シルフェニア四周年記念SS


「ラピス、4年目の卒業/そして幸せ到来?」


機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説 ~if story~

文:空乃涼 イラスト:金枝やるしさん









──【美女の朝は妖艶でいこう?】──


 「ううん……」

 甘いうめきがベッドから漏れる。

 ラピス・ラズリは、眠気まなこで時計のベルを沈黙させ、しなやかな肢体を再びベッドにあずける。彼女を呼ぶ声がどこからか聞こえたような気がしたが、意識は緩やかに下降線をたどっていくのだった。


──宇宙暦808年新帝国暦9年、標準暦5月末──

 自由惑星同盟首都星ハイネセンは、ちょうど新緑の季節を迎えている。穏やかな陽光がシルヴァーブリッジ街に降り注ぎ、その光にあてられた木々がみずみずしいまでの生命の活動源を体内から体外に放ち、周囲に葉緑素のさわやかな香りを漂わせている。窓からそよぐ風がさらに睡眠欲を掻き立てていた。

 「ラピス、起きなさい! 買い物に行くんでしょう」

 ラピス・ラズリは、聴覚の奥に響く若い女性の大きな声で心地よいまどろみから強制的に引きずりだされてしまう。仕方なくふらふらと上半身をベッドから起こした。しなやかな背中まで伸びた絹のような髪がふわりと風に揺れる。

 「らーぴーすー、もう、約束したでしょう。ルリさんに贈るお祝いの品を買いたいから付き合ってほしいって! 自分からそう頼んでおきながら寝坊するなんて感じが悪いわよ」

 と言ってラピスを起こしに来たのは、癖のある薄く淹れた紅茶色の長い髪と青い瞳をもつ、ラピスと同年齢くらいの若く凛々しい容姿の女性だった。白いTシャツに褐色のジャケットとジーンズという機能的な服装が彼女の性格と行動力を示している。

 「ああ、カリン……」

 「じゃないでしょ! 早く起きて着替えなさい。今日しか付き合えないわよ」

 カリンことカーテローゼ・フォン・クロイツェルは、またベッドに倒れこもうとするルームメイトを今度こそ本気で叩き起こし、すぐに外出する準備を整えるよう、きつく申し渡した。


──20分後──


 肩を並べて高級士官用の住宅地を歩くラピスとカリンは、通りに出たところで無人タクシーに乗り込み、一路ハイネセンポリスの中心街へ向かった。

 「大丈夫、ラピス? 合同演習から戻ったばかりで疲れがとれていなんじゃないの」

 「ううん、大丈夫。カリン、悪いわね、せっかく付き合ってくれるのに寝過ごしちゃって」

 「それはいいけれど、いつかみたいに無理して壁にぶつからないでよ」

 うん、とラピス・ラズリはやや精彩を欠く声で返事をし、徐々に近づくハイネセンの中心街に琥珀色の瞳を向けるのだった。


 ラピス・ラズリは21歳になっていた。4年前に少女であった時よりも一段と女性的な魅力に磨きがかかり、彼女にアタックして玉砕した独身連中の総数はかるく三桁を超えるであろう。また、ラピスは4年前に意を決して育ての親元を離れ、シルヴァーブリッジ街の高級士官宿舎で二つ年上のカリンと共同生活を送っているのである。

しかし、 「ラピス・ラズリ准将」は、カリンとともに自由な独身生活を満喫していたわけではない。いまや、ホシノ・ルリ中将の右腕として第10艦隊の分艦隊司令官として多忙な日々を過ごし、ルリが「寿退社」の後には次期艦隊司令官としての活躍が期待されていたのである。

 「結婚か……」

 ラピスは、近づきつつある中心街をタクシーの窓から頬杖をついたまま、ぼんやり眺めながらため息をついた。彼女が「姉」と慕うホシノ・ルリの結婚式は6日後に迫っていた。この銀河にたった二人だけ存在するIFS強化体質の最初の一人であり、ワンマンオペレーティングシステムを最初に運用した女性だった。その名声は銀河中に知れ渡っており、「電子の妖精」、「銀河の至宝」、「電脳世界の戦女神」と敵味方を問わずその美貌と頭脳を謳われていた。

 そこに、もう一人の「妖精ラピス・ラズリ」が加わり、電子の世界で構成された兵器や情報のほとんど全てを支配した。時には数万隻に及ぶ艦隊をたった二人で無力化してしまうという強大な力を発揮し、今日にある自由惑星同盟と新銀河帝国との和平に少なからず貢献した功労者でもあった。

 「どうしたの、ラピス、気分でも悪いの?」

 いいえ、とラピスはぼんやりした表情で答え、不意に2歳年上の先輩に心情を吐露した。

 「あなた寂しいのね。ルリさんが軍隊を辞めてしまうから」

 「やっぱり、そうなのかな?」

 「自覚がないの? まあ、あんたはルリさんとは姉妹同然だったからね。彼女と初めて会ったとき、あんた安心したんでしょ? 同じ境遇の人間として」

 「ええ……」

 ネルガルの研究所で8年間を過ごした少女にとって外の世界と人間は、彼女を救い出したテンカワ・アキトを除けば未知との遭遇に等しかった。ナデシコに保護された後も天照の女神のように扉を閉ざし、部屋にこもったまま外界との接触を断っているように見えた。ようやく、テンカワ・アキトが怖がる少女を連れて部屋を出たとき、そこに最初に現れたのはナデシコのメインオペレーターだった。

 「こんにちは、ホシノ・ルリです」

 いささかぎこちない挨拶をルリはした。そして、アキトの後ろに隠れるようにルリを見ていたラピスは、少女の瞳が自分と同じ琥珀色であることに気がついた。

 「私はあなたと同じネルガルの研究所で生まれたから」

 その事実は、心に鍵をかけた一人の少女の精神世界を魔法のごとく解き放った。自分と同じ施設で生まれ、特殊な環境で英才教育を受けて育った境遇の存在にテンカワ・アキトとは別の拠り所を見つけたのだろう。以来、二人の「マシンチャイルド」はまさに姉妹のように時を重ね、自由惑星同盟軍反撃への原動力となったのである。

 その最もたるが宇宙暦801年新帝国暦元年に起こった「第2次アルレスハイム会戦」であろう。ミスマル・ユリカ大将率いる同盟軍別同部隊がフェザーン回廊解放に動いたヤン・ウェンリーの戦略的な優位を確立するため、イゼルローン要塞よりヤン艦隊挟撃のために出撃した帝国軍艦隊36,000隻を無力化してしまった戦いである。後世において「アルレスハイムの無血勝利」と評された戦いは同盟軍別働隊わずか2,000隻のうちのたった2隻の戦艦によって成し遂げられたのである。

 まさに電子を支配する「ナデシコA」のメインオペレーター、ホシノ・ルリと同盟軍の技術によって唯一建造された「G・ナデシコ」のメインオペレーター、ラピス・ラズリ「姉妹」の本領が遺憾なく発揮された戦いであった。同時に姉妹の絆をいっそう強くする戦いであったと言っても過言ではないだろう。ルリがいてラピスがいて、二人はまさに二人で一人だったのだ。

 その姉が結婚してしまう。ずっと一緒にいられるわけじゃないのはわかっていた。だからこそあなたはルリねえさんやみんなの元から離れて暮らすようになったんじゃないの?

 そんなことは覚悟していても、やはり寂しいものは寂しいのだ。

 「ラピス、あんたがルリさんの事をテンカワさんに負けないくらい慕っているのは知っているわ。本当のお姉さんのように思っていることもね。だけど、取られるなんて考えてはだめよ。気持ちよく送り出してあげないとだめだと思う。」

 カリンの瞳が鋭くきらめいた。後輩はホシノ・ルリ提督の幸福を望んでいないのではないかと感じられたのだ。

 しかし、それはいささか飛躍であるようだった。

 2年前、主なメンバーが集まった夕食会の席で「彼」とルリの口から婚約が発表された。最初はほとんど全員が夕食会用の演出と受け取ったのだが、その場で「彼」がルリに婚約指輪を贈り、冗談抜きで二人が寄り添ったので一時的にパニックになったほどだった。

 ラピスは騒然とする周囲を尻目に、ルリの普段からのクールな表情からは想像できないとても幸せそうな光景を見て、素直に姉の婚約を喜んだはずだった。その気持ちが心の成長だとラピスは思っていたのだ。

 そして昨年、順調なら「二人」は結婚式を挙げているはずだが、新帝国の皇帝が不治の病で亡くなったため、少なからず関わりがある「二人」は遠慮する必要もないのだが、挙式を一年延期することにしたのだった。ラピスはあと一年、姉と肩を並べて宇宙を駆け巡ることになった。

 その本来は生じえなかった時間がラピス・ラズリの心に複雑な二律背反の感情を抱かせたのだった。ルリの幸せを望む心とルリを遠くに行かせたくないという心がせめぎあったのだ。親代わりとなってきたテンカワ・アキトがすでにミスマル・ユリカと結婚している事実も大きく作用したことだろう。

 「しっかりしなさい、ラピス・ラズリ! いつまでもシスコンでどうするの。あなたはそんな自分を変えるために家族同然の人たちの元を離れたのでしょう。あなたはもう自分自身の足で歩ける立派な大人なの。いいことも悪いことも祝福することも叱ることも自分の問題も一人で解決できる大人なのよ」

 この叱責とも激励ともとれる友人の言葉は心の中で熱くせめぎあうラピスの精神世界に涼やかなそよ風を生じさせた。

 「ありがとう、カリン。あなたのおかげでなんだか自分の気持ちに整理が付けられそう」

 「そう、よかったわ。あんたに暗い考えは似合わないわよ、妖精さん」

 晴れやかな笑顔で応じるルームメイトにカリンはようやく安堵したのだった。







──【魔術師はお父さん】──

 ラピスとカリンはハイネセンポリスの中心街を歩いていた。二人が在るところに異性からの熱いまなざしが注がれるのだが、一方には婚約者がおり、一方はいまのところ恋愛に興味がなく、やすやすと視線をはね返していた。二人が歩く周辺は大型のショッピング施設が立ち並び、最近では帝国資本の店舗も少なくない。休日ということもあり、通りは買い物を楽しむ人々の往来も激しい。

 「うーん、いざとなると悩むわ」

 ラピスとカリンは、半ばウィンドウショッピングを楽しみながらルリに贈るお祝いを考えていた。

 「というより、考えてなかった?」

 うっかり楽しんでいたカリンが我に返ってラピスに質問する。

 「ええ、でも土壇場になって、なんだか物足りなく感じてしまって」

 「何にする予定だったの?」

 「ジャンクフードショップの会員限定永久割引カード」

 カリンはドン引きした。

 「そ、それは考え直して正解だと思う」

 「そう?」

 その後、アクセサリーショップ、陶磁器、高級婦人服、ぬいぐるみ、立体TVゲーム、コスプレ(オイオイ)etc……

 ラピスは思いつく限りの店舗を回ってお祝いの品を探したのだが、なかなかインスピレーションを刺激しないのか、時には表情を曇らせ、時にはあっさりあきらめ、時には店舗に入る前にきびすを返したりと一向に決まる様子がなかった。

 「そろそろお昼よ、ラピス。いったん休憩にしましょう。気分を変えればいいプレゼントが浮かぶかもよ」

 ルームメイトが同意したので、二人はお気に入りの喫茶店目指して歩を進める。その近くまで来たときだった。

 「カリン、ラピス!」

 声の方向に振り向い二人は、笑顔で手をふる金褐色の頭髪とヘイゼルの瞳も美しい女性にばったり出会った。

 「ヤン夫人!」

 駆け寄ったラピスとカリンは、かつて肩を並べてともに戦った年上の戦友に頭を下げて挨拶した。その傍らでは母親と同じ髪の色と瞳をもつ「息子」がよく見知った「お姉さん」たちに愛想のよい笑顔を振りまいていた。

 「久しぶりね、二人とも、合同演習おつかれさま。しばらく休みなのかしら?」

 「はい、フレデリカさん」

 と答えたのはカリンであり、ラピスは3歳になるヤンJrのお相手をしていた。

 「ヤン夫人もショッピングですか?」

 「ええ、あの人も回想録の執筆で家にいるばかりなのもどうかと考えたらしくてね。気分転換をかねて付き合ってくれているの。今は荷物を車に積みに行っているわ」

 「そうですね。たまには家族サービスしないとお父さんとしての威厳が保てませんものねー」

 カリンは笑いを口元に含ませる。

 「あまり気にしていないようだけどね。相変わらずマイ・ペースよ、あの人は」

 愉快そうに笑った三人は、その穏やかな声を聞いた。

 「やあ、おまたせ」

 ヤン・ウェンリー退役元帥は、白いシャツに水色のトレーナーとアイボリーホワイトのスラックスというラフな格好で現れた。カリンとラピスがいることにちょっと驚いたヤンは照れくさそうに頭をかいて挨拶した。

 「二人とも元気そうだね」

 やさしい声と表情を向けるヤン・ウェンリーは、かつてカイザーラインハルトをはじめ帝国軍の名だたる将帥達に畏敬された「偉大な知将」にいっこうに見えなかった。やはり今でも「なかなか芽の出ない助教授」が妥当であったろう。ヤン夫人や彼に好感をもつ人々には、その姿こそヤンのヤンたる所以だと胸を張って言ったに違いない。

 ヤン・ウェンリーは、宇宙暦805年にめでたく退役した。

 「あと一年がんばれば年金の額がもっと増えるぞ」

 という後方勤務本部長アレックス・キャゼルヌの甘言に屈したかどうかは別として、和平調印の合議に絡む軍隊の再編になけなしの事務処理能力を総動員し、それが一通り落ち着くとミスマル・ユリカ元帥に統合作戦本部長の席を大喜びで譲って文字通り「とっとと引退」したのであった。

 そして、「静かで読書三昧の夢の年金生活がスタート!」

 とはならなかった。これは当然というべきか、彼に各星系の自治体から講演依頼や回想録の執筆依頼が鬼のように殺到したのである。

 「わるいけど、そんな気はないから」

 と言って断っていたヤンだったが、依頼は日増しに増え続け、本人の怠け心とは裏腹に沈静化する気配が全くなかった。

 そんなのほほんとした年金生活者の考えを変えたのは、

 「よいではありませんか、ヤン提督。一冊出せば皆さん納得しますよ。それに歴史好きな提督が激動の時代に生きた人生を記さないでいたら、後世の歴史家や未来の歴史好きな人々をがっかりさせることになりますよ、きっと」

 という息子同然の総参謀長の助言を聞いてからだった。

 「なるほど。私にしっかり歴史の証人としての務めを果せということらしいね」

 ──やれやれ、楽はさせてもらえないらしい、少々考えが甘かったかな?

 ヤンの精神世界でどのような革命が起こったのかは定かではないが、本人もやる気が湧いたのか、今年の4月になってようやく回想録の執筆に取り掛かったのだった。

 「ヤン提督もお元気そうで何よりですね」

 「まあ、疲れるようなことはしていないしね。万事平和さ」

 「ヤン提督」という呼称は本来適切ではないのだが、彼に付き従った者たちからは親しみを込めてそう呼ばれることが多い。当人も悪い気はしないのか、特に訂正する気はないようだった。

 「二人とも休日を利用してショッピングかしら?」

 そう尋ねるヤン夫人にカリンとラピスは思い切って目的を伝えた。

 「ルリちゃんへの贈り物を買いに来たのね」

 「はい。そうなんですが今になっていろいろ悩んでしまって」

 心底困ったという顔をしたカリンとラピスを交互に見やり、ヤン夫人は言った。

 「二人ともお昼は食べたのかしら?」

 まだです、という返答を聞き、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンはヘイゼルの瞳に慈愛をこめて提案した。

 「では一緒にお昼にしましょう。ちょうど私たちも昼食にしようとしていたの、迷惑じゃなければ相談にも乗るわよ」

 恐縮してカリンは答えた。

 「そんな、迷惑だなんて、とてもありがたいです。ねえ、ラピス」

 「はい、ヤン夫人。お心使い感謝します。ぜひ相談に乗ってください」

 軍隊に10年もいれば言葉も矯正される。

 亭主も快く同意したので彼らは近くのレストランに移動した。






 「いろいろあって迷いが生じてしまったのね」

 食後のコーヒーを飲みながら、ヤン夫人はラピスの相談に親身になって耳を傾けていた。その隣ではヤンが紅茶の味に不満なのか息子をひざに乗せたまま微妙に眉毛を吊り上げている。

 ラピスがため息混じりにつぶやくように言った。

 「ルリねえさんが一番喜んでもらえるものをと考えていたら、どれもこれも自信がなくて……」

 「ねえ、ラピス、あまり深く考えなくてもいいんじゃないかしら。心がこもっていれば何だって嬉しいものよ。それに何と言っても妹同然のあなたからの贈り物ですもの、きっとルリちゃんは素直に喜んでくれるわよ」

 ヤン夫人が見解を述べたのだが、ラピスはいまいち釈然としていないようだった。妥協してしまうと一生後悔してしまうのではないか。ヤン夫人の言うように姉は自分からのお祝いの品を何でも喜んでくれるに違いない。ただし、それは「妹がくれたから」という一種同情めいたものになりはしないか? どうせ贈るなら、贈ったことよりも、贈るものに対しても心から喜んでもらうにはどうすればよいのか?

 ラピスの悩みはなかなか迷路から抜け出せないように思われた。

 「ねえ、あなたはどう思いますか?」

 まさか相談事をふられるとは思っていなかったのでヤンはいささか慌てた。気持ちを落ち着かせるために落第点をつけたレストランの紅茶を仕方なく飲んで、そしておもむろに言った。

 「そうだね。何も物にこだわる必要はないと思うんだ。ラピスちゃん、君がルリちゃんに伝えたいことをもう一度考えてみるんだ。お祝いに悩むのは君が形に封じ込めた気持ちをルリちゃんが感じてくれるかどうか、理解してもらえるかどうか自信がないからだと思う」

 ラピスは、彼女も尊敬するヤン・ウェンリーの言葉から答えを見つけ出そうとじっと耳を傾けている。

 「……ええと、そうだね。上手くいえないけど、君がルリちゃんに送りたいのは物ではなくて言葉そのものだと思うんだ」

 あっ、とつぶやいてラピスは立ち上がった。その白皙の表情はついに探し求めていた何かを発見したように明るく晴れ晴れとしていた。

 「ありがとうございます、ヤン提督、ヤン夫人。ようやく私が本当に贈りたいものがわかりました」

 その場で踊りだしそうなくらい、ラピスはうきうき気分になったのだった。







──【花嫁と騒がしい同窓会?】──


 「June Bride」といえば「6月の花嫁」

 いつの頃からか女性が結婚するのにふさわしい月とされていた。人類の生活圏が「地球」という惑星に限られていた頃、ある極東の島国では6月の結婚がもてはやされていたが、統計学的にはその月の天候から最終ゴールイベントが割と少ないことが判明したという。

 結婚生活の守護神が幸せを願う花嫁全てに伝承通りの効果をもたらすか否か、それは時のみぞ知ることであろう。

 結婚式当日の天候は、まるで春の最盛期のように暖かで空気も澄み渡っていた。招待客の大半が新郎ではなく、新婦の日ごろの行いの賜物であると自信をもって主張するところである。

 「彼」とルリの挙式は、ハイネセンを代表する高級ホテルに併設された教会で行われた。ヤン夫妻の時と違って現役の将官同士の結婚であるため身内のみの式とはいかず、その数はざっと前者の5倍強に達しようとしていた。これはミスマル・ユリカとテンカワ・アキトの結婚式時の実に1.5倍にあたる。いかにビッグカップルかが知れるというものだった。

 なもので式場周辺は招待客であふれており、あたかも同窓会の様相を呈していた。

 「よう、生きてたか、テンカワ・アキト」

 緑色の瞳に陽気な光をたたえ、「永遠の撃墜王」ことオリビエ・ポプランがかつての戦友の肩を叩いた。

 「ポプラン隊長!いらしてたんですね。なかなか居場所がつかめなくてみんなダメかと思ってたんですよ」

 少しだけ背が伸び表情も男らしくなったテンカワ・アキトに手を握られ、元撃墜王は少し不快顔だった。

 「やれやれ、最初に声をかける相手を間違えたな。戻って早々に男に手を握られるとは失敗だった」

 そこへ絶妙なタイミングで横槍を入れた人物がいた。

 「やあ、アキトくん、気にしないでくれ。ポプランの不良は放浪している間にずいぶんと人恋しくなったようで、今回、ひょっこり帰ってきたのも寂しさからなんだよ。だから実のところは手を握られて心の中では感涙しているのさ」

 「おい、コーネフ。久しぶりに会った親友にかける言葉とはとても思えんが?」

 「親友? 誰が」

 口をあんぐりと開けるポプランを見て、アキトは「勝負あった」と判定を下した。初めて会った時とほぼ同じ会話が交わされたことになつかしさを感じつつ、彼らが彼らであることをとても嬉しく感じるのだった。

 「それにしても……」

 とポプランが形勢不利と読んだのか話題を転じる。もちろん主役である新郎と新婦の事だった。コーネフとアキトも関心があるのかポプランの逃げを突っ込まない。

 「まあ、いまさらだが、まさかあの二人が結婚するとは、ヤン提督がグリーンヒル少佐と結婚した以上に信じられないぜ。テンカワ・アキト、お前は知っていたか二人の仲を?」

 ぶんぶんとアキトは首を振った。当然、彼にとっても意外すぎる組み合わせだったのだ。イゼルローン要塞で確かに二人はよく話を交わしていたが、それは純軍事的でシステムちっくな内容であり、恋が成就していくような会話とは程遠いものだったはずだ。どちらかというと日常の会話を交わす男性といえばアキトやユリアン、ヤンが圧倒的であり、圧倒的に目立っていたはずなのだ。一時期、ヤンはユリアンのお相手はカリンではなくルリではないかと考え、二通りの未来図を描いたものだった。

 「もしかしたら……」

 とアキトが想像するのは、ヤンやポプランが退役した後に二人の仲は急接近したのではないか? 決してその短い月日だけが全てではないと思うのだが、短い期間で愛が育まれたのは確実なようだった。

 「まあ、いずれ新郎の方をとっちめて白状させよう。ヤン夫妻を凌駕する13歳差カップルだしな。どんなペテンを使って美女をゲットしたのか知る権利が我々にはあるはずだ」

 心底、人の悪い笑みを浮かべつつ、オリビエ・ポプランは帰還早々、よろしくないことを企んでいるようだった。

 「さてと、その前に現在の美女に挨拶だ。テンカワ・アキト、ラピスとカリンはどこだ?」

 とエースは周囲を見回す。コーネフがあきれた顔で、

 「ポプラン、まずはヤン夫妻に挨拶するのが順当だろ?」

 と言ったら、

 「そっちは後だ」

 とポプランはあっさりと断言した。今、ヤン・ウェンリーに会うと自分は善人になってしまう。その前に美女たちに会っておくのだと。

 「勘違いするな。ラピスとカリンには挨拶しに行くだけだ。3年の間にどれだけ女になったか確かめてやるのが『ポプランさまっ』ってもんだ」

 堂々と胸をそらす元エースを見て、アキトとコーネフは疲労感をともなったため息をついたのだった。




──【姉と妹】──

 ラピス・ラズリは、教会内にある新婦の控え室前にいた。挙式が始まる前に「それ」を渡そうとしたである。式が始まってしまうと渡す機会がなかなかないかも、とカリンに助言されたのだ。

 ラピスは、扉をゆっくりと開けた。ホシノ・ルリはやわらかな初夏の日差しが降り注ぐ只中に純白のプリンセスドレスに肢体を包み、まぶしいばかりに輝いていた。

 「あれ、ラピスじゃない?」

 訪問客に気づいたのは、今やスタイリスト兼デザイナーとして成功したハルカ・ミナトだった。彼女はラピスを招き入れると、すぐにその表情から何かを察したようだった。

 「まだ式まで20分くらいあるから、ルリルリに話があるならごゆっくりどうぞ、妹さん」
 
 そう言って一番弟子のユキナを呼ぶと、気を利かせて控え室を一時的に退出した。

 「ラピス、来てくれたのね」

 けぶるような微笑を向けられ、ラピスの心はルリの幸せな思いが流れ込み、あっという間に満たされてしまった。

 しばらくたたずんでしまったラピスは、それでもたくさんの「感謝とお祝いの気持ち」を伝えるために花嫁にカード大のそれをそっと差し出した。

 「これは、何?」

 「3次元ビデオレターです。ルリねえさん」

 「ビデオレター?」

 「私からの結婚のお祝いよ。お祝いって言うのも変だけど直接言うのは恥ずかしいから全部その中に気持ちを込めたの。いつでもいいから見て」

 ラピスは、クールにそれだけ言うとくるりと身をひるがえし、ドアのノブに手をかけた。

 「まって、ラピス」

 「妹」と同じ琥珀色の瞳をもつ「姉」は、またも普段のクールさからは想像できない霞んでしまいそうな笑顔でやわらかく言った。

 「ありがとう、ラピス。これをもっているだけであなたの気持ちが伝わってくるわ。」

 (ああ、この人は本当に幸せなんだ)

 ラピスは心からそう感じ、花嫁に軽く手を振って控え室を後にした。後ろを振り返らず、まっすぐに……

 この瞬間、ラピス・ラズリは精神的にも独立を果し、一人前の大人に成長したのだった。







──【旅立ちは笑顔と共に】──

 挙式は滞りなく進み、「彼」とルリは永遠の愛を誓った。二人がキスを交わしたとき、男性陣は夢の終わりに肩を落とし、女性陣は甘い妄想にメロメロになっていた。

 挙式が終わると次は記念写真の撮影だった。教会から出てきた新郎新婦に頭上から花びらが舞い、大勢の身内から祝福の言葉が雨あられのように贈られる。

 「おめでとう、お二人とも一生お幸せに」

 「とてもキレイよ、ルリさん」

 「変わらない幸せをいつまでも!」

 「このロリコン野郎ぉぉっ!」

 「犯罪者ぁぁ!!」

 「俺たちは一生、お前の犯した罪を憶えているぞ!

 まっとうな祝辞の中に巧妙に紛れ込んだ悪意を聴覚で拾い上げた新郎は「怒」マークをこめかみのあたりに生じさせつつも、笑顔で手を振って集まった人たちに応じる。

 (くそっ!ローゼンリッターの連中とポプランだな、式が終わったら今に見てろよ)

 内心で仕返しを誓った新郎は、すぐにそれを12光年ほどのかなたに追いやった。彼の妻となった女性が夫の顔を覗き込むようにして寄り添い甘えてきたのである。

 (いや、まいったね……)


 「まったく、あんなにニヤついて見てらんねーや」

 と面白くなさそうに呟いたのは独身のオリビエ・ポプランであり、

 「そのわりには楽しそうだな」

 とさりげなく指摘したのは既婚者たるイワン・コーネフだった。

 「どうだ、ポプラン。うらやましいと思うならお前も身を固めたらどうだ。キラキラ星の高等生物の幻想は終わったろ?」

 親友からの引導宣告をポプランは軽く流した。

  「冗談じゃないぜ。俺はあの新郎のように簡単に意思を曲げる男じゃないからね。まだまだこの世には博愛のなんたるかを教えなければならない美姫はごまんといる。独身主義はもうしばらく継続だな」

 「まあ、へまはするなよ」

 反論しようとしたポプランの声をさえぎるように、突然、黄色い歓声が上がった。かつてのエース三人は肩を並べてその声の発生源を探して納得した。麗しいほどの新婦が青い空に向かってブーケを投じたのだ。


 ルリがブーケを持った右手を後ろ向きになって天へとひるがえした瞬間、その時を心待ちにしていた独身女性陣の目が一斉に色めき立ち、その団体を構成するカリンやユキナも放物線を描いて落下してくる「次の幸せ」をつかもうといっぱいに手を伸ばした。

 しかし、そのとき一陣の風が吹きぬけ、ブーケは風に乗って独身女性たちの群れを飛び越え、結婚の意思などまったくない、もう一人の琥珀色の瞳の麗人の手の中にふわりとおさまった。

挿絵

 「えっ?」

 ラピス・ラズリは意外すぎる事態に戸惑い、偶然にも手にしてしまった季節の花で構成されたブーケをどう扱うべきか視線を泳がせる。その視界の中に嫉妬と敵意と好奇心とに分かれた独身女性たちの目がこれでもかというくらいに突き刺さってきた。

 (ちょっ、マジで! カリンやユキナの目もちょっと怖いんだけど)

 なんとなく危機感を抱いたラピスを救ったのは、

 「えーっ! ラピス、お前、誰か好きな人がいるのか!?」

 「ラピスちゃん! 誰かラブラブな人がいるの!?」

 テンション上がりまくりのテンカワ夫婦だった。アキト似の子供を抱いたユリカがラピスを脱兎の勢いで追及する。

 「えーと、すみませんが私は特に……」

 別に結婚なんか考えていないし、結婚するような人なんて存在しないんですが……

 ラピスは、最後まで否定を声にできなかった。せっかく次の幸せをつかむチャンスを結婚する気のない美人准将に奪われたことに納得できない「独身女性ブーケを掴む会」の皆様が無数の物々しい足音を立てながら迫ってきたのである。

 「ちょっ、みんな怖いんだけど。どうしてシャルロットフィリスまで怒っているの?」

 ラピスが「危険」を察知し、ようやくその権利を放棄しようとブーケを放り投げようと右腕を振り上げたとき、今度こそ本当の救世主が現れた。

 「ラピス、一緒に写真を撮りましょう」

 ルリだった。純白のドレスの裾を上げ、まるで舞踏会に望むお姫様のような登場の仕方だった。さすがに「今日の主役」に立ちはだかれてはブーケを奪うわけにはいかない。正気に戻ったのか女性たちは殺気から解放される。

 ルリがラピスの手をとって広い庭園へと誘う。

 「アキトさん、二人の写真を撮っていただけますか?」

 「了解、ルリちゃん」

 四季の花々を臨む場所までやってきたルリは、ラピスと肩を並べてポーズをとったときに「妹」の耳元でささやいた。

 「ラピス、ビデオレター見たわ。本当にありがとう。なにものにも替え難い素敵な贈り物だったわ」

 「ルリねえさん……」

 言葉につまるラピス。でも満たされた気持ちを目で伝えるだけで十分だった。

 アキトの声がした。

 「じゃあ、撮るよ。二人とも最高の笑顔で頼むよ」


 カメラのレンズに収まった二人の姉妹。

 かつて強大な帝国軍をたった二人で翻弄した「双極の電子の妖精」と呼ばれた少女たちの未来の姿。

 一人は今、幸せをつかみ、

 一人は自分の足で歩き出そうと、本当のスタートを切ったばかり……


 ラピス・ラズリに至福の瞬間が訪れるまで、なお1460日の時が過ぎねばならなかった。





──END──

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 あとがき

 涼です。何とか記念SSを完成させることに成功しました。前作のクロス短編に一応繋がるような設定になっておりますが、本編とは違う「IF Story」としてお読みください。

 今回のSSではラピスを中心にして、ルリの結婚に関わる様々な心境やら、思いやらを書いて見ました。(書いたつもり) 意外に長くなってしまいました。ですが読者の方が理想とするような世界をちょい書いたつもりです。最後のほうは前半遊んでしまったため、駆け抜けてしまったお粗末さがありますがご勘弁ください。

 それにしても、作中では皆さん年を取っています。ヤンは41歳設定ですからね。でもまあ、彼は3歳くらい若く見えるので書く上では30代にしたつもりです。

 ナデシコ組みと銀英伝組みの会話も苦労しました。比率に偏りがあります。すみません(汗)

 今回の挿絵は、シルフェニアさんでもおなじみの絵師さん「金枝やるしさん」にお願いしました。ご自身は4周年記念のイラストを制作されていましたが、こちらの無理な依頼にも快く引き受けて頂けました。しかもカラーですよ、カラー。21歳設定の大人なラピスはいかがだったでしょうか?

 やるしさんには、この場をお借りしましてあらためて御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。機会があったらまた描いてくださいw

 それでは次回は(たぶん)本編でお会いしましょう。
 SSはもとより、イラストの感想もお待ちいたしております。

 2008年11月30日──涼──


 長い間ほっときすぎたので誤字脱字等を修正しました。

 2010年10月10日──涼──


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