―殺された父の仇を討つために戦う少女―

―少女の父を奪い母を狂わせた暴王―

―少女は自らの正義を信じ、暴王は自らを悪と断じていた―

―しかし―

―少女の父が仮に悪だったとしたら―

―本当の正義は一体どちらになるのだろうか?―









Trinicore
#6










 ゴトリゴトリと一台の馬車が、リュティスを離れガリアとトリステインの国境付近にある一軒の邸宅に続く道を真直ぐに進んでいた。
 その台の上で手綱を繰るアシュレーと隣に小さな身体を納めるマリアベル。二人で一枚のマントに包まった二人の視線の先に、一軒。遠目からでもハッキリと豪邸と分かる邸宅が見えて来た。

「あれ……かな?」

「まず間違いなくの」

二人は頷くと改めて軽く装備の位置を確認する。戦いがあるとは思わなかったが、準備を怠りもせず。

「行くよ……ハッ!」

そして、ピシリと一発鞭をくれると、オルレアン邸への一本道を馬車は一気に走りだしたのだった。




「随分と、古い造りじゃの……」

 オルレアン邸の門を見ての、マリアベルの感想だった。
 黒塗りの金属製の門は、『固定化』のおかげだろうか、キラキラと光沢を放っているのだが、へばり付く汚れ自体は抑える事が出来ない為だろう、不自然なバランスでハッキリと二人に違和感を抱かせる外観をしていた。

「細部の意匠は凝ったものだし、絶対にそこらの安っぽい物なんかじゃないんだろうけど」

漏らしたアシュレーの言葉に、マリアベルも頷いた。三人の正面、門の中央に記されたオルレアン家のものと思われるエンブレムには、ハッキリと十字の不名誉印が刻まれていた。

「とにかく、中に一度入ってみようか」

「うむ」

「ああ」

短く言葉を交わし、三人はオルレアン邸へ続く門を押し開いたのだった。




「妙……じゃのぅ」

 オルレアン邸に入っての、マリアベルの第一声はそれだった。オルレアン邸の扉は、門と同じく豪勢でいて繊細なものだったのだが、門とは違いかなり手入れが行き届いていた。ドアに取り付けられていたノッカーは綺麗に磨かれており、大凡あの門と同質の家とは思えなかった。しかし、二度三度とカツカツとノッカーを叩いたものの、中から誰かが出てくる気配も一向に無かった。不思議に思った三人がものは試しとドアに手を掛けると、呆気ない程に扉は簡単に開かれた。そして、家の内装を見てのマリアベルの一番最初の感想である。

「全体的にサッパリしているね。いや、サッパリし過ぎかな?」

「うむ」

首を捻るアシュレーに、マリアベルも同意を返す。

「壁や絨毯、照明に至るまで邸宅そのものは一部の隙も無く手入れが行き届いておるにも拘らず、調和を与えるべき調度品の類が一切無い」

そう言いながら、マリアベルはグローブをはめた指でスッと階段の手すりを撫でてみる。その先には、塵一つ付く事は無かった。

「此処まで見事な手入れをする者が居るにも拘らず、調度品に気を配らないなぞ、妙としか言いようが無いわ」

「単に、誰も住んでいなかっただけじゃないのか?」

ビダーシャルがそう言うが、マリアベルは首を横に振る。

「誰も居なかった故に家具類が盗まれたと仮定すると絨毯まで手入れが行き届いておる説明が付かん。ドアが開いておるから、ガラスなどが割られていない事は説明が付くじゃろうが、人の住んでおらぬ家に入った盗人が態々自らの足跡まで丁寧に消すとは思えんからの」

そう言いながら、マリアベルは視線の先にある物を見つけ、ひょいっとそれを摘まみあげた。

「それは……」

マリアベルの手に収まった物。それは、黒い鳥の羽根で作られた片手持ちのはたきだった。

「どうやら、誰か居るのは確定的なようじゃの……」

呟いたマリアベルに、アシュレーとビダーシャルが同意する。

「取り敢えず、手分けして探してみるのが良いじゃろう」

「そうだね。その方が効率も良いだろうし」

「ああ」

頷いたビダーシャルがピッと廊下の方を指差す。

「それでは、私は此方の方を探してみよう。何かあったらすぐ呼ぶ」

「分かりました。御願いします」

「わらわ達は……。ふむ、そうじゃの、二階に行ってみるとするかの」

「分かった」

互いに視線を走らせ、同時に頷くと、三人はオルレアン邸の探索を開始したのだった。




 二階に上がった二人が最初に目にしたのは、一種異様とすら思える惨状だった。

「これは……」

「一体、どうしたというのじゃ?」

アシュレーとマリアベルの視線の先には、先程の一階と全く同質の造りの廊下があった。が、この廊下を一階と同じものと判別できる者はそう多くは無いだろう。何故なら、その廊下は、まるでこの中を竜巻が駆け抜けたのかと思う程の荒れ様を呈していたのだから。
 引き裂かれた絵画、砕け散った花瓶、墜落したシャンデリア、ズタズタになった壁、水浸しの絨毯。大凡、人の居住する空間とは思えないそれだが、このような現象を起こせる事態がそもそも限られている。

「どうやら、こっちの方に誰かいる可能性があるの……」

「……」

「ヒャッ!?」

散乱した装飾品の破片を踏まない様に進もうとするマリアベルを、アシュレーがヒョイッと抱え上げる。腋に手を入れ、逆の腕を膝の裏に通すその体勢は、

「にゃ、にゃにゃ!?」

「ん?」

どこからどう見ても、いわゆる『御姫様抱っこ』というやつだった。
 突然の体勢に、真っ赤になるマリアベルを見て、アシュレーが首を傾げる。

「こっちの方が速いと思ったんだけど……どうかした?」

「い、いや、何でも無いのじゃ」

腕の中にいるマリアベルは、パニックになる内心を抑えて冷静に振る舞おうとするが、顔の動きまでは止められなかったらしく、頬をピンクに染めている。ピンと尖ったノーブルレッド特有の形の耳が嬉しさを抑えきれずピコピコと動くのを自身でも感じるマリアベルは、恥ずかしげにモジモジと身体を丸めたのだった。
 廊下を進み、まず最初にあった部屋の前でアシュレーはピタリと歩みを止め、腕に抱えていたマリアベルを降ろす。

「……?」

が、下ろされても未だにじっと動かないマリアベルにアシュレーは首を傾げる。

「マリアベル?」

「……」

「……マリアベル?」

「……」

「おーい」

「……」

おかしい。
 俯きながら、チョンチョンと人差し指同士を突き合わせているマリアベルは、何やらブツブツと呟きながら、時折恥ずかしそうに「ヤンヤン♪」とくねくねと身もだえている。

「マリアベル!」

「ふぇ!?」

正面にかがみこんで見合わせたアシュレーの顔に、漸く我に返るマリアベル。

「大丈夫?何かあったの?」

「い、いや……」

心配そうに覗き込むアシュレーにしどろもどろになりながら、マリアベルは笑って誤魔化す。

「べ、べべ別に何とも無いぞ!何とも!うむ、アシュレーとの結婚式を想像したりなぞしておらぬからの!!」

「……」

盛大に自爆するマリアベルと、思わず硬直するアシュレー。

「……」

「……」

何とも恥ずかしい沈黙が広がる。別に気まずい訳ではないし、どちらとも少なからず望んでいる事ではあった為、特に苦痛も感じない。
 数分後、漸く再起動したアシュレーが、恥ずかしそうにしながらもしっかりとマリアベルを見つめる。

「えっと、マリアベル?」

「う、うむ」

少しだけ申し訳なさそうなマリアベルを安心させる様にアシュレーは微笑みかける。

「今すぐに何かをするのは無理だけど」

「……」

「この問題が片付いて、ファルガイアに帰ったら、僕からちゃんとプロポーズするから……それまで、待っていてくれる?」

「うむ!」

顔を綻ばせる彼女の光に、アシュレーは眩しそうに目を細めたのだった。

ガタンッ!!

「「!!」」

 そんな二人の間に割って入るつもりでも無かったのであろうが、急に目の前の扉から大きな音が鳴る。その音で漸く我に返った二人は、いそいそとそれぞれの武器を準備する。

ガタン!ガタン!

最早隠れる気どころか誤魔化す気すら無いと言わんばかりの音に、チラッと顔を見合わせた二人だったが直ぐに戦闘態勢に入ると、一呼吸置いて強襲を掛けた。

バンッ!!

「「!?」」

 ドアを押しあけた瞬間、それを見計らっていたかのようなタイミングで氷の槍が二人に向かって放たれた。咄嗟の判断でマリアベルを背中に回し、バイアネットを振り抜くアシュレー。砕け散った氷の破片が、キラキラと光を反射しながら床に散乱する。

「ラグーズ・ウォータル……」

「アポート!」

「がっ!?」

その後ろで、スペルの詠唱を耳にしたマリアベルが咄嗟にレッドパワーを放つ。かなり弱めに放ったそれだが、敵の身体をふっ飛ばし、壁に叩きつける。パサリと広がった、透通る様な蒼い髪は、ハッと目を奪われるほどに美しい。

「この人は……」

「十中八九王家の関係者……シャルル元皇太子の夫人かの?」

首を傾げる二人をよそに、その女性は直ぐに意識を取り戻すと、容姿に見合わぬ荒い動作でガバッと身を起こすと、バッバッと音が出る程の速さで周囲を確認する。その動きはどこか獣じみており、爛々と光る充血した眼は、凡そ人間らしい理性が感じられなかった。
 ギョロギョロとした目で彼女は何かを見つけたらしく、這う様にしてソレに縋り付いた。

「ああ!シャルロット!!」

彼女が縋り付いた物、それは彼女と同じ青い髪をあしらった小さな女の子の人形だった。

「シャルロット!シャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロットシャルロット!!!」

―壊れている―

アシュレーとマリアベルはそう思わずには居られなかった。涙どころか涎や鼻水が垂れることも気にせず縋り付く姿に、漠然とした恐怖すら感じそうであった。

「おおっ!この子が王家の簒奪を考えているなどと!そのような恐ろしい事が、どうしてこの子に出来ましょう!」

両腕で掻き抱く様にして人形――シャルロットを守りながら、彼女はアシュレーとマリアベルの二人に敵意を向けてくる。

「ああ、シャルロット!私の可愛いシャルロット!母が貴方を守ります!守りますからね「スリープ」……」

マリアベルの放った霧に、何も言わずドサリと倒れ伏した彼女。

「どうやら、ガリア王家の王位継承に関わる問題は、予想以上に深いのやもしれんの……」

誰へとも無しのマリアベルの呟きに、アシュレーも頷きながらも部屋の観察をする。
 誂えられた部屋は、廊下の設えとは少し違い、色も調度品もどちらかといえば若干落ち付いた物が多かった。天蓋付きのベッドに引かれた白いシーツは清潔感があり、つい最近誰かが手入れをした痕跡があった。

「この家、この人以外にも最低でも一人、一緒に住んでる人がいるみたいだね」

「うむ」

頷いたマリアベルは床に手をついて、ベッドの下を覗き込む。

「アカ!アオ!」

「「ギギッ」」

二体の精神感応デバイスはフワフワとベッドの下に入り、ピカッと目を発光させる。その光でその場所を探ったが、特にそれらしいものは無かった。

「ハズレか」

立ち上がったマリアベルの脇では、アシュレーが壁に掛け荒れた絵画を見て、ジッと眺めていた。

「?どうかしたのか?」

「マリアベル。これ……」

「む?」

若干困惑した様子のアシュレーに首を傾げつつ、マリアベルはアシュレーが指差した先を見る。

「これは……」

視線の先の絵画に描かれていたのは、一つの家族だった。
 精悍そうな蒼い髪の青年、可憐でありながら落ち着いた雰囲気の女性、そして、

「これって、確か」

「うむ」

二人と良く似た蒼い髪の小さな少女……。

「トリステインの魔法学院にいた……」

「確か、タバサとか名乗っておったの」

やれやれとため息をつきながら、マリアベルは首を横に振る。

「全く、何でわらわ達も気付かなかったかの」

「うん、青い髪に青い目、しかも、あそこまで色が鮮やかっていうことは、ガリア王家に縁のある人間に決まっていた……」

「召喚した使い魔も風竜という強力なものじゃったからの……」

フーッと疲れた様に溜息を吐いた二人は、一先ず部屋の中の探索に戻る事にした。
 黙々と部屋を探すアシュレーとマリアベルが物をずらす音だけが部屋に響く。
 天蓋付きのベッドの横、家族が描かれた絵画の裏、レンガで組まれた暖炉の裏……。その他、何かしら手掛かりのありそうな場所を探っていたが、それらしいものは見つからなかった。

「ふーむ、此処まで探して何も無いとなると、この部屋には何も無いのかの?」

「うん、そうみたいだね。しょうがないし、次の部屋に行こう……」

「アシュレー?」

途中まで言いかけた所で、アシュレーが急に言葉を止める。訝しげにするマリアベルに対し、アシュレーは無言である場所を指差した。

「……あれは」

指の先、そこにあったのは一台のシャンデリアだったが、その根元に一点色が違う所があった。
 すぐさま顔を見合わせた二人は同時に頷いて、シャンデリアに近付いてみる。

「アシュレー。ちょっと持ち上げてみて欲しいのじゃ」

「わかった」

頷いたアシュレーがマリアベルの両脇に手を入れてグイッと持ち上げる。視線をシャンデリアと同じ高さにしたマリアベルは、その頑丈そうな根元に彫り込まれた、オルレアン家のエンブレムを見つけた。

「……」

躊躇なく、そのエンブレムに触れると、カタンと小さな音がしてベッドの正面にある暖炉の上のレンガの一つが床へと落ちていた。

「……」

「……」

「当たりだったみたいだね……」

「うむ……」

レンガの様にしつらえられたそこには、一冊の手帳の様なものが入っていた。それをアシュレーが手に取り開こうとした瞬間、

バンッ!ガシャン!!ゴオォッ!!

「「!?」」

妙な物音が丁度二人の下から響いて来た。二人は一瞬視線を交差させると、頷いて躊躇なく部屋を飛び出した。




「ビダーシャルさん!」

「大丈夫か!!」

 二人が一階に下り、勢いよくドアを開け放つ。そこにあったのは、びくりと硬直するビダーシャルの他に、窓を突き破った幼体の風竜とトリステイン魔法学院にいた蒼い髪の生徒――タバサの姿だった。

「これは……」

「……」

散乱したジャベリンの破片の中心で倒れ伏す少女に、絶句するアシュレーとその光景を厳しい表情で見るマリアベル。両者の反応に、硬直していたビダーシャルは漸く我に返り、努めて冷静な、むしろ平坦とも言える声で口を開く。

「何か……あったのか?」

「何かあったって……」

「それはむしろここの事でしょう?」と言いたげなアシュレーを無視して、ビダーシャルはマリアベルの方を向く。

「それはそうと、お前達の方の任務はいいのか?」

「良い訳では無いんじゃろうがのぅ……」

困った様にポリポリと頭を掻きながら、マリアベルはアシュレー、タバサ、ビダーシャルの順で視線を走らせると、「ふむ……」と何かしら考える様に頷いた。

「ビダーシャル」

「……何だ?」

硬質な声を出すビダーシャルに、マリアベルはほぼ確信に近い疑問をぶつける。

「お主、此処に来る前にジョセフ王から任務を受けておったの?」

「……ああ」

ヒタと見据えられたマリアベルの眼力に、逃げる事は出来ないと悟ったのか、ビダーシャルは観念した様に頷いた。

「何故……と聞いても良いかの?」

「……」

しばらく気まずそうに黙っていたビダーシャルが、悲しげに困惑を浮かべて自分を見るアシュレーに溜息を吐き、ポツリポツリと話し始めた。

「二人は、この国の現状は理解しているな?」

「……ええ」

「うむ」

自分の言葉に、二人が頷くのを確認して、ビダーシャルは話を進める。

「無能王と呼ばれるジョセフ王と天才と呼ばれたシャルル元皇太子、その禍根の根は、未だにガリア全体に深く根を張っている。その一つが、その少女だ」

ビダーシャルはそう言いながらタバサを指差す。

「シャルル元皇太子が死んだ今でも、彼に傾倒しジョゼフ王を廃そうとする勢力は現存している。ガリア東薔薇騎士団のカステルモール等は急先鋒と言っても良いだろう」

そう言いながら、ビダーシャルは疲れた様に肩をすくめた。

「彼らとて、決して馬鹿ではない。ただ単にジョセフ王を打倒したとしても、国が亡び自らも又破滅するだけである事は理解している。故に……核を求める。自分達が集い、表看板とする事の出来る核を」

「それが、タバサという事かの」

マリアベルの言葉に、ビダーシャルは頷いた。

「その少女の本当の名は、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。天才と呼ばれたシャルル元皇太子の一人娘だそうだ。その上、少女自身もその年で優秀なメイジだと聞く核としては十分過ぎるだろう」

一呼吸入れて、ビダーシャルはアシュレーを真剣な表情で見る。

「既に行った事、これから行う事。これらは全て私の意志で行う。言い訳もする気は無い」

「……」

「私がこの行動を容認したのは、今ジョゼフ王に倒れられてしまうわけにはいかないからだ。現状、この大陸の国の中で積極的に私達を害する意志を持たない国、もしくは機会があったとしても行動に移さない可能性のある国はガリアのみだ。ロマリアは言わずもがな、トリステインはロマリアの意志に逆らう事はまず無いだろう。ブリミル教という思想そのものが天敵であるゲルマニアもトリステインと同調。アルビオンは物資の供給自体には否は無いだろう」

ビダーシャルの言に、アシュレーとマリアベルは返す言葉が無い。国の気風や現状の政策は理解しているが、文化や宗教から推測される方針そのものが二人には予想出来ないのだ。
 その二人の様子を一先ず置いておく事にしたのか、ビダーシャルはそのまま言葉を続ける。

「分かるか?我らも又ギリギリのところで綱渡りをしている状態なのだ。ブリミル教国最大の国力を持つガリアが表立って否を唱えれば、それは強力な抑止力と成り、戦端が開かれた場合でもその国力は大きな武器と成る。又、隣接した領土があれば、我らは二正面作戦の展開の必要も無くなる。苦心の末に作り上げたガリアとの一定の同盟関係は我らの生命線なのだ」

「……」

「が、仮にこの少女が王位についてしまえば、それも破綻する。ただ破綻するだけならまだいい。だが、王を殺す修行を積んではいても王権を振るう経験を持たない彼女が王位についてしまえば、周辺の国に流されて大陸最大の国が我らの敵となること請け合いだ。いや、周辺の国だけでは無い。どの様な王でもそういう傾向があるが、先代に重く用いられた者を排除し、自身に近しい者を用いる。が、この場合用いられる側近は決して愚かでは無いだろう。新たな王の権力が最も脆弱である即位後の熱狂の終わり。その機会を的確に埋める為に先代以上の功績を残そうとさせるだろう。そう……我らの排除など、正に最高の売名行為と言える」

その説明に、アシュレーは一瞬言葉に詰まる。アシュレーとて言いたい事はあった。だが、ビダーシャルの事情はそれ以上に逼迫しているのだ。そして、自らの仲間の命も掛っている。引けない事は分かった。だが、それでも、

「だからって、こんな小さな子供が全ての責を負わなければいけないのか!?」

「ならどうしろと言うのだっ!!私は!仲間を守らねばならんのだ!子供も、老人も!私にだって大切な家族がいるのだ!!!!」

「!?」

アシュレーの言葉に、ビダーシャルが吠えた。

「……」

「……」

「……すまん」

部屋の中に気まずい沈黙が流れる中で、小さな声で謝ってビダーシャルは二人に背を向けた。

「私は老評議会の一員として、仲間達を守らなければならない……。例え、一人の蛮人の少女の人生を奪っても」

「……」

スッと振り返った横顔には、少なからず罪悪感と自己嫌悪が混ざっていた。それを無理矢理押し殺して、ビダーシャルは言葉を紡ぐ。

「これは、私達ハルケギニアの者の問題だ。お前達が責を負う必要も無ければ、苦しむ必要も無い」

ビダーシャルはそう言って、再び顔を背けた。

「お前達も任務があるだろう……。もう行ってくれ……」

「……」

ビダーシャルの言葉に、アシュレーはギュッと手を握り締めて唇を噛む。
 分かっている。分かってはいるのだ。だが、それでも、その言葉に納得する事は出来なかった。

「残念じゃが、そうもいかぬのじゃ」

「!?」

部屋にそんな言葉が響いた。二人の視線の先では、マリアベルがぴらぴらと一枚の紙を指に挟んでいた。

「どうやら、わらわ達の行き先も、お主と同じ場所らしくてのぅ」

そう言って皮肉気に笑ったマリアベルの持つ紙には、『アーハンブラ城に行き、ビダーシャルの護衛をする事』とハッキリと書かれていた。




     ◆




 夜、ビダーシャルと一旦別れてリュティスにある『空の贈り物亭』へ二人は戻って来ていた。既に食事も入浴も済み、後は就寝して明日の任務に向かうだけであった。だが、

「アシュレー」

「うん?」

先にベッドに潜り込み、横になったアシュレーにマリアベルが声を掛けた。

「どうかした?マリアベル」

首を傾げるアシュレーに、マリアベルはチョイチョイと手招きをして見せる。

「うん?」

「ていっ!」

首を傾げて顔を寄せるアシュレーの額に、コツッと自分のおでこをくっつけるマリアベル。

「……えっと」

「ん〜?」

突然の状況に困り顔のアシュレーを、マリアベルはニヤニヤと笑いながら首を傾げる。が、すぐにまじめな表情に成り、心配そうにアシュレーの目をじっと見つめる。

「アシュレー」

「……」

「苦しいか?」

「……」

少し迷ったアシュレーだったが、最後には気まずそうにコクリと頷いた。

「僕が、こんな事を言うのは筋違いだし、おこがましい事も頭では分かっているんだ」

ポツリと呟いたアシュレーはそう切り出した。

「あの子の話を聞いて、可哀そうだと思った。助けたいとも。でも……」

「あの幼子を助ける事が、本当に正しい事なのか……か?」

「うん」

アシュレーが小さく頷いた。擦れる額が熱を持ち、悲しみによるアシュレーの抑えきれない感情をリアルにマリアベルに伝えていた。

「彼女は、間違いなく被害者だ。権力闘争の末の結果とはいえ、父親を失い、母親を壊された。でも、」

「……」

「彼女がもし思っている事を実行してしまえば、彼女は被害者から加害者になってしまう……」

無言で額を離したアシュレーが、傍らに置いてある一冊の古びた手帳を見つめる。牛革で装丁された大きめの手帳。そう、オルレアン邸で見つけたそれには、シャルル元皇太子の秘密が綴られていた。そして、その秘密は、少なくともシャルルという人間を目にした事の無いアシュレーに、風評で聞こえてくる『好青年』という肩書を疑問視させる程度の力は持っていた。

「裏金を使っての多数派工作……」

「うん……」

マリアベルの言葉にアシュレーは力無く頷いた。

「暗殺をされた被害者が、そもそも善じゃ無い……。なら、あの子がしようとしている事は正しいのかな?間違っているのかな?……わからない、わからないな」

「……」

一人思い悩むアシュレーの言葉に、マリアベルはジッと耳を傾ける。

「ならばどうするつもりじゃ?」

「……」

「このまま……引き下がるのも一興じゃぞ?」

マリアベルの言葉に、アシュレーは緩々と顔を上げた。アシュレーを案じる様な目で、それでいて厳しく叱咤する様な表情で、マリアベルはアシュレーを見据える。

「わらわ達は、元々完全にこの世界から見れば部外者じゃ」

核心的な部分。アシュレーが行動すべきかどうか思い悩んでいる、しこりの部分をマリアベルは的確に口にした。

「下手に手を出せば、本来なる様になったはずのこの世界を滅茶苦茶にしてしまいかねん」

「……」

マリアベルの言葉は、鋭い刃となってアシュレーの胸に突き刺さった。
 マリアベルは揺れるアシュレーの瞳を見詰めながら考えた。そう、この世界どころか事件の事情も良く知らない自分達が口を出してしまえば、少女どころかビダーシャルや、他のガリアの人々も苦しめてしまう可能性があるのだ。そうなったら、ガリアの人間全てからアシュレーは恨まれるだろう。生半可な覚悟で手を出せば、アシュレーはきっと誰よりも傷ついてしまう。マリアベルは、何よりもそれを恐れていた。

「昔……さ」

「む?」

そんな中、アシュレーがポツリと口を開いた。

「初めてトニーと会った時に考えたんだ」

「……何と?」

マリアベルの方を向いて、アシュレーは微笑みながら答えた。

「『求める結果は同じなのに、どうして、人は、それぞれ違う道を選ぶのだろう』って……」

「それで……」

アシュレーの目は笑っているようであったが、泣いている様でもあった。

「答えは出たのか?」

「ううん」

アシュレーは首を横に振って否定した。

「わからない。今もわからない」

自嘲なのかの判別も出来ない笑みを浮かべるアシュレーの手を、マリアベルは無意識のうちに強く握りしめていた。が、アシュレーはゆっくりと顔を上げて「でも……」とつなげた。

「でも、わからないままにはしたく無いんだ」

そう言いながら、アシュレーは静かに微笑んだ。

「誰だって、本当は誰の事も傷つけたくないと思っていると思うんだ。でも、守りたい大切なものがあるから……戦う。優しさも忘れて」

そう言ったアシュレーの瞳には、強い光が浮かんでいた。

「なら、せめて全てを知ってもらいたいと思うんだ……」

「……」

「知りたくなかったって、思われるかもしれない。たぶん、僕は恨まれると思う。でも、」

もう、迷ってはいなかった。

「戦うなら、戦う相手も又大切な物を持っているんだから……」

「そうか……」

呟きながら、マリアベルはアシュレーの頭を掻き抱いた。

「ならば、わらわはお主を守ろう。守るために戦おう」

頬に感じる柔らかな熱から、トクントクンと心地よい鼓動の音が聞こえてくる。
 目を細め、揺り籠に抱かれているかのような感覚に、ホッと溜息を吐くアシュレーに、マリアベルはニヤリと笑ってみせる。

「迷っているまま向かうならば、無理矢理にでも止めるつもりじゃったが、その必要は無い様じゃの。数百年会わん内に随分とシャンとしたではないか」

「かかか」と笑うマリアベルに、アシュレーは苦笑する。

「マリアベルには敵わないな」

「当り前じゃ。わらわからしてみれば、アシュレーとてまだまだ生れたてのひよっこじゃ」

 その後しばらく笑っていたマリアベルは、フッと笑いを止めて、アシュレーの顔を持ち上げて視線を合わせた。

「のう、アシュレー」

「何?」

「無理をしないと誓ってくれぬか?」

そして、そんな言葉を口にした。

「シャンとして、前だけでなく現実を見る様になった。でも……」

マリアベルは、何かに脅える様にそっとアシュレーの頬を撫でた。

「でも、その為に自分だけが傷ついて行くような真似だけはせんでくれ」

「……」

「わらわは、もう大切なものを失いたくないのじゃ」

そっと閉じた瞼から、ポロリと涙が雫となって一筋零れた。

「……」

突然の事に戸惑うアシュレーの前で、涙をぬぐったマリアベルは小さく「すまんの」と謝る。

「アナスタシアがそうであったからの……」

「彼女が?」

「うむ……」

肯定したマリアベルの表情は何かに耐える様であった。

「急に前を向く様になった。現実を見る様になった。そして……己が身を顧みなくなった」

「……」

「そういう奴を見ると、どうしても重ね合わせてしまうのじゃ」

「……」

そう言って溜息を吐くと、マリアベルは小さく「すまぬの」と謝った。

「どうもお主と再会してから感情の制御が上手くいかなくての」

「……」

「再会への幸福を噛み締める都度に、別離の今日日が蘇りおる」

そう言って、ぐしぐしと涙を拭うマリアベルの頭を、アシュレーはそっと撫でつけた。

「ん……」

気持ち良さそうに瞼を閉じるマリアベルを見ながらアシュレーは出来うる限り優しく微笑む。

「マリアベル」

「ん?」

「大丈夫」

「……」

「大丈夫だから」

「……うん」

何がとは言わなかった。何だとも聞かなかった。だが、それでも通じ合っている距離が嬉しかった。




 翌朝、ロビーへと降りて来た二人を見て、先に出て来ていたビダーシャルは一瞬表情を曇らせたが、アシュレーの表情を見て、僅かに驚いた様に目を見開いた。

「もう、良いのか?」

「ええ」

「世話を掛けたの」

申し訳なさそうに頷くアシュレーと不敵に笑うマリアベル。僅かにホッとした様子だったが、すぐに気を引き締めた様に二人を見つめ返す。

「これから、私はアーハンブラ城に向かう。ついて来てくれるか?」

「ええ」

「うむ」

二人は頷いた。




     ◆




 フッとアシュレーは瞼を開いた。場所はガリアの東端、嘗ては対エルフの要衝であったこの城を、今はエルフであるビダーシャルを助ける為に守るという事にいささかの皮肉を感じていた。
 二人がいるのは、アーハンブラ城の裏門の上であった。最初、予定通りに表門に就くと言った二人に対して、ビダーシャルが断固として裏門に行くように指示した。始めのうちは難色を示していた二人だったが、ビダーシャルにいらぬ心配を掛けて、彼の仕事を妨げる訳にもいかないという結論に成り、二人は支持された通りに裏門に来ていた。

「静か……だね……」

「うむ……」

アシュレーの言葉に、彼の膝の上ですっぽりと包まれる様に座ったマリアベルが小さく頷いた。二人が裏門に来てから半日、砂漠の中にぽつりと建つ城は、しんと静まり返っていた。これは別に、元々この城が静かだった訳ではない。事実、僅か十数分前までは城の中は警備の者でそれなりに活気付いていたし、少し前にやって来た旅の芸人達が城内に入ってからは俄かに城は騒がしくなり、宴会の様相を呈していた。しかし、その騒がしさも数分前までにはパタリとやんでいた。当然と言えば当然だ。そもそも、元要衝とはいえこんな国の最端に近い場所にある城に旅芸人の一座が来ることなど、まず有り得ないのだ。

「ビダーシャルさん、大丈夫かな?」

「……」

心配そうに呟くアシュレーの手をぎゅっと握り返してやると、おずおずといった調子で親指でマリアベルの手の甲を撫で返してくる。先刻城内が急に騒がしくなったのとほぼ同時に、ビダーシャルの精霊魔法で二人に連絡があった。

『聞こえるか?二人とも』

『ビダーシャルさんですか?』

『ああ』

『ふむ、これは精霊魔法かの?』

『そうだ』

ビダーシャルから肯定の言葉が返ってきた。

『それよりも、話は後だ』

『下の方の声ですか?』

『そうだ。どうやら侵入者が現れた様だ』

『わらわ達は今から向かうつもりじゃったが、お主はどうする?』

『いや、待ってくれ』

そう言って、ビダーシャルはマリアベルの言葉を遮った。

『何かあったんですか?』

『ああ。二人には、そのまま警備を続けて欲しい』

『良いんですか?』

アシュレーが首を傾げた。このまま二人が動かなければ、タバサを抑えておく者がビダーシャルだけになってしまう。

『構わない。蛮人の十人程度ならば私だけでもどうとでもなる』

そう言ったビダーシャルの言葉には、少々の傲慢さとそれ以上の自信が窺えた。

『それよりも、二人には周囲の警戒をして欲しい』

『周囲の警戒をか?』

マリアベルもまた首を傾げる。確かに此の上の援軍は厄介だが、それを止めたからといってタバサの奪還を防ぐ事が出来る訳ではないし、人数が増えるのであれば戦線を戻して戦力を拡充した方がいい。が、ビダーシャルはそうは考えなかった。

『嫌な予感がする』

『ふむ?』

『ハッキリと何かしらの根拠がある訳では無いから何とも言えんが、とにかく周囲の警戒を怠らないでくれ』

『あ、ビダーシャルさん?』

『……』

一言言い置くと、精霊魔法による通信は一方的に切られた。後はアシュレーが何度呼びかけても返事は無く、じきにしんと静まり返った城だけが残った。
 やはり無理にでも戻るべきだったかと考えて、アシュレーは溜息を吐いた。既にビダーシャルが戦略を立てて実行に移してしまった以上、何の相談も無しに大筋を変更してしまっては作戦に支障が出てしまう可能性がある。それに、

「……マリアベル」

「アシュレーも感じたかの?」

二人も又、事ここに至って妙な胸騒ぎを感じていた。ざわざわと背筋を走る妙な感触、急にクリアになる視界、キンと薄く鳴る耳鳴り、そして、僅かに鼻に突く血の臭い。戦いに入る前の高揚とも不安ともつかない感覚が自然と押し寄せ、いつの間にやら二人が戦場のど真ん中に立っている事に気付かせる。

「あ、あれ!」

 ふと、視線を上げたアシュレーの目が、その端にある物を捕えた。

「……何じゃあれは?」

視線の先で捕えたソレへのマリアベルの感想だった。二人が見る先には、夜の砂漠特有の表情の乏しい地平線しか無く、本当ならば何も映らない筈だった。が、

「人?いや、それよりも随分大きい……」

ザッザッと音を立てて、横一直線にアーハンブラ城に向かってくる集団は、一線、また一線と徐々にその隊列を増やしていく。その数凡そ百。明らかに行軍のリズムは歩行のそれでありながら、そのスピードがいやに早い。

「……味方かな?」

「侵入者のか?」

「……」

アシュレーの言葉に、マリアベルは皮肉気に笑った。

「どうやら、嫌な予感が当たったみたいだね」

「そうじゃのぅ……」

呟きながら、立ち上がったアシュレーはバイアネットの留め金を外し、背中から引き抜いて担ぐようにして構える。膝の上から立ち上がったマリアベルもまたアカとアオを取り出し精神を接続する。
 敵との距離は見る間に詰まり、既に300m程の距離まで担っている。

「行くよ、マリアベル」

「うむ……」

二人は城門の上から勢い良く跳び下りた。

タンッ

軽い音が遮蔽物の無い砂漠の中で二度響いた。地面へと飛び降りた二人が前を向くと、感情の無い岩の様なゴーレムの群れは既に100m程まで近付いていた。

「……」

「……」

無言で見つめる二人の後ろで、降下しながら投げ捨てたアシュレーのマントがパサリと乾いた音を立てて地に着いた。その微音がアクセルと成る。

爆音

僅か瞬き半の刹那すら無く、マリアベルを背に乗せたアシュレーは目の前の大気の壁を貫いた。

「アクセラレイタァァァァァァ!!!!!」




 一瞬。まるで瞬間移動をしたかの如く、青の尾すら残さずにアシュレーが敵の群れとの距離を詰める。

「ハァァァッ!!!」

激突。巨大な上に人間とは違い頭を潰しても死ぬという事はあり得ないゴーレムには銃弾殆ど効果らしい効果は見せる事が無い。フルフラットによる一撃ならば敵の胸を最も厚い装甲ごと貫く事も出来るかもしれないが、それで残弾を使いきってしまえば本当に必要な時に使う事が出来ず、リロードは致命的とも言える隙となる。

ミシ、ズズズ……ザンッ!

結果、攻撃の選択肢は斬撃による脚部の破壊からのアクセラレイターでの離脱というヒットアンドアウェイ一択になる。戦場を目に映らずに、しかし確かに疾駆する影が通りぬけた後には、両足を失ったゴーレムの山が出来上がっていた。
 一方のマリアベルは、アシュレーとは対照的にピタリと一か所に留まって動こうとしない。まるで、舞台の中心に立つ踊り子の様な佇まいである。
 徐々に周囲を取り囲んでゆく巨像が自身を覆おうとした瞬間、

「クリメイションじゃ!!」

レッドパワーが爆散した。魔力の奔流によって生み出された焔を全身に浴びたゴーレムの集団は一瞬煽られて動きを止めるが、すぐに体勢を立て直すとそのままマリアベルを押し潰そうと前進する。その中の一体が、高々と構えた拳を一直線に振りおろして来た。が、

「アブソリュート……ゼロッ!!」

ふわりと舞う様にしてかわしたマリアベルが呪文を唱えると、一瞬で冷気が敵を包み込み、パキンッという軽い音と共に、ゴーレムの集団が一瞬で氷結する。そして、その次の瞬間には、まるで全身がガラスか何かで出来ていたかのようにバラバラになって、巨像は四散したのだった。

「ふう……」

半ば瓦礫となったゴーレムの残骸を見渡しながらマリアベルは小さく溜息を吐いた。見れば、だいぶ先の方の敵を切り倒しているであろうアシュレーの通った道には、一体、
また一体と四肢を切断されてもぞもぞと身をよじるだけのゴーレムとも芋虫ともつかないものが蠢いている。
 その光景を目にしながら、マリアベルは現状の把握に思考を巡らせていた。
 この襲撃、まず間違いなくアーハンブラ城を狙って来ていた。では、一体誰がやったのだろうか?可能性としては今城にいる襲撃者が上げられる。だが、仮にそうだとすると妙な事になる。この巨像達はまず間違いなく攻城戦か対大軍を想定してある。緩慢な動作で動く巨体は、大破壊を必要とし敵の動きが鈍い戦闘に向きだ。となると、確かにアーハンブラという戦場には一応マッチはしている。だが、このゴーレム達では攻城戦は出来ても、城内への侵入は不可能だ。しかも、下手に外部から攻撃を仕掛けてしまえば最悪人質が傷付きかねない。侵入者は城内にいるタバサをタバサと認識しているはずだ。ならば、彼女がメイジである事も知っているであろうし、そうであるなら恐らく杖は取り上げられてしまっている事も予想出来るだろう。よって、ゴーレムの大群が侵入者のものである可能性は低い。大体、敵は正面から兵士を薬か何かで気絶させるという方法で侵入に成功しているのだ。この上新たに役に立たない囮を投入する必要は無いだろう。親シャルル派の貴族達も同時に除外する。彼らならば加えて、首都リュティスに直接攻撃を仕掛ける際に投入した方が都合がよい。大体、そんな何体も何体も巨大なゴーレムを製作する余裕があるとは思えないのだ。そもそも、国王直属扱いであるビダーシャルとそれに手を貸している自分達しか知りえない筈の情報を一体どこから手に入れたというのだ。

(む……?)

が、そこでマリアベルは妙な事に気が付いた。そう、今回の情報は国王ジョゼフと自分達しか本来ならば知り得ない筈の情報なのだ。そして、前線に投入されたビダーシャルがその事を周囲に漏らす筈が無い。アシュレーもそんな事はしないのはマリアベルが一番よく知っている。ならば、

(まさか、『奴』が?)

顎に手をあてたまま、マリアベルが顔を顰めながら一人の人物の顔を頭に浮かべた。蒼い髪と髭の壮年の美丈夫。その人物、それは、現在の所マリアベルやアシュレーの直属の雇い主でもある存在。そう、

(ジョセフ・ド・ガリアがこの襲撃の犯人か?)

この国の国王だった。

(ま、待つのじゃ、一旦状況を考え直さねば)

マリアベルは慌てて思考に没頭する。
 ジョセフ王が今回の襲撃を指示した張本人だと仮定する。が、だとすれば彼の目的は一体何なのか?そもそも、彼はエルフの依頼を受けた時一体何を考えていたのか?単純にエルフの力を測定するのが目的か?……可能性はあるだろう。が、それをするのにわざわざこんな回りくどい方法を取る理由が分からない。測定という目的を隠してエルフを完全に敵に回さない為にやったのか?そもそも、エルフの戦闘力を測定しようと考えている者がそんな事をするとは思えない。が、マッチポンプを組み立てて悪戯に自身の戦力に組み込まれているもの同士を戦わせるなど、本当に測定くらいにしか使い様が無いのだ。ならば、測定の為の戦力投入の可能性は大いにあり得るだろう。だが、何故こんな過剰ともいえる戦力の測定を行う必要があるのだ?親シャルル派を粛清し撲滅する事での国内の治安維持が目的ならばどちらか片方で十分だし、それ以前にあの巨像はとてもではないが対ゲリラ様には向いていない。仮に親シャルル派の貴族がこのゴーレムの大軍を必要とする程に戦力を整えたのだとしたら、そもそもジョゼフは今頃玉座になどいないだろう。

(どうやら、見事に嵌められたようじゃの……)

結局、マリアベルは最後にそう結論付けた。
 大戦力の測定。但し本来の矛先は未だに判別出来ない。恐らくジョセフ王の心境は、

(『此処で死ぬならエルフの手を借りる必要は無い』といったところか?)

そこまで考えた所でマリアベルは軽く頭を振って煮え詰まった思考をクリアにする。ジョセフ王の目的などというものは、予測が正しいと仮定した場合の話で、雲を掴む様なものだ。無理に今姿を定めさせる必要はない。ただ、今回の襲撃の星がジョゼフ王である可能性はかなり高いという結論は思考の内に消さずに残してくことにした。
 と、そこまで考えていたマリアベルの前に、突然アシュレーの顔がアップで映し出された。

「うにゃ!?」

ビックリしてピョンと飛び退くマリアベルを、アシュレーは心配そうに覗き込む。

「マリアベル、大丈夫?」

「ん、ちょっと考え事をしておっただけじゃ。特に何も無いぞ?」

そう言っていた二人は、ほぼ同時にアーハンブラ城の方に目をやる。そして、僅かに視線を交わすと直ぐに走り出した。

妙な胸騒ぎがした。

「アシュレー!掴まるのじゃ!」

「ああ!」

城門をアシュレーが切り裂き、城壁の前まで来ると、アカとアオを取り出して両手でアカに掴まるマリアベルと、それに倣ってアオを片手でつかむアシュレー。二人を乗せた精神感応デバイスは砂漠に浮かぶ古城の城壁を一気に駆け昇って行った。




「「!!」」

 古城の窓を無理矢理突き破って侵入した二人の目にまず一番最初に映ったのは襲撃者の一人と思われる剣士が振り被る剣と、その先で驚愕の表情を作るビダーシャルだった。

「っ!」

咄嗟にアクセラレイターで駆け出すアシュレー。そして、その後ろでマリアベルがレッドパワーを開放する。

「バリバリキャンセラーじゃ!!!!」

「なっ!?」

突然動けなくなった体に驚愕の表情を浮かべる襲撃者。そして、その一瞬の隙の間に、ビダーシャルと剣士の間に身体を滑り込ませるアシュレー。

「大丈夫ですか!?」

背後にいるビダーシャルは、アシュレーの声に漸く我に返ったのか、「あ、ああ」と頷く。その声を聞いて一瞬安堵したが、すぐさま気を引き締めて剣の先にいる襲撃者に目をやる。そして、

「き、君は……」

「アシュレーさん!?」

青天の霹靂に呆然とする事になる。

「な、何でアシュレーさんが!」

「……」

悲鳴のように叫ぶ彼――才人の叫びに、アシュレーは苦しそうに表情を歪めて僅かに視線を逸らす。

「そいつは!タバサを誘拐したんですよ!?」

「……」

「それだけじゃ無い!タバサの母さんはそいつらの薬で心を壊されて!」

「……」

「何とか言ってくださいよ!!」

「止めろ相棒!」

才人の発する一言一言が重く胸にのしかかり、苦しそうに歯を食いしばるアシュレーには、何故か目の前の剣から発せられた言葉は有難かった。

「だけど、デルフ!」

「言いたい事は分かるが、今は目の前の敵を見るんだ相棒!」

デルフと呼ばれたインテリジェンスソードの言葉に、アシュレーもすぐに思考を切り替えて構えを堅くする。

「やべえぜ相棒、こいつ一体何者だ!?見た目相棒と殆ど変んねえし、見るからにひょろっちいだけなのに!?」

叫ぶインテリジェンスソードと、既に体勢を立て直したアシュレーとの鍔迫り合いで返事をする余裕が無くなっている才人。対するアシュレーも先程の才人の言葉のせいか攻め込む事を完全に躊躇してしまっている。

「メイルシュトロームじゃ!!」

拮抗状態の中で、そんな声が響いた。瞬間、大量に生み出された、水流というよりは最早水の壁とも言えるものが、階段下にいた才人とその仲間と思われる者達を一瞬にして押し流す。突然の光景に一瞬反応に遅れたアシュレーだったが、直ぐにマリアベルのレッドパワーである事を思い出すとその場でへたり込むようにして尻もちをつき、大きく溜息を吐いた。

「大丈夫か!?」

駆け寄って来るマリアベルに、漸く安心した様に微笑んだアシュレーは、小さく頷いた。

「そうか……」

こちらも、安心した様に胸を撫で下ろす隣に座るマリアベルをジッと見ていたアシュレーは、何かを決心した様に徐に立ち上がってビダーシャルの方を向いた。

「ビダーシャルさん」

「何だ?」

先の戦いで乱れた服装を整えていたビダーシャルに、アシュレーは真剣な表情で切り出した。

「あの子……タバサちゃんを、国王に会わせる事は出来ないですか?」

「む……」

その言葉に、ビダーシャルは一瞬言葉に詰まる。アシュレーが考えている事は何となく理解できるし、自身も又今回の任務に少なからず良心の呵責を覚えていたのは確かだ。だが、

「……だめだ」

ビダーシャルは首を横に振った。

「お前が何を考えているのかは大体分かる。……私も考えないでは無かった。だが、それをした結果、ジョゼフ王との交渉が決裂し、我らの民が戦争に巻き込まれてしまえば元も子もない」

「……」

「悪いが、老評議会の蛮人対策委員会の委員長として、その行動を許す訳にはいかないんだ……」

「じゃが、少々解決しなければいけない問題もあるぞ」

「ん?」

悔しそうな表情のアシュレーとビダーシャルの間にそんな声が掛けられる。声の主、マリアベルの方を向くと、ビダーシャルは訝しげな表情で口を開いた。

「何か、あったのか?」

首を傾げるビダーシャルに、マリアベルは「うむ」と頷いて見せる。

「お主が城内に居る間、外でも襲撃あったのは分かったか?」

「ああ。いきなり静まり返った外が五月蠅くなったからな」

そう言って首肯するビダーシャル。彼の言葉に頷いたマリアベルは確信に近いものを口にする。

「あの襲撃の犯人、いや、黒幕は恐らくその、ジョゼフ王じゃ」

「なっ!?」

驚愕の声を上げるビダーシャルと、その隣で唖然としているアシュレー。その顔を見比べて、マリアベルは戦闘の最中に考え付いた事を二人に話した。

「……」

「……」

僅かにではあるがショックを受けるアシュレーと、難しい表情をするビダーシャル。二人の前に立つマリアベルはスッとビダーシャルの方を向いた。

「このまま放っておけば、どんな矛先がどこに向くのかも分からぬぞ?」

「……」

「最悪、お主を実験道具にしてエルフを攻め滅ぼす準備を整えられてしまう可能性もあるぞ?」

「……」

「交渉のテーブルに着かせる為には、狂人を人間半位に直さねばならぬが、それが出来るのはあの幼子だけじゃろうの……」

「……」

浴びせられるマリアベルの言葉に、ジッと何かを考えていたビダーシャルだったが、やがて、何かを諦めた様に大きく溜息を吐いた。

「分かった」

「む?」

「あの少女をジョゼフの所に連れて行こう」

「いいんですか!?」

アシュレーの言葉に、ビダーシャルは頷いた。

「どの道、このまま奴の言葉に唯々諾々と従っていては我々はどうせじり貧だったのだ。ならばこれもいい機会だと考えるべきだろう……」

そう発言したビダーシャルは「それに……」と付け足した。

「私も少なからず『そう』したいとは思っていたのだ」

若干ばつが悪そうに視線を逸らしながら、ビダーシャルはそう言った。

「付いて来てくれ」

歩き出したビダーシャルの後ろで、頷いたアシュレーとマリアベルの二人も又歩き出した。




 アーハンブラ城最上階。見張りの為の物見塔を除けば最も高い場所にあるであろう部屋の扉をビダーシャルが開く。

「少し待っていてくれ」

小さく囁く様なボリュームで何かを朗読する少女の声が二人の耳朶を打つ。

「マリアベル」

「ん?」

「ありがとう」

扉の外で待つアシュレーは、マリアベルに礼を言った。理由は先程の事。彼女の言葉が無ければ、タバサを連れ出す事など出来なかっただろう。

「いや、礼などいらんぞ」

「わらわとアシュレーの仲ではないか」と笑ったマリアベルだったが、直ぐに表情を真剣なものとして、話し出す。

「わらわは、あの幼子の気持ちが少なからず理解出来る」

マリアベルのその言葉にアシュレーは頷いた。彼女もまた両親をロードブレイザーという強大な敵によって奪われたのだ。家族を失う悲しみは通じるものがあるのだろう。

「が、だからといってシャルル元皇太子の暗殺が間違っていたのかと聞かれると、正直何とも言えぬのじゃ」

そう言いながら、マリアベルはウェストポーチから一冊の牛革の手帳を取り出した。そう、シャルルの日記である。

「天才的な魔法の才で名声と民の後押しを受けつつも、それでもまだ不十分とばかりに裏金を使って貴族連中の中に自派を求めた」

手帳の端を考えるように囁きながらなぞるマリアベル。

「裏金や賄賂を肯定する訳では無いぞ?そんなもの無く、単純な正面突破で政治を行える者の方が優秀ではあるじゃろうし、民にとってもその方が良い」

「じゃが……」とマリアベルはそっと溜息を吐いた。

「その程度の工作も出来ないのであれば、そもそもが王になる器では無いと言える……」

物憂げな表情のマリアベルの言葉に、アシュレーはジッと耳を傾けた。

「そして、その上でシャルル元皇太子は失敗した。将を射んと欲すればまず馬を射よとは言うがの、それはあくまで最後の将を射ることが目的じゃ」

そっとマリアベルはシャルルの日記から視線を上げた。

「将。先代の王にして自らの父でもある、大凡王族としての自身を知りぬいている相手の心を射止められなかった時点で、シャルル元皇太子の器量の限界があったのかもしれぬの……」

そう言って、言葉を切ったマリアベルは疲れた様に溜息を吐く。

「どちらも正しく、どちらも間違っておる。そして、そんな戦いが延々と繰り返される……。だから、わらわは人間の政治を好かぬのじゃ……」

マリアベルの言葉を聞いていたアシュレーは黙ったまま、そっと彼女の手を握るのだった。




 アシュレーとマリアベルの話が終わるのとほぼ同時に、ビダーシャルがタバサとその母親を担ぎ上げる様にして持って部屋から出て来た。そして、懐から何やら石の様な物を取り出す。

「それは何です?」

「風石だ」

首を傾げたアシュレーに、ビダーシャルは小さく答える。

「ほう、それが……」

話には聞いていたが、実際に目にするのは初めてなマリアベルは、研究者としての血が騒いだのか興味深げな様子でビダーシャルの手に収まった石を覗き込む。

「で、それでどうするのじゃ?」

「飛ぶ」

首を捻るマリアベルに、ビダーシャルは短く答えた。

「え?」

「飛ぶ?」

今度は二人揃って首を傾げるアシュレーとマリアベルに、ニヤッと笑ってビダーシャルは風石の力を開放する。

「行くぞ!」

「え!?」

「おおお!?」

瞬間、アシュレーとマリアベルの二人と、ビダーシャル、オルレアン親子の体が浮き上がる。

「よし、飛べっ!!」

声と同時に身体に急激な圧力がかかる。そして、

「「うわぁぁぁ!?!?」」

初めての生身による超高速の飛翔に二人は身を任せるのだった。




     ◆




 首都リュティス――グラン・トロワ

「き、気持ち悪い……」

「むおぉぉぉ……」

 初めてのエルフ式の高速移動で、乗り物酔いに近い状態になった二人は青い顔をしてそれぞれの腹を抑えていた。

「……のう、アシュレー」

「……何?マリアベル」

「わらわは心に誓ったぞ」

「……何を?」

「わらわは今後一切何があっても、風石移動は使わぬ」

「……僕もだ」

「本当に大丈夫か?」

ガリアの王宮をぐったりとしながら睨みつける二人に、流石に冷や汗をかくビダーシャル。

「少しだけ待ってもらえれば何とか……」

「右に同じじゃ……」

「分かった。では先に入城の手続きだけ済ましておくぞ」

そう言って、ビダーシャルは門の端にある詰め所へと向かい、中に居る番兵の一人に二言三言声を掛ける。それに頷いた番兵は直ぐに中へと消えて行った。
 数分後、戻って来た番兵に何やら伝えられたビダーシャルがやって来る頃には、二人とも既に、普段の調子に戻っていた。

「入城許可が出た。二人とも、準備はいいか?」

「ええ」

「うむ」

アシュレーとマリアベルは頷いた。




 グラン・トロワ内を進んだ三人は、何故か通常の謁見室では無く玉座の間へと通されていた。城内の警備は雑であり、まるで暗殺するならいくらでも暗殺しろと言わんばかりだ。そして、今この時、ハルケギニア最大の国家であるガリアの玉座を支配する男、それが目の前で気だるげに三人を睥睨する人物、ジョゼフ・ド・ガリアだった。
 ジョゼフは玉座の間に立つ三人を、そしてその隣に居るタバサとその母親を目にして僅かに眉をひそめたが、すぐにそれを直すと無感動に睨むでも見つめるでもなくアシュレー達に目をやる。

「それで」

徐に開いた口から零れた音は、外観に違わぬ美声であった。が、その音調はどこまでも怠惰で、風貌的には割とマリアベルの好みだが、この無気力さはあまり好意的には受け取れない。

「エルフの使者とその仲間がこの無能王に何の用かな?」

その言葉には劣等感も皮肉も含まれていなかった。ただ一つの真実として、そう発言しただけであった。
 但し、それを受け取った三人は間違ってもそのような感想を抱かなかった。

「無能王のぅ……」

三人の心情を代表するかのようにマリアベルが皮肉気にその口元を歪めた。マリアベルの皮肉にも、ジョゼフ王は特に気分を害した様子も無く「そうだ」と頷いている。

「お前達も予の評判を聞いておるだろう」

質問では無く念押しの様な調子でジョゼフは語りだした。

「周囲の貴族も民も皆口を揃えて予を魔法の使えぬ『無能王』と言って蔑んでおる」

何の事は無い、不変の真理だと言わんばかりに口にするそれを見てやれやれと溜息を吐いたマリアベルが一歩前に出る。

「お主が『無能王』であるというならば、その弟のシャルルは一体何者であったのじゃろうな?」

「ふん、決まっておろう。シャルルは僅か12歳でスクウェアに到達した天才だ」

それ以外に何があるといった様子のジョゼフを、マリアベルは鼻で笑った。

「何がおかしい?」

「いや何、自らの手で暗殺した相手に随分と弱気な事だと思っての。いや、弱気であったから暗殺などという手を取ったのかもしれんがの」

「何とでも言うが良い。証拠などどこにもありはしないぞ」

下らないと言いたげなジョゼフ。一方、無言でその後ろに立っているフードの女性は、マリアベルの嘲笑に怒りを覚えたのか、ギュッと手を強く握っている。

「しかしまあ、民の方は案外今のガリアの方が幸せに暮らせているのかもしれんの」

「何?」

マリアベルが吐き出したその言葉に、ジョゼフ王が初めて感情を感じられる反応を返した。

「どういう事だ?」

眉をひそめたジョゼフが玉座から立ち上がってマリアベルをひたと見据えた。立ち昇るオーラの威圧感と鋭く刺すような眼光の威力は、間違いなくこの男には王たる資格が備わっているという事を如実に物語っている。

「どういう事だも何も、そもシャルル元皇太子には王の資質は備わっていなかったようじゃからのぅ」

事も無げに言ったマリアベルの言葉。隣に立つアシュレーもその話は何度かした事があり、今はマリアベルとほぼ同意見である。が、どうやら彼はそうではなかったようだ。

「ふざけるなっ!!」

発せられた怒気は玉座の方。シャルル元皇太子を暗殺したのだと実しやかに囁かれる存在、ジョゼフ王その人だった。
 バッと音がしそうな速さで詰め寄ったジョゼフはギラギラとした異常者の様な視線でマリアベルを睨みつける。

「あいつは天才だった!俺等及びもつかない程の!貴様に何が分かるというのだ!」

「少なくとも、王としてはお主の方が優秀であろうことは、わらわでも理解できるの」

「……」

マリアベルが発した言葉に、ジョセフの表情がスーッと能面の様に抜けて行く。血色が良かった顔色は血の気が引いて青白くなり、薬物中毒者の様な色だった。
 ゆらりと動いたジョゼフ王はするすると壁際まで下がると、飾られていた装飾だらけの剣を引き抜いた。

「む?」

が、スラリと抜き放たれたその剣は、映る光と刃の形から決して式典用の鈍等では無く、実戦を想定したごくごく実用的な人斬り包丁であることが分かる。
 その剣を抜いたジョゼフを不審げに見ていると、ジョゼフ王はブツブツと何事か呟いた。

「不快……だな」

何故かそれだけがやけに室内に響いた。

「貴様らごときに俺とシャルルの何が分かるという!!」

瞬間、まるでそこに元から誰もいなかったかのようにジョゼフの姿が掻き消えた。

ギンッ!!

「!?」

「……」

マリアベルの背後で鳴った音に、一人は表情を険しくし、もう一人は驚愕で目を見開く。前者は一瞬姿を消したジョゼフの位置を察知し、バイアネットで受け止めたアシュレー。後者はその一撃で目の前に居る小五月蠅い小娘の首を掻き切って一先ず黙らせようとしたジョゼフ王のものだった。
 拮抗は一瞬。素早く跳び退ったジョゼフ王が剣を構える中、アシュレーもバイアネットを猛獣の尾の如く後ろへと流したいつもの構えを取る。

「マリアベルッ!」

「ミューズッ!」

叫びながら超高速で突進した二人。戦いの火蓋が切って落とされた。




 ギンッとぶつかり合った金属同士が奏でる、不可視の鈍い二重奏が薔薇の王城で木霊する。戦闘という名の楽曲の中で、マリアベルは静かに目前のローブの女と対峙した。

「お主がわらわの相手か……」

「ふん」

静かに前に立つマリアベルに、ミューズと呼ばれた女性は嘲笑を浮かべた。

「可哀そうだけど、降参する方がお利口だと言っておこうかしら、お嬢さん?」

「む?」

フードの女性の言葉にマリアベルはピタリとその歩みを止めた。

「お主が、アーハンブラでの司令官か?」

僅かに警戒の色を含ませるマリアベルに女は「フフッ」と笑みを浮かべる。

「その問いに、答える必要はあるのかしらね」

「別に無いの」

マリアベルは首を横に振った。女の方も特に感慨を浮かべる事無くパチリと指を鳴らす。と、けたたましい破砕音と共に、グラン・トロワの壁を突き破って一体の巨像、先日の大群のゴーレムに良く似た物が一体、ガラス張りの一面を貫いて城内へと侵入して来た。

「またこれか。芸が無いの」

呆れた様に呟くマリアベルを女は哄笑すら上げそうな様子で嘲笑う。

「同じだと思う?いいえ、全く違うわ」

女の言葉に反応するように、ゴーレムは高々と両腕を掲げる。そう、その意匠はアーハンブラでの戦いの時とは違い、全身を覆う金属と思われる鎧で覆われていた。

「前回の戦いに出したのは素体の稼働テスト用の量産品。このヨルムンガントは全身鎧のテストも終わらせた完成品」

そう言って、女は口角を吊り上げる。

「このミョズニトニルンが作りだした最高傑作……アーハンブラでの小細工は通用しないわよ?」

「ふむ」

ミョズニトニルンの言葉を耳に入れつつも、マリアベルは躊躇なく一発レッドパワーを放つ。

「ファイアボルト!」

「なっ!?」

マリアベルの放った炎が、ヨルムンガントに着弾するとほぼ同時にまるでそれが存在しなかったかのように掻き消える。本来のカウンターならば決してあり得ない光景に、ミューズは驚愕で目を見開く。一方のマリアベルは何か考え込む様に腕を組んで顎に手を当てている。

(着弾後の破裂が無い以上、ファイアボルトは何らかの魔法的な干渉を受けたと見るのが妥当。そして、先程の効果は、あの女の表情を見る限り本来のものでは無い。ならば、その干渉が本来齎す効果、その干渉にファイアボルトが齎した効果、最低でもその辺を知る必要があるの)

ブツブツと小さく呟きながら、ガラス片を両手に一つずつ拾い上げるマリアベルの理解不能な行動にミューズは焦ったのか、舌打ちを一つしてもう一度指をパチリと鳴らす。

「そのガキを殺しなさい!」

声に反応したかのように、ヨルムンガントの腕が高々と持ち上げられ、そして、マリアベルに向かって一直線に振り下ろされる。

「おっと」

一枚一枚丁寧に紋様が描かれたタイル諸共グラン・トロワの床面を抉る剛腕。その一撃を衝撃の余波ごとヒョイッと軽やかにかわしながら、マリアベルは手に持っていたガラス片の一つをその腕に向って放る。

キュイン!

「ふむ」

巨像に向かって放たれた、凡そ攻撃とは呼べない程の貧弱な一投は、ヨルムンガントの纏う何らかの魔法によってマリアベルに向かって真直ぐと跳ね返される。その反射を首を傾げる動作でかわしたマリアベルは、その場で今度はヨルムンガントの腹、先程ファイアボルトが着弾したと思われる場所に向かって投擲した。

カシャン

「なっ!?」

「ほう……」

そんな軽い音が、妙に二人の間で響いた。その音に女は驚愕に目を見開き、マリアベルは魔法の干渉によって何が起きたのかを理解する。

(魔法同士の相互作用と思ったが、着弾による破壊では無く溶け合う事で相殺したのかの……)

「馬鹿なっ!ヨルムンガントの鎧はエルフの『反射』が施されているのだぞ!?」

ミョズニトニルンが思わず口にしたその一言に、マリアベルは「ふむ」と納得の動作を取る。この巨大なゴーレムの全身を覆う鎧の持つ魔法的な効果が正常に発動されればマリアベルの放ったファイアボルトはそのまま術者であるマリアベルに向かって跳ね返されていたのだろう。しかし、そうは成らずに互いに干渉し合い、そして、消滅してしまった。これは恐らく、この世界にある魔法とマリアベルの扱うレッドパワーの『律』とも言うべき波長が、大きく異なっているがゆえに偶発的に起きたものなのだろう。エルフとして自身が慣れ親しんだ魔法を良く熟知しており、精霊の声が直に聞けるビダーシャルがマリアベルのレッドパワーを見て直ぐ人間ではないと判断したのはその辺が理由の一つだろう。

(となれば、一旦全ての魔法を引っぺがしてしまえば良いか?)

最初に頭に思い浮かんだ考えを「しかし」と打ち消す。
 マリアベルのレッドパワーは直接的な攻撃魔法は全て単体用と全体用に分かれる。が、この中の全体用の魔法は不定形の物を扱う為、基本的に斑が出来るのだ。僅かに残ったカウンターが戦況にどう作用するか分からない以上、不確定的な要素を生む戦い方をするわけにはいかない。唯一の例外は水系統のメイルシュトロームだが、アーハンブラ城の時の様に上から下に流し込むならともかく、こんな場所で使えばアシュレーやビダーシャルを巻き込みかねない。だからと言って単発の魔法を連打して一部ずつ破壊すると、時間が掛かり過ぎてしまう。今はジョゼフ王が人払いをしているからまだ良いだろうが、戦いが長期化すれば、人払いされている衛兵達も駆け込んで来ない訳にはいかなくなる。

(となると……)

考えをまとめたマリアベルは取り出したアカを両手で握る。

「?」

その様子を警戒た表情で睨みつけるミョズニトニルンとそれに倣うヨルムンガント。その前に立つマリアベルは両手で持ったアカを強く引っ張った。
 パキリと割れたアカの中にあったのは、丁度すっぽり収まる程度の大きさのリールに巻かれたワイヤーだった。訝しげな表情となるミョズニトニルンの前で、マリアベルは二つに割れたアカの片方を腰の前に持ってくる。すると、アカの片割れはまるで元々そうであったかのようにマリアベルの腰元にピタリと張り付いた。

「我が名はマリアベル・アーミティッジ」

ニヤリと笑いながら、いつもは額に着けているゴーグルを下ろして目を覆う。

「わらわの司る超科学を見せてやろう」

ファイアボルトがヨルムンガントの顔面に着弾した。




 睨みあいと小手調べの応酬となったマリアベルとミョズニトニルンの戦いと対照的に、アシュレーとジョゼフの戦いは乱打による総力戦の様相を呈していた。

「はあっ!」

「うおぉぉ!!」

ガキンと音が鳴り、剣と剣がぶつかり合う。

「フッ」

「クッ」

瞬間、僅かに出来た拮抗状態でジョゼフは剣筋を逸らしてアシュレーの圧力を受け流す。アクセラレイターで加速した体は踏みとどまることが出来ずに、本来よりも簡単に受け流されてしまう。

「シッ!」

泳ぎかけた体勢に、無理矢理踏み込みを入れて拳を放つアシュレー。

「グゥ!?」

「ガッ!?」

吹き飛ばされながらもアシュレーの顔面をジョゼフが蹴り上げる。

「クッ」

「チッ」

一瞬の攻防の後に距離を取り、再び睨みあう二人。しかし、間断を置かずに両者共に突撃し、再び剣撃を繰り返す。

(まずい……)

対峙しながら、ジョゼフは内心で一人ごちた。目の前に立つ大剣の青年。その腕が恐らく自分よりも上である事を、その怜悧な視線は既に見抜いていた。特に扱う妙な技。自身の虚無である『加速』と同等のスピードを出せるその技は、ジョゼフを強制的に純粋な剣技の戦いの舞台へと登らせていた。
 油断無くこちらを窺う姿には一分の隙も無い。そして、向こうには此方の隙が見えているようである。

(速い!?)

コンマすら置かずに加速した一撃を何とか逸らすが、パワー負けした剣が弾かれ大きく隙を作ってしまう。

「クッ」

浅く頬を切られながらも、なんとか射程圏内から逃げ出す。だらだらと流れる鉄の匂いに気を配っている暇も無い。

(狙いもスピードも徐々に上がっている……)

 ジョゼフは内心で言い様の無い感覚に襲われていた。動くはずの無い心の底で。若干の歓喜、そして、それ以上の今まで知らなかった感情に支配されていた。
 歓喜の源は簡単だ。刺激。それも、自身が身を焦がして止まなかった、自身に到達する事の出来る強大な刺激。それが目の前にあった。シャルルを殺して既に3年。心動かされる事の無い日々で初めて自身に拮抗する敵に出会った。狂喜していい筈だった。少なくとも、自分が何度も何度も求めて止まなかった感情を手に触れる事が出来る程近くで味わわせてくれる存在がそこに居るのだ。だが、

(何故だ?)

胸にざわめく妙な感覚が一向に消える気配が無い。

「チッ」

小さく舌打ちをして、慌ただしく構えを変えるが、その感覚はむしろ一層強くなった様だ。

(何だ、何なんだ?)

ざわめく感情を押し潰す様に大きく息を吐いてキッと相手を睨みつける。
 ジョゼフは剣が得意だった。武器としてはメイジの象徴でもある杖よりも慣れ親しんだものかもしれない。剣しか使えない。その一事が自身の胸の内に燻ぶる劣等感を刺激して止まないが、少なくとも、魔法衛士隊や花壇騎士団等で正式に採用されているものである以上、メイジとて縁が無い武器では無かった為、訓練にはそれ程拒否反応は感じなかった。
 日々の積み重ねは糧となり血肉となる。ジョセフの剣術は、少なくともごくごく一般的な枠から見れば飛びぬけていた。そして、その剣術に虚無の『加速』が加われば、最早敵等いない。そう思っていた。事実、シャルル派の花壇騎士団の襲撃も『加速』一つで退けているのだ。

(なのに何故貴様は)

目の前にいる敵はまるでそんなものに価値は無いと言わんばかりにジョゼフと同じスピードで当然の様に刃を交えている。

(くそっ)

剣先を相手に向け、いつでも迎撃できる態勢を取る。だが、頭のどこかで何かが警鐘を鳴らしている。

「む?」

ふと気付くと、視界の先に居る青年が急に己の大剣の峰の中程を持ち、槍の様に頭上に掲げた。ジョゼフの背に嫌な汗がたらりと流れる。耳の奥がジンジンと熱くなり、血が沸騰しそうなほどに心臓が鳴る。

(何を、何をする気だ!?)

ジョゼフの混乱の答えは直ぐに出た。捻られた体、掲げられた大剣。それが……投擲された。
 一条、自分を貫かんと迫る斬撃を前に、ジョゼフは必死に内心の恐慌を抑えていた。自身に迫る殺意。だが、それをいなしきれば相手は丸腰となって詰みだ。必死にそう言い聞かせ、剣にのみに目を向ける。

(今だ!!)

体勢を斜めに倒し、大剣と自身の間に剣を滑り込ませる。力を加えながら体を回転させる様にして必殺の一撃を何とかやり過ごす。自身に決定的な隙が出来るが、それは仕方が無い。それに、相手も又武器を失うという最大の隙を見せた状態なのだ。この一撃を避ける為ならばむしろ安すぎる代償だ。

(そうだ、これで俺の勝利だ!)

内心で叫んだ。


視界が唐突に切り替わった。


 突然の事に頭の方が追い付いていかない。どこか遠くで、カランと自身の剣が落ちる音がやけに軽く響いた。音のした方を向くと、そこにいたのは先程の敵。そして、その敵を中心に、全てが薙ぎ払われたかのような波紋が出来ている。

(衝撃……波)

ジョゼフは何が起きたのかを理解した。自身も又加速する際にそれに近い体験をしてはいる。だが、攻撃に転用できる程の高威力の一撃は未だに到達した事が無かった。そして、

(あ、ああ……)

ジョゼフの胸に去来したものがあった。

(ああああ、あああ)

それは、

(あああああああ……!)

紛れも無い安堵の意識だった。
 考えてみれば、自分は今まで命の危機をいうものをじかに味わったことが無かった。当然と言えば当然だ。誰も、王族であるジョゼフの命を危機に晒して自身の命を失いたい等とは思わない。剣術の訓練だって、あくまで模擬的なもので決して命に関わる様な事は無かった。例え剣術の腕が普通の教師をはるかに凌ぐものになったとしても。狩りもそうだ。平民の狩人とは違い、いつも大量の護衛が付き、自分は安全圏から矢を放つのみだった。獲物を狩る楽しみはあっても、それは的当てと大差ない。強いて言えば的がよく動くといった違いがある位だろうか?シャルルとはよく競い合った。だがそれも、盤上の遊び、チェスのみのお遊びでしか無かった。そこに真剣勝負はあったとしても、命のやり取りは存在しなかった。アルビオンで反乱を起こさせた時、自身はただ後ろで指示を出していただけ。召喚した使い魔であるミョズニトニルンが実際には動き、自身を楽しませる為に少なからず危険な橋を渡っていた。例え、彼女自身が望んだことで、そこまで危機を感じていなかったとしても。シャルル派の騎士達が自分の命を狙って来た時は、確かに自分の命が危機にさらされたのかもしれない。だが、それも簡単に退けられた。既に虚無に目覚めていた自分にとっては敵では無いと言わんばかりに。あれは『狩り』ではあっても、『戦い』では無かった。

(何たる間抜け……)

床に叩きつけられて、剣を取り落としながらジョゼフは自嘲した。
 所詮、命懸けで何かをした事の無い者のたわごとだったのだ。もし、本当の意味で命が危機にさらされる様な事があれば、自分の心はこんなにも簡単に波打った。

「は、はは」

平民でも兵士でも知っているような簡単な事実。いや、彼らだからこそ知っているのだろう。
 視界の先で剣を納める青年を捕えながら、ジョゼフの意識は闇に落ちた。




 ファイアボルトがヨルムンガントの顔面に吸い込まれ、纏った鎧の魔法を中和するのとほぼ同時に、マリアベルは二つに割れたアカのもう片方、腰に付けた方の反対側を巨像に向かって投擲する。

「はっ!」

キュルキュルと回転しながら飛んで行ったそれは、二度三度と巨像の首に巻き付くと、ガッチリと張り付き、少女とゴーレムを一本の金属の糸で一つに繋げ合わせる。

「ほいっ!」

そして、その場でぴょんと跳び上がったマリアベルは、腰元にあるアカの目玉の部分をポチリと押す。すると、キイィィィン!と耳に痛い音と共にマリアベルの体が一瞬でゴーレムの肩の上に引き寄せられる。

「むほほ!カノンのワイヤーフックの再現なぞ、わらわの手にかかれば造作も無いのじゃ!」

嘗ての戦いの後、仲間のグッズの一つを再現するソフトをアカに組み込んで搭載した新機能を実際に使用する機会に、マリアベルは満足げに笑う。

「くっ!振り解きなさい!」

「おっとっとっと!」

その様子を見て、すぐさま敵を投げ捨てさせようとするミョズニトニルン。迫る巨像の掌を、ワイヤーに身を任せたままその胸や背中、肩を走り回るようにしてヒョイヒョイと軽やかにかわすマリアベル。

「ふはははは!その程度のスピードでわらわを振り落とせると思ったか?」

「くぅぅぅ!」

下の方で歯噛みするミョズニトニルンだが、ヨルムンガントの腕のスピードではマリアベルを捕えて投げ捨てることなど出来ない。

「さてと、それでは御開帳と行くかの」

そう言って、マリアベルは今度はアオを取り出し、その頭のてっぺんに付いた黄色い角を引っ張る。そこから出たのは一本の太いナイフに様なものだった。

「?それで何をするつもり?」

「見て分からんか?」

「……」

訝しげな表情を崩さないミョズニトニルンを見て、マリアベルがフッと鼻先で笑う様な非常に腹立たしい笑みを浮かべる。

「神の頭脳とやらも、案外大した事無いの」

「なっ!?」

驚愕するミョズニトニルン。

「どこでそれを!?」

思わず叫ぶ彼女に、マリアベルは「んむ?」と首を傾げる。

「どこって、トリステインの魔法学院の図書館でじゃが?」

マリアベルのあっさりした答えに絶句するミョズニトニルン。そんな彼女の様子に、マリアベルはますます疑問符を浮かべる。

「というか、気付かなんだのか?ガンダールヴのルーンが普通に図書館で分かるようになっておるのじゃぞ?ミョズニトニルンの効果くらい簡単に予測できるに決まっておるじゃろうが」

そう言いながら、マリアベルは手に持ったナイフを確認する。刃先が真っ赤になり熱を放つそれを見て、「ふむ、そろそろ頃合いかの」と呟いて、尖端をヨルムンガントの後頭部に思いっきり突き刺した。

バチバチバチッ!!!

一瞬、そんな音が鳴ったかと思うと、瞬く間に装甲の一部が切り裂かれてしまう。

「ほいほいほいっと♪」

「しまった!?」

マリアベルが装甲を剥ぎ取った場所、それは丁度ヨルムンガントの中枢部分、脳味噌とも言うべき物が詰まっている場所だった。

「振り落とせ!ヨルムンガント!」

開かれた中枢神経の防御機構を着実に引っぺがし、沈黙させ、無力化させていくマリアベルに、ミョズニトニルンは焦った様に叫ぶ。しかし、いくらヨルムンガントが暴れようとも、マリアベルは飛ばされ離されながらも瞬間瞬間でヒットアンドアウェイの様に一撃一撃で確実にヨルムンガントの脳を解体していく。

(まずい……)

その様子を見ながら、ミョズニトニルンはガリッと爪を噛んだ。ヨルムンガントはその巨大な身体を簡単な指示で動かせるように、神経系は魔力では無い全く別のものに依存している。そして、目の前に居る金髪の少女の行動、特に防御機構を破るスピードを見る限り、中枢部分に到達されてしまえば確実にコントロールを奪われてしまう。

カランッ

「うん?」

妙に乾いた音がして、足元に何かが落ちた。僅かに首を傾げたミョズニトニルンがそれを拾い上げる。

「な!?」

そして、それを見て焦った様に上を見る。手に持つそれはヨルムンガントの中枢神経を入れたケースを覆う最後の部品、衝撃吸収用の流動物質が封入された対衝撃クッションだった。

(何なのよ、あのガキの腕は!?)

ミョズニトニルンは歯噛みするしか出来ないでいる。

(何であんな一瞬で基盤の解体が出来る?防御機構はそんな簡単には解体出来ない筈なのに!大体、あんな不安定な体勢で何故……)

と、そこまで考えた所でミョズニトニルンはハッとある事に気が付く。マリアベルがあの場所で問題無く作業できる理由、そんなもの一つに決まっているではないか。作業を曲がりなりにも完遂出来る為にあるそれ。それが無ければ……

「ヨルムンガント!首のワイヤーを解きなさい!!」

「ふおっ!?」

ミョズニトニルンの声に反応したヨルムンガントが、すぐさま首のワイヤーを引っ張る。そして、それに引っ張られたマリアベルはドライバーを口に咥えたままキョロキョロと辺りを見回す。

「残念だったわねお嬢さん」

ニヤリと笑うミョズニトニルンの前で、マリアベルはカチリとアオに角を戻してドライバーを仕舞う。その一向に気に留めた様子の無いマリアベルに苛立ったかのようにミョズニトニルンが叫んだ。

「ヨルムンガント!そのガキを繋いだワイヤーを引きちぎってやりなさい!!」

ミョズニトニルンの言葉に、ヨルムンガントがワイヤーの一部を頭上で振り回す様にして首の線を外していく。

「むおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉ!?」

設計のおかげか材質のおかげかは分からないが、マリアベルの作ったワイヤーフックは、引きちぎられる事無く無事だった。しかし、その代わりにマリアベルはヨルムンガントから逃げる事も出来ずに、遠心力に任せて振り回されている。
 少々予定とは違ったものの、漸く自分をおちょくってばかりいた少女にひと泡吹かせる事が出来た事に気分を良くしたミョズニトニルンは、そのまま次の指示を出す。

「ヨルムンガント!そのガキをそのまま叩きつけろ!」

ビュオンと風の鳴る音と同時に、ヨルムンガントがワイヤーの先端でグルグルと目を回すマリアベルをそのまま地面に叩きつけようとする。が、

「ほっ!」

「なあぁっ!?」

直前で目を覚ましたマリアベルは、地面に着弾する直前、その両手足をぱっと広げて床すれすれ状態で身体を完全に平らすることで直撃をギリギリ避けていた。
 決まったと思った瞬間に、そんなアホな体勢で避けられた事に思わず驚愕するミョズニトニルンに、マリアベルはニヤーっといやらしい笑みを浮かべてチッチッと人差し指を振って見せる。無茶苦茶腹立たしかった。

「上に参りまーす」

そして、直ぐに腰のアカの目玉を押すと、キュルキュルと再び上昇し始める。

「!させない!!」

その事に、ハッとなったミョズニトニルンはすぐさまヨルムンガントに指示を出す。

「ワイヤーを止めているフックを外しなさい!この際装甲の傷は無視しても良いわ!」

ミョズニトニルンの指示に、ヨルムンガントはブチリとワイヤーの先端、アカの後ろ半分を剥がし取る。

「およ?」

「これでお前はもう、ワイヤーを使ってヨルムンガントの中枢に行けない!そして、二度と近付けさせもしない!」

勝利を確信したミョズニトニルンの言葉を聞きながら、マリアベルはアオを取り出してごそごそと何やらいじっている。

「終わりよ!!」

ブチリと外したアカの半身を放り捨てるヨルムンガント。同時に、自身を固定する物を失い真直ぐ落下するマリアベル。が、

「行けっアオ、合体じゃ!」

「ギギッ!」

マリアベルの指示を受けたアオが一気に上に飛び上がり、空中に浮かぶアカの半身の上に立つ。そして、

「なあぁぁ!?!?」

ミョズニトニルンは本気で驚愕した。
 空中に居るアオがアカと連結すると、次の瞬間ジャキンッという音がして巨大な、明らかに体積や質量保存の法則を無視した形状の巨大な翼がアオの両脇から生える。

「備えあれば憂い無し!戦場に立つ者は、常にもしもの場合を考えておくものじゃ!!」

腕を組んで「ふはははは!!」と笑うマリアベル。その下で、本気で口をあんぐりと開けて驚愕する。

「行けアオッ!わらわの栄光に向けて!!」

「ギギッ」

マリアベルの声に反応してパタパタと羽を動かして上昇するアオ。そのスピードだけがいやに速い。

「な、何でいきなり飛んでるのよ!っていうか飛べたの!?」

「当然!様々な用途が考えられる以上、こんな便利機能を見逃すわらわでは無いわ!」

「だったらなんで最初から飛ばなかったのよ!?明らかに無駄じゃ無い!!」

「後から飛んだほうが何かカッコいいじゃろうが!!」

「馬鹿ね!?馬鹿なのね!?それよりも上のガーゴイル!必死に羽ばたいているけど、何でそんな動きで飛べるのよ!?」

「それはボディの下にある噴射口から燃料を噴射しておるからじゃ!ぶっちゃけ、羽自体には特に意味は無いと言わせてもらおう!!」

「だったら、んな機能付けるなっ!!!!」

「様式美じゃあぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

アホなやり取りをしているうちに、マリアベルはヨルムンガントの後頭部へと到達していた。既にミョズニトニルンの指示が無く、動きを停止していた巨像の無防備な中枢機構が晒される。

「さてと……」

呟きながらマリアベルが取り出したのは、一枚の小さな金属片の様な物。彼女がチップと呼ぶそれは、様々な機構に結合し、その動きをある決められたものに変える事が出来る。

「これで……終わりじゃ!!!」

投げつけられたチップが吸い込まれる様にしてヨルムンガントの中枢部へと消えて行き、やがて、カチリという音が夜のグラン・トロワの上空で響く。次の瞬間、

踏みしめられた両足

ピタリと筋の通った腰

見せつけるかのよう張られた胸

そして、高々と掲げられた両の腕が……グンと引き絞られる。

そう、これは、どこから見ても見まごう事無き……


ダブルバイセップス!!!


「超科学の大勝利じゃ!!」

何故か爆発するヨルムンガントのバックスクリーン。その頭上でビシッとピースサインをするマリアベル。その下でポージングをする感情を持たない筈の巨像の表情が妙に満足気なのは気のせいだろうか?ちなみに、ミョズニトニルンの方はというとあまりにも叫び過ぎたせいか立ち眩みを起こしてグラン・トロワでへたり込んでいる。
 後に、この光景の事をビダーシャルはこう述懐する。

「これはひどい」




     ◆




 戦いが終わり、地面に着地したマリアベルが剣の点検をしているアシュレーに近付く。

「終わったのかの?」

「うん」

頷いたアシュレーが指差した方には、仰向けのまま気絶するジョゼフ王がいた。

「気絶しておるのか?」

「うん」

頷くアシュレーに、少し考え込んだマリアベルはポケットからある物を取り出した。

「ねえ、マリアベル」

「む?」

「それ、どうしたの?」

アシュレーが指差したそれ、小さな瓶。そこには、赤を通り越したら黒くなりましたと言わんばかりの妙に毒々しい色の液体が詰まっている。

「これか?」

「うん」

「これはの、『空の贈り物亭』の店主に先日譲ってもらったのじゃ」

「……何で?」

大凡用途の思いつかないそれに首を傾げるが、マリアベルは「ふふん」得意げに胸を張る。

「此処まで純度が高いじゃろ?ならば普通に調味料として使っても使いきる事はまず無いじゃろうし、気付薬としても武器としても使える。それに何よりも……」

「何よりも?」

「何となく面白そうじゃろ?」

「……」

キラキラと目を輝かせるマリアベルの前で、アシュレーは疲れた様に頭を押さえた。

「ふはははは、これで思いっきり火を吹くのじゃ!」

蓋を全開にした瓶をジョゼフの口に突っ込むマリアベルに、どこか悟った様な視線を向けるアシュレー。その肩がポンと後ろから叩かれた。

「お疲れさまと言わせてもらおう」

「ビダーシャルさん……」

後ろを振り返ったアシュレーに、ビダーシャルがそう言って労った。

「怪我は無いか?」

「ええ」

背後の方で「ぐほっ!?」という声が聞こえたが取り敢えずそれを無視する。

「ぐ、ここは……」

どうやら、ジョゼフ王が意識を取り戻したらしく、ごそごそと起き上がる音がする。

「それじゃあ、話を……」

そこまで言ったところで、アシュレーの視界がある物を捕えた。
 ゆっくりと身じろぎして立ち上がる青い髪の少女。小さな体躯よりも大きかった杖は、今は携帯していない。起き上がった彼女は、キョロキョロと周囲を見回したが、一点、ジョゼフ王を視界に捕えると一瞬で意識を覚醒させ、足元に落ちていたガラス片を手が切れるのも気にせずに握り締めて突進する。

「いけないっ!」

叫んだアシュレーの声に反応したマリアベルが後ろを振り返る。そして、その先で迫るタバサを認めると、直ぐにジョゼフの前に立った。そして、

「ていっ!」

綺麗な足払いを一発食らわせる。「きゃん」と悲鳴を上げたタバサから直ぐにガラスを取り上げて放り投げ、その上に座りこんで動きを拘束する。

「お目覚めかの?ジョゼフ王。気分はどうじゃ?」

「最悪だな」

起き上がったジョゼフが、軽く頭を振るようにしながら立ち上がり、視界にマリアベル、アシュレー、ビダーシャル、そして、タバサの順番で視界に収めて、最後に再びマリアベルを見据える。

「不快感しか無い。それに、俺自身への苛立ちもある。あと、ついでに口が妙に辛いんだが」

「最後のは気のせいじゃな」

しれっと言い切るマリアベル。

「……まあいい」

何か言いたげなジョゼフだったが、諦めた様にやれやれと首を振る。

「それで、この俺に何の用だ?」

「ふむ、お主、そちらの方が素なのかの?」

貴族然としていない荒っぽい口調に、小さく首を傾げたマリアベルだったが、特に気にせず本題を切りだす。

「お主とこの小娘、タバサの間の関係をいい加減ハッキリさせようかと思っての」

ニヤッと笑ったマリアベルに、ジョゼフ王は心底嫌そうな顔をする。

「嫌そうじゃの」

「当り前だ」

ジョゼフは憮然とした表情で吐き捨てた。

「その話は俺とシャルル、それとせいぜいがその娘の問題だ。お前達に口出せされるいわれは無い」

そう言い切って、明確に拒絶の意志を示すジョゼフに、マリアベルは「しかしのぅ」と首を傾げる。

「お主がどれ程憎んでおったかは知らぬが、その憎んでおった相手であるシャルル元皇太子を正しく理解しておったかは甚だ疑問じゃな」

「何っ!?」

マリアベルが投下した爆弾にジョゼフが怒りを顕わにする。

「俺がシャルルを理解していないだと!?」

「ああ、そうじゃ」

ジョゼフの言葉に、あっさりと首肯して見せるマリアベル。ギラギラとした人を殺せそうな視線を向けるジョゼフの眼光を涼しげな表情で受け流し、フフンと笑ってみせる。

「大体お主、アシュレーの事を見縊っておったじゃろ」

「む……」

ジト目で放たれたマリアベルの指摘に、ジョゼフは一瞬言葉に詰まる。確かに、最初の認識の時点でアシュレーの実力を過小評価し、返り討ちにあったのは他ならぬ自分自身なので、何も言い返せなくなる。

「何と言うか、お主の人物評は今一当てにならんのぅ」

「……俺の目が、節穴だとでも言うのか?」

「何を今更!!!」

静かに尋ねたジョゼフの言葉に、しかし反応したのはマリアベルでも無ければアシュレー、ビダーシャルでも無く、その下に居た少女、タバサであった。

「私達が何をした?お父様が何をした!?ただ他の貴族の支持を受けただけで!!たったそれだけのことで嫉妬に駆られた貴様はお父様を暗殺した!!毒矢を使って!!無能王!!!お父様が反逆を考えていた!?ある筈も無い被害妄想でお父様を殺しておいて!!それだけじゃ飽き足らず、お母様まで!!返して!!私の家族を返してっ!!!「ストップ、そこまでじゃ」

自身の下で血を吐くような声で叫ぶタバサの頭をピシャリと叩いたマリアベルが溜息を吐く。

「訂正じゃ。お主等の人物評は今一当てにならんのぅ」

その言葉に、血涙を流さんばかりに目を見開くタバサがバッと振り向く。しかし、それを無視して、マリアベルは一冊の牛革の手帳を取り出した。

「何だそれは?」

「シャルル元皇太子の日記じゃ。但し、自身の派閥作りの為の裏金の記録も一緒じゃがの」

「な……」

「……え?」

マリアベルの口から出た言葉。その意味を理解したジョゼフは絶句し、理解できていないタバサはそんな声を漏らすだけだった。そんな二人を気にも留めず、マリアベルは「読んでみるか?」とジョゼフの方にその手帳を放った。
 手帳を受け取ったジョゼフは、血走った眼で乱暴にその手帳のページを繰っていく。中に記されているのは、裏で動かした金額とコネクション、そして、人物評と何よりも執着とも言うべき王位への想いだった。

「お主等は、シャルル元皇太子が清廉潔白と思い込んでおる様じゃが、それを見る限りは人並みに汚れておる様じゃし、ついでに言えばそこまでしておいて王座を射止められなんだという意味では、あまり有能な政治家では無かったと言えるの」

「嘘っ!!」

やれやれと溜息を吐いたマリアベルの下でタバサが叫んだ。

「お父様がそんな事する筈が無い!!そんなの出鱈目!!」

「わらわ達がそんな嘘を吐く理由がまず無いのじゃが」

「違うっ!違うっ!!」

ブンブンと首を横に振って必死にマリアベルの言葉を否定するタバサ。一方のジョゼフは手帳を前にして魂が抜けたかのように呆然としていた。
 数分、時間にしてはその程度のものだったが、恐らく二人にとってはそれ以上の時間が流れたのだろう。どことなく憔悴したジョゼフと、脱け殻の様にブツブツとうわごとを繰り返すタバサ。
 ふと顔を上げたジョゼフが、思いの外しっかりとした足取りで、マリアベルの元へとやって来た。そして、立ち上がって離れるマリアベルには目もくれず、膝立ちでしゃがみ込むとタバサの髪を掴んで無理矢理視線を合わせた。

「……」

「俺が憎いか?」

ジョゼフのその一言に、生気の無かったタバサの目に僅かだが憎しみの火が灯る。しかし、ジョゼフはそれを鼻で笑った。

「だが、俺を殺すだけでは何にもならん」

「……」

反応の無いタバサの目を見ながら、ジョゼフ王は何かを言い聞かせるかのように話し掛ける。少なくとも、アシュレーとマリアベルの目にはそう映った。

「貴族と言うものはとても人間的だ。食欲性欲を悉く満たし、それでも止まらぬ物欲と権力欲を満たす戦いに明け暮れる。貴様にそれを押さえる事が出来るか?無理だろうな。自身の父親という最も身近な貴族の欲望から目を背ける貴様に何が出来る?」

「……」

「お父様はそんな事をしない」と、今すぐにでも叫びたいのだろう。だが、それを叫ぶという事は、自身が大切だと言ったシャルルを、全く理解していないと喧伝する様なものである。
 殺意と怒りをグッとこらえる表情になるタバサを見下ろしながら、ジョゼフは淡々とこれから事を口にする。

「一つ聞こう。貴様に何が出来る?」

問いかける様な、そんな口調でありながらジョゼフは馬鹿にするように口角を吊り上げる。

「俺を殺した後、ガリアを捨てるか?まあ、最も現実的な選択肢だろうな。だが、お前がいなくなれば、この国を治める事が出来る人間は一人もいなくなる。曲がりなりにも先王に選ばれた俺と違い、イザベラは己が身一つで『簒奪者の娘』として見られている状況をひっくり返さねばならん。そんな事は不可能だ」

「……」

何が言いたいのか分からない様子のタバサとは対照的に、外野に居るアシュレーとマリアベルは何か思い至ったかのようにジッとジョゼフを見つめる。

「その結果どうなるか分かるか?」

「……」

「簡単だ。国は崩壊し、須らくのその怒りは王家そのものに向く。その中には……当然貴様も含まれる」

「!?」

理不尽……と言いきってしまえるものでは無かった。曲がりなりにもまとまっていた国と平民の生活。ジョゼフを殺すという事はその崩壊を引き金を引くという事に他ならない。

「それを防ぐためには、俺を殺した後にお前自身が王位に就くしかない。だが、貴様に王位が守れるか?帝王学どころか王としての心得すら知らぬ貴様に、風習や慣例、差別が何故生まれ、維持されているのかも理解出来ぬ貴様に」

ジョゼフの言葉一つ一つに、タバサは迷い瞳が揺れていた。彼女はメイジとしては優秀かもしれない。だが、政治家、特に王としては完全に未知数だ。むしろ、妙に世慣れしてしまったがゆえに俗物的な利害を無視して平民への情で政治的判断してしまいかねない。

「一つ判断を誤れば百も千も信用は失う。例え情けを掛けていても民は王に情けなどかけん。いずれは権力を持った貴族の傀儡か、暗殺……そのどちらかで落ち着くだけだ」

ジョゼフの言葉に、タバサは悔しそうに歯を食いしばる事しか出来ない。そう、理解は出来たのだ。感情が落ち着かないだけで、ジョゼフの口にした未来は高確率でタバサの身に起こりうる事だった。

「復讐と安寧を求めるのなら、俺を殺し俺以上に国を治めなければならん」

結論は、ただそれだけだった。ジョゼフ王はそこまで言った後に「もっとも……」と考え込むように口を開く。

「裏金まで使って王位を手に入れ損ねた愚か者の娘に、そんな事が出来るとは思えんがな」

「!?」

「行け」

ジョセフは短く口にした。

「俺は明日も又王としての責務が待っているのだ。貴様の様な国を乱すしか能の無い小娘に関わっている暇など無いのだ」

そう言って背を向けるジョゼフの言葉を聞くか聞かずかの間に、タバサは憤怒で顔を真っ赤に染めると、未だに床に伏せている母親を背負い、声を掛ける間もなく部屋から出て行ったのだった。

「良かったのか?」

 マリアベルがポツリと呟いたが、ジョゼフは何も言わなかった。ただ静かに、無言で肩を震わせるだけだった。

「……行くかの」

「うん……」

小さく口にして歩き出したマリアベルと、頷いてついて行くアシュレー。二人の後ろで、崩れ落ちるジョゼフをミョズニトニルンが抱き合う様に身体を支えていた。




     ◆




 夜のリュティスは若干の喧騒を持ちながらもそれなりに静かだ。家々に灯された蝋燭の火は、柔らかな光でぼんやりと夜の石畳を温める。
 その中を無言で歩いていたアシュレーがポツリと口を開いた。

「ねえ、マリアベル」

「何じゃ、アシュレー?」

「これで……良かったのかな?」

「……」

アシュレーの言葉に、マリアベルは無言で返すしか無かった。

「彼女達は、本当の事を知った。知ってしまった」

「……」

「その事は、彼女達にとって良かったのかな?悪かったのかな?」

「……」

アシュレーの独白とも懺悔とも取れる言葉に、マリアベルは徐に口を開く。

「正しかったか間違っていたかは……わらわにも分からぬ」

「……」

「真実を知れた事がよい事などと言うのは傲慢じゃからの」

世界には『知りたくなかった』は、『知らない方が幸せだった』はとても多いのだから……。

「あの小娘には間違いなく恨まれるじゃろうし、場合によってはジョゼフ王にも恨まれるじゃろう。じゃがの」

マリアベルはスッとアシュレーの手を取った。

「少なくとも一人の幼子が心を砕かれずに済んだのは間違いようのない事実じゃ」

「……」

マリアベルの言葉に、アシュレーは不安そうに見つめ返す。

「別に、良かれと思ってはいても、善行だとは間違っても思っておらんじゃろ?」

「うん……」

「ならば、それでいいじゃろ」

「いいの……かな?」

「いいのじゃ。そう思っておけば」

牙を剥いて、マリアベルはニッと笑う。

「恥のかき捨てならぬ恨みの買い捨てじゃ」

そう言って、ギュッと抱きついて来るマリアベルを、アシュレーはそっと支える様に抱きしめる。

「マリアベル」

「うん?」

「ありがとうね……」

「うむ……」

髪を撫でつけるその手に、マリアベルは照れたように微笑んだ。


リュティスの月は、妙に優しかった……




ハイルマリアベル!作者のノヴィツキーです

最近めっきり寒くなってきました。皆さんも風邪などひかぬように気を付けてくださいね。

まずは感想返し

tagi様
二度目の感想ありがとうございます
アシュレー&マリアベルのコンビはハルケギニアで今日も元気(笑)
なんだかラブコメのなか冒険ものなのか書いている自分も分からなくなっております
ラブコメの比重が大きくなるのはダメ作者の戦闘描写が苦手と言う部分に起因しております(精進しなきゃなー)
優しさって諸刃の剣ですよね。WA2のアシュレーやカイーナを見ていると本当にそう思います。
>肉食獣の頭が群れの仲間とじゃれている
とても上手い例えだと思いました。たぶんじゃれている場所は草食獣の群れのど真ん中w
マリベーの歌はリーサルウェポンですね。ええ
又何時でもお越しくださいませ。作者は心より歓迎いたします<(_ _)>



さて、此処から解説を含めて今後の事をば

えー、約二カ月?続いたTrinicoreの連載ですが、次回でエピローグと成ります。
恐らく、唐突過ぎて「え?」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。ストーリー的には次はガリア戦争の順番ですしね。
ただ、このガリア戦争が個人的には悩みどころでした。
ぶっちゃけ、アシュレーとマリアベルが国同士の戦争にまで首を突っ込むのかと。
恐らく、アシュレーだけがハルケギニアに来たストーリーならばガリア戦争は書いていました。
しかし、マリアベルが居るとその辺は変わってきます。
個人的な考えであれですが人間同士、国同士の戦いは、利益のぶつかり合いであって、正義と悪は存在しないと思います。
そして、マリアベルはそう言った物には基本的に首を突っ込まないキャラクターだと思っています。
オデッサに怒りをあらわにした事はあっても、結局直接的な戦いには出なかったですしね。
此処で密かなキーパーソンと成るのが、トリステインのシエスタです。
アシュレーとマリアベルは彼女と交友を結びました。もし、アシュレーとマリアベルがビダーシャルの為にとガリアに与すれば、勝利を進呈する事は出来るでしょうが、敗戦国の平民であるシエスタは間違い無く苦しむ事に成ります。
そういった事情があれば、アシュレーとマリアベルの二人はガリア戦争には不参加と言う結論を出すと思うのです。
と、まあいろいろ書きましたが、以上の理由により、次でアシュレーとマリアベルはエルフの地へ行き『シャイターン』に到達します。
少々ネタばれ気味ですが、そんな感じです。
長かったようで短かった二ヶ月でしたが、いよいよラストスパート。
心をこめて執筆させていただきます。
正式な挨拶はエピローグの後に。



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