かつて、個という『英雄』を否定した世界があった。

『ファルガイア』

六人と、沢山の仲間達。皆で戦い、皆で守った世界。そして……今再び、危機に晒されし世界。









Trinicore
Prologue









「ふぁ……」

 寂れた外観ながらも、その荘厳さを些かたりとも失っていない古城の地下にある寝室で、最後のノーブルレッド、マリアベル・アーミティッジは目を覚ました。吸血種である彼女達一族の為にあるノーブルレッド城の寝室には、夜の民の聖地らしく一筋の光も差し込む事は無い。
 何時もと変わらぬ何の変化も無い朝。嘗て世界を共に救った仲間達が旅立って、既に数百年が経っていた。焔の魔神が消えた世界、平和になったファルガイア。しかし、その平和を甘受しながらも、マリアベルはどこか怠惰で無気力な表情で、ぼんやりと日常を貪っていた。原因は分かっている。あの戦いの時、自分は「別れの悲しみよりも、出逢えた喜び」と言った。いずれ辛くなるかもしれないが、出会ったことへの後悔は無いだろうと。あの時はそう思った。その思いに嘘はなかった。今も、マリアベルは6人の仲間達、アシュレー、ブラッド、リルカ、ティム、カノン、そして、アーヴィングと出会ったことに対しては欠片も後悔はしていなかった。だが、彼らと離れた数百年は、あまりにも長すぎた。あるいは、彼らとの出逢いが幸福すぎたのかもしれない。
 だからだろうか、別離の百年は彼女の心が悲しみで錆び付くには、充分過ぎたのだった。

「ふむ……」

 時間が無限にあるノーブルレッドとはいえ、何もせずに過ごすのも、余りに無意味なため、起き上がって軽く伸びをする。適度に無造作な日常を繰り返そうと立ち上がった。



そして、ソレは突然現れた。



いや、現れたと言うよりは……



「きゃん!?」

「ハワッ!?」

降って来た。
 一瞬、マリアベルの視界にノイズが走り、目から火が出た。突然、マリアベルの頭上の空間から現れたそれは、一切の減速の無いまま、起き抜けのマリアベルの頭を直撃したのだった。大きなたんこぶを作って蹲るマリアベルの脇で、落ちて来た闖入者しかも室内にというみょうちきりんなそれは、手のない体でジタバタと何とか立ち上がろうともがいていた。

「いきなり何するんじゃ!?」

 必死に起き上がろうとしていたそれを掴みあげ、うがー!!と叫ぶマリアベル。余程さっきの一撃が痛かったらしく、片方の手はまだ頭頂部を抑えたままな上に、その勝ち気な瞳にはうっすら涙もたまっている。
 掴みあげられたそれは、マリアベルの怒りに威圧されたのか萎縮して、慌てて謝りにかかる。

「ス、スミマセン!ワザトジャナカッタンデス!」

「わざとじゃないで済めばARMSはいらんわ!」

しかし、マリアベルの怒りは収まらず、むしろ怒りの炎は燃え上がるばかりだった。

「大体なんじゃ貴様は!?ここをわらわの城、ノーブルレッド城と知っての狼藉か!?」

「ハ、ハヒッ!?」

マリアベルの手の中で、パニックを起こすそれは、ビクンッとなって、硬直してしまう。

「そもそも!尋ねて来てのお邪魔しますと帰る時のお邪魔しましたは尋ねて来る者の最低限の礼義じゃろうが!」

「ス、スミマセン!ゴメンナサイ!」

「ならさっさと名乗らんか!」

「ボ、ボク、リグドブライト。遠イ空カラキマシタ!『星』ノがーでぃあんデス!」

「ほほう!『星』のガーディアンじゃと!?」

「ハ、ハイ!」

「……『星』のガーディアンじゃと?」

「ハイ」

「誰が?」

「ボクガ」

「……?」

「……?」

 訳が分からないといった表情のマリアベルだったが、ふと、頭の片隅にあった嘗ての『仲間』の一人、ティムの召喚していたガーディアンを思い出す。世界中を駆け回って手に入れたミーディアムの中の一つ。随分と小さくなってはいるが、姿までは変わっていない。確か……

「えび味のガーディアンじゃったか?」

「何デソレヲ一番最初ニ思イ出スンデスカ!?」

手の中のリグドブライトが、身の危険を感じたのか一段と激しく暴れようとした。

「ハ、放シテクダサイ!」

「……そういえば、丁度少し腹が減ったのぅ」

「イヤー!?」




 数分後、漸くシッチャカメッチャカから解放された体の二人は、ノーブルレッド城の客間で、漸く話らしい話の準備が済んだ様子だった。リグドブライトは未だにシクシクとテーブルの上で涙を流していたが。

「で、リグドブライトじゃったか?」

「ハ、ハイ!?」

「……そんなに脅えんでもよかろうに」

明らかに先程の事で未だにビクついているリグドブライトの前で、マリアベルが溜息を吐いた。もっとも、その原因は間違いなく彼女自身である。

「それで、リグドブライト。ファルガイアの守護者たるガーディアンの一柱が、わらわに一体何の用じゃ?」

水を向けられたリグドブライトは、しばしキョドキョドと目を周囲にめぐらして、深呼吸をして話し始めた。

「ジ、実ハ……」

「じつは?」

「実ハ、貴方ニふぁるがいあヲ救ッテ欲シイノデス」

「ファルガイアを?」

 ある意味予想外で、ある意味予想通りだったリグドブライトの言葉に、マリアベルの表情が真剣なものになる。

「どういうことじゃ?嘗てわらわのファルガイアを不埒にも我が物とせんとしたロードブレイザーは数百年前に、わらわが仲間達と共に滅ぼしたはずじゃ」

「ハイ、それハ確カニソノ通リデス。トイウヨリモ、今回ノ件ハろーどぶれいざートハ何ノ関係モアリマセン。ソレヨリモ、ムシロかいばーべるとこあニ近イ事態デス」

「カイバーベルトコアに?」

首を傾げたマリアベルに、リグドブライトが体を前に揺すって肯定の意を示す。

「ハイ」

「ふむ……」

リグドブライトの言葉に、しばし考え込むマリアベル。そして、しばらくして顔を上げて口を開いた。

「まず、二三聞きたいことがある。承諾するか否かはその後じゃ」

「ハイ」

「では一つ目じゃが、何故、ファルガイアに危機が迫っていることが分かったのじゃ?今世捨て人同然の生活をしておるわらわが言うのも何じゃが、世界が危機に瀕しているとは思えん。モンスター種が増えたという感覚も無かったのじゃが」

マリアベルの質問も尤もだった。嘗ての戦いでのカイバーベルトコアの存在は、モンスター種に対して特に影響を及ぼしていた。今回の件が、いわゆるカイバーベルトコアに近い現象ならば、生態系になにがしかの影響があるはずだった。

「ボクハ『星』ノがーでぃあんデス。ボクノみーでぃあむハふぁるがいあニ置イテアリマスガ、ボクノ体自体ハ、意識体ノママふぁるがいあノ周リヲ常ニ回ッテイルノデス」

「つまり、ファルガイアの外にいたお主は、接近する新たな世界に気が付いたという事かの?」

「ハイ。コノママ異世界ト正面衝突シテシマエバ、ふぁるがいあハ消滅シテシマイマス」

リグドブライトの説明に、マリアベルは納得したように頷いた。

「ふむ、成程。では次じゃ。ガーディアンは既に意識体となっているのは周知のことのはずじゃ。じゃが、何故お主は姿を現しておるのじゃ?ついでに妙に縮んでおるようじゃが」

「ソレハ単純ニ『力』ノ問題デス。ボクノ能力デハ、体全体ヲ顕現スルノハ確カニ不可能デスガ、コレ位ノ大キサナラ、ソレ程問題ガ無イトイウ事デス」

「そうか……」

マリアベルとしても、これはあくまで確認程度の質問だった為、適当に流す。

「では、最後の質問じゃ。お主はさっきわらわにファルガイアを救って欲しいと言ったが、一体何をさせるつもりなのじゃ?」

 マリアベルとしては、ファルガイアの支配者を自任する以上、それを守るために全力を尽くすことに否は無いが、嘗ての『仲間』に対してガイアが『ソウ』接したように、生贄になれなどとほざくようならば、容赦をする気は無かった。無論、最終手段となれば、考慮に入れない訳にはいかなかったが……。
 しかして、にわかに緊張した空気になったが、リグドブライトは生真面目な口調で説明を始める。

「異世界ノこあヲ見ツケテクダサイ」

リグドブライトの説明は簡潔だった。

「世界トイウモノハ、中心トナル精神的高えねるぎー体ヲ、現実トイウ物理的ナ殻ガ覆ッタ構造ヲシテイマス。精神体デアルボクタチハ、コノ外殻を破ル為ニ顕現スルト、ソノ力ノ殆ドヲ使イ果タシテシマウノデス」

「つまり、自分達だけでは異世界のコアにたどり着くことが出来ないという事かの?」

「ソノ通リデス」

「ふむ、異世界のコアを見つけた後はどうなるのじゃ?」

マリアベルが、最終的な解決の為の手段を聞く。

「精神体を固定する方法はあるが、それはいらぬ犠牲者を出す。まかり間違っても自らの意志で行う場合以外は取ってはならぬ手段じゃ」

マリアベルの念押しに、リグドブライトが頷く。

「最終的ナあたっくハ、ボクガ行イマス。貴方ニハ、コレヲこあノ近クデ使ッテ欲シイノデス」

その言葉の終わりと共に、マリアベルの掌に小さなアミュレットが零れ落ちた。

「これは?」

「ボクノ召喚陣デス。ソレガアレバ、ボクハ異世界ノこあニ直接攻撃ヲ仕掛ケル事ガ出来マス」

 リグドブライトの話を聞いていたマリアベルはしばし黙考していたが、やがて「ふぅ」と溜め息を吐き、何かを決心した表情になった。

「いいじゃろう」

「エ?」

「ファルガイアを守るのも、支配者たるわらわの務めじゃ」

そう言って立ち上がったマリアベルに、リグドブライトは礼を言った。

「アリガトウゴザイマス!ソレデハ直グニココヘ向カッテクダサイ」

パラパラと巻き起こった星屑の文字が象ったのは、一つの座標であった。

「む?これは一体?」

「貴方ノ仲間ガ居ル場所デス」

座標の意味を問うマリアベルに、リグドブライトが嬉しそうに答えた。

「仲間……じゃと?」

マリアベルが訝しげな表情をする。

「ハイ。『異世界』ヘ行クノニ、タッタ一人デハ、アマリニモ大変ナノデ、コチラデ仲間ヲ見ツケテオキマシタ」

自信満々にリグドブライトが言い放った言葉に、マリアベルは「ふむ」とだけ返す。

「デスガ、ボクノ『力』デ運ベルノハ、精々他ニモウ一人ガ限度ダッタノデ、他ニ一人ダケデスガ」

「それは構わぬが……わらわの足手まといにはならないじゃろうな?」

「ハイ!ソレハ間違イ無イデス!貴方ニトッテモぴったりナ人デ、ア、モウ時間切レデス」

マリアベルの質問に、中途半端にそれだけ言って、えび味のガーディアンは掻き消えるようにいなくなったのだった。




 それが、三日程前にノーブルレッド城のマリアベルの寝室で起きた出来事のあらましだった。そして今、マリアベルは一人で道無き道を進んでいた。

「……」

 話す相手も居ないため、無言なのは致し方なかったが、その表情はどこか冴えない物だった。原因は、既に三度となった廃墟の街での宿泊だった。
 マリアベルがノーブルレッド城に引きこもって数百年。外界が、マリアベルの記憶にあるそれと大きく異なっているのは当然といえば当然だった。が、前の数百年は、まだ辛うじて外界との交流は残っていた。ロードブレイザーの復活の時期がいずれ来る予定だった事もあってのことだったが、それでも外界とマリアベルは完全に切り離されてはいなかった。しかし、今回の数百年は少し違った。単に相手がいなかったのも理由だったが、ある事情でマリアベルは外界からの情報を自ら遮断していたのだった。
 そして、話は戻る。
 リグドブライトが見せた座標を元にマリアベルがやって来たのは、何の変哲もない石畳のゴーストタウンだった。

「さて……リグドブライトが言うには、ここにわらわの仲間とやらいるようじゃが」

 リグドブライトの言葉を思い出し、マリアベルは首を捻った。仲間と言うならばまだ分かる。仮にもファルガイアを守るために異世界に共に飛び込むのだ。まだ会ってはいないものの、仲間と呼んでも差し支えは無いだろう。だが、相応しいというのは一体どういうことだろうか?相当の手練ということだろうか?仮にもい世界に向かう以上、その可能性はある。だが、それならばどうして「相応しい」などと言ったのだろうか?単にマリアベルの足を引っ張ることが無いという意味ならば、「腕の立つ」で済むはずだ。
 街を覗き込むと、石畳の隙間からは草が所々にその姿を悠々と陽気の元に晒しており、崩れた町の外壁に違うことの無い良く言えば自然豊かな、悪く言えば荒れ放題な外観だった。しかし、石畳の草むらの中にある獣道や、崩れかけているものの、所々修繕されている下手な日曜大工などなど。他のゴーストタウンとは違い、廃墟の中に僅かながらも人の暮らしの残渣を感じられた。

「ふむ……」

 少し考え込んだマリアベルだったが、わざわざ来たにもかかわらず、町の真ん前で立ち止まっていても仕方が無いと、町の中に一歩足を踏み入れた。獣道を掻き分けて進むと、サクサクと一応刈り取られているらしい雑草を踏みしめる音が鳴る。崩れかけた家々の中で一軒だけ修繕の為された白い建物。既に外壁には幾条もの蔦が絡みついてはいるものの、他の家々よりはかなりマシだった。近づくと、ふんわりと甘いパンの匂いが立ち上ってくる。どうやらここが、リグドブライトの言っていた『仲間』が待つ場所のようだった。




 立て付けが悪くなっているらしいドアを蹴っ飛ばす様に開けると、中から香ってくるパンの甘い匂いが一段と強くなった。同時に、丁度調理を終えたらしい肉の匂いが後を追う様にやってくる。そして、正面には料理の配膳をしている人間の姿。長身で肉付きのいい体型。広い肩幅から、普段からトレーニングを積んでいることが見て取れる。その長身の青年もまた、マリアベルに気が付いたようだった。

「いらっしゃい。すみませんね。今丁度手が離せなくて」

「よい。時間も指定せなんだは、こちらの手落ちじゃ」

その声音も誠実そうで、マリアベルは好感が持てた。しかし、同時に心のどこかで一つの疑問が首をもたげた。漠然と感じる違和感。どこかで聞いたことがある声。頭の中でちらりとそんな感想がよぎった。

(馬鹿な……)

マリアベルはその疑問を内心で苦笑しながら打ち消した。自分がノーブルレッド城に引きこもって既に数百年。旧知の者など既に生きている訳が無かった。
 と、そうこうしているうちに配膳が終わったらしく、青年がエプロンを外して手をハンカチで拭っていた手を休め、マリアベルを振り返る。

「いやー、どうもお待たせして済みません」

「構わぬぞ。大して待ってはおらぬしの……」

「はは、それはよ、か……」

「……」

沈黙だった。沈黙以外、出てくるものが無かった。出会った二人の視線の先には、互いの呆気にとられた表情のみ。

少女の視線の先には、一人の青年が。

青年の視線の先には、一人の少女が。

「マリア……ベル?」

「ア、アシュレー?」

嘗て、世界を救った六の二。
記憶の遺跡で戦う事を誓った四の二。
そして、全てが終わったファルガイアの為に再び立ち上がる二の二。




     ◆




「当たれっ、メガトンインパクトッ!!」

 空間に衝撃が走り、壁が内側からえぐれる。既に部屋の中はマリアベルが壊した家財道具や食器の残骸が、床一面に散らばっていて、見るも無残な有様だった。

「ちぃ!外したか!」

「ちょ、ま、待って!マリアベル待ってくれ!」

「わらわの名を気安く呼ぶでない!」

叫びながら、マリアベルのエアスラッシュが飛ぶ。

「マ、マリアベル!一体どうしたんだ!?」

「黙れっ!」

青年の制止を振り切る様な、強い拒絶を含んだ叫び声と共に、マリアベルのレッドパワーが一段と激しさを増す。感情に任せた力の奔流が、目前の敵を押し流さんと激発する。

「わらわの、わらわの大切な『仲間』を、貴様如きが汚すな!」

破壊が、室内を押し包んだ。

「くっ!」

顔面を庇いながら、なんとか踏みとどまる青年に、マリアベルは一切の慈悲無く襲いかかる。

「クローンかドッペルゲンガーかは知らぬ!貴様の事情など、わらわが知るわけもない!じゃが!」

魔力。

「貴様がわらわの『仲間』を穢すというのならば!わらわは、その愚かな行為ごと貴様を打ち払ってくれようぞ!」

収束が起こり、ゆらりと視界が歪む。青年が目の先に捉えるもの全てが、マリアベルの怒りに共鳴して打ち震えているかのようであった。

「ま、待ってくれ!マリアベル!」

「黙れぇぇ!!!!!!」

室内が爆砕した。




 青年の上に、マリアベルがいた。顕在化させた魔力を両手に纏い、その首に手を掛けようとしていた。もう既に、戦いは決着がついていた。後は、この首を掻き切るだけ。それだけで、この悪魔のような存在は消え去る。そうマリアベルも思っていた。

「う、」

だが、

「ううう」

それは、

「くぅぅぅ……」

出来そうになかった。

「マリア……ベル?」

「……何でじゃ?」

「え?」

マリアベルがポツリと零した。

「何故、貴様はそんな姿をしておる?」

「……」

「何で、そんな言葉を話す?」

「……」

「何で、何で……」

「……」

「何でわらわは貴様を殺せぬのじゃ?」

「……」

「う、うう……」

「マ、マリア……」

「う、ひ、ひっく、う、うええ〜〜〜ん!!」

 何かを話しかけようと青年が口を開いたのとほぼ同時に、マリアベルは耐えきれなくなって、泣き出してしまった。大声を上げて、まるで見た目通りのただの無力な少女の様に。そこには、ノーブルレッドとしての気高さも、伝説のイモータルとしての凄みも、焔の魔神を打倒した威圧感も、何一つなかった。

「マリアベル」

「いやっ!」

青年の手が、マリアベルの拒絶によって弾かれる。

「アシュレーは死んだのじゃ!他の皆も!わらわを置いて!わらわは今一人なのじゃ!皆いないのじゃ!これは幻覚なのじゃ!何故じゃ!?何故アシュレーなのじゃ!?トニーでもよかろう!?スコットでも!リルカでも!ブラッドでも!ティムでも!カノンでも!アーヴィングでも!アルテイシアでも!………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………アナスタシアでも。何故じゃ……何故夢を見せる様な事をする?これは現実では無いのじゃ。最早わらわが、あやつらと会う事は無い。なのに、何でこんな甘く辛い夢を見せるのじゃ……?」

「マリアベル……」

少女のすすり泣く音のみが響く廃墟の中、不意に空間が歪んだ。

「アレ?モウ着イテマシタカ」

ポコンと現れたのは、全ての元凶たる一匹のえび。『星』のガーディアン、リグドブライトだった。




 部屋の中の惨状を見て、マリアベルは話の出来る状態では無いと判断したリグドブライトは、その意識をアシュレーに向ける。

「コレハ一体ドウイウ事デスカ?」

「どうもこうも、僕の方が聞きたいよ。というか、僕自身取っても混乱しているんだけどな?僕にもそうだったけど、マリアベルにも僕のことは話さなかったのか?」

「ア……」

青年。アシュレーの言葉に、ブラッ○エンドは「シマッタ」という表情をする。
 ばつが悪そうにするえび味のガーディアンに、アシュレーは言い様の無い脱力感を感じて、大きく溜息を吐いた。

「とにかく、マリアベルの誤解を解いてくれ。今すぐ」

「ア、ハイ……まりあべるサン!」

 蜘蛛の呼びかけに、一瞬ピクリと反応したマリアベルだったが、顔を両手で覆ったまま、嫌々をするように首を振った。その様子に困ったような表情になったリグドブライトだったが、すぐに気を取り直してマリアベルに話しかける。

「マズ最初ニ断ッテオキマスガ、貴方ノ前ニイル青年ノ名ハあしゅれー・うぃんちぇすたー。数百年前、貴方ト一緒ニかいばーべるとこあヲ打倒シタ仲間ノあしゅれー・うぃんちぇすたー本人デス」

「!」

 ビクンとマリアベルの肩が跳ね上がる。しかし、すぐに反応は無くなり、代わりに警戒した雰囲気が伝わってくる。

「突然コンナ状況ニナッテシマッテハ、ボクノ言ッテイルコトデハ信用ナラナイデショウ。彼ノ言葉モ同ジ。くろーんハ記憶ノ共有モ出来マスカラネ。デスガ、一ツダケ証拠トナルモノガアリマス」

「……」

「あしゅれーサン。『剣の英雄』ヲ」

「!?」

 その言葉と共に、マリアベルの顔が跳ね上がった。


それは、未来を掴むための鍵。災厄の焔と戦うための皆の力。


 その力は、『剣の聖女』アナスタシア・ルン・ヴァレリアよりアシュレー・ウィンチェスターへと受け継がれた力。聖剣アガートラームに端を発するそれは、到底クローンなどという仮初の器に放り込むことは出来ない。姿の似通った偽物が出来上がるのが精々だ。逆に言えば、嘗ての『仲間』の姿をした目の前の青年が本物の『剣の英雄』の姿を取ることが出来た時それが何を意味するかは……言うまでも無い事だった。
 マリアベルの真剣な表情を見て、アシュレーはリグドブライトの言葉に頷いた。
 静かに目を閉じて、意識を集中する。深層心理の海の中にある自身の内的宇宙を泳ぎ進む。人の、未来を生きるという希望の結晶を解き放つ感覚。……




 マリアベルに組み敷かれたままのアシュレーの体が強烈に発光する。そして現れるは……『剣の英雄』




 目の前にあるその姿に、マリアベルは呆然とする。視線の先の主は、青い長髪の青年。そして流れ出る神々しさは嘗ての親友のそれと同じものだった。
 姿形のみならず、漂うオーラ、溢れる威圧感、強烈な魔力。どれもこれもが記憶の中のままだった。

「あ、ああ」

「どう?信じてくれた?」

「あああ……」

「えっと……マリアベル?」

「あ」

「あ?」

「アシュレー!!!」

少女は『仲間』の胸へと飛び込んだのだった。




     ◆




 アシュレーの胸に抱かれながら、ぽろぽろと涙を零すマリアベル。数百年の間に錆ついていたせいか、涙腺が脆くなっていたようであった。その正面で困った様に頭を掻く、剣の英雄の姿のアシュレーをよそに、リグドブライトが音も無く二人の前の床に降り立った。

「エット、ソロソロイイデスカ?」

雰囲気的にはそっとしておくべきなのだろうが、そうすると日が暮れてしまいかねないのでリグドブライトが若干躊躇しながらも、二人に声を掛ける。アシュレーが変身を解除しながら少し困ったような雰囲気で「どうぞ」と先を促した。

「マズ話シテオクコトハ、異世界ハ名ヲ『はるけぎにあ』ト言イマス」

「ファルガイアに接近している世界だったか?」

「ハイ。こあハ名ヲ『しゃいたーん』トイウソウデス」

「異世界のコアか……。ん?何で名前を?」

「実ハ、良イ知ラセト悪イ知ラセガアリマシテ」

「何かあったのか?」

「ハイ。ドッチカラ聞キタイデスカ?」

「えっと、じゃあ良い方から」

「ソレジャア。良イ知ラセデスガ、『はるけぎにあ』ヘノ侵入ノ目途ガ立チマシタ」

「そっか。前言っていた強烈な結界は無くなったのか?」

 以前アシュレーの前に訪れた際にリグドブライトが言っていた関門の一つが突破できたことに安堵する。

「イイエ」

但し、アシュレーの質問に、リグドブライトは否定を返した。

「実ハツイ最近分カッタノデスガ、『はるけぎにあ』ハ、内部カラ結界ニ穴ヲ開ケテ、外部トノ接触ヲ度々行ッテイタノデス。ナノデ二人ハコノ隙間ヲ利用シテ向コウノ世界ヘ行ッテモライマス」

 リグドブライトの説明に、アシュレーは納得したように頷いた。が、そこで引っかかることが出て来た。

「あれ?結界ってそう何度も穴があく物なのか?」

 アシュレーの疑問も最もだった。何の要素も無いにもかかわらず、結界が破られるなど、シエルジェの事を考えればあまりにも杜撰としか言いようがないことだ。

「ソレガ悪イ知ラセデス」

そう言って、リグドブライトの説明に、は嘆息した。

「御二人ニ行ッテモラウ異世界ニハ知的生命体ガイマス。彼等ガ召喚ヲ頻繁ニ行ッテイルタメニ、結界ニ穴ガ開クノデス」

「ふーん。でも、何でそれが悪い知らせ何だ?」

「当初ハ、異世界ヲマルゴト破壊スル予定デシタガ、ソレガ出来ナクナッテシマイマシタ」

「え!?じゃあ」

「代案ハ考エマシタ。こあヘノあたっくハボクデハナク『ダン・ダイラム』ガ行コナウコトニナリマシタ。こあ周辺デ時間ヲ強制的ニ加速サセルコトデ衝突ヲ防グコトガ出来マス」

「そっか……」

ホッとした様子のアシュレーを見ながらリグドブライトが「タダ……」と続けた。

「上位ノがーでぃあんデアル彼ノ力ヲ行使スルタメニハ多大ナ力ガ要リマス」

「まだ何か?」

「精神力ガ足リマセン」

リグドブライトの言葉に、アシュレーが沈黙する。魔法の知識が無い彼では、この点に関してはどうすることもできない。

「ナノデ、向コウノ世界デ最低一人、協力者ヲ得テクダサイ」

「ちょ、待ってくれ、僕たちは向こうの文化はおろか、言葉すら碌に分からないんだぞ?」

「確カニ、ソウカモ知レマセン。デスガ、シテモラワナケレバイケマセン。ソウデナケレバ」

「……どうなるんだ?」

どうなるかは百も承知だったが、軽い現実逃避も含めて、アシュレーは思わず訊いてしまった。

「世界ハ両方トモ滅ビマス」

そして、部屋に重い沈黙が訪れたのだった。

「期限ハ一年。出発ハ明日ノ早朝デス。明日ノ早朝、ボクハ二人ヲ星屑ノ一ツトシテ、結界ノ孔ヘ滑リ込マセマス」

 それだけ言って、『星』のガーディアンの姿は掻き消えたのだった。




     ◆




 しばらくして、グズグズとしていたマリアベルの調子がいったん落ち着いたのを確認したアシュレーが「大丈夫?」と声を掛けると、マリアベルはプイッと顔を逸らした。表情は若干怒っているようだったが、その頬は恥ずかしさの為に薄桃色に染まっていた。

「えっと……久しぶり。マリアベル」

「……」

「えっと……」

「死人がいきなり蘇ったせいで驚いただけじゃからな!たまたま、そう!たまたまじゃからな!」

「う、うん」

「だから、さっきのことはさっさと忘れるのじゃ!」

「りょ、了解……」

ぐしゅりと鼻をすすったマリアベルが、プクッと膨れてアシュレーに言う。その負けん気の強そうな表情が、昔と変わらぬ二人の関係を表しているかのようで、アシュレーの表情は自然と笑みの形をとる。

「……」

「……」

「……」

「……ぷ」

そして、どちらともなく噴き出した。

「く、くくくくくっ」

「はは……」

向かい合った二人は、それぞれ今度こそしっかりと相手を見つめる。

「久しぶりだね、マリアベル。元気そうで良かったよ」

「お主もな、アシュレー。息災そうで何よりじゃ……本当にあのアシュレーなんじゃな?」

「うん。間違いなく僕が、オデッサ、カイバーベルトコア、ロードブレイザーと戦った、ARMSのメンバーのアシュレー・ウィンチェスターだよ」

そう言って、快活に笑ったアシュレーに、マリアベルは強い既視感と共にいつぶりか分からない安心というものを感じていた。

「そう、あ゛!?」

と、そこで何かに気が付いたマリアベルが、およそ少女の外見らしくない悲鳴を上げた。

「すまぬ!」

そして、その場でガバッと頭を床に打ち付けんばかりの勢いで下げたのだった。

「?……ああ」

視線の先、見事に散らかった室内を見て、アシュレーは納得したように頷いた。

「気にしなくていいよ。また作ればいいんだし」

「じゃが、それは、お主が歓待の為に作ったものじゃろう?その量は作るのも大変だったじゃろうに、それをわらわが全部だめにしてしまって……」

自分で言っていて申し訳なくなったのか、しょんぼりとするマリアベルにちょっと困ったようなアシュレーだった。料理は歓待の為の物であって、マリアベルに頭を下げさえる為の物ではない。確かに、料理がだめになったことに対する腹立ちはあるが、こんなにしょんぼりされると、その気持ちもすぐに立ち消えてしまう。
 やれやれと頭を掻いて、リビングの奥からモップを取り出して来た。

「それじゃ、片づけを手伝ってもらおうかな?」

「いいのか?そんなことで……」

少し納得できない様子のマリアベルに、アシュレーは「ははは」と笑う。

「いいんだよ。どうせ、ここを出たらしばらく帰らないから、むしろキチンと片付けを手伝ってくれる方が有難いしね」

そう言って、笑ったアシュレーに、「そうか」と頷いたマリアベルは、モップを手に取ったのだった。
 散らばった皿をアシュレーが摘み上げて、麻袋に次々と放りこんでいき、その後ろから、マリアベルがモップで食材を片づけて行く。初めの内は、ぎこちないながらも会話をしていた二人だったが、作業が進むにつれて、だんだんと口数が少なくなっていく。

「のう、アシュレー」

「うん?」

その沈黙の中でふいに響いたマリアベルの声に、アシュレーが顔を上げる。

「なに?どうかしたの?」

「うむ、気になったのじゃが、アシュレーがわらわの知るアシュレーに間違いないことは分かったのじゃが、だとすると分からないこと、いや、確認しておきたいことがあるのじゃ」

「何かな?」

マリアベルの疑問に、アシュレーも立ち上がって首を傾げる。

「おおよそ予想はついておるのじゃがの、アシュレー。今お主がわらわの前に立っている原因は、アガートラームという解釈で間違いは無いかの?」

その確認に、アシュレーは頷いた。

「そうだね。と言っても、僕も自分でよく分かってないんだけどさ。それ以外理由らしい理由が無いから」

「そうか」

マリアベルが納得したように頷いた。

「マリアベルは、今まで何を?」

今度はアシュレーからの質問が投げかけられた。

「わらわか?そうじゃの……ゴロゴロしておったの」

「ぷ……」

こともなげに言われた言葉に、噴き出したアシュレー。対するマリアベルも、ニヤッと笑ってアシュレーに水を向ける。

「アシュレーの方は今まで何をしておったのじゃ?」

「僕?僕は……まあ、ブラブラしてたかな」

「そうか……」

そして、二人揃ってくすくすと笑いだす。
 長寿とは暇なのだ。予想していた通りに二人揃って時間を浪費していたことを知り、何となく可笑しな気分になったアシュレーとマリアベルだった。




 再び、キッチンのテーブルに料理が並んだ。と言っても、先程の様な余所行きの料理ではなく、ごくごくありきたりな、家庭向けの適度にきちんとしていて、それなりに手の抜けたアシュレーの手料理だった。

「それじゃあ手を合わせて……」

「うむ」

「「いただきます」」

声を合わせて合掌した二人は、それぞれスプーンを手にとって料理を口に入れる。

「!!」

マリアベルが、最初の一口を口にして、驚いたような表情をする。

「ん?口に合わなかった?」

アシュレーが、少し不安そうな表情をする。自身をファルガイアの支配者とも高貴なる者とも称するマリアベルなら、舌がとても肥えている可能性があると考えての言葉だった。
 が、その心配は無用だった。

「いや、逆じゃ。こんな美味い物久方ぶりに食べたからのぅ」

そう言って、パクパクと無言でスプーンを進めるマリアベルに、アシュレーが嬉しそうに笑う。

「そっか。良かったよ。何せ十数年ぶりくらいの料理だったから」

「そんなに経ったのか?」

「うん。最後に作ったのが、昔ダムツェンがあった所に出来てた村で、子供たちにちょっと料理を振舞った時だからそれくらい」

「ふむ、まあ、わらわ達も根本的には食事は必要とはしないからのぅ」

 不死者であるマリアベルは、基本的に余計なものを一切必要としない。一応吸血種とはなってはいるが、それもあくまで嗜好品。ある意味、完全に単体で生存が可能という意味では、成程、伝説のイモータルという評はあながち外れではないのかもしれない。
 一方のアシュレーも、『剣の英雄』の姿になって数百年で気付いた事だったが、何時の間にやら食事という物が必要無くなっていたのだ。

「しかし、何故旅……」

「!?」

質問をした瞬間、マリアベルは後悔した。
 歪んだアシュレーの表情がいろいろなことを物語っていた。それは、苦痛と悔恨と悲哀を綯交ぜにした様な、そんな表情だった。

「すまぬ」

小さく謝ったマリアベルに「いや、気にしないでくれ」とアシュレーは小さく言ったのだった。
 気まずい沈黙が流れる中、それでも話しておかなければいけないことだとマリアベルは水を向ける。

「時にアシュレー」

「うん?」

「異世界の事でじゃが、準備は出来たのかの?」

「一応準備は出来たけど、マリアベルは?」

「うむ、一応アカとアオはカスタマイズ済みじゃが、恐らくゴーレムは異世界まで連れてくることが出来んからの。代わりにアースガルズとキュベレイの設計図を持って来たのじゃ。お主の方は、弾薬は大丈夫かの?」

「弾丸の製作キットと予備の火薬は出来る限り持ったけど、場合によっては『剣の英雄』への変身を多用することになるかもしれないな」

「ふむ、まあ、わらわ達が出来ることは今はせいぜいそれくらいじゃろ。所でさっきのことじゃが、リグドブライトと何を話しておったのじゃ?」

丁度、大泣きしていたタイミングであったので、マリアベルはリグドブライトとアシュレーの会話を聞き逃していたようだった
 アシュレーが、リグドブライトとの会話をマリアベルに説明する。『ハルケギニア』と、そのコア『シャイターン』の話、そこにいる召喚者の話と破壊が不可能となった話。『ダン・ダイラム』召喚の為に協力者を得なければいけないという話、そして、その全ての期限が凡そ一年であることを残らずマリアベルに伝えると、「ふむ……」と納得したように頷いた。

「確かにその辺のことが問題じゃの。場合によっては絵やジェスチャーでの会話も視野に入れる必要があるのじゃ」

「紙を何枚か持って行く?」

「いや、わらわの電子設計図を使えばそれ程問題は無いじゃろ。それよりも『シャイターン』じゃ。『グラブ・ル・ガブル』の様に、伝承の存在となってしまっていたら、それこそ探すのは骨じゃぞ。場合によっては字をなるべく早く学ぶ必要もあるかもしれん」

「うん……」

 部屋に沈黙が再び降りる。

「ふむ、どうやら、なかなかどうして前途多難じゃな」

「そうだね。僕も、弾薬が十分に手に入るか分からないし」

「わらわもゴーレムが使えぬ。必然的にレッドパワー主体になるじゃろうな。こうなると、わらわ達が二人揃って食事を必要としないことが唯一の救いじゃな」

そう言って、疲れた様に溜息を吐いたマリアベルに、アシュレーも頷いて同意したのだった。

「じゃあ持って行くのは武器類と、身の回りのものか」

「ふむ、そうじゃな。そんな所じゃろ。後は貴金属の類なんぞはあってもいいかもしれんの。向こうの貨幣価値が分からぬ以上、物々交換で使える可能性がある上に、それが出来なくとも、わらわの場合は様々な加工を施して有効活用できるからの」

「そっか……じゃあ、貴金属の類を集めてくるよ。確か、他の家とかに少しはあったはずだから」

「うむ、加工してある物は残念じゃが全て潰すのじゃ。量が増えても、それに見合う価値が付くかは分からんからのう」

「了解」

 アシュレーが頷いて部屋を出て行くと、マリアベルも立ち上がって行動を開始する。移動の関係もあって準備に時間が割けなかったが、『異世界』では何があるのかは分からないのだ。




     ◆




「マリアベルー!湯加減大丈夫ー?」

「丁度いいのじゃー!」

「わかったー!」

 夜、マリアベルはアシュレーが使っていた家の風呂の浴槽に浸かっていた。既に貴金属集めや、使えそうな金属集め、はたまた物々交換で使えそうな携帯保存食の類などの回収を全て終えていた。元々それ程者が残っていなかった町だったが、幸いなことに、誰かのヘソクリと思しき、そこそこの量のギャラや干し肉などの保存食がある程度残っていた。
 その回収も済んで、それぞれ、ARMとアカ&アオの入念な整備を済ませた二人は、油塗れになった手で夕食を終え、そこでアシュレーがマリアベルに風呂を使わないかと提案した。『異世界』に行けば、何時風呂に入れるとも分からないのだ。
 マリアベル本人も、女性らしくそのことを懸念しており、最終的にはバケットフォールとファイアボルトを使うことも考えていたが、やはりゆっくりと風呂に浸かる機会は貴重だ。最初は薪を採取するアシュレーの手間を考えて断ろうとしたが、「薪はもう取って来たのがあるし、どうせ『異世界』に行ったら暫く帰って来られないだろうから気にしなくていいよ」という本人の言葉と風呂への誘惑に負けて、風呂を使わせてもらうことにしたのだった。入浴の際に、「覗きたければ覗いてもいいぞ?」とニヤニヤしながらアシュレーをからかうことは忘れなかったが。
 真っ赤になって「な、何言ってるんだ!」と叫んだアシュレーから笑いながら逃げ出したマリアベルは、今、そのアシュレーが沸かしてくれた湯に、その幼い肢体を存分に伸ばして「ほぅ……」と満足げに溜息をもらした。その頬は桜色に染まっており、アップに纏めた金色のうなじと合わせると、年齢にそぐわない少女の体であっても、どこか淫靡で艶やかな色気が立ち昇ってくる。

「ふむ、いよいよ明日かの……」

呟いて、浴室の天井を見上げる。木目に沿って並んだ雫が、時折零れ落ちてピチョンと静かな浴室に瞬きの喧騒を与える。グーッと伸びをして、窓の外にある月を眺める。

(今日は本当にいろんなことがあったのぅ……)

 既に死んだと思っていた、嘗ての『仲間』との再会。そして、実に数百年ぶりとなるレッドパワーの全開。そして、長らく忘れていた戦闘準備とそれに付随した作戦立案や問題確認。明日から世界救済という名の戦場に身を投じることになる……が、そんな中でもマリアベルの心は、どこかウキウキと楽しげに弾んでいるのだった。原因は分かっている。

(アシュレー……じゃな)

パシャリと小さく水音を立てて、湯船から立ち上がる。肉体年齢通りの肉付きの薄さながらも、絹の様な滑らかさを持つ純白の平原。その中心にある桜色の蕾から、真直ぐ降りた薄らと浮いた肋を通り過ぎると、スッと縦一直線に入った臍を通り過ぎる。そして、その先には、未だ犯されたことの無い聖域が、ぷっくりと汗で仄かに色付いていた。
 浴室に置かれていた小さな椅子に座り、ごしごしとスポンジを泡立てる。

(数百年ぶりに会った『仲間』じゃからな。わらわで無くとも心躍るわ)

内心で呟きながら、乳白色の泡沫を雪のように白い肌にスーッと滑らせてゆく。
 腕、首、胸、お腹と、上から順番に、体全体を揉み解す様に清めて行く。

(嘗ての『仲間』……それ以外に理由などないのじゃ。これ以上ないくらいに幸福なことじゃからの!)

 立ちあがって、プリッと小ぶりながらも柔らかそうで艶のあるお尻をゆっくりと回す様にスポンジで撫で上げていく。その間にも、頭はアシュレーとの思い出の事を考えていた。

(確か、初めて会ったのはアナスタシアの『記憶の遺跡』じゃったか……)

そう、ARMSの六人の実戦部隊の中で、アシュレーと一番最初に出会ったのは自分だった。

―なんじゃ?お主は?ここは危険じゃ。早々に立ち去った方がお主の為じゃぞ?―

確か、最初の会話はこんな感じだった。我ながら色気の無いことだ思う。

―チト、線が細いようじゃが……頼りになるのか?―

こんな言葉も口にした。今になってみれば、これほど頼りになる『仲間』もそうそういないと思うが……。
 六人の仲間の姿を順繰り順繰り思い返す。カノン、ティム、リルカ、ブラッド……そして、アシュ、

「!?」

幸せそうな、仲間達の姿。世界の危機を皆で救った翌年のアーヴィングの葬儀。それを振り返った時、不意にマリアベルの胸に微かな圧迫感が生まれた。

「……?」

しかし、当然心当たりも無く、マリアベルは「む?」と小首を傾げただけで、また体を黙々と洗い始めたのだった。
 人の喧騒の無い静かな夜。微かに流れる少女の鼻歌に乗って、ファルガイアの夜は緩々と更けていくのだった。




     ◆




――早朝の『ファルガイア』――

 既に身だしなみを整えて準備万全になった二人が、リグドブライトがやって来るのを今か今かと待っていた。
 シューティングスターのグリップの調子を確かめるアシュレーと、ペタペタとリミテッドゴーグルを触って何度も位置をずらすマリアベル。今朝早くから、最終確認を行っていた二人だったが、リグドブライトがやってくる予定の時間が近づくにつれて、徐々に口数が減り、会話が少なくなっていった。そして今、二人は少なからず緊張の面持ちでゴーストタウンの入り口に立っていた。

「ん、そろそろ時間かな」

「そうか。……アシュレー」

「ん?」

「緊張しておるか?」

マリアベルの質問は尤もだった。何せ、軽く百年ぶりくらいの実践なのだ。マリアベルに至っては実に数百年ぶりと言っていい。いくらこの二人といえども、緊張しない訳が無かった。しかも、二人の失敗はそのままファルガイアの滅亡に繋がるのだ。

「そうだね。こんなに緊張したのは久しぶりだよ……」

頷いたアシュレーに、マリアベルもまた頷き返す。

「わらわもじゃ」

「マリアベル……」

「じゃがの、確かに僅か一年じゃが、されど一年じゃ。何かを成すには十分な時間じゃ……」

「うん」

「ま、今から無駄に緊張していても仕方が無いからの!」

最初は自分に言い聞かせるように、最後はパッと明るくあっけらかんと言い放ったマリアベルに、「そうだね!」と同意しつつアシュレーは笑ったのだった。
 二人の緊張が程良くほぐれた所を見計らったかのようなタイミングで、空間にパカッと亀裂が走り、ピョコンとリグドブライトが下りて来た。そこまでは何度か見た光景だったが、今日はその後ろに、ドスンと巨大な岩の様な物が一緒に降りて来た。外見は、大体普通の岩と同じだったが、一点、正面に当たる所に、大きな緑色のガラスの様な物が填め込まれており、そこから中を覗き込むことができた。

「ドウモ、御待タセシマシタ」

そう言って、二人の前に立ったリグドブライトが腰を折った。

「いや、そんなに待ってないから気にしなくてもいいよ」

そう言って笑ったアシュレーに、マリアベルも隣で同意する。それよりも、

「それじゃあ、最終確認を始めていいかな?」

こちらの方が、二人にとっては重要な事だった。
 アシュレーの言葉に再び同意したマリアベル。二人に、頷いたリグドブライトも最終確認を始めた。

「マズ、御二人ニヤッテモラウノハ、『異世界』ノ『こあ』、『しゃいたーん』ニ接触シテ、『だん・だいらむ』ノ召喚ヲ行ウ事デス」

「うん」

「ソノ際ノ注意事項ハ、『ダン・ダイラム』ヲ顕現サセルタメニ、一人以上ノ現地ノ協力者ヲ得ルコト」

「了解ジャ」

「限界ハ凡ソ一年……オ願イシマス」

そう言って、言葉を区切ったリグドブライトに、二人は直立する。

「「了解!」」

そして、二人揃って一部の隙も無く敬礼のポーズをとる。数百年ぶりのARMSの出撃だった。




 注意事項の確認が終わると、二人はリグドブライトのポッドに各々の荷物を乗せていく。武器だけでなく、弾薬や貴金属、その他生活用品だ。それらを積み込む作業はアシュレーが買って出た。「男手があるのに、女の子に力仕事をさせるわけにはいかないしね」と言って笑ったため、マリアベルの方は少しばかり手持無沙汰な様子でその作業を見ていた。

「よしっ!これで最後かな?」

 こげ茶色のバッグに入った火薬の類を詰め込んだアシュレーが、中を見回しながら確認していく。二人が乗るスペースは十分だったが、大分手狭になった感じだった。

「マリアベルー!全部詰め込んだけど、まだ他に乗せたい物って何かあるー?」

少し遠くに座っていたマリアベルに声を掛けると、立ちあがって腕を組み、ちょっと何かを考えている様子だった。が、それはすぐに終わり、ポンッと手を打つとパタパタとした走り方でアシュレーの家の中に入って行った。そして、数分も経たずに、手に何かのバッグを持って戻って来る。

「待たせたのじゃ」

「いや、そんなに待ってないけど、それ何?」

「これか?これはじゃ「御二人トモ準備ハ出来マシタカ?」

 マリアベルが答える直前に、ポッドの上で待っていたリグドブライトが間に入ってきたため、二人の会話はそこで中断した。アシュレーとマリアベルの二人も、そこで動きを止めて一旦リグドブライトを見る。

「ああ、こっちは準備は良いよ」

頷いたアシュレーに自身もコクリと頷き返し、改めてリグドブライトは宣言する。

「ソレデハ出発シマショウ」




「よい……しょ」

 背中に背負ったシューティングスターを中の荷物に預ける様にして、まず先にアシュレーがポッドに体を納める。岩肌があるだけの飾り気のないポットは、座ったりするようなスペースも無く、本当に最低限の物を運ぶようにしかできていない。早い話が狭かった。そして、そんな場所に限界まで荷物を詰め込もうとすれば、必然的に、乗り方は限定されてくる。

「む、チト狭いの。アシュレー、もっと詰められぬか?」

 後から入ろうとしたマリアベルが、そう言って顔を顰めた。と言っても、中にある荷物を抜く訳にはいかないし、マリアベル自身もそれは分かっている。

「やっぱりこれを持って行くのは「ジャア、閉メマスネ」ふぎゃ!?」

「わ!?」

直前に持って来た中身不明のバックを降ろそうかと考えたマリアベルが一旦ポッドから出ようと考えていたのとほぼ同時に、リグドブライトによって入口が外側から閉められる。バタンという勢いのいい音と共に背中を押されたマリアベルは、思い切り前につんのめってしまった。そして、予期せぬ事態に反応出来ないまま、その小さな体はアシュレーの細身ながらも鍛え上げられたの腕の中に無駄に勢いよく納まった。

「う、うう」

「えっと……」

「ううううううう」

「大丈夫?」

「なわけ無かろう!」

マリアベルがアシュレーの腕の中でキレた。

「か、仮にもこのファルガイアの支配者たるわらわになんたる狼藉!」

言っていることは勇ましいが、目に涙を浮かべながらでは全くもって説得力が無かった。

「えっと、どっか怪我した?」

「鼻を打ったのじゃ!」

「ちょっと見せて」

「む……」

そう言ってアシュレーが、顔を抑えるマリアベルの小さな手をどける。マジマジと顔を覗き込まれたためか、マリアベルは若干気恥かしげだった。

「あ、ホントだ。ちょっと赤くなってるね」

「!?!?」

ジッとマリアベルの顔を覗き込んでいたアシュレーの手が、その小さな鼻先に触れる。一方のマリアベルの方は、その突然の不意打ちに反応出来ず、何やら百面相をする。

「うーん、傷薬とかは今は取り出せないし……あ、そうだ」

「どうしようか?」と処置の仕方を考えていたアシュレーがそこでポンと手を打つ。そして、未だに混乱から回復しないマリアベルの鼻の頭を指で軽く触れる。

「痛いの痛いの、飛んでけー」

 それは、何気ない、ごくごくあっさりした動作だった。幼い子供を宥めて痛みを撫でさすってやる動作。二児の父親だったことのあるアシュレーにとってみれば、体に染みついた動作だったのだろう。

「なぁ!?」

が、それが、やられる側のマリアベルにとってもそうかといえば、そうではない。両親があの世へと旅立って幾星霜……等と大げさなことを言わずとも、記憶がはっきりし始めた時には既にそのようなことをされることは無くなっている。そして、同族が死んでしまえば、自身を子供扱いする者などこの世には全ていなくなった。例外的に、アナスタシアという風変わりな人間はいたものの、それはあくまでも友人としての位置付けだ。だから、ここまでまっすぐな父性を向けられたのは……初めての事だった。

「な、な」

「ん?どうしたんだ?顔が赤いけど」

「あ、」

「?大丈夫か?マリアベル」

「わ、ら」

胸の中で、パクパクと何事か必死に言葉にならない言葉を搾り出そうとするマリアベル。と、

「わらわを童女扱いするなぁぁぁ!!!!」

唐突にフカーッ!と猫の様にその毛を逆立てて、マリアベルはアシュレーに踊りかかった。

「へ?あ、ちょ、痛!痛!マリアベル待って!?」

「やかましいわ!」

叫びながら、その小さな拳をポカポカとアシュレーの頭に落とすマリアベル。一応本人は本気の様だが、見た目が小柄な少女な上に羞恥の為に真っ赤になった表情のせいで今一迫力を感じない。

「わ、わらわは!ファルガイアの真の支配者!ノーブルレッドの姫!マリアベル・アーミティッジじゃぞ!」

「わ、分かった!分かったから!」

「こ、この程度のこと何の問題も゛!?」

「あ、ちょ。って!?」

 唐突に二人に訪れた重圧感。原因は、乗っていたポッドが急上昇したためだろう。急激に掛ったGに、顔を顰めるアシュレー。が、ポッドの混乱の原因はどちらかといえば、もっと別の所にあった。具体的には、

先程と同じように顔を押さえてアシュレーの腕の中で蹲るノーブルレッド(どうやら舌を噛んだらしい)

辺り一面に散乱した大量の歯磨き粉(全てイチゴ味)

物の見事にシッチャカメッチャカだった。
 その惨状を首だけ回して確認したアシュレーが、ぽつりと呟いた。

「どうしてこうなったんだろう。わからない…わからないな…」




 急上昇をしたポッドは、五芒星の形をした光の屑を噴射しながら、ファルガイアの対流圏、成層圏、中間圏を突破し、その高度を熱圏まで伸ばす。そこにあったのは青い惑星。『ファルガイア』。オデッサとの戦いの際には何度も利用したライブリフレクターの端末を確認することが出来る。
 嘗て、仲間と共に守り通した世界。住まうもの全てがそれぞれの思いを胸に、焔の災厄と戦った世界。その世界を守るために、アシュレーは再び立ち上がった。

「よし!」

視線を反対側に向けると、そこには一つの惑星があった。ファルガイアよりも少し小さいが、青と緑のコントラストを持つ美しい星。恐らくあれが、リグドブライトの言っていた『ハルケギニア』なのだろう。

―準備ハイイデスカ?―

ポッド内に、『星』のガーディアンの声が響く。

「こっちは何時でも」

―了解しました―

頷いたアシュレーに返事を返して、リグドブライトがポッドを惑星に向けてセットする。

―ぽっどノ発射準備完了―

「……」

―カウント開始します―

アシュレーが、僅かに緊張の溜息を漏らす。

―五―

マリアベルもまた顔を上げて新たなる『異世界』へと目を向ける。

―四―

ギュッとアシュレーの腕を握り締めるマリアベルと、マリアベルの肩軽く手を添えるアシュレー。

―三―

これから始まる戦いが、どの様なものになるかは分からない。

―二―

だが、

―一―

二人ならば、『仲間』がいるならば、それも切り抜けられる。

―発射!―

二人とも、そう思っていた。




――音の届かぬ宇宙で、それでも爆音を想起してしまいそうな白い閃光を纏って、星屑の弾丸は『異世界』へと向かって発射されたのだった――




 宇宙に浮かぶ青い惑星たる『異世界』。その名を『ハルケギニア』というそれは、青と緑のコントラストの上に、黄色い幾筋もの線を持った形をしていた。そして、時折その筋が割れ、パッと一瞬光ったかと思うと次の瞬間には何事も無かったかのように消え去る。という映像を、繰り返し繰り返し映し出していた。
 その青と緑のキャンバスに向かう一つの線。とても小さな星屑が尾を引いて、発光する黄色のラインに呑みこまれたのは、この世界にとって一体どのような意味があったのだろうか?




「○×◆▽??」




異世界に降り立ったアシュレーとマリアベル。その二人が初めて聞いた言葉は、全く意味の分からない物で、それこそが、この場所を異世界だと否応なく二人に告げてくるものであったのだった……




     ◆




―トリステイン魔法学院―
 ハルケギニアにある、始祖ブリミルに連なる王族が支配する国、トリステイン。その中でも由緒正しきトリステイン魔法学院では今、春の使い魔召喚の儀式が行われている所だった。
 春の召喚の儀式は、一年生から二年生への進級の際に行われ、その使い魔によって自身の魔法の属性と専門課程を決定する重要な儀式である。古くは、始祖ブリミルの使い魔に端を発し、使い魔はメイジのパートナーとなり、その儀式は神聖にして絶対のものとされている。
 そして今、その召喚の儀式の為の魔法陣の中心では、一人の生徒が必死に自身の杖を振っている所だった。
軽くウェーブのかかった桃色の長髪。小柄な体躯からは、どこかかわいらしさを感じさせるが、そのはっきりとした瞳は何よりも強い意志を感じさせる。少女――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、ここトリステインの中でも最も強い権力を持つと言われる、ヴァリエール公爵家の三女であり、今まさにその召喚の儀式の真っ最中なのだった。
 が、彼女が魔法陣に向かって杖を振った瞬間、その先で強烈な破裂音と共に大きな爆発が起きる。今は召喚を行っていることを考えれば、偶然の失敗とも取れるが、広場には既に無数のクレーターがあり、その失敗が偶然のものなどではないということを如実に物語っている。

「おい、ルイズ!早くしろよ!」

「サモン・サーヴァントすらまともにできないのかよ!」

周囲の生徒から、ウンザリした様な声が飛ぶ。銘々、ルーンの刻まれた自分の使い魔の相手をしていたが、ルイズの儀式が終わらない為に、既に全員がかなりの疲労を感じさせる表情をしていた。
 監督をしている教師のコルベールも困った表情だ。確かに使い物召喚は大切な儀式だが、だからと言って、他の生徒にこれ以上我慢を強いる訳にもいかない。

「あー、ミス・ヴァリエール。今日はもう遅い。まだ時間がかかる可能性もありますし、また明日個別でやるということでは……」

水を向けたコルベールだったが、逆にルイズの方はギュッと口を引き結んで、梃子でも動かないという表情になる。その表情に、「困りましたね……」と内心呟いたコルベール。それを見て取ってかは分からないが、ルイズが声を上げる。

「ミスタ・コルベール!もう一度!もう一度だけチャンスを下さい!」

 ジッと自分を見る瞳には強い光が宿っているが、それが虚勢に近く、突けば崩れてしまいそうな物であることは、正面に立つコルベールにはすぐに分かった。その証拠に、杖を握り締めた手は、余程強く握りしめた為だろうか白くなり、その上微かに震えていた。

「……はぁ」

根負けしたようにコルベールは溜息を吐いた。

「分かりました、ミス・ヴァリエール。もう一度だけ許可しましょう。但し、もう一回だけですよ?」

「ありがとうございます!!」

コルベールの言葉に、喜色を上げて召喚陣に向かうルイズ。そして、腹に力を込めて呪文を叫ぶ。

「宇宙の果てのどこかにいる……わたしの僕よ。神聖で美しく!そして、強力な使い魔よ!
私は心より求め、訴えるわ!…我が導きに、応えよっ!」




広場が爆砕した




 濛々と立つ煙。しかし、今までの召喚と違い、その中心には一数人分位の大きな影があった。

「や、やったの!?」

いち早く爆発の混乱から立ち直ったルイズが、まだ土煙に紛れるそれを見つめる。大きさから、少なくとも猫や鳥の様なありきたりな使いまでは無いことが分かる。

(な、何かしら?お姉さまの属性が『土』だしジャイアントモール?それともグリフォン?まさか……ドラゴン!?)

煙に紛れたそれを見るルイズの胸は希望で膨らみ、

「え?」

そして、その全貌を見て、希望がまるで夢であったかのように凋んでいった。

「い、岩?」

そこにあったのは、大人四五人分の大きさの巨大な岩だった。見たことも無い岩肌。特に、クレーターのある岩などそうそうあるものではないが、かと言ってそれが使い魔として何か付加価値を付けてくれるわけでもない。唯一特徴的なのはその上部にある緑色の透明な部分だったが、だからなんだというのだ。問題なのは、

「ゼ、ゼロのルイズが……」

「岩を召喚した!」

ただその一事だった。
 周囲からドッと笑いが起きる。一方のルイズの方は、叫ぶようにしながらコルベールに再召喚を要求していた。

「ミスタ・コルベール!もう一度させてください!再召喚を!」

「あー、うん、どうしたものかねえ」

頭を抱えるコルベール。使い魔の召喚は偶然によるものであり、実際数年に一度位は自身の意にそぐわない使い魔を召喚した生徒が再召喚を要求してくることがある、もちろんそんな場合は一顧だにせず、儀式の継続を強制するが、流石に無生物の使い魔などを無理に押し付けるわけにはいかない。幸いなことに、ルイズはまだ目の前の『岩』と契約をしたわけではない。無生物ならば、使い魔とカウントされているかも怪しいのだ。ならば、今日は一先ず打ち切るにしても、後日学校や王宮に報告を入れて再召喚させればいい。幸いなことにルイズの実家はトリステインでも有数の名家だ。ある程度の正当性があり、自身の娘の為とあらば、多少の無茶は通してくれるだろう。
 そこまでコルベールが考えた所で、不意に一人の生徒があることに気が付いた。

「な、なあ、何かあの岩動いてないか?」

その言葉に、広場にいた全員がその巨岩を注視する。と、確かにその岩が微かに、間違いなく動いていたのだ。そして、それに気が付くと、今度はガンッガンッと何かを殴りつける様な音がその岩から聞こえてくる。

「「「「「!?」」」」」

 ガンッ!!という一際大きな音と共に、その岩の上部にあった緑色のガラスの様な部分が弾け飛んだ。そして、その後に出て来たのは、一本の足。その足が中に引っ込むと同時に、巨岩はバランスを崩したらしく、ゴロリとその上部にあった黒い穴を周囲に向ける。

「……××☆『▽□〒』Γ?」

そして、中からの声。それとも鳴き声だろうか?生徒達が注目する中、その巨岩の穴からソレは出て来た。

一人は青い髪をした青年。ここまではいい。いや、良くは無いが、一応は見慣れた生物だ。が、もう一人、こちらは明らかに問題があった。

「ゼ、ゼロのルイズが……」

「エルフを召喚したー!?!?!?」

流れる様な金髪。そして、その顔の両横についた、独特な尖った形の耳は、ハルケギニアでは唯一、エルフだけが持つ特徴だった。




 上空から差し込む光に、アシュレーはうっすらと目を開けた。ポッドの入り口を通された光は、緑色の梯子となって中にいるアシュレーとマリアベルに降り注ぐ。そして、惨状を見てアシュレーは大きく溜息を吐いた。シェイクされた様にぐちゃぐちゃになった荷物の類。その中で散らばるイチゴ味の歯磨き粉。そして、腕の中で目を回す、自称ファルガイアの支配者。

「マリアベル。起きてくれ。マリアベル!」

「ハラホロヒレハレー。目が回るのじゃー」

再び頭が痛くなるアシュレー。こうなると、自分達をここに運んだ『星』のガーディアンにも恨みごとの一つも言いたくなってくる。
 ぼんやりとそんなことを考えていたが、兎にも角にも、まずはこのポッドからでなければいけない。幸いなことに、体は埋まっているが足は十分に入口の緑色のガラス質の扉に届く距離だ。

「よしっ」

軽く気合を入れて、入口を蹴り始めるアシュレー。ガンッガンッという音と共に、ポッド全体が揺れ始める。

「こ、のっ!」

中々開かない入口に、思いっ切り力を入れて蹴り飛ばした瞬間、それは弾け飛んぶ。そして、その衝撃のせいだろうか、入口が弾け飛ぶと同時に、ゴロリとポッド全体が転がってしまう。


「わっ!?」

「うにゃー」

慌ててマリアベルを抱え込んでその頭を守るアシュレーと、未だに目を回しているマリアベル。

「う、大丈夫かマリアベル?」

「身震いするほど、ハラが立つのじゃ〜……」

「……ダメだこりゃ」

どこか遠くを見る目になるアシュレーだったが、視界にとらえた光景にハッと息を飲む。周囲には澄んだ空気。石造りの城を背に並ぶ子供達。手に手に杖の様なものを持ちマントを着た彼らが、どうやらこのポッドに注目しているらしいことが見て取れる。

「……ここは『異世界』か?」

呟いたアシュレーが、兎にも角にも仲から出なければいけないと判断し、マリアベルを抱えたまま、匍匐前進するようにポッドの荷物の山から這い出す。顔に当たる陽気に、僅かに顔を顰めたアシュレーが立ち上がると……彼らは急に何事か叫んで蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。唯一逃げ出していないのは、何事か喚きながらこちらに向かってこようとする一人の少女と、それを必死になって引きとめる禿頭の一人の中年男性だった。
 突然の出来事にポカンとしていたアシュレーだったが、文化が違う以上何が原因かは分からないが、自分が彼らを刺激してしまったことは少なくとも理解した。
 と、唯一残っていた二人の内の一人、ピンク色の髪の少女が何かを言ったらしく、中年の男性が大きく溜息を吐いた。そして、何かを言い聞かせるように二言三言少女に告げると、二人で連れ立って、未だに荷物に埋もれるアシュレーの方に近づいて来た。

「?」

クエスチョンマークを頭に浮かべるアシュレー。と、正面に立った男性が何かを話しかけて来た。

「○◆×♯♯←☆」

「……?」

当然ながら、アシュレーには全く意味が分からない。しかし、それでも男性の方は根気強く身振り手振りでアシュレーとコミュニケーションをとろうとする。と、

「◆▽××↓○↑!」

隣にいた少女が何か叫びながら中年男性を押しのけて、ズイッと前に出て来た。

「えっと「★○○▽×△□◆××→●★↑★★↑♪↓◇☆◎●↓☆←×⇒□←△☆→!」

「!?」

そして、アシュレーが何かを言う前に、遮る様にして何かを言い、そしてかがむといきなりアシュレーにキスをしてきた。

「え?……ぐっ!?」

「大げさな反応ね。ルーンが刻まれているだけよ。我慢しなさい」

不意に、聴覚がクリアになる。今まで意味のとれなかった言葉が、はっきりと理解できる。そして、どうやらそれはこのルーンの効果らしい。アシュレーの手の甲の上に浮かんだそれは、バチバチと火花の様な光を放ちながら、アシュレーの左手に自身を刻み込もうとしていた。




「ふぅ、とんでもない目にあったわ」

 と、まだクラクラする頭を抱えて、マリアベルがようやく復活する。ここ『ハルケギニア』突入の際に、ポッドが思いっきりシェイクされてしまい、今まで目を回していたのだった。意識がある程度はっきりした所で、マリアベルは現在の自分の状況に気が付いた。

(……温かいのぅ)

軽く現実逃避をしながら自分に目をやる。@散乱した歯磨き粉(イチゴ味)A自分達を押し潰そうとするポッド内の荷物Bその二つから自分を守る様に背中にまわされる二本の手……というか、アシュレーの腕の中にいた。

(どどど、どうすればいいのじゃ!?)

状況を見る限り、先程の突入の際の揺さ振りから自分を守るためにしてくれたことなのだろうが、物心ついてから親族以外の男性に抱きしめられたことなど、マリアベルには絶えて無かった。パニックになる思考を何とか落ち着かせようとする。

(あ……)

息を胸一杯に吸い込んだ瞬間、自分を包み込むアシュレーの匂いが小さな鼻孔をくすぐった。男性特有の、青臭くてどこか大雑把な。しかし、それでいてマリアベルの心を落ち着かせる、そんな匂……

(ってアホかーー!!!!)

うがーっ!!と内心のもう一人のマリアベルが、顔を真っ赤にしながら頭を抱え込む。

(な、何をやっとるのじゃわらわは!?伝説のイモータルにして、ファルガイアの真の支配者、ノーブルレッドの最後の生き残りたるわらわが!?これではただの変態ではないか!?)

懊悩するマリアベルだったが、不意に刺した影に、意識をようやく現実世界に戻す。そして、そこで見た光景は……



自分を守るために、自らの体でかばった大切な『仲間』。そして、何故かその仲間に口付をする見ず知らずの少女。



「え……?」

思わずそんな呟きが漏れた。
 その光景がマリアベルに齎したのは一体何だったのだろうか?アシュレーは『仲間』だ。大切な『仲間』。それは間違いない。じゃあ、今の光景は?見ず知らずの少女とキスをする『仲間』?アシュレー?え?いつ?誰?どこ?ここ?異世界?相手?少女?知らない?え?え?……何で?
 まとまらないぐるぐるとした思考の末に、良く分からない悲しみの様な物が湧きあがり、マリアベルの中で噴き出しそうになった瞬間、不意にその痛みは訪れた。
 素肌に焼鏝を押し付けられた様な、焼けるような痛み。不意打ち気味に訪れたその痛みに、マリアベルは声にならない悲鳴を上げる。

「〜〜〜〜っ!!!!!」

上を見ると、自分と同じようにして、左の手の甲を抑えるアシュレーがいる。

「アシュレー!大丈夫か!?」

自身の手の甲の痛みも忘れ、縋りつくようにその手の甲を握り締める。

「っつ、大丈夫。それよりマリアベルは!?」

自分の手を握る『仲間』に、アシュレーも焦った様な声を上げる。

「わらわは問題無い……?」

「……あれ?」

二人が話している間に、不意にポンッと何かが弾けるような音がして、それと同時に手の甲にあった強烈な痛みが急に無くなったのだ。見ると、手の甲に浮かんでいたルーンという物も、何時の間にやらその姿を完全に消していた。

「「……?」」

二人の間に湧きあがるクエスチョンマーク。顔を見合せたまま、何が起きたのか分からないと首を傾げる二人。と、そこで先程の中年男性が、二人に声を掛けて来た。

「あの、少々よろしいでしょうか?」

「ん?」

「なんじゃ?お主は」

二人が振り向くと、その中年男性はまず一つ息を吸って、深々と頭を下げた。

「初めまして。ミスタ、ミス。私の名はコルベール。ここ、トリステイン魔法学院で教師をしております」

そう言って、直立した教師を前に、二人はチラと互いの視線を絡ませ、順番に自己紹介をした。

「初めまして。僕はアシュレー・ウィンチェスター。よろしくお願いします」

「わらわの名はマリアベル・アーミティッジ。ファルガイアの支配者ノーブルレッドの最後の一人じゃ!」

名乗った二人に、コルベールはどこかホッとした様な仕草を見せたが、すぐにそれは引っ込み、代わりに首を傾げた。

「ノーブルレッド?」

やはりと言うべきか、彼にとっては聞き慣れない単語だったらしく首を傾げる。言ったマリアベル本人もそのことに気が付いたらしく、「まあ、さほど気にせずともよい」と一言だけ言った。

「そうですか、分かりました。所でミスタ・ウィンチェスター、ミス・アーミティッジ」

「なんですか?」

「なんじゃ?」

「少し、込み入った話もありますのでどうでしょう?こちらの学院に御越し頂けないでしょうか?」

 二人は顔を見合わせる。この世界では金も物資も無いが、何よりも知識と情報が無い。

「えっと、それじゃあ」

「お邪魔させてもらうとするかの」

二人の返事はごくあっさりとしたものだった。




 禿頭の中年男性に桃色の少女。そしてその後ろを歩く青い髪の青年と、隣にいる金髪のエルフのように見える少女。
 なかなかに色彩豊かな一行の先頭を歩きながら、コルベールは内心で冷や汗をかいていた。

(どうしたものでしょうか……)

 コルベールの冷や汗の原因は、後ろを歩く二人の来訪者だった。
 学院の生徒の一人、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの召喚した二人、その二人の内の一人が、何とハルケギニアで最も恐れられる種族の一つ、エルフの特徴とも言える尖った耳を持っていたのだ。当然ながら、コルベールも警戒した。下手をすれば、このまま学院中が血の海に代わってしまうかもしれないとさえ思った。少なくとも生徒の無事だけは確保しなければいけないと考え、二人に交渉を持ちかけようとした所で、混乱の当事者であるルイズが、この二人は自分の使い魔だと主張して来たのだ。
 コルベールとしてはルイズの気持ちも分かる。彼女は、言い方は悪いが学院どころかここトリステインでも有数の貴族でありながら、魔法を一切扱うことが出来なかった。だからこそ、この召喚の儀式に掛ける意気込みは並々ならぬものがあった。そして、その結果がこれだ。失敗といえば失敗。明らかに使い魔には出来ないものだ。しかし、この二人を使い魔にしなければ、彼女は進級することが出来ずに放校処分となってしまう。だからこその主張だったのだろう。また、エルフという恐怖の権化を召喚したということは、逆に言えば彼女に特殊な才能があると言うことなのかもしれない。少なくとも、これまでの様に彼女を馬鹿にする度胸を持った生徒はいなくなるだろう。自身を見つめるルイズの瞳に、野心に似たドロドロとした感情を確かに見てとったコルベールは、最初は躊躇したものの、ルイズの「契約をしてしまえば、エルフだって私に逆らうことはできません!」という主張に折れた。現状、エルフに対する有効な手札を持たない以上、彼女との契約が最も現実的な問題の解決法だったのだ。
 仕方なしに、ルイズにいくつかの条件を付けて、場合によっては契約をすることをコルベールは許可した。そこまでは仕方無かった。しかし、条件の一つとして提示したコルベールの交渉が終わる前に、言葉の通じない青年にしびれを切らしたルイズが、強引に契約を結んでしまったのだ。
 しかして、そのルイズの暴走とも言える博打は失敗に終わった。二人の手の甲に浮かび上がったルーンは、間違いなく契約の成功を予感させるものだったが、浮かび上がり張りつこうとした段階で、何かに阻まれた様に急にその動きを止めたのだ。拮抗する魔力。そして、それはごくあっさりと弾け飛んでしまった。
 血の気の引く思いだったコルベールだったが、契約段階から失敗するまでの間に、どういう訳か彼らはこちらの「声」ではなく「言葉」に反応するようになっていた。こうなると、逆に契約の失敗は運が良かったかもしれない。二人の来訪者の方割れの青年の方は見るからに穏やかそうであったし、少女の方も所作に気品があり、少々自意識が強い様だったが、言葉はそれに反して理性的だった。
 まだ交渉の余地はあると見たコルベールは、二人を学院長であるオールド・オスマンの所に案内することにした。学院長であるオールド・オスマンは少々ふざけた所はあるものの、トリステインでも指折りのメイジだ。最悪、自分と二人掛りでなら刺し違えることも出来るかもしれない。
 そこまで考えたコルベールは、あまり意識していなかったアシュレーが、自身の身長程もある大剣を軽々と持ち上げたこと、そして何より、穏やかな風貌とは裏腹に腰の座りがよく隙のない歩き方をすることに気がつき、内心で頭を抱えたのだった。




 トリステイン魔法学院、学院長室
 トリステイン魔法学院で貴族の子弟を預かる最高責任者、オールド・オスマンは今日も日課の書類の処理の合間に、鼻毛を抜きつつ秘書のミス・ロングビルの下着を除くことに精を出していた。途中、使い魔のモートソグニルが彼女に踏みつぶされるというアクシデントはあったものの、概ね平和な一日と言ってよかった。そして、それを壊したのは、召喚の儀式の監督教員のコルベールであった。

「失礼します、オールド・オスマン」

「ん?なんじゃ、ミスタ・コルベール。召喚の儀式はもう終わったのかの?」

「は、一応は。ただ……」

「ただ?」

「その、少々見ていただきたいことがありまして……」

「む?」

何時になく歯切れの悪いコルベールの言葉に、オスマンは首を傾げる。

「ミスタ・ウィンチェスター、ミス・アーミティッジ。どうぞこちらへ」

「ほ?」

聞き慣れない家名。少なくともオスマンが記憶している限りそのような名前の貴族は、この学院にはいなかったはずだ。首を傾げるオスマンの前に、まずは背中に身長程もある大剣を背負った青年が入って来た。そして、その後に続いてすぐに入って来たのは……

「ひょ!?」

思わず奇声を上げるオスマン。当然と言えば当然だ。何せいつもと変わらぬ日常を享受していた所に、不意打ち的にエルフと思われる少女が入って来たのだ。

「ごほん、えー、ミスタ・ウィンチェスター、ミス・マリアベル。こちらが当学院の最高責任者、オールド・オスマンです」

「アシュレー・ウィンチェスターです。よろしくお願いします」

コルベールの紹介に頭を下げたアシュレーと、

「マリアベル・アーミティッジじゃ」

そう言って胸を逸らしたマリアベル。

「ふむ、わしの名はオスマンという。この学院の学院長をやっておる。所でミスタ・コルベール、この方々は一体?」

「それが……」

オスマンに聞かれ、脇で控えていたコルベールが、今までの経緯を話して聞かせる。その話が終わった時点で、「ふむぅ……」とオスマンは難しそうに鼻を鳴らした。学院長を長く務めたオスマンも、春の召喚の儀式でこんなイレギュラーは初めてのことだ。しかも、片割れはともかく、もう片方は間違いなくエルフだ。本人はノーブルレッドと自らを称したらしいが、服装から判断できる文化の違いを鑑みれば、ノーブルレッド=エルフの図式は簡単に成り立つ。但し、その予想は残念ながら的外れだったが。
 と、にわかに真剣な表情になったオスマンの前で、アシュレーがスッと手を上げた。

「あの」

「ん?おお、なんですかな?ミスタ・ウィンチェスター」

「先程から気になっていたのですが、『春の召喚の儀式』とは一体どのようなものなのですか?」

「……」

アシュレーの質問に、チラリとオスマンに目配せをしたコルベール。そこに頷いて見せたのを確認して、コルベールは話し始めた。

「春の召喚の儀式とは、自らの使い魔の召喚の事です。トリステイン魔法学院の貴族の子弟は皆この儀式によって自らにふさわしい使い魔を召喚することで、本来のメイジとしての自身の属性の決定を行うのです。ただ、人間やエルフが、っと失礼。人間やノーブルレッドが召喚されたというのは前代未聞の事ですが」

コルベールの言葉に納得したように頷いたアシュレーは、ヒソヒソと隣にいたマリアベルに話しかけた。

(なあ、マリアベル。もしかして前代未聞のことが起きたのって)

(十中八九わらわ達のせいじゃな……)

アシュレーの言葉に、マリアベルも頷いて返す。『異世界』突入の際に、召喚の為の孔を使ったがゆえに起きた結果だと言うのは想像に難くない。

「で……じゃ」

今度は、アシュレーに代わってマリアベルが話し始める。対するオスマンとコルベールはにわかに緊張した表情になった。

「先程その小娘がわらわの仲間に口付をしおったが……」

言葉に含まれる棘に、僅かに身構えるオスマンとコルベール。ついでに何故か背筋に冷たい物が走ったアシュレー。

「その時から何故か言葉を理解することが出来る様になった。これも使い魔とやらと関係があるのかの?」

「恐らくは。使い魔との契約により、メイジはもの言わぬ使い魔と意思疎通を図ることが出来ます。それを考えるとルーンの効果でしょう」

「メイジ、というのはお主らの様なクレフトっと、魔法を使うものかの?」

「はい」

頷いたコルベールに、マリアベルが「ふむ……」と呟き、腕組みをして何やら考え込む。

「えっと、じゃあ僕達は今彼女の使い魔ということになるのですか?」

アシュレーが疑問に思っていたことを口にした。視線を向けられたルイズの肩が僅かに跳ね、本人も真剣な表情でオスマンを見る。そのすがるような表情に、オスマンはため息を吐いた。

(ようやっと呼び出した使い魔との初めての契約が、このようなことになってしまうとはの……)

ルイズの思いは分かる。ここは嘘だとしても「ルイズの使い魔だ」と言って欲しいのだろう。失敗し続けた魔法のようやっとの成功の証拠。その証拠は、はっきり言って失敗の方がまだましかもしれない物だったが、それでもあのエルフを使い魔に出来たというのは、見方によっては途方も無い成果と言える。少なくとも、学院の中でルイズを面と向かって非難する者はいなくなるだろう。貴族に染みついたエルフへの恐怖は、それほどまでに根深いものだ。だが、

「いや、それは無いの。ミスタ達には今ルーンが刻まれておらぬ。話を聞く限り弾けてしまったようじゃし。ルーンの効果で言葉が通じる様にはなったが、契約自体は最後まではいかなかったと見るのが妥当じゃな」

きっぱりと言い切ったオスマンに、ルイズが絶望したような表情を見せる。が、オスマンとしてはそうも言っていられない。契約を失敗した相手が目の前の青年だけだったら、あるいは真実を隠して秘密裏に契約を再び行わせることもあっただろう。だが、彼と一緒にエルフが要る以上、嘘をついて学院全体を危険に晒すような真似をするわけにはいかないのだ。

「なるほど。それじゃあ、こちらから二三提案をしたいのですが」

再びアシュレーが口を開く。オスマンとコルベールは相手の様子に変化が無いことにホッとしていた。一方のルイズは、まるで親の仇を見る様な目で二人を睨みつけていたが。

「まず一つ目ですが、僕達を雇ってもらえないですか?」

「ふむ、一体どういう意図でそのような事を?」

オスマンが首を傾げる。但し、頭の中は既に彼女を雇った場合のメリットとデメリットを冷静に計算していた。

「話を聞く限り、そちらとしては僕達の存在をあまり外に出したくは無いようですし、僕達の方も出来る限り早く故郷に帰りたいけど、それは現実問題として不可能です」

「つまり、わしらはミスタ達を合意の上で監視することが出来、ミスタ達はここにいる間に故郷への情報を探すことが出来ると」

「ええ」

頷いたアシュレーに、オスマンも納得する。結局のところ、彼らを打倒する必要は無く、要はトリステインから何も問題を起こさずに出て行ってもらえればそれでいいのだ。そういう点では、彼らの提案は双方にとって利益があるということだ。ここで下手に断って、何か問題を起こされるよりは百倍良い。

「ふむ、ではお二人には、図書館への出入りの許可も出しておくとするかの」

「ありがとうございます」

ここで彼らの要求に少し色を付けておけば、あまり問題は起きないだろう。それに、彼らに情報を与えるということは、それだけ早く元いた所に帰ってもらえるということだ。オスマンはそこまで考えて、二人の雇用に同意した。

「それともう一つは、彼女の使い魔の事です」

アシュレーがそう言ってルイズを指差した。再び自身に話が向いたルイズだったが、先程とは違い、無気力な視線をオスマンとコルベールの二人に向けるだけだった。

「僕達は彼女の使い魔ではないとして、彼女の使い魔はどうなるのでしょうか?」

「それに関しては、何とも言えんの。何せ、ルーンが弾かれるなど初めてのことじゃからのぅ……」

そう言って、オスマンは疲れたように頭を振った。オスマンがアシュレー達に対して穏便な態度をとった理由の一つがこれだった。
 使い魔との契約のルーンは、非常に強力なものだ。たとえ召喚者本人よりも高い魔力を持つ使い魔が召喚されたとしても、問答無用でその支配下に置くことが出来る。そして、そのルーンが弾かれたということはその事実から見て、容易ならない事だった。話を聞く限り、ルーンが発現はした以上、彼女の魔法が失敗した訳ではない。だとしたら、目の前の少女はそれほどまでに危険な存在なのだということだ。オスマンとコルベールの二人が束になっても敵わないだろう。尤も、この考えは半分当たりで半分外れだった。契約の際にルーンが現れたのはアシュレーとマリアベルの二人だった。オスマンもまた、ハルケギニアの人間らしく、エルフと見ていたマリアベルの力を過大評価した、逆に言えば、『剣の英雄』の力を持ったアシュレーを過小評価したとも言えた。
 兎にも角にも、ルイズの使い魔の事だった。このまま使い魔無しで放校処分にすることは出来ないが……

「今回の召喚は、本当に成功だったのかの?」

マリアベルがそうぽつりと呟いた。

「む?どういうことですかな?」

オスマンが首を傾げる。

「言葉のままじゃ。今回のそこな小娘の召喚が本当に成功だったのだとしたら、何故イレギュラーとも言うべきわらわ達が召喚されたのか、何故召喚されたわらわ達と契約を結べなかったのか……」

「それは、」

オスマンが言葉を紡ごうとしたが、それを遮ってアリアベルが続ける。

「案外、今回の召喚でわらわ達が召喚されたのは、間違いだったのではないじゃろうか。それゆえに、それゆえに契約の方が上手くいかなかった」

「しかし」

「召喚までは無事に済んだものの、契約が上手くいかないなど前代未聞なのじゃろう?だとしたら、事後的なことも通常と同様にとらえるのは間違ってはおらぬか?」

マリアベルの言葉に、しばし考えたオスマンだったが、一応出た答えを確かめる様にマリアベルに水を向ける。

「して、ミス・アーミティッジはどうすればよいとお考えかな?」

「小娘の召喚をやり直せばよかろう」

「それはなりませぬ。召喚の儀式は、神聖なもので」

「その神聖な儀式自身がわらわ達を否定したとは考えられぬかの?」

「……」

マリアベルの提案に反論したオスマンだったが、それを封じる様に出された考えに口を噤んでしまう。
 マリアベルは、特にどうする意図も無く、言葉を続ける。

「わらわの言葉が正しいか正しくないか、判断するのは簡単じゃ。小娘にもう一度召喚をやらせてみればよい。わらわ達の前にゲートが出れば、小娘の力不足。わらわ達の前にゲートが出なければ、わらわ達の召喚は完全なイレギュラーという訳じゃ」

マリアベルの言葉に、オスマンは納得したように頷いた。隣にいるコルベールも頷いている。春の召喚の儀式でネックになっていたのは、儀式による召喚は絶対だと言うことだ。だが、彼女が言ったように召喚の儀式そのものが青年と少女を否定すれば、儀式そのもののやり直しが出来る。ルイズの方を見ると、本人もやる気満々で頷いていた。

「ふむ、ではミス・ヴァリエール」

「は、はい」

「今この場で召喚をもう一度やってはもらえぬかの?」

「はい!」

頷いたルイズが、自身の杖を取って、呪文を唱える。

「宇宙の果てのどこかにいる……わたしの僕よ。神聖で美しく!そして、強力な使い魔よ!
私は心より求め、訴えるわ!…我が導きに、応えよっ!」

呪文を唱えた瞬間、何事も無かったかのように、ルイズの前に銀盤のゲートが口を開ける。そして、アシュレーとマリアベルの前には……

「これは……」

「ふむ、どうやら決まった様じゃの」

マリアベルの言葉に、オスマンとコルベールの二人が頷いた。

「それではミス・ヴァリエール」

「はい!」

「トリステイン魔法学院学院長権限により、そなたに春の召喚の儀式の再召喚を許可する」

「はい!」

オスマンの宣告に、ルイズは喜色満面で頷いた。




 話し合いが終わり、ルイズの再召喚が決定したことで、部屋にはどこかリラックスしたムードが漂っていた。オスマンやコルベールにしてみれば、生徒達の安全をある程度は確保できたうえに、この国でトップクラスの大貴族とこと構える心配が無くなったという意味で、ルイズとしてはまだ召喚を行うチャンスがあると言う意味で、そして、アシュレーとマリアベルにとってはこれからの為の情報が手に入ったということで悪くない状況だった。
 そして、状況もまとまった所で、オスマンが二人の寝室の提供の為に、メイドを一人呼ぶ様に秘書のミス・ロングビルに託をした。それを聞いたマリアベルは、「いちいち怖がられていては話が進まぬからの」と呟いて帽子の中に耳の端を隠す様にして入れた。程なくして学院長室のドアをノックしたのは、黒い髪をした温和そうな一人のメイドだった。

「失礼します」

「おお、来たの。ではミスタ・ウィンチェスター、ミス・アーミティッジ。これより学院のメイドに御二人を案内させますのでな。ゆっくりと疲れを癒してくだされ」

「ありがとうございます」

「ふむ、せめて携帯用棺桶くらいは寝心地が良いとよいのじゃがの」

礼を言ったアシュレーとそんなことを一人ごちたマリアベルは二人連れ立って、メイドの後について行くのだった。




 二人が通されたのは、使用人用の棟にある一室。二人用の部屋らしく、狭いベッドが二つ並んでいた。それ以外の家具や調度品の類は一切なく、掃除はされているものの、その部屋が普段は使われていないことが分かる。

「ふむ、なかなか悪くない部屋じゃな」

マリアベルが、満足そうに呟いた。一応言ってしまえば、お世辞にも上等な部屋とは言い難い。が、嘗てファルガイアをかけずり回った経験を持つ者として見れば、白いシーツがあるだけではっきり言って上等の部屋と言っても良かった。
 二人は特に文句も無く、それぞれの装備を外していく。

「夕食にはまだあるし、荷物を先に運んでおいちゃおうか?」

「ふむ、そうじゃな」

首を傾げたアシュレーに、マリアベルが頷いた。




 二人が部屋を出て召喚をされた広場に行くと、隕石型のポッドの前に、何やら黒い人影がいた。

「アシュレー」

「うん」

そのことに気付き、小さく警戒を呼び掛けたマリアベルに頷いて、アシュレーがシューティングスターを引き抜く。前衛にアシュレー、後衛にマリアベルがつき、目的の分からぬ人の気配に近づいて行く。

「セイッ!」

「!?」

間合いに入った瞬間に突き出された切っ先を仰け反る様にして避ける。が、

「甘い……」

アシュレーの後ろにいたマリアベルが、レッドパワーを開放する。

「エスケープダウンじゃ!」

「?」

突然妙な光に包まれたが、体に特に変化が無いことに首を傾げる相手。

「ハアッ!」

「!?!?」

だが、避けようとした瞬間、その動きが不自然に固まる。被弾直前にクルリと返されたシューティングスターの峰を、両手で辛うじてガードしたようだったが、威力までは殺せずにそのまま吹き飛ばされる。
 ゴロゴロと地面に転がった相手に、油断なく武器を構えるアシュレーとその後ろに立つマリアベル。と、間合いを詰めようとした所で相手が切羽詰まった声を上げる。

「ま、待って下さい!」

悲鳴にも似たその声には、聞き覚えがあった。

「……あれ?」

「むむ?」

ポッドの影になっていた為に気付かなかったが、徐々に慣れて来た目を凝らして見ると、そこにいたのは……

「……コルベールさんでしたっけ?」

学院の教師、コルベールだった。
 どこか肩すかしを喰らった様な表情のアシュレーとマリアベルの前で、汗を拭きながらコルベールは立ちあがった。

「あの、どうしてここに?」

「あ、いや、その……」

「その?」

「じ、実は私、こういった機械の類に興味がありまして。ミスタ・ウィンチェスターの武器を見たときに、どうしても調べてみたくなりまして」

そう言って、誤魔化すように笑ったコルベールに二人は脱力する。

「ま、話は分かったがの……」

 マリアベルが「やれやれ……」といった調子で頭を振り、口を開く。

「よく確認せんで襲いかかったわらわ達も悪かったがの、夜にもなって一人で他人の荷物を漁ってる者が居ったら大抵は不審者確定じゃからな?……まあ、今回の事はすまなかったの」

「ええ、こちらこそ、すみませんでした」

「え、えっと、すみませんでした」

互いに頭を下げたマリアベルとコルベールにつられて、何故かおたおたした後に頭を下げたアシュレーだった。

「それでですねミスタ・アシュレー。物は相談なのですが」

顔を上げたコルベールが、早速とばかりにアシュレーに話しかける。

「なんですか?」

「そちらにあった金属類ですが、正直今まで生きてきて初めてあそこまで均一な形状の金属を見ました!」

「はあ」

「そこで頼みなのですが、これを私に売って欲しいのです!」

爛々と輝く視線を受け、アシュレーが冷や汗を垂らしながら仰け反る。

「無論ただでとは言いません!私自身あまり裕福とは言えませんが、それでも精いっぱいの支払いはしますので」

そう言って、さらに顔を近づけてくる。

「えっと……マリアベル?」

助けを求める様な視線と自重しない中年教師に呆れたように溜息を吐いてマリアベルが制止する。

「そこまでじゃ、コルベール」

「む?ミス・アーミティッジ?」

ようやく我に返ったコルベールが、二人の間に割り込んだマリアベルに首を傾げる。

「御執心の所悪いがの、その岩の中にある物は今のところ売るわけにはいかぬの」

そう言って、マリアベルはアシュレーの弾丸の売却を断った。

「その、どうしてもですか?」

まだ未練があるらしく聞いて来たコルベールに、マリアベルは首を横に振る。

「すまぬがの、これを売れぬ理由はいくつかあっての、今の所はわらわ達は、いくら積まれようともそれを売るつもりは無いのじゃ」

 マリアベルがコルベールからの申し出を断ったのにはいくつもの理由があった。まず、マリアベル達は、こちらの世界の物価を把握していない。つまり、この弾薬などがどれくらいの価値を持つのか理解できていないのだ。
 別にコルベールを詐欺師と疑う訳ではないが、かと言って価値の分からない物を売るわけにはいかないのだ。もしかしたらコルベールより高い額を提示する者がいるかもしれないと言うこともあるが、あまりに高値を出されてしまっても、最悪の場合自分達が詐欺の罪を負いかねない。
 他にも、弾薬などは今ここにあるのが全てで、追加を補充することが出来ないこと、自分達にとっても弾薬は有用で、場合によっては最後の生命線になる可能性もあるのだ。

「そうですか……」

そう言って肩を落とすコルベールに、「すまぬの」というマリアベル。アシュレーも「すみません」と言って頭を掻く。

「残念ですが、今回は諦めましょう」

「うむ、そうしてくれると助かるの」

そう言って苦笑したマリアベルとばつが悪そうにするアシュレーに軽く会釈をしてコルベールは学院の方へと帰って行った。
 コルベールが帰った後、二人は中の荷を一応確認して部屋へと運び込む。両手に弾薬を一杯に抱えたアシュレーと、いちご味の歯磨き粉を抱えたマリアベル。月明かりに照らされながら、二人はテクテクと並んで自室への道を急ぐ。ふと立ち止まって、マリアベルが空に目を向けた。

「なかなかどうして幻想的な夜じゃのぅ……」

呟いた視線の先には、ハルケギニアという『異世界』の大地を照らす、二つの月。それを見上げたマリアベルは、ふと隣で自分を待つアシュレーにどうしても聞いてみたいことが出来た。

「のう、アシュレー」

「何?マリアベル」

月から目を離し、隣に立つアシュレーの方を向いてマリアベルは疑問を口にした。




「アシュレーはどうして、わらわが本物だと分かったのじゃ?」




それは、ふと心の中で湧き上がった疑問だった。時の流れに逆らえず失ったはずの『仲間』が目の前に突然現れたら、自分は相手を信じることが出来るだろうか?……恐らく無理だろう。現に自分はアシュレーを前にして取り乱した。子供の様にパニックになったと言ってもいい。マリアベルの様に不死であると分かっていれば勝手は違うのだろうが、だからといってすんなりと受け入れることが出来るだろうか?自分には……分からなかった。
 視線を向けられたアシュレーは、少し考え、そして真直ぐとマリアベルを見て微笑んだ。

「だって、マリアベルは真剣だったじゃないか」

アシュレーの返答はごくあっさりしたものだった。
 その答えに「は?」と呆気に取られるマリアベルにたいしてアシュレーは、自分が何故マリアベルを『マリアベル』だと信じられたかを説明した。

「マリアベルは僕の存在の為に、真剣に怒って、真剣に泣いてくれた……それが理由じゃダメかな?」

そう言って首を傾げるアシュレーを、マリアベルの脳は未だに理解できないのか、その場で彼女は固まったままだった。

「ありがとうマリアベル。僕の為に真剣に怒って、そして泣いてくれて……」

そう言って、アシュレーがマリアベルの小さな頭を優しく撫でる。そして、最後にポンッと軽く手を置いて使用人棟を向く。

「じゃ、明日は早いだろうから、もう寝よう?」

そう言って歩き出したアシュレーの後ろで、その背中を視線に入れたままマリアベルは固まっていた。
なんだかよく分からない熱源が、ぐるぐると体の中を駆け抜ける。そして、漸く行き場を見つけたそれにより、マリアベルがカーッと赤面する。

深夜の『異世界』

誰一人観客のいない舞台の上で、ノーブルレッドの姫は自分でもよく理解できない気恥かしさに身もだえたのだった。



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