだ。

 ――もし万が一の事があった際、巌谷の身の回りの事を気遣ってやれる者が、自分以外に居ないのではないのかと。

 そんな少女の心底を読み取ったのか、少年の口元に淡い苦笑が浮かんだ。
 やや心配性の気がある妹分の先走りに、困ったものだといった風情の表情を浮かべながら、ルルーシュは宥める声音で話し掛ける。

「まぁ巌谷少佐にも、少佐なりの考えもあるのだろう。
 或いは、胸に秘めた想い人が居るのかもしれんしな」
「……その様な話は、お聞きした事がありません」

 唯依の頬が、微かに色づいた。
 その手の話に敏感な年頃に差し掛かった少女は、兄の言葉を否定しつつも、その脳裏で未だ見ぬ大人の恋物語を妄想し赤面する。

 彼女の精神世界で上映される一連の恋絵巻。
 やがてその登場人物達の顔が、別人へと摩り替わっていく。

 わずかに動いた視線が、上目遣いに傍らで優しく笑う人を見上げた。
 愛おしく恋しい人へと乙女の眼が惹き付けられる。

『い、今はまだ、お胸もお尻もペッタンペッタンですが、もう少し大きくなったらきっと叔母様の様になりますから……
 ……そうしたら……そうしたら兄様も、唯依を一人前の女性として見てくれますか?』

 今はまだ言葉に出来ぬ想いを、小さな胸の奥で少女は呟いた。
 それだけで頬が、更に熱く紅潮していく。

 大胆過ぎる想い。
 されど誰にも譲れぬ想い。

 武家の跡取り娘としては、貞淑さに欠けると承知しながらも、唯依は己の想いを強く強く再認識する。

 鼓動が高まり、血潮が更に熱くなった。
 赤面した己の顔を隠す様に、唯依はルルーシュの右腕を抱え込み、幼い美貌を埋める。
 すると、それを甘えと取ったのか、少年は少女を抱き寄せると膝の上に乗せた。
 苦しくない程度に絶妙に加減された力で、唯依の小さな身体をソッと抱き締める。

 その身を包む優しく力強い腕、鼻腔をくすぐる嗅ぎ慣れた匂い、それら全てが少女の鼓動を更に早く強くした。
 早鐘の様にドキドキと鳴る心臓の音が、相手に聞こえてしまわないかと不安になりながら、それでも唯依はその抱擁を受け入れ、そして願う。

 今この時が、永遠に続けと――

 そんな彼女の切望を知ってか知らずか、彼の右掌が唯依の髪を撫ぜた。

 優しく髪を梳る最愛の人の指先、その感触。
 それら全てに陶然としながら、わずかに色付いた花びらのような唇から、甘く熱い吐息が零れた。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十八日 インド・ボパール近郊 ――



 血と油と硝煙の匂いが、吹き荒ぶ風に乗って大地を渡る。
 未だ燻る炎を纏わせながら、大地に点在する人型の残骸達。

 昨日黎明より行われたボパール・ハイヴ攻略戦――作戦名スワラージ作戦の結果がソレだった。

 勇猛果敢な軌道降下兵団(オービット・ダイバーズ)からの通信が途絶えてから既に半日。
 地上戦力も、その殆どを使い果たし、磨り潰した果てに、残されたのはスワラージ作戦司令部直衛を兼ねる中ソの督戦部隊程度だ。
 もはや誰の眼にも作戦の失敗は明らかで、今頃は司令部内は蜂の巣を突いた様な騒ぎとなっている事だろう。

 ――そんな事を、ぼんやりと考えながら獲物を待ち受けていた狩人の長は、秘匿回線からもたらされた情報に眉をひくりと動かせた。

「来たぞ。
 各機抜かるなよ」

 鋼をすり合わせた様な深みのある声。
 その一声と共に、アイドリング状態にされていた各機の主機出力が上がる。
 エネルギーを送り込まれた電磁伸縮炭素帯が軋み、鋼の巨体をゆっくりと立ち上がらせていった。

 砂漠迷彩を施された機影は、この戦場に投入された東側のそれとは明らかに一線を画すモノ。
 現時点において最強の第二世代戦術機と呼ばれる傑作機――F−15Cイーグルであった。

 十二羽の猛禽達を統べる男は、管制ユニット内で苦い笑みを零しつつぼやく。

「やれやれ、山賊紛いの真似をする破目になろうとはな……」

 汚れ仕事を厭う気は無いが、嬉々として行えるモノでもない。
 正直、年齢的にも精神的にも、そろそろ引退時かと思いつつも、それでも第二の祖国への忠誠を果たす意思までは萎えなかった。
 何より、『アレ』を東側の連中に渡すのは危険過ぎる。
 BETAという厄介な連中が幅を利かせている現状で、第二の冷戦など始めれば間違いなく人類そのものが終わる筈。
 男の脳裏に、一瞬だけ祖国に居る息子の姿が過ぎる。
 黒い双眸から、スゥッと熱が引いていった。

 鷹の様な鋭い瞳には、こちらへ向かってヨタヨタと逃げてくる二機の戦術機が映る。
 青い機体の随所に隈なく傷を負い、片方は右腕すらも失っていたが、その様な惨状を前にしても、男の眼に揺らぎの色は見えなかった。

 その意識を占めるのは、重金属雲による通信障害に見せかけ、この辺り一体をカバーしているECMの効果範囲と獲物の相対位置のみ。
 唾を飲み込む事も無く、呼吸を乱す事も無く、ただその瞬間を冷徹に計っていた男の喉から低い声が迸った。

「……攻撃開始(アタック)

 ただ一言。
 たった一節の音の連なり。
 それが、必死でハイヴより脱出してきたA-01連隊の生き残りである二機のロークサヴァー(F-14 AN3)の命運を決した。
 周囲から撃ち込まれる突撃砲の嵐が、十字砲火の中心となった機体をズタズタに引き裂いていく。
 瞬き一つする間に、スクラップと化した二体の巨人は、力なく血で穢れた大地へと崩れ落ちた。

 既に弾薬も推進剤も使い切っていたであろう機体は、随所で生じる火花を他所に火を噴く事も無く惨めな残骸と化している。
 包囲するイーグル達は、それでも一部の隙も見せる事無く、ジリジリと距離を縮めていった。

 一方は文字通りの蜂の巣状態。
 管制ユニットすらズタズタに引き裂かれ原型を留めていない。
 生存の可能性が限りなく零に近いソレに、それでも安心出来ないとばかりに120ミリ砲弾が数度撃ち込まれた。
 そうやって今度こそ完全に止めを刺した一団は、もう一機へと近寄っていく。

 こちらは先ほどの機体と違い、まだ原型を留めていた。
 いや、より正確に言うなら、原型を留める程度に手加減されていたというべきだろう。
 その原因となったのは、その背にマウントされていた組み立て式のコンテナだ。

 彼等がハイヴ内より持ち出した物。
 そして彼等が襲われる理由となった物。

 それを見下ろす男の眼に、一瞬だけ憐憫の色が浮かぶ。

 とはいえ、それは本当に一瞬の感傷でしかなかった。
 部下にコンテナの回収を命じると、機体の管制ユニットを強引にこじ開ける。
 軋みを上げて開かれたソレの奥を、電子の眼を通して覗き込んだ男の眼が、かすかに険しさを増した。

 情報通りの複座式の内部は、上半身を血で染め上げた後席の衛士の血で真っ赤に染まっている。
 首があらぬ方向を向いている事からも、絶命している事は明らかだ。

 問題は、もう一方の方。
 前部の座席にスッポリと収まっている小柄な人影。
 まだ凹凸すらない未成熟な肢体を、身体のラインも露な強化装備で覆い、顔面の過半を隠す異様なゴーグルを付けている少女。

 情報にあった『第三の子等』――人工ESP発現体と言われる存在に相違ないであろう少女の胸元は、未だゆっくりと上下動を繰り返していたのである。

「……生存者か……」

 微かに軋む呟きが、男の喉から零れた。

 此処で何が起きたのかは、完全に隠蔽されねばならない。
 故に、この少女にも死んで貰わねばならなかった。

 持ち上げられた突撃砲の照準が、管制ユニットへとロックされる。
 弾種を120ミリ砲弾に切り替えた男は、一瞬だけ眼を閉ざすとトリガーに力を篭めた。

 咆哮が鳴り響き、大地に無数の穴を穿つ。

 ……彼等、イーグル達の周囲へと。

「馬鹿なっ?
 いつの間に!」

 網膜投影されたレーダーに映る光点(フリップ)は十二。

 彼の部隊の物だけ。
 それだけの筈だった。

 ……だがそれならば、今、彼等を包囲している黒い戦術機達は幻だとでも言うのだろうか?

「……ステルス機?」

 思わず口を突いた言葉に男は戦慄する。
 これだけの至近距離に近づかれて、尚、探知し得ぬとなれば、自軍の次期主力戦術機と目されるラプター(F-22)すらも凌ぎかねない代物だ。

 反射的に動いた指先が、敵機と思しき黒い戦術機の映像を記録し始める。
 可能な限りの情報を集めるべく、脳内で状況を整理しながら、男は敵機を見つめた。

 外見は、ファントム(F-4)のそれに良く似ている。
 だが下半身が絞り込まれたフォルムから、昨今、出回り始めたファントム・ジークC(F-4GC)の方により近い印象を感じ取れた。

『ファントムをベースにした概念実証機の類か?』

 一瞥した範囲で読み取れた情報から、男は推論を立てた。

 もし、それが正しいのだとすれば、自ずとその出自にも見当が付く。
 自国のMD社か、日本の枢木か、関わっているとすれば、この何れかの可能性が高かった。

『MD社の線は薄いか?
 何の得も無い事に、動く謂れはあるまい』

 あくまでも利潤追求に熱心な自国企業に、それは無いと男は断じた。
 となれば……

『枢木か?
 ……ならば、その目的は?』

 取捨選択を繰り返し、正解を絞り込んでいく。
 そんな彼の考えを見抜いた様に、一歩前に出てきた黒い戦術機が、拡声器を通して話し掛けてきた。

「この場は退いて頂こう。
 米軍・特殊部隊の方々」

 イーグルの外装を叩く大音声が、管制ユニットにまで明瞭に響いてきた。

 恐らくは声の特徴を電子的に消しているのだろう。
 年齢も、性別も、判別の付かぬ無機質なソレは、大きさだけは充分以上だ。
 彼ら以外に誰も居ない戦野とはいえ、何かの弾みで遠くまで届かれては堪らない。

 ――反撃して口を塞ぐべきか、それとも速やかにこの場を離脱すべきか?

 男の胸中で、振り子の様に思惑が揺れる。

 戦力的には、ほぼ同数。
 だが、こちらが固まっているのが痛かった。
 この状態で、周囲から一斉に砲撃を受ければ、まず半分は殺られる筈。

 そこから逆転出来るかと問われれば、首を傾げるしかない。

 さりとて、このまま手ぶらで帰るという選択肢も、また有り得なかった。
 彼等にも面子があり、何より責務がある。
 ロークサヴァー(F-14 AN3)達が、面倒にもハイヴ内から持ち出してしまった代物は、断じて東側に渡るのを阻止せねばならないのだ。

 そうやって腹を括った男は、専用の秘匿回線を通じて指示を流しながら、自身へと耳目を惹きつけるべく自機も又、一歩前へと進ませる。
 周囲を囲む黒い戦術機達が一斉に動いた。
 互いの射線を確保する為の一糸乱れぬその動きから、敵の錬度が想像以上に高い事を読み取った男の額に冷たい汗が滲む。
 勝率が更に下がった事を悟り、男は僅かに逡巡した。
 脳裏に再び息子の顔が浮かぶ。

『未練な!』

 自身の内に生じた情けない感情を、侮蔑の言葉と共に切って捨てた彼は、決着を付けるべく呼吸を整えた。
 微かに汗の滲む指がグリップを握り締める。
 喉元まで、開戦を告げる一声が競り上がってきた。

「――タダでとは言わぬ。
 G元素は、そのまま持っていくがいい。
 我等の目的は、『第三の子等』であり、G元素に興味は無い」

 男の両腕が痙攣する。
 動こうとしたソレを、強引に押し留めた故だ。
 見渡せば、周囲を固める他の黒い戦術機達も、砲身を下げ、交戦の意思が無い事を示している。

 男の肩から力が抜け、安堵の吐息が漏れた。

 そのまま包囲の一角が空けられる。
 無論、彼等が攻撃に転じた瞬間、辛辣な報復を受ける事は確実なままだ。

 最善とは言い難い結果ながら、最悪でも有り得ぬ結末に、消化不良の思いを抱えつつも、十二機のイーグルが次々に飛び立っていく。

 既に、ロークサヴァー(F-14 AN3)からの通信が途絶えた事に、総司令部も不審を抱いている頃合だ。
 血の巡りの良い相手なら、捜索部隊がこちらに向かっている事も充分有り得る。
 全ての目撃者を消せなかったのは部隊としては大きな失点だが、G元素の確保に成功した事で、ある程度の相殺は可能な筈だった。

『まあ、私の辞表程度で、何とか収まるだろう』

 既にして、年齢から来る限界を感じ、この任務からの引退を考えていた彼にしてみれば、ある意味渡りに船とも言えた。

『レオンも、日本に行ってみたいと言っていた事だしな……丁度いい頃合かもしれん』

 そう胸中で呟くと、米軍・特殊部隊の一角を率いる彼――クゼ中佐は、苦味の混じった笑みを浮かべた。



 一方――



「どうか?」

 周囲の警戒を副長の坂井に託し、黒い戦術機――ファントム・ジーク・サイレント(F-4GS)から降りて来たジェレミアは、半壊したロークサヴァー(F-14 AN3)の管制ユニットを覗き込む。
 狭い空間に満ちる血臭にわずかに眉をひそめつつも、そこは生粋の軍人。
 怯むでもなく前部席にて、グッタリとしている少女の容態を問う。

 衛生兵も兼ねている衛士は、手持ちの機材で手早くチェックを行ったのか、ジェレミアの問いに軽く頷いて答えを返した。

「衝撃で肋骨が二本ほど折れた様ですが、命に関わる程の傷は無い様です」
「そうか……良かった」

 安堵の吐息が漏れた。

 例え世界は変わるとも、騎士たる事を自認する彼にとって、その出自はどうあれ幼い少女は庇護すべき対象に他ならない。
 もう少し早く、彼等の展開が完了していたなら、もう一機の方に乗っていた少女も助けられたものをと臍を噛みつつも、一人でも救えた事を今は喜びたかった。

 だが、そんな彼の心情を乱すハプニングが起きる。

「た、隊長!」

 ひどく慌てた様子の声が、彼に掛けられた。
 何事かと視線を向ければ、管制ユニット内を調べていたもう一人の衛士が、片手に小さめのアタッシュケースを持ち、転げ落ちるような勢いでやって来る。

「どうした落ち着け」

 まずは、そう言って宥めに掛かるジェレミアの眼前に、件のアタッシュケースが突きつけられた。
 ゼイゼイと喘ぐだけで精一杯の様子に、不審げに眉を寄せつつも、受け取ったケースを開けたジェレミアの眉が更に寄った。

 緩衝材兼遮蔽材に包まれた中身を、しげしげと見つめた青年は、小さく溜息をつく。

「これは、嘘を吐いてしまったか?」

 彼も極秘裏に入手した写真でしか見た事が無い代物。
 この世界の大国達が、血眼になって争奪戦を繰り広げるソレ――G元素を見つめながら、さてどうしたものかと、ジェレミアは首を捻るのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 五月二十九日 帝都 ――



 若葉生い茂る新緑の季節。
 始業式の時にはあれ程咲き誇っていた桜並木も、今ではすっかり葉桜となり吹き抜ける風にそよそよと葉を揺らせていた。

 吹く風の中に感ずる僅かな湿り気に梅雨の到来を感じながら、唯依はてくてくとした足取りで家路につく。
 今宵の夕食は、久方ぶりに自身の腕を振るえる事が、彼女の足取りを心なし軽くしていた。

『やはり季節柄、少しさっぱり目の物の方が良いのでしょうか?
 ……いえ、あれでルル兄様は健啖家な方ですから、やはりそれなりに……』

 などと胸中で呟きつつ、幸せな気分を味わう。
 白く滑らかな頬が僅かに紅潮し、透き通った紫の双眸は、幸福に弛んでいた。

 とにもかくにも、幸せ一杯な少女は、夕餉の献立を考えつつ、それを振舞った際の兄の喜ぶ顔を想像しながら足早に帰りを急ぐ。


 ――それ故に、少女は気付けなかった。
 自身を見つめる冷たい眼差しに――


「目標の様子はどうか?」

 感情を押し殺した声が状況を問う。

『問題ありません。
 いつも通りの帰路で移動中。
 まもなくそちらに着く筈です』

 間髪入れずに返って来た応え。
 問いを発した男の眉間に一瞬だけ皺が寄った。
 声に滲みそうになった苦味を隠し、指揮者として指示を下す。

「……そうか、そのまま追跡を。
 何か異変があった場合は連絡を」
『了解』

 再び返った短い応えに通信を切る。
 微かな溜息が零れかけるのを飲み込みながら、車内を見回し準備が整っている事を確認した。

 正直、厭な仕事ではある。
 軍内での汚れ仕事が専門とはいえ、何の罪も無い幼子に危害を加えるなどやりたくもなかった。

 とはいえ、自分が拒めば妙な連中に話が行きかねない。
 命令なのだから何をしても良いなどという勘違いした輩が、昨今は少なくないのだ。
 そんな連中にやらせる位なら、自身が手を汚した方が何倍もマシである。

 そうやって本当のプロフェッショナルが少なくなってしまった現状を嘆きつつも、男は近づきつつある目標を前に雑念を振り切った。

 全ては任務。
 全ては帝国の為。

 そう胸中で呟きながら、気分を完全に切り替える。
 運転手役の部下が、エンジンをアイドリング状態に移した。

 角を曲がり、小さな人影が現れる。
 間違いなく目標『篁 唯依』である事を視認した男は、彼我の距離と少女の速さを計算しながらタイミングを計り始めた。

 勝負は一瞬。

 脇を通り過ぎる瞬間、車内に引き込み、そのまま逃走する。
 しごく簡単な仕事の筈だ。
 護衛の一人も居ない少女を拉致する程度の事は、彼等にとっては赤子の手を捻るに等しい。

「……運が悪かったな」

 胸中の思いが、言葉となって零れる。
 帝国の名誉を汚そうとする父、そして帝国に楯突く枢木。
 この二つに関わっていなければ、こんな目に遭わずとも済んだものを、と哀れみつつも男の精神は静かに冷たく澄んでいく。

 ――あと三十メートル。

 目標の動きに変化は無かった。
 子供にしてはしっかりとした足取りで、こちらへと近づいて来る。

 ――あと二十メートル。

 職業柄目の良い男には、ニコニコと楽しげな様もはっきりと見える距離だった。
 微かに軋むモノを胸中で感じつつ、それを強引に無視する。

 ――あと十メートル。

 ロックを外し、ドアに手を掛ける。
 頭の中から全てが消えた。

 ――あと五メートル。

 手に、脚に、力が篭る。
 たわめられた力が、その瞬間に向けて集束して行く。





「んっ?」

 背に届く髪が微かに揺れる。
 不審げに首を傾げた唯依は、道路脇に止まっている車を注視した。

 エンジンは掛かったまま。
 ガラスもスモークが掛かっているのか中の様子は伺えなかった。

 少女は、再び首を傾げる。
 その相貌には、明白な不審と警戒の色が浮かんでいた。

 元々、歳に似合わぬ聡明さを持つ少女。
 色々と……そう色々と知りつつあり、理解しつつある昨今、自身の立ち位置くらいは弁えていた。
 自身が、悪意ある者に、狙われざるを得ない立場であるという事を。

『……危険……でしょうか?』

 声には出さず自問する。

 見た目はごくありふれた乗用車。
 ナンバーもこの辺りの物だ。

 だが、エンジンが掛かったまま動き出すでもなし、逆に止めるでもなしというのが引っ掛かる。
 車内の様子がまるで判らないというのも何とはなしに気色が悪かった。

 ――進むか、逃げるか?

 唯依は逡巡する。

 進むのは危ない気がした。
 だが、逃げたとして子供の足で逃げ切れるのか?

 そんな躊躇いが彼女の動きをしばし留める中、問題の車がゆっくりと動き出す。

 思わずビクリッと身を竦める唯依。
 だが、そんな彼女の反応を嘲笑うかの様に、その車は見る見る内に加速して遠ざかっていく。

 角を曲がりその向こうへと姿を消したソレを、唖然として見送っていた少女は、やがて我に返るや思わず赤面した。

「ううっ……少し気にし過ぎでしたか?」

 これは人には言えないと、この出来事を心の奥にそっと封印した唯依は、気を取り直して家路を急ぐ。
 チョコチョコと歩く小さな後姿は、やがて枢木邸へと通ずる小道へと消えて行った。





「……まずは合格、といった所でしょうか?」

 去り往く少女を見送る『誰か』がそう呟いた。

 何処にでも居そうな特徴の無い男。
 先ほどの車の中で黙って運転手役を務めていた男だ。

 だが、その呟きを聞いた者が居たなら違和感を禁じえなかっただろう。
 何故なら、男の喉から零れたのは歳若い女性の声だったのだから。

 そのまま少女の姿が消えるまで見送った性別不明のその人物は、曲がり角の先に止めておいた車へと戻る。
 後部座席をチラリと一瞥した彼(?)の眉が僅かに寄った。

 視線の先には、手と足をしっかりと拘束されたまま白目を剥いている男が一人。
 唯依を誘拐しようとしていた軍の情報部の人間だ。

 少し困った表情を浮かべた彼(?)は、懐から一本のペンライト、否、ペンライトに似た何かを取り出すと目の前に掲げ、しげしげと見詰める。
 パチンという音と共に、その先端で薄青いスパークが乱舞した。

「……少し気絶する程度と聞いていたのですが?」

 もう一度、男を見る。
 顔色は既に土気色と化し、呼吸も荒かった。
 正直、今にも息絶えそうなその姿に、彼(?)は力なく首を振る。

「また何かやらかしましたか?
 本当に困ったお方です」

 このギミックを用意してくれた眼鏡の科学者を思い出しながら顎に手をやる。
 そのまま軽く力を入れて上へと引っ張られた手に彼(?)の顔の皮が付いていった。

 風になびく髪が一瞬広がる。

 黒い男物のスーツを着た篠崎咲世子は、ヤレヤレといった風情で、一つ溜息を吐いた。


■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 六月五日 神根島 ――



 枢木にとっての宇宙開発の地上拠点・神根島。
 この最重要地に設けられた枢木の別邸は、いま重苦しい空気に包まれていた。

「で……どういう訳なのだ?」

 良く通る少年の声が室内に広がる。
 だが、どこか棘を感じさせるソレに、思わず忠義の騎士はビクンッと背筋を伸ばした。 その身を固めるキャメロットの制服の裾が、わずかに引っ張られるが、それを気にしている余裕も無く、彼にしては珍しいシドロモドロな口調で、ポツリポツリと事情を説明する。

 感情の消えた視線が一つ、面白そうな視線が一つ、そして汚物を見るような蔑みの視線が二つ。

 計四つの視線に曝され、針の筵の気分を味わいながらも、必死で事情を語り終えたジェレミアに敬愛してやまぬ主君の冷たい問いが飛んだ。

「……つまり、その娘を確保したら、何故か知らぬが懐かれた……と?」
「はっ、その通りでございます!
 このジェレミア・ゴットバルド、我が名、我が剣にかけて、決して疚しい事などしておりません」

 ここぞとばかりに胸を張るジェレミア。
 再び引かれる裾をも気にせず、誠心誠意を篭めて主君ルルーシュだけを見詰めた。

 四対の視線がわずかにズレる。
 それら全てが、ジェレミアの腰の辺り、その制服の裾をしっかりと握り締めたまま、彼に貼り付く様に寄り添う銀髪の少女へと注がれた。
 この場の視線を独り占めした少女の細い身体がビクッと震える。
 そのまま隠れるようにジェレミアの背にしがみ付いた少女の姿に、場の空気が更に冷たく硬くなっていった。

 セシルの眼差しに浮かぶ軽蔑の色が濃くなる。
 貼り付いた様な笑顔を浮かべた咲世子の双眸に、害虫を見るような冷たい光が宿っていた。

 ジェレミアの背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
 救いを求める眼差しが、彼の忠義の対象へと向けられた。

「………」

 無言のまま注がれる感情を消した視線が、ジェレミアの心臓に突き刺さる。
 思わずよろめきかかったその身を、小さな手が支えてくれた。

「ぬっ?」

 先程まで、己の背に隠れていた筈の少女が、脇からその身を支えていた。
 小柄な身体で、男性としても体格の良い方なジェレミアを必死で支えながら、怒りを篭めた眼差しでルルーシュを睨む。

 一連の出来事をジッと見詰めていた少年の頬が微かに緩んだ。

「愛されているなジェレミア」

 からかう様な声音に、室内に満ちていた冷たく硬い空気も緩む。
 女性陣から注がれる冷たい眼差しも幾分マシになり、肩を震わせて忍び笑いしていたロイドが堪え切れなくなって噴出した。

 一方、事態の変転に付いていけなかったのか、キョトンとした表情を浮かべた少女に、ルルーシュは優しい口調で声を掛ける。

「悪かった。
 君の王子様を虐めるつもりは無かったのだが……つい、な」

 どこかバツの悪そうな詫びの言葉に、少女の顔からも怒りの色が消える。
 そのまま再び、ジェレミアの背に隠れてしまう小動物めいた反応に、女性陣の眼差しも微笑ましいモノを見るそれに変わった。

 どこか笑いを含んだ声が、困惑する青年へとかけられる。

「ジェレミア。
 その娘は、お前に預ける」
「はっ?
 わ、私めに……でございますか?」

 思いも寄らぬ主君の決定に、ジェレミアは戸惑いを隠せなかった。

 彼等が『第三の子等』を押さえたのは、そのリーディング能力が、彼等にとって脅威足りえるかどうかを調べるため。
 そして、もし脅威と判断されるなら、何らかの対策を講ずる為のサンプルとして欲したのだ。
 となれば、当然その身柄は、調査を行う事となる科学者コンビに委ねられるべきであり、あくまでも実戦指揮官である自身が預かるべきものではない。
 そう考え、疑問を呈したジェレミアであったが、次いで主の指し示す先に視線を向けた瞬間、彼は抗弁すべき言葉を失った。

 己を見上げる蒼い瞳。
 感情の読みにくい凪いだ双眸の中に微かな怯えを彼は感じ取ってしまった。

 青年の右手が、その胸に当てられる。
 主君に対し、騎士の礼を取ったジェレミアは、ただ一言、答えを返した。

「イエス・ユア・マジェスティ」

 青年の左手が少女の頭に置かれる。
 無骨な手がその髪を撫ぜるのを、少女は少しだけくすぐったそうに受け入れた。

 ちょっぴり感動的な場面、だがここで道化の虫を押さえ切れなくなった彼が茶々を入れる。

「おめでとう〜!
 これでジェレミア君も立派なパパだねぇ。
 ……ママは居ないけどねぇ〜」
「……ロイド……貴様という奴は……」

 悪友の冷やかしにジェレミアのコメカミに青筋が立った。
 堪えきれずに忍び笑いを漏らすセシル達。
 釣られて苦笑を浮かべたルルーシュが、ふと何かを思い出した表情を浮かべる。

「そう言えばジェレミア。
 その娘の名を、まだ聞いていなかったな?」

 何気なく、本当に何の気なく掛けられた問い。
 だが、それを受けた瞬間、ジェレミアの表情が苦いモノへと変わった。
 青年の唐突な変貌に、他の面々も不審そうに眉をひそめる。
 その不審も、不愉快げに事の次第を語る彼の説明を受け、納得と同意のソレへと変わっていった。

 少女、いや彼女達、『第三の子等』に付けられた名は、『第何世代』の『何番目』を意味するもの。
 工業製品のソレと大差無い適当過ぎる命名に、流石のルルーシュも眉間に皺を寄せた。

 世界の支持を集める演技として、正義の味方を演じた事はあるが、己の為す事の本質は『悪』であるとの認識は変わらない。

 ――悪を為して巨悪を討つ。

 綺麗事だけでは、何も変わらない。 変えられない。
 そんな己の思想は、今も変わりはないと断言出来た。

 ――故に今、自身の胸に渦巻く不快な思いは、正義感などというものではなく、ALV関係者達の怠惰に対する怒りである。

 そう結論付けたルルーシュは、それならばと一つの提案を出した。

「ならばオレが、新たな名をやろう。
 いずれにせよ元の名を、名乗らせる訳にもいかんしな」

 当面は、ソ連の手の届かぬ『アヴァロン・ゼロ』に居てもらう予定だが、それでもその名から正体が割れる可能性が無い訳でもない。
 偽名というよりも、新しい名を付けるのは必要な事であり、それをルルーシュ直々に下されるというのであれば、ジェレミアの側に文句などあろう筈も無かった。
 対して当の本人はと言うと、こちらも今までの名に大した愛着も無かったらしく、事の次第を説明されると小さく一つ頷いて了承の意を示す。

「何卒、良き名をお願い致します」

 そう言って深々と頭を下げるジェレミアの横手で、真似するように少女も、ちょこんとお辞儀する。

 少年の美貌に、淡い笑みが浮かんだ。
 少女を見詰める眼差しに、ふと昔日の出来事を思い出す色が浮かんで消えた。

 口中で、ニ、三度、声に成らぬ声で何かを呟いたルルーシュは、ジェレミアと少女を同時に視界に納めると与えるべき新たな名を告げる。

「マオ……
 マオ・ゴットバルド」

 かつて居た男の名。
 ギアスの重みに押し潰され、精神の平衡を狂わせてしまった青年。

 正直、不吉と言えば不吉な名である。
 新しい人生の門出に贈るには不適当であろう。

 だがそれでも、ルルーシュは、その名を贈る事を選んだ。

 同じ読心の異能を持っているが故……ではない。
 恐らくは、かつてのマオと同質の苦難を味わうであろう彼女――新しいマオが、今度は道を過たぬ事を願って、敢えて忌み名を贈ったのだった。

 そんな主の心情はジェレミアにも伝わったのだろう。
 彼もまたギアスに関わり、その人生を狂わされた一人。
 マオという名の男についても、小耳に挟んだ事があった。

 それら全てを承知の上で、今一度、騎士の礼を取ったジェレミアは、少女へと向き直る。

「今日よりそなたは、マオ・ゴットバルド。
 このジェレミア・ゴットバルドの娘であるっ!」

 戸外にまで響きそうな大音声で、そう宣言する。
 コレばかりは変わらぬ熱血ぶりに一同が苦笑する中、一瞬、キョトンとした当の少女は、言葉の意味を理解すると今度は大きく頷いたのだった。



 こうして一人の『第三の子』がこの世界から消え、代わってマオ・ゴットバルドという名の少女が新たな生を得る――



「良いか、我が娘よ!
 我ら親娘が行くは忠義の道。
 父と共に、この道を、ただひたすらに歩み続けるのだ!」
「……分かった…チチ…」



 ――それが、本当に彼女にとって幸せな事だったのかは、彼女以外には分からない事だったが。










―― 西暦一九九二年 五月二十八日 ――

 投入戦力を、ほぼ完全に使い潰した国連軍司令部は、スワラージ作戦が作戦目標であるボパール・ハイヴ攻略に失敗した事を認定。
 同日、同戦域からの全面撤退を宣言する。

 ――参加兵力未帰還率94%

 軌道降下戦術に代表される新戦術の確立等の成果はあったものの、それ程の犠牲を払いながら何ら得る物無く終わった事で、戦史に残る無謀な作戦として歴史に刻まれる破目になる。

 また公の記録には残されなかったものの軌道降下兵団(オービットダイバーズ)突入に合わせて、ハイヴ突入を果たしたALV隷下のA−01連隊所属部隊の全滅、そして膨大な資金を投じて創り出した『第三の子等』が大打撃を受けた事も大きな失点として残された。

 これによりALV遂行は困難との意見が国連内部でも勢いを増し、次期オルタネイティヴ計画選定を巡る駆け引きが激化していく事となる。






 どうもねむり猫Mk3です。

 う〜ん難産。
 やっぱり戦闘シーンを書くのは難しい。

 さて、『何故か娘ができました』なジェレミア卿。
 父親の影響を受けて熱血少女になりますかね?
 綾波レイやルリルリに代表されるように銀髪少女は無口が多いから、それも毛色が変わっていて良いかも。

 え〜本編冒頭に出てきたフサードニク中隊については、漫画版オルタとTE総集編4がネタ元です。
 一応、表現は大まか変えておきましたけどね(隊長さんのセリフ以外ですが)

 そして篁は、かなり疎まれ出しました。
 この先、結構きな臭くなっていくでしょうね。

 さて、それでは次回は幕間かな?





押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.