0.

 白銀に覆われた山々を戴く谷間にひっそりと佇む村があった。
 ――ポッケ村。特に観光名所というわけでもなく、これといって目立つ何かがあるわけではない。それでも年中人の姿は途切れず、村唯一の酒場ではいつでも喧騒が起きている。
 住むにしてはあまりに過酷な環境、余暇を過ごすには景色くらいしか楽しめない。
 だがそこらの街よりも潤い賑わうには確かな理由があった。
 それは“ギルド”があるからに他ならない。世界に数多いる狩人“ハンター”を管理し、子供のお使いにも似た仕事から大型の“モンスター”のハントまで、幅広く依頼を受けてそれをハンターたちに回している。
 このような辺境ともいえる山村に“ギルド”があるのは珍しくない。むしろ村が街になり、町が都になり、近代的な人々の住処になっていくほど“ギルド”の存在は薄まり、疎まれてしまう。なにせその仕事の大半は訓練されてない人間が立ち入れない、厳しい自然環境の中であったり、モンスターたちが我が物顔で跋扈している魔の世界であったりにおいて行われるのだ。
 そのような場所の近くに“ギルド”があったほうが何かと都合がいい。
 ここポッケ村もまさにそういった場所の麓にある。
 村は比較的降雪が少なく民家の屋根や地面に積もる雪は少なかった。それでも少し顔をあげてみれば天辺から裾まで真っ白に塗りつぶされた威厳に満ちた山々を見ることができる。その山々の懐には食料として重宝される大型の草食獣ポポや、毛皮として都でも人気の高い鹿に似たガウシカが草を食んで多く暮らし、それらを食料とする鋭い爪と牙、特徴的な長い鶏冠を有す肉食獣ギアノスがまん丸の瞳をぎらつかせているのだ。
 “ギルド”は時には食材として、時には武具や道具の素材として、時には行商人の経路を確保するために、これらモンスターの討伐“ハント”の依頼をハンターたちに頼む。
 何かには“竜”と呼ばれるモンスターの中でも特に危険で、希少な種族も住んでいる。
 ただしこれらを討伐するには相当の腕と運が必要とされ、よほどのことがない限りは手出しをしない。不用意に怒りを買えばそれは天罰に等しい災厄となって降りかかる。
 今日もまた“ギルド”の仕事も兼ねる酒場では多くの依頼のやり取りが交わされた。
 報酬に優れ、それでいて冒険や危険を楽しめる依頼は常にあるわけではない。
 “ドスギアノス”と呼ばれるギアノスの中でも二倍以上の体躯を持ち、頑丈でいて鋭くもある水色の大きな鶏冠を持つギアノスがいる。その皮膚や爪はギアノスのものよりも高値で取引され、それなりの手応えのある相手として新人や中堅クラスのハンターには人気が高かった。
 最近になって数を増しているようで討伐の依頼が“ギルド”から発せられた。酒場内の掲示板に張り紙が出されるなり、ハンターたちは波となって押し寄せわれ先にとカウンターに殺到する。
 そんなありふれた酒場の光景を一人のハンターが酒を呷りながら眺めていた。
 後ろに撫で付けた髪は雪山の肌に劣らず白い。無駄な肉をそぎ落とした頬はこけているわけではないが、薄く幾本かの皺が刻まれている。一見して老いを思わせ、ハンターの中には「老人が」といった見下した視線を向けた。が、彼の瞳を見るなり慌てて逃げる。
 二つの瞳から放たれる眼光は多くのモンスターをハントしたハンターでさえも竦んでしまうほど、切れ味がよかった。
 背も高く肉付きもいい。肉がたるんでいたり、やせこけていたりといった老人らしさは微塵も見当たらない。狩りを通し長い歳月を経て鍛え上げられた肉体は所々筋肉が盛り上がり、それ自体がまるで鋼の鎧。その若々しさと白髪と皺とが混ざり合って、彼――人々は“マスター”と呼ぶ――の年齢を計り知ることはできない。
 テーブルに並べられたポポノタンのステーキに音もなくナイフを入れ込む。
 すっと切断された表面から肉汁が滴り、香ばしい匂いが食欲をそそる。ポポの人の顔ほどもある大きな舌は近隣の村や、近くの街でも食されるほど一般的な獣肉だった。
 粗野な人間が多い中で“マスター”は余計な物音も立てず、淑やかに食事を進める。
 カウンターの前では俺が先だ、いいや俺だ、何を言う俺たちだと個人で狩りをする者からチームでする者、一緒くたになって言い争っていた。
 “ギルド”と酒場を両方切り盛りする店主――言うなれば本物の“マスター”は関与することなく、他の依頼の受付を先に済ませている。この辺りは手馴れたものだ。
 狩人の“マスター”は決してその輪に加わろうとはしない。
 彼はつい数日前に流れ着いてきた余所のハンターである。“ギルド”や“ハンター”はいっしょくたに呼ばれているが地域ごとに縄張り意識を少なからず持っている。長い間そこで狩りを続けている者たちをたてるというのは暗黙の了解でもあった。
 とはいえそれを守る者ばかりではないし、守らねばならないわけでもない。
 依頼は数が限られているので譲ってばかりいたら自分の懐は寒くなるばかりだ。
 そういうわけで「お前は流れ者だろう!」「だからなんだ、お前よりは腕がいいから、俺が受けてやるっていってんだ!」「なんだとこのやろう!」「やるか!」といった罵詈雑言も日常茶飯事。
 綺麗にポポノタンを平らげ添えられたポテトの一欠けらも残さず飲み込むと、“マスター”は徐に立ち上がってカウンターに足を向けた。
 既に背中に大剣を背負った重装備の男と、腰に双剣をまわした軽装の男二人が殴り合いをはじめている。周りは囃し立てているばかりで止める気は一向にないらしい。
 彼が気がかりだったのはその二人ではない。誰からも無視されているようだが、屈強なハンターに挟まれて給仕の少年がおろおろしながら立ちすくんでいた。

「あ、あの、け、喧嘩は……」

 どうにか収めようと両手を振りながら訴えかけるが、叫びや唸りに飲み込まれて届かない。一生懸命制止しようとうかつにも前に出てしまったのがいけなかった。
 少年の背丈は彼らの腰元に届くくらいだった。我を見失っていては見えないのも無理はない。大剣の男が振り払った腕が少年の顔面を叩く――前にぱしりと宙で掴み取られた。
 一瞬の出来事に酒場が静まり返る。
 続いて悲鳴。腕を背中に捻られた大剣の男の口からだった。

「な、なにすんだ、てめえっ」

 言葉にならないどよめきが起こる。割って入ったのは妙齢のハンター“マスター”だ。
 左手一本で大剣の男を封じたままカウンターに押し付け、彼の呻きを無視して少年の手を優しく取って自分の後ろに回した。彼は何が起きたのかわからないといった様子で目を丸くしている。いや、それは店主以外の全員であったが。

「こんな小さな子がやめてくれといっているのだ。つまらないことはもうやめておけ」

 そういってねじ上げた腕を離し、彼の対戦相手だった双剣の男に一瞥をくれる。
 うっと息を飲み込むのがはっきりと皆の耳に届いた。
 本来こういった“余計なお世話”が入った時は観客たちからブーイングが起こり、殴り合っていた二人は手を組んで邪魔者に突っかかるのが相場だ。
 それなのに腑抜けてしまったかのように誰も彼も口を開かず、観客たちは我関せずと各々席に戻って飲みなおすなり、依頼の受付なりに戻っていく。殴り合っていた二人もばつが悪そうに視線を逸らし、苦し紛れに舌打ちを残して席に帰る。
 “マスター”もまた店主に目配せをして、ビールの代わりを受け取ると席に戻った。
 彼らが喧嘩を売らなかったのは簡単だった。“マスター”の装備一式と噂を知っていて、挑む奴がいるならば彼と同等の技量を持っている者だろう。
 ハンターたちの装備は武器も頭からつま先までの防具も、そのほとんどはモンスターから剥ぎ取った素材で作られている。中にはほとんどそういったものを使わない市販の武具もあるが、そんなものは新米が使う装備である。
 自分がハントした獲物を使い武具を作る。それを纏うこれで一目するだけでハンターとしての実力が分かるものだ。
 例えば大剣の男が背負っていた“ボーンスラッシャー”はごく一般的な大剣である“ボーンブレイド”を、ギアノスや砂漠に住むギアノスと類似したランポスと呼ばれるモンスターから剥ぎ取れる小さい竜骨、ポポなどから取れる獣骨に強い粘着性の液体を有すセッチャクシロありを用いて強化した一品だ。強大な大型モンスターを討伐しなくても作製できるために、駆け出しや少し慣れてきた狩人たちによく使われる。とはいえ場数をこなさなければならず、セッチャクシロアリは見つけにくい類の虫なのでそれなりの実力を伺わせる。
 双剣の男が腰に差していた“ボーンシックル改”も似たようなものだ。
 つまり二人の実力は拮抗しているといっていい。だからこそ周りのハンターたちは野次を飛ばし、盛りたてる。これが力量に開きがあるなら黙るか止めるか、何かしら別の反応をしただろう。
 防具も同様のことがいえる。そこで“マスター”の装備だが――彼が身につけている防具はマフモフと名づけられた一式の装備で、もはや防具という言葉が不釣合いだった。
 ポッケ村に住む者ならハンターでなくても所持しているほどだ。帽子から胸当て、腰巻に腕と足を覆う素材も全て雪山で従事できるように、耐寒性が高く保温性のあるものだ。いうなれば耐寒服といったところだろうか。この雪山においてはそれも馬鹿にできない特性ではあるのだが、必然とモンスターと戦う可能性の高いハンターにとっては薄着といえる。ギアノスの爪にでさえ容易く切り裂かれてしまう。
 腰に回した片手剣は“ボーンククリ”。新米の中の新米が扱う、獣の骨を切り出して作り出した無骨な剣だ。斬るというよりは叩くというほうが近い代物。
 左腕に括り付けられた盾も骨を丸く削りだしただけ、といってもいい。
 そう、“マスター”の装備は全てこのポッケ村で売っている新米装備。
 武具で実力が分かるというならば彼はこの貫禄と齢にして駆け出しとなる。
 が、それも噂話を聞けばまったく逆の感想になるだろう。
 流れてきた者にはすぐ噂が立つ。それもハンターにしてはやけに年齢が嵩んでいそうな、それでいて只者ではない佇まいの男だ。時折くる街の行商人などに村人や狩人が聞いた話によれば、彼は一人で伝説の竜と呼ばれる“古龍”を倒した、などというものさえある。それが本当ならばハンターたちの憧れでありその頂点に立っているとさえいえるのだ。
 とはいえ真偽を確かめる術はなく、彼らが“マスター”の実力を知ったのはこの村に来て初めて、彼が請け負った依頼の結果だった。
 先ほども揉めた原因でもある“ドスギアノス”の討伐。それが“マスター”が受けたポッケ村初依頼である。といっても数が尋常ではない。
 本来なら群れの長ともいえるドスギアノスは1匹しか現れない。他にもいるのだろうが縄張り意識なのか、同時に目撃された例は少なかった。こうして多く出現するようになったといっても、それは複数の群れが現れたということだ。
 そんな中、彼が受けたのは“4匹”の同時討伐。この近辺のモンスターにしてはそれほど手ごわい相手ではないとはいえ、4匹も集まれば脅威になる。
 ギアノスが成長した姿がドスギアノスなのか、別個の種族なのかははっきりしていないが、いつのまにかドスギアノスが1匹から2匹、3匹、4匹と増えて互いを襲いあうこともなく徒党を組んでポポやガウシカといった人間にとっても必要な獣たちを食い荒らした。このままでは草食獣が駆逐されてしまうと、急遽発令された依頼だったのだ。
 腕利きのハンターたちも4体となるとしり込みをし、誰も手をあげない。
 今回とは正反対に真っ先に依頼を受けたのが“マスター”だった。
 彼は今見につけている者と同じ初心者向けの装備を身にまとい、ろくに道具“アイテム”も持たずに単身雪山に登った。数日経っても彼が戻らないのを知ると、人は口々に風評を流し、嘲るものもいた。
 しかし彼は帰ってきた。風評が一通り流れた頃合にマフモフの柔らかな毛皮に傷ひとつつけることなく。大量のドスギアノスの爪、皮膚を詰め込んだ袋を担いで。
 さも当然のことのように証拠たる素材を幾つか納品し、多額の報酬を受け取る彼を見てハンターたちは畏怖を覚えた。
 ハンターたちには狩りを補助する様々な道具があり、自前で調合して作る者もいる。そういった道具を駆使すれば4匹でもなんとかなる、と思う腕前の奴らもいた。だが彼は身一つ、それも安物の装備だけでやってのけたのだから、その実力は装備では見えない部分にあると肌で感じられる。でなければ、誰しもが彼を馬鹿にし続けただろう。
 “マスター”という通称も彼の風貌と、腕前から周りが勝手につけたものだった。
 本人も気に入っているのか、無碍にすることはなくそのままで通している。
 いまや彼を知らぬハンターは流れ者か、実力も分からない尻の青い新米だけだ。

 一旦は高まった喧騒も静まりかえり、酒が入るにつれてまた騒がしくなる。
 “マスター”は常に一人でハントし仲間を組むことは滅多にない。大抵は酒場の隅の特等席で一人酒を煽り、でなければ村の外れにある小屋にいる。もはや彼に喧嘩を吹っかける愚か者はいないが――最初の頃はその見た目から無謀にも挑発する者たちがいた――好んで付き合いを求む者もいない。
 しばらくして店内から人気が減り、店の仕事が落ち着くと先ほどの少年が近づいてきた。
 両手で持ったトレイにはファンゴと呼ばれる猪をそのまま凶暴化したモンスターの肉を用いた料理が乗せられている。近隣の密林で取れる食用として人気の特性キノコを使ったソースがかかったレアステーキ。この村ではあまり食べられない料理だ。

「あ、あの……これ、よかったら」

 小刻みに肩を震わせながら少年はトレイからお皿を“マスター”の前に置く。
 湯気が上がっていてキノコソースの甘い匂いが顔の周りを漂う。
 “マスター”はちらりと視線をステーキに落としてから少年に問うた。

「私は頼んでいないぞ、少年」

「い、いや、助けてもらったお礼です。あの、おやじさんから」

 そういうと少年は後ろを振り返った。カウンターの奥でグラスを丹念に磨いている店主が微笑みながら会釈をする。彼は人々から親しみをもって“おやじさん”と呼ばれている。
 “マスター”はそういうことならと頷いて、フォークを肉に差し込んだ。先ほど食べたポポノタンに比べれば肉質は硬く、中々切れなかったがその分歯ごたえは素晴らしい。噛めば噛むほど肉汁があふれ出し、甘くとろけるキノコソースと相まって絶妙な味を生み出している。表情に乏しい“マスター”の頬が綻んだ。

「ありがとう。とてもおいしい」

「お礼をいうのは僕のほうです。あの、助けていただいて、ありがとうございました」

 言いながら胸と膝がつきそうなほど深くお辞儀をすると足早に少年はカウンターに入っていった。その後姿を見送りながら彼は食事を進める。
 このような村では娯楽といえるものは個人同士でやる賭け事か、それこそ狩りくらいのものだ。そういった環境では食べ物と睡眠こそ極上の娯楽になりうる。
 ゆっくりと食事と酒を楽しみながら彼はすることもなく閉店まで酒場に居残った。
 最後に何か依頼は残っていないかと掲示板を覗く。
 あるのは雪山草の採取やポポノタンの納品、ガウシカの角や皮の調達、ギアノス・ファンゴの討伐捕獲といったありふれたものばかりだ。
 懐に余裕はあるし受ける必要はないかと振り返ろうとした時。
 一番下に追いやられるように張り出されている依頼に目が留まった。

「雪光花(せっこうか)の採取……?」

 長く旅をしながらハンターをしてきた彼にさえ聞き覚えのない花の名前だった。
 大概の採取依頼では既に発見されている草花であったり、薬品に使える素材であったり、中にはごく稀にしか採れないものもあり、難易度はまちまちだ。それでもまるで知らない、聞いたことのない種類のものというは滅多にお目にかかれない。
 そういったものは採取依頼とはいえ大型モンスター討伐に匹敵する報酬と難しさを持っていることが多かった。
 最後まで依頼内容を読んでみるとどうも雪光花とは万病に効くとされている花で、吹雪の中にあってもそれと分かるほど眩い光を放つらしい。目撃情報はかつてあったようだが手に入れた者は誰もいない。
 “マスター”は岩肌のようにざらついた顎を擦りながら思案した。
 依頼には不可解な点があった。これほど発見がしにくい物の採取なら依頼主は都や大きな町の商人、医者、あるいは国というのが普通だ。難易度に合わせた“ギルド”に支払うべき金額を思えば当然なのだが。
 しかしこの依頼の報酬は僅か30ゼニー。前払いとして10ゼニー、成功報酬として20ゼニー。どう考えてもわりに合わず、誰も受けないのは無理もないだろう。
 依頼主が秘匿されているのも気になる。
 “ギルド”に依頼する人物は個人から国家まで様々で、素性を明かしたくない場合も多い。であるから秘匿自体は気にすることでもないが、この値段でこれでは悪ふざけと思われても言い返せない。
 どういうことかといぶかしんだが、夜ももう更けている。
 窓から月明かりが差し込み床を舐めるように積もった薄い埃の層が浮かんだ。
 店主は黙って掃除を続けていて追い出す素振りはない。
 かといっていつまでも邪魔をする気にはなれず、今日一日分の御代をカウンターに乗せて挨拶もそこそこに“マスター”は村はずれの小屋に足を向けた。

1.
 何気なく頭上に目を向けると雲間から緩やかな曲線を描いた月が見えた。
 煌々と降り注ぐ月光のおかげで夜の帳がおいて尚、十分すぎるほど明るい。雪山を通って流れ込んでくる風は冷気を含み、酒で火照った体をゆるやかに冷ましていく。
 心地よさを肌で感じながら寝静まった村を歩く。多くの狩人たちは酒場の隣に併設された宿屋――というにはあまりに質素で、ほとんどが大部屋での雑魚寝で体を休めている。耳を澄ませば地鳴りのような鼾を聞き取ることもできた。
 村といっても明確な境界線があるわけではない。村人たちの家屋はある所で途切れ、自然とそこが玄関口になっていた。後から打ち立てられた木製の看板を横に過ぎて村を出る。
 自然豊かなこの村では町では珍しい虫を目にすることも少なくない。
 月の明るさにも負けず、草花の上を無数の光点が泳いでいた。
 目を凝らしてみればそれが指先ほどの小さな虫であることが分かる。雷光虫と呼ばれるそれは自ら光を発することができ、求愛行動の一つだとも言われていた。この虫を利用することで村の人々は灯りを使うこともでき、また狩人たちの罠や道具にも使われる。
 足元のささくれた土に視線を落とせば白い蟻が列をなして歩いている。武具の製造や強化で多く用いられるセッチャクシロアリの群れだった。
 町に出ればこれだけ当たり前に見られる虫たちも貴重な素材として取引されている。
 それを採り、糧にいきるのが狩人であり、こういった辺境の村の人々だ。
 不意に右手の草むらで物音がした。がざごそと彼の膝ほどまでもある高い背の草が擦れあっている。
 雪山に出没するようなモンスターたちは滅多なことでは人里まで降りてこない。本能的に危険を察知しているのか、単に出向かずとも食うに困らないからなのか、はっきりはしないが村や町を襲うのは“竜”の名に相応しく、ひときわ大きく凶暴な種くらいのもの。
 このような茂みに何か危険な生き物がいる可能性は低いが、彼はそっと腰に手を回した。
 注意深く茂みに近寄り両手で草を掻き分ける。音の前まできて手を止めた。
 がさっ。左手で一気に草を払いのけ、右手で柄を引き抜く。

「わ、わわっ」

「ギニャッ」

 ボーンククリの尖端を向けられた酒場の少年は思わずたたらを踏んでよろめき、自分の後ろで必死に地面を掘っていたアイルーの上に尻を落としてしまった。
 猫そのままの悲鳴をあげてアイルーが少年の下から這いずりだす。

「驚かしてすまなかった。さあ」

 このような夜分に少年が何をしていたのか。気になりこそすれまずは腰を抜かしてしまった少年を立たすのが先だった。少年はおっかなびっくりという感じでごつごつとしたしわがれの手を握り返し、ゆっくりと立ち上がる。
 ズボンについた土ぼこりを払いながら、自分の前に立って“マスター”を威嚇するアイルーの頭を撫でた。

「大丈夫だよ、コモン。この人は良い人だから」

「グゥ」

 納得がいかないと人間にも負けない豊かな表情を見せ、アイルーは一歩後ろに下がる。
 “マスター”は二人のやり取りを見て眉を顰めた。人とアイルーが仲良くすること自体は珍しくない。ただ、アイルーを“飼う”ことができるのはギルドに認められたハンターの特権だった。アイルーは賢く、腕っ節も立つので狩りのオトモにハンターの手伝いをすることがある。それは何も善意や懇意ではなく、ギルドからたくさんの報酬――主には食材だったが、人間の通貨も与えられている――がもらえるからだった。
 それだけ現金なアイルーをペットに飼う者はいない。ハンター以外にも一部商人などは手を組んでいるが、個人的な契約というのはこの少年にはいささか似合わない。
 ましてハンターとはとても思えないが、一人と一匹はすこぶる仲がよさそうだった。
 言うなれば家族、といってところか。
 彼の表情が強張っているのを見て少年は肩を落とした。怒られる、と思ったのだろう。
 だが彼は表情を緩め、それでいてしっかりとした声で問うた。

「このような時間に一人で何をしていたのだ? モンスターは出ないだろうが、危ないことにかわりはないぞ」

「ごめんなさい……。でも、これを採ってお金にしないと母さんが……」

 言い難そうに体をもじもじと動かしながら少年は腰に下げた巾着を差し出した。
 それを受け取って中を覗いてみるとそこにはそこらを飛び回っている雷光虫やセッチャクシロアリ、釣り餌になるミミズなどが捕らえられていた。彼の腰には他にも巾着が下げられている。その中身も恐らくこの辺りで取れる虫や草花といったところだろう。
 同じ袋をアイルーも持っている。どうやら採取をしていたようだ。
 巾着を少年に返すと“マスター”は先を促して茂みから一人と一匹を連れ出した。
 道端で倒れている大木を見つけ、そこに腰を下ろす。少年のお腹が空しく鳴った。
 顔を赤らめながら少年は下を向く。アイルーはその辺りを駆けずり回って何やらやっていた。“マスター”は腰に下げた袋から携帯食料を取り出し、少年に差し出す。

「え、でも」

 包み紙にくるまれた食料と優しく微笑み彼の顔を見比べながら、少年は躊躇いがちに手を伸ばした。空腹の苦痛には勝てなかったらしく、頭を下げてから包み紙を破りがつがつと食らいついた。
 携帯食料は狩りに出る際にギルドから支給されるものの一つだ。全てを食べきるばかりではないので、こうして余った物は何かの際にと持ち歩く。
 少年が一息つくのを待ってから“マスター”は話し始めた。

「金が必要なのか?」

「……はい。母さんがずっと病気でふせていて、薬を買ったり食べ物を買ったりするのにお金が必要なんです。でも、僕一人が働いたくらいじゃ……」

「父親はどうした?」

 彼も齢50に届こうかという人生を歩んできた。聞かずとも答えは知れていたが、それでも彼の口から聞いてみない限りははっきりとしない。
 少年は俯いたまましばらく足をぶらぶらさせて黙っていた。

「父さんは村でも一番のハンターだったんです。けど、母さんの病を治すのに必要な雪光花を採りにいってそれっきり……だから僕が、母さんを助けないと」

 やはりか、と彼の視線も地面に落ちた。
 今の時代片親の子供や、両親ともに早く亡くす親は多い。原因の一つとして彼らの職業がハンターだったことがある。危険が多い分見入りも多いハンターになる者は多く、その結果子供や妻、あるいは夫を残したまま去ってしまうハンターは後を絶たない。
 それに一々同情していては気持ちが持たないというものだが、それでも“マスター”は放っておく気にもなれなかった。

「酒場にあったあの依頼は君が出したのか?」

 彼が言っているのは帰り際に見つけた“雪光花の採取”依頼のことだった。あまりに低い報酬と匿名、それがどうしてなのか、彼が依頼主なら明瞭となる。
 少年が小さく頷く。野を駆け回るアイルーを目で追いながら。

「酒場で働くかわりに特別に依頼を出させてもらったんです。本当ならそんなことはできないけど、村長さんが頼んでくれて。村長さんは僕のお父さんを知っているから、きっと、同情してくれているんです。おやじさんも、優しくしてくれて……けど、報酬があれだけじゃ、誰も受けてくれませんよね。だから、もっと、もっとお金を貯めないと」

 彼の横顔に影が落ちている。この年頃なら友達と一緒に野原を駆け、山々で自然と遊んでいるのが山村の子としては普通だ。ハンターに憧れて木の剣や盾を使って真似事をしたり、野生動物をモンスターに見立ててハントするということもよく行われている。
 明るく元気で輝きに満ちた表情。彼にはそれがごっそりと欠けていた。
 まるで妻子を養うべく身を粉にして働く炭鉱夫のそれだ。
 “マスター”は無意識の内に毛皮の上着の内側に手を入れていた。指先に冷たく硬い角が当たる。もてあそびながら脳裏を過ぎ去りし日々が駆け抜けていった。

「どうか、しましたか?」

 不意に無言になって片手を上着に突っ込んだまま動かない彼を心配したのだろう。少年とオトモアイルーが一緒になって顔を覗き込んでいた。
 自嘲とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべながら手を引っ込める。

「いや大丈夫だ。それよりもう遅い。家まで送ろう」

「でも」

「気にすることはない。私も離れにすんでいるからな」

 無造作に少年の頭を撫で回した。水浴びもろくにできないのだろう。黒髪には若さを感じさせる艶もなく、ごわごわとしていた。節々から彼の苦労が伝わってくる。
 “マスター”は彼とオトモを連れ立って歩き出した。
 道中、様々な話を交わしながら彼の家先までくる。どうやら比較的住まいは近かったようだ。左手の林を抜けてすぐのところに与えられたゲストハウスがある。
 少年は玄関の前までいくとこちらを振り返った。深く頭を下げて声を張る。

「あの、ご飯ありがとうございました!」

 一瞬だけ彼は少年らしい笑顔を見た。瞬く間に少年とアイルーは家の中に消える。
 しばし家を眺めてから“マスター”は林に足を踏み入れた。
 一応申し訳程度に整備された道があるのだが、そこを通るには大きく迂回しなければならない。ハントをする狩場に比べれば小さな庭みたいなもので、彼は迷うことなくゲストハウスへとたどり着いた。

2.
 “マスター”の朝は早い。
 半日を費やして酒を食らい、食事を飲み、月が頭上に輝くまでを過ごしてからの就寝だというのに朝日が顔を出して鳥たちが囀る頃に目を開けていた。
 布地のカーテンを開け放ち眩むほどの朝日をたっぷりと浴びる。
 さすがに室内ではマフモフシリーズは着込んでいない。
 薄手のインナーで包まれた胸部は丘のようになだらかに盛り上がり、むき出しの二の腕はまるで荒削りした丸太だった。太く硬くこれまでの戦いを思わせる無数の傷が刻まれている。太ももも同様で厚手のマフモフを脱いだ方が、大きさが際立った。
 ボーンククリだけは腰に下げ、そのままの姿で彼はゲストハウスを出る。
 彼の一日は日課の鍛錬から始まる。まずは準備運動。目覚めたばかりの体をゆったりとした動きで起こしていく。腕を高く伸ばし、胸の前まで降ろす。屈伸を繰り返し、固まっていた筋肉が解れ滑らかに動き出す。老いてから彼は鍛錬に費やす時間を増やして念入りに行った。
 どれだけ熟練の技を持とうが類稀なる経験があろうが、老いには敵わない。
 鍛えても、鍛えても筋力は落ちる一方。走り込めばそれだけついた体力も息が切れる感覚が早まっている。朝のうちに慣らさねば大事なところで底が尽きてしまう。
 また怠れば老いを加速させるだけだった。彼はまだ剣を捨てる気はない。
 一通り体を動かした後はジョギング。林の中を木漏れ日を浴びながら走る。
 風に揺らせれて踊る葉、枝から枝へ飛びうつり小声で囁きあう鳥、足元で踏まれまいと懸命に草葉に潜り込む虫。狩りとは無縁な静かで穏やかな自然の中、土を踏みつけ蹴り上げる音が続く。
 途中で朝食になりそうな果実を見つけて二つ三つもぎ取った。
 傍には小川が流れていて透き通った水の中を魚たちが悠々と泳いでいる。まん丸の石を椅子代わりにしながら大きく深呼吸。口から漏れる息は微かに白い。
 習慣というものか魚の動きを無意識に目で追っていた。ハンターともなれば釣りの心得くらいはあるものだが、彼にその気はないらしい。道中で採った果実に齧り付きながらただ動きを見つめていた。
 食べ終わると徐に立ち上がって川の清水で顔を洗う。
 狩りをしていれば食料がつきて野生の物を食べることは多く、こうした川で飲み水を確保することもあった。ただ、中には飲めない水もある。それを判断できるかどうかも、ハンターとしての技量にかかっていた。
 とはいえ彼が両手で掬っている水は誰が見ても飲める、と判断するだろう。
 魚が住み着いているということはそれだけ綺麗な水であるからだ。彼もそれをわかっていて遠慮なく喉を潤す。
 ぷはっと顔をあげると生気に満ち溢れた顔が照らし出された。
 皺だけでなく大小さまざまな切り傷、擦り傷の後が浮かび上がる。自分の顔を撫でてみてればその一つ一つを思い出すこともできる。
 彼は時折そうして過去に思いを飛ばしていた。今もまた洗ったばかりの顔を手のひらで拭いながら、空でも木々でもない、虚空に視線を巡らせていた。
 しばらくそうして浸ってから再び走り出す。
 林をぐるりと一周してゲストハウスに戻ってきた時には太陽が頂点に差し掛かっていた。
 若かりし頃は朝のうちにこれだけの鍛錬をこなしていたな、と思わず苦笑が浮かんだ。
 ポッケ村に着てから世話になっているマフモフ一式に身を包み、ボーンククリの手入れを終えてから彼は一路村の酒場に向かった。

 村につくとなにやら騒がしかった。相変わらず小さな村にも関わらず活気だけは盛大で、ハンター御用達の鍛冶屋や雑貨屋の前では荒くれ者たちが唾を飛ばしてうるさく話し合い、村の女たちは手に洗濯物や食料を抱えたまま囁き合っている。
 何事かと視線だけを向けながら酒場に入ろうとドアノブに手をかけた。
 自分が捻るよりも先に誰かが捻り、扉が体に押し付けられそうになる。そこは狩人の身のこなしで半歩下がって道をあけた。見慣れない坊主頭のハンターが顔を出す。
 荒熊のように巨躯で無骨な男だった。威圧的な一瞥をくれると鼻で笑い、三人のハンターを引き連れて半ば突き飛ばすように歩いていった。もちろん、彼がそのような男に触れられるようなことはなかったが、相手は気づいてないらしい。
 我が物顔のハンターたちは一様にこの辺りでは見ない“良い”装備をしている。
 先頭に立つ巨躯な男は“リオレウス”と呼ばれる竜に相応しい、炎を吐く飛竜から取れる素材で作った装備で固めていた。背負っている真紅の大剣はその名もまさに“炎剣リオレウス”。これだけでこの村の誰よりも腕の立つ男だといってもいい。
 残りの三人はそれよりも見劣りするとはいえこの村に居ついているハンターたちは耳に聞いたことしかない物ばかりだ。一人は双剣、一人は弓、一人はハンマーとパーティの構成もバランスが取れている。彼が疑問に感じたのは、それほどの者たちがいったい何の依頼を受けたのか、ということだった。それはこの騒ぎに関係があるのかもしれない。
 酒場に入ると一斉に視線がこちらに向いた。あるものは目を見開き、あるものは怯えすくんで、あるものは苦渋を浮かべていた。
 だが何かを言われるわけでもなく彼らは各々話を続けた。
 “マスター”にしては珍しくカウンターの端の席に腰を下ろす。どこか殺気だった室内を見渡すと、狩人たちにまぎれて給仕の少年があわただしく動いていた。
 店主も注文をいなすのに余裕がなさそうだったので彼は周りの声に耳を傾けた。

「おい、あれ、ほんとかよ?」

「らしいぜ、ここ最近目撃情報が増えてんだよ。だからあの依頼だろ」

「しっかしどこで聞きつけたんだかな。このタイミングでよそ者がくるなんて」

「でも俺らじゃ歯が立たないだろ? あの“轟竜ティガレックス”だぜ」

「俺、名前しかしらねーな。そんなにやべーのか?」

「おい馬鹿がいるぞ、馬鹿が」

「ああ? なんだよ、てめーやんのか」

「ティガレックスも知らない素人なんか相手にできないな」

「んだとっ!」

 彼の噂話の主は――恐らく、外のざわつきも同じだろうが、“轟竜ティガレックス”というらしい。“マスター”もその名前を聞いて納得がいった。
 モンスターの中には“竜”と名のつくモンスターがいる。名ばかりでほとんど鳥や獣の延長線の者も少なくないが、“ティガレックス”は本物であった。竜の中でも特に恐ろしく、人々からは恐怖を、ハンターからは憧れさえも集めている“飛竜”の一種だ。
 人の体躯の何十倍はあろうかという巨体にして空を飛ぶ化け物。火や毒を吹くものもいれば、嵐のような風を生み出すもの、動く山といわんばかりの規格外の体をもつものなど、どれをとっても桁外れの存在である。意思をもち動き回る災害と呼ばれることさえあった。
 “ティガレックス”はそんな“飛竜”の一種で、その特徴は通称である“轟竜”が示している。
 火でも毒でもなく、そいつの得意技は山肌をも震わす咆哮であった。
 まともに聞いてしまえば鼓膜が突き破られてもおかしくはない。それ自体が破壊力を持った雄たけび。獣であれば叫ぶことくらいはよくあるが、それも“竜”が行えば痛烈な武器にもなる。ティガレックスは“飛竜”の一種にしては飛ぶことが得意ではなく、空を泳ぐような形で滑空する。両腕から背中に向かって伸びた羽は、羽というよりは鰭に似ている。ただ飛べない分、他の飛竜よりも地上戦においての機動性は高い。
 彼はこれまでに聞いたことのある“ティガレックス”の情報を頭の中で整理していたが、それ以上のものが生まれるわけではないのでやめてしまった。
 カウンターに振り返り、ようやく落ち着いたらしい店主を目で呼ぶ。

「何か飲みますか?」

「いやいい。依頼を受けたい。“雪光花の採取”依頼を」

「……本気ですか? あなたも耳にしたでしょう、“ティガレックス”のことを。あいつが現れたからは雪山草の採取だって危険度が跳ね上がる。誰も受けようとしませんよ」

「ああ。だが時間が惜しいのでな。何、“ティガレックス”の討伐以来は先ほど出て行った奴らが受けたのだろう? 彼らに任せて、私は夢の花を探させてもらう」

「事情をご存知なのですね。受けてくださるというのであれば、断る理由はありません。こちらに記入してください」

 そういうと店主は棚から依頼の申請書を引っ張り出して差し出した。
 彼がそれを書いている間、依頼主の少年に気づかれぬようにそっと掲示板から依頼書を取り外す。書き終えた頃に店主が戻って囁いた。

「もしその気なら村長に話を聞いてみてください。何十年も前にはじめて“雪光花”を始めて見つけたのが村長だそうで、彼の事情も知っています」

「ありがとう。それと、少年には依頼を受けたこと黙っていてほしい。希望を持たせたくはないのだ」

「分かりました」

 確かに申請書を渡して“マスター”は足早に酒場を後にした。
 ちらりと少年の視線が肌に刺さったが気にも留めない。村から雪山へ向かう出入り口の傍に村長のテントがある。彼はテントの前で一日焚き火にあたってぼんやりと煙草を吹かしている。昔は名うてのハンターだった、という噂も彼は聞いていた。
 彼が近づいていくと村長は手にしたキセルを吹かして、自分の対面を指した。村長と話す時に誰もが座る椅子代わりの石がある。
 一礼して腰を下ろすと村長が間延びした声で訊く。雪が染みこんだように白い髪はやたらに長く、鼻の先まで伸びていて視線は伺えない。

「どうしたね、若いの。教えてください、と顔に書いてあったぞ」

 若いの、そういわれて“マスター”は目を丸くした。そう呼ばれるのはいったいいつぶりだろうか。
 確かに村長からしたら自分でさえまだ“若い”のかもしれない。なにせ村長の年齢は不明でまことしやかに200年も生きているという村人さえいた。
 苦笑いを湛えながら“マスター”は例の少年と雪光草のことを尋ねる。
 相変わらず煙をくゆらせながら、夏の日のようにゆっくりと時間を使う。

「ほっほ、ついに彼の依頼を受けてくれる奇特なハンターが現れたか。では話さねばなるまいて。まず雪光草だが、あれは何十年前だったか……まだ私が若く、この村に名前がない頃だった。友人とな雪山で狩りを楽しんでいると、雪の中で光を見た。一点だけがぼんやりと明るく輝いていた、私たちは驚いたもんだ。そうだなあれは確か、雪山の頂上に近い辺りだったか。今でもあるのかわからんが、一人がどうにか通れる小穴を通って裏側から回るとどうにか登れるようになっていてな。二人で必死に壁を登ると、そこには“竜”の骸骨があった」

「竜の、骸骨?」

「ああ。あれは古に住んでいた竜の頭。むろん“ティガレックス”とも違う。あれには感動したが、それよりも光が気になってな。そこからさらに雪を掻き分けて登っていくと、洞窟がある。その奥に“雪光草”が咲いておった。山肌に咲いていたわけでもないのに、下から見上げてそれと分かるほど、あれは眩かったのう」

「村長が発見されたからは、一度も見つかっていないのですか?」

「光を見たというものは多い。ちょうど、ティガレックスが山に現れる頃合に。しかし手に入れたものはおらん。彼の父親がハンターだったというのは聞いたかの」

「ええ、彼から聞きました。では?」

「そういうことだ。妻の病を治すためにティガレックスが暴れているというのに、雪山に探しにいって、それ以来帰ってこん。不憫になって店主に口利きして、彼を働かせ依頼を出させてやったのだが、本当に受ける人間がおるとは思わなかったぞ。ほっほっほ」

 乾いた笑い声をあげながら指先でキセルを叩いて灰を落とす。
 惚けてはいるが頭ははっきりとしているらしい。しゃべりも明瞭で歳でぼけているということはなさそうだ。冷静に分析していると村長の目が光った、かのように見えた。

「信じる信じないはお前さん次第。だが雪光草は必ずある。手に入れられるかは別だがの。腕に自信があるのならば行ってみなさい」

「ありがとうございました」

 見透かされているようだった。彼は立ち上がり、深くお辞儀をしてその足で村を出ようとした。その背中に村長の質問がぶつけられる。

「彼を哀れんで依頼を受けたのかい?」

「……いえ。私も長いこと狩りをしてきましたが、この目で見たことのない物を見られる機会は多くありません。その希少な花を一目みたいと、そう血が騒ぐのです」

 振り返らずに彼は歩き出した。村長の「そうかいそうかい」という声はどこか楽しそうで、全てを知っているようでもあった。

3.
 通常狩場とされている雪山まではギルドが手配した場所に乗ってゆく。比較的安全な場所に設置されたベースキャンプまでいって降ろされ、そこで支給品を受け取り拠点とする。同じ狩場でも違う依頼で複数のハンター、またそのチームが使うことも多く、キャンプは壁のない酒場といった雰囲気になることも多い。
 疲れた体を癒すために形ばかりのベッドや毛布も幾つかはあった。
 既に先ほど“ティガレックス”討伐を受けたハンターたちが馬車に乗っていってしまったので、“マスター”は特別に馬を一頭借りて自分で走らせてきた。
 支給品も名目は“採取”なので最低限の携帯食料とホットドリンク、回復薬くらいのものだ。雪山では常に冷気に晒され、体を内側から温めなければ見る間に体力を奪われてしまう。それを補うために調合されて作られたのがホットドリンクだ。飲めば体の内側が熱せられた竈のように熱くなり、しばらくの間は冷気から体温を奪われずに済む。
 彼は元々防寒具の意味合いが強いマフモフ一式を装備しているので寒さを気にする必要はあまりない。体力を奪われるほどではないが念のために幾つか用意してもらっていた。
 キャンプについて馬を手近な木に括り付けておく。拠点にはつい今しがた人が使った痕跡があった。まだ少し温かい焚き火のあとや、開けっ放しの支給品入りのボックス、食い散らかした骨などが散乱している。
 彼はハンターたちの素行に眉をしかめたが、いつまでも気にしているのは無駄だった。
 さっそくキャンプを降りて雪山を目指す。彼が今いる辺りはほとんど雪がなく、初々しい緑が支配していた。それもほんの数分歩けば、雪景色に飲み込まれてしまう。
 雪山の足元までいくとそこには凄惨な光景が広がっていた。
 豊かな水源を求めて山から下りてきたのであろうポポが数匹、無残な死体を晒している。獣にやられたわけではない。傷を見れば一目瞭然。
 大きな切り傷に数本の矢が刺さっている。力任せに叩ききられたのだろう。顔がつぶれ、目が飛び出している。自慢の大きな牙も半ばから砕かれ、そこらに転がっていた。これには狩人としての血が怒った。狩人は生きるためにモンスターを狩る。ゆえに殺した相手には感謝を捧げ、使える物は剥ぎ取るのが礼儀だった。毛皮でもいい、牙でもいい、肉を削いで食料にしてもいい。そうしてはじめて、殺したことの意義というものが生まれる。
 なのに、目の前に広がっているのはただの虐殺。殺すだけ殺してそのままだった。
 感謝の表れも慈しみもない。道を邪魔したから斬り倒した、そんな風に思える。
 ポポは気性が大人しいので小型のものであれば飼われることもあるほどだ。
 わざわざ殺さずとも避けるのは容易い。この有様がハンターたちの人格を示している。
 長年ハンターをしていればこういう輩に出くわすことは多い。殺すのが楽しくて狩りをやめられない者も、決していないわけではなかったし、それをおおっぴらに責めることもできない。そのたびに歯がゆい思いをし、自分はそうならないように気を引き締めた。
 一匹のポポが身じろぎをする。ほとんど死んでいるようなものであったが、かすかに息があるようだった。うめき声をひねり出し、どうにか立とうと身悶える。
 このまま放置していても苦しみ死にゆく運命にある。であれば楽にしてあげるのがハンターの務め。
 彼は腰に手を回して抜刀と同時にポポの喉元を切り裂いた。
 声のかわりに血を上げて今度こそポポは息絶える。彼は黙祷を捧げた。本来ならば先にゆきハンターの代わりに何かしら素材を取ってやりたかったが、彼の目標は“雪光草”ただ一つ。身を重くするのは命に関わる。
 いずれ血の匂いに誘われてギアノスあたりが降りてくるだろう。彼らの食事になるのならば、それも自然の摂理だ。
 人の背ほどもある壁を繰り返しよじ登って山肌にうがたれた穴に入る。
 天然の洞窟は地面から壁から凍り付いていて、高い天井からは彼の背丈ほどもある氷柱がいくつも垂れ下がっていた。
 足元に気をつけながら脳内の地図に従って洞窟を進んでいく。
 支給品の中にはこの雪山一帯の地図もあるのだが彼は既に暗記してしまっていた。というよりは何度も訪れる間に肌で覚えたというのが正しい。
 自然そのものであるから地図にしたところで、目で見て、耳で聞いて、足で確かめなければ分からない部分のほうが多く、頼りすぎるのは新米のやることだった。
 耳をそばだてて緊張を高めつつ着々と先をゆく。
 時折、ギアノスと思しき叫びが聞こえた。二つ、三つほどか。つるつるとすべる氷の壁にボーンククリを突き刺し、ゆっくりと体を押し上げる。洞窟内は段差が大きく、ひとおもいに登れる高さはあまりない。
 不意にギアノスに混じって人の悲鳴が聞こえた。この先、道なりに歩いていけばいやでも声の下にいくだろう。洞窟の出口は大きいもので二つ。彼の行き先は、雪山の高いところに出る出口だった。それだけに段差が多い。
 狭くなった足場を慎重に進んでいくと、雪が舞い込む開けた場所でギアノスたちが奇声を発しながら跳び回っているのが見えた。
 狙いは肩を抑えて足を引きずりながら歩くハンターだろう。
 だいぶ深い傷を負っているようで走ることもできていない。ついには凍てついた土に足をとられて尻餅をついた。ギアノスたちは痛めつけるのが楽しいかのように、わざとらしく狩人の前で空を噛んでみたりして、獲物を追い詰めていた。
 “マスター”は咄嗟に走り出した。気を緩めれば滑ってしまいそうで一気に駆け抜ける。左手は壁になっているが、右手は暗闇を携えた大きな穴だ。落ちれば命はない。
 走りながら地面に転がっていた石を救い上げ、今まさにハンターの頭を噛み砕こうとするギアノスの額に投げつける。

「グギャァッ」

 悲鳴とともにギアノスの顎があがった。細い足が反り返った背中を支えきれずにふらついている。その隙に距離を片手剣の間合いまでつめて、右手を一閃。
 本来ならば斬るというより叩くに近い骨の刃が、ギアノスの喉を半ばまで切り裂いた。
 噴血し、白く透き通った世界がわずかに赤く染まる。
 痛みに首を振り回したまま先頭のギアノスは大穴に身を投げ出してしまった。
 突然の闖入者に助けられたハンターは目を丸くし、残り二頭のギアノスは威嚇しながら距離を取った。本能的に男の強さを察したのだろう。
 挟み込むように二手に分かれながら、しきりに威嚇して爪を振りたて噛む仕種をする。
 “マスター”は今更怯むこともなく自らの呼吸だけを意識した。滑りやすい地面を駆け抜けたものだから息があがりかけている。間合いを計って、整える必要があった。
 一歩で斬りかかれて、なおかつ左手に空いた空間を残す。飛び掛られても左に転がることで牙と爪を避けることができるし、飛び込んで一撃を与えることもできる。ギアノスたちも攻めあぐねて吼えるばかりであった。
 彼は切っ先を向けたまま右目でギアノスを睨み、左目を僅かに背中にめぐらせる。
 疲れきっているのか傷を負ったハンターは逃げるでもなく座り込んだままだった。
 下手に押し込まれれば彼が危ない。そう感じて“マスター”が打って出る。
 何度目かの威嚇でギアノスが両手を振り上げ、背を伸ばした隙を打つ。立ち上がれば人よりも頭三つ分は高いが、その分懐に潜り込むのは容易かった。がら空きの腹部を右になぎ払う。磨きに磨きぬかれた骨の刃は市販のそれとは違い、硬さと鋭さを兼ね備えていた。真っ赤な線を引いてギアノスの白い腹部が裂けて紅く滲む。
 怒り狂いがむしゃらに両手の爪を交互に振り下ろしたが、“マスター”は二歩も先に後退している。勢いあまってつんのめり、頭が下がる。すかさず跳び上がって渾身の一振りを放った。速さと重さと鋭さが加わり、ギアノスの特徴でもある鶏冠ごと頭部を両断する。悲鳴さえあげられずに横倒しになって絶命。彼は左腕にくくりつけた盾で飛び掛ってきた最後のギアノスの牙を押さえて踏ん張る。

「はぁっ!」

 気合と共に左手を払う。ギアノスの顎に盾が叩きつけられて粉砕音がした。自慢の牙が数本口からこぼれて地面に落ちる。それでもギアノスは本能のまま爪を振るった。
 右手を掻い潜り、左手をボーンククリで斬りつけて一歩下がる。飛び掛ってきたところを左手に転がって、受身から流れるような動作で立ち上がった。ボーンククリを構え、さらに追いすがってきたギアノスとすれ違う。伸びきった首に刃を突きつけて、勢いを殺しながら大穴の縁まで走り抜けて足を止めた。背後でどさりと鈍い音がたつ。
 鞘に収めて振りかってみると倒れこんだギアノスが砕けた顎をひらいて首から血を流していた。
 もう立つことはできないだろう。歩み寄ってとどめの一撃を刺しておく。
 あっという間に三匹のギアノスは命を絶たれた。一瞬にも、永遠にも思えるような戦いの時間が過ぎてようやく“マスター”は傷を負ったハンターに向き直れた。

「大丈夫か? その傷は……ティガレックスにやられたか」

 彼があのチームの一員なのは明らかだった。すれ違った際に見ただけだが顔は覚えている。腰に回した鞘には双剣が収められていた。
 一命を取り留めたハンターは寒さに凍えながら頷く。

「あ、ああ、そうだ。討伐以来を受けて来たのだが、あいつは強すぎる。俺たちはすぐに散り散りになっちまった。最初に俺が狙われたんだが、小さな穴を見つけて逃げ込んで助かったんだよ。けど、そのときに道具をおとしちまって」

 はたと見ただけで幾らか凍傷しているのが分かる。擦り傷、切り傷もあったが血は瘡蓋とも氷ともつかぬように固まってしまっていた。
 ホットドリンクの持続時間が過ぎたのだろう。たいそうな装備はしていても耐寒性があるわけではなく、闇夜に取り残された子供のように全身を震わせている。
 “マスター”は腰のポーチからホットドリンクを一つ取り出し、無言で差し出した。

「い、いいのか?」

 頷くとハンターはひったくるようにして瓶を受け取り、ようやく生気を取り戻した。

「すまない、助かった。あんたがこなきゃ今頃俺はギアノスの餌だ。普段なら、あんなやつら相手じゃねえんだが」

 言い訳がましく自分の武器に手を這わす。こういう輩は二流と相場が決まっていた。
 彼は元気を取り戻すなりいやに饒舌だった。恐怖から脱せられたことがうれしくて、つい口が回ってしまうのだろう。

「しかしすごい腕だな。ボーンククリっていやあ新米が使う鈍らだが、それであんな太刀筋を見せるなんて、並大抵じゃねえ。まさか、あんたもティガレックス討伐を?」

「ギルドは基本的に一つの依頼を複数のハンターやチームには任せないだろう。私は違う依頼を受けて来たのだ。花の採取にな」

「驚いた、こいつは好きもんだ。ティガレックスがいるっていうのに、わざわざ採取なんて自殺しにいくだけのようなもんだろう」

「無駄な体力を使うな。それより、さっきいった小さな穴というのはどこにある?」

 喋るだけ喋らせて好い気にさせたところで質問を投げかけた。
 彼が先ほどいったことがどうもひっかかる。村長のいっていた山頂へ通ずる道かもしれないと、淡い希望をこめてその在り処を尋ねた。
 助けてくれた恩人にその程度で報いられるならばとハンターはできるだけ詳しく話そうとした。もっとも逃げ惑っていた最中のことだから要領は得ていなかったが。

「ここから出て左手の道をいったところだ。地図でいうとエリア8だ。こちらから入って右手側の岩壁のどこかにあったんだが……わるいな、逃げるのに必死でそこからはよく覚えてない。雪に埋もれちまっていたから、近くまでいかないと分からない」

「それで十分だ。もう一つ、雪の中で光を見なかったか?」

「ああ光……? そうだな、ティガレックスが降りてきた時に見た気もするが、太陽の光だろう、たぶん。それがどうしたんだ?」

「気にするな。これもやるから、傷を休めたら仲間を見つけて山を降りろ」

 言いながら傷薬を二つ渡して“マスター”は洞窟の外に向かった。
 背後から元気になったハンターが大声を上げる。

「ありがとよ! あんたもやつには気をつけな!」

 ポポの虐殺といい、無様な姿といい、狩場で不用意に大声を出すこととはいい、装備に見合った実力がないな、と苦い呟きを胸中にこぼす。

 ハンターに教えられた通り、エリア8に入ると彼は右手に聳える雪に埋もれて白くなった山肌に沿って歩いた。一見何もないように見えても、雪に覆われていて見えないということもある。ボーンククリの尖端を突きつけたり、手で払ったりしながら、小穴がないかどうか確かめていった。
 その間、時折どこかで轟音が響き渡るのが聞こえてきた。
 “ティガレックス”の咆哮だろう。今も尚、どこかであのハンターたちと戦いを繰り広げているのかもしれない。
 先ほどはこの辺りで戦っていたということだけあって、その爪あとは新しい。
 “ティガレックス”のものと思われるそれは“山”を切り裂いていた。硬い岩盤に覆われているはずなのだが細長い亀裂が暗闇を覗かせている。地面には雪を抉り取ったあとが残っていて、茶色い素肌が露になっていた。
 吹雪いてこそいないが万年といっていいほどこの山は雪が降っている。マフモフシリーズはただでさえ雪のように白いのに、その上に雪が被さって山と同化してしまいそうだ。
 いつ“ティガレックス”がこちらに戻ってくるか分からない。咆哮に気をつけながらも彼は淡々と穴を探した。地図にしてエリア8の中ほどまで歩いていくと、頭の上で何かが光ったように思えた。左手で雪から目を守りつつ、頭上を見上げる。
 薄い雪の膜を通して太陽の光を感じた。肌が少しだけ温かみを覚える。
 錯覚か、と視線を落とそうとした時確かにそれはそこにあった。
 山頂とまではいかないが、ここよりもさらに高い場所に光の点が見える。雪が吹く中にあっても見失うことのないほど強烈な光。幻想的で神々の涙が溜まっているかのようでもある。あれが目指すべき“雪光草”なのだろう。
 村長の言う通り、彼がいる側からは登っていけそうにない。斜面は急であるし分厚く雪が重なっていて手をつける取っ掛かりなどなかった。
 そうなればやはり裏側に通じる穴を見つけ出すしかない。
 さらに念入りに、慎重に目を凝らして歩き出す。
 10分近くだろうか。同じ場所を右往左往しているとようやく手がかりを見つけた。一箇所だけ雪の厚みが薄いところがある。そこから壁際まで線のように薄い雪の道が続いた。
 先ほどの彼が歩いた道かもしれない。一縷の望みを駆けてその上をなぞって行く。
 傍目には白い壁にしかみえないところで線は途切れた。思い切って腕を突っ込むと、雪を突き抜けて宙を掴んだ。
 自然と顔が綻んだ。力の限り雪を掻きだすと隠された小穴が姿を見せる。
 確かに人が一人這い進んだらいっぱいいっぱいの大きさだ。これならばギアノスやファンゴといったモンスターたちが追ってくることもない。
 他に道を探す余裕があるわけでもないので彼は躊躇わずに身を伏せて這いずっていった。
 マフモフの柔らかな素材でなければ途中でつっかえて立ち往生してしまっただろう。大柄な彼には窮屈であったが、そのおかげもあってどうにか反対側に出ることができた。
 が、喜んでばかりもいられない。出た傍からそこは崖になっていて、ちょっとでも足を滑らせれば奈落にまっさかさまだ。呼吸を整えて、緩やかな段差になっている岩肌を登っていく。こちら側はそこまで雪が積もっていないので、足場になる岩や取っ掛かりになる突起がいくつもあった。おかげでどうにか時間をかけることで開けた場所に出ることができた。そこは三方が雪壁に阻まれている行き止まりだった。
 しかし一方は両側に比べて奥まっているためか雪が少ない。ささくれだったような肌はしがみついて登ることができそうだ。これもまた体力と筋力が物を言う。
 途中で息が切れてきたことに気づいた。腕も震え始めている。衰えに歯がゆい思いをしながらも、叫び声をあげながら端に手をかけて体を持ち上げた。
 勢いのまま地面に体を投げ出した。大の字になって荒々しく息を吐き出す。
 吹き上げた吐息が風に流されて顔にかかる。段々と天候が荒れ始めているようで雪が横殴りになってきた。太陽の光も遮られてしまい、寒さが一段と強さを増す。
 マフモフ装備といえども完全ではない。寒さが増せば耐えがたいものになる。
 “マスター”はポーチから余ったホットドリンクを取り出し、一息に飲み干した。使い果たしたスタミナも携帯食料で取り戻す。
 ひと時の休憩を終えて道ともよべぬ道を歩んでいく。
 すると目の前に灰色の巨大な骨が見えた。村長がいっていた“竜の頭”だ。
 近づいてみるとそれだけで彼の背丈よりも高く、大きい。これで頭というのだから実際どれほどの巨躯だったかは想像もつかない。滅多にお目にかかれるものではなく、彼にも強い好奇心が沸いたがそれをどうにか押さえ込んだ。そんな余裕は時間にも、自分にもないと。
 竜の頭を迂回するとか細いが緩やかな坂道があった。
 下から見ただけでは急なだけであったが近くでみると所々は曲線を描いていて、しゃがんでゆっくりと進む分には問題はなさそうだった。ただ強くなってきた風が気になる。煽られれば斜面を転がってそのまま地面に叩きつけられるだろう。
 想像しただけで血の気が引けてしまう。歴戦の猛者でも自然にはなす術がない。
 焦らずしっかりとした足取りで坂道を登っていく。幸い、風が山肌に押し付けるようにして吹いているので落っことされる心配はなかった。
 あがりきるとそこが終着点だった。突如現れた洞窟がぽっかりと大口をあけていて、その奥から煌々と光が放たれている。周囲に気をつけながら近づいていった。
 天井も横幅も広く、奥まっているので寒さもそれほどではない。
 中を歩きながら彼に嫌な予感が走り、それは瞬く間に現実となった。

「これは……」

 思わず言葉が漏れる。彼の目の前には大きな卵が二つ、それに挟まれて輝く花が一輪咲いていた。
 どこから持ってきたのか枝が敷き詰められていて、素直に見て何かの巣に間違いはない。
 そしてこの洞窟の広さを思えば、何の巣か彼にはぴんときた。
 “雪光草”と“ティガレックス”の目撃時期が一致する、という意味がこれではっきりする。となれば長居するのは無謀であった。
 卵には決して手を触れずに彼は“雪光草”を優しく採った。それは手のひらの中にあっても小さな太陽とばかりに輝いている。持ってきた袋に詰め込むと隙間から光が漏れるほどだった。これほど貴重で稀有な花は早々ないだろう。
 ハンターとしてそういったものを自分の手にすることは誇らしいことでもある。
 達成感を味わいながらも、彼はきびすを返し、そして、もう一つ珍しい物を見つけた。
 無造作に打ち捨てられたそれはどうやら片手剣のようだった。透き通る刃を持つ、珍しい一品。拾い上げてみると非常に軽く、振ってみると風を裂くように鋭い。
 ふと彼は思い当たった。これは少年の父親の物ではないだろうかと。
 “雪光草”を見つけ、目の前にしながらここで倒れたのだろう。さぞかし無念だったに違いない。彼はそう思って刃を布でくるみ、腰に差した。これも持って帰ってやろう。
 ようやくそこで彼は気づいた。これがここにあり、少年の父親が死んだ理由に。
 急に振り返ったそこには巣に踏み込まれて、最大限まで怒った“轟竜”の姿があった。

4.
 死を直感し思考が止まる。それも狩人の本能が肉体を突き動かした。
 この距離で叫ばれればそれだけで意識が吹き飛び、哀れな餌と化す。それを避けるには一秒でも無駄にはできない。
 彼は片目が潰れた“ティガレックス”の顔を見るなり、走り出した。
 岩をも粉砕する顎が大きく、大きく、開かれる。
 閃光のように一瞬の出来事が、何時間にも感じられるほど緩やかに感じた。
 洞窟が広いとはいえ“ティガレックス”が暴れられるほどの余裕はない。方向を転換するにも一番奥まで行って、向き直らなければならないだろう。そこに生きる可能性がある。
 恐怖心を打ち捨てて足と足の間に飛び込んだ。爪一つ一つが、彼の顔ほども大きい。これで切り付けられればマフモフなど紙も同様に切り裂かれる。
 “ティガレックス”が喉を鳴らした。咆哮がくる――!
 彼は全速力で走ったまま洞窟を飛び出した。刹那、大地を震わす雄叫びが放たれる。

「ゴォォォォォォッー!」

 地鳴りすら引き起こしながら音が爆発となって押し寄せた。
 耳をふさぐ余裕はない。咆哮に押しつぶされながら彼の体は雪山の斜面に投げ出された。
 受身を取ることなどできず投げ出されたまま転がり続ける。節々と雪から頭を出した岩の突起にぶつけ痛めつけた。だが痛みこそが生きている証。
 柔らかな雪がクッションとなったおかげで骨が折れることもなかった。
 そのまま転がりつづけ、エリア8の表側まで落ちてきた。開けた地面に出てもなお勢いは止まらず、彼はどうにか腕を伸ばして指を突き立てる。このままでは崖から放り出されて今度こそ助かる可能性はない。
 滑るようにして縁まで転がされたが踵が宙に飛び出したところでどうにか止まった。
 マフモフの表面は至るところが擦り切れている。骨は軋んで筋肉が悲鳴をあげた。顔もいくらかぶつけて咳き込むと血と一緒に白いものが混じっている。歯が折れた。
 それでも狩人の本能と経験とが彼を生かした。激しく息を吐きながら顔をあげる。
  この白一面の世界において、それはあまりにも鮮やかで目立っていた。
 “ティガレックス”の皮膚は蜥蜴のようになめらかで、体毛のようは見当たらない。鈍い水色を基調として所々、くすんだオレンジ色をしている。遠目に見れば斑模様にも見えるだろう。それだけ目立っていられるのはこの山の頂点に君臨しているからだった。
 巨大な顎と牙を持ち、ドスファンゴやドスギアノスさえ一口で飲み込んでしまえる。発達した両腕の筋肉は丸太というには逞しすぎる。鋼鉄といってもいいだろう。並大抵の武器では傷もつけられず、またその一振りで全身を砕かれる。腕から背後に向けて突起が伸びて、その間に膜が張られている。翼や羽というには異様なそれが、“ティガレックス”を飛竜たらしめる特徴だ。今も両腕をいっぱいに広げて滑空してきている。
 ごおん。地面に降り立っただけで地響きがおき、尻尾を叩きつける度に雪が舞い上がった。怒りは収まらぬようで、大口をあけながら唸り声をあげている。
 彼の最大の武器でもある咆哮はそう何度も使えるものではなかった。
 あまりの激しさに自分自身をも傷つけてしまうからだ。ここぞというとき、怒りが頂点を越えた時、それは放たれるとされていた。
 もちろん、実際には戦ってみなければ分からない。
 体の痛みにたえて立ち上がった今、咆哮を食らえばひとたまりもなかった。
 情報を信じる他なさそうだ。“ティガレックス”は不気味な蜥蜴の瞳を光らせ、小さな獲物を探している。巨躯であることは武器でもあると同時に弱点でもあった。人が蟻を見つけるのが難しいように、“竜”もまたちんけな存在である人を見つけるのに手間取っている。
 この隙に退避するしかなかった。自分が来た道、“ティガレックス”が追ってくるには不便な洞窟に逃げる道は“ティガレックス”が塞いでしまっている。逃げるのであれば、来た時は逆方向しかない。最初に咆哮が聞こえた方角だ。下手に走り出すことはせず、忍び足で“ティガレックス”から遠ざかる。
 だがそう簡単にはいかなかった。獲物を探すのが面倒になったのか、“ティガレックス”はやたらめったらその尻尾を振り回して大地を削り、岩肌を吹き飛ばした。がむしゃらに跳躍し、爪を突き立てる。暴れるだけで嵐に遭遇したようなものだ。逃げるのは難しい。
 まだ発見はされていないのが救いだった。彼は“ティガレックス”が自分から離れるように跳んだのを横目にして、一気に走り出す!
 その気配を察して“ティガレックス”が獰猛な瞳で振り返った。
 背筋に恐怖が走る。咄嗟に真横に跳ばなければ、ひき肉になっていただろう。
 とても一跳びで詰められる距離には思えなかった。それは所詮人の思惑でしかない。
 “ティガレックス”が身を屈めたかと思うと、弾かれるようにして“空”を跳んだ。
 迫り来る死の塊が体を掠める。咄嗟の回避のおかげで雪の上を転がるだけで済んだ。
 身を起こすと、低い姿勢の“ティガレックス”がすぐ傍にいた。この距離は――彼は舌打ちを残して轟竜の足元に飛び込んだ。頭の上を尻尾が唸りを上げて通り過ぎる。
 下手に外側に避けようとすれば尻尾の攻撃範囲に巻き込まれただろう。
 初見の“竜”相手に、彼は本能と経験で挑んだ。
 足元に潜り込めば中々相手は手が出せない。これが巨躯の弱点だった。身を屈めて様子を伺うと、“ティガレックス”が頭上を越えて再び反対側へ跳ぶ。
 またも距離が開けたが、先ほどのことでどこまで離れたも安全ではないことが分かっている。一瞬も無駄にできず、彼はエリア7の領域まで駆け抜けた。

 自分を見失ったせいか“ティガレックス”は吼え散らかすだけで、追ってくる様子がない。ひとまずは呼吸を落ち着けることができそうだった。
 死の緊張感の連続に肉体も精神も限界が近いように思えた。
 少しでも遠く離れたいのに走るだけの気力はない。いざ、というときに残す必要がある。
 エリア7からは切り立った崖を降りることで下山することができる。それは危険が伴うルートであったが、今から洞窟の方に戻って降りるのは体力的にも厳しい。
 それにまたギアノスの群れに出くわしたら厄介だ。“ティガレックス”よりはどれほど気が楽とはいえ、消耗しきった状態で相手にはしたくない。
 そのようなことを考えながら歩いていると先ほどの双剣の男が見えた。
 近くには態度の大きいリオレウス装備の男と太刀の男もいる。憔悴しているようで俯きがちだった。もう一人弓の男がいたはずだが、姿は見当たらない。
 彼の姿をみとめると双剣の男が手を振ってきた。振り返る必要はないだろう。

「よお、あんたがあいつの次の獲物だったか。目当ての花はあったか?」

「ああ、おかげでな。それより、ここで何をしているのだ? 早く降りねばティガレックスがやってくる」

「そうしたいんだが、こっちも傷だらけでな。崖を降りるのは危険だし、洞窟内にはギアノスがうろついている。体力を回復してから洞窟を抜けようってことにしたんだ。な?」

 双剣の男だけは元気のようでリーダー格と思しき坊主頭に声をかけたが、反応はなかった。相当手痛くやられたのだろう。
 そこへ弓使いの男が駆け寄ってきた。高台に上って様子を見ていたらしい。

「おいまずいぞ、あいつがくる」

「くそっ、あんなやつ俺らなら楽勝だったはずなのに!」

 弓使いの男の声は震えていた。怯えきっている。太刀使いは子供が駄々をこねるように地面を蹴り上げ、拳を膝に打ち据えた。
 ごぉぉぉっ。一同が揃って同じ方角を見た。地響きが迫ってきている。

「どうする!? 洞窟内に逃げるしかねーぞ!」

「だがこの傷であの数のギアノス相手にできんのかよ?」

「戦わないで避ければいいだろ!」

「……無理だな。俺たちは血を流しすぎている。あいつらは腹が空いている」

 リーダー格が自嘲気味に笑って左手を叩いた。腕の装備の隙間から真っ赤な血が滴る。
 このままでは全滅だった。“マスター”は自分ひとり逃げ切るだけなら、その目算はついていたが目の前にいる負傷者を見捨てるつもりは毛頭なかった。

「私に従ってくれ。逃げるだけの隙を作る。ティガレックスの咆哮を聞けばギアノスたちは洞窟の奥に逃げ出すはずだ。その間に洞窟を取って下山すればいい」

「何をいっているんだ? そんな初心者装備の老いぼれに命を預けられるわけがない」

 リーダー格の男が凄んで見せた。太刀使いはそれに同調して睨みをきかす。
 弓使いは悩んでいるようにも見えた。そこに双剣使いが割って入る。

「いや、こいつに任せよう。俺はさっきこいつに助けられたんだ。こんななりをしちゃいるが、腕前は俺たち以上だ、保障するぜ。ボーンククリでギアノスを斬ったんだからな。叩き殺したんじゃねーぞ? こいつの太刀みたく、見事な切れ味だ」

 まるで自分のことのように誇らしく胸を張っている。
 何をそんなに得意げなのか“マスター”は文句の一つもいってやりたかったが、時間がなかった。全員を見渡しもう一度言う。

「あいつを狩るのは無理でも時間を稼ぐくらいならできる。信じる、信じないは自由だ。私もここで死ぬわけにはいかない。お前たちが勝手に行くのなら、私も一人で逃げる」

「……この人に頼もう。一人なら逃げ切れるはずなのに、こうやって助け舟を出してくれるんだ。それに賭けるしかないだろう!? あんたらが嫌っていっても、俺はこの人につく」

「俺も」

 弓使いと双剣使いが揃って両脇に立つ。何だか妙な展開であったが彼は黙ってリーダー格の男を見下ろした。
 しばしの沈黙。それを打ち破るように一際強い咆哮が鳴り響いた。
 思わず全員が耳を塞ぐ。これだけ離れていてこの威力。
 死を連想したのか太刀使いの男はゆっくり立ち上がってこちらの傍に寄った。リーダー格も炎剣リオレウスの柄を握りながら頷く。

「分かった。指示してくれ」

「気に入らないだろうが、これも生きるためだ。ではまず――」

 残された時間は少ない。すぐそこに“ティガレックス”が迫ってきていた。

5.
 “マスター”は堂々と“ティガレックス”を待ち構えていた。
 地鳴りとともにエリア8から移動してきた轟竜と目が合う。竦んでしまいそうだったが決して視線をずらさない。敵意を一身に集める必要がある。
 散々エリア7で暴れて気が立っているのだろう。こちらの姿に気づくなり、跳躍の姿勢に入った。それでも彼は動かない。
 引き絞った弓のように“ティガレックス”の脚部に力が溜まっていく。
 どぉん。小さな雪崩を引き起こしながら巨躯が跳ね上がった!
 顎を開き人の大きさほどもある牙を光らせて唸り来る。
 距離は意味をなさず瞬く暇もなく詰められた。彼はそれでも焦らず、急ぎさえせず、右手に大きく跳び込んだ。体の上を斑の皮膚が通り過ぎ、勢い余った“ティガレックス”は地面を滑って遠ざかった。爪を立てて踏ん張ることで崖から落ちるような無様はせず、尻尾を振り回しながら方向転換を行う。
 その間に彼は自ら“ティガレックス”に接近した。
 たった一度の好機を生み出すために体を張るしかない。人のチームに割り込んで従えといったのだ。最も危険な役を買う必要があった。
 それにそれができるだけの技量があるのも自分だけ、という自負もある。
 ボーンククリを引き抜きながら地面に爪を立てた前足に狙いを定め、飛びかかった。
 爪と爪の間に骨の刃を振り下ろす。いくら皮膚が鋼のように硬いとはいえ、生物であることに違いはない。柔らかい部分というのが必ず存在する。そして爪の隙間というのはたいがい弱点となりうることを彼は知っていた。
 研ぎ澄ませているとはいえ所詮ボーンククリ。深手を負わせることは叶わない。
 だがちくっとした痛みくらいは感じただろう。“ティガレックス”は怒りで唸りながら、体をぶんぶんと振り回す。離れず足元に纏わりついて執拗に爪を斬り続ける。
 やっていることは蚊のようであった。つかずはなれず目障りな距離を保ち、隙を見つけては一刺し加える。繰り返すことで焦りや怒りが膨れ上がり、動きが大きくなっていく。そこに隙が生まれるものだ。
 “ティガレックス”も嫌気が差したのだろう。暴れるのを一旦止めて、軽めに跳躍した。それだけで叩きつけられた風が雪を薙いで地面を露にし、体をふらつかせる。
 まだ距離を開けるわけにはいかない。彼はすぐに走り寄った。
 跳びながら足を斬りつける――が爪と爪の間を狙い続けるのは難しい。軸がずれて硬い皮膚に当ててしまった。火花が散って反動腕が大きく上にあがる。
 尻餅をつきそうになって蹈鞴を踏むが、そこに格好の隙が生まれてしまう。
 “ティガレックス”の尾が横っ腹から押し迫った。

「うぐぅっ」

 咄嗟に盾のついた左腕を体の前に出す!
 斜面を転がった時よりも何倍も強い衝撃が体を後方に大きく吹き飛ばす。尾の先が当たっただけで助かった。即死は免れたものの左腕はばらばらになりそうな痛みの中で痺れて使い物にならない。地面に強打した背中も熱くなっていて、思考が途切れそうだ。
 ボーンククリを杖代わりに立ち上がると“ティガレックス”が豪腕を振り上げていた。
 倒れこむように前のめりに飛び退く。背中の後ろで大地が砕け散った。
 腕の内側に潜り込むとそのままの勢いで走り出す。足の間を通り、尻尾の下で姿勢を落とす。
 目的を見失って“ティガレックス”はがむしゃらに尻尾を振り回した。だいぶ苛立ちが溜まってきたようだ。そろそろ必殺技が放たれる頃合だろう。
 徐に“ティガレックス”の首があがる。天に向かって口を開き、息を吸い込んだ。
 咆哮の予備動作――彼の狙った好機が訪れる!
 瞬時に譲り受けた閃光玉を取り出して高らかと放り投げた。
 叫び声があがる直前、“ティガレックス”の眼前で光が弾ける。
 目を焼かれて咆哮をあげるどころか息を詰まらせてのたうちまわった。
 それを合図に高台で待機していた弓使いが目玉を狙って矢を放つ。“マスター”が出会った時には片目が潰れていた。それがこの弓使いの技量であるならば信頼に足る。
 苦悶で暴れているために狙いはつけにくいが、その分どれだけ矢を撃っても標的にされることはない。
 洞窟の近くで待機していた残りの三人も飛び出してきた。
 双剣使いは目を血ばらせて渾身の限り左足に乱舞を叩き込む。太刀使いは尻尾の下に潜り込み鋭い刃を振り上げた。そしてリーダー格の男が炎剣リオレウスを右足に叩き込む。
 目を射抜かれ、両足を激しく斬りたてられ、尻尾にさえ痛みを覚えてついに“ティガレックス”は堪えきれずに倒れこんだ。同時に、放ち損ねた咆哮の名残をあげる。爆音が鳴り渡って山肌に漣が起きた。繰り返されれば雪崩が押し寄せてくるだろう。
 だがこれでいいと彼はもう一度閃光玉を使った。
 これは“ティガレックス”を牽制するためではなく、雪吹く中で彼らに指示を出すためだった。撤退の合図を受けて三人は“ティガレックス”から離れて洞窟内に走っていく。高台に上っていた弓使いも滑り落ちるようにして降りて、仲間に続いた。
 “マスター”は尚も注意をひくために彼らとは別の方向、崖からエリア2に通じる方に足を向けた。しかしどうやら老体には力が残されていないらしい。
 元々体力を消耗した状態で不意打ちをくらい、山肌を転げ落ちただけで十分限界だった。その上見ず知らずのハンターを逃がすべく知恵を絞り、囮をやったせいで頭も体も、そして心も疲労に飲み込まれていた。
 とても走ることはできず、安心からか思わず足を止めてしまった。
 胸の内側にしまったお守りに手を伸ばして感触を確かめる。
 また生きて帰れた――そのつかの間だった。
 倒れこんでいた“ティガレックス”が身を起こし、叫びをあげながら思いっきり尻尾を振るった。全力ではないにせよ弱った体を硬直させるには十分な威厳だった。
 まずい、と本能が警告しても体が動かない。
 どうにか振り返ったところに尾の先が足を掬い、吹き飛ばし、体を宙に舞い上げる。
 意識が遠のく。“ティガレックス”の巨躯か足元に見えていた。
 最後の最後で手を伸ばし、腰に下げた袋を触る。
 そこに確かに“雪光草”があることに満足して、彼の意識はぷつりと途切れた。

6.
 “マスター”が雪山で消息を絶ってから早三日が過ぎていた。
 “ティガレックス”討伐に赴いていたハンター四人組があちこち傷を負い、くたびれた様子で生還したのが二日前。彼らが老いたハンターによって救われたことを話すと馴染みの村人や、ハンターたちは歓声をあげた。
 それも彼が帰ってこないと分かれば悲壮感にとって変わられた。
 四人組が無事に戻ったというのに彼だけ帰ってこないとなれば結果は見えている。
 それでも“マスター”の帰りを待つ一人の少年の姿が、村の出入り口にあった。
 店主から話を聞いたわけではないが、彼が“雪光草の採取”にいってくれたことを少年は感じ取っていた。だからこそ負い目を感じ、少しの希望を持って待ち続けている。
 村の人々やハンターたちはもう諦めかけていたが、少年の願いをきいて何度か探索も出している。あの街から来た四人組みも恩義を感じてか、何度か自ら申し出て“マスター”を探しにいったが、収穫はなく、街へと帰ってしまった。
 少年は今日もまた村長の対面に腰を下ろして、彼の帰りを待つ。

「あの人……マスターは死んでしまったのでしょうか」

 縁起でもないことが自然と口を出る。
 最愛の父親を同じ依頼で亡くしているからこそ、少年は諦めきれず、だが絶望を感じていた。若く、腕もたった父でさえ無理だったのに、腕が立つとはいえ老いた“マスター”が生還するなど……そんな不安が胸を突く。
 村長は一切の感情を見せずに煙をくゆらせていた。

「ハンターが自然に挑み、自然に帰るのは、不思議なことではない。どれほど実力があっても、ちょっとしたことで自然に飲み込まれてしまうものだ」

「それじゃあ……」

「だがの、自然に打ち勝つのもまた不思議なことではない」

「でもっ! やっぱり」

「ハンターは決して生きることを諦めない。どれほど困難で強大であっても、勝つばかりが結果ではないぞ。負けても生き残ることを選ぶ。だからこそ彼は、自分を盾にしてまで彼らを逃がしたのだろう。そのような男だ、死ぬと決め付けるのはどうかな」

 曰くありげな物言いだが少年には理解できなかった。
 何度も探して、これだけ待って、それでも帰ってこない。それはつまり――

「ほうら、やはり、彼は優れたハンターだったの」

 村長は灰を落としながら口元で笑った。
 何のことだろうか頭を捻りそうだったが、その答えが向こうからやってきた。

「マスター!」

 思わず叫んで走り出した。

 “マスター”は添え木をした左腕を軽く押さえ、足を引きずりながら村に続く坂道を登りきった。すると入り口の近くに座っていた少年が一目散に走り寄ってくる。
 それに気づいてか村の人々も次々と顔を出し、様子を伺うように遠巻きに見ていた。

「あ、ああ! 生きていたんですね! 本当によかった、よかった……」

 泣きじゃくりながら笑顔を見せる少年。自分が生き残ったことをようやく実感できた気がする。
 軽く頭を撫でてから彼は腰の袋を取り外して少年に渡した。
 袋を通してまで分かるほどの輝き。村人たちの視線も釘付けになる。

「遅くなってすまない。依頼の品、“雪光草”だ」

「え……? これが、本当に……?」

「ああ。依頼は、後で貰う。それとこれに見覚えはないか」

 右手を腰に回して布を巻いた片手剣を彼に差し出す。少年は涙を拭いながら布を取り外してわが目を疑った。

「これは父さんの!? どうしてこれが」

「雪光草はティガレックスの巣の中にあった。君のお父さんはそれを目の前にして、後ろからティガレックスにやられたのだろう。それだけが残っていた」

「父さん……」

 少年は思わぬ土産も含め、二つの品を見比べながら俯いた。涙が零れ落ちる。

「ありがとう、ありがとうございます……!」

「私はハンターとして依頼を果たした。さあ、早くお母さんのところへ」

「は、はい!」

 顔をあげて満面の笑みを浮かべると少年は駆け出した。
 途中で一旦足を止め、振り返る。

「あの、お名前をきいてもいいですか? 僕は、トルクといいます!」

「私はベルガ。ベルガ・ランドールだ」

「ベルガさん、本当にありがとう!」

 力いっぱい手を振ると再び少年は走り出す。
 彼の流した嬉し涙は、神々の涙よりも輝かしい。
 その背中を見送って立っているといつのまにか隣に村長が立っている。
 彼がいることで村人や他のハンターは奇異の目を向けながらも、近づけず、やがて散り散りになっていた。人気がなくなると、村長が煙と共に言葉を吐き出す。

「さすがは西の国にその人あり、と謳われた“鉄の戦士”ベルガ殿。ティガレックスから生き延びながらも、雪光草を手に入れるとは恐れ入る」

 思いも寄らぬところで昔の渾名を聞いてベルガは目を丸くした。
 それが「どうしてそれを」と物語っていたのだろう。村長はほっほと笑う。

「情報に長けていなければ中々ギルドの長は務まらなくての。四人組のハンターたちからお前さんの話を聞いてな、ぴんときた。最近、すこぶる腕の立つハンターが西から流れてきたと。何でもそのハンターは元々王国の騎士団にいたとかで、だからこそ人を指揮するのも手馴れていたのだろう」

「やめてください。昔の話です。私はもう一介のハンターに過ぎません」

 そういいながら胸の内側にしまっていた、木を掘って作った騎士剣のお守りを取り出した。村長がそれは?と言いたそうに見上げてくる。

「息子が小さい頃に作ってくれたものです。騎士である私に憧れていましたが、それが仕方ないとはいえハンターになり、えらく嫌われましてね。今では、どこで何をしているのか。あのトルクという少年はどこか息子の若い頃に似ていました。妻は早くに亡くなり、その分を補おうと息子は頑張ってくれましてね。その姿が浮かんだのです」

「それで、彼のために人肌脱いだと」

「いや……これは自己満足ですよ。ハンターとして未知の花に憧れたこともありますし、亡き日々の面影に浸りたかった……それだけです」

「ほっほっほっほ。ならば、そういうことにしておこうかの。さ、そのままではつらいであろう。街の医者を呼んである、酒場にいって治療を受けてくるといい」

「ありがとうございます」

 ベルガは一礼して酒場に向かった。
 大事な騎士剣のお守りを胸にしまい、一歩、一歩と確かな足取りで。













作者あとがき
 どうも、はじめましての人ははじめまして、陸といいます
 普段は仮面ライダーの二次創作、「仮面ライダー天刃」を投稿しています
 偶然なのですが、そちらの感想コメントに「違う作品を見てみたい」といったものがありました
 ちょうど文章の練習のためにこのモンハンの短編二次創作を書いて、今回は投稿させて頂くことにしました
 文章の練習という意識が強かったからか、台詞がだいぶ少なく、読みにくいかもしれませんね
 それに短編というには長かったかもしれません
 それでも最後まで読んでいた方々、ありがとうございます
 またモンハンの二次創作を書くかもしれませんが、その際もよろしくお願いします
 よければ「仮面ライダー天刃」のほうもよろしくです(笑)

 ちなみに私自身はまだティガレックスと戦っていません
 知識不足な面も多々ありますし、オリジナルな設定があります
 その辺りおかしなところがあれば教えていただけるとうれしいです
 では、また。



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