第13話『7年前』


―――ディアス邸、2階。

シオンがウェインに案内された場所は現当主であるアヴェルの父……グレン・ディアスの自室。

部屋の前に来たシオンの表情に変化が、この男にしては珍しく戸惑いが見られる。

「ウェインさん、ここで合っているのか?本当にアヴェルの父親が居るのか?」

「言いたいことは分かるが、ここで間違いない」

困惑するシオンとは裏腹に、ウェインはごく自然に部屋の扉を開ける。

扉の先にあった光景―――点滴などの医療器具を取り付けられてベッドの上で眠っている赤髪の男。

シオンの瞳が大きく見開かれ、彼は眠る男の傍へと赴く。

「……失礼する」

そう言って、眠る男の手首を取る……脈はある。

呼吸音も正常、普通に呼吸もしている。

だが、ひとつだけ―――眠る男に欠けているものがあった。

「ウェインさん、これは一体……どういうことなんだ。何故、この人は意力を全く発していないんだ?」

「……君の言いたいことは理解出来る。グレンの身に起きているこの異常事態を目の当たりにした者は誰もが同じことを口にするからな」

眠る男―――アヴェルの父グレンに起きているあり得ない事態に、シオンは困惑するばかりであった。

意志の力である意力は、この世界で生きる生命体ならば誰であろうと微弱に発するものである。

たとえ意識を失っている昏睡状態であろうと、意力が途切れることは無い。

意力が途切れる時はただひとつ、その生命が息絶えた時。

だが、目の前で眠るアヴェルの父は脈も呼吸も正常、意力だけが全く感じ取れない状態なのだ。

肉体に異常が無いというのに、意力を感じないとはどういうことなのか?

「こやつがこうなってしまったのは、7年前に起きたある事件が原因なのだ」

「この里で起きたという事件のことか。詳しく聞かせて頂きたい」

「うむ……立ち話もなんだ、客間に戻って話そう」

客間に戻ったふたり、客間にはイスカ達の姿が。

ふたりが居ない間にお茶の用意をしてくれていた。

「アヴェルはどうしたんだ?」

「えっと……」

「貧血起こしたから少し横になってます」

「そうそう、貧血貧血」

「?」

「(また、イスカさんが何かやらかしたか)」

ソファに腰掛けたウェインは、紅茶を一口した後に語り始める。

7年前に、不死鳥の里で起きた事件のことを―――。










―――7年前、不死鳥の里。

ディアス邸の執務室、里長を務める当主グレン・ディアスは書類を整理していた。

この年30歳を迎えた彼は、その端整な顔立ちとセイバーとしての実力から妻子ある身でありながら未だに女性からの人気は絶大だった。

もっとも、そういう色目を使う女性は彼の妻の無言のプレッシャーと目が笑っていない笑顔に圧倒されて一目散に逃げ出してしまうが。

その彼の端整な顔が歪んでいる―――眉間に皺を寄せて、一心不乱に書類にサインする。

机の上には途轍もない量の書類の山が。

何枚目かの書類を終えた途端、彼は号泣した。

「終わらぁぁぁあああああああああああああああんんんんんんんん!!」

「当り前だ、馬鹿者」

「のふぅ!」

父ウェインのチョップが叩き込まれ、机に突っ伏してしまう。

「親父、息子が危機的状況だというのに援護は?」

「お前の自業自得になんぞ付き合っとれんわ、仕事サボってアヴェルと1週間も修行を兼ねて釣りになんぞ行くからそうなる。イスカさんはカンカンだったぞ」

少し前、アヴェルの9歳の誕生日祝いとして、グレンは息子と共に1週間ほど出掛けた。

家族や里の皆に内緒で―――当然の如く、帰って来たふたりがイスカの前で正座させられたのは言うまでもない。

グレンは溜まった仕事の片付け、アヴェルは大量の宿題を与えられた。

もっとも、アヴェルの方はあまり気にしてはいなかった。

勝手に出掛けたことを母に謝った際にこう言った。

「何も言わずに出掛けてごめんなさい、でも―――久し振りに父さんが思い切り羽を伸ばす姿を見られて嬉しかった」

息子にこう言われると、母も流石に強く出れなくなってしまう。

ディアス家当主は不死鳥の里の里長であり、象徴的存在である。

太古の昔から不死鳥の刻印が刻まれた意刃を振るい、ブレイカーから人々を守る里の守護者にどれだけ多くの人々が勇気付けられたか。

当主たるグレンは多忙な身、自由を満喫出来る時間は少ない。

「アヴェルはいい子に育っているなぁ……子供の頃のお前とは違って」

「そうか?アヴェルはもう少しフリーダムになってもいいと思うぞ」

「お前がフリーダム過ぎた所為でいらん苦労をしたのは誰だと思っている(怒)」

ウェインは青筋を立て、握り拳をプルプルと震わせている。

グレンは非常に自由奔放な少年時代を過ごした。

危険な場所に探検と言って無断侵入、スクール時代は暴風雨と呼ばれて周囲を騒動に巻き込んだりと色んな意味で大活躍。

父が頭を痛める日々を送ったのは言うまでもない。

一体、こいつは誰に似たのかと溜息を吐く。

コンコン、と執務室をノックする音が聞こえてきた。

「あなた、お客様ですよ」

「客?イスカ、誰が来たんだ?」

「クライスさんとゼルディさん」

「ほう、あのふたりが揃って来るとは珍しいな」

「分かった、客間に通してくれ」

書類を纏めた後、グレンは客間に向かう。

客間にはふたりのセイバーがソファに腰掛けていた。

どちらも隙が少なく、練達の域にある達人であることが一目で分かる。

黒髪のセイバーはクライス・レイラント。

スクール時代からのグレンの先輩であり、グレンが当主になるまでは総本部の名コンビとして数多くのブレイカーを討伐した間柄。

灰色の髪のセイバーはゼルディ・アドバーン。

20年以上の戦歴を持つベテラン、マスターの中でも知らぬ者がいない実力者。

グレンを加えた客間にいるこの面々は、セイバーの中でもトップクラスの猛者達―――多忙な為にこうして顔を合わす機会は少ない。

「久し振りですね、今日はどうしたんです?」

「何、総長がたまに息抜きでもしたらどうかとおっしゃってな」

「右に同じくだ、ジスも連れて来た」

「ジスも?この間のセイバー試験以来ですね、今何処に?」

「アヴェルくん達と一緒だ」

ゼルディが客間の窓を指差す。

窓の外では灰色の髪の少年が、アヴェルとアンリ、カノンの3人と一緒に居る。

灰色の髪の少年はジス・アドバーン、ゼルディの息子で数か月前にセイバーになったばかり。

現在は父と共に大陸各地でブレイカー討伐を兼ねて修行の旅をしている。

「修行の旅か、いいですね。俺もアヴェルを連れて旅をしてみようかな」

「ディアス家の当主がホイホイと旅になんぞ出れるか、ウェインさんとイスカにボコボコにされるぞ」

「そりゃ勘弁(汗)」

この間の件で散々どやされたばかりなのだ。

フリーダムな面が強いグレンだが、流石に父と妻に何度も絞られるのは勘弁したいところ。

ふと、外で語らう子供達に視線を移すと―――何時の間にやら人数が増えている。

黄髪の少年と少女が混ざっている、グレンが良く知るふたりだ。

「あれは―――レオとアリスちゃんか?」

「ふむ、暫く見ない間に大きくなったな」

「あの子達がここに居るということは……あいつも来ているというワケか」

子供達の輪に入っている黄髪のふたりは、ラングレイ家の兄妹であるレオとアリス。

普段はアークシティに居るのだが、この里を訪れているということはふたりの保護者も当然来ているということ。

そして、ゼルディの言葉通りであった―――客間に新たな来客が現れた。

黄髪の男性、レオとアリスの父親カール・ラングレイ。

ラングレイ家の現当主であり、ゼルディとはノービス時代の頃からの友人同士である。

「3人とも、久し振りだな」

「今日はやたらと来客が多いなぁ。ふたりにしろ、カールさんにしろ、連絡の一つくらい入れてくれればいいのに」

「「「「何時もアポなしでやって来るお前が言うな」」」」

「いや、面倒だし……つーか、何時の間にか親父まで混じってる!?」

室内には何時の間にやら、父ウェインの姿もあった。

来客の3人はウェインに頭を下げる。

「お久し振りです、ウェインさん」

「クライス、元気にしとるようじゃな」

「ええ、相変わらず各地を奔走する日々ですよ」

「先輩、相変わらず年齢=独身記録も更新中なんですか?」

グレンの何気ない言葉に、何かが切れた音が聞こえた。

切れたのはクライスの堪忍袋の緒だった模様。

クライスはスラーッと剣を抜く。

「ウェインさん、こいつ斬ってもいいですか?」

「抑えろ、後で私も手伝ってやるから屋敷の中で暴れんでくれ」

溜息交じりにこめかみを押さえるウェイン。

グレンとクライスが起こす騒動には、何時も頭を悩ましてきた。

ふたりがスクールで意力を学ぶ学生の頃からである。

……大体、騒動を起こすトリガー役はグレンであることが殆どであったが。

屋敷内で騒動を起こすふたりを何度止めたことか。

「だって、後輩の俺にはもう9歳になる息子が居るのに先輩は何時になったら結婚―――」

「やかましい、お前は結婚と子作りが早過ぎるわァァァァァァァァァァァァ!!」

「「「これ以上火に油を注ぐな!」」」

無神経な後輩に向かって剣を振るおうとするクライスを抑えるウェイン達。

大人達が愉快な騒動を起こしている頃、子供達の方もそれなりに盛り上がっていた。

ゼルディの息子―――ジスは父と共に大陸各地を旅している。

彼は旅先で訪れた場所について話してくれた。

「大陸西部のグロウシティのセイバー支部では人形遣いのお嬢さんと会ったよ。おれと同い年で、今年セイバーになったばかりなんだけど、もう意刃を発現させていたよ」

「凄いですね、もう意刃を発現させるなんて……遠からずアドバンスドに昇格かな」

「ジスにーちゃん、人形遣いって?」

「人形遣いっていうのはブリュンド家の渾名さ。アヴェルの家と同じ始まりの者に連なる家系だよ」

セイバーの始祖、始まりの者に連なる家系は断絶した血筋が多い。

現代まで残る家系はセイバーの歴史に名を残す名家である。

ディアス家、ラングレイ家も当然のように知らぬ者が居ない名家としてその名を轟かせている。

ジスの話に出たブリュンド家は、大陸西部を本拠とする始まりの者の家系。

人形遣いという渾名を持ち、人形の様な刻印が刻まれた意刃を受け継ぐ。

見た目はグローブにしか見えない意刃なのだが、指先から視認困難な糸を射出してブレイカーを切断する。

最大の極意は糸をブレイカーの体内に侵入させて、まるで操り人形にする妙技にある。

ブリュンド家が人形遣いと呼ばれるのは、その妙技に由来するという。

アヴェルとレオは、未知なる場所や人と触れ合う機会が多いジスを羨んでいた。

ふたりはディアス家とラングレイ家の次期当主ゆえ、大陸中央から離れることは出来ないからだ。

大人達の大人気ない騒動(笑)と子供達の談笑。

穏やかな時間はあっという間に流れ、時刻は夕方に迫りつつある頃―――事件は起きた。

談笑やらチェスを楽しんでいた大人達の顔つきが変わった。

セイバーとしての勘が告げたのだ、里に危機が近付きつつあることを。

「当主!当主は居られますか!?」

屋敷の玄関から声が聞こえてきた、切羽詰まった若者の声が。

玄関に向かう一同、玄関には息を切らした少年が。

不死鳥の里のセイバーのひとり、ロビン・ハーシェス。

ジスと同じく今年セイバーになったばかりの新米だ。

「ロビン、ブレイカーだな?」

「は、はい……もの凄い大群です、100や200どころじゃありません!」

「他のセイバー達と一緒に里の皆を避難所に誘導してくれ」

「わ、わかりました!」

「先輩方、手を貸して貰えますか?」

「無論協力しよう、事態が事態だからな」

ここに居るのは何れもマスタークラスのセイバー、精鋭中の精鋭と呼べる腕利き揃い。

戦力は多ければ多いほどいい。

グレンを筆頭としたマスターセイバー達は里の外へと向かう。

ブレイカーとの距離が近付きつつあるのを肌で感じ取る。

その最中、ゼルディがこう漏らした。

「しかし、話を聞く限りでは相当の大群……不死鳥の里にも感知塔は建設されているのだろう?」

「ええ、アークシティにある物ほど高性能じゃありませんが」

感知塔とは、遠距離に出現したブレイカーを感知する機構を持った建造物である。

セイバーの感知能力とは比較にならない広範囲を感知可能であり、障壁柱に次ぐ大発明として今では大陸各地で幅広く使用されている。

不死鳥の里にも建設されており、大陸最大の都市アークシティの感知塔には及ばないがそれでも里から半径数百キロ圏内に出現したブレイカーの位置を正確に索敵可能なのだ。

ブレイカーが出現すれば即座に感知出来る筈なのに、今回は感知に時間を要した。

「感知塔に不備は無かったみたいなんですがね……」

「突然湧いて出た様な感じだな、悪い事の前触れでもなければいいが」

「……それはそうとして、ひとついいでしょうか?」

「なんだ、カール?」

「ウェインさん、どうして貴方まで来られてるんですか!?」

出撃した面々の中にウェインの姿があった。

既に引退した身なのだから、出て来る必要性は無いのだが……。

「偶には運動せんと身体が鈍るからな、お前達ヒヨッコにはまだまだ遅れは取らんぞ」

「親父、そういうのを年寄りの冷や水って言うんだよ」

「口ばかり達者になりおって―――来るぞ」

ウェインの言葉に全員が身構えた、一瞬にして彼等の手には意刃が出現した。

敵は大群、力の出し惜しみはしない。

地響きの様な音が聞こえてくる、無論それは地響きなどではなく行進する音だ。

人々を脅かす黒き意力を持つ異形の化物達の行進。

千を超えるブレイカーの軍勢が、眼前に迫りつつあった。

カールが右手に持つ獅子の刻印が刻まれた意刃を高く掲げた。

「獅子の咆哮を使い、全員の力を強化して一気に殲滅する」

「数が数だからな」

「カールさん、お願いします」

カールが握る獅子の刻印が刻まれた双刃剣から咆哮が轟く。

ラングレイ一族の意刃が秘める能力―――獅子の咆哮が発動した証である。

その咆哮は使用者及び周囲の仲間の潜在能力を引き出し、戦力を強化させる作用がある。

通常時でさえセイバーの中でもトップクラスの実力者であるこの面子の能力が強化されるのだ、ブレイカーには溜まったモノではないだろう。

一番槍はクライス、サーベル型の意刃を横一文字に振るう。

刀身から巨大な斬撃が放たれ、前方から迫るブレイカー数十体を真っ二つにする。

怯んだ軍勢に追い討ちをかけるのはグレン、ウェイン親子、ゼルディの3人。

ディアス親子は不死鳥の意刃で襲い掛かる敵の群れをなます切りにしていく。

ゼルディは巨大な鉄槌型の意刃を高く掲げ―――。

「ふんっ!」

気合の篭った声と共にゼルディの鉄槌が地面に叩き込まれる。

地割れが発生し、地上のブレイカー達が呑み込まれていく。

割れた地面が閉じ、その圧力で圧し潰されて霧散していく異形達。

「相変わらず豪快だな」

「流石は“大地を砕く男”と呼ばれるだけありますね」

「毎度のことだがその異名は止めろと言っている。セイバーに似つかわしくないネーミングだ」

“大地を砕く男”―――ゼルディは自らの異名をあまり気に入らない。

敵対するブレイカーと混合されかねない異名だからだろう。

一騎当千の強者達の耳に咆哮が聞こえてきた、荒々しさを感じさせる巨大な咆哮。

突風が吹き荒れて土煙が舞う。

天空より飛来する巨大な影が4つ―――災害クラスの脅威ドラゴンのお出ましだ。

「次から次へとご苦労なことだ」

「纏めて片付けてやる」

グレンは不死鳥の意刃を構えて意力を集束させる。

集束された意力に変化が生じる―――白い意力から赤い意力へと変わる。

「終刃―――」

天に舞うドラゴン達に目掛け、グレンが剣を振るおうとした―――正にその時、異変が起きた。

グレンは突如として凄まじい重圧に襲われた。

父ウェインや彼の先達であるセイバー達も同様の異変に襲われていた。

「ぐ……」

「なん、だ―――これは?」

ドラゴンが何かしたのか、と天に目を凝らす。

否、異変の元凶は天空からの災害ではない。

それどころか、ドラゴンにも異変が生じていた。

咆哮……否、苦悶の叫びが聞こえる―――ドラゴン達の巨体を何かが貫いた。

瞬間、天空から飛来しようとしていた脅威が肉体を喪い黒い意力へと変貌した。

「ドラゴン達が瞬く間に……!?」

「何が起きた―――む!?」

その場の全員が異常事態に目を剥いた、ブレイカーは肉体を喪い黒い意力となれば即座に霧散する。

霧散する筈なのに、ドラゴン達の意力は未だ宙を漂っていた。

異常事態は終わらない、黒い意力が何処かへと向かう。

向かうというよりも、何かに吸い寄せられている様な動きだ。

ブレイカーの大群への警戒を緩めず、全員の視線が黒い意力が向かう先へと向けられる。

視線の先にあるのは夕日、日が沈みつつある地平線の彼方。

夕日を背にして“それ”は立っていた。

黒い人の形をした“何か”だった、左手には黒い剣が握られている。

遠目なのでハッキリとは見えないが、普通の剣とは明らかに異質な何かを感じさせた。

黒い刀身の中心部分には赤い紋様がある。

鎖の様な赤い紋様、まるで何かに束縛されている様に見える。

―――何だ、“あれ”は?

セイバー達に戦慄が奔る、頬を汗が伝う。

数多くのブレイカーを討伐してきた戦士としての勘が告げたのであろう、“それ”が尋常ならざる脅威であると一目で理解した。

黒い人型の頭、人間でいえば口にあたる部分であろうか。

ドラゴン達の黒い意力はそこへ引き寄せられている。

異変が生じる、黒い人型から黒い意力が発せられる。

ドラゴン達の意力を吸収していく度に、“それ”が発している黒い意力は増していく。

まさか、“喰らって糧にしている”とでも言うのか。

ブレイカーが共喰いする場面は見た記憶があるが、ブレイカーを喰らって力を増していくブレイカーなど見たことが無い。

グレンが他の面々に目を配る。

言葉に出さずとも分かっている、“あれ”が何かは知らないがこの場居る全員が恐るべき脅威であると認識した。

絶対に里に近付けるワケにはいかない、ここで討伐しなければならない。

意刃を構える一同―――その耳にこえが聞こえてきた。

『足りない』

身構える一同、今の声は一体誰の声だ……?

『足りない、もっと黒き糧を』

まさか、これは“あれ”の声なのか?

黒い人型は左手の剣を高く上げると、一直線に正面に振るった。

危険を察したセイバー全員が横に跳躍した。

巨大な黒い斬撃がブレイカーの大群を一撃で殲滅する。

ブレイカーだった黒い意力は、ドラゴン達と同じ様に“あれ”に吸収されていく。

あれだけのブレイカー達の膨大な意力を吸収しても尚、

『まだ、足りない』

“それ”は飢えていた、あれだけのブレイカーの意力を喰らっても足りないと。

千を超えるブレイカーを喰らった“それ”から発する黒い意力は、マスターセイバーであるグレン達を大きく凌いでいた。

未だかつて、これほど強大な敵に遭遇した経験は彼等には無かった。

迫りくる“それ”に比べれば、ドラゴンの大群すら可愛く見える。

討伐出来るのか、自分達に―――?

不安に襲われるが、逃げ出すことなど出来ない。

自分達の後ろには守らなくてはならないものがあるのだから。

ゼルディとクライスが前に出る。

「我々が最初に仕掛ける、グレン達は後から続いてくれ」

先達の言葉に頷くグレン。

迫りくる“それ”に向かって、ゼルディとクライスが駆け出す。

徐々に詰まる距離、向かって来るセイバーに対して何の備えもしない“それ”。

小手先など無用、意刃に渾身の意力を込めての一撃を繰り出す両名。

けたたましい音が響く、練達のセイバー両名の同時攻撃を“それ”は左手に持つ黒い剣で受け止めていた。

「「!?」」

ふたりの表情が驚愕に染まった、攻撃を受け止められたことに対する驚愕ではない―――“あり得ない事実”に対して驚愕したのだ。

“それ”は左手を軽く前に押し出した、ふたりの身体が軽々と吹っ飛ばされる。

間髪入れず、グレンが一気に駆け抜けて“それ”に向かって斬りかかる。

“それ”は黒い剣で不死鳥の意刃を受け止める。

「……馬鹿なッ!?」

グレンも先のふたり同様に驚愕した。

攻撃を容易く受け止められたこととは違う“あり得ない事実”に気付いたのだ。

すぐさま後方に跳躍して距離を取る。

「そんな馬鹿な……奴の持つあの剣は―――“意刃”だというのか!?」

「「何だと!?」」

ウェインとカールも驚愕した。

あり得ないことだ、確かにブレイカーの中には自らの意力を武器の形にするタイプも存在するが意刃とは比較にならないほどに稚拙な構造で脆い。

だが、刃を交えてはっきりと理解した。

奴の持つ剣は、自分達が持つ強き意志の力で生み出された刃―――即ち、意刃であると。

意刃を持つブレイカーなど如何なる伝承や文献にも記されていない。

『邪魔だ』

“それ”がグレン達に向かって無造作に左手に持つ剣を振るう。

黒い意力の斬撃が飛来し、グレンは意刃でそれを受け止める。

想像を絶する重圧感が彼に襲い掛かる、意刃に意力を込めるがジリジリと後方へと押し切られていく。

ウェインとカールが加勢に入り、共に斬撃を受け止める。

「カールさんはともかく、親父は無理するな。ギックリ腰じゃ済まないぞ……ッ!」

「一言多いぞ馬鹿息子、ヒヨッコにはまだまだ遅れは取らんと言ったろうが……!」

「口喧嘩しないで集中して頂きたい……!」

一本の矢は簡単に折れるが、三本の矢は早々折れはしない。

3人が渾身の意力と気合の篭った掛け声と共に、黒い斬撃を上空へと逸らす。

黒い斬撃は空高く飛び去って行く。

息を切らす3人、攻撃を逸らすだけで相当の消耗を強いられる。

吹っ飛ばされたゼルディとクライスが戻って来る。

両名とも負傷、夥しいとは言えないが流血が見られる。

全員が頷く―――短期決戦しかない、持久戦では勝機は望めない。

5人は散り、“それ”の周囲を囲う様に立つ。

正面からでは駄目だ、多面攻撃を仕掛ける。

達人達の意刃が多方向から一斉に襲い掛かる、これだけの攻撃ならばドラゴンですら成す術もなく斃れるだろう。

―――だが、彼等の意刃が“それ”に届くことは無かった。

目を剥く達人達、彼等の刃は何かに阻まれて“それ”に届かない。

“それ”と達人達の意刃の間にあるもの―――黒い光の壁だった。

黒い光の壁が達人達の意刃から“それ”を守護する様に展開している。

「範囲、障壁……!?」

ブレイカーの中にも意力を防御手段で用いるタイプは存在する。

だが、それは頑強な肉体を強化する程度でしかない。

意力の障壁を扱えるのはセイバーやガーディアンだけだ。

しかし、眼前の“それ”が展開しているのは紛れもなく意力を用いた防御障壁術のひとつである“範囲障壁”。

自身の周囲を囲う様に展開する防御障壁、しかも最高位のセイバーである彼等の意刃を受け止めて罅割れすら生じない程の防御力。

『失せろ』

“それ”が素っ気ない言葉と共に一回転斬りを放つ。

黒い範囲障壁が砕け散った―――いや、砕けたのは範囲障壁だけではない。

グレンとカール、ゼルディは何とか凌ぎ切ったがウェインとクライスが後方へと弾き飛ばされる、ふたりの意刃は音を立てて砕け散った。

「親父、先輩!」

「おのれ、こうなれば―――!」

カールの獅子の刻印が輝き出す。

獅子の咆哮を用い、自身の潜在する力を極限まで引き出すつもりだ。

命を削る危険な行為だが、そうでもしなければ目の前の化け物には勝てない。

獅子の咆哮が轟く、正に刹那。

『小賢しい』

“それ”の持つ剣先から黒い意力が凄まじい速度で発射された。

鈍い音と共に、カールの右脚が膝の部分まで跡形も無く消し飛んだ。

「がぁぁぁあああああっ!!」

「カールさん!」

「貴様っ!」

親友の惨状を目の当たりにしたゼルディは、憤怒の形相で“それ”に鉄槌を叩き込んだ。

砕ける様な音と共にゼルディの意刃が消える、“それ”の持つ剣に砕かれたのだ。

恐怖が音を上げた―――勝てないと、ゼルディは理解してしまった。

目の前の立つ異形は自分達とはあまりにも次元が違い過ぎる。

“それ”は右手を拡げ、自分よりも体躯のあるゼルディの頭を掴むと軽々と持ち上げた。

「ぐ、ぉぉぉおおおおおおおおおっ……!」

黒い手が顔面に食い込み、ゼルディの顔に裂傷が刻まれる。

誰もが諦める中、ひとりだけ諦めない大馬鹿が居た。

ディアス家の現当主グレン・ディアス。

彼は裂帛の気合を込めた雄叫びと共に不死鳥の意刃を“それ”に繰り出した。

“それ”は左手の剣で斬り払おうとした、容易に撃退出来る筈だった。

罅割れた、不死鳥の意刃ではなく“それ”の持つ剣が。

『これは、まさか』

グレンの持つ不死鳥の意刃、その刻印が輝いていた。

赤い不死鳥の刻印が黄金の不死鳥の刻印へと変貌している。

意刃を砕かれ、戦線を離脱していたウェインとクライスがようやく起き上がる。

「まさか、あれは不死鳥の意刃の能力が発動しているのか?」

「ウェインさん、不死鳥の意刃の能力とは……?」

「私にも詳しいことは分からない」

不死鳥の意刃が如何なる力を秘めているかは伝わっていない。

グレンの攻撃があの異形の持つ意刃に罅を入れた事実からして、意力を増大させる能力の類なのか。

やがて限界点を超えたのか、“それ”の持つ剣が砕ける。

間髪入れず、ゼルディを持ち上げる“それ”の右手を斬り落とした。

「親父、先輩ィィィィィィィィィィィィ!」

「「心得た!」」

ウェインとクライスは両脚に意力を集束させて加速、ふたりは戦闘不能に陥ったゼルディとカールを掴み上げて急速離脱する。

不死鳥の意刃の輝きが消えていく、黄金の不死鳥から元の赤い不死鳥の刻印へと戻る。

だが、グレンに止まるつもりは全くない。

“それ”は右手を斬り落とされて剣も持っていない状態、この機を逃すことは出来ない。

意刃を“それ”の胸元に突き刺した、確かな手応え―――。

『愚かだな、逃げればいいものを』

「っ!?」

“それ”は胸元を貫かれているというのにまるで平気な様子。

危険を察して、意刃を抜こうとしたが全くビクともしない。

“それ”が左手を繰り出し、グレンの意刃を掴む。

意刃を掴む指先から黒い光が奔り、意刃の刀身を伝い、グレンの腕を、全身を駆け巡る。

砕ける音と共に不死鳥の意刃が消え、グレンの身体がその場に倒れる。

その肉体からは意力がまるで感じ取れない。

意力が消えるのは、その生命が死に絶えた時のみ。

クライスの唇が震えながら言葉を紡いだ。

「死ん、だ―――?グレンが、死―――」

「起きろ……」

「ウェインさ―――」

「起きんか馬鹿息子!親より先に死ぬことなど許さん、目を覚まさんかぁぁぁああああああああああああっ!!」

父の必死の叫びは、息子には届かない―――地に伏したグレンは微動だにしなかった。

“それ”の左手に黒い意力が集束し、再び剣が出現する。

黒い剣を高く掲げる、振り下ろす先にあるのはグレンの肉体。

既に戦えない息子の肉体を切り刻もうというのか。

ウェインは苦痛が残る肉体に鞭を打って意刃を作り出す。

獣の様な雄叫びと共に駆け出すウェインを止めようと、クライスは手を伸ばす。

その矢先―――その場に居る全員の耳に歌声が聞こえてきた。

―――歌、舌足らずな子供の歌声。

歌声はセイバー達の後方、不死鳥の里の方角から聞こえる。

駆け出そうとしたウェインとそれを制止しようとしたクライス、負傷で苦しんでいたゼルディとカールも何事かと視線を歌声のする方角に向けた。

ひとりの小さな少女が歌っていた。

銀髪が目を引く妖精の様な少女―――セイバー達はそれが誰であるかを知っていた。

アンリ・アンダーソン、数年前に肉親を亡くした少女。

彼女の家族はウェインとは知己にあり、彼女はその縁でディアス家に引き取られた過去を持つ。

「アンリちゃん……!?」

「何故、あの子がここに―――」

『……めろ』

「何……?」

『や、めろ……その歌をやめろ』

全員が視線を“それ”に向ける。

正にグレンを切り刻もうとしていた“それ”に異変が起きていた。

左手の剣が砕け散り、全身を震わせている。

膝をついて、左手で頭部を押さえる。

苦しんでいるというのか、アンリの歌声を聞いて。

『その歌をやめ―――』

『続けてくれ、このまま』

「!?」

「何だ……?奴からもうひとつ―――全く“別の声”が聞こえる?」

“それ”から二種類の、全く異なる声が聞こえてくる。

ひとつは、深淵の底から来た使者の様な昏い声。

もうひとつは、何かを懇願する様な悲痛な感情が伝わる声。

『“貴様”―――まだ、意識があったというのか……!』

『歌を続けてくれ、頼む―――』

『黙れ、“貴様”の役目は“我”が目覚めるまで―――』

アンリの歌声がより力強く響く―――“それ”が獣の様なうなり声を上げ苦しみ出す。

“それ”の肉体から黒い意力が立ち昇り、大気に消えていく。

ブレイカーが肉体を喪うと黒い意力に変化して大気に消えていく、あれと同じ現象だ。

歌声でそれ可能に出来る術は太古からひとつしかない。

「―――浄歌。間違いない、あれは浄歌に相違ない」

「あの子が浄歌の歌姫と?」

「間違いない、黒い意力を歌で霧散出来るのは浄歌の歌姫のみ。アンリちゃんにその素養があったとは―――いや、そもそも何故あの子がこの場に居るのだ?避難所に居る筈では―――」

「アンリ―――!」

遠くから少年の声が聞こえてくる、不死鳥の里の方からやって来る者達が。

アンリの名を呼んだのはアヴェルだった、後ろにはジスとイスカの姿も。

「アヴェルにジス、それにイスカさん!?何故、ここに―――」

「避難所からアンリが突然いなくなって、そしたらアンリの歌声が里の外の方から聞こえたから」

「すみません、止めたんですが言うことを聞かなくて……」

「……あな、た」

「母さん、どうし―――父さん……?」

青褪めたイスカの視線の先にあるもの、それはアヴェルの父グレンであった。

父は地面に倒れ、ピクリとも動かない。

母が青褪めている理由に気付くのに、幼い息子には少々の時間を要した。

彼の母であるイスカも、かつてはセイバーとして活躍していた過去がある。

夫グレンと同じくスクールで意力を学んだ一つ下の後輩であり、常人より意力の扱いに長けている。

彼女は倒れた夫を目にし、瞬時に意力の感知を行った。

違う、そんな筈はないと祈りながら―――だが、現実は残酷であった。

グレンの肉体からは微塵の意力も感じない。

母がその場で崩れ落ちるのを見て、アヴェルはようやく現状を理解した。

黒い人型の“それ”―――父をあんな風にしたのはそいつの仕業だと。

「うわぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

「何処に行くつもりだ!」

「離せ、離せ離せ離せ離せ離せぇぇぇぇぇえええええええええ!あいつが、あいつが父さんをぉぉおおおおおおおっ!!」

「お前が行って何になる、殺されるだけだ!」

飛び出そうとするアヴェルを、ジスが羽交い締めにして止める。

―――澄んだ歌声、アンリの歌声がより響いたのはその直後だ。

怒りで我を忘れたアヴェルも、羽交い締めにするジスも崩れ落ちていたイスカも、傷付いたセイバー達もその歌声に耳を傾ける。

心が洗われる、淀んだ黒いものが流れていく様な不思議な感覚に見舞われた。

『おのれ、小娘が……!』

『やめろ、これ以上手を穢すな……!』

『“貴様”は黙れというのが聞こえないのか―――!』

相反する別々の声を発する“それ”。

“それ”は自分を苦しめる耳障りな歌を、その発生源たるアンリに向かって左手から黒い意力を放つ。

放たれたのは小さな黒いだ弾丸状の意力だった。

浄歌の影響で込められている意力は大したものではないが、負傷し消耗していたウェイン達にそれを止める術は無かった。

幼き歌姫に傷を負わせるには十分だ。

「アン―――」

幼馴染を狙う凶弾に顔を真っ青にするアヴェル。

同時に、羽交い締めされていた筈の自分の身体が自由になっていることに気付いた。

凶弾とアンリの境に立ちはだかる者がひとり―――ゼルディの息子ジスだった。

セイバーになって間もないこの若者は、父をはじめとするこの場に居る達人より圧倒的に劣る意力で障壁を展開し、“それ”の放った凶弾からアンリを守る盾となる。

―――重い、潰されてしまいそうだ……ッ!

威力が低いとはいえ、新米の彼に“それ”の凶弾はあまりにも重い攻撃であった。

骨が軋み、脂汗が頬を伝う。

障壁を展開する指先が裂けて鮮血が舞うが、それでも彼は逃げない。

何故ならば、自分はセイバー―――牙無き人々を救う者なのだから。

障壁に罅割れが起きる、彼の技量で防ぎ切れないのは誰の目から見ても明らかだ。

防ぐことは出来ない、それなら攻撃を逸らすしか方法は無い。

ジスは障壁の防御範囲を狭めて防御力を高め、凶弾の位置をズラしていく。

凶弾は徐々に上の方へと向いていく、位置的にアンリにはもう当たらない。

そこまでが彼の限界だった、凶弾が障壁を突き破り―――ジスの喉を直撃した。

幸い、喉を貫通する威力ではなかった為に命はまだあるが、彼は苦悶の表情でその場に倒れた。

「ジス!」

「ジスにーちゃん!」

「ジス……おにいちゃん、ジスおにいちゃん!」

歌っていたアンリも流石に歌を止め、倒れるジスを揺する。

アンリの歌声が途切れたことで“それ”は苦しみから解放された。

だが、セイバーやアヴェル達に仕掛ける気配はない。

『これ以上、“ここ”で戦うワケにはいかない―――』

『“ここ”だと……?まさか、この地は―――』

『共に“跳んで”貰うぞ』

『“貴様”―――!!』

“それ”の肉体から黒い閃光が迸り、その場の全員の目が眩む。

視界が回復した時―――“それ”の姿は何処にも存在しなかった。

比較的動けるクライスが周囲を索敵するも、あのどす黒く強大な意力は感知出来なかった。

“それ”が消えた理由をウェインは即座に推測していた、おそらく奴は“空間転移”をしたのだと。

理由は不明だがあの異形の内部にはふたつの精神が存在し、片方が破壊と災厄を齎す存在、もう片方がそれを制止する存在といったところか。

だが、何故だ―――黒い意力を発する以上、奴はブレイカーの筈。

いや、そもそも奴はブレイカーだったのだろうか?

意刃に範囲障壁、更には空間転移といった技術はセイバーやガーディアン、それも高位の実力者にしか出来ない芸当……。

言葉も発していたところ見る限り、理性を持っている様子が見られる。

変異型ブレイカーの中でも更に特異な存在だったとでもいうのか?

あれこれ思案している時、クライスが―――。

「ウェインさん、グレンはまだ息があります!」

「―――!」

息子の安否を確認してくれた、グレンは死んでいない。

死んだと諦めていたアヴェルとイスカが大泣きしたのは言うまでもないだろう。

しかし、この日を最後に現当主であるグレンは昏睡状態に陥ってしまう。

肉体は生命活動を終えていないのに、意力を全く発さない奇妙な症状のままずっと眠り続けている。

右脚を失ったカールはセイバーから引退、既にラングレイ家の当主であった為、現在は総本部の重鎮として激務をこなしている。

現総長レイジは総長の座を譲ろうと考えているが、カール当人は暫くその座に就くつもりは無い模様。

クライスは快復後、現場に復帰した。

ゼルディは行方を晦ました―――息子ジスと共に。

ジスは奇跡的に一命を取り留めたものの、喉が潰れ声を出せなくなってしまった。

自分が弱かったからグレンはああなった、自分が弱かったからカールは右脚を失った、自分が弱かったから息子は声を奪われた―――。

ゼルディは責任感が強い男だった、自責の念に駆られてしまったのだ。

後日、親友だったカールは彼の自宅を尋ねたものの、既に完全に引き払われて表札も無くなっていた。

彼とその息子はそれ以来、完全に行方を晦ましてしまう。

一体、ふたりはどこに行ってしまったのか……カールは今もふたりの捜索を続けている。

そして、この事件から約1週間ほどアンリは高熱に倒れた。

幼い彼女に浄歌の負担は堪えたのだろう、何日も魘されるアンリをアヴェルとカノンは見守ることしか出来なかった。

―――強くなるんだ、アンリがあの歌を歌わなくてもいいくらい。

翌年、スクールに入学したアヴェルが父から学んでいた時以上に鍛錬に打ち込む様になった。










時は流れ、時間は現代のディアス邸に。

シオンはウェインに伴われ、再び眠り続けるグレンの所に来ていた。

イスカ、アンリ、カノンも一緒だ。

「……そんな経緯があったとはな。しかし、鎖の様な赤い紋様がある意刃か―――」

「どうしたんだね?」

「……俺はそれを何処かで見た様な気がする」

「何……?500年前にもあの異形の同種がいたのというのかね?」

「すまないが、はっきりと思い出せない」

7年前にウェイン達が戦った異形が持っていたという意刃、シオンはそれに何か心当たりがある様な気がした。

自分が居た時代で、それと同じ意刃を見た様な気がしたのだ。

―――しかし、思い出せない。

そんな特徴的な意刃ならば、何処で見たのか記憶している筈だ。

この時代に来た時からある記憶の欠落、欠落した記憶の中にそれが含まれているのだろうか。

ウェインもシオンの気持ちを察し、無理に思い出させようとは考えなかった。

「―――シオンさん」

背後から声が聞こえてきた、アヴェルの姿があった。

部屋で横になっていたが、目を覚まして自室を出るとシオン達が父の部屋に向かうのを見つけたのだろう。

「シオンさん、実はお願いしたいことが―――」

「言わずとも分かっている、お前の父に精神干渉を行って欲しいんだな?」

「はい、父さんがこの奇妙な症状になった時にも精神干渉が扱える方に協力を仰ぎました。でも、その人は侵入することすら出来なかったと―――」

「ふむ、7年前の事件の元凶が何か仕掛けたというワケか……ともかく、精神干渉を行おう。俺以外に連れて行けるふたりは誰にする?」

「アヴェルとイスカさんを頼む」

「じいちゃん!」

「お義父様、よろしいのですか?」

「口うるさい父親の私よりも、最愛の妻と息子の方がこの馬鹿息子も喜ぶだろうからな」

ジト目で息子―――父を見つめる祖父を見て、アヴェルは思わず苦笑してしまう。

確かに父ならその方が喜ぶかもしれない。

そんなやり取り見ているシオンは自然に笑みを浮かべていた。

自分と弟とは形は違うが、確かな家族の繋がりを彼等から感じたからだ。

暫くして、シオンはウェインに術を中断されない様に障壁の展開を依頼、アンリとカノンはウェインの補佐に就いた。

彼女達は障壁を展開するウェインの肩に手を置き、自分達の意力を送り込んで障壁の強度と持続力を保つのが役目だ。

シオンの右手がグレンの額に添えられる、彼の肩をアヴェルとイスカが掴む。

「準備はいいか?」

「「何時でも」」

「では―――行くとしようか」

シオンの肉体から意力が発せられ、グレンを包み込むとシオンを含めた3人は真っ暗な空間へと誘われた。

アヴェルは二度目であるが、やはりこの奇怪な感覚には慣れなかった。

イスカの方は落ち着いている、肝が据わっているとでも言えばいいのか。

なるほど、ディアス家当主の伴侶なだけはあるとシオンは感心する。

3人は深い深い暗闇を下っていく、行けれども行けども何も見えてこない。

だが、やがて大きな扉を見つける。

「やった!扉ってことは、あの先に父さんの精神があるんですね」

「あの人に会えるのね」

「ふたりとも、扉に触れてくれ。家族であるふたりならきっと―――」

頷き、グレンの精神が居るであろう扉に触れるふたり。

扉は大きな音を立てて開いていく。

3人は扉を潜る―――その先にあった光景に身体が強張った。

「―――え」

「……!?」

「何だ、これは……?」

鎖、大量の鎖が周囲に張り巡らされている。

上下左右、天も地も見渡す限りの鎖。

異様な光景に言葉を失う一同は、あるものを見つけた。

鎖に雁字搦めに縛られ―――束縛されている赤髪の男。

間違いない、アヴェルの父グレン・ディアスだ。

鎖に束縛されているその様は、まるで磔にされた罪人に見えなくもない。

「父さん!父さん、ぼくだよ!」

「あなた!」

ふたりはグレンに必死に呼び掛けるが、グレンに全く反応は無い。

微かに口元が開いており、虚ろで生気の無い何も映していない様な瞳。

まさかと思い、シオンはある行動に出た。

指先に意力を集約して、グレンを縛る鎖に向かって放った。

シオンの奇行に面食らうアヴェルとイスカ。

指先から放たれた意力が鎖に触れると、触れた瞬間に霧散した。

「間違いない、これは封縛(バインド)だ」

「封縛って確か意力を使う犯罪者に使用されるあれですか?」

「そうだ、意力を封じる―――正確には一時的に使用出来ない状態にする束縛術だ」

封縛(バインド)―――主に意力を悪用する犯罪者に使用される。

相手の意力を封じ、意力による攻撃や防御、身体強化を使用不能に陥らせる。

力量によっては容易に破られるが、犯罪者に封縛を施すのは高位の実力者であることが多い為に破ることは至難の業。

突出した達人になると、現在のグレンの様な状態にすることも可能かもしれないが―――。

「俺が信じ難いのは、精神を完全に束縛している上にこれが施されたのが7年前ということだ。俺の居た時代でさえ年単位で精神を封じ込めるほどの封縛を使える使い手など見たことがない」

固唾を呑むアヴェルとイスカ。

500年前、現代のセイバーとは比較にならない実力者のひとりであるこの元当主が言うのだから事実なのだろう。

7年前に出現した異形が掛け値なしの化け物であるということを改めて思い知らされる。

ふたりとは別に、シオンはその異形に関して困惑を深めていた。

意刃に範囲障壁、空間転移に加えて封縛……何れもセイバーやガーディアンといった“救う者”や“守る者”が扱う技術の筈。

“破壊する者”であるブレイカーが扱うものではない。

ブレイカーと同じ黒い意力を発する上に、言葉を話す理性とそれだけの技術を併せ持つ異形とは……?

精神を完全に束縛している為、彼は肉体は生命活動を行っているものの意力を全く発していないという奇怪な昏睡状態が続いているのだろう。

「シオンさん、この封縛って解除出来ないんですか?」

「出来なくもないが、それは仕掛けた敵が解除する側より格下である場合だ。これほど長期に渡って精神すら封じるほどの使い手の封縛を解くのは俺でも難しいだろうな。解析するだけでも相当の時間を要する上、別の危険もある―――イスカさんも見当が付くだろう?」

「何らかのトラップが仕掛けられている可能性ね。封縛には解除を阻害する為の防衛術も同時に施されている場合が多いの。下手をしたら私達もこの封縛の餌食になるかもしれないし、最悪の場合は―――この人が完全な廃人になってしまう可能性もあるわ」

「そんな……!」

「アヴェル、歯痒いかもしれないが戻ろう。父親を失う危険性がある以上、無理な解除は出来ない」

「……はい」

意気消沈する息子の肩を抱くイスカ。

彼女とて同じ気持ちだろう、最愛の夫を目前にして何も出来ない無力感。

内心、凄まじい葛藤に苛まれているに違いない。

シオンとしても何とかしたいのは山々だが、下手に手出しすれば何が起きるか分からない。

扉から出ていく一行―――アヴェルとイスカが束縛されるグレンの姿を扉が閉じるまで見つめていたのは言うまでもない。

「(父さん、必ずその鎖から父さんを解放するよ。だから、もう少しだけ待ってて―――)」










日が沈み、時刻は夜の9時。

今日はディアス邸で一泊し、アークシティへは明日帰ることにした。

精神世界から現実に戻って来たシオン達の報告を受け、ウェインも他の解決策を模索すべく封縛に詳しい専門家への依頼や封縛に関連する書物の取り寄せを手配した。

アヴェルは暫くひとりになりたいと言って夜風に当たりに外へ出ている、父親を救えない現状に複雑な心境を抱いているのだろうか。

それぞれが自由な時間を過ごしている中、カノン・レイニッシュはイスカの自室に連れ込まれていた。

「あの、イスカさん?私に話って何ですか?」

「カノンちゃん、ズバリ聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」

「はい、何でしょう?」

「アヴェルのことが好きになったんじゃない?」

「―――」

ビッグマザーの発言の直後、カノンは近くの壁まで歩き、ゴンと頭をぶつける。

1回、2回、3回、と彼女は自らの頭を壁に叩きつけていく。

「ちょ、ごめんなさい!おばさんがストレート過ぎたわ、お願いだから落ち着いてぇええええええええ!?」

「え?大丈夫です、私は落ち着いてます。だから夢なら醒めて―――」

「いや、これ現実だから!」

数分後、ようやく落ち着いた彼女の視線は泳いでいた。

両手の人差し指をこねこねさせながら、真っ赤な表情でイスカの正面に座る。

「あ、あの……何で分かったんですか?」

「台所でお茶請け用意している時、チラチラとアヴェル見てたじゃない。あの朴念仁とアンリちゃんは気付いてなかったみたいだけどおばさんは誤魔化せないわよ〜♪」

「あう……(真っ赤)」

「いやーあの朴念仁も罪な子ねぇ。アンリちゃんが好きなのは分かるけど、こんなに好き好きオーラを出してる子が近くに居るのに気付かないなんて」

「はう……(真っ赤)」

「うーん、アンリちゃんもカノンちゃんも両方ともアヴェルのお嫁になればいいわねぇ」

「お嫁―――!?ま、待って下さい、話が飛躍し過ぎですし、それに両方ともお嫁なんて出来ない―――」

「あら、カノンちゃん忘れたの?セイバーは断絶する家系もあるから重婚も出来るのよ」

「ふえ!?」

指摘され、彼女は思い出した。

セイバーは条件さえ揃えば配偶者を複数持つことが許されるのだ。

イスカの発言通り、セイバーは断絶する家系もある―――ブレイカーとの戦いで命を落とす可能性が極めて高いのだ。

現代でも配偶者を複数持つセイバーは珍しくない。

ちなみ凄くどうでもいい話であるが以前に―――。

「美人の奥さん達と甘い生活、それが僕の夢さ!」

と、自称伊達男が歯をキラリと輝かせてほざていたが、その直後に眼鏡美人に踵落としされたのは言うまでもない(笑)。

カノンはお嫁という言葉を聞いて、頭の中が絶賛混乱中であった。

お嫁―――妻、人生の伴侶となることを指す言葉。

夫となる人と生涯を共にして支え合っていく存在。

何よりも、大切なのは後に続く“血”を残していくということ。

つまり―――カノンの頭の中である妄想が広がった。

大きなベッドの上で、生まれたままの姿で仰向けになるカノン。

彼女の肢体を見つめるアヴェル、彼はそっと彼女の頬を優しく撫でる。

彼女の指に自分の指を絡めると覆い被さって―――。

「ひゃう……(過熱)」

「カノンちゃんんんんんんんんんん!?」

18歳未満は閲覧禁止な妄想に、完全なオーバーヒートを起こして倒れるカノンをイスカが抱きとめる。

愉快な(?)騒動が起きている頃、シオンはディアス邸の書庫にひとり篭って黙々と書物を読み漁っていた。

彼が探しているのは500年前、自分が当主を務めていた頃の記録だ。

何故、自分はこんな先の未来に来てしまったのか。

500年前に何が起きたのか……だが、どれだけ探しても見つからない。

いや、それよりもおかしな事実に気付く。

自分に関する記録が殆ど残っていないのだ。

当主を務めたのは父が亡くなった14歳の時から数えておよそ10年、当主としての責務を果たした期間としては短いかもしれないが、ここまで記録が無いのはどういうワケなのか。

ましてや、ここは自分の故郷の生家の書庫である。

他の当主に関連する資料も完全とはいかないものの人物像が理解出来るくらいの資料は残っている。

それなのに、自分の記録は名前しか残っていない。

ここに至って、彼はある可能性に辿り着く―――“意図的”に自分に関する記録が誰かに抹消されている?

「(まさか、アヴェルが俺に関する資料や記録を……?)」

真っ先に彼が思い当たった相手は実弟であるアヴェル。

自分が居なくなった後に当主になった弟が記録を消したのではないか。

仮にそうだとしたら、何の目的があってそんなことをしたのか。

確かに兄弟喧嘩したこともあるが、記録を抹消されるほど恨まれる様なことをした憶えはない。

あれこれ考えていると―――背後、書庫の扉が開く音が聞こえる。

アンリの姿があった、盆に湯呑みを乗せている。

「お茶だよー」

「ああ、すまないな」

一息つくのも悪くない、考えるのはそれからでもいいか。

湯呑みを口にする、緑茶の苦みが口内に広がり心を和ませる。

そういえば―――アンリには聞きたいことがあった。

「アンリ、ひとつ質問してもいいだろうか?」

「ふにゅ?質問って何?」

「7年前、君が浄歌で謎の異形を追い払う一端を担ったのは分かった。そのお陰でウェインさん達が救われたのは理解出来るんだが―――浄歌が使えることはその時まで皆に隠していたのか?」

「歌ったのはその時が初めてだよ、グレンさん達が危ないからこの歌で助けてあげてって“お姉ちゃん”に言われて」

「“お姉ちゃん”……?」

「うん、凄く歌が上手なお姉ちゃん。不思議な人でさ、何時もわたしの前にしか現れなくて、他の人が来ると何時の間にか居なくなってたの。そういえば、7年前のあの日を最後に会ってないなぁ……」

話から察するに血の繋がらない姉の様な存在、アンリの歌の師匠といったところか。

だが、今の話で出てきた“この歌で助けてあげて”という言葉からして只者ではなさそうだ。

もしかして、その女性も浄歌の歌姫なのか……いや、何か妙だ。

それが事実なら、まだ幼かったアンリではなくその女性こそがウェイン達を助けに行ってもいいのではないか?

「その女性はどんな人なんだ?」

「イスカさんやカノちゃん並の美人さんで歌がわたしより上手で優しくて、人前に出たらきっとモテモテだよ!」

「そ、そうか」

瞳をキラキラと輝かせる彼女に、流石のシオンもやや引き気味だ。

幼い彼女にとって、憧れの存在だったに違いない。

「でも―――時々、凄く寂しげな顔をしてたかな。詳しくは話してくれなかったけど、大切な人が遠くに行ってしまったとか言ってたっけ」

「何か辛い過去があったんだな……」

「それに何処となく儚げなところもあったかな、綺麗な水色の髪と相まって―――」

「待て、水色の髪だと……?」

「うん、長い水色の髪が印象的な美人さんだよ」

シオンの表情が驚愕に染まる。

彼女が姉の様に慕う女性に心当たりがあった。

自分と幼少期を共に過ごし、浄歌の歌姫として命を危険に晒しても里や力無き人々の希望となってくれた妹の様な存在。

「まさか、ルティ……?」

「ルティさんって、シオンさんの幼馴染でわたしと同じ歌姫の人だっけ?」

「ああ、しかし……それはあり得ない。ここは俺が居た時代より500年もの年月が過ぎている、彼女であるワケがない」

ルティ・ラシェル―――シオンの幼馴染、不死鳥の里で生を受けた浄歌の歌姫。

アンリが慕っていた女性は彼女の子孫だろうか?

浄歌の素質は親から子へと確実に受け継がれるというものではない。

しかし、血縁から浄歌の歌姫が生まれたという話も少なからずある。

血を重ねる内に子孫にその資質が受け継がれる可能性もある。

だが、どうにもおかしい―――アンリの前にしか姿を見せなかったという点だ。

「アンリ、その女性の名前は憶えているか?」

「え?うーん、そういえば教えてくれなかったなぁ」

「益々不可解だな……」

時刻は更に過ぎ、深夜―――。

アンリはディアス邸の自室で既に熟睡し、他の面々も眠りの世界に居るであろう時間帯。

シオンは書庫で未だに本を読み漁っていた。

これも違う、これでもない……小さく呟きながら、本を取っては読んで本棚に戻す作業の繰り返し。

彼が求めるのは500年前の資料、ディアス家と所縁があった家系に関する書物。

「―――あった」

同じ作業を数時間繰り返した末、漸く目当ての書物を見つける。

500年前、ディアス家と所縁のあった者達に関する記述。

黙々と読み進めていく、特に親交が深かった者達に関する記述は一字一句見逃さない。

全員とはいかないものの、大抵の者は無事に子孫を残して天寿を全うしている。

今よりも過酷な時代、よく頑張ったと心から安堵した。

記述の後半、ひとりの女性の名前が目に入る―――ルティ・ラシェル。

セイバーではないので無いかもしれないと思っていた、彼女も無事に幸せな家庭を築けたのかと記述に目を通す。

その考えは記述を目にしたことで木っ端微塵に打ち砕かれる。

「……馬鹿な」

本を持つ指が震える……記述には短く、こう書き記されていた。

ルティ・ラシェル、死亡―――享年23歳。

彼女は自分よりひとつ年下だった、つまり500年前の自分が居なくなった辺りに死亡していることになる。

他の者はそれなりに記載されていたというのに、彼女に関しては名前と死亡、年齢しか記載されていない。

何故、彼女は死んだ……一体、500年前に何が起きたというのか。

その疑問に答えられる者は存在しなかった。










―――7年前、大陸中央から大陸北方へと続く境にある荒野。

黒い光と共に“それ”は出現した。

人の形をした黒い異形、膝をついて呻き声を上げる。

『―――ここは変わらないな、ずっと荒野のままか』

『“貴様”……いい加減にしろ、我の身体から消えろ……!』

『断る、お前の方こそ何時までも現世にしがみ付くな―――“あいつ”が来てくれるまで共に眠って貰う』

『“貴様”ぁぁぁああああああああああああっ!!』

“それ”は地面に沈んでいく、深く深く―――やがて、その姿は消える。

大陸中央から大陸北方へと続く境にある荒野、遥か昔からこの地は多くの血が流されたという逸話がある。

かつて人が住む小さな村があったという記述もあるが定かではない。

数年前からこの周辺で強力なブレイカーが度々出没する様になり、調査団が派遣されるが未だに原因は判明していない。



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